「ユネスコ教育勧告」のエッセンス(その6) 「インクルーシブ」

インクルーシブな学校の根幹となる
原則によれば、
可能な限り、どのような困難や
違いがあったとしても、
すべての子どもは
共に学ぶべきである。

「サラマンカ声明」
‘The Salamanca Statement and Framework for Action on Special Needs Education’
筆者訳

図1
図2
出典:聖心女子大学グローバル共生研究所(https://kyosei.u-sacred-heart.ac.jp/unesco2023/

ダイバーシティとインクルーシブ

 今号で取り上げるキーワードは「インクルーシブ」です。辞書を引くと「包括的な」「包摂的な」「排他的ではない」「あらゆる人々を受け入れた」などと書かれています。最近、紙上で取り上げられる機会は増えているものの、いまだ十分に市民権を得ているとは言い難い用語であるといえるでしょう。
 実は、カード型教材をつくり始めていた当初は、「ダイバーシティ」が選ばれていました。勧告の該当箇所の原文には「文化の多様性」がことさら強調されているからです。ところが、マイノリティが排除されるような現状が続く日本の教育制度を考えると、「インクルーシブ」こそ、これからの学校や地域で考えてほしい概念であるという結論になり、「多様性」は表面(図1参照)に記載の問いの1つに「格下げ」されたという経緯があります。
 主題の「超訳」は次のとおりです。

一人ひとりが 多様性をもつ
かけがえのない存在
誰も排除せず その人が大切にしている
歴史・文化・言語を守るのが教育

 裏面(図2参照)に掲載の原文にはユネスコの「文化的多様性に関する世界宣言」が引用されており、多様性とインクルーシブとの関係性にも触れられています。多様性は色々あってよいのだからといって、人権侵害を受けている少数派の人々の人権問題をほうっておいてはならないのです。多様性は違いが存在している状態ですが、インクルーシブはその違いが尊重され、活かされる状態であるといえます。料理に例えるなら、食材は多様であっても、個々の食材の特性を活かしながら調和させて料理するプロセスがなくてはならないのです。多様性は違いがあることであり、インクルーシブは違いを共に生きることともいえます。
 さて、このカードにも3つの問いが用意されており、次のとおりです。

あなたのまわりの人々がもつ多様性には、どのようなものがありますか?
人々が大切にしている歴史・文化・言語がないがしろにされていると感じたことはありますか?それはどんな時ですか?
誰もがもつ多様性を排除しないインクルーシブな社会を創るには、どうしたらよいと思いますか?

 このカードでも一連の質問は、身の回りの課題に気づくことから徐々に社会的な課題へ、さらに行動へと関心を広げていく構造になっています。
 カードを作成する過程において「インクルーシブ」を障害者や障害のある子どもに限って検討していることに気づき、もっと裾野を広げてこの概念を捉え直すべきであるという議論がありました。たしかに、冒頭で触れたとおり、「インクルーシブ」は最近、紙上で取り上げられるものの、「障害のある子どもと、ない子どもがともに学ぶ」というような紹介が多いようです(*1)。しかし、社会的に排除されている人々は、前号で取り上げた性的マイノリティもそうですし、カードに明記されている「歴史・文化・言語」に関する少数派もそうです。①の問いが設けられた背景には、こうした問題意識があります。実際のワークショップでは「留学生と出会って、お肉を食べない人がいることを初めて知った」とか、「性的マイノリティの人が日本では10人に1人ほどいると聞いて驚いた」という意見が挙げられていました。
 ②の問いでは「アイヌのバンドの曲を聴いてから、アイヌの人々が経てきた排除の歴史に初めて興味を持った」と語る人や「植民地統治下の朝鮮半島で当時の韓国の人々に創氏改名を強要し、文化的アイデンティティを傷つけたことを学んだ」と述べる参加者がいました。
 また、カード型教材が学校で試験的に使われた際、日本に来たばかりの英語の先生が日本語カードを読めずに不自由を感じさせてしまったということも経験しました。そうした声のおかげで、現在では英語版カード教材も作成されています(*2)
 社会全体に視野を広げた③の問いは、学校での道徳の授業の可能性や国際理解教育の重要性、法整備による制度的な保障などが話し合われていました。ワークショップでは、包摂を意味するインクルーシブは、意志に反して括られてしまうような感覚につながり、複雑な気持ちにもなるという意見も聞かれた一方で、やはりマイノリティの人々の抱えてきたしんどさを考えると、不可欠なキーワードであるという意見もありました。
 なお、カードの裏面に記載の二次元コードからは日本学術会議での提言「すべての人に無償の普通教育を多様な市民の教育システムへの包摂に向けて」にアクセスできます。そこでは「不登校の子ども」「外国籍の子ども」「障害のある子ども」「貧困家庭の子ども」「被差別部落の子ども」「周辺化される目立たない子ども」をめぐる教育課題が取り上げられ、国・自治体・各学校への提言がなされています。

分離教育をこえて

 冒頭に述べたように、多様性(ダイバーシティ)と包摂(インクルーシブ)という、いわば表裏一体の課題は昨今、ますます重要性を帯びているように思われます。特別支援教育を受ける児童・生徒の数はこの10年で倍増しています(参考文献4.参照)。これはユネスコ教育勧告のみならず、国連の障害者権利条約をはじめ、子どもの権利や人権に関わる条約や規約に逆行する傾向であるといえます(*3)
 日本では「日本型インクルーシブ教育」のもと、特別支援学校・学級が合理的に配慮され、分離される傾向が顕著になっており、こうした分け隔ての方向性は国連が示す普通学級で共に学ぶという方針と乖(かい)離している現実であり、国連の障害者権利委員会による審査で差別的な問題性が指摘されています(2022年9月)(*4)。インクルーシブ教育の先進国といわれるイタリアなどから学ぶ点は少なくないでしょう(*5)
 最後に、デザインの役割の重要性に言及して本稿の結びとしたいと思います。私たちはマイノリティの問題を語るとき、とかく心や意識の問題として話しがちですが、それと同時に、学校などの空間や環境のデザインという課題もないがしろにしてはなりません。私たちの周囲を見回すと、誰であろうと公平に簡単に使えるものは意外と少ないのではないでしょうか。皆さんの学校やキャンパス、教室や職場である「足元」をインクルーシブの視点で生徒や学生と一緒に見直してみると、色々な課題に気づくでしょう。(参考文献7.参照)

「インクルーシブ」イラスト解説

エッセンスの言葉と向き合う中で、小さな花を両手で包み込むイメージが浮かびました。

いくつかの花の色にはそれぞれの背景を、また花そのものには一人一人の命を重ねました。

全ての人が大切にされ、安心して生きられる社会を思い願いながら描いた一枚です。

©Kei Ikeda

*1:一例ですが、「3月にパラリンピックが開催されたイタリアでは、障害のある子どもと、ない子どもがともに学ぶ『インクルーシブ教育』が実践されている。」(朝日新聞, 2026年4月29日朝刊)という記事が挙げられます。
*2:英語版カード型教材は次から閲覧できます。なお、作成の過程でユネスコの担当職員にも相談をした結果、国際的にも使用されることも考慮し、キーワードなどは一部変更されています。ユネスコ教育勧告の指針に基づき、日本語版では日本の現状や文脈と照らし合わせて重要であると思われるキーワードを選んでいるためです。
https://kyosei.u-sacred-heart.ac.jp/unesco2023/cards/
*3:日本の分離教育の動向と問題点については橋田(2025)を参照して下さい。
*4:DPI日本会議「障害者権利委員会から日本政府へ勧告(総括所見)が出されました! 〜90項目以上改善するよう勧告されてます〜」
https://www.dpi-japan.org/blog/workinggroup/crpd/recommendations-for-japan/(2026年5月1日閲覧)
*5:イタリアのインクルーシブ教育の詳細については参考文献6や、弊社Webマガジン「学び!と共生社会」Vol.384761657174などが参考になります。

【参考文献】

  1. 「学校は『社会のミニチュア』」(2026年4月29日、朝日新聞朝刊)
  2. 「サラマンカ声明(宣言)」
    https://unesdoc.unesco.org/ark:/48223/pf0000098427(英文)
  3. 平野智之・菊地栄治 編著(2023)『みんなでつくるインクルーシブ教育』アドバンテージサーバー
  4. 文部科学省「特別支援教育の充実について」
    https://www.mhlw.go.jp/content/001231516.pdf(2025年5月1日閲覧)
  5. 橋田慈子(2025)「優生思想をほぐすための教育学:競争原理と排他主義を超えて」『現代思想』青土社, 104-116頁.
  6. 大内紀彦(2025)『フルインクルーシブ教育見聞録:イタリアの現場を訪ねて』現代書館.
  7. ジュリア・カセム(平井康之監修/ホートン・秋穂訳)(2014)『「インクルーシブデザイン」という発想:排除しないプロセスのデザイン』フィルムアート社.
  8. 「わたしたちがつくる平和・人権・持続可能な開発:日本のエデュケーターのための14のエッセンスと42の問いかけ(ユネスコ教育勧告カード型教材)」聖心女子大学グローバル共生研究所
    https://kyosei.u-sacred-heart.ac.jp/unesco2023/

「ユネスコ教育勧告」のエッセンス(その5) 「ジェンダー」

ジェンダーって世間が考える「男らしさ」「女らしさ」のこと。男は強く、たくましく、女はやさしく、つつましくって、最初から男は主役、女は脇役、って決まっているみたい。
でも、いったいだれがいつ、どうやって、決めたの?そんな決まりに、産まれたときから運命みたいにしばられるなんて、ヘン。そんな決まりにワタシやボクが従わなければならない理由なんてどこにもない。
それにそんな決まりだって、産まれたときや住んでいるところやまわりの環境によってどんどん変わる。ワタシはワタシ、ボクはボク。人生の主役になって、「自分らしく」生きたらいい。

上野千鶴子
やまざきひろし他(2021)
『答えのない道徳の問題: どう解く? 正解のない時代を生きるキミへ』 ポプラ社, p.77.

