姓がない王 ― 天皇

姓が無い存在

 天皇はなんという姓・名字なのかと問われたことがありませんか。
 思うに明治天皇が睦仁(むつひと)、大正天皇が嘉仁(よしひと)、昭和天皇が裕仁(ひろひと)、現天皇が明仁(あきひと)、皇太子が徳仁(なるひと)と名乗るものの、姓はありません。日本の王たる天皇は、諸外国の王室が姓を持つのに対し、姓がないことをその特質としています。その存在は、姓が特定されないまま天皇という称号が根づいていくことで、世界で類をみない姓を持たない王としての現在があり、「万世一系」という王朝神話を潤色しつづけているといえましょう。

戸籍の編成と姓

 ヤマトの王権は、三世紀後半ごろから現在の日本列島を倭国(日本)として統合していく過程で、三輪氏、葛城氏、蘇我氏、出雲氏などと地名を名乗る家と、朝廷の軍事力を担う大伴氏、物部氏、神事・祭事を司る中臣氏のように職務分担を姓としたものからなり、それらの呼称が後の姓となる名称となっていきました。その名称は、670(天智9)年につくられた戸籍である庚午年籍で中央と地方の豪族の姓が定立されることで、確立していきます。
 戸籍は、律令で6年に一度の作成となり、古い戸籍を30年で廃棄しました。しかし庚午年籍だけは氏姓の根本台帳として永久保存されることになっています。この戸籍制度が整備されていくことで、天皇と奴婢を除き、民は姓をもつこととなりました。やがて奴婢身分がなくなり、天皇以外の人々は姓をもつことになったのです。

「倭五王」という名乗り

 5世紀、いまだ倭国の王権が世襲されていない時代に、中国王朝を後ろ盾に国内制覇をめざした倭の五王と呼ばれた讃・珍・済・興・武という倭国の王の存在が『晋書』『宋書』『南晋書』『梁書』などの史書に描かれています。その王は、『日本書紀』などの天皇系譜と対比し、「讃」が履中(りちゅう)天皇、「珍」が反正(はんぜい)天皇、「済」が允恭(いんぎょう)天皇、「興」が安康(あんこう)天皇、「武」が雄略(ゆうりゃく)天皇に比定されています。ただし、「讃」と「珍」については、「讃」を応神(おうじん)天皇、「珍」を仁徳(にんとく)天皇に、また「讃」が仁徳天皇で「珍」が反正天皇とみなす説などもあります。
 各王は、中国王朝に朝献し、「安東大将軍」(讃)、「安東将軍倭国王」(珍)、「使持節都督・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍」(済)、「安東将軍倭国王」(興)、「使持節都督・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」「鎮東大将軍」「征東大将軍」(武)などの称号を授与され、倭国による列島支配の確立をしていきます。
 この倭王の「倭」は、『宋書倭国伝』などの史書で「倭讃」とあることより、中国王朝が姓とみなしていたのではないでしょうか。ちなみに同時期に通交していた朝鮮半島の高句麗や百済、やや遅れた新羅などの朝鮮の王朝は高句麗が「高某」、百済が「余某」、新羅が「金某」を名乗り、「高」「余」「金」が各王室の姓となっていきます。なお「余」は百済王が扶余族出身であったことによりましょう。こうした君主の姓は、皇帝も姓を名乗る中国王朝と朝貢関係を確立していくうえで、王の名乗りに必要なものとみなされていたのです。それだけに中国王朝は日本の王の姓を「倭」と認識していたといえましょう。
 しかし倭国日本は、「倭王武」が「大王」として国内統治を確立していくなかで、中国王朝に臣下の礼を取る秩序から離脱し、独自の世界をめざそうとします。しかも478年に「征東大将軍」「倭王武」が朝貢したのを最後に、隋が中国を統一する581年までの一世紀余も中国王朝と交渉しなかったことで、中国風の漢字一文字の「倭」を姓とすることを求められなかったのではないでしょうか。

姓が無いということ

 600年に派遣された第1回の遣隋使は、『隋書』が「倭王で姓が阿毎(あめ)、字(あざな)が多利思比孤(たりしひこ)、号を阿輩?弥(おほきみ)というものが使者を派遣してきた」と記しています。ここで倭王が称した「あめたりしひこおほきみ」は、中国風にすれば、「おほきみあめたりしひこ」となるわけで、「おほきみ」が大王、「あめたりしひこ」が「天降られておかた」の意味で天孫降臨のイデオロギーが投影された倭王の称号にほかならず、倭国として姓名を名乗ったわけでありません。
 しかし隋帝国は、皇帝への儀礼として、姓名を名乗り臣属を求めてきたのだと受け止めました。思うに日本は、倭国として中国王朝との外交関係において、国王の姓を名乗ることがなかったのです。ここには、中華帝国の枠組みに対し、ある一定の距離感をとることで冊封関係が求める儀礼に無知を装った倭国日本の姿がうかがえます。
この営みこそは、結果として、姓を持たない日本の王室を生み出し、やがて無姓であることが世界に冠たる日本の天皇という存在を主張せしめることとなっていったのです。

