学び!と美術

学び!と美術

子どもの作品の見方 ~保護者の方へ(後編)~
2024.05.10
学び!と美術 <Vol.141>
子どもの作品の見方 ~保護者の方へ(後編)~
十文字学園女子大学 教授 名達英詔

学校公開日や校内展などで、展示された図画工作でつくった作品を子どもと一緒に見るとき、保護者のみなさんはどんな言葉を発しているでしょうか。「『上手』くらいしか言う言葉が浮かばない」「他の子どもの作品と比べてしまう」など複雑な思いをもっている人も少なくないのではないでしょうか。今回は、家庭内での子どもの作品の見方、子どもへの声かけについて、前編(Vol.138)に引き続き名達英詔先生にお話をうかがいました。

まずは、下の写真を見て、みなさんも想像してみましょう。

令和6年度版教科書『ずがこうさく1・2上p.24』

きょうは学校公開の日。学校に行くと、子どもたちの絵が廊下にたくさん飾ってあります。
子どもとその保護者らしき二人が、お話ししています。

子ども「ねえ、あのチョウチョの絵、わたしがかいたんだよ。」
大人「へえ。……」

みなさんなら、このあと、どんな言葉を子どもにかけますか?

素直に、恐れず、多様な形容で

①「すごいね!」「上手だね!」

――子どもの作品を前にすると、反射的に「すごいね」「上手だね」って言いがちです。

大人は子どもに対して「うまいね」「上手だね」「すごいね」って、けっこう無意識に言っちゃいますよね。「すごいね」「うまいね」って声をかけてもらったら子どもはきっとうれしいと思うんです。

だけど、「上手」の反対には「下手」が隠れてる。これって二元論っていうか、評価が二つしかないんですよね。

でも実際に保護者のみなさんが感じていることは、もっと多様だと思うんですよね。「このお花の色、暖かい感じだね」「チョウチョがキラキラしてるね」とか。そうすると子どもも、「暖かい色ってこういうことなんだ」とか「キラキラしてる?そういえば確かにキラキラさせたかったんだよね」とか、「わたしはうまい」という単純な価値観だけで終わらないんですよ。

「暖かい」「キラキラ」のほかにも、すてきな表現を構成するさまざまな要素があるわけだから、一つの価値観を子どもに押し付けているわけじゃない。だから、多様な形容を通じて、子どもの捉え、価値観をひらく。そういう声かけを大切にするといいのかなって思います。

「すごい」「うまい」を言ってはいけないというわけではなくて、問題は作品をよく見ないで言うとか、お世辞とか、無理して言っているとか、そういうことです。ちゃんと自分の作品を見て受け止めてくれているかどうかを、子どもは敏感に感じ取りますからね。

②「……(間違いを恐れて口を閉ざしてしまう)」

これは、ぼくの個人的な見方ですが、「子ども主体」はもちろん最も大事。ぼくもそう思います。だけど、それを子どものことだけを大事にすることと思って、そのために大人が自分の思いを伝えられなくなっているとしたら、それはどうなんだろうって思っちゃうんです。だって、子どもは子どもだけの世界で育つわけじゃない。大人や地域や社会といったさまざまな環境の中で育っていくんです。そうなると、いろいろな人や物事、そういう多様なこととの出会いの中で自分軸が成立していくと思うんです。

だから、大人も楽しんで、大人も素直に自分の感想を伝える。そうすることで、子どもとの人間的対等が生まれるのではないかなって思うんです。子どもも主体、大人も主体、お互いに尊重するということではないですかね。

「これ、ゾウさんなの?」って聞いて、「違うよ、ワンちゃんだよ」って言われると、声をかけたほうとしては、「失敗しちゃったー!」って思いますよね。でも、ケースバイケースですが、ぼくは、そんなに子どもって弱くないと思うんです。だから、間違いを恐れずに子どもに聞いてみたりして、絵をきっかけにお話ししていいと思います。

間違っちゃうってことは、表現されたものが、大人が考えるそのものに見えないってことで、それは大人の尺度での評価を基にしているということでしょう。

ゾウと思ったけどワンちゃんだと言われたら「そうなんだ、ワンちゃんなんだねー」って子どもの尺度にも寄り添えればいいんです。問題は、いきなり「違うでしょ、どう見てもゾウでしょ」って大人の尺度や価値観を押し付けてしまって、子どもがその尺度で自分のことを見て「あー、わたしはだめなんだ」って思っちゃったり、逆に間違ったことで言葉がかけられなくなったりして、子どもとのやりとりに悩んだりすることではないかと思います。

