学び!と美術
学び!と美術

前編では出版の背景や子どもとアートの関係について語っていただきました。後編では、本書で最も伝えたかったこと、アートは世界の見方であり、生きる上での基盤だということについて伺っていきたいと思います。
美術の授業という宝
でも、それは当たり前のことです。なぜなら、そもそも授業の相手である生徒は「美術が好きな人や教育者だけ」ではないですよね。美術が嫌いな子もいるし、縁のない子もいます。授業に取り組もうとせず反発しちゃうような子もいます。そんな子どもたちが、美術の授業を通して自分なりのものの見方で立ち止まって考えたり、アートって面白いと思ったりしてくれる喜びを経験してきたので、本書は美術が好きな人々ではなく、普通の人々を対象に、そこで美術を語り合いたいと思って書きました。
一方、この本は『13歳からのアート思考』と銘打ってはいますが、アート思考の方法を示すというよりも、読者とアートを通して対話するというか、アートを経験するというか、読者が授業に参加しているような感じがします。しかも扱われているのは、特別な話ではなくて、普通の授業でも取り扱われている内容です。固定的なノウハウや「これが新しい考え方だ!」のような思想を押しつけているわけでもありません。
だって、私自身、子どもたちが「美術の授業では何を言っても認められるんだ」とか「こんなことをしても先生ダメって言わないんだ」とか言いながら、自分なりの探求をしていく姿を観るのがすごく好きだったんです。
美術や美術教育が世間一般的にブームになって久しく、そのきっかけをつくっておいてこう言うのも何ですが、ブームに乗ったほとんどの本は「あなたたち、知らないでしょうけど、美術はすばらしくて、美術館はアートの殿堂で……」というような大上段から始まって、その場所から「こんなすばらしい鑑賞法があって」「アートにこんな効果があって」というように教えや教義を授けている、そんな感じがするんです。
でも、私の知っているビジネスパーソンやNPOなど様々な人は、そのようなアプローチに対して「つまんない」と言うんです。市井の人々は侮れないというか、美術館や美術教育の問題点を見抜いていると思います。
でも、末永先生の本はピカソやデュシャン、ポロックなど、美術の授業で取り扱う宝物を高邁なものとして押しつけるのではなくて、一緒に楽しませてくれました。言い換えると、美術の授業を18万もの人々に実現してくれた。「美術の授業が本になった!」という喜びを感じたのです。
アートは生きる基盤?
これまでいろいろな授業やワークショップをしたり、本や論説を書いたりしてきたんですけど、そこで触れ合った人々は、自分の生活の中にアートを展開させたり、そこで何かを感じたり、何かの折にアートな考え方をあてはめたり、置き換えたりしてくれているのかなと思います。そうだとしたら、アートは全ての学びの基盤というか、生きる上の基盤になるものなんじゃないかなと思います。
最近、総合的な探求の時間や教科横断の授業、あるいは集会のような場で話す機会も多くて、それって、読者が、アート=美術ではなく、生きる上での基盤と考えてくれたからじゃないかなと思います。
私はそれを「生存価」と呼んでいますが(※3)、『13歳からのアート思考』は、アート思考の解説本ではなく、アーティストが苦しんだり楽しんだりしたことが追体験できるような、縁を深める「生存価」の本なのかもしれませんね。
自分のものの見方で世界を見つめなおすとか、今あるものを疑ってみてもいいんだよとか、自分が違和感を覚えたときに立ち止まって考えようよとか、そんな授業であれば、それは日常生活や仕事に役に立つのではないでしょうか。
例えば、私はよく「新聞紙で何ができる?」というワークショップをやっています。新聞紙を一束渡して、造形遊びみたいにして遊ぶのですが、まるめたり、ちぎったりはもちろん、野球のバットをつくる人がいるかと思うと、新聞紙の文字の部分を切り抜いて言葉を並べる人もいます。ただひたすらただ高く積むなどの行為を追う人もいます。
興味深いのは、作業後にみんなで対話するときのこと。「この作品をこういう構図や意図でつくりました」と話す人はまずいません。作品についての言及はほとんどなくて、「はじめに新聞紙に触ったときにこんな感じがして、こんなことをしてみた」とか「他の人を見てこう思い付いた」とか、作業のプロセスや、自分の感じたこと、考えたことなどを自然と話すんですよね。
このワークショップで大事にしているのは、実は作品の出来栄えじゃなくて、制作過程において何を考えていたのか、どんな模索をしたのか、それによって自分がどう変化したのか、といったポイントです。
武蔵野美術大学造形学部卒業、東京学芸大学大学院教育学研究科(美術教育)修了。
東京学芸大学個人研究員、九州大学大学院芸術工学府講師、浦和大学こども学部講師。
「絵を上手に描く」「美術史を丸暗記する」といった従来の美術の授業に疑問を感じ、アートを通して、自分なりのものの見方で「自分だけの答え」をつくることに力点を置いた探究型の授業を中学校や高等学校で実践してきた経験を持つ。
現在は、全国の教育機関や企業等で、年間100回を超えるワークショップや講演を行う。
日経STEAMアドバイザー、Eテレ「ノージーのレッツ!ひらめき工房」監修、ニュース共有サービス「NewsPicks」プロピッカーなど兼任。様々な企業や団体とアートや教育に関する事業共創に力を注いでいる。
著書に18万部を超えるベストセラーとなった『13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)、動画コンテンツに『大人こそ受けたい「アート思考」の授業 ─瀬戸内海に浮かぶアートの島・直島で3つの力を磨く─』(Udemy)などがある。
※1:学び!と美術<Vol.114>『美術鑑賞の現在地 後編(2010~) 第2回 ビジネスと美術鑑賞(1)』(2022)
https://www.nichibun-g.co.jp/data/web-magazine/manabito/art/art114/
※2:奥村高明・有元典文・阿部慶賀編著「コミュニティ・オブ・クリエイティビティ ひらめきの生まれるところ」日本文教出版(2022)p.221
※3:生存価とは、「種」の生き残りやすさに寄与する性質のこと。言い換えれば、「飯を喰うのには不要」だけど「生きるのには必要」なもの。例えば脂肪には「生存価」があり、脂肪の形でエネルギーを蓄えられた方が飢餓に強い。言葉を交わし合えれば、生きるために必要な共同作業の精度が上がるので、言語にも「生存価」がある。同様に「歌やお絵かきにも「生存価」があるのではという考え方。学び!と美術<Vol.98>『対談:生存価としての図画工作・美術』(2020)
https://www.nichibun-g.co.jp/data/web-magazine/manabito/art/art098/
※4:科学研究費補助金基盤研究(B)平成24-26年度「科研費美術館の所蔵作品を活用した鑑賞教育プログラムの開発」(研究代表者:一條彰子)の調査におけるナショナル・ギャラリーで受講したワークショップをもとにしています。