作品よ、時空を超えてゆけ

学び!と美術vol30_01

厳重な二重の囲い越しに多くの人々が注視する。その向こうにはルーブルのお宝「モナリザ」が。

 NASAが惑星探査を目的に打ち上げた人工衛星「パイオニア」について、記憶のある世代もずいぶん高齢になっています。1972年は私が学生だったこともあり、その世界的なニュースの印象は強烈でした。
 木星探査機パイオニア10号は、木星や海王星を探査するという役目を終えた後に太陽系を離れ、広大な宇宙の放浪衛星となるようにプログラムされていました。そして、いつかどこかで地球外生命と遭遇することを期待して、人類からのメッセージが託されていたのです。その確率は限りなくゼロに近いということなのですが、金属板に刻まれたメッセージのことや男女の絵柄が、長く私の意識の中に留まっていたことを思い出します。
 その2年前(1970年)、大阪万博(EXPO’70)でも、同様な試みが行われていました。コミュニケーションの相手は宇宙人ではなく、未来の地球人に宛てたタイムカプセルです。5000年後の開封という、これも気の遠くなるような企画ですが、狭い世界で生きていた当時の若者に、時空の広がりという認識を新たにさせる効果は絶大だったでしょう。
 最近映画化された『20世紀少年』(浦沢直樹原作 ビッグコミックスピリッツ連載1999~2006小学館)でも、前半で主人公ケンヂたちのもっぱらの関心事としてEXPO’70が扱われています。当時の子ども達にとって、大阪万博やパイオニア10号は、忘れられない事件でした。時空を超えて、自分が生きる世界から、異次元と思われる宇宙や遠い未来にメッセージを送るという出来事は、その後の考え方や生き方に多大な影響を与えたことでしょう。

 改めて、私たちが絵を描いたり、作品を遺したりすることに、それらを重ねて考えてみますと、表現とは、現時点での自己表現であると同時に、時空を超えた未来人へのあるいは、人類が滅びた後に地球を支配するかもしれない生命へのメッセージなのです。ルーブル美術館で「モナリザ」を見る人々は、「これがモナリザか!」と鑑賞しながら、500年前のレオナルド・ダ・ヴィンチからのメッセージを受け取っています。そのメッセージは、時間的にタイムカプセルの10分の一とはいえ、着実に私たちに伝わりました。彼の他の多くの作品からも、500年前の知恵や、宗教・科学の認識、そして生活様式、価値観などについて私たちは読み解こうとします。人工衛星の金属板やタイムカプセルよりも確実に、時空を超えて未来人である私たちにメッセージが届いています。そのメッセージは、現代人達が受け取ったあとも永く、ルーブルを訪れる人々に「モナリザ」はメッセージを発し続け、例え、本物が風化して果てようとも、デジタル画像などとして遺されて未来永劫人類の宝として注視され続けるのでしょう。
 その時間スケールをもう一度10分の一にして、私たちが指導する表現について考えてみると、子どもが遺す絵や作品のすべては、未来に向けたメッセージです。5歳の子どもの成長過程や、10歳の子どもの空間認識の広がり、そして思春期である中学生の複雑な心境が50年を経て、55歳・60歳・65歳の本人や共に生きた人々、あるいは、50年間に出会いのあった我が子や孫、また、50年遅れで同年齢を生きている未来人へのメッセージなのです。何を発想し知恵を働かせ、得られた材料をどのように活用したか、どれほど大切に思って保管・活用してきたかが、つぶさに看守できるでしょう。

 作品は、同じ教室で学ぶ級友や、そのときの指導者の評価対象として、決して完結するわけではないのです。ルーブルでモナリザに出会うように、5000年後にタイムカプセルを開けた人々のように、感動や興味を提供し続ける可能性を内包しているのが美術の作品なのです。そういうものを子どもたちが日々の授業で、夏休みの宿題で私たちの前に提示しているとしたら、作品のもつ意味は非常に大きいと思われます。

導入事例 Case14

小学校1年 『つなげて、つなげて』(2時間)
* 材料は、地元の製材業者さんにいただいた木片です。みんなで協力して、大量の木片をつなげたり、並べたりして造形活動の楽しさを味わわせたいと企画した題材です。

