「彫刻と女」 松本竣介作

油彩/キャンヴァス/117×91.2㎝/1948

油彩/キャンヴァス/117×91.2㎝/1948

 描かれたモチーフはどれも、西洋美術の伝統を踏まえたものだと考えられます。彫刻は言うまでもなく、女性の豊かな髪や衣服を透ける体の線は、ギリシャ神話から抜け出して来たかのように堂々としており、画面右下の斜めに傾いたサインは、空間の奥行きを示す線遠近法に則っているように見えます。しかしそれらはどれも、少しずつちぐはぐです。女の手足はちょっと大きすぎるようですし、線遠近法は徹底していません。彫像を載せる台は、奇妙に足の長い電話台のようではありませんか。それでいてこの作品には中途半端な印象はかけらもなく、どこか胸が痛くなるようなひたむきさを感じさせるのです。なぜでしょう。
 女と彫像の間の白い部分に注目して下さい。絵の正面に立つと、必ず目に入るのがここです。女とこの部分の青白い色は、上から色を重ねずに残された地塗りの色です。塗り重ねるのではなく塗り残すことで表現されたこの色は、「彫刻と女」の謎めいた特徴をよく表しています。淡紅色の上塗りが施された女の上半身と比べ、彫像との間はひときわ白く、光っているように見えます。「光」と呼ぶにはあまりに儚(はかな)い表現にも見えますが、作者はそのことを承知していたでしょう。なぜなら決して応えはしない彫像に触れるという女の行為もまた、「かたち」を表す線の内側に閉じ込めることのできない「光」を描くようなことだからです。触れて確かめることのできない遥かな世界への憧れが、この絵には託されているのかもしれません。
 作者の松本竣介(1912-1948)は、東京で活動した画家です。少年期の病気が元で聴覚を失っていた松本は、徴兵を免れたために第二次大戦中も東京に留まり、重要な作品を制作しました。「彫刻と女」は終戦から3年後、彼が36歳の若さで病没する直前に完成し、遺作となった3点の油彩画の内の1点です。

(福岡市美術館 学芸課 吉田暁子)

■福岡市美術館ico_link

  • 所在地 福岡市中央区大濠公園1-6
  • TEL 092-714-6051
  • 休館日 月曜日(月曜日が祝・休日の場合は開館し、次の最初の平日が休館)、12月28日~1月4日

<展覧会情報>

  • 企画展 レオナルド・ダ・ヴィンチ美の理想 展
  • 2012年1月5日(木)~3月4日(日) 特別展示室A

展覧会概要

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)の貴重な習作、弟子やレオナルド派による絵画など日本初公開を数多く含む作品約75点を紹介し、レオナルドが生涯をかけて追求した「美」とその系譜をたどります。※会期中一部展示替えがあります。

  • 常設企画展 第10回21世紀の作家-福岡 鈴木 淳 展
    なにもない、ということもない
  • 2012年1月5日(木)~3月25日(日) 2F常設展示室内企画展示室

<次回展覧会予定>

  • 第46回福岡市美術 展
  • 2012年3月13日(火)~3月25日(日)

その他、詳細は福岡市美術館Webサイトico_linkでご覧ください。


内村鑑三「飢饉の福音」が問いかけること

「ガンバレ」を問い質す

内村鑑三<国立国会図書館蔵>

内村鑑三<国立国会図書館蔵>

 3月11日以後の日本は「東北ガンバレ」の声におおわれました。この声高な応援メッセージは被災地に生きねばならない人びとの励ましになっているのでしょうか。日本では、何かというと「ガンバレ」「ガンバレ」とエールを送り、これに唱和するかのごとく「ガンバリマス」というのが、連帯を表す作法であるようです。この作法は如何なものでしょうか。被災地の人びとは、日々を生き抜くために、懸命にその日の営みをされています。「ガンバレ」「ガンバッテ下さい」なるかけ声は、励ましではなく、明日をどう生きるかに思い苦しむ者を鞭打つものではないでしょうか。