図1
図2
出典:聖心女子大学グローバル共生研究所(https://kyosei.u-sacred-heart.ac.jp/unesco2023/

ジェンダーとは

 このシリーズも5回目となりました。今回のテーマは「ジェンダー」です。紙上でも使われるようになった「ジェンダー」ですが、一般的には生物学的性差(sex)とは異なる社会的性差(gender)として用いられます。近ごろは、単に性別を指すのに「ジェンダー」を用いることもあるようですが、このカードでは社会・文化的性差を問題にしています。
 カード表面のエッセンスの文章として「教育にジェンダー平等を それは女子・女性を 勇気づけることの鍵」と書かれています。これは、私たちの社会には男女の差異によって差別がまかり通っていて、特に女子・女性がその被害を被っており、その解決にはなによりもまして教育が重要であるというメッセージの「超訳」です。「勇気づける」は裏面にある原文の「エンパワー」を訳した表現です。
 このカードにも3つの問いが添えられています。

ジェンダーを理由に、辛い思いをしたことがありますか?あるいはそのような苦労をした人を知っていますか?
日本は世界的にみてジェンダー平等が達成されていないと評価されていますが、なぜだと思いますか?学びの場で改善できることはありますか?
学びの場で性的マイノリティの子どもたちも暮らしやすくするには、どのような工夫が必要だと思いますか?

 カード型教材を用いたワークショップでは①の質問をめぐり、次のような体験が共有されていました。「女の子は料理できるようにならないとね、とお父さんに言われたことがある。」「女子なんだからおしとやかにしないと、と母に言われた。」「女子生徒は理系には向いていない、と聞いたことがある。」……等々。こうしたジェンダーバイアス(性別をめぐる思い込み)の例は多くの人が苦なく挙げられるのではないでしょうか。
 一方、「男のくせにくよくよするな!」と言われ、辛かったという参加者もいました。こうした意見を踏まえて、教材作成時にカード表面の「女子・女性」を変えるべきか否かという検討もしましたが、勧告の原文に則り、そのままにすることに決めたという経緯があります。
 ②はカード裏面に情報源がある「ジェンダー・ギャップ指数」での日本の低さに由来する質問です。2025年の日本のジェンダーギャップ指数は148ヵ国中118位でした。これは先進国では非常に低い順位で、G7では最下位です。この総合指標を分野別に見ると、教育や健康は中位(50〜60位台)であるにもかかわらず、政治や経済の分野では100位台にとどまっています。この背景には女性の政治参加の低さや企業等における管理職の少なさがあります。また研究者の女性比率もOECD(経済協力開発機構)諸国の中で最低クラスです。ワークショップでは、育児や家事の負担を女性が担いがちな現状をめぐって、家父長制などの課題が議論されたり、女性の議員や管理職の比率を高めるために北欧諸国などで導入されてきた「クオーター制度」を例に社会制度的な課題が議論されたりしていました。(カードの裏面に掲載の二次元コード情報「ジェンダー・ギャップ指数」も参照してみてください。)
 ③の質問の背景には、性自認や性的指向などが多数派とは異なる人々、例えば、トランスジェンダーやバイセクシャル、ノンバイナリーなどの人々への理解や配慮が、特に学校では不十分であるという現状があります。性的マイノリティの子どもにとってストレスの原因となり得る制服の強制や更衣室の問題に対して、スラックスやスカートなどの選択制や更衣室として多目的ルームを活用する例が挙げられていました。

台湾社会を救ったオードリー・タン

 ユネスコ教育勧告のキーワードの1つは「変容的教育」です。この用語について勧告では次のように説明しています。

変容的教育は教育の場における学習者の尊厳と多様性を認め、尊重する。学習に対するあらゆる障壁を取り除き、学習者がクリティカルに省察し、変化をもたらす主体(agents of change)となる。自らの未来の主人公(protagonists of their own future)となるように動機づけ、エンパワーし、個人、コミュニティ、地域、国家、地域圏、グローバル、それぞれのレベルで十分な情報にもとづいた意思決定と行動を可能にさせる。(日本国際理解教育学会暫定訳(第3版))

 上記の引用文の「自らの未来の主人公」になるという表現に注目したいと思います。このくだりは「人生の主役になって、『自分らしく』生きたらいい。」という冒頭に引いた上野千鶴子の言葉と重なります。「主人公」の原文はプロタゴニスト(protagonist)。「protos(最初)」+「agonistes(戦う者)」から成るギリシャ語で「最初に戦う者」から「主役」という意味になった言葉です。
 カード型教材は勧告の原文に則り、「女子・女性」を取り上げていますが、前述のとおり、男性はもちろんのこと、それら以外の性を自認しているマイノリティの人々も社会の中で平等に「主人公」となる権利があることはいうまでもありません。ここで簡単にではありますが、教育によってその権利が守られ、ひいては社会全体にも恩恵をもたらした人物を取り上げることにします。
 皆さんは台湾初のデジタル担当大臣、オードリー・タンはご存知でしょうか。タンはまさに「変革の担い手となり、自らの未来の主体として行動」した人物です。台湾史上初のトランスジェンダーの大臣として日本でも話題になりましたが、コロナ禍においてITを駆使してマスクが全ての人々に行き渡るように「マスクマップ」のシステムを構築したことで世界的に注目されました。
 ただ、学校時代のタンは、当時の管理的でかたくなな台湾の公教育制度および性に関する偏見に非常に辛い思いをしたようです。そんな状況において独自の自主学習を続け、天才プログラマーとして活躍するほどにITの知識や技能を身に付け、コロナ禍では台湾全域の人々を守った救世主となったのでした。こうした活躍を可能にしたのは、心優しい先生との出会いやオルタナティブな教育であったことは母親の手記などを読むとよく分かります(参考文献2.および3.を参照)。性にまつわる偏見に悩まされた若者が自分のニーズに合った教育を通して「自らの未来の主人公」となり、その恩を社会全般に返したという話は、ジェンダーへの配慮がいかに社会全体にとっても重要なのかを示唆しているといえましょう。
 なお、「ジェンダー」に関するカード型教材をさらに発展させて学ぶ方法として、具体的な人物の調べ学習もおすすめです。特に、環境や平和の問題に取り組み成果を挙げてきた多くの活動家は女性です。2004年のノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイ、環境活動家のグレタ・トゥーンベリ、自然保護活動家でチンパンジー研究の世界的権威のジェーン・グドール、エコ・フェミニストであるヴァンダナ・シヴァ等々、枚挙にいとまがありません。これらの「変革の担い手となり、自らの未来の主体として行動」した人物についての学びは、きっと次世代をエンパワーすることにつながるでしょう。

「ジェンダー」イラスト解説

このカードのイラストは「虹」が
テーマとなっています。

この世界にはたくさんの色があり、様々な色の中で私たちは
「生きている」ということ。
そして、風を感じながら
「生きる」ということ。

そのような想いを巡らせる中で、
虹色のリボンが風にたなびく
イメージに辿り着きました。

©Kei Ikeda

【参考文献】

  1. やまざきひろし他(2021)『答えのない道徳の問題:どう解く? 正解のない時代を生きるキミへ』ポプラ社
  2. 近藤弥生子(2021)『オードリー・タンの思考 IQよりも大切なこと』ブックマン社
  3. 李雅卿・朱佳仁・唐宗浩(2025)(近藤弥生子訳)『オードリー・タンの母が語る「自主学習のすすめ」』集英社新書
  4. 加藤秀一(2017)『はじめてのジェンダー論』有斐閣
  5. 開発教育とジェンダー研究会(2024)『すべての人が生きやすい社会へ:教育をジェンダー視点で見直すヒント集』開発教育協会(DEAR)
  6. 「わたしたちがつくる平和・人権・持続可能な開発:日本のエデュケーターのための14のエッセンスと42の問いかけ(ユネスコ教育勧告カード型教材)」聖心女子大学グローバル共生研究所/日本国際理解教育学会
    https://kyosei.u-sacred-heart.ac.jp/unesco2023/

「ユネスコ教育勧告」のエッセンス(その4) 「コンヴィヴィアル」

Convivial(コンヴィヴィアル)という英語は、「宴会」や「ごちそう」、そして「共生」を意味するラテン語conviviumから派生した形容詞です。食べたり飲んだりすることと、共に生きることは、つながっています。それだけでなく、雰囲気が陽気だったり、友好的なこと、心地よかったりすること、という意味もあります。「ムーミン」の世界には、季節を通して、いろんな食べものが登場しますが、それを取り巻く環境やフィーリングは、「コンヴィヴィアル」であふれています。(中略)多様な価値観が隣あってせめぎあう現代の社会にあって、各々の「個」をしっかりと保っているのになんとなく共生しているムーミン谷の仲間たちの生き方と「コンヴィヴィアル」という概念に、これからの時代を生きていくための示唆を見いだせるかもしれません。

