古事記・日本書紀にみる天皇

『古事記』での「天皇」

 天皇の意思を述べた詔勅には、御名御璽(ぎょめいぎょじ)と称されていますように、天皇の名前、明治天皇なら「睦仁(むつひと)」を記し天皇の印が押されます。姓を称さない王であることは、他国に類をみない日本の王室の特色として、天皇が存在してきた日本の歴史の固有性の証と認識され、「万世一系」の皇統神話を支えてきました。
日本の史書は「天皇」をどのように描いているのでしょうか。「天皇」という漢語は、日本の王朝誕生から国家の成立を描いた歴史書に登場しますが、どのように訓(よ)まれたのでしょうか。

葛城一言主神社 奈良県御所市

葛城一言主神社 奈良県御所市

 壬申の乱に勝利した天武天皇の王権が、正統なことを証する史書として編纂されたのが『古事記』と『日本書紀』です。『古事記』には、天皇・皇位が神聖なものであることを問い語るものが多くあり、第21代雄略天皇が葛城山で一言主大神(ひとことぬしおおかみ)と出会う物語があります。その神は服装・行列・言葉・態度のすべてが天皇とおなじであるため、天皇が怒り、あわや戦いになろうとします。天皇が「たがいに名を告げて矢を放とう」と言います。そこで「吾は悪事も一言、善事も一言で言い放つ神、葛城之一言主之大神」と申したのを聞き、天皇が恐縮し、拝みたてまつります。

読み下し本文

天皇葛城山(かづらきやま)に登り幸でましし時、百官(もものつかさ)の人等(ひとたち)、悉(ことごと)に紅き紐著(つ)けたる青摺(あをずり)の衣(きぬ)を給はりて服(き)たりき。彼(そ)の時、其の向へる山の尾より山の上に登る人有り。既に天皇の鹵簿(みゆきのつら)に等しく、亦(また)其の装束(よそひ)の状(さま)、及(また)人衆(ひとども)も相似て傾(かたよ)らざりき。爾(ここ)に天皇望(みさ)けまして、問はしめて曰(の)りたまはく、「茲(こ)の倭国(やまとのくに)に吾(わ)を除(お)きて亦王(おほきみ)は無きを、今誰(た)が人ぞ如此(かく)て行く」とのりたまへば、即ち答へて曰(い)ふ状(さま)も亦天皇の命(みこと)の如し。是(ここ)に天皇大(いた)く忿(いか)りて矢刺したまひ、百官の人等悉に矢刺しき。爾に其の人等(ども)も亦皆矢刺しき。故、天皇亦問ひて曰りたまはく、「其の名を告(の)れ。爾(すなは)ち各(おのおのも)名を告りて矢を弾たむ」とのりたまひき。是に答へて曰(まを)さく、「吾(あれ)先に問はえたれば、吾先に名告り為(せ)む。吾(あ)は悪事(まがごと)も一言、善事(よごと)も一言、言離(ことさか)の神、葛城一言主之大神ぞ」とまをしき。天皇、是に惶(おそ)れ畏みて白したまはく、「恐(かしこ)し。我が大神、うつしおみ有(な)らむとは、覚(さと)らざりき」と白して、大御刀(おほみたち)及(また)弓矢を始めて、百官の人等の服(け)せる衣服(きぬ)を脱がしめて拝(をろが)み献(たてまつ)りたまひき。爾に其の一言主大神、手打ちて其の奉物(たてまつりもの)を受けたまひき。

