月別アーカイブ: 2014年2月
日本におけるESD推進の現状と課題
1.ESDのあゆみ
現代世界は,異文化衝突などの異文化理解に関わる問題,生態系破壊などの環境に関わる問題,経済格差などの開発に関わる問題など,互いに関連する様々な課題に直面している。現代世界に顕在化している地球的課題のほとんどは,地球資源の有限性のためにその持続性が問題となっている場合が多い。地球全体で持続可能な社会を実現するために,持続可能な開発(Sustainable Development:SD)の視点に立って,あらゆるレベルで人々の行動を変革していくことが求められている。
戦後,先進国を中心として,大量生産・大量消費・大量廃棄に象徴される開発が行われるようになると,地球環境は急速に悪化した。1972年に国連人間環境会議が開催され,地球環境はもはや持続可能なものではないことが確認された。その後,生態系破壊などの環境問題と,貧困,文化摩擦といった経済社会問題との相互関連が明らかになり,持続可能な開発が将来に向けた新しい開発の概念として登場した。
1992年に地球サミット(環境と開発に関する国際連合会議)が開催され,持続可能な開発の行動計画である「アジェンダ21」の中で,環境と開発の課題に人々が対処する能力を育成する教育が重要であることが強調された。
2002年のヨハネスブルグ・サミット(持続可能な開発に関する世界首脳会議)において,日本政府は,持続可能な開発のための教育(Education for Sustainable Development:ESD)の10年を提案した。この年の国連総会において,2005年から2014年は「国連持続可能な開発のための教育の10年(United Nations Decade of Education for Sustainable Development:UNDESD)を実施することが決まり,ESDはユネスコをリードエージェンシーとして,国際的に推進されるようになった。世界中の人々はESDにより,地球市民として持続性が危ぶまれている諸課題に対処することが求められている。
2.ESDの特色
2005年にユネスコにより「国連持続可能な開発のための教育の10年」の国際実施計画が策定された。これを受けて作成された『わが国における「国連持続可能な開発のための教育の10年」実施計画』は,ESDの目標を次のように示している。
すべての人が質の高い教育の恩恵を享受し,また,持続可能な開発のために求められる原則,価値観及び行動が,あらゆる教育や学びの場に取り込まれ,環境,経済,社会の面において持続可能な将来が実現できるような行動の変革をもたらすことです。 ※下線太字は筆者加筆
ESDは,大量生産,大量消費,大量廃棄から,持続可能な社会の形成のために適量生産,適量消費,適量廃棄を「善」とするパラダイム・シフトを内容に掲げ,持続可能な開発の視点に立ったあらゆるレベルでの意識改革や具体的な行動を促している。単なる知識を網羅的に得ることだけに留まらないように,参加型アプローチの方法を採用している。ESDにとって価値観は要となる大事な視点であり,持続可能な開発に関する価値観の認識と社会に参画する力の育成を目指している。ユネスコ国際実施計画フレームワークは,ESDの3大領域と15重点分野を示した(表1)。
社会・文化,環境,経済の三つの領域に属する15の重点分野は,持続性が危ぶまれている現代世界の諸課題であり,主に社会科教育の中で取り上げることができる。持続可能な開発のための地理教育に関するルツェルン宣言(2007)は,UNDESDのほとんど全ての「行動テーマ」が地理的特徴を有しており,世界の地理教育においてESDを導入することを提唱している。
ESDを学校教育で普及させるために,ユネスコは「持続可能な未来のための学習」という教員研修用教材を作成した。この中に示されている学際的テーマの指導の章では,持続可能性の視点が学習過程に取り入れられている。
3.日本におけるESD推進の現状
ESDは学校教育や社会教育等で総合的に取り組むことが前提である。また,各教科においてもその特性を生かして取り組むことが必要である。2008年の中央教育審議会は,学習指導要領改訂に関する答申の中でESDの取り組みの重要性を指摘した。この答申を踏まえ,現行の学習指導要領にESDの視点が盛り込まれた。
特に,社会科教育では持続可能な社会の実現を見据えた改訂となった。小学校の学習指導要領では,ESDに関連する「持続可能な社会」の用語は用いられていない。小学校の学習指導要領解説社会編においては,公民的資質を定義した上で,持続可能な社会の実現を目指すなど,よりよい社会の形成に参画する資質や能力の基礎をも含むものであることが示されている。
