1.はじめに
目の前の2年生の児童との授業を重ねる中で、最も大切にしたいと感じたのは、善悪の判断ができ、進んで「よい」と思うことを実行できる児童の育成である。学習指導要領における第1学年及び第2学年の内容に「よいことと悪いことの区別をし、よいと思うことを進んで行うこと。」と示されており、これはまさに低学年の児童に育てたい力である。
道徳科の内容項目「善悪の判断」は、指導にあたっては、次のような点が重要であると考える。
①抽象的な概念ではなく、身近な生活体験をもとに考えさせること
②「みんながやっているから」ではなく人としての正しさや公正さを基準に判断させること
③考えたことを実際の行動に結びつけようとすること
「善悪の判断」は、単に道徳的知識を理解するだけにとどまらず、児童が自らの行為を省み、よりよい生き方を模索するための基礎となる価値である。また、学習指導要領解説において、「善悪の判断」が最初の内容項目に位置づけられているのは、児童が自分の行為を律する態度を形成することが全ての道徳的実践の出発点であり、道徳性の育成の基本となる学びだからだと考える。
本実践では、この「善悪の判断」を扱った道徳科の授業を通して、児童が日常生活の中で「これはよいことだろうか。」「どうすればよかったのだろうか。」と自ら考え、迷いながらも自分なりの答えを導き出そうとする態度を育みたいと考えた。その過程を通して、児童一人一人が自分の感じ方や考えを大切にし、自分の軸を少しずつ強くしていくことを目指した。
2.6つの提案をもとにした実践
提案1 主体性をもった導入のあり方
本時では、児童が自分自身の生活を振り返りながら学習に主体的に取り組むことを大切にした。導入では、「正しいことだと分かっていても、なかなか行動できないことってありますか?」と問いかけ、児童の日常を振り返らせた。児童はそれぞれの経験を思い出しながら、「ある。」「ない。」と反応し、自分なりの状況を思い浮かべていた。そのうえで「今日のお話には、みんなと同じように思い悩んでしまう、まり子さんという女の子が出てきます。まり子さんの悩んでいる様子を、みんなで一緒に考えてみたいと思います。まり子さんになったつもりで、みんなで話し合いたいところに線を引きながら聞いてください。」と語りかけた。このような導入を設定した意図は、児童が登場人物の心情を自分の体験と重ねながら教材に入り込むことをねらったものである。自らの経験を手がかりにしながら教材に向かうことで、まり子の葛藤を「自分にもあり得ること」として捉え、自分ごととして考えることができるようにしたいと考えた。加えて、教科書に線を引かせる活動を取り入れ、児童が「まり子さんの気持ち」や「自分が共感した部分」を視覚的に捉え、自分の思いを可視化できるようにした。これにより、児童は教材を読む過程で自分の感じ方を整理し、あとの話し合いの場面でも自分の考えについて根拠をもって表現しやすくなると考えた。
以上のような導入によって、児童が教材の内容を自分の生活と重ね合わせながら主体的に読み進め、登場人物の葛藤を通して「善悪の判断」について深く考える基盤をつくることができるようにした。
提案2 発達の段階に合わせた教材提示の工夫
道徳科の授業では、教材の理解度によって、児童の考えの深まり方や道徳的価値の理解の程度に大きな差が生まれる。特に低学年では、登場人物の心情の変化や場面の関係を把握する力がまだじゅうぶんに育っていないため、教師がどのように教材への導入や読みを支援するかが重要となる。
教師が教材を範読した後、児童が何度も本文に戻りながら読み直し、内容を確認していく授業が多く見られる。しかし、この方法では、内容理解になってしまい、国語科での読み取りの学習のようになってしまうおそれがある。道徳科の学習で大切なことは、登場人物の行動や心情を正確に読み取ること以上に、その行間に込められた意味や人間としての在り方を、自分自身に置き換えて考えることである。そのため、本実践では、児童の発達の段階に応じて、教材の全体像を短時間で把握できるように工夫した。具体的には、挿絵を用いながら登場人物の行動や場面の移り変わりを黒板上に整理し、視覚的に理解できるようにした。こうした提示は、文字情報だけでは内容を把握しにくい低学年の児童にとって、物語の流れや登場人物の心の動きを捉える手がかりとなる。
また、教師が挿絵を順に示しながら、登場人物の表情や動作に着目させることで、児童は「まり子さんはこのとき、どんな気持ちだったのだろう。」「もし自分だったらどうしただろう。」といった内面の問いを自然にもち始める。このような支援により、児童は登場人物を単なる物語上の存在としてではなく、自分と重ね合わせて考える対象として捉えることができるようになる。結果として、児童は教材を表面的に理解するのではなく、登場人物の葛藤や選択を通して「善悪の判断」という価値を自分自身の課題として捉え直す姿が見られた。これは、発達の段階に応じた教材提示の工夫が、道徳的価値の理解を深めるうえで有効に機能したことを示している。