口語訳

天皇が葛城山にお登りになった時、お供の大ぜいの官人たちは、すべて紅い紐をつけた青摺の衣服を頂戴して着ていた。その時、その向かいの山の尾根伝いに山上めがけて登っていく人があった。その行列は全く天皇の行幸にそっくりで、またその人たちの服装の様子も、随行の人たちも天皇の一行とよく似て同等のものであった。それで天皇はその光景をはるかにながめられて、従者を遣(つか)わしてお尋ねになり、「この大和の国には私をおいてはほかに二人と大君はないのに、今誰が私と同じような行列をつくって行くのか」と仰せられると、向こうから答えてくることばのさまもまた、天皇がお咎めになったおことばと同じようなものであった。これを聞いて、天皇はひどくお怒りになって矢を弓につがえられ、大ぜいの官人たちもことごとく弓に矢をつがえた。すると向こうの人たちもまたみな矢を弓につがえた。そこで天皇はまたお尋ねになり、「そちらの名を名のれ。そして互いに名を名のってから矢を放とう」と仰せられた。向こうの人はこれに答えて、「私は先に問われたので、私のほうから先に名のりをしよう。私は凶事も一言、吉事も一言で解決する神、葛城一言主大神であるぞ」と申した。天皇は、このことばを聞いて恐れ畏まって、「恐れ多いことです。わが大神よ、あなたさまが現実のお方であろうとは気がつきませんでした」と申して、ご自身のお太刀や弓矢をはじめとして、大ぜいの官人たちが着ている衣服をも脱がせて、拝礼して献上なされた。すると、その一言主大神はお礼の拍手をして、天皇からの献上の物をお受け取りになった。

 この「一言主」と言う名は、「天皇」の文字を「一、大、白、王」の四つに分け、「一、言、主」の三字に合成した神名で、天皇が現人神であることを物語ろうとしたものです。

『日本書紀』での「国家」と「天皇」

 日本書紀は、天皇の統治と皇位継承を描くことで、律令国家の理念を提示したもので、「国家」という文字が多く使用されています。その訓(よみ)は、「コッカ」でなく、「アメノシタ」か「ミカド」です。ここには古代の律令官人の国家によせた思いが読みとれます。

読み下し本文

(景行天皇)五十一年の春正月の壬午(じんご)の朔(つきたち)にして戊子(ぼし)に、群学び!と歴史vol32_03旧字_卿(まへつきみたち)を招(を)きて、宴(とよのあかり)きこしめすこと数日(ひかず)へたり。時に皇子稚児彦尊(わかたらしひこのみこと)・武内宿学び!と歴史vol32_04旧字_禰(たけうちのすくね)、宴庭に参赴(ま学び!と歴史vol32_05旧字_いこ)ず。天皇召して、其の故を問ひたまふ。因りて奏(まを)して曰(まを)さく、「其の宴楽(とよのあかり)の日には、群学び!と歴史vol32_03旧字_卿・百寮(もものつかさ)、必ず情(こころ)は戯遊(あそび)に在りて国家(あめのした)に存(あ)らず。若(けだ)し狂生(くるへるひと)有りて墻閣(しやうかく)の隙(ひま)を伺はむか。故(かれ)、門下に侍(さぶら)ひて非常に備へたり」とまをす。時に天皇、謂(かた)りて曰(のたま)はく、「灼然(いやちこ)なり。灼然、此(ここ)には以椰知挙(いやちこ)と云ふ」とのたまひ、則ち異(こと)に寵(めぐ)みたまふ。

口語訳

(景行天皇)五十一年春正月の壬午朔(ついたち)の戊子(七日)に、群学び!と歴史vol32_03旧字_卿を招いて饗宴を催されることが数日に及んだ。その時、皇子の稚足彦尊・武内宿学び!と歴史vol32_04旧字_禰は、宴の庭に参上しなかった。天皇は召して、その理由をお尋ねになった。そこで奏上して、「その宴楽の日には、群学び!と歴史vol32_03旧字_卿・百官は、必ず心が遊楽に奪われて、国家の事を忘れております。もしかすると狂った者があって、宮城の垣の隙をうかがうことがあるのではないか。それで、門下に控えて、非常事態に備えておりました。」と申しあげた。そこで天皇は、「至極立派なことだ〔「灼然」はここではイヤチコという〕」と仰せられて、格別に寵愛された。

