四つのいのち

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(C)Vivo film,Essential Filmproduktion,Invisibile Film,ventura film.

 小高い山の田舎の村、山羊を飼っている老人が死ぬ。仔山羊が生まれる。歩き始めた仔山羊は、群れからはぐれて、大きな樅の木の下に横たわる。春、村の人たちによって、木は切り倒され、炭にするために運ばれていく。
 「四つのいのち」(ザジフィルムズ配給)は、たったそれだけのことを、ゆっくり、静かに、映しだす。
 舞台はイタリアの南部、カラブリアにある田舎の村。聞こえてくるのは、風の音、山羊の鳴き声、山羊の首に付けた鈴の音、犬の吠える声。映画の効果音や音楽、人物のセリフは、ほとんど、ない。観客はまるで、この村にいるかのように、村の様子を見つめることになる。
 牛飼いの老人は、毎日、元気な犬を連れて山羊を追う。絞った山羊の乳は、教会の埃と交換する。老人はその埃を、水で溶かして、薬代わりに飲む。

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(C)Vivo film,Essential Filmproduktion,Invisibile Film,ventura film.

 やがて老人は死ぬ。そして、仔山羊が生まれる。よちよちと歩き始めた仔山羊は、やっと群れについていくようになるが、山道の溝に落ちて、群れからはぐれてしまう。そして、大きな樅の木の下に、体を横たえる。
 冬、雪が降る。やがて、木の根っこに蟻たちが走るようになる。
 春、樅の木が切り倒される。運ばれた木は、村の広場に立てられて、お祭りが始まる。夜まで、村人たちは木を囲んで、お祭りを楽しんでいる。
 木は、表面が削られ、小さく切られる。トラックが来て、木は運びだされる。山の中腹の炭焼き場で、井桁に組まれた木に藁をかぶせて、燻す。炭が出来上がる。その炭を出荷する。
 村の様子は、いつもと、変わらない。  
 映画で描かれた、山羊や犬、蟻などの生き物、樹木、その加工品である炭、その炭を作り使う人間の四つのいのちは、どれも同等のように、淡々と描いていく。格別、人間のいのちだけが尊いわけではない。生きとし生けるもの、みんな、尊いのである。
 これは、映像による詩のような映画。静謐な佇まいから、映像の背後にある作り手の思いが伝わる。見えるものの背後に見えるものは何か。

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(C)Vivo film,Essential Filmproduktion,Invisibile Film,ventura film.

 脚本、監督のミケランジェロ・フランマルティーノは、生物の多様性や持続可能性の社会についての考えを聞かれて、「今、色々な分野の人たちが、人間はもっと謙虚にならなくてはいけないということを認識しはじめてきたのではないかと思います。今まで人間は多くのものを搾取しすぎたのではないか、傲慢だったのではないか、将来の事について考えが無さすぎたのではないか、無責任だったのではないかということを考え直しているのだと思います」と答えている。
 原発の事故は、人間が手にした技術なのに、満足に制御さえできない。搾取した、傲慢な、無責任な人間の、いい例だろう。事故が現実となった今、さまざまな「いのち」に思いを馳せてみる。映画「四つのいのち」は、「いのち」のありよう、謙虚であることの尊さを教えてくれる。

2011年4月30日(土)より、シアター・イメージフォーラムico_linkほか全国順次公開

「四つのいのち」公式Webサイトico_link

監督・脚本:ミケランジェロ・フランマルティーノ
2010年/イタリア=ドイツ=スイス/88分/ステレオ/ヴィスタ/カラー 
原題:Le Quattro Volte
協力:イタリア文化会館
提供・配給:ザジフィルムズ


平成24年度用 新版「中学数学」教科書特集号

※PDFデータをダウンロードしてお読みいただけます。(下記ご参照)