埼玉県飯能市ムーミンバレーパーク
展示施設内コケムス企画展
ムーミンの食卓とコンヴィヴィアル展
(2021年7月10日‐2022年10月23日)より
©Moomin Characters™

祝宴の時間

 今号で取り扱うキーワードは「コンヴィヴィアル」です。多くの読者にとってはなじみのない言葉なのではないでしょうか。もとは、ラテン語のcon-vivere、つまり「共に」を表すconと「生きる」を意味するvivereが合わさった言葉です(*1)。しばしば「共生」と訳されますが、後述のとおり、コンヴィヴィアルはとても含蓄のある言葉です。
 たまたま信州の旅行先で「ムーミンの食卓とコンヴィヴィアル展」を観たことがあります。リンゴやパンケーキ、コーヒー……、ムーミンの家族や個性ある仲間たちが美味しさにあふれる食卓を囲んで相互につながり、和気藹々とした時間を過ごす様子が伝わってくる原画や食事に関する会話を集めた展示で、上記のタイトルに添えられた副題は「食べること、共に生きること」でした(*2)。展示の解説には、コンヴィヴィアルは「共生」のほか、「ごちそう」や「パーティなどの楽しく心地よい雰囲気」を意味する言葉である、と記されていました。ドンチャン騒ぎの宴会のような時間ではなく、安心できる場所で一緒に食べる喜びを分かち合い、相互につながり、信頼感を育む祝宴のような時間であると言えましょう。

図1図2

出典:聖心女子大学グローバル共生研究所(https://kyosei.u-sacred-heart.ac.jp/unesco2023/

他者への想像力

 コンヴィヴィアルにはもうひとつの意味が内包されています。そこでのキーワードは「他者」です。コンヴィヴィアルとその名詞形であるコンヴィヴィアリティという概念を広めた立役者であるイヴァン・イリッチは、制度や道具に搾取されて暮らす現代人を批判的に捉え、人間が本来もつ創造性を生かしながら「自立共生」することの重要性を唱えました(*3)
 ここで大切なのは、訳語としてしばしば使われる「自立共生」は個人の自立だけでなく他者との共生も同時に含まれ、自立した者同士が、たとえ立場や考えや文化的な背景が違っていたとしても共に暮らしていくという意味合いです。この共生にとってさらに重要になるのは、たとえ生活を共にしていなくても、他者への想像力、特に苦しみと共にある遠い他者に対しても思いをはせることであると言えましょう。
 カード型教材の「コンヴィヴィアル」は上記の2点、つまり和気藹々とした時間をもつことの大切さと、しんどい状況に置かれた他者への共感共苦を念頭につくられましたが、カードの上部に書かれた意訳の言葉「人の痛みを 自分の痛みとする/共に生き生きと互いに活かしあう」は昨今の世の趨勢を踏まえて後者が前面に出されています。

カード上の3つの問い

 さて、今回のカードにも3つの問いが掲載されています。

あなたが誰かと一緒に生き生きとしたり、ワクワクしたりする時はどんな時ですか?
人の心の痛みが自分の痛みとなる共感共苦(コンパッション)を経験したり、聞いたりしたことはありますか?そのとき、どのようなことを感じましたか?
競わされるような関係性ではなく,和気藹々と互いに活かしあう(コンヴィヴィアルな)関係性を学びの場でつくるためには、どうしたらよいと思いますか?

 初めの問いは個人に向けた問いです。これまでのカードを用いたワークショップでは、ムーミン一家のように楽しい食卓の時間を挙げる参加者もいれば、家族で温泉旅行に行く時や仲間とダンスで汗を流す時を挙げる参加者もいるなど、十人十色の回答がありました。
 打って変わって、次の問いは、他者の痛みを直接・間接に感じる経験について問いています。作成過程では、沖縄の伝統的な言葉「ちむぐくる」(他者への思いやりや深い共感)を問いに盛り込むという案も検討されました。おそらく世界各地でこうした言葉は継承されてきたのでしょう。また、原文に出てくるコンパッションの訳出も議論に議論を重ね、「同情」や「愛」や「慈愛」などが検討されたものの、他者への思いを重視して「共感共苦」という訳語を採用しています。実際のカードを用いたワークショップでは、いじめで自死に追い込まれてしまった子どもの話や戦争で家を失ったガザやウクライナの人々のニュースを聞いていたたまれなくなったという話などが共有されていました。
 さらに社会的な制度/システムの課題を想定したのが3番目の問いです。学校や社会は受験など、とかく競わされる制度に支配されています。たしかに全ての競争が悪いというわけではありませんが、競争が過度になると弊害が出てきます。学びの場では競争の原理以外の原理をどう生かしていくのか、まさにこのカード型教材の諸々の原則をいかに具現化するのかが問われているのです。

キーワードとしての「共感」

 コンヴィヴィアルという概念を世に広めたイヴァン・イリッチは、人間の自立・自律性を剥奪するような制度への従属を問題視していました。彼は、人間が道具を使うのではなく、道具に支配されるような状態をコンヴィヴィアルの対極に描いていたのです。
 こうした思想を現代社会と重ね合わせるとどうでしょう。イリッチの思想が広まったのが1970年代ですが、その後の半世紀ほど、私たちは道具を主体的に使ってきたのか、それとも支配されてきたのか、どちらでしょう。この問いは、AIが席巻するようになった昨今、急速にその重要性を帯びています。再びコンヴィヴィアルに注目することは、ディストピア小説『1984』でジョージ・オーウェルの描いた「思想(思考)警察」に支配される世界に突き進んでしまうかもしれない人類を救う一助となるのでしょうか。
 ここまでコンヴィヴィアル及びコンヴィヴィアリティという含蓄のある言葉の多義性に注目しながら、本稿では大別されるふたつの意味を扱ってきました。多様な人々が集う「食卓」で安らぐ心持ちと苦しい状況下に置かれた他者を思う気持ち…。前者を「宴会」と訳し、後者を「同情」という言葉で括ってしまうと、この言葉の深みは一気に失せてしまうように思われます。これからの時代は、両者を別個のものとして捉えるのではなく、相互に深く関わり合っているという視点こそ重要であると言えるでしょう。筆者は両者を架橋するキーワードは「共感」であると捉えています。共感は同情とは異なり、他者の苦しみだけでなく喜びにも思いをはせ、分かち合うことを意味しているからです(*4)
 なお、今回のカードの裏面は「隣人意識」や「帰属感」「互恵性」「コンパッション」「ケアと連帯の倫理」など、重要なキーワードのオンパレードです。これらの概念についても具体例を共有するなど、ぜひ話し合ってみてください。

「コンヴィヴィアル」イラスト解説

このイラストは空から落ちてくる涙とそれを受け止める人の手を描いています。

誰もが「痛み」を抱えて生きています。
それでも、その「痛み」を誰かと分かち合うことができたとき、
人はまたそこから生きていける。
その「希望」のようなものを表現したいと思って描いた1枚です。

©Kei Ikeda

【参考文献】

  1. イヴァン・イリッチ(1977)(東洋・小澤周三訳)『脱学校の社会』東京創元社
  2. イヴァン・イリッチ(2015)(渡辺京二・渡辺梨佐訳)『コンヴィヴィアリティのための道具』ちくま学芸文庫
  3. ジョージ・オーウェル(2021)(田内志文訳)『1984』角川文庫
  4. 日本総合研究所|井上岳一・石田直美(2025)『コンヴィヴィアル・シティ:生き生きした自律協生の地域をつくる』学芸出版社
  5. ローマン・クルツナリック(2019)(田中一明・荻野高拡訳)『共感する人:ホモ・エンパシクスへ、あなたを変える六つのステップ』ぷねうま舎
  6. 「わたしたちがつくる平和・人権・持続可能な開発:日本のエデュケーターのための14のエッセンスと42の問いかけ(ユネスコ教育勧告カード型教材)」聖心女子大学グローバル共生研究所 / 日本国際理解教育学会
    https://kyosei.u-sacred-heart.ac.jp/unesco2023/

*1:冒頭のボックス内に記載のconviviumは「饗宴(きょう・えん)」という意味の名詞であるのに対して、本文で書いたconvivereは動詞であり、両者ともに語源は一緒です。
*2:「ムーミンの食卓とコンヴィヴィアル展―食べること、共に生きること―」小海町高原美術館(2024年6月15日〜10月6日)
*3:コンヴィヴィアルには「自律協生」(日本総合研究所|井上岳一・石田直美 2025)など、他にも様々な訳語が用いられています。
*4:ローマン・クルツナリック(2019), p. 51.

「持続可能な開発」を問い直す ~開発教育の反省から

 これまでESDの課題について回を重ねて扱ってきましたが、今回はやや根幹的な課題にアプローチしてみたいと思います。つまり、ESDのD(開発)に関する課題です。言うまでもなく、ESDの正式名称は「持続可能な開発のための教育(Education for Sustainable Development)」ですが、そもそも「持続可能な開発」とは何でしょうか。皆さんは、どのように説明しますか?