 天皇が、正月7日の白馬節会に皇子と宿学び!と歴史vol32_04旧字_禰が参加しないために問うたところ、「酒宴に気をとらて国家に思いいたすものもいない。もし狂人がことを起こしたら大変ですので外で非常に備えているのです」、と答えたところ天皇が大変喜ばれ、二人をことのほか寵愛されます。この物語は稚児彦尊の立太子と武内宿学び!と歴史vol32_04旧字_禰を棟梁之臣(大臣)に任命する伏線です。
 ここにある「国家に存かず」の訓は「ミカド」か「アメノシタ」で微妙な違いがでてきます。日本古典文学体系本は「アメノシタ」ですが、いかがなものでしょうか。ここでは「ミカドのことなぞ全く気づかっていない」とした方が、人間らしい情誼(じょうぎ)をふまえた天皇の寵愛が位置づけられるのではないでしょうか。
 国家と天皇に寄せる思いは、「国家」に「ミカド」「アメノシタ」の両訓があたえられたことに、表明されています。仏教伝来を伝える欽明天皇13年10月の記事にある「帝国に伝へ奉りて」「我が国家の天下に王とまします」の「帝国」「国家」は「ミカド」としか訓めません。そこで「アメノシタ」「ミカド」の用例を整理してみます。

天皇即国家という観念

アメノシタの訓

宇宙(神代紀4 神出生章) 六合(同) 区宇(神武紀) 八紘(同) 海内(同) 普天卒土(雄略紀) 校廟(顕宗紀)

ミカド

皇(成務紀) 天朝(神功紀) 中国(雄略紀) 朝(清寧紀) 人主(顕宗紀) 大倭(孝徳紀) 天子(済明紀)

 「アメノシタ」はある空間概念をもつ組織体を意味する言葉であり、「ミカド」は「皇」「人主」「天子」が示すようにある特定の個人たる天皇に対する訓のようです。しかも「ミカド」には、「国家」「中国」「帝国」「大倭」のように、「アメノシタ」と同義の文字も使用されています。このことはミカドたる天皇に寄せる意識が投影されていることを意味しており、国家と天皇を同一なるものと認識していたことをうかがわせます。この天皇と国家との意識こそは、国家の災害を天皇が一身で負うべき責務とみなさしめたのです。
このような意識は、養老4年から5年の災害に元正天皇が詔で、「朕が心狂懼すること日夜休まず」と述べて己を譴責(けんせき)してその存在を問い質さしめます。また律令官人は、「死に生も君がまにまと思ひつつ」と歌うように、天皇との関係においてでしか己の距離をはかれない存在であり、神格化されていく天皇の血脈への忠誠心を信仰にまで高めていきます。
 この天皇即国家という観念こそは、歴史の古層に渦巻き、培養増幅されていくことで、昭和維新の奔流に潜む「天皇一元化が皇国の完成にして、ここに至る道程が修養すなわち維新なり」(杉本五郎『大義』)といわしめた心情をうながしたように、日本人の心性に鋳込まれた棘にほかなりません。

 こうした心性構造の在りかたを己の眼で撃つとき、はじめて歴史の闇が読み解けるのではないでしょうか。

引用

  • 『古事記 上代歌謡(日本古典文学全集 1)』(発行:小学館 1973年)
  • 『日本書記①<全二冊> (新編 日本古典文学全集2)』(発行:小学館 1994年)