RooT No.06表紙インデックス

1.
数学の学びと授業をデザインする新しい教科書
重松 敬一
5.
教科書における数学的活動の取り扱い

清水 紀宏
8.
「Mathマス活動!」を活用した数学的活動の実践
『中学数学』編集委員会
11.
確かな学力を確立する基礎基本からの丁寧な積み上げ

『中学数学』編集委員会
14.
学び直しを考える
山口 武志
17.
標本調査を利用して母集団の傾向をとらえ,説明しよう
吉岡 睦美
20.
教科書の単位表記が変わる

icon_pdf_smallRooT No.06 「中学数学」教科書特集号:ダウンロード (4.6 MB)

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・PDFファイルは、閲覧・印刷用です。
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・コンピュータ・回線環境によってはダウンロードに時間がかかる場合があります。

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一つことにどれほどの時間をかけられるかという実力

今月のPhoto:もうひとりのマドンナです。私たちが見る位置にミレイも立ち、そして描いたのだと感じながら細部まで見入りました。(「オフィーリア」ロンドン テートギャラリー)

今月のPhoto:もうひとりのマドンナです。私たちが見る位置にミレイも立ち、そして描いたのだと感じながら細部まで見入りました。(「オフィーリア」ロンドン テートギャラリー)

 とうとう大台(還暦)を迎えてしまいました。40歳を迎えたときには、人生80年の半ばだと奮起し、50歳にして半世紀かと時の流れに感じ入り、60歳を迎えては長く生きたことを感慨し、40歳、50歳とは異なる寂寥(せきりょう)という印象が伴っている還暦です。久しぶりに小学2年生に授業をして、半世紀以上の歳の差に圧倒されたせいかもしれません。彼らが30歳を迎える頃までの人生だという現実と向き合ってしまいましたから。
 自分のことになると、時間の長さは漠として以前から掴みようがないものだと感じていました。他の人の時間に照らしながら、ようやく少しその長さが感じられるようになったと言える年頃なのかもしれません。歳を重ねるということは、誰しも初体験な訳ですが、半ばを過ぎた当たりから、以前より生きる先がおぼろげながら見えてきたような気がしています。それは、これまでの時間とその間の経験が思考や感情の基礎データとなり、周辺が少し洞察できるようになったからでしょう。教育畑から出ることのない仕事歴ではありますが、政治や経済、他の業種のことなども多少は理解できるようになっている気がしています。60年の経験が俯瞰的な見方を可能にしているのでしょう。特に、ファッションやTV番組などは、めまぐるしく変化する社会とはいえ、堂々巡りのようなサイクルが早くなっているだけだと感じるときがあります。対象が経験の少ない人たちだからこそ、新規のように通用していると思うことも少なくありません。生活環境が大きく変化しても新たに誕生する生命たちは、常にゼロからスタートして自分を生きようとします。そして、友情や恋愛の感情、成功や挫折から得る思考、そして形成される認識がその人自身をつくるのです。子ども達を見ていると、生身の人間として避けて通れない実体験からの学びの必要を強く感じます。
 そう思いながら、若い人の苦悩を相談されたり、失敗を諭したりするときには、気づかないままに”知ったか”めいた話をしてしまっている私は、まさに還暦なのでしょうか。
 おそらく、予想や助言が的中する確率が高くなることが高齢者としての自信になるのでしょう。学生が、過去の私と同じような経験をし、さほど遠くないところで似通った感情を抱いていると感じることは少なくないのです。ただ、それは、誰も同じような人生を送るものだという人生観にはつながるものではありません。「人は人生に一度だけ、すばらしい小説を書くことができる。それは自叙伝です。」という、個々に特有の人生があるからです。そんな多様な人生でも、自らの学んだことが年齢差を超えて他の人の参考となるということがあるからこそ他者との交流が楽しいのです。また、類似した事態に臨んで思考回路が同調する共感の喜びは安寧(あんねい)をもたらします。
 そんな御託の中で、還暦人が感じている若い人を勇気づけたい心境があります。
