学び!とESD

学び!とESD

地球規模課題とSEL(1) 気候変動詩の試み~その1~
2023.06.15
学び!とESD <Vol.42>
地球規模課題とSEL(1) 気候変動詩の試み~その1~
永田 佳之(ながた・よしゆき)

1. SELの重要性

 世界的に著名な歴史学者であるユヴァル・ノア・ハラリが語るように、数年前まで気候変動を否定し、心配するに値しないと語っていた人々が「もう手遅れだ」「この世の終わりだ」と言い始めています。ハラリは従来に見られた否定の態度と同様に絶望の態度もまた危険だと主張します(*1)。予測困難な現代社会に生きる私たちに求められているのは、極論に引っ張られないグレーゾーンにとどまる力なのでしょう。
 こうした気候危機の時代に求められる学習方法としてユネスコはESDを推進する上でSEL(社会情動的学習)の重要性を説いてきました。SELとは、冷静に自己を捉え、他者との関わりを通して社会的なコンピテンスと感情的なコンピテンスを育む教育プログラムを指します(*2)「学び!とESD」Vol.37に示したような気候危機の時代を生きていく若者たちにとっては、知識習得の学習のみでは人生の舵取りには不十分であり、SELの重要性は増していると言えるでしょう。
 しかし、いざ実践となると、とかく情緒的なやり取りに終始してしまったり、気候変動教育の知的側面を軽視してしまったり、かえって悲観的になってしまったり、さまざまな課題に直面してしまう教師も少なくないようです。
 こうした課題に留意しつつ、筆者は気候変動という次世代を不安に駆り立てる典型的な地球規模課題をテーマに、SELの実践において小中学校や大学で試行錯誤をかさねてきました。この拙論を皮切りに、その経験からSELの有効性や課題について考えるシリーズを始めたいと思います。

2. 気候変動詩の試み

 大学の授業で、毎年11月から年末にかけて開催される国連気候変動枠組条約締約国会議(COP)の時期に合わせて「気候変動詩」を作る試みを始めて4年目になります。きっかけは次のとおりです。プラネタリー・バウンダリーなどの地球規模課題のデータを学生に示すと、生物多様性の消失や気候変動などの現実を示す厳しいデータはある種の「手遅れ感」を与えてしまうことがあります。それでは、教育とは言えないので、たとえ絶望の淵に置かれていたとしても、クラスの仲間と感情を共有し、現実を受けとめつつも、前向きに歩んでいけるように授業の展開を工夫する必要に迫られたという経験です。ただし、こうした状況下で求められるのは「現実は厳しいけれど元気を出せ!」とか、「どうせ希望がもてないのなら楽しもう!」という根拠のない楽観主義とは異なります。それは、自己や他者との対話を通した学習であり、深い次元でのエンパワメントの過程でもあります。そのアプローチとして筆者はSELは有効であると捉えています。
 この数年、SELを実践している授業の1つに、現代社会の諸問題を扱う社会学概論があります。この授業は毎年、70〜90名ほどの学生が履修する比較的大きなクラスです。授業の前半で集中的に気候変動に関するデータを学びます。前述のとおり、この段階では地球規模の温暖化のデータの深刻さを目の当たりにして焦燥感や諦念さえ抱く学生もいます。また、これまでの世代の体たらくのツケをなぜ自分たち以後の世代が払わなくてはならないかという怒りに近い感情をもつものもいて、気候危機に対する反応はさまざまです。
 授業後のリアクション・ペーパーを活用して感情の共有をグループワークなどで行なった後に、COP等で活躍するグレタ・トゥーンベリさんら、環境活動家をはじめとする未来世代の行動と国境を越えた連帯に象徴される希望へのアクションについても学びます。そして徐々に情動を駆使して詩を作るプロセスに入り、いくつかの作品例をもとに、年末年始に詩作に挑み、期末レポートとして提出します。さらに一連の授業の終盤において、他者の詩を鑑賞したり、自身の詩を他者に聞いてもらったりするなどして、クラス全体で感情の共有をします。
 中には激情を吐露したような表現もたまに見受けられますが、概して学生たちの詩には、大学時代に深く学んだ証となるような力作が少なくありません。大半の詩は、深い思索を通して自らの内に生じた情動を知性にも裏打ちされながら表出した言葉であり、気候変動という不条理を冷静に自分ごととして捉えている世代の切実さも伝わってきます。はじめは情動に凌駕されていたとしても、徐々に理知的な思考プロセスとも織り交わり、知性なしには成立し得ない学びの営みとなっていきます。また、気候変動という窮状を乗り越えるためにユーモアを駆使したような作品も珍しくありません。
 次に、このシリーズの初回として、短い詩から始めたいと思います。ここで紹介していく詩は作者の許可を得て掲載された報告書からの再掲となります(*3)

3. 自己変容の詩

 授業では、ESDの理論も学びます。例えば、「自己変容と社会変容のための学び」です。社会を持続可能にするには、まずは自分から行動していく自己変容が求められ、その結果、コミュニティが、ひいては社会が変わるという理論です。こうした考え方に触発されたのか、大学2年生の学生(N.C.さん)は次の詩を創作しました。

 とかく日本の学校では全員で「一斉にスタート」が少なくありません。平和問題に取り組んでも、環境問題に取り組んでも、「一斉」の文化の中で学びが展開される場面はよく見受けられます。ESDはこうした「伝統」に対して示唆に富む教育であると言えます。“ESD for 2030”で「行動するESDとは基本的に行動する市民なのである」と主張されるとき、それは自己変容を起点とする行動でなくてはならないのです。ちなみに、授業では上記の詩作の前に、強力なリーダーによる1人の100歩と100人の1歩はどちらが重要かというデモクラシーやガバナンスに関する課題についても考える機会を提供しています。この学生の詩はその真髄を軽やかに捉えた表現であると言えます(“ESD for 2030”については「学び!とESD」Vol.07, Vol.08, Vol.09, Vol.18を参照)。
 このシリーズの次号以後でも気候危機の時代を生きる若者の詩を紹介しつつ、教育が希望の営みとなり得るのかについてさらに考えてみたいと思います。

【参考文献】

*1:ユヴァル・ノア・ハラリ「地球を守るコスト」(朝日新聞2022年1月29日朝刊)
*2:神田和可子「社会情動的学習(SEL)」(日本国際理解教育学会編『現代国際理解教育事典 改訂新版』明石書店、2022年刊、所収)
*3:『地球規模課題に応答する学習に関する研究 ―気候変動教育に焦点を当てて―』(2019-2021年度科学研究費助成事業 基盤研究(C) 研究課題番号 19K02792、研究代表者:永田佳之)