あいさつの心を生かす

 スポーツ大学の学生は、あいさつをよくします。面識があってもなくても、赴任したばかりの老教師に、さわやかな声を掛けてくれます。教師側もタイミングを合わせて「やあ」「おはよう」「元気?」「がんばっているね」などと応対します。エネルギーの塊のような学生に声を掛けられると、「意気消沈」気味の心も晴れてくるから不思議です。このような経験は、かつて小学校校長をしていた頃にも味わったことを想い出します。いわゆる「子どもや若者から元気(aura)をもらう」ということでしょう。
 一般に体育系の生徒・学生間では、部活動中の先輩・後輩としての節度を守ることが重視されています。あいさつの徹底もそのひとつの現れと言えるでしょう。「礼に始まり、礼に終わる」剣道・柔道・相撲などの例に見るように、「礼儀を重んずる日本の歴史的文化」の影響を受け継いでいると見ることも出来るでしょう。
 学生へのメッセージとして飯田稔学長は、こう語りかけます。「大学生活で大切にしてほしいことは、人間関係です。よい人間関係をつくるスタートは、あいさつであり、思いやりと感謝の心です。」全くその通りだと思います。
 しかし「よい人間関係つくり」のためには、先に見た先輩・後輩とか、教師・学生のような垂直的人間関係と、同輩・仲間のような水平的人間関係とでは、異なることをわきまえることも大切かと思います。
 私たちはとかく自分の立場だけに関心を向けがちです。他人(相手)の立場に無関心なのが常であります。そのために相互間のズレが社会的な課題として浮上しにくいこともあるわけです。
 ある日「授業中のあるグループの私語のために大変迷惑しています。授業者の清水先生の立場から何らかの対策をとってほしい。」と、レポート用紙の片隅につつましく毅然と書かれていたのを目にし、胸を突かれる思いがしました。授業中「静かに! 黙って!」をくり返していたのみだったからです。受講生が多ければそれに対応する策をとるのは教師の重要な責務でしょう。同クラスの別の授業を若い教師が静かに展開していると耳にして、さっそく公式参観を申し込みました。そしてそれを真似て、人間関係をそのまま教室に持ち込みグループとして着席できる「座席自由制」を見直して、「座席指定制」を八割方取り入れ、二割の最前列だけを「自由席」としました。以後、私語は減少し、指導へのエネルギーを他の有意義なことに費やす余裕が生じてきました。
 「教師の指導方策の責務」を確認したうえで、あえて願うのは、垂直的関係の不満・注文・意見を教師と学生間に閉じ込めるのではなく、水平的・垂直的関係者全体に課題として提言するかかわり方を身につけてほしいということです。
 先に掲げた飯田学長のメッセージは、「あいさつはスタートであり、思いやりと感謝の心が大切です」とも読めます。あいさつの動作そのものを身につけることはある期間中に出来たとしても、思いやりの心を育てるには相当の時間を要します。
 あいさつは、惰性や打算の世界とは無縁なはずです。あいさつをする動作にパスすることが出来たとしても、あいさつをする思いやりと感謝の心の育成にパスすることは、なかなか難しいことです。
 思いやりの心とは、相手の身になって、相手の立場に立って、よくよく考え、理解を深めていくことでしょう。
 同じく「座席指定制」も単なるスタートにすぎない(ものにしたいと願っています)。身体的に拘束して教壇に向かわせ、それらしくつきあわせても、心が自らゆり動き出すことがないならば淋しいことです。ある一人の学生は書いています。「最近、学生の間でKYというコトバが流行しています。その場の空気(K)の読めない(Y)人のことです」と。
 今日の子どもや若者は、あいさつをはじめ礼儀の表し方を大人から教えられる機会が少なく、人間関係をつくるコミュニケーションのとり方がぎこちないことを感じます。
 いやそれだからこそ、あいさつの動作を身につけることは「氷山の一角」の目標(成果)に過ぎず、その心底には思いやりと感謝の心が育ちつつあるかを考える必要があるのです。
 できるなら、晴れやかなあいさつの心を大切にする出会いでありたいです。

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脱線授業の言い訳をすると…。

「新種かな?」と思うほど強烈な色彩のアカスジカメムシでした。(郡山市)

「新種かな?」と思うほど強烈な色彩のアカスジカメムシでした。(郡山市)

 以前から、私の授業はよく脱線すると言われました。そういえば、予定した通りに授業が進まないという自覚もあります。ある授業では、計画通りの授業を心がけたつもりが、全く内容が違ってしまったというケースもありました。それらを反省しながらも、生徒や学生の興味や関心を彼らの顔色から読み取りながら、授業内容が全く異なる話題へと逸れてしまうことは、現在も日常茶飯なのです。
 ところが、大学にFD制度が導入されてから、最近は少々戸惑っています。FDとは~Faculty Development~の略なのですが、学生が授業の内容や教員を評価する制度です。実は、その評価項目の中に「授業内容はシラバス通りであったか」というのがあるのです。大学では半期15コマのシラバスを公表し、学生はその授業内容を確認しながら授業を選択履修しますから、授業内容がシラバス通りでないということは、大学側の契約違反ということになるのでしょう。
 学生が自分の研究や目的に合った授業内容だと考えて出席してみたところ、内容が全く異なっていたり、期待の内容でなかったりしたら、裏切られたことになるわけですから、その項目が設けられた意味は十分に理解できます。そのため、脱線授業を常とする私にとって、その項目が大きなハードル、授業改善課題として立ちふさがっているのです。一方では、学生の様子や理解度にかかわらず、淡々と予定通りに授業を進めることを否定する気持ちがあるため、なかなか改善が図られないというのが実情です。