a_vol43_02 大学を出たばかりの私が、いつもせっかちに絵を仕上げることしかできずに悩んでいたころのことです。岡鹿之助展のポスターを見て、精緻(せいち)な作品に感動したのです。その頃は日本画かなと思いながら代表作「遊蝶花」を見たと記憶しています。さほど大きくない号数ですが、岡鹿之助は1年に1〜2枚しか描かないと解説にありました。その頃70歳を過ぎていた彼が、若い頃から1枚の絵に時間をかけ集中して描いていることに驚いたのです。100号に向かっても1〜2週間ほどしか集中力が持続せず、浅薄な絵を描いていた私には、1枚の絵と長時間向き合える実力を見せつけられたという思いでした。
 それは木工などの工芸作品を見る機会にもたびたびありました。木の接合や表面の仕上げ、螺鈿(らでん)やカラクリの完成度から見える集中力や巧緻性(こうちせい)に、到底叶わない時間をかけた匠の実力を思い知らされていました。
 還暦を迎えても、さほどその境地に近づけた訳ではありません。ただ、雑用や趣味、書類づくりなど、絵や工芸から離れたところではありますが、年齢とともに一つことに時間をかけられるようになっている自分を発見するときがあります。丁寧に仕事をしようとか、遠い先の確かな完成のために、焦らず着実に仕上げようとする自分がいることを感じるのです。ときには、時間のかかることを楽しく思う場合すらあるのです。
 雑事に追われる仕事環境は相変わらず若いときと同様なのですが、ゆっくり絵を描いてみたいとか、時間をかけて何かを作ってみたいと考えるようになったのです。それは歳のせいだと思っています。
 若さからくるせっかちは、歳とともに解消されていくのかもしれません。人生の半分も生きていないうちは、味わう感覚すらない程に時間が通り過ぎていきます。ところが、長く生きてみると5年・10年の単位で時間が捉えられるようになり、長時間を要する企画や集中力などのイメージが抱きやすくなるように思うのです。
 ただ、それは漫然と生きてきた私が感じることですから、そのような生き方を勧める訳ではありません。早くから時間をかけた仕事ができるようになるということは、岡鹿之助のように表現力の核としての実力を身につけるということでもあります。ひらめきや技巧に頼るだけでなく、一つことにどれほどの時間をかけられるかという実力は、納得のいく表現を保証することを意味しています。若い頃からそれができることは、多くの人にとっての理想かもしれません。
 一方で、私のように自分をスロースターターだと評価するしかない人も多いのではないでしょうか。
 学校にも、自らを生かしきれないでいる多くの子ども達がいることでしょう。丁寧に仕上げられるという観点を疎かにせず評価することの大切さを感じます。その観点は、多くの生活場面でも仕事ぶりへの評価となり、個々の信頼につながることだからです。クレヨンでなぐりがきしかできなかった子どもが、大きな画用紙と向き合ったり、手強い木と格闘したりして、稚拙ではあっても根気よく造形表現ができるという実力は、未来を保証しようとする教育の大切な営みなのです。

【今回は、導入事例をお休みします】


CG(コンピュータグラフィックス)やアニメーションによる創造性教育

 娘が私の目を盗んで勝手にコンピュータの前に座って、びっくりするほど面白いお絵描きを見せてくれたのは、彼女が3歳頃のことでした。それによってCGによる子どもの創造力開発の可能性を感じた私は、早速自宅のアトリエを使って1999年より「こどもCG教室」を開始しました。開設当初から、せっかくCGなんだから、お絵描きだけでなくアニメーションも子どもに作らせたいと思い(ちょうどその頃、私自身がアニメーション作品を作っていた頃なので)、子どもでも使えるアニメーション制作ソフトウェアは無いか?と探しました。すると幸運にも「EVA(エバ)」という優れた画材に出会うことが出来ました。「EVA」に出会えなかったら、私の「こどもCG教室」は成立しなかったかもしれません。
 その後の10年間は、自宅でのCG教室以外に、こどもCGコンテストやこどもCG展覧会の開催、企業や地域の行政、イベントなどと協力してのこどもCG体験ワークショップの開催などで、あっという間でした。これまで、延べで6000人以上の子どもにCG体験を提供したことになります。なかでも「EVA」を使ったアニメーション教室は人気で、面白い作品がたくさん生まれます。
 その一例を紹介しましょう。私が8年続けて講師をさせてもらってるSKIPシティ(埼玉県彩の国ビジュアルプラザ)の「川口市小学生CG体験教室」での受講生の作品です。