◎主な材料

  • 木片
  • その他手近で利用できるもの

◎導入の工夫

  • まず、木片の量に驚かせました。そして活動のエリアを可能なかぎり大きくして、級友と協力しながら楽しめるイメージをもたせる導入をしました。

T:教室に重そうな段ボールを運び入れる。
C:「先生、それ何?」
T:段ボールからあふれんばかりの木片を出して見せる。「今日は、これで、遊ぶぞー。」
C:「わぁい!遊ぼ!遊ぼ!」と歓声を上げる。「先生、この木、どこから持ってきたの?」
C:「あ、わかるよ!図工室にあったよ。この前、見たもん!」とすぐに反応。
T:「では、運ぶの手伝ってくれるかなぁ?」
C:両手に木片を抱え、図工室から教室に戻ろうとするが、途中の廊下にいくつか落ちる。
C:女子は、積み木のように家をつくったり、男子は、高く積んだり長く並べたりして、2~3人が集まり出す。
C:木片が足りなくなると、「ねぇ、運び係手伝ってぇ!」と分業制も自然発生していった。すぐに教室が狭くなって、机の上、床などに活動場所が拡大していく。
C:「先生、教室からはみ出してもいいかなぁ。」と、廊下に進出し始める。それに気づいた児童が「おもしろそう!」と手伝いを始め、どんどん廊下や階段に活動が広がっていった。

学び!と美術vol30_02「導入事例14」 学び!と美術vol30_03「導入事例14」 学び!と美術vol30_04「導入事例14」 学び!と美術vol30_05「導入事例14」 学び!と美術vol30_06「導入事例14」

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(O先生の実践から)


貧困と格差の拡大の中で

■家庭の機能の底が抜けた

 全国各都道府県に青少年の健全育成にかかわる団体の代表が集う「青少年問題協議会」という組織がある。
 大阪府においても会長は知事で、年数回会合がもたれている。
 先日の会でのことである。
 座長を仰せ付かっている私が、最近の子どもたちの状況について、最初にカウンセリングを専門にされている大学教授に発言を求めた。
 「ここ10年、あきらかに変わってきた傾向があります。不登校の子どもの様子は以前と変わらないのですが、その子どもを受けとめる親が、機能を果たさなくなった。親が頼りにならなくなってきたことです。」と切り出された。
 家庭裁判所の調査官、保護観察所長さんと席の順に指名すると、
 「子どものことで、保護者に指導すると、”どうして、そんなことまで家でせなあかんのですか”と、逆に文句を言う保護者が増えてきた」と口をそろえて言われた。
 さらに女性の弁護士さんは、
 「現在、離婚の調停中の事案をかかえているのですが、先日、母親が”今日は主人の給料日です。子どもの養育費のこともあるし、給料を差し押さえてください。”と突然、電話をしてきました。
 ”まだ、何も決まっていないので、それはできませんよ”と言っても、”それなら、私が子どもを養うのは無理だから、子どもを置いて私が出て行きます。”と言って電話を切るんです。
 心配になって児童相談所に連絡をして対応しているんですが、信じられないようなことが日常茶飯事になってきました。」と語った。
 最初に発言を求めた4~5人の委員が連続して、家庭の教育機能の低下を強調されたこともあって、後に続く大阪府警本部の方や子ども会育成連合会の代表、校長会の代表の委員等、次々と同じ趣旨の発言が続いた。
 もう何年も、この青少年問題協議会の委員をつとめてきた私にとっても、こんなことは初めてだった。

■子どもは被害者

 これは偶然の出来事ではないように思えてならない。
 ここ数年、貧困と格差が確実に広がってきている。大阪府の青少年にかかわる各団体の代表の委員たちが、口をそろえて家庭の崩壊について語るというのは、そういう深刻な状況が広がっている証あかしといえるだろう。
 学校現場から見た時、いわゆるモンスターペアレントという理不尽な要求をする保護者が増えたとか、離婚が増加し母子家庭の比率が高くなったとか、生活保護家庭が増えたとか、給食代も払えない、払わない家庭が増えたとかという話は、ここ数年何度も言われてきた。
 しかし事態はもっと深刻だ。虐待、ネグレクト、極端な放任、極端な過保護、貧困が教育の分野を越えて、福祉、医療、警察など社会全体の問題に広がっていることを、あらためて思い知らされた。
 親が朝食だけでなく夕食も作らない。家の台所に包丁もない。家のかたづけや掃除もしない。家庭訪問したらひきっぱなしのフトンがこんもりしているので、かけフトンをとると暖房もなく寒いから犬を抱いて寝ていた。畳からキノコが生えていた。数えあげればきりがないほど出てくる。
 貧困が家庭のぬくもりも家族同士のいたわりも奪ってしまった。
 いくら貧しくても、親がひもじい思いをしても、子どもには腹一杯食べさせてやりたいというような親子の絆も薄れてきている。
 もっと初歩的なこと、どのように子育てをしたらいいのか分かっていない親が増えてきた。
 深夜に幼い子どもたちを連れて、ファミリーレストランでタバコをふかしながら大声で談笑している若い母親たち。
 すぐに子どもに暴力をふるい、力でおさえつける親。
 子どものことよりも、自分のことを優先して平気な親。
 子どもよりも親を教育しなければならない。
 保健所が母子健康手帳の交付や乳幼児検診の時など子育てについて指導されているが、これに学校・幼稚園・保育所も含め社会全体の子育て支援が求められている。