「持続可能な開発」の定義

 国際的に広く認められている説明は、国連に設置された「環境と開発に関する世界委員会」(通称:ブルントラント委員会)が1987年に公表した報告書「我ら共有の未来(Our Common Future)」で示された次の定義です。

“Sustainable development is development that meets the needs of the present without compromising the ability of future generations to meet their own needs.”
「将来の世代の欲求を満たしつつ,現在の世代の欲求も満足させるような開発」(外務省訳)

 これまでのように欲求や発展のみを追い求めていては、いつか破綻が来る。世代を超えた視野をもとう、という呼びかけでした。言い換えれば、「持続可能な開発」という概念は、「右肩上がりの開発」を当然視してきた私たちの認識を問い直しているともいえるでしょう。
 しかし現在でも、「開発」や「発展」は、より高みを目指すものだというイメージが一般的ではないでしょうか。このような開発観を前提とした「持続可能な開発」は、市場主義や人類中心主義を維持していても環境保全が可能であるかのような幻想を生み出してしまう、という指摘もあります。
 では、「右肩上がりの開発」とは異なる開発観には、どのようなものがあるのでしょうか。

開発教育の反省と「開発」の多様な捉え方

 ESDでは環境・経済・社会の3つの要素の学びが求められています(*1)。そのうち社会的な問題として「開発」に正面から向き合ってきた教育に、開発教育があります。開発教育は、「私たちひとりひとりが、開発をめぐるさまざまな問題を理解し、望ましい開発のあり方を考え、共に生きることのできる公正で持続可能な地球社会づくりに参加することをねらいとした教育活動」で、主に英国をはじめとする欧州で展開され、日本でも参加型教材や実践が数多く蓄積されてきました(*2)。この開発教育において、「開発」という概念は批判的に問い直され、多様な観点からの開発観が提示されてきました。

 1960年代、英国などの欧州諸国は、かつて植民地として支配していた地域の「開発」や経済成長を支援する取り組みを進めました。当時の開発教育には、そうした活動への世論からの支持を得るために、「開発途上国」の現状を伝えて人々の意識を高めたいという政府や関係機関の意図が反映されていました。
 このような開発教育と「開発」の捉え方は、その後厳しく批判されます。ポストコロニアリズムの立場からは、欧州諸国の上昇志向的な開発観を基盤とした、一方的な「開発支援」に異議が唱えられました。「開発途上国」の人々は、無力で援助を待つ存在ではない。「貧しい人々を助ける」という、ある種の優越感を伴った視点そのものが、格差を再生産している――そのような鋭い指摘がなされたのです。
 こうした反省を踏まえ、批判的視点や、グローバル・サウスと呼ばれる地域からの視点など、さまざまな立場や声を大切にした開発教育が発展していきました。それに伴い、「開発」という概念も、多角的に検討されるようになります。

 例えば、「開発」を多様な視点から捉え直す教材として、「Learning to Read the World Through Other Eyes」(*3)があります。この教材では、直線的・上昇志向的な「はしご型」の開発観と、循環を重視する「エコロジー型」の開発観を対比しながら、複数の視点が提示されています。さらに次のような学習の流れを通して、学習者自身の「開発観」を批判的に省察する工夫がなされています。

  1. 自分なりの「開発」の定義を文章化して振り返る
  2. 「開発」に対する一般的な捉え方を振り返る
  3. それとは異なる論理や考え方を知る
  4. 「開発」に対する多様な意見を読み、考察する
  5. 具体的な開発問題の事例と、さまざまな立場の意見を知り、考察する

 「開発」のように曖昧で、価値判断を伴う言葉については、常に批判的に内容を吟味していく姿勢が求められるでしょう。当たり前のように「よい」と思っていることも、別の角度から見ると異なる側面が浮かび上がってくるかもしれません。

「持続可能な開発」を問い直す

 「学び!とESD」<Vol.08>で紹介したように、「開発」や「持続可能な開発」について問い続けることは、ESDでも重要であると論じられています。ESDが目指す「持続可能な開発」とは何でしょうか。ブルントラント委員会の定義に立ち返るならば、「将来の世代の欲求を満たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような開発」とは、何を意味するのでしょうか。

 戦後復興と高度経済成長期からの「開発」によってもたらされた豊かな生活を私たちは享受してきました。同時に、その過程で生み出された環境問題も受け継いでいます。今求められているのは、破綻ではなく再生へと舵を切り、次の世代へ引き継ぐことでしょう。現代を生きる私たちは、次の世代である子どもたちや若者とともに、改めて「開発」の意味を問い直す必要があるのかもしれません。

【参考文献】

  • 外務省(2015)『地球環境―持続可能な開発(Sustainable Development)』
    https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kankyo/sogo/kaihatsu.html(2026年1月26日閲覧)
  • 永田佳之(2020)「ESD for 2030’を読み解く:「持続可能な開発のための教育」の真髄とは」『ESD研究』第3号、5-17頁
  • 永田佳之(2024)「教育の人類中心主義を問い直す:再想像力ではぐくむ惑星意識(第2章)」吉田敦彦、河野桃子、孫美幸編著『教育とケアへのホリスティック・アプローチ』勁草書房、31-46頁
  • 文部科学省国際統括官付日本ユネスコ国内委員会(2021)「持続可能な開発のための教育(ESD)推進の手引」
    https://www.mext.go.jp/content/20210528-mxt_koktou01-100014715_1.pdf(2026年1月26日閲覧)
  • ダグラス・ボーン著、湯本浩之、奈良崎文乃訳 (2025)『開発教育の理論と実践:グローバル社会正義のための教育学』せせらぎ出版
  • United Nations (1978) Our Common Future: Report of the World Commission on Environment and Development.
    https://www.brundtland.co.za/other-publication/brundtland-report-1987-our-common-future/(2026年1月26日閲覧)

図1 出典:文部科学省国際統括官付日本ユネスコ国内委員会「持続可能な開発のための教育(ESD)推進の手引」
*1:日本ユネスコ国内委員会作成の「持続可能な開発のための教育(ESD)推進の手引」にも、ESDの基本的な考え方として、「環境、経済、社会の統合的な発展」と題した図があります(図1)。この考え方は、前述の「Our Common Future」で提唱されたものです。学び!とESD <Vol.55><Vol.56><Vol.64>も併せてご参照ください。
*2:開発教育協会のウェブサイトから、日本の開発教育に関する情報を得ることができます。
https://www.dear.or.jp/org/2056/(2026年1月26日閲覧)
*3:Andreotti, V. and Souza, M. (2007) “Learning to read the world Through Other Eyes”
以下のウェブサイトよりダウンロードできます。また、このウェブサイトではその他複数の教材が紹介されています(英文)。
https://decolonialfutures.net/toe/(2026年1月26日閲覧)

「ホールスクール・アプローチ」:スリランカ発!学びを生きる学校づくり

 これまで「学び!とESD」Vol.14Vol.46 において紹介してきた「ホールスクール・アプローチ」について、本号では取り上げていきたいと思います。
 「ホールスクール・アプローチ」はESDの包括的な取り組みとして「機関包括型アプローチ」と訳されていますが、分かりやすく馴染みやすい「学校全体アプローチ」または「学校まるごとアプローチ」などの呼称でも知られています。「国連ESDの10年」(2005-2014)が終わり、「グローバル・アクション・プログラム(GAP)」(2015-2019)に引き継がれた時に、5つの優先行動分野のうちの一つとしても位置付けられました。
 「ホールスクール・アプローチ」とは、体系的・統合的・批判的視点を用いて教育を持続可能なものへと再方向付けする試みの一つです(Wals et al., 2024)。これは不確実性が常態化する時代において、答えのない問いを前に、学校に関わる多様な主体が相互に学び合いながら教育の在り方そのものを捉え直していく実践的枠組みを指します。言い換えれば、効率性や迅速性、正確さや成果を重視されてきた従来の教育観を前提とするのではなく、教育を一つの「生きた営み」として捉え直し、その健全さを取り戻すために、組織全体の在り方を整えることが求められていると言えます(永田, 2022)。近年では国際機関や各国からも期待が寄せられており(*1)、多様な実践および研究が蓄積されつつあります。
 次にこれまで永田研究室において実践してきたスリランカでのプロジェクトの一端を紹介します(*2)

スリランカの公立学校における「ホールスクール・アプローチ」実践

 スリランカ中部に位置する古都キャンディの郊外にある小さな村の小学校(第1~5学年)をフィールドに、2023年2月から2025年2月までの2年間にわたりプロジェクトが実施されました(*3)。スリランカの各地域においても課題の一つとして直面しているゴミ問題に焦点を当て、プロジェクト型学習や若者の主導性に重点を置きながら、さまざまなアクティビティを実践しました。

プロジェクト冊子の表紙
出典:Illustration by Sri Arts

 以下では本プロジェクトをふり返り、「ホールスクール・アプローチ」がどのようなプロセスを経て実践されてきたのかを紹介します。

ホールスクール・アプローチを実践するためのジョイフル・ラーニング:6つのステップ

傾聴:子どもたちの声を聴く文化を育む。
対話:子ども同士、大人同士、子どもと大人の双方向のコミュニケーションを奨励する。
焦点化:対話を通して、扱いたいトピックを選ぶ。
解決策の特定:創造性を活かして、協働で可視化する。
探究:最も実現可能性のあるものを選び、学校の外へ出てアイデアを実現する手助けとなる協力者や地域の資源を見つけ出す。
アクションとふり返り:一人ひとりの学びが協働を通じて地域全体の励みになり、互いの学びを認め合い、称え合う文化が育まれていく。

 上記の6つのステップを経て、学校では若者を中心とした「グリーンユース」が設立され、学校菜園も誕生しました。学校菜園で収穫された野菜などの収益は学校運営費の補助に充てるなど、持続的な活動の基盤が築かれました。また、行政や企業との連携体制が整い、現地の大学院生やコーディネーターによる自律的かつ主体的な運営も生まれました。こうした取り組みは、生徒や保護者、教員、プロジェクトメンバーそれぞれのライフスタイルや意識の変化を促すとともに、学校を中心とした地域社会のエンパワメントを後押しすることにつながりました。以下は本プロジェクトに参加した生徒の保護者の声です。