 私は、何かというと「ガンバレ」「ガンバリマス」という応答が日常的に氾濫している世間の風潮になじめず、強い嫌悪感を抱く者です。「がんばる」という作法は、「がん」が頑固であり、「ばる」は突っ張り、意地を張ることで、己を問い質す心のゆとり、理性的判断力を失わせるものでしかありません。突っ張れば切れるだけです。近年巷でおこる「無差別殺傷事件」とみなされるものは、「ガンバッタ」がために心身が切れ、突発的ともいえる行動に奔らせたものといえましょう。日本人が好む「ガンバレ」という主義、「ガンバリズム」は、昔「皇軍」と称揚された日本の国軍をささえた精神が横溢していれば出来ないものは無いという精神主義の残飯でしかなく、理性を狂わせるものでしかありません。
 東日本大震災以後の日本社会を蓋う閉塞感は、この「ガンバリズム」が列島に横溢することで、日毎に深まり、日本を出口のない迷路に追いこんでいるようです。この迷路を打開するには何が問われているのでしょうか、先人は、このような自然災害とどのように向き合い、人間としての生きる命を学ぼうとしたのでしょうか。そこで日露戦争後の東北凶災をみつめ、何が国民に問いかけられているかを説き語ったキリスト者内村鑑三の声に耳を傾けたく思います。
 内村は、青森県弘前に東奥義塾を創立した本多庸一の要請を受け、明治36年5月11日に東京神田のYMCAで開催された東北救済のための演説会で「飢饉の福音」を語りました。現在(いま)この声に耳を傾けたとき、明日を生きるには何が問われているかを読みとる精神の糧を手にしうるのではないでしょうか。

天災飢饉をどのように向き合うか

 「飢饉の福音」なるメッセージは、まず「飢饉は或る意味から云へば神の下し給ふ刑罰」と語りだし、天災飢饉にどのように向き合うかを問い語りかけたものです。その声に耳を傾け、内なる声を聞きたく思います。

 飢饉は或る意味から云へば神の下し給ふ刑罰であります、之れは民の懶惰を懲らさんが為めか、又は為政家の怠慢を責めんが為めに、神が人に加へ給ふ鞭であります、夫れ故に飢饉其物は決して喜ぶべき幸福なる事ではありません。(略)然しながら凡の災害を其正当の意味に於て解釈しますれば災害は返て我々に多くの福音を伝ふるものであります、素々神の意志より出たる災害でありますから其苦き杯の中に甘き訓戒が有るべき筈であります、飢饉を単の災害として受くべき乎、或は之を変じて幸福の泉となすべきかは我々の之に加ふる註解如何に由ります。

一、飢饉に依て我等は我等の平常の用意の足らないのを覚るのであります(略)
二、飢饉に由て我等は政治家の無能怠慢と社会組織の不完全を覚るのであります(略)
三、飢饉は人に取つては災害でありますが、土地に取つては幸福であります。
四、言ふまでもなく凡ての災害は人の冷却せし同情推察の情を起すものであります、爾うして茲に特に注意すべきことは災害なるものは多くは悪人其者の上に直に来らずして、真固の悪人以外の者の上に来ることであります、今年の我邦の飢饉の如き若し其民の罪悪の度合から申しましたならば、之れは西南の薩摩か長州に来るべき筈のものであります、又彼等の罪悪を助けた者は肥後の教育家と文人とであります、故に若し罪悪応報が飢饉の目的でありますならば之れは重に西南地方を襲ふべき筈のものであるやうに見えます。然るに実際は全く之に反して比較的に罪少き東北人の上に臨み来つたのは如何にも惨酷であるやうに見えます。(略)

 明治政府の犯した罪悪に最も関係の少ない東北の民が或は海嘯に罹り、或は飢饉に苦んで此政府の如何に思慮なき、如何に無慈悲なる、如何に不公平なる、如何に頼むに足らざる政府である事が能く判るのであります、爾うして斯く観じ来つて我々は一層明白に此等罹災民に対する我々の責任が分かるのであります、即ち彼等は重に彼等の罪のためではなくして日本全国民、特に薩長の偽善政治家のために苦みつゝあるのであるのを見まして、我等は殊更に深い同情を是等の窮民に向つて表さなければならないことが判ります。

