学び!と美術

 「甲子園で負けると涙を流します。それは、その子の成長につながる『いい涙』だと思います。その『涙』を大人が寄って集ってつくり出しているのです。『甲子園』は社会的な『学校』だと言えるかもしれません。美術にもそんな場があっていいと思います」
 2005年、堺市のある教育関係者から“政令指定都市に移行する記念事業”について相談されたときに話したことです。今回は堺市から生まれた「美術部甲子園」についてお話ししましょう。

1.全国的な展覧会状況

 当時は、全国規模の児童画展が減っていく時期でした。主な理由は出品数の減少による事業の見直しです。背景には児童生徒数の減少や図画工作・美術の時数減があります。学校で絵を描くこと自体が減っていたのです。以前は学校に複数いた中学校美術の先生は一人以下になり(※1)、中学校美術部の活動も停滞気味でした。子どもが図画工作や美術で活躍する場や美術に対する社会的な認知も弱くなっているようでした(※2)。
 一方で「まんが甲子園」(※3)「俳句甲子園」など(※4)地方主催で文化的な全国展を開く動きもありました(※5)。多くは「地域づくり」と結びついていますが「甲子園」と称するところがポイントです。高校野球のように大人とほぼ同じルールで競い合い、頂点はたった一つ、負けたら泣きます。涙を流すほど本気で、それを通して生きる力を身につけるということでしょう。
 「甲子園」には賛否両論ありますが、莫大な予算と大人が関わってつくりだされた「成長の場」であることは間違いありません。そこで「中学生の美術でも甲子園のように実力を発揮する場があってもいい」と助言したのです。

2.美術的な期待と課題

 美術に対する期待もありました。美術は本来先鋭的で私たちの価値観や概念を広げてくれます。時に哲学を可視化し、美や科学を現前させます。芸術家は自らと社会を問い直し、身を削るように作品をつくっています。それが彼らの「生き様=作品」だとすれば、その発露はすでに中学生にあるはずです。
 中学生は大人と社会の狭間にいます。自分と社会、文化などがせめぎ合う中で、考えたり、悩んだりしています。中学生が生み出す作品は彼らと世界のコミュニケーションです。同時に、社会の課題を切り出してくれる鏡でもあるでしょう。そうだとすれば「中学生の作品は、私たちの『今』を見せてくれるのではないか」「彼らにしかできない表現が『世界』を見つめ直すきっかけになるのではないか」そういう思いです(※6)。
 ただ、普通の全国展では勝手悪さが残ります。なぜなら全国展は数多くの児童生徒を対象とするので、製作時間や紙の大きさ、技法などに一定の制限がかかるのです。発達にそぐわない「達者な絵」は避けられる傾向があります(※7)。それは一つの作品を何十時間もかけて描く美術部員にとっては不都合です。中学生が思う存分に表現できる場、彼らにしかできない作品を発表する展覧会があってもよいと思ったのです。

3.堺だから生まれる意味

 「美術部甲子園」はどこでも可能というわけではありません。堺には、20年以上の「堺市中学校美術作品展」いわゆる「部展」の伝統があります(※8)。大会開催のノウハウや教員組織、教育委員会や地域的な支援はすでに成立しており、これを発展させればできるというのが原点です。
 そこに「全国」という高い環境を持ち込めば、堺の子どもたちは今以上の力を発揮することでしょう。同時に全国の子どもも育てることになるでしょう。「堺の子どもを全国と競わせ、どちらも大きく育てる」「子育て文化を地方からつくりだす」実に志の高い事業になります。また、線香に自転車など「ものの始まりなんでも堺(※9)」にはぴったりです。政令指定都市への移行記念にこれほどふさわしい事業はありません。
 また、「美術部甲子園」が開催されれば、中学校美術全体が元気になるだろうと思いました。全国の中学生が大きさや技法、時間などを気にせずに描いて競い合うのです。先生たちは自分の専門性を活かし、学習指導要領に縛られることなく指導できます。子どもたちの才能や能力だけでなく、美術教師の指導力も高められるのです。
 しかし「言うは易し、行うは難し」。関係者にとって実現は容易ではなかったと思います。コンクールは審査員でその「格」が決まります。高名なアーティストを選ぶ必要があります。また文部科学大臣賞が出ることは必須条件です。参加校や参加都道府県の数も大切です。他にも予算をどうするのか、協賛企業は、メディアは、審査方法は、出品や返却は……具体化するほど難問は増えていきます。でも関係者は「部展」と堺の伝統を基盤に、これらの難題を次々と解決していきました(※10)。