生きた授業

 一昔前、デジタル機器などの導入アイテムを工夫して、効果的なプレゼンテーションを行うことが教育現場でも求められました。単に講話やノートをとらせるための板書だけでなく、視覚的に、聴覚的に教授し、内容が分かりやすく伝わるようにする教員の努力が求められたのです。
 その工夫の多くは、powerpointという便利なソフトを使って行われたのではないでしょうか。ところがそのアイテムを使いこなしていたベテランたちから、powerpointに依存しすぎるのは授業の手抜きだという声が漏れ聞こえるようになりました。充分に使いこなせているとは言えない私にも、そのことについて心当たりがありました。もし1コマ分のpowerpointができ上がってしまえば、翌年からの授業がとても楽に感じている自分に気付いていたのです。まして、すべての授業内容のデジタル化が完成したら、それは黄ばんだ大学ノートを使って、何年も同じ授業をくり返している教員以上に大変な事態が生じることに気付いたのです。
 授業にとって、指導計画やシラバスとは、あくまで予定でしかないのです。作成する段階では、受講する生徒や学生とは全く面識がありません。これまでの受講生を参考にしながら改善を重ねた授業予測にすぎないのです。ですから、チャイムからチャイムまでの間に、時間的にも内容的にも教員がイメージした計画通りに授業が完結するというのは、生徒や受講生を無視した授業になっている可能性があるのです。

 どのような教室でも、受講者の雰囲気というものは、必ず授業者に伝わります。時には、教室のドアを開けた瞬時に空気が読み取れる場合すらあります。多様な生徒や学生が集う教室内とは、生きた空間なのです。その集団にフィットしながら、授業中でさえ展開や内容を改善・精選できることが教員の技量ではないでしょうか。脱線授業とはそういうものかもしれないと感じてくれれば、私の杞憂がひとつ少なくなるのですが…。

導入事例 Case15

小学校3年『くぎうちトントン』(2時間)
*金づちの使い方を知り、木切れにたくさん釘を打った後、ひもやビーズ、モールなどの副材料を加え、好きなものを作る授業です。

学び!と美術vol31_02
学び!と美術vol31_03
学び!と美術vol31_04

T:みんな金づちって使ったことある?
C:「ある、ある。」「危ないからって、家ではやらせてもらえないよ。」「ちょっとこわいな。」
T:「今日は、みんなでくぎうちに挑戦!初めての人は、金づちの使い方を覚えよう。使ったことがある人は、もっと上手になるようにやってみようね。」
C:「はやくやってみたい!」
T:「うん、でも怪我をしたら大変だから、最初に安全なくぎうちの仕方を教えるね。先生の机のところに集まって。」
T:「最初は、左手でくぎを持ち、右手で金づちの柄の真ん中へんを持ってトントン・・・。
目はくぎの頭を見るよ。くぎがひとりで立ったら柄の端を持ってトーントーン・・・。
ゆっくりやってみようね。やり方を忘れたら、黒板に貼ってある図や、教科書の後ろの使い方の所を見てみよう。」
T:「では、くぎをうつ木を選ぼう。後ろの机の上にある中から、これにうってみたいなという木を探して持ってきてね。」(選んで持ってくる。)
T:「みんなどうしてその木を選んだの?」
C:「くぎで、ここに足をつけたら動物になりそうだから、これにしたよ。」
C:「すべすべしていて、うちやすそうだったから。」
C:「ざらざらしているところに、丸い模様がたくさんあっておもしろい。」
T:「手触りとか模様とか木という材料の特徴に気がついた人がいるね。もう木切れが何かに見えてきた人もいるね。すごい!!みんな、工夫してこの木切れを楽しいものに変えてみよう。」
T:「いろんな種類のくぎも用意したよ。たくさんうってみてね。」