 内村は、天災飢饉を人間の生き方、社会の在り方の問題ととらえることで、現在をいかに生きるかを問いかけます。この告発には、薩長政府の在り方、教育勅語を主導した元田永孚らによる国家の営みに対する厳しい批判が託されていますが、災害を単に自然現象とみなすのではなく、いかに生きるかという問いかけが託されています。

生きる力とは

 多様な被災地の復興には、当面の物質的支援もさることながら、被災者自らが生きる力を如何に身につけるか、自力への内的活力が問われているのではないでしょうか。しかし現在目にするのは、いまだに内村を慨嘆させた世界、「政府の如何に思慮なき、如何に無慈悲なる、如何に不公平なる、如何に頼むに足らざる政府」に右顧左眄するのみで、「ガンバレ」「ガンバッテ」という声しか耳にしません。明日に向かっていかに生きるかを問い質すメ―セージを発信する存在がいないところに現在の日本に貧しさがあるのではないでしょうか。それだけに明治末年、日露戦争の勝利に酔い痴れていた日本国民にもたらされた飢饉を国民精神覚醒の起爆剤ととらえることで、新生日本の明日をみつめようとした内村鑑三の声を己の内なる世界で問い返したく思います。思うに日常の暮らしに追われているからこそ、私たちには日々の営みを厳しくみつめ、己を律する何かが求められています。その何かを見いだせない限り、明日は手にしえないのです。この課題を「飢饉の福音」から学びたいものです。

内村鑑三

  • 「飢饉」(『万朝報』明治35年8月18日 『内村鑑三全集』10巻 岩波書店)
  • 「飢饉の福音」(『聖書之研究』40号 明治36年5月28日 同全集11巻)
  • 「戦勝と飢饉」(『新希望』71号 明治39年1月15日 同全集14巻)
  • 「天災と天罰と天恵」(『主婦之友』7巻10号 大正12年10月1日 同全集28巻)


「創造」という力

今月のPhoto:思わずつられて笑ってしまいました。蚤の市のハンガーです。(アムステルダム)

今月のPhoto:思わずつられて笑ってしまいました。蚤の市のハンガーです。(アムステルダム)

 最近、思考回路が混乱しているように感じています。数ヶ月かかりましたが、出張等の移動時間に「ドグラ・マグラ」(夢野久作1935)をようやく読み終えたことが原因かもしれません。理解するのに骨が折れるほど複雑で、奇書と言われることが理解できる強烈な内容でした。読んだ人は精神に異常を来すとも書評にありましたから、私の思考回路がしばらく混乱するぐらいは普通なのかもしれません。
 「ドグラ・マグラ」との出会いはとても単純です。震災直後にガソリンが不足して、スタンドに行列している間に、以前から読みたいと思っていた芥川龍之介(1892-1927)の作品数編を読んでしまったため、次に何を読もうかと昨年購入した電子辞書の中で探しているときに、書名に惹かれて読み始めたのがきっかけでした。ですから、角川文庫の「ドグラ・マグラ」の表紙が米倉斉加年のイラストであることを知ったのも読み終える直前でしたし、推理小説の奇書であることも書評等から読後に知った次第です。情報がないままに読みつなぐうち、作者の思考や文体の異常性を感じ始め、単なる推理小説ではない面白さに引き込まれ、その怪奇性にも翻弄されながら、読みつなぐ電車や歯科医での待ち時間がいつの間にか楽しみになっている自分に気づきました。
 「ドグラ・マグラ」は映画にもなったそうですから、楽しみの一部は残しているような気分です。読み終えて形成されているイメージの視点は多様です。それだけに映像での表現は難しいと思うのですが、配役と状況設定への興味が強くありますので、近いうちに必ずDVDを探し出すでしょう。映画でも思考回路が混乱した方はいるのでしょうか。
 読み終えて、それまで鬼才と考えていた芥川龍之介が普通の人に思えるようになったほど、「ドグラ・マグラ」の内容は奇異であり、その作者の超常性に圧倒された感じでした。私の年齢とほぼ同じ年月を経ても、色褪せない「創造」の偉大さを感じさせられる傑作です。そして、それは夢野久作(1889-1936)の遺書であると感じています。彼はチャップリン(Charles Chaplin, 1889—1977)やヒトラー(Adolf Hitler, 1889–1945)と生年が同じです。大きな創造のうねりの中を生きていたのかもしれません。
 一方、美術の世界でも、当時は創造的な大作家たちが活躍していた時代です。

