学び!と美術

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美術鑑賞の現在地 後編(2010~) 第1回「文脈への着目」
2021.08.06
学び!と美術 <Vol.108>
美術鑑賞の現在地 後編(2010~) 第1回「文脈への着目」
奥村 高明(おくむら・たかあき)

 2010年以降の美術鑑賞の特徴をまとめます。第1回は「文脈」です。
 2000年代までに美術鑑賞は多様になりましたが、「型」的な方法論に固執したり、知識不要論が生まれたりした時期でもありました。その反動なのか、2010年代には「文脈」への注目が徐々に高まっていきます(※1)。ここでは2つの事例を取り上げて検討しましょう。

山口先生の「氷山モデル」

「美術作品の氷山モデル」山口敦士 「文脈」の説明で分かりやすいのは、甲陽学院高等学校の山口敦士先生の「氷山モデル」です(※2)。以下の3つで構成されています。

  1. 氷山の海の上に見えている部分が「造形の要素」です。形や色、質感、モチーフなど視覚的にとらえられるすべてでしょう。氷山を見ることと同じように、私たちが美術作品から最初に得られる物理的情報です。
  2. 氷山の海の中に隠れている部分が「主題」です。「何を表現しようとしたのか」「描かれたテーマは何か」など、作品から伝わってくるメッセージや概念に当たります。海の上の見える部分(造形の要素)から、見えない部分(主題)について想像したり、考えたりすることができます。
  3. 氷山をささえるのが海水で「社会的、地理的、文化的な背景」です。氷山は、海水や水温、環境など多様な資源があってはじめて成立します。美術作品にも、それが描かれた当時の社会的要素、地理的条件、政治的な問題、歴史や文化の背景などがあります。「文脈」にあたるのはこの部分です。

 山口先生は、この「氷山モデル」を学習の核となる重要なイメージとして考えており、生徒と共有したり、年間を通じて様々なシーンで活用したりしています。
 例えば、動的な作品サムネイルの集合体から、作品を選んだり、仲間分けしたりできる「デジタルアートカード(※3)」を用いた「アート界の“推しメン”発見(※4)」という鑑賞の授業では、生徒は「氷山モデル」を確認した上で学習に取り組みます。生徒は、お気に入りの作家や作品、つまり「推しメン」が決まったら、インターネットや図書などを用いてさらに詳しく調べ、最終的に「その魅力をプレゼンテーション」します。この活動の全体に「氷山モデル」という概念が流れているというわけです。
 山口先生は「文脈」が学習活動の重要なポイントになっていたことについて、次のように語っています。

 氷山モデルのポイントは、作品の造形的な要素や主題だけでなく、作品を成立させる背景(海水)も大事にすることです。生徒が記述したワークシートからは、ミレーの『晩鐘』に見られる宗教的な営みの価値と産業革命期の物質的な豊かさの関係、ベラスケスの『インノケンティウス10世像』と当時のカトリック教会の思惑、高橋由一が新年の贈り物である“新巻き鮭”を描いた『鮭』と明治維新、義務教育が6年制となった年に描かれた土田麦僊の『罰』、など作品の主題と当時の世界状況を関連付ける様子が見られました。

 高校生は、中学生までに形や色などから主題を探った経験を持ち、歴史的な知識や概念も豊富になっています。「文脈」を活用しながらより深く美術作品や作家について考えることが可能でしょう。また「氷山モデル」は、形や色、主題、歴史的背景などの要素が分断されず、氷山と海水がお互いに必要で不可分な関係が一目で分かるため、生徒にとって活用しやすい道具(※5)になっていると思います。

テート美術館「アートへの扉」

 「文脈」の大切さを分かりやすく説明しているのは、美術館を活用するためのカリキュラムやアクティビティなどを紹介するテート美術館編『美術館活用術~鑑賞教育の手引き』です。その中で学習の基盤として提案されているのが、文脈を踏まえた「アートへの扉」でした(※6)
 「アートへの扉」は探求的に美術鑑賞する視点を示したものです。「私」「対象(もの)」「主題」「文脈」の4つの扉で構成されており、扉を掛け替えたり、相互に参照したりしながら学習に活用します。それによって、美術鑑賞を単なる作品解釈に終わらせるのではなく、「私とは誰か」「私たちの世界の問題は何か」など、学習をより深めようとします。

「アートへの扉」(筆者がまとめた図を用いています)