「捨てられていたボトルを切り刻み、タイヤの破片に植物を植える。経済的に少し稼げたし、唐辛子作りなど毎日必要なことができたし、幸せを感じた。私と子どもは、学校でのこのプロジェクトを通じて農業についての知識と理解を得ることができました。」

 本プロジェクトの「ホールスクール・アプローチ」実践は、子どもを通して保護者の暮らしにも変容がもたらされた一方で、教員研修の充実や制度改革の推進、学校外における学習機会の拡充といった課題を浮き彫りにしました。こうした成果と課題を通して、本プロジェクトはスリランカの教育改革の移行期とも重なり、学校教育の在り方や生徒と教員の関係性、教育の役割そのものを捉え直す重要な契機となりました。国境を越えた今回の取り組みが、持続可能な社会の実現に向けてささやかながらも希望ある未来への一助となることを願っています。

【補記】
昨年末まで続いた「ユネスコ教育勧告のエッセンス」シリーズは本年3月から再開の予定です。

【参考文献】

  • 永田佳之(2021)「脱炭素社会の時代における学校づくり―ホールスクール・アプローチという手立て―」『中学校』第818号,pp.8–11.全日本中学校長会
  • 永田佳之(2022)「気候危機の時代を生きる学校―ホールスクールで足元から地球規模課題に挑むー」『教育』第919号, pp.62-69.旬報社
  • 永田佳之(2023)「やってみよう、学校まるごとSDGs! ~豊かな関係性をもたらすESDならではのアプローチ~」『中等教育資料』令和5年8月号,pp.26–31.学事出版
  • Wals, A. E. J., Eikeland, I., Bjønness, B., & Sinnes, A. (2024). It takes a whole school: An introduction. In A. E. J. Wals, B. Bjønness, A. Sinnes, & I. Eikeland (Eds.), Whole school approaches to sustainability: Education renewal in times of distress (pp. 1–6). Springer.

*1:国連欧州経済委員会(UNECE)やスコットランド政府の教育政策などにおいて、「ホールスクール・アプローチ」は重要な取り組みとして位置づけられています。
*2:プロジェクト成果物でもある冊子は次のURL(https://kyosei.u-sacred-heart.ac.jp/srilanka-pj/ )より入手できます。英語とシンハラ語、そしてプロジェクトで使用した活動集やワークシートも掲載されています。
*3:本プロジェクトはJICA草の根協力支援型事業「公立学校を拠点としたゴミ問題解決のためのグリーンユース・コミュニティ形成事業」による助成金を得て実施されました。この2年間の取り組みは、両国の相互理解が深まっただけではなく、ESDの理論を手がかりに地域コミュニティの新たな可能性を模索する歩みでした。本プロジェクトにご協力いただいたすべてのみなさまに、心より感謝申し上げます。

「ユネスコ教育勧告」のエッセンス(その3) 「ライツホルダー」

私が声を張り上げるのは、叫ぶことができるからではなく
声なき人々の声が聴かれるようにするためです。

マララ・ユスフザイ
2013年 国連ユース総会(UN Youth Assembly)でのスピーチ

 本シリーズも今回で3回目となりました。紹介しているカード型教材のテーマがすべてカタカナで表記されていることに気づいた読者も少なくないかもしれません。教材を構想する段階で、カタカナ表記の英語を全面に出したデザインは親しみがもちづらいという意見もありました。しかし、2021年の第42回ユネスコ総会で話し合いを重ねて選ばれたオリジナルの表現が伝わることを重視し、あえてカタカナ表記で統一することにしたという経緯があります。
 さて、今回のテーマは「ライツホルダー」です。前回の「ヒューマン・ライツ」と比べると馴染みの薄い言葉かもしれませんが、それは文字どおり、「権利(ライツ)」を「もっている人(ホルダー)」を指します。権利については前回も人類史をふり返りつつ述べましたが、この抽象的な概念にどこかしっくりこない感覚をもつ人も少なくないでしょう。多くの人々は自分が権利を行使できるのだということを普段の生活ではさほど意識していないかもしれませんが、いざという時に権利を行使する備えは必要です。「ライツホルダー」は、「権利は行使できるものとしてあなたと共にある」ということを、特に社会的弱者と呼ばれる人々や次世代に伝えるための原則として掲げられています。
 実際に日本では、特に若者層において、世の中をよりよくしていくための意識が決して高いとは言えません。国際比較調査では、自分の行動で国や社会を変えられると思っている若者が他国と比べて極端に低いことが示されています。アメリカやインド、中国では、8割前後の若者が国や社会を変えられると思っているのに対して、日本は3割にも満たないというありようです (*1)。社会は自分たちで創るものであり、理不尽なことがあれば、権利を行使して行動すれば変えられるのだという実感を若者がもてるようになることは、持続可能な日本社会を形成する上で喫緊の課題だと言えましょう。

図1図2

出典:聖心女子大学グローバル共生研究所(https://kyosei.u-sacred-heart.ac.jp/unesco2023/

偏見の芽を摘むことの大切さ

 カードの表(おもて)面(図1参照)を見ると、次のように書かれています。「どんな違いがあろうとも だれもが差別されない権利をもっている 学びによって すべての人を 『権利をもつもの』として 力づける」。この中の「違い」は裏面(図2参照)に記載の「人種」から「障がい」に至るまで、人類が差別を正当化してきた「理由」上の違いを指しています。
 ユダヤ人の大量虐殺が行われたアウシュビッツはその典型例ですが、人類はいわれのない理由づけをして特定の人々を差別し、排除し、理不尽な死に追いやってきました。人類史を通して繰り返されてきた惨事を再び起こさないためにもこの勧告は重要であり、それはライツホルダーとしての意識をもつことから始まるのです。学習者がいざという時にカードの裏面の二次元コードにあるような条約や基本法に立ち戻れるように、教師をはじめとした教育者がその意義について次世代に伝えておくことは、持続可能な未来と平和を実現するESDの本質的な使命であると言えましょう。
 さて、今回のカードにも3つの問いが掲載されています。

何気なく偏見をもったり差別したりしていた自分に気づいたことはありますか?
なぜ偏見や差別は生まれるのでしょうか?
学習者の誰もが、自分が「権利をもつもの」なんだと自覚できるようになるためには、どうすればよいのでしょうか?

 皆さんはこれらの問いにどのように答えるでしょうか。ここでは、この教材を用いて実施した、一般市民対象のワークショップで実際にどのような答えが共有されたのかをお伝えします。
 ①から③は、自分または身の回りに起こった実際の体験から考え始めてもらい、次に根源的な問いへといざない、最後に行動に結びつく問いかけをするという構成になっています。①では、思い込みによって相手を傷つけてしまった経験、すなわち、マイクロアグレッション(小さな攻撃性)と呼ばれる言動について無自覚であったことなどが共有されてきました。例えば、「女なのにおしとやかではない」や「男のくせに泣き虫だ」や「日本人なのに礼儀正しくない」などです。これらは悪意がなかったとしても、放っておくとユネスコ教育勧告でも毅然と対応することが求められているヘイトスピーチにもつながっていく可能性を秘めており、教育の場では重要な課題です。
 ②は、人類史から消えたことがない偏見・差別は人間であれば誰もがもってしまう生得的な特性であるという意見や、生まれた時にはタブララサ(白紙状態)であるのに偏見は文化的に習得されるという経験論が共有されていました。
 ③は、家庭や学校で日頃から偏見という人類の「落とし穴」を伝えていくことの必要性や子どもの権利条例などを街全体でもつことの大切さ、さらには父権的な家庭や企業内の文化を問い直すワークショップを開くことなどが挙げられていました。

大切なスキル習得やトレーニング

 学習者の誰もが、ライツホルダーとしての意識をもつためにESDにおいて「批判的思考(クリティカル・シンキング)」は重要です。これは「国連ESDの10年」の当初から一貫して重視されてきた「思考スキル」の1つです。なにも他者などを否定したり、攻撃したりするのではなく、客観的・多角的にものごとを見て、冷静な判断へと導く力です。もちろん発達段階を踏まえた学習は重要ですので、特に小学校中・高学年くらいから重視していくとよいでしょう(参考文献1)。
 また自分には権利があるということを主張できるようになるためのトレーニングも必要でしょう。権利があると知りながらも、それを伝える術がないとなると、事態の改善は望めません。とくに日本では謙虚さや慎ましやかさが美徳とされる見方が強いためか、場合によっては、権利を侵害されながらも我慢し続けるという場面も珍しくありません。その意味で自他尊重のコミュニケーションは重要であり、自己と同時に他者も尊重するアサーション(自己表現)の方法を身につけることも大事な課題であると言えましょう(参考文献2)。

「ライツホルダー」イラスト解説

「ライツホルダー」「権利をもつもの」、

エッセンスにあるこの言葉を読ませていただいたときに

「権利(right)=光(light)」のイメージが浮かび、
人が「光」を持っている絵にしたいと思いました。
またその「光」は普遍的な「星」のイメージでもありました。
高く掲げたこの星が誰かを「力づける」ものであれたら、