(K先生の実践から)

導入事例 Case16

小学校1年『とんねる くぐって・・・』(造形遊び4時間)
*大きめの段ボールを主材料とし、くぐったり入ったり、立てたりつないだりしながら思い付いた表現に取り組み楽しむ造形遊びの題材です。

◎導入の工夫

 体育館入口のトンネルをくぐると、その先には体がすっぽり入る段ボールがたくさん用意されている。その段ボールで「~してみたい」「~できそうだ」と自ら動き出すのを温かく見守った。

T(体育館入口を前に)これは、みんなが知っている学校近くの信夫山だよ。 
C:何かあっちまで続いているみたい。あっ、下がトンネルになってる!
T:そうだよ。よく気付いたねえ。このトンネルをくぐっていくと何があるかな?
C:町とか道路。材料かなあ。早くくぐりたい。
T:早くくぐりたいよね。ようし、みんなでくぐってみよう。
(やがて、段ボールの部屋、お城、電車、洞窟、想像の世界をつくり始めた。)

(A先生の実践から)


「海辺の母子像」 パブロ・ピカソ作

「この作品に、なにが描かれているのか、話してください」

―海岸だと思う。

―暗い空。夜だろうか?月明かりが見える。

―母親と赤ん坊。舟が浮いている。

―母親が手に赤い花を持ち、浜辺にたたずんでいる。

―いや、歩いているかもしれない。しかも、裸足で。

油彩/キャンヴァス/81.7×59.8cm/1902/Pola Museum of Art,Pola Art Foundation/(C)2009-Succession Pablo Picasso-SPDA(JAPAN)
油彩/キャンヴァス/81.7×59.8cm/1902/Pola Museum of Art,Pola Art Foundation/©2009-Succession Pablo Picasso-SPDA(JAPAN)

 この作品を見せて、ある学校のクラス生徒全員に質問を投げかけたところ、一つとして同じではない、時には思いがけない答えが返ってきました。さまざまな人の視線、感覚、感情を惹きつけ、いかなる解釈も悠然とうけとめる度量を、この作品は備えているようです。なぜでしょうか?

 《海辺の母子像》は、20歳のピカソが描いた「青の時代」(1901-1904年)の作品です。スペインに生まれたピカソは、親友カサへマスの死をきっかけに、生と死、貧困といった主題に傾倒します。画家の心境の変化を映すように、その絵画からは明るくあたたかな色彩が消え、しだいに青い闇に覆われていきました。

 青色は、空や海を連想させ、純粋さ、静けさを感じさせる色彩です。また、「青=ブルー」といえば、憂鬱(ゆううつ)、不安など、メランコリックな性質も備えています。ピカソの「青の時代」の絵画には、イメージの宝庫であるこの青色が、たくみに多用されています。どうやら、この「ピカソの青」に、幾通りもの見方を可能にする秘密の一つがあるようです。

 ところで、絵画作品にはWeb等の画像を見るだけでは感じとることのできない重要なポイントがあります。それは「絵画の質感」です。専門用語では「マチエール」といいます。平坦に塗られているように見えるこの《海辺の母子像》も、実際はところどころ絵具が厚く塗り重ねられ、作品全体に重厚感を与えています。実は《海辺の母子像》を制作する以前に、ピカソはまったく異なる題材の絵を、この同じキャンヴァス上に描いていたことが透過X線調査でわかっています。

 Webで本作品が気になった皆さん、ぜひ美術館に足を運び、「ピカソの青」を体感してみてください。

(ポーラ美術館 学芸員 今井敬子)

■ポーラ美術館ico_link

  • 所在地 神奈川県足柄下郡箱根町仙石原小塚山1285
  • TEL 0460-84-2111
  • 休館日 年中無休(展示替え休館あり)