4.アートグランプリの現在

実行委員会の審査風景

 全ての問題を乗り越えた2007年。第1回「アートグランプリin SAKAI~堺から発信するアートの甲子園『全国中学校美術部作品展』」が開催されました。大きさは50号(116.7×116.7cm)以内、油絵やコラージュなど表現方法は多様で自由です。何十時間、何百時間かけてもよく、1年生か3年生かも関係ありません。中学生が思い切り自分の表現を追求できるのです。大人と同じように作品だけが勝負、「美術部甲子園」の誕生です。
 審査員は芸術家や美術評論家、教育関係者です。学校教育の文脈だけで審査は行われません。例えば、教育関係の審査員が「丁寧に時間をかけて描いています」と言うと、美術関係の審査員が「まとまり過ぎ、ここまで完成した作品はつまらない」と反論します。同一校の重複や出品者再受賞(※11)も妨げないので「この子、昨年の方がいいわ」と出品者の成長が求められることもあります。児童生徒作品展で最も厳しい審査だと思います(※12)。
 第1回は375校,2363点、当初は何回続くだろうと心配していましたが、関係諸氏の努力もあり、2016年は記念すべき第10回を迎えます。埼玉、長岡、長野、福井と通算17か所の全国巡回展を開くまでに発展しました(※13)。2015年の出品は511校から4598点、ほぼ全国の都道府県政令市から参加しています。「あの展覧会に入賞するのが夢なんです」と熱く語る美術の先生もいます。今ではすっかり全国の美術部教師の目標になっています(※14)。
 これに歩調を合わせるように、600人台だった堺市の美術部員の数は1000人を超え、男子生徒の姿が目立つようになってきたそうです。同じようなことが各地でも起きていると伝え聞きます。当初の目論見通り「堺市の子どもたち」と「全国の子どもたち」が切磋琢磨しながら同時に育つ展覧会になったといえるでしょう。

5.中学生の表現する姿(保護者の声から)

 保護者の声を最後に紹介しましょう。2015年「アートクラブグランプリ」第3席入賞者から実行委員会に寄せられた声です(※15)。世間では、スポーツの努力ばかりもてはやされますが、絵を描くことにも、こんな壮絶な姿があるのです。

神奈川県東海大学付属相模高等学校中等部2年 遠藤 一
「優しい時間(もやい)綱」堺市議会議長賞(第3席)

 アートクラブグランプリの事務局の皆さま
 日々益々ご清祥のことと存じます。この度は息子が堺市議会議長賞を頂きまして誠にありがとうございます。息子共々嬉しい限りでございます。
 ある日、2人でゴールデンウィークにアートクラブグランプリの画題を港へ探しに行きました。本当は港湾の美しい風景を描こうか?と辺りを散策していたところ、廃船が息子の目に留まりました。
 「このロープは何なの?」
 ここからこの絵を描くことが決まったのです。
 しかし、その後、絵画を制作する約4ヶ月の間に、指、腕、足首と三度の骨折に見舞われました。ギブスと松葉杖生活、往復3時間の登下校が精一杯。部活で絵を描く体力気力など残っていない様子でした。
 「部活をやめる。もう、絵は描けない。」
 「ならば絵などやめてしまえ。」
 荒れ狂う息子に手を焼く日々が続きました。
 痛みがひどく夜泣いていた時、一番使いやすいと大切にしていた熊野筆を放り投げてへし折りました。よほど悔しかったのでしょう。
 二度目の骨折の時は先生から「鉛筆画で出そう。色は無理だろう」と勧められたそうです。でも、翌日、船体にサビ色を塗ってしまったと聞きました。息子は「色を塗らないで出したら一生後悔する」と言ったそうです。その後、締め切りに間に合わせるため、夜、自宅で自分のパレットで色合わせをして、翌日このパレットを学校へ持ち込み同色をつくる、こんなことを毎日やっていたそうです。
 息子はいろいろコンクールに出展していますが、この全国アートクラブグランプリが最高峰と思っているようです。