中学校の学習指導要領では,地理的分野と公民的分野の内容に「持続可能な社会」の用語が盛り込まれている。地理的分野では,小項目「環境問題や環境保全を中核とした考察」で,持続可能な社会の構築のためには,地域における取り組みが大切であることなどについて考えることが示されている。公民的分野では,地理的分野と歴史的分野の学習成果を踏まえた中項目「よりよい社会を目指して」で,持続可能な社会を形成するという観点から,私たちがよりよい社会を築いていくために解決すべき課題を探究させ,自分の考えをまとめさせることが示されている。中学校社会科では環境保全や現代世界の諸課題の内容を扱うようになっているが,具体的な授業方法については十分に示されていない。
社会科教育に関連する学会などでは,例会や学会のシンポジウムのテーマとしてESDが取り上げられるようになり,どのようにすればESDとしての社会科教育の実践となるのかについて議論されてきた。しかし,各論者のESD論の主張に留まり,共通理解までは至っていない。
2010年の国立教育政策研究所によるESDに関する研究の中間報告書は,各教科によるESDの推進のために,具体的な実践方法の例として,視点整理型アプローチとチェックシート型アプローチを提案した。前者は教科等をベースとしたESD実践を新しく創る場合,後者は従来の実践をESD実践へと改善していく場合に適している。これらを各教科の授業で活用することが求められているが,視点を入れすぎて焦点化できない,チェックが主観的になるなどの問題も挙げられている。
これらのように,日本では各教科を中心としたESD推進の取り組みがなされているにもかかわらず,依然としてESD像が多種多様であり,従来の教科や総合学習とESDの実践との違いが曖昧である。このため,一部の意欲ある教員による先進的な取り組みを除いて,ESDの視点を導入した授業開発は進んでいない。
社会科教育においては,「持続可能な社会の実現」をキーワードとして,持続性が危ぶまれている現代世界の諸課題などの社会的論争問題を取り上げ,それらとのつながりと特色をとらえ,将来の持続可能性を見据えて,解決策を考え,判断していくような実践が求められる。
4.日本のESD推進の課題に対する示唆
ESDは学校教育や社会教育等で総合的に取り組むことが必要であるが,日本では学校全体の取り組みや地域社会との連携が弱い。このような課題を解決する示唆を得るために,諸外国におけるESD推進の取り組みを見ていきたい。
2004年に中国の北京で環境モデル中学校とモデル住宅団地を視察した。中国は,ユネスコによる「環境,人口,開発プロジェクト」を1998年以降導入した。ESDを参考としたEPD(UNESCO Project on Education for Environment, Popuration and Sustainable Development)は,全国8省で,小・中・高等学校を合わせて約1000校が実験校に指定されるなど,国を挙げて推進されていた。訪問した北京市第八十中学では,EPDの時間は特に設定されていないが,普段は各教科で「環境・人口・開発」について取り扱い,毎年3回程度EPD関係の行事を催すことで学校全体の意識を高めていた。
北京市郊外の西城区にある持続可能な教育モデル地区である汽南社区は,中国の第一機械部の宿舎として1950年代に建設された。3700世帯8000人が住むコミュニティである(写真1)。近くに小・中学校があり,学校の教員も社区に訪問するなど,社区と学校は密接な連携をとっている。小・中学生は土日を使って社会実践を行っている。EPDとの関連では,住宅から離れたところにゴミ置場を設置し,ゴミの分別を行い,生活環境保護のためにバッテリー回収したり,室内装飾は環境に優しい材料を使用したり,石炭等の直接利用を禁止したりしている。このように社区は学習基地となっていた。
2008年にアメリカ合衆国オレゴン州ポートランド郊外でESDを推進しているグラッドストーン学区(Gladstone School District)を視察した。学区には,幼稚園(250人),小学校(1-5学年:713人),ミドルスクール(6-8学年:500人),ハイスクール(9-12学年:720人)がある。UNESCO教師教育プログラムの中心的な存在(ESD Toolkitの作成者)で,オレゴン州ポートランド州立大学に勤務していたDr. Rosalyn McKeown と連携し,教育長の指導のもとで学区全体でESDを推進していた。また,グラッドストーン高校の科学の教員が学区全体のESDカリキュラムを開発していた。2009年の訪問の際には,ESDの視点を取り入れた授業が導入され,教師のESDに対する意識が高まっていた。
グラッドストーン高校の科学では,生物をベースとした選択授業が設定され,再生可能エネルギーに関する授業が含まれ,ビジネスやテクノロジーでは,環境・社会・経済の各領域から環境に優しい生活を提案する授業が導入されていた。また,低エネルギー消費を意識した科学技術棟が増築され,棟全体で雨水を再利用でき,教室には室温を調節する環境適用装置が設置されていた。
グラッドストーン学区では,2009年1月に子どもと家族の施設をオープンさせた。この施設は,