そんな想いを込めてこのイラストのタイトルを
「star(スター)」としました。

©Kei Ikeda

【参考文献】

  1. E. B. ゼックミスタ、J. E. ジョンソン著(宮元博章ほか訳)(1996)『クリティカルシンキング 入門篇: あなたの思考をガイドする40の原則』北往路書房
  2. 平木典子著(2012)『アサーション入門―自分も相手も大切にする自己表現法』講談社

*1:日本財団(2024)「18歳意識調査『第62回 –国や社会に対する意識(6カ国調査)–』報告書」
https://www.nippon-foundation.or.jp/wp-content/uploads/2024/03/new_pr_20240403_03.pdf

「ユネスコ教育勧告」のエッセンス(その2) 「ヒューマン・ライツ」

わたしたちはみな、生まれながらにして自由です。
ひとりひとりがかけがえのない人間であり、その値打ちも同じです。
だからたがいによく考え、助け合わねばなりません。

「世界人権宣言第1条」谷川俊太郎訳

 1年半ほどの長丁場になりますが、ユネスコ教育勧告(*1)の「14の主導原則」を、カード教材を用いて1つずつ紹介するシリーズが前号からスタートしました。毎回、各カードに添えられたイラストを描いて下さった池田系さんによる「イラストに込められた想い」も綴っていただきます。紹介文と併せて読んでいただければ幸いです。

図1図2

出典:聖心女子大学グローバル共生研究所(https://kyosei.u-sacred-heart.ac.jp/unesco2023/

長い歴史を経て醸成された人権意識

 新シリーズ「ユネスコ教育勧告のエッセンス」の第2弾のテーマは「人権(ヒューマン・ライツ)」です。人権ほど古くて新しい課題はないと言っても過言ではないほどに、それは人類史を通して意識化されてきた重要な共通課題の1つです。
 まず、カード表(おもて)面(図1参照)の「超訳」に注目したいと思います。これは裏面(図2参照)に書かれた原文を意識してつくられたものですが、同勧告を親しみやすくするために大胆な訳出がなされています。「人類は長い時間をかけて約束事をつくってきた」の中の「長い時間」については、国王の専制からの自由を主張した「マグナカルタ(大憲章)」(1215年)以来という見方もできれば、法のもとでの秩序を唱えたとされる「ハンムラビ法典」(紀元前18世紀)まで遡るべきという見方もできるでしょう。幾重の苦難を経て人類が獲得したこれらの「約束事」は受け継がれ、17世紀以後の啓蒙思想を経て「フランス人権宣言」(1789年)、さらには国家や文化を超えてすべての人に適用される「世界人権宣言」(1948年)へと結実していきます。
 ところが、こうした「約束事」を唱えても人権侵害は依然として続いているという見方をされても仕方ないほどに人類の体たらくは目に余るものがあります。そこで「教育によって人権に命がふきこまれる」という一文が重要になります。つまり、人権宣言などをお題目に終わらせず、私たちの暮らしの中で具現化するのに何よりも大事なのは教育なのです。
 ちなみに、半世紀ほど前に採択された元祖「国際教育勧告」(*2)(「学び!とESD」Vol. 50参照)でも「人権」は最も強調された概念のひとつでした。今回の改定版もその姿勢は不変であり、次のような表現が使われています。

教育では、戦争、侵略、あらゆる形態の暴力、人権侵害を防止し、それに対処することの重要性が強調されなくてはならない。(中略)教育はまた、人種差別主義、外国人嫌悪(ゼノフォビア)、あらゆる不寛容、ならびに差別、暴力を扇動するあらゆる行為やイデオロギーと闘う活動を推進すべきである。(参考文献6.)

 さして遠くない時期にこの勧告の実施状況が評価されることになっています。各国で自国(民)第一主義が闊歩する時代になりましたが、そうした国々に対しても言わずもがな、その国々で行われている人権に関する教育が上記の毅然とした文章と照らし合わされ、評価されることになっているのです。

日本の諸課題

 人類は悲痛な大戦を潜り抜けて人権という意識を醸成してきましたが、上で述べたとおり、それをいかに自分ごととして次世代が捉えられるようになるのかが学校の課題となっています。このカード(2024年版)は、まず教師をはじめとする大人たちが人権という意識を自身に引きつけて考えるためにつくられており、次の3つの問いを設けています。

身の回りで人が大切にされていないと感じるのは、どんな時ですか?
国連機関によって日本は人権に関して改善すべき点があると指摘されています。あなたはどう考えますか?
「子どもの権利条約」を活かす学びの場にするためには、どうしたらよいでしょうか?

 これまでに実施したカード型教材を用いたワークショップでは、①の問いに対して、車内で席がなく立ち続けているお年寄りや駅の改札機を通る時に苦労を強いられる左利きの人などの日常場面から、ネット上の誹謗中傷まで色々な意見が挙げられていました。
 3つの問いは徐々に日本、そして世界の問題へと意識を広げる構成になっています。日本の問題に関しては、一般にはそれほど知られていないようですが、国内の子どもや女性、さらには移民・難民に至るまで、国際機関から実にさまざまな改善の必要性が指摘されてきました。近年でも総括所見という、条約を守るために各国がすべきことを示した勧告が日本にも出されています。例えば、2019年に「国連子どもの権利委員会」が日本の子どもの相対的貧困率の高さを指摘しています(参考文献1.参照)。さらに、2022年には国連の障害者権利委員会が障害者権利条約の条文と日本の政策や法制との隔たりを指摘しています。加えて、2024年に国連女性差別撤廃委員会は、差別禁止に関する包括的な法律や人権機関が日本国内に存在しないという問題点をあげました。また、各国の男女格差を示すジェンダーギャップ報告書において、日本が146カ国中118位と、依然として低迷状態が続いていることも問題視されています(参考文献2.参照)。
 旧勧告も数年おきにレビューが行われていましたが、既存の法律制度の存在をもって「対応済み」と回答されるなど、問題点が残されているにもかかわらず現状が是認される傾向は否めませんでした。新たな勧告文に194カ国が合意した現在、これまでの半世紀を繰り返さないためにもカードの意訳にある「命がふきこまれる」努力を続けることが重要になります。
 たしかに勧告や総括所見そのものには法的拘束力がないという指摘もあります。しかし、一方で日本国憲法第98条には締結した条約や国際法を「誠実に遵守」すると記されています。ユネスコ教育勧告に関して、問われるのはまさにこの「誠実さ」だと言えましょう。

「ヒューマン・ライツ」イラスト解説

エッセンスの文中にある「命」という言葉を読んだ時、
直感的に植物の芽が浮かびました。
二本の指で挟まれた小さな芽からは細い根が伸びています。
この芽と根に「人権の命」、全ての生きとしいけるものの命、
そして宇宙全体の生命をイメージしています。
このイラストのタイトルを「sprout(芽)」としました。

©Kei Ikeda

【補記】

このカード教材の「先輩」として、アムネスティ・インターナショナルによる世界人権宣言を学ぶ教材や、ユニセフによる子どもの権利を学ぶ教材があります。いずれも人権の大切さを伝える優れた媒体であると言えましょう。上記の3つ目の問いにある「子どもの権利条約」については、参考文献3.をご覧ください。また冒頭に掲げた文章は、世界人権宣言を大胆に意訳した詩人、谷川俊太郎によるものです。詳細は参考文献4.をご覧ください。

【参考文献】

  1. 公益財団法人 日本ユニセフ協会「国連子どもの権利委員会「最終見解」(2019年2月)」
    https://www.unicef.or.jp/osirase/back2019/1902_12.html
  2. 内閣府男女共同参画局「ジェンダーギャップ指数(GGI)2025」
    https://www.gender.go.jp/international/int_syogaikoku/int_shihyo/index.html
  3. 公益財団法人 日本ユニセフ協会「カードで学ぼう!子どもの権利条約第1〜40条」
    https://www.unicef.or.jp/crc/card/
  4. アムネスティ・インターナショナル日本「わかりやすい世界人権宣言(谷川俊太郎訳)」
    https://www.amnesty.or.jp/lp/udhr/#
  5. 「わたしたちがつくる平和・人権・持続可能な開発:日本のエデュケーターのための14のエッセンスと42の問いかけ(ユネスコ教育勧告カード型教材)」聖心女子大学グローバル共生研究所
    https://kyosei.u-sacred-heart.ac.jp/unesco2023/
  6. 「平和と人権、国際理解、協力、基本的自由、グローバル・シティズンシップおよび持続可能な開発のための教育に関する勧告」(日本国際理解教育学会有志による暫定訳(修正版))
    https://kokusairikai.com/wp-content/uploads/2025/03/提出版再再修正.2023年ユネスコ勧告「暫定訳修正版」.pdf

*1:正式名称「平和と人権、国際理解、協力、基本的自由、グローバル・シチズンシップ、持続可能な開発のための教育に関する勧告」
*2:正式名称「国際理解、国際協力及び国際平和のための教育並びに人権及び基本的自由についての教育に関する勧告」

「ユネスコ教育勧告」のエッセンス(その1) 「共通善(コモン・グッド)」

世界の多くの場において国家や非政府の多様な関係者が協力して
公教育の公共性を保障していることを忘れてはなりません。

(UNESCO 2021, p.109.)