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(小学校低学年作品)

 これらは、良い意味での子どもらしい絵が、そのまま動いてアニメーションになった例です。 アニメーションと言うよりも「動く絵」と言う方が正しいかな。低学年の作品はこのパターンが多いです。ストーリーや映像としての構成を考えずに、絵を描いた時のイメージの延長で絵を動かしてみた、と言ったところでしょうか。絵を描く場合、当然動かない絵を描く訳ですが、描いている人の頭のなかでイメージとして、絵は動いています。その動きの一部分、断片を絵にする訳です。その動きをそのまま表現したのが、子どものアニメーションだ、と言うのが私の見解です。

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(小学校高学年作品)

 高学年になると、絵が動く事とストーリー展開をリンクさせよう、という映像的な考え方が出来る様になり、その分だけ大人っぽい表現に近づくので、子ども作品特有の魅力が失われがちになります。
 しかしこれらは、作者が自身の価値観やセンスを色濃く発揮したため、絵も内容もかなり魅力的な作品に仕上がりました。

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(中学生作品)

 最後に中学生の作品です。彼は、小学生時代から非凡な表現と描写力を発揮していました。この作品では「EVA」の表現力の限界に迫る様な描き方を見せてくれました。緻密なストーリーと台詞回しが得意な彼のような子どもにとって、自分の絵とシナリオでイメージ通りの映像化が簡単に出来る「EVA」の様なアニメーション制作ソフトウェアの存在は、非常に意義があります。
 CG制作教育、特に「EVA」を使ったアニメーション制作教育には、様々な可能性と魅力があります。その実践的指導方法や、これまで出会った天才少年CGクリエーターたちの驚くべき創造力についてもご紹介してみたいのですが、またの機会とします。

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鴨長明が見た地獄

元暦2年の地震

 3月11日の巨大地震、東日本大震災がもたらした世界、日々伝えられる震災地の相貌は、鴨長明が「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。世中にある人と栖と、又かくのごとし」と語り出す『方丈記』の世界を想起させました。『方丈記』は長明が四十余りの春秋を送れる間に見聞した大火、台風、遷都、飢餓、地震の様相を深い諦観で認めたものです。澹澹(たんたん)と描かれた元暦2年(1185)7月9日の京都で起きた大地震は現在眼前にみる世界にほかなりません。

おびたゝしく大地震振(おほなゐふ)ること侍りき。そのさま、世の常ならず。山は崩れて河を埋(うづ)み、海は傾きて陸地をひたせり。土さけて水わきいで、巌われて谷にまろびいる。渚漕ぐ船は波にたゞよひ、道ゆく馬は足の立ちどをまどはす。都のほとりには、在々所々、堂舎塔廟(だうじゃたふめう)、ひとつとして全からず。或は崩れ、或は倒れぬ。塵灰立ち上りて、盛りなる煙の如し。地の動き、家の破るゝ音、雷にことならず。家の内にをれば、忽ちにひしげなんとす。走り出づれば、地われさく。羽なければ、空をも飛ぶべからず。竜ならばや、雲にも乗らむ。恐れのなかに恐るべかりけるは、只地震なりけりとこそ覚え侍りしか。かくおびたゝしく振る事は、しばしにてやみにしかども、そのなごりしばしは絶えず。世の常驚くほどの地震、二三十度振らぬ日はなし。十日廿日過ぎにしかば、やうやう間遠になりて、或は四五度、二三度、若しは一日まぜ、二三日に一度など、おほかたそのなごり、三月ばかりや侍りけむ。四大種(宇宙の一切の物体を構成する元素とみなされている地、水、火、風)のなかに水火風は常に害をなせど、大地にいたりてはことなる変をなさず。(方丈記・大地震より)