図−1

図−1

 夢野久作が生まれた数日あと(明治22年)にアレクサンドル・カバネル(Alexandre Cabanel, 1823-1889)が遠くフランスで没しています。カバネルは、ブグロー(William Adolphe Bouguereau, 1825—1905)とともに、当時のフランス美術界に君臨した存在だったようです。共通のテーマで描かれた二人の代表作「ヴィーナスの誕生」は、オルセー美術館で見ることができます。図−1はカバネルの、図−2はブグローの作品「ヴィーナスの誕生」です。オルセー美術館の1階奥の暗がりで、ブグローの「ヴィーナスの誕生」に見入る幼い少女がいました。何度見ても、誰が見ても、ヴィーナスの美しさとブグローの表現の巧みさに見惚れてしまう作品だと思います。

図−2

図−2

 にもかかわらず、二人の名前や作品は、「印象派」のマネ(Édouard Manet, 1832-1883、「美術資料」p11,100参照:秀学社)、モネ(Claude Monet, 1840-1926、「美術資料」p102参照:秀学社)、あるいはルノワール(Pierre-Auguste Renoir, 1841-1919、「美術資料」p103参照:秀学社)ほどに知る人は少ないのではないでしょうか。ブグローたちの時代直後に起きた「印象派」による絵画表現世界の大改革とは、それほど彼らの作品を希薄にし、「印象派」はその後の美術界にとって重要な影響を与えたということができるのかもしれません。
 ブグローは、描画力、表現性において、現代の私たちにも圧倒的な絵画的表現技術力を感じさせています。特に、彼の代表作「ヴィーナスの誕生」の美しさは、ヴィーナスや天使たちの裸体の美しさのみならず、水面の表現やホタテ貝の上にしっかりと足を置くヴィーナスの表現力などは、見飽きない描画の力を見せつけています。ボッティチェッリ(Sandro Botticelli, 1445-1510、「美術資料」p97参照:秀学社)、ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau, 1826-1898)の作品に比べても、けっして見劣るものではありません。むしろ、描画対象を自由自在に描いたという点においては、より優れた表現力をもっていたと言えるでしょう。
 ではなぜ、21世紀初頭の教科書や美術資料に「印象派」が多く掲載されるのでしょう。
 印象派の時代は、作家の個性重視と「創造」の力に明確に目覚めた時代であったと捉えることができます。その「創造」の力を後押しした要因として、カメラの発明やジャポニスムがよく言われますが、当時、金属製チューブに入り始めた絵の具(1840年代:秀学社「美術資料」p103参照)の利便性も見逃すことのできない表現環境の変化であったと思われます。ほとばしる印象派の画家たちのエネルギーが、間を置くことなく、あらかじめチューブからパレットに出しておくことができた絵の具を創造感覚の赴くままにキャンバス上に塗り重ねたであろうことは容易に想像できます。カメラは絵画の再現性を、日本美術は絵画の創造性を再考させ、そしてチューブ入り絵の具は創造環境を大きく変化させたのでしょう。
 しかし、ブグローやカバネルたちの19世紀絵画を見ていると、現代人が絵画に対して素朴に求めるアカデミズムの表現性を私は感じるようになりました。彼らの作品鑑賞をパリの美術館巡りの楽しみにお加え下さい。

【今回は、導入事例をお休みします】


運命の子

(C)Shanghai Film Group Co., Ltd. Shanghai Film Studio/TIK FILMS/Stellar Mega Films Co., Ltd./21 Century Shengkai Film

(C)Shanghai Film Group Co., Ltd. Shanghai Film Studio/TIK FILMS/Stellar Mega Films Co., Ltd./21 Century Shengkai Film