  1. 「私からのアプローチ」~美術鑑賞は、他ならぬ私から始まります。しかし、それは友達や作品、学習活動などを通して拡張し、変化します。ここでの「私」は、探求的な学習共同体の中で尊重され、かつ「生まれ変わっていく私」という意味合いで用いられています。美術鑑賞は「私」自身の在り方を問い直す活動なのです。
  2. 「対象(もの)の扉」~氷山モデルの海上部分と同じです。形や色、線や明暗、色調、構図、大きさ、空間、量感、材料、設置場所の特徴、時間、制作プロセスなど認識できる「対象(もの)」で、「私」の身体と深く関係しながら、視覚や聴覚、空間感覚など様々な感覚を活性化して美術作品をとらえる視点です。「対象(もの)」を注意深く観察したり、特性や関連性を探ったりすることは美術鑑賞に不可欠な活動でしょう。
  3. 「主題の扉」~氷山モデルの海中部分と同じです。作品のタイトルや内容、作品が投げかけるメッセージ、作品に込められた概念など一般的に「主題」として取り扱われるものです。作品が何を語っているかについて考えることは、鑑賞学習で最も重要な部分でしょう。例えば、その作品は美術の制度を批判しているかもしれません。あるいは、私たちの見方や考え方に疑問を提示しているのかもしれません。
  4. 「文脈の扉」~「文脈」は「対象(もの)」のように作品から直接確認はできません。「主題」のような作品が語るメッセージでもありません。作品に関連する歴史、学問、社会問題などであり、作家自身が気づいていない場合もあります。「文脈」をふまえれば、作品はより広い世界と関連付くことになり、私たちは美術鑑賞を通して新たな問題に立ち向かう力を獲得することができるでしょう。例えば「名画」の現代社会における役割や働きを考えたり、科学や哲学、数学や生態学など創造性に関わる他の領域と関連付けて考えたりすることで、鑑賞学習は、より深く、より多様に展開できるでしょう。

 本書で「アートへの扉」を知った当時、多くの鑑賞学習は作品解釈に拘泥し、「対象」と「主題」の往還に終始していた記憶があります。「アートへの扉」の「文脈」に切り込む視点や、鑑賞を通して「私」や「世界」が変化するという考え方は新鮮でした。美術作品を美術科だけでなく教育課程全体で活用する可能性も感じました。日本にこのような本は見られず、美術出版サービスセンター(現美術出版エデュケーショナル)にお願いして、2012年に翻訳・出版した次第です。
 今では、美術鑑賞で知識を否定するようなことはなくなり、「文脈」も様々な場面で活用されるようになりました。近年、カリキュラムマネジメントやSTEAM、国際バカロレアなど、教育課程全体で子どもたちを育てようとする教育の流れもあります。美術作品をより拡張的に活用していくために、「文脈」はますます重要な概念となっていくでしょう(※7)

※1:学び!と美術<Vol.33>『これからの美術鑑賞~「文脈」と鑑賞教育』
https://www.nichibun-g.co.jp/data/web-magazine/manabito/art/art033/
※2:山口先生に、どのように氷山モデルにたどり着いたのかと尋ねたところ、自分なりに考えていたことをまとめたときに、精神分析学者のフロイトの氷山モデル(意識は氷山の一角とする考え方)に出会い、それをヒントに考えを整理したそうです。
※3:本教材の監修や作品選定に関わりました。動的な作品サムネイルの集合体から、気になる作品を選んだり、仲間分けをしたりできます。『デジタルアートカード』
https://www.nichibun-g.co.jp/digital_artcard/
※4:デジタルアートカード指導のアイデアより。『アート界の“推しメン”発見』
https://www.nichibun-g.co.jp/digital_artcard/idea.html
※5:認知的道具の意味です。加藤浩、有元典文 編著『認知的道具のデザイン』金子書房(2001)
※6:ヘレン・チャーマン、キャサリン・ローズ、ギリアン・ウィルソン 編、奥村高明、長田謙一 監訳、酒井敦子、品川知子 訳『美術館活用術 鑑賞教育の手引き』ロンドン・テートギャラリー編、美術出版社(2012)。原著は2006年、森美術館の酒井敦子エデュケーター(現:国立西洋美術館学芸課研究員)から紹介されたのが2007年、首都大学東京の長田謙一教授(現:名古屋芸術大学教授、東京都立大学客員教授)の協力を得て、さっそく出版の準備に入りました。なお、あくまでも当時のテートの普及活動部が考えた理論であり、現在はテートで用いられていないようです。
※7:最も先端的な事例は台湾の北師美術館の実践でしょう。学び!と美術<Vol.81>『美術館を開く~台湾、北師美術館の挑戦~』
https://www.nichibun-g.co.jp/data/web-magazine/manabito/art/art081/