 この地震は平家物語が次のように記しています。

七月九日ノ午ノ剋計ニ大地震(ヲビタヽ)シク動イテ良久シ。怖シナンドモ愚也。(略)上ガル塵ハ煙ノ如シ。崩ル音ハ雷ニ似リ。天闇(クラ)クシテ日ノ光モ不見、老少共ニ魂ヲ消シ、鳥獣悉ク心ヲ迷ハス。遠国近国モ又如此。山崩テ河ヲ埋ミ、海傾テ浜ヲ浸ス。興(ヲキ)漕舟ハ浪漂ヒ、陸行駒ハ足の立所を迷ハス。

平家滅亡の下で

 この地震の年は、源義経が平家を屋島で破り(2月19日)、壇ノ浦で亡ぼし、安徳天皇が神剣とともに海に身を投じ(3月24日)、頼朝の覇権が確立する年です。この間の動きを年次でおってみます。

4月4日 義経、平氏討滅を奏す。11日 義経が発した壇ノ浦の戦状と平氏勦滅の報、鎌倉に達す。27日 頼朝、従二位。
5月7日 頼朝、義経に平宗盛以下の捕虜を率いて鎌倉に下らしむ。15日 頼朝、酒匂駅に着いた捕虜を北条時政に迎えさせ、義経の鎌倉入りを停める。24日 義経、腰越に止まり書(腰越状)を大江広元に致し頼朝の憤をとくことを請う。
6月9日 頼朝、再び義経に宗盛らを京師に、重衡を南都(奈良)に送らせる。21日 平宗盛を近江篠原に、23日 重衡を南都に斬る。
7月9日 大地震、月をこえて止まず。家屋の倒壊、人畜の圧死夥し。
8月16日 義経、伊予守となる。
9月2日 頼朝、梶原景季を京師に遣わし、源行家・義経の行動を偵察させる。
10月6日 景季、鎌倉に帰り、行家・義経の反状を報告。11日 行家が頼朝に叛し、義経これに組みし、院宣を奉じて頼朝を討たんことを請う。17日 頼朝追討の宣旨を義経に下す。18日 頼朝追討の院宣を行家・義経に下す。この月、建礼門院大原寂光院に移徒す。
11月3日 行家・義経、西国に赴くが、6日 風浪に遭遇して党類離散。12日 義経の官職を削る。9日 後白河法皇、密使を頼朝に遣わす。11日 官、義経の名を義行と改める。12日 院宣を諸国に下し行家、義経の捜捕せしむ。22日 義経、大雪を侵して多武峰に逃れ、その愛人静は山僧に捕えられる。29日 守護地頭を諸国に置く。

 ここには、平氏討滅で名をあげた武将義経が政治的に敗北し、頼朝が東国に武家の政権を確立していく動乱の世が展開しています。壇ノ浦における平氏の末路には、劇作家木下順二が『子午線の祀り』で描いたように、天の非情さが読みとれます。「世の常ならず」と記された大地震は、悍(おぞま)しい天の営みですが、新時代の到来を告げる予兆でもありました。
 年表に読みとれる地震・津波・噴火・大風等々の自然の営みは、それがいかに悍しい惨たる世界を現出していようとも、人知をこえた問いかけに、天の非情な想いに、歴史の闇を読み取る作法を気づかせてくれるのではないでしょうか。この天の問いかけに応じたのが、己の心と向き合い新しい精神の地平を切り開いた法然をはじめとした人々です。
 東日本大震災をどのように受けとめるかは、これら先人の声に応じ、私の心をいかに問い質すかにかかわってくるのではないでしょうか。我想いを確かめるためにも、『方丈記』の世界を足場に、非情なる天の営みを歴史に問うてみませんか。