<展覧会情報>

  • 企画展「ボナールの庭、マティスの室内 日常という魅惑」
  • 9月12日(土)~2010年3月7日(日) ※期間中無休
  • 常設展示「ポーラ美術館の絵画」、「森芳雄 ひとのぬくもり」、「ガレ、ドーム、ティファニーのガラス-花ひらくアールヌーヴォー」、「粧いの空間-ロココからアール・デコ」

展覧会概要(企画展「ボナールの庭、マティスの室内 日常という魅惑」)

  • 身近な自然としての庭と日々の生活が営まれる室内。19世紀後半から20世紀の西洋絵画にみられる、庭と室内という日常的な空間の表現を、印象派のモネから20世紀のボナールやマティスまで、約50点の作品によって紹介します。

<次回展覧会予定>

  • 「ポーラ美術館の日本画Ⅰ- 杉山寧不朽の名作《水》を中心に」
  • 2010年3月13日(土)~6月8日(火)


ピリペンコさんの手づくり潜水艦(2006年・ドイツ)

(C)nonfictionplanet

©nonfictionplanet

 「草原のなかの潜水艦」とは、不可能、ありえない、という意味のたとえだそうである。映画「ピリペンコさんの手づくり潜水艦」(パンドラ配給)は、たとえではなく、草原に住むピリペンコさんが、本当に潜水艦を作って、黒海で運転しようとするドキュメンタリーである。

 ウクライナの草原の村に住むウラジーミル・ピリペンコさんは、コルホーズ(集団農場)で、クレーンの運転手だった。今は定年となり、妻と同じ額の年金暮らし。
 ピリペンコさんには夢がある。潜水艦を作って、黒海で潜ること。そして海のなかに入って、魚や海草など、あらゆる生き物と気持ちを通わせ合いたいと思っている。この夢を実現しようと、ここ20年、夜な夜な、イルカ号と名付けた潜水艦を作っている。

Andrew Testa

©Andrew Testa

 いくらメカに強いといっても、クレーンと潜水艦では、まるで違う。ただし、ピリペンコさんは、「水中スポーツマン」という雑誌を30年も読み続け、なんとか、潜水艦らしきものを作ってしまう。ふつうイメージする潜水艦と違って、ピリペンコさんのイルカ号は、ずんぐりしていて、スマートではない。
 自宅はひまわり畑にかこまれた草原。子ども二人はもう大きくなって、独立している。今は、夫婦でトマトを栽培したり、牛や羊を飼っている。さりげない日常が、映し出される。
 ピリペンコさんは、なんとか夢を叶えようと、一途に潜水艦作りに励む。気のおけない友人セルゲイが何かと手伝ってくれる。いっしょに潜水艦に乗せてあげるつもりである。
 少ない年金をやりくり、奥さんに反対されながらも、より強力なバッテリーを買い揃え、準備はゆっくりながら進んでいく。

(C)Andrew Testa

©Andrew Testa

 奥さんや子どもたち、村の連中も引き込みながら、近くの池で試運転となる。みんなが、はらはらして見つめるなか、潜水艦は池に入っていく。なんと、かなりの水が漏れる。
 それでも、無事、リハーサルが終了。やっとのことで、イルカ号を牽引するトラックの手配も完了。二人は出発する。
 黒海までは、ざっと400キロ。ちょっとしたロード・ムービーの趣きで、これまたほのぼのした旅である。
 やっと黒海に着く。さて、どうやって、水際まで、イルカ号を持っていくのか? はたして、イルカ号は、水漏れがなく潜水できるのだろうか?

 ほのぼの、笑って見ているうちに、夢や希望を持つことがいかに大切なことか分かってくる。心の豊かさとは、夢を持って、その夢の実現に向けて努力することである。ピリペンコさんの夢につき合ううちに、心がほんわか、豊かになっていくはずである。 

11月14日(土)より、シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー

「ピリペンコさんの手づくり潜水艦」公式Webサイトico_link

山形国際ドキュメンタリー映画祭 市民賞受賞
監督:ヤン・ヒンリック・ドレーフス、レネー・ハルダー
2006年/ドイツ/カラー/ロシア語、ウクライナ語/90分 
配給:パンドラ
宣伝:エスパース・サロウ