 「さらば、わが愛 覇王別姫」、「花の生涯~梅蘭芳~」と、チェン・カイコー監督は、中国伝統の京劇をテーマにした映画に優れた手腕を見せる。いずれもスケールの大きな傑作で、京劇のファンはもちろん、一般の映画好きを魅了し続けている。このほど公開の「運命の子」(角川映画配給・原題「趙氏孤児」)もまた、京劇で長く上演され続けているレパートリーだ。 
 原典は「史記」である。今から2000年以上も前に書かれた「史記」は、前漢時代の歴史家、司馬遷の纏めた中国初の歴史書で、紀元前90年頃に完成、全130巻からなる。伝説の黄帝の時代から、司馬遷の生きた漢代まで、ざっと1000年以上の歴史が綴られる。
 多くの人物が出てくる。皇帝、貴族から、一介の庶民、ヤクザのような人物に至るまでの栄枯盛衰の歴史を、多くの逸話とともに痛快に描く。決して、無味乾燥な歴史書ではない。今でも読み継がれているのは、おそらく、現代にも通じる普遍の真理が描かれているからと思われる。 

(C)Shanghai Film Group Co., Ltd. Shanghai Film Studio/TIK FILMS/Stellar Mega Films Co., Ltd./21 Century Shengkai Film

(C)Shanghai Film Group Co., Ltd. Shanghai Film Studio/TIK FILMS/Stellar Mega Films Co., Ltd./21 Century Shengkai Film

 映画「運命の子」は、この司馬遷の「史記」の中の「趙世家」に基づくチェン・カイコーのフィクションだが、実在の人物が多く登場する。
 紀元前598年の春秋時代、晋の国の高官を務める趙一族が粛清される事件が起こる。趙一族は皆殺しにされようとするが、生まれてすぐの男の子が、母親、荘姫(ファン・ビンビン)の機転で生き残る。荘姫は、医師の程嬰(グォ・ヨウ)にわが子を託して自害、程嬰は、自らの子を犠牲にして、残された子を程勃と名付け、育てる。しかも程嬰は、なんと趙氏を滅ぼした武官、屠岸賈(ワン・シュエチー)に、程勃の後見を頼む。やがて屠岸賈は、程勃(8歳をウィリアム・ワン、15歳をチャオ・ウェンハオ)を溺愛するようになる。程嬰の狙いは、やがて、大きくなった程勃に真実を告げ、屠岸賈への復讐を果たすことだった。
 実の子ではないが、屠岸賈とて人間である。慕われ、武術を教えた子が可愛くない訳がない。情が移るのは当然である。成長した程勃は、出生の秘密を知り、悩むことになる。そして、事情を知った養父と息子は、現実に立ち向かうが…。 

(C)Shanghai Film Group Co., Ltd. Shanghai Film Studio/TIK FILMS/Stellar Mega Films Co., Ltd./21 Century Shengkai Film

(C)Shanghai Film Group Co., Ltd. Shanghai Film Studio/TIK FILMS/Stellar Mega Films Co., Ltd./21 Century Shengkai Film

 中国の人気スターがずらりと顔を揃える。屠岸賈を演じたワン・シュエチーが、史実とは異なる残虐非業な武官と、養子を溺愛する養父の同一人物の複雑な性格を演じて、見事である。母親役のファン・ビンビンは、息を飲むほどの美女。最近では「孫文の義士団」、「新少林寺」でも、その美貌は輝いている。医師の程嬰を演じるグォ・ヨウは、中国で一番人気のある俳優。大ヒットした「狙った恋の落とし方」など、やはり中国で大人気の監督フォン・シャオガンのほとんどの映画に出ている。 
 戦闘シーンの迫力もさることながら、美しい風景が数多く映し出され、チェン・カイコーの美意識に見ほれる。
 見ていて思ったのは、日本の歌舞伎にも、子を犠牲にした演目が多いことだった。菅原道真の失脚事件を題材にした「菅原伝授手習鑑」の中の「寺子屋」や、伊達騒動を描いた「伽羅先代萩」、熊谷直実が恩に報いるために実子を犠牲にする「熊谷陣屋」など、忠義のために子を犠牲にする話は多い。古今東西、人を感動させるドラマの仕掛けは合い通じるのだろう。
 古い歴史の話ではあるが、世の理不尽さ、不条理は、いまなお存在する。虐げられ、恨みを晴らそうとすることもある。晴らせないまま、別の人生を選ばざるを得ないこともある。親も子も悲しみを背負い、それでも生きていく辛い現実がある。
 「史記」を読まれたり、京劇や歌舞伎、映画をいろいろとご覧になると、そういった様々な人生に遭遇することが出来るはず。フィクションではあるけれど、取りも直さず、このようなドラマは、人間の生きてきた歴史に基づいているのだから。