提案3 話し合う場面の焦点化
児童が教材のあらすじを把握した後、登場人物の心情の揺れに焦点を当て、深く考えるための話し合いの場を設定した。導入で教科書に話し合いたいことについて線を引いたことを想起させ、「どの場面で、まり子さんが一番困っていたのか。」を話し合った。教師は児童の共感や疑問の多かった3つの場面を黒板上で整理した。すなわち、①「かずみさんに『だれにも言わないでね。』と言われた場面」、②「としおさんが靴を元通りにしてくれたのに、なぜか心がくもっている場面」、③「お母さんの言葉を思い出し、『そうだ、勇気を出そう。』と決心した場面」である。これらの場面は、児童自身が「気になる」「考えてみたい」と感じた部分であり、教師が一方的に選んだのではなく、児童の声を基に選んだ場面だった。このように、児童が自ら話し合いたいことを選択することは、児童が主体的に考えようとする意欲を高めるうえで極めて有効である。自ら「考えたい」と感じた場面であるからこそ、児童は登場人物の心情を自分の経験と照らし合わせながら深く考えることができる。さらに、教師があらかじめ教材研究を重ね、どの場面に道徳的価値の核心が表れているのかを的確に把握しておくことで、児童の発言を生かしながら、ねらいとする価値理解に自然に迫る授業展開が可能となる。
このように、話し合いの場面を児童の実感に基づいて焦点化し、教師が学級全体で考え、話し合う方向性を整えることで、児童は自分たちの話し合いに見通しをもって可視化して授業することができた。
提案4 ねらいの設定
本実践のねらいは、道徳科的諸価値についての3つの理解、すなわち「価値理解」「人間理解」「他者理解」の観点から構成した。これらの観点を通して、児童が「善悪の判断」という価値を自分自身の生き方と関連づけて考えることを目指した。
第一に、価値理解の観点である。児童が「正しいこととは何か。」「なぜ正しいことを行うことが大切なのか。」を考え、人間としてよりよく生きるうえで善悪を判断することが欠かせないことを理解できるようにする。単に知識としての理解ではなく、道徳的価値を自分の生活や行動に結びつけてとらえることを重視した。
第二に、人間理解の観点である。児童が、正しいとわかっていても行動に移すことが難しいという「人間の弱さ」に気づくことができるようにした。登場人物であるまり子の葛藤を通して、価値を実現することが容易でないこと、その迷いやためらいの中にも人間らしさがあることを理解させることを重視した。
第三に、他者理解の観点である。善悪を判断する際の感じ方や考え方は、人によって異なるということを理解させたい。児童同士の意見交流を通して、「自分だったらこうする」「友達は違う考えをもっている」といった相互理解の場を設け、他者の考え方を尊重しながら自分の考えを深めることをねらいとした。
これら3つの観点を総合し、本実践ではこのようなねらいを設定した。
正しいと分かっていること(価値理解)に対して、なかなか実行できない人間の弱さ(人間理解)に触れさせながら、善悪の判断をすることは、自分の勇気だけでなく、自他を大切にすることにもつながることを感得させ、正しいことは進んで行おうとする実践的態度を育てる。
このように、価値理解・人間理解・他者理解の3つの観点を通してねらいを構成することにより、児童が「善悪の判断」を「自分の生き方に関わる課題」としてとらえることを目指した。
提案5 発問構成のあり方
本実践では、曽我文敏氏の提唱する「発問構成のパターン」を参考に、児童が登場人物の心情を自分ごととしてとらえ、「善悪の判断」について価値を深く考えられるよう、発問の構成を工夫した。曽我氏は、発問を通して児童の思考を段階的に深め、価値の理解・人間の理解・自己の成長実感へと導くことの重要性を指摘している。本実践でもその考えを踏まえ、次のように基本発問と補助発問を関連づけて設定した。
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発問構成
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発問内容
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ねらい・意図
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基本発問1
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「『だれにも言わないでね。』と言われたときのまり子は、どんな気持ちだったでしょう。」
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登場人物の葛藤に寄り添い、状況を具体的に捉える。
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補助発問