著者経歴
元 大阪府堺市教育長
元 大阪府教育委員会理事 兼教育センター所長
元 文部省教育課程審議会委員

日文の教育情報ロゴ

「ミラールーム(かぼちゃ)」 草間彌生作

ミクストメディア/1991年 撮影:齋藤さだむ

ミクストメディア/1991年 撮影:齋藤さだむ

撮影:上野則宏

撮影:上野則宏

 展示室全体を覆いつくした黄色の地と黒の水玉。どうなっているのでしょうか?
 構造から見てゆきましょう。「ミラールーム(かぼちゃ)」と題された作品の本体は、鏡張りの2メートルの立方体です。一か所だけ開けられた小窓から中を覗くと、まるで万華鏡のようです。内部もすべて鏡張りになっているので、床に置かれた大小29個のかぼちゃの立体作品が、無限に増殖してゆくように感じられます。想像できますか?
 それを展示室の中心に設置し、周囲の空間全体を、天井・壁・床を問わず、作品内部のかぼちゃの色と同じ黄色に塗りこめ、無数の黒いドット(水玉)で覆いつくしたのが、このインスタレーション(設置場所の空間全体を作品化したもの)なのです。
 展示室に入ると、まず私たちは、日常とはかけ離れた強烈な空間に圧倒されてたたずみ、やがて鏡に映った自分の姿を意識しながら、その異空間をさまよう経験をします。しかも、鏡の中の自分は時折(角度によって)、背景の黄色と黒の世界と一体化したかのように、あるいは作品の中に吸い込まれてしまったかのように、視界から消えてなくなるのです。
 このインスタレーションは、「ミラールーム(かぼちゃ)」のコンセプトを、鑑賞者により効果的に体験してもらうために、60年代の草間彌生の「ハプニング」などにヒントを得て、作家監修のもと、原美術館が1992年秋のコレクション展のおりに、オリジナルに企画したものです。翌年には、草間が日本代表として参加し、その国際的な再評価の契機にもなった「第45回ヴェネツィア・ビエンナーレ」でも好評を博し、以降の作家の表現世界にも影響を与えました。
 多くの日本人作家に先駆けて1957年に渡米。以降十余年間にわたって、激動のニューヨークのアートシーンのなかでひとり戦い続けた草間彌生。無限の増殖と強迫観念からの解放、永劫への回帰は、歳月を経た今日もなお、一貫したテーマとして作家を触発し続けています。

(原美術館学芸員 青野和子)

※この作品はおもに、ハラ ミュージアム アーク(原美術館別館)でご覧になれます。展示期間の詳細はお問い合わせください。(TEL:0279-24-6585)

原美術館ico_link

  • 所在地 東京都品川区北品川4-7-25
  • TEL 03-3445-0651
  • 休館日 月曜日(祝日の場合は開館,翌日休館),展示替期間,年末年始

<展覧会情報>

  • 原美術館コレクション展
  • 8月1日(土)~10月12日(月・祝)

<次回展覧会予定>

  • 「原美術館コレクション展:『間に合わせもの』ラウシェンバーグへのオマージュ」
  • 10月24日(土)~12月上旬

ハラ ミュージアム アークico_link

  • 所在地 群馬県渋川市金井2855-1
  • TEL 0279-24-6585
  • 休館日 展示替え期間,冬季

<展覧会情報>

  • 「原美術館コレクション展~日本の現代美術はおもしろい」(現代美術ギャラリー)
  • 9月12日(土)~11月23日(月)
  • 「季をめぐる」(観海庵)
  • 前期:9月12日(土)~10月12日(月・祝)
    後期:10月17日(土)~11月23日(月・祝)

その他,詳細は原美術館Webサイトico_linkでご覧ください。