2011年12月23日(金・祝)より、Bunkamura ル・シネマico_linkほか全国順次公開

「運命の子」

監督・脚本:チェン・カイコー
原典:司馬遷『史記』
原作小説:陳凱歌「運命の子」(角川文庫刊)
出演:グォ・ヨウ、ワン・シュエチー、ファン・ビンビン、ホワン・シャオミン、ハイ・チン、チャン・フォンイー
2010年/中国映画/カラー/128分/ドルビーSRD
原題:趙氏孤児{SACRIFICE}
配給:角川映画


福島の子どもを元気にしたキャンプ

 3月11日の東日本大震災から9ヶ月になろうとしている。被災を受けた地域の子どもたちは元気な生活を送っているのだろうか。
 国立青少年教育振興機構は、大災害を受けた福島の子どもたちが少しでも元気になるように、今年の夏休みに那須甲子青少年自然の家と磐梯青少年交流の家で三泊四日のリフレッシュキャンプを実施した。

■ 参加した動機

 そのキャンプは子どもたちにどんな効果をもたらしたのだろうか。事前事後の調査結果が発表された。参加した児童生徒は2,258名。子どもたちの参加の動機は多様である。その中で、6割を超す子どもたちは次の理由から参加している。

1位…キャンプの活動内容が面白そう(75.6%)
2位…外で体を動かしたかった(66.5%)
3位…夏休みなのでどこかに行きたかった(65.6%)
4位…プールで泳ぎたかった(61.1%)

 友達に誘われてや親や先生に勧められてという、消極的な動機ではなく、安心安全な場所で体を動かしたい、という積極的な意図を持って参加している。
 参加する前、子どもたちはどんな生活行動をしていたか。
 子どもたちが夏休みになる一週間前、学校の休み時間で取った行動は、次のとおりである。

1位…友達とおしゃべりをしていた(78.1%)
2位…トランプやオセロ、将棋などをした(42.8%)
3位…読書をした(39.9%)

 友達とのおしゃべりがダントツ。それに屋内遊びや読書という教室内に限定された行動が続く。「鉄棒・滑り台で遊んだ」(9.3%)、「縄跳びをした」(10.5%)など屋外遊びは1割にとどまる。
 放課後もやはり屋内行動が主流である。「テレビをみた」(75.4%)、「勉強した」(75.3%)、「ゲームをした」(61.9%)。「学校や公園にいって遊んだ」(25.2%)や「友達とボール遊びをした」(23.6%)は四人に一人にとどまる。

■ 三泊四日のキャンプの成果

 キャンプに参加する前と後では子どもたちの心と体はどう変化したのだろうか。結論を先に言えば、事後の方が数値が上がっている。

□「いろいろなことにやる気がある」
  〔よくあった〕50.2%(後) > 31.8%(前) 
□「やろうと思っても、なかなか手がつかない」
  〔全くなかった〕36.9%(後) > 17.7%(前) 
□「からだから、力がわかない」
  〔全くなかった〕68.9%(後) > 59.5%(前) 

 これらの項目は「無気力」を測定したものである。キャンプ後には無気力の数値が少なくなり、意欲を取り戻している。

□「ワケもなく悲しくて何もしたくない」
  〔全くない〕76.6%(後) > 70.3%(前) 
□「味や痛さを感じない」
  〔全くない〕87.2%(後) > 80.3%(前) 

 これらの項目は「うつ反応」を測定したものである。キャンプ後には「うつ」的な気分は低下し元気になっている。

□「むしゃくしゃしてすぐかっとする」
  〔全くない〕61.7%(後) > 44.1%(前) 
□「頭痛や腹痛など体の具合が悪い」
  〔全くない〕66.3%(後) > 55.0%(前) 

