学び!と美術
学び!と美術
学校公開日や校内展などで、展示された図画工作でつくった作品を子どもと一緒に見るとき、保護者のみなさんはどんな言葉を発しているでしょうか。「『上手』くらいしか言う言葉が浮かばない」「他の子どもの作品と比べてしまう」など複雑な思いをもっている人も少なくないのではないでしょうか。今回は、家庭内での子どもの作品の見方、子どもへの声かけについて、前編(Vol.138)に引き続き名達英詔先生にお話をうかがいました。
まずは、下の写真を見て、みなさんも想像してみましょう。
きょうは学校公開の日。学校に行くと、子どもたちの絵が廊下にたくさん飾ってあります。
子どもとその保護者らしき二人が、お話ししています。
子ども「ねえ、あのチョウチョの絵、わたしがかいたんだよ。」
大人「へえ。……」
みなさんなら、このあと、どんな言葉を子どもにかけますか?
素直に、恐れず、多様な形容で
①「すごいね!」「上手だね!」
大人は子どもに対して「うまいね」「上手だね」「すごいね」って、けっこう無意識に言っちゃいますよね。「すごいね」「うまいね」って声をかけてもらったら子どもはきっとうれしいと思うんです。
だけど、「上手」の反対には「下手」が隠れてる。これって二元論っていうか、評価が二つしかないんですよね。
でも
「暖かい」「キラキラ」のほかにも、
「すごい」「うまい」を言ってはいけないというわけではなくて、問題は作品をよく見ないで言うとか、お世辞とか、無理して言っているとか、そういうことです。ちゃんと自分の作品を見て受け止めてくれているかどうかを、子どもは敏感に感じ取りますからね。
②「……(間違いを恐れて口を閉ざしてしまう)」
これは、ぼくの個人的な見方ですが、「子ども主体」はもちろん最も大事。ぼくもそう思います。だけど、それを子どものことだけを大事にすることと思って、そのために大人が自分の思いを伝えられなくなっているとしたら、それはどうなんだろうって思っちゃうんです。だって、子どもは子どもだけの世界で育つわけじゃない。大人や地域や社会といったさまざまな環境の中で育っていくんです。そうなると、いろいろな人や物事、そういう多様なこととの出会いの中で自分軸が成立していくと思うんです。
だから、
「これ、ゾウさんなの?」って聞いて、「違うよ、ワンちゃんだよ」って言われると、声をかけたほうとしては、「失敗しちゃったー!」って思いますよね。でも、ケースバイケースですが、ぼくは、そんなに子どもって弱くないと思うんです。だから、間違いを恐れずに子どもに聞いてみたりして、絵をきっかけにお話ししていいと思います。
間違っちゃうってことは、表現されたものが、大人が考えるそのものに見えないってことで、それは大人の尺度での評価を基にしているということでしょう。
ゾウと思ったけどワンちゃんだと言われたら「そうなんだ、ワンちゃんなんだねー」って子どもの尺度にも寄り添えればいいんです。問題は、いきなり「違うでしょ、どう見てもゾウでしょ」って大人の尺度や価値観を押し付けてしまって、子どもがその尺度で自分のことを見て「あー、わたしはだめなんだ」って思っちゃったり、逆に間違ったことで言葉がかけられなくなったりして、子どもとのやりとりに悩んだりすることではないかと思います。
子ども同士でも「ゾウなの?」「ワンちゃんだよ」「ゾウかと思った」って柔らかくやり取りして面白がっていることもありますよ。だから、
③「もっとここ、色を塗ったら?」
これも大人の尺度なのかもしれませんが、余白の多さが気になる人もいます。
以前ぼくが受け持った2年生の児童で、真っ白な四つ切の画用紙の真ん中に、ちっちゃなバッタを原寸大で一匹だけかいた子がいたんです。
「これでいいの?」ってなるじゃないですか。でも、話を聞いてみると、そのバッタはその子がその年に初めて出会ったバッタで、自分で捕まえたバッタだって言うんですね。その子は虫が大好きでね。だから、そのバッタをサイズも色も模様もそのままかきたかったんです。
紙の大きさは関係なくて、バッタに集中しているんです。だから真ん中にかいたんですよ。むしろ、その余白がね、このバッタにどれほどその子の思い、眼差しが焦点化したかということを表している。だから余白はまったく無駄じゃない。
子どもの表現の価値で幸福感に浸る
例えば、この絵をパッと見たときに、ぼくは大量に恐竜をかいてあるところに目が行きます。たぶん、真ん中の大きいのがいちばんのお気に入りなんでしょう。大好きな恐竜を対角線いっぱいにかいて、そのしっぽと頭のところに人を配置しているのが、また、にくい!(笑)。この子にとっては、画面いっぱい恐竜や人をみっちりかくことに意味があったんですね。
ある人は「しっかりかいてある恐竜」、ある人は「真ん中の大きくかかれた子ども」が真っ先に目に入るかもしれません。どちらから見ていってもいいんです。「骨をすごくがんばってかいたんだね」と問えば「そうなの、恐竜大好きだから」って話し始めてくれるかもしれないし、「この真ん中の子、うれしそうだね」と問えば、「○○に行ったときなんだ」って気持ちを語ってくれるかもしれない。
そうなんです。
「ここ、どこ?」「なんて名前の恐竜?」「骨は何本くらいあるのかな」って。そうすれば、この子は喜んで「この恐竜は○○で、全部で○本の骨があるんだよ!」って答えてくれるかもしれません。
大人はどうしても評論家的な見方をしがちじゃないですか。それをやっちゃいけないとは言わないけど、子どもにとっての喜びや価値がそこにない可能性はありますよね。
保護者の方も、子どもと作品について話すのが楽しみって思えるようになるといいですね。
小学校教諭での実践をもとに北海道教育大学教授を経て現職となる。子どもの造形活動の理解やそれをもとにした援助・指導など、子どもの主体的な学びを応援する保育・教育について造形・表現の視点から研究。日本文教出版小学校図画工作科教科書著者。『<感じること>からはじまる 子どもの造形表現』(教育情報出版)等執筆。
※本記事は令和6年度版小学校図画工作科内容解説資料として扱われます。