時代を突破する精神の活力

 想うにこの大震災がもたらした惨状に人身おののき、卒業式の自粛をはじめとし、「自粛の風」が世を蓋うています。日本の最高学府を自他ともに任じている東京大学は学部学生の代表者のみによる「簡素な卒業式」であった由。無定見そのものです。この状況であるからこそ、可能なかぎり卒業式を営み、学の長たるもの、最高学府の長たる日本を代表する「知者」として、日本を揺るがす危機にいかに対峙するか、明日を切り拓くための哲学を問いかけ、いかに生きるかを説かねばならないのではないでしょうか。知の荒廃ここに極まれりとの感がします。
 かって日本敗戦の翌昭和21年(1946)2月11日の紀元節に東京帝国大学総長南原繁は「新日本の創造」を問いかけ、敗戦下の学生を鼓舞し、明日を生きる精神の糧を提示しました。
 遠き日に『方丈記』が描き出した世には時代を突破する精神の覚醒をうながす人々の働きがみられました。まさに現在求められるのはこのような精神の活力ではないでしょうか。まさに非情なる天の想いに向き合い、己の場を確かめたいものです。


「ポモナ(トルソ)」オシップ・ザッキン作

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黒檀/高さ131cm/1951

 ザッキンは、旧ソ連(現在のベラルーシ)出身の彫刻家です。1905年に母親の実家のある英国サンダーランドの美術学校で造形学を学びました。その後、大英博物館で古代彫刻を研究し、1909年にパリにわたってエコール・デ・ボザールで学ぶとともに、ピカソらエコール・ド・パリの芸術家たちと親交を結び、新しい美術のあり方を吸収しました。こうして、ザッキンは、ヨーロッパの伝統的な芸術が持つ古典的な造形美と、アフリカ彫刻などが持つ簡潔かつ素朴な要素を融合して、新しい表現に昇華させることとなりました。
 「ポモナ(トルソ)」を見てみましょう。ザッキンは健康的な若い女性を対象とした彫刻を生涯にわたり繰り返し制作しました。「トルソ」とはイタリア語で「胴体」を意味します。彫刻においては、頭や四肢などのあるべき部分が失われて提示される作品をこう呼びます。思いきって省略された頭部を、鑑賞者は無意識に頭の中で補完しながら見ることになるので、美的効果を増幅する効果を持っています。また、この作品は真っ黒で鋳造されているように見えますが、よく見るとそれが黒檀(こくたん)を彫り出したものであることがわかります。触れずとも視覚的に伝わる木の柔らかな質感は、金属とは異なる人間的な温もりを見る者に伝えます。
 「ポモナ」とはローマ神話における果実、あるいは豊穣の女神です。左胸のあたりに細い線で彫られて示される右手には、この像が何者であるかを示すように果実が握られています。

(石橋財団ブリヂストン美術館 学芸課長 新畑泰秀)

■ブリヂストン美術館ico_link

  • 所在地 東京都中央区京橋1-10-1
  • TEL 03-5777-8600(ハローダイヤル)
  • 休館日 月曜日(祝日の場合は翌日)、展示替え期間、年末年始

<展覧会情報>

  • コレクション展示「なぜ、これが傑作なの?」
  • 2011年1月4日(火)~4月16日(土)

展覧会概要

  • マネ、ルノワール、セザンヌ、マティス、ピカソ、クレー、藤島武二…。収蔵品を代表する約12作品を取り上げ、なぜ優れた作品だとされているのか、なぜ多くの人に愛されてきたのかをあらためてわかりやすく紹介。

<次回展覧会予定>

  • 特別展「アンフォルメルとは何か?―20世紀フランス絵画の挑戦」
  • 2011年4月29日(金・祝)~7月6日(水)

その他、詳細はブリヂストン美術館Webサイトico_linkでご覧ください。