 これらの項目は「精神的な混乱」を測定したものである。「かっとすること」や精神的な影響から生じる「頭痛や腹痛といった体調の悪さ」は減っている。

□「心配でイライラして落ち着かない」
  〔全くない〕68.4%(後) > 56.3%(前) 
□「小さな音にびっくりする」
  〔全くない〕70.4%(後) > 61.7%(前) 

 これらの項目は「不安反応」を測定したものである。イライラが少なくなり、小さな音にびっくりしなくなっている。
 事後にプラスの効果をもたらしている。
 なかでも、「無気力」を測定しているカテゴリーの上昇が著しい。キャンプの後、子どもたちはやる気を取り戻し、前向きになっている。
 三人に二人(73.5%)の子どもが「リフレッシュキャンプは楽しかった」〔とてもそう〕と答えている。〔まあそうであった〕を加えると96%に達する。この種の調査ではかなり高い評価をもらっている。
 「教室」と「家」の中に閉じこめられた生活を余儀なくされた子どもにとって、自然の中で友達と自由に伸び伸びと活動できたことは貴重な体験となっているようだ。キャンプという自然体験を通して元気になり、新しい思い出づくりができている。
日文の教育情報ロゴ

「三等船室」 アルフレッド・スティーグリッツ作

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1907

 アルフレッド・スティーグリッツ(1864-1946)は、芸術としての写真を高らかにうたい挙げ、近代写真の父と称されました。1902年に先進的な写真グループ「フォト・セセッション」を結成し、翌年には機関誌『カメラ・ワーク』を創刊。1905年に通称「291」と呼ばれた画廊をニューヨークに開設しました。この機関誌と画廊は写真表現に決定的な影響を及ぼすとともに、ロダン、ピカソなどヨーロッパの前衛美術を紹介し、アメリカにおける近代芸術の出発点ともなりました。
 「三等船室」は、スティーグリッツの代表作であると同時に、近代写真を代表する1点です。1907年にニューヨークからヨーロッパに向かう最新型の船の一等船室に乗り込んだスティーグリッツは、その気取った雰囲気に嫌悪を抱いて三等船室の方へ向かい、この光景を目にしました。「丸い麦わら帽、左に傾いた煙突と右に傾いている階段、鎖の手すりのある真白な橋、階下の男の背中に交差している白いズボン吊」(1)。互いに関連した様々な形と、そこにある人生をしばらく魅せられたように眺め、急いでカメラを取りに行ってただ一枚あったネガに撮影したのが、この写真です。分割された空間に、断片化した様々な形が絡み合い、写真におけるキュビスムと称されました。
 この時スティーグリッツは、写真美学の重要な転換期にいました。撮影から4年後の1911年にはじめて発表したこの写真によって、絵画への追従であったピクトリアリズムと決別して、写真本来のシャープな画像を焼き付けていくストレート・フォトグラフィーへ向かい、写真独自の美学を希求していきました。

(1)Alfred Stieglitz,“How The Steerage Happened”,Twice a Year(8-9),1942, pp.175-178.より訳出。

(島根県立美術館学芸グループ課長 蔦谷典子)

■島根県立美術館ico_link

  • 所在地 島根県松江市袖師町1-5
  • TEL 0852-55-4700
  • 休館日 火曜日、年末年始
    ※ただし企画展の開催日程等にあわせ休館日を変更する場合があります。

<次回展覧会予定>

  • 第58回 日本伝統工芸展 ~人間国宝から新進作家まで~
  • 2011年12月7日(水)~12月25日(日)

<展覧会情報>

  • 新春特別企画 没後40年 伊東深水展
  • 2012年1月2日(月・祝)~2月13日(月)

展覧会概要

  • 美人画家として不動の人気をほこる伊東深水の作品は、今なお華やかな女性像で見る人を魅了します。美人画を代表する作品を世に遺し、いわゆる「深水型美人」として親しまれている、伊東深水の画業を紹介します。

その他、詳細は島根県立美術館Webサイトico_linkでご覧ください。