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「どうして困っているのですか。」
(人間の弱さに気づかせる発問 ― 人間理解)
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正しいと分かっていても行動できない人間の弱さに気づかせる。
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基本発問2
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「なぜか心がくもっているまり子の気持ちは、どんな心なのでしょう。」
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迷いと後悔の心情に注目させる。
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補助発問
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「だまっていてもいいのではないですか。」
(人間の弱さに気づかせる発問 ― 人間理解)
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行動しないことの理由を自分に重ねながら考えさせる。
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基本発問3 (中心発問)
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「『そうだ、勇気を出そう』と決心したまり子の気持ちをどう思いますか。」
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決心の瞬間に込められた価値を見つめる。
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補助発問
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「お母さんのどんな心を感じたのですか。」「お家に帰ってお母さんに何と言いたいですか。」
(人間の強さを感得させ、価値を把握させる発問 ― 価値理解)
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自分の内面を見つめ、価値を自分の生き方に結びつける。
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このように、発問を「人間の弱さへの気づき(人間理解)」から「人間の強さの感得(価値理解)」へと段階的に構成することで、児童が登場人物の行動や心情を通して道徳的価値を深く考えられるようにした。また、補助発問によって児童の多様な感じ方や考え方を引き出すことで、互いの意見の違いに気付き、他者理解を深めることにもつなげた。これらの発問構成により、児童は「正しいとわかっていても行動できない自分」から、「勇気をもって正しいことを行おうとする自分」へ向かおうとする学びが生まれ、ねらいである「正しいことは進んで行おうとする態度の育成」へとつなげることができた。
提案6 展開後段のあり方
本実践では、児童に内面的な変化を実感させるため、授業の展開後段に「書く活動」を位置づけた。単なる感想記述にとどめず、児童が本時で考えた道徳的価値について、「自分がどのような感じ方・考え方をしていたのか」「授業の中で、自分の感じ方・考え方がどのように変化したのか」を自覚させることを目的とした。そのために、教師は児童の内面的自覚の姿を以下のア~オに整理し、視覚的に提示した。
ア 今まで気づかなかったことに 気づいた。
イ もやもやしていたことが はっきりした。
ウ 足りないことが よく分かった。
エ 今まで思っていたものが 違うものに変わった。
オ 分かっていたことが 分からなくなった。
児童にはこの中から自分に最も近いものを1つ選ばせ、その理由を文章で表現させた。その際、
①自分の過去の経験
②本時の学習を通しての考えの深まり(登場人物への共感・仲間の発言など)
③これからの自分の生き方への期待
の3つの観点を意識して記述するよう促した。
このように、児童に「自分の感じ方・考え方の変化」を言語化させることで、教材を通して高まった心情や意欲と、自己の生き方を見つめ直す時間とが連続的に結び付く学習となった。児童は、善悪を判断することの意味を「まり子の物語」から「自分自身の生活」へと引き寄せ、道徳的価値を自分の生き方と関わらせて考えることができた。 この「5つの内面的自覚の姿」を活用した書く活動は、児童一人一人の内面的成長を可視化する手立てとしても有効であり、教師にとっても児童の道徳的成長の手がかりを捉える貴重な資料となった。