子ども同士でも「ゾウなの?」「ワンちゃんだよ」「ゾウかと思った」って柔らかくやり取りして面白がっていることもありますよ。だから、大人も柔軟に構えて、感じたことを素直に伝えてみながら、子どもと楽しくやり取りしていいと思います。もちろん、言葉選びは大切です。

③「もっとここ、色を塗ったら?」

これも大人の尺度なのかもしれませんが、余白の多さが気になる人もいます。

以前ぼくが受け持った2年生の児童で、真っ白な四つ切の画用紙の真ん中に、ちっちゃなバッタを原寸大で一匹だけかいた子がいたんです。

「これでいいの?」ってなるじゃないですか。でも、話を聞いてみると、そのバッタはその子がその年に初めて出会ったバッタで、自分で捕まえたバッタだって言うんですね。その子は虫が大好きでね。だから、そのバッタをサイズも色も模様もそのままかきたかったんです。

紙の大きさは関係なくて、バッタに集中しているんです。だから真ん中にかいたんですよ。むしろ、その余白がね、このバッタにどれほどその子の思い、眼差しが焦点化したかということを表している。だから余白はまったく無駄じゃない。

「余白はないほうがいい」「色はたくさん使ったほうがいい」「視覚的に写実的なほうがいい」って大人的な尺度で見ようとするから、子どもの思いとずれちゃう。素直に子どもの思いを受け止めるということがポイントだなって思うんですよ。そのほうがお互いに幸せになれますよ(笑)。

子どもの表現の価値で幸福感に浸る

――先生はこれまでにたくさんの子どもの作品をご覧になってきました。作品を見るとき、どんなふうに読み取っているのでしょうか。

しっかり向き合って細かく丁寧に見るというのが大切なんです。その子の意識・無意識にかかわらず、絵ならやっぱり気になったことをえがこうとしている。だから、形ひとつ、色ひとつ、配置、表し方のさまざまなところで、その子の思いが全部出ている。

令和6年度版教科書『ずがこうさく1・2上p.24』

例えば、この絵をパッと見たときに、ぼくは大量に恐竜をかいてあるところに目が行きます。たぶん、真ん中の大きいのがいちばんのお気に入りなんでしょう。大好きな恐竜を対角線いっぱいにかいて、そのしっぽと頭のところに人を配置しているのが、また、にくい!(笑)。この子にとっては、画面いっぱい恐竜や人をみっちりかくことに意味があったんですね。

ある人は「しっかりかいてある恐竜」、ある人は「真ん中の大きくかかれた子ども」が真っ先に目に入るかもしれません。どちらから見ていってもいいんです。「骨をすごくがんばってかいたんだね」と問えば「そうなの、恐竜大好きだから」って話し始めてくれるかもしれないし、「この真ん中の子、うれしそうだね」と問えば、「○○に行ったときなんだ」って気持ちを語ってくれるかもしれない。

――気になったところから素直に順番に問いかければいいんですね。

そうなんです。保護者の方は作品解説をするわけでも成績をつけるわけでもないですから。

「ここ、どこ?」「なんて名前の恐竜?」「骨は何本くらいあるのかな」って。そうすれば、この子は喜んで「この恐竜は○○で、全部で○本の骨があるんだよ!」って答えてくれるかもしれません。

大人はどうしても評論家的な見方をしがちじゃないですか。それをやっちゃいけないとは言わないけど、子どもにとっての喜びや価値がそこにない可能性はありますよね。

まずはその子の表現、「表し」「現れ出た」ものの価値を互いに喜びましょう。そして互いに幸福感に浸りましょうって言いたいです。

保護者の方も、子どもと作品について話すのが楽しみって思えるようになるといいですね。

名達英詔(なだち・ひであき)
小学校教諭での実践をもとに北海道教育大学教授を経て現職となる。子どもの造形活動の理解やそれをもとにした援助・指導など、子どもの主体的な学びを応援する保育・教育について造形・表現の視点から研究。日本文教出版小学校図画工作科教科書著者。『<感じること>からはじまる 子どもの造形表現』(教育情報出版)等執筆。

※本記事は令和6年度版小学校図画工作科内容解説資料として扱われます。