 今号から新たなシリーズをはじめます。2023年のユネスコ総会で半世紀ぶりに改定された「ユネスコ教育勧告」(正式名称「平和と人権、国際理解、協力、基本的自由、グローバル・シチズンシップ、持続可能な開発のための教育に関する勧告」)には、勧告のエッセンスとも言える「主導原則(guiding principles)」が14あります。今号から、カード型教材(日本国際理解教育学会と聖心女子大学の有志による共同開発)を用いて一つひとつの原則に解説を添えていきます。また、すべてのカード教材には素敵なイラストが描かれており、その一つひとつの作品についてもイラストレーターの池田系さんに解説をしていただきます。
 このカード型教材は、表(おもて)面(図1参照)に、主導原則のキーワードと同勧告の該当箇所の意訳、3つの問いを載せ、裏面(図2参照)に各主導原則の原文(英語)と邦訳を載せています。カードによっては、参考になる情報の二次元コードが載せられているものや表面の作品をもとに描かれたイラストが添えられているものもあります。

図1図2

出典:聖心女子大学グローバル共生研究所(https://kyosei.u-sacred-heart.ac.jp/unesco2023/

 今号は第一弾の「コモン・グッド」です。このカード(2024年版)には次の3つの問いが記載されています。

誰もが受けられるはずの教育を受けられない人々がいます。どんな人々でしょうか?学校のほかで教育を実現する場にはどのような所がありますか?(裏に資料)(*1)
近年、民間の情報産業や企業が公教育に大きな影響力をもち、サービス産業化されているという見方がなされるようになりました。あなたはこのことについてどう考えますか?
近ごろ、教育は私的なものという考え方が広まっているように見受けられます。教育を社会の共通の財産(common good)としていくためには、どうしたらよいのでしょうか?

 さて、皆さんはこれらの問いにどのように答えるでしょうか。ここでは、この教材を用いて実施した、一般市民対象のワークショップで実際にどのような答えが共有されたのかをお伝えします。
 ①の問いに対しては「インドで労働を強いられている少女」「戦禍のガザで暮らす少年」「日本語習得が不十分なまま日本の公立学校に通う外国籍の子ども達や不登校の子ども達」が具体例として挙げられていました。世界には飢餓状態や戦争などで教育が受けられない子どもたちがいる一方で、日本では教育を受ける権利が保障されているにもかかわらず自ら学校教育を受けない子ども、つまり不登校の子どもたちが34万人以上もいるのはなぜだろう、という更なる問いへと誘われたグループもあったようです。また学校以外の教育の場としてはフリースクールの他、お寺なども挙げられていました。確かに江戸時代など、寺子屋としてお寺は各地で重要な役割を担ってきました。
 ②と③の問いになると、回答者は社会全体のトレンドに視野を広げることが求められます。特に巨大なIT企業が学習用のアプリやAI教材を提供し、自治体もそれを公的に採用する例が増加している状況は、グローバルな課題を生んでいます。1人1台のタブレット端末が普及したことは利点もある一方で、公教育がEdTech産業の顧客囲い込みの場になっているのではないかという批判もあります。
 以上から、「共通善」や「公共財」と訳され(同勧告では「公共かつ共通の善(public and common good)」も使用されています)、カード上では「社会の共通の財産(タカラモノ)」と解釈されている「コモン・グッド」は複数の文脈で語られていることが分かります。つまり、人間らしい(decent)生活を送るための基盤となる教育が保障されているかどうかという、しばしば途上国や貧困地域の教育課題として語られる文脈と、市場が及ぼす教育への影響によって公正性が担保されなくなるのではないかと懸念される文脈です。これらの「共通善」をめぐる情勢はかつての先進国と途上国という境界線が曖昧になった現在、テクノロジーの進展も相まって、やや複雑な様相を呈しています。

 人類が進歩すれば、誰もが教育を受けられるようになり、平和な社会も築かれる。そう信じて、ユネスコをはじめとした国際機関は学校教育の普及に努めてきました。ところが、近年、学校は普及したにもかかわらず、教育が保障されていない子ども・若者が地域によっては増えています。
 日本も例外ではありません。全国の隅々まで学校は普及しましたが、皮肉なことに、通学・就学を拒む子ども・若者は増加の一途を辿っています。特にコロナ禍を機に不登校の子どもは急増し続けており、義務教育段階で35万人近くの子どもが、高校段階も含めると41万人以上の子ども・若者が学校に通っていません。
 世界的に、質の高い教育を受けられる層とそうでない層との格差が広がる傾向が指摘されています。教育機会が等しく人々に保障されていないという問題は、コロナ禍以前から国際的に指摘されていました。ユネスコ教育勧告が採択される2年前にユネスコが刊行した画期的な報告書『私たちの未来を再想像する』(「学び!とESD」Vol. 31)では、中国、インド、北米、ロシア等、各国内における不平等の拡大に関する問題に焦点が当てられており、大半の国々で資本が公的な所有から私的な所有にシフトしてきた結果、貧しい人々が社会的に排除されてきた問題が強調されています(UNESCO 2021, p. 24)。こうした格差や不平等は、特にコロナ禍の時期に顕在化し、だれも取り残されないことを標榜するSDGsなど、予断を許さない情勢にあるといえましょう。
 このような状況下で前述の報告書では、共通善としての教育の原則はグローバルな責務と密接に関わっていることが強調されています(p.136)。COVID-19へのワクチン開発においては科学者らの協力を通して従来にないほどの迅速さをもって対応できたにもかかわらず、その分配においては全く公平性を欠く事態がそこかしこに見られました。報告書では、同様に、教育支援についても格差が生じてしまったことに対して厳しく問いています。
 ユネスコ教育勧告の審議がスタートしたのはコロナ禍の只中、つまり教育へのアクセスの不平等や教育格差の拡大が世界的に問題視されている時でした。14の主導原則(このシリーズでは「エッセンス」と称します)のうち、条文の中で最初に掲げられているのが共通善であることは、こうした時代背景を踏まえると首肯できます。
 以上は、国家による教育への平等なアクセスと質保証の問題ですが、他方で市場からの教育への影響力も近年、急速に増大しており、各地で育まれてきた「タカラモノ」が崩されてしまうのではないかという懸念も広がっています。特にITやAIを通した教育のサービス産業化の結果、利便性の促進、思考過程の効率化、関心事の個別最適化などが進み、本質的に手間暇のかかる人間形成や民主主義の構築、共生などの教育の本質的とも言える課題意識が後退する可能性が指摘されています。
 このカードのイラストに描かれた書物をめくる手の行為や時間をかけて知識を内在化していく学びのあり方、そしてその過程で育まれてきた民主主義や協力・協働などの価値観はますます希少性を帯びていく時代になるのかもしれません。

「コモン・グッド」イラスト解説

最初のエッセンスに綴られた「タカラモノ」という言葉を
「本(書物)」として読み解き、このイラストを描かせていただきました。
人類は古代よりあらゆる「知」を書物に記し伝承してきました。
「紙を指で捲る」という尊い行為を次の世代に、
そして未来に繋いでいけたらという思いを込めて
このイラストのタイトルを「BOOK」としました。

©Kei Ikeda

【参考文献】

*1:「日本国憲法」条文抜粋
https://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/about/a002.htm

EFAとの比較から浮き彫りにされるESDのかたち 〜いまふり返るESDの重要文献(その1)〜

 ESDが国連のフラッグシップ事業としてスタートして以来、かれこれ20年が経ちました。「国連ESDの10年」(以下、「10年」と略)以後の歴史をふり返ると、注目度は決して高くはなかったものの、そこに込められた主張やキーフレーズがESDの今後を吟味していく上で貴重であるという論文や報告書がいくつかあります。‘ESD for 2030’(「学び!とESD」Vol.07, Vol.08, Vol.09)も後半に差し掛かった現在、それらをいま一度吟味することは大事な作業となるでしょう。これまでの「ヒューマンとノンヒューマン」等のシリーズに加えて、「いまふり返るESDの重要文献」も不定期のシリーズとして今号から始めます。
 「重要文献」のトップバッターは「EFAとESDの対話」(原著:EFA-ESD Dialogue: Education for a sustainable world (Education for Sustainable Development Policy Dialogue No.1) , UNESCO)です。EFAとは ‘Education for All’ の略記であり、通例、「万人のための教育」または「教育をすべての人に」と訳されます。すべての人々に基礎教育の機会を保障することを目指し、ユネスコ、ユニセフ、世界銀行、UNDP(国連開発計画)などの協力のもと、各国政府や自治体、民間組織が共に学校教育や成人識字教育を世界的に広めていった運動です。1990年にタイのジョムティエンで開催された「万人のための教育世界会議」でその重要性が宣言されました。SDGs(持続可能な開発目標)の4番目の目標として掲げられたESDやジェンダー教育などの比較的新しい教育が推進できるのも、EFAによって築かれた基盤があってこそである、という見方もできるでしょう。
 さて、なぜ60ページにも満たない上記の冊子が重要なのでしょう。それは、ESDの本来の特徴がEFAとの比較によって明らかにされているからであり、またESD誕生から20年以上経った今、その本義をいま一度確認することが必要になってきた世界情勢下に、私たちが置かれているからだと筆者は捉えています。
 著者はロス・ウェードとジェニス・パーカー。共に英国の大学で研究する教育学者です。ウェードは2011年に来日し、ユネスコアジア文化センターによるESDの会議で講演したこともある、国際的にも活躍する論客です。
 この冊子が刊行されたのが2008年ですから、すでに「10年」がスタートして4年が経っており、運動としてもその特徴を広くアピールしてより拡充していきたい時期にあったと言えます。
 冊子の基調トーンは、EFAという「先輩」に敬意を表しつつも、ESDをより明確に特徴づけて、その意義を広めることに見出せます。その表現は丁寧ではありますが、EFAの旧態依然たる性格を所々で批判している論考でもあります。EFAに比べてESDの特徴はその守備範囲の広さであると述べ、それは持続可能な未来に向けた態度・価値観・行動の変容を前提としているため、量的拡大のみならず質的拡充も優先される、とESDを特徴づけています。
 ここでEFAは決して量的拡大のみに終始した実践ではなかったことは、筆者もその一端に民間組織の識字運動に携わった経験からも強調しておかねばなりません。とはいえ、その運動は全体として、量的な指標が大きな影響力を持ち、就学率や識字率という数値目標が政策を左右したことは否めず、ウェードらが教育の質を強調するのも理解できます。
 さらに、EFAは「開発モデル」として目されるがゆえに、どうしても支配的な開発のあり方、つまり経済成長というモデルの影響から逃れられない。その一方で、ESDは開発のあり方や方向性そのものに対して疑義の眼差しを向けるところにその特徴がある、と指摘しています。これは「学び!とESD」Vol.08でお伝えしたスターリンの主張とも重なり、先を見通した主張だと言えましょう。
 EFAは教育を通した貧困削減を目標に掲げる一方で、ESDはそれだけでなく貧困予防も視野に入れた教育である、とも述べられており、以下の表のように各々の特徴が区分けされています。ウェードらは建設的にEFAとESDの特徴を共に活かすことでシナジーを生み出すことを強調していますが、教育機会を万人に保障することが最も優先された時代に、教育の方向性や質を強調したESDは、物議を醸すようなメッセージをもって生まれた時代の申し子だったのです。