 「この『もやい綱』は、ここの審査員の先生にみてもらうんだ。他のコンクールではだめなんだ」と始終口にしておりました。
 そして完成。梱包・発送を1人でやり遂げた後、息子は生徒会役員に立候補し、なんと当選しました。そうして作品も入賞です。息子の自信がみなぎる様子には、目を見張るものがありました。
 このコンクールがなかったら、このような成長が遂げれなかったかもと考えると、皆さまに感謝してもしきれない気持ちになり、思わずメールした次第です。
 息子は「頑張れば夢は叶う、諦めたらそこで終わる」ということをアートクラブグランプリから学んだのだと思います。
 「今しか描けない絵を描く」
 このコンセプトが胸にささります。本当にありがとうございました。益々の貴コンクールのご発展、祈念しております。

 

※1:昭和の頃は一つの中学校に美術の先生が2名はいたものです。今は一校に一人いるかいないか、あるいは数校掛け持ちで一人という状況になります。専任から非常勤に代わることも多くあります。
※2:展覧会の意味や効果についてはこちらを参照してください。『学び!と美術<Vol.39>児童画コンクールQ&A』 『学び!と美術<Vol.40>「展覧会」は面白い!』
※3:「全国高等学校漫画選手権大会」(主催:高知県、「あったか高知」まんがフェスティバル実行委員会、財団法人自治総合センター)第1回は1992年
※4:「全国高校俳句選手権大会」(主催:社団法人松山青年会議所、NPO法人俳句甲子園実行委員会)第1回は1997年、第8回大会から文部科学省より学びんピックに認定されています。
※5:同時期に生まれたコンクールに愛媛の「書道パフォーマンス甲子園」「スイーツ甲子園」「はんが甲子園」「花の甲子園」などありますがほとんど高校生対象で、中学生だけを対象としたものは聞きません。小学校対象としては京都の「至高の動くおもちゃづくり」トイ・コンテスト グランプリ in KYOTO(主催:京都こどもモノづくり事業推進委員会、京都市図画工作教育研究会、京都理科研究会、京都市教育委員会、第1回は2006年)があります。
※6:ネオ・ジャポニズム、環境問題、災害など審査員の間では毎年作品と時代や社会と作品の関わりについて話題になります。
※7:「教室で生まれた作品」「子どもらしい表現」が前提になるため、例えば中学2年生の美術は年間35時間、完成に20時間かかる作品はちょっと…となるわけです。また、上手だといって選ぶと大人や先生が手を入れた作品ほど入賞することになってしまいます。悩ましい問題です。
※8:2006年時点ですでに23年間続いていました。
※9:貿易都市・商業都市として栄えた中世の堺、堺で生まれた多くのものが、堺の職人・商人によって全国各地に広がっていきました。伝承も含めて堺が発祥の地として、鉄砲、自転車、タバコ、包丁、線香、私鉄-阪堺鉄道、木造洋式燈台、瓶づめの酒、学生相撲、三味線、堺緞通、金魚、水練学校、傘、チベット探検、商業定期 航空、ショベル・スコップ、鳥毛・菱垣廻船、謡曲、機械縫製足袋、堺更紗、医書大全、セルロイド工場、足踏み回転脱穀機、江戸浄瑠璃、隆達節、銀座、大筒、国道第一号、鉛丹、朱座、頼母子講、紙箱などがあります。参照「ものの始まりなんでも堺」
※10:これまでの実績や志の高さが認められて本展では第一回から文部科学大臣賞が出ることになりました。文部科学大臣賞は数年の全国展実績や実施母体の信頼性が求められるので極めて異例です。またこの時期文部科学大臣賞自体を減らす動きもありました。
※11:展覧会では、できるだけ多くの子どもたちに機会を提供する意味で慣習的に行われます。
※12:ある審査員は「毎年、子どもたちに会いたくなる作品展」だと述べています。子どもたちの本気と今が見えるのが楽しいのでしょう。
※13:巡回展まで含めると7000名以上の来場者になります。
※14:筆者のFacebookでは美術教師同士が本展への出品について語り合っています。全国の図画工作・美術の指導主事が集まる場でも本展について話し合う指導主事の姿が見られます。美術教師の全国的なつながりが生まれています。
※15:プライバシー保護の観点から一部校正や簡略化をしています(掲載許諾済)。