EFA

ESD

価値

人権に関する価値

人権も含めた諸々の価値

スキル

職業上の基礎技能

批判的思考やシステム思考、世代間や未来に関する思考

表1 貧困問題の解消をめぐるEFAとESDの特徴
出典:Wade and Parker (2008), p.17をもとに筆者作成

 こうしたESDならではの特徴をユネスコスクールはじめ、ESDを実践する学校や地域活動が体現できているのかどうか、いま一度、確かめてみる必要があるのではないでしょうか。
 このようなメッセージを内包した教育運動であったESDはさぞかし理想をもって勇猛果敢に推進されたように思われるかもしれませんが、当時、ユネスコ本部の国際委員会のメンバーであった筆者からすれば、実際は決してそうではありませんでした。その推進過程は常に試行錯誤だったと言えます。以下に記すように、上記のような批判の対象ともなっていたEFAの専門家にESDの論客たちが助言を求める場面もあったのです。

 今となっては教育運動としてのESDの逸話になるのでしょうか、ESDはEFAに助けられた場面もありました。というのは、筆者が「国連ESDの10年」のモニタリング評価専門家会合(MEEG)のメンバーとして日本政府から年に2回の定期会議に派遣されていた頃は、ESDが各国であまりにも広まらない(知られない)という課題に同会合は直面していました。「学び!とESD」で引用されてきたスターリンやウォルスなど、世界で知られるESDの論客が集まってもなかなか乗り越えられない難題でした。
 そこに、ユネスコ本部事務局の取り計らいで、EFAを牽引してきた先達の専門家が同会合の会議室に来て助言をしたことがあったのです。曰く、「あなたたちにはピンポイント(ウリ)がない」と。EFAは就学率や識字率の向上というターゲットが共通の認識になっていたがゆえに、教育運動としてやるべきことが明確でしたが、上記の変容を目指すESDの成果は目に見えにくいし、価値観の変容という成果を実感できるまで数年単位の時間がかかるのだ、と。そこで伝えられた具体的なアドバイスは、前述の「守備範囲の広さ」ゆえに「なんでもあり」になってしまいがちなESDを焦点化することでした。具体的に挙げられたのは、「気候変動、生物多様性、防災(災害リスク削減)」という3本柱を掲げるアクチュアルな運動の推進です。その後、「10年」の後半に入り、この3点が強調されながらESDは推進され、地球温暖化の深刻化も相まって、気候変動教育がESDを凌駕するほどに重視される時代になっていったのです。当時、国際的な運動の渦中にいた筆者にとって、それは「親子が逆転」したかのような印象を受けたのでした(「学び!とESD」Vol.18 を参照)。

【参考文献】

  • Wade, Ros and Parker, Jenneth (2008) EFA-ESD Dialogue: Educating for a sustainable world.
    (Education for Sustainable Development Policy Dialogue No.1). UNESCO

ノンヒューマンから教わる超越と根源の感性 ~ヒューマンとノンヒューマン~(その7)

根源を照らす月の光

 前号に続いて紹介する「ノンヒューマン・シリーズ」(*1)の絵本『つきはかがやく』は、ドイツの人気作家ブリッタ・テッケントラップによる「しかけ絵本」です。夜空に浮かぶ月が、森や草原、海や空など、さまざまな場所を静かに照らしながら、物語は展開していきます。ページをめくるごとに月は満ち欠けし、ラメ加工によって金色にきらめきながら登場します。自然界のリズムや命の循環を象徴する月が、読み手に穏やかな感覚を呼び覚ましてくれるのです。
 本作では、優しい文章と繊細なイラストによって、月明かりのもとに息づく動物たちや生き物の姿が描かれています。夜の静けさに包まれた世界の営みを通して、私たちはふだん見過ごしがちな自然や命の根源的なつながりに触れることができます。詩情あふれる一冊が、読み手の感性にそっと語りかけてくれるでしょう(*2)

『つきはかがやく』ひさかたチャイルド、2023年
パトリシア・ヘガティ(文)、ブリッタ・テッケントラップ(絵)、
木坂 涼(訳)

 月は古来より、世界のさまざまな文化において、神秘や変化の象徴とされてきました。満ち欠けを繰り返し、潮の満ち引きをもたらすそのリズムは、私たちの心にも静かに響きます。この絵本は、そうした月の光を通して、人間もまた自然の一部であることを、そっと思い出させてくれるのです。
 月明かりに照らされる木々や虫たちの営みは、目に見える世界の背後に脈打つ、根源的な生命のリズムを映し出します。こうした感覚は、私たちが地球という生命の大きな流れの中に生きているという気づきを促し、すべての命に向けた謙虚なまなざしを育ててくれるでしょう。

「ブタヤマサン」にみる超越的な存在

 一方、長新太の人気作品『ブタヤマさんたら ブタヤマさん』は、私たち人間の身近な世界に潜む、目に見えない不思議な力を感じさせてくれる絵本です。蝶々とりに夢中なブタヤマさんの後ろには、虫や鳥、さらにはオバケまでもが現れ、ブタヤマサンの名前を呼びながらついてきます。特に劇的な出来事が起こるわけではなく、彼らは不気味さと親しみが入り混じる不思議な存在として、終始静かに描かれます。物語の終盤、ブタヤマさんは「なあに どうしたの なにか ごよう」と呼びかけますが、そこには誰の姿もなく、ただそよ風だけが吹いています。声なき声に耳を傾けるようなこの結末は、読み手に深い余韻を残して終了します。

『ブタヤマさんたら ブタヤマさん』文研出版、1986年
長 新太(著、絵)

 この絵本を愛した臨床心理学者・河合隼雄は、京都大学退官時の最終講義でその魅力を紹介し、理屈では説明できない力や、心の深層にある不思議な世界とのつながりの大切さを語りました。因果では割り切れない感情や経験が、人間の心の営みにおいて大きな意味をもつように、絵本に描かれた「誰とも知れぬ存在」との出会いは、超越的なものへの畏敬や信頼の感覚を呼び覚まします。そうした感覚は、私たちの精神の深みを豊かにし、生きる力の源になるのです。

絵本が教えてくれるもの

 これまでの「ノンヒューマン・シリーズ」でも繰り返し取り上げてきたように、環境教育やESDの学びには、ノンヒューマン的な世界を尊重する感性が欠かせません。『つきはかがやく』と『ブタヤマさんたら ブタヤマさん』の両作品は、私たちに見えない世界を感じることの大切さや、自然や人間を超えた存在と出会う感性をやさしく示しています。これらの絵本を通じて、子どもたちは生命の神秘や世界を取り巻く多様な存在に対して、畏敬の念や親しみの気持ちを育んでいくことができるでしょう。
 しかしながら近代社会においては、自然を単なる資源として捉え、客体化・操作可能な対象とみなす態度が広がったことが、人間と自然の断絶や環境破壊の一因となっています。だからこそ今の教育には、『つきはかがやく』や『ブタヤマさんたら ブタヤマさん』に表れているような、超越性や根源性を感じ取る感性が重要になります。見えないものに耳を澄ませ、存在を信じる力を育むことは、世界の深い響きを感じ取る力を養い、科学的知識に劣らない、持続可能な未来に向けた学びの土台となるのです。
 人間を超えた存在に触れる経験は、現代教育で軽視されがちな「非科学的」な価値を見出し、単なる知識や技能の習得を超えて世界との関係性を深く見直す機会となります。こうした感性は、私たちが自然から切り離された機械的な世界観を乗り越え、命の響きを手がかりに持続可能な社会を築くうえで、欠かせないものなのです。

*1:「学び!とESD」<Vol.49> <Vol.52> <Vol.53> <Vol.59> <Vol.60> <Vol.67> に続くシリーズ。
*2:ひさかたチャイルドホームページの絵本紹介より:
https://www.hisakata.co.jp/book/detail.asp?b=049286

【参考文献】

  • 河合隼雄著(2013)『こころの最終講義』新潮文庫
  • Pang, H., & Hegbrook, T.(2019)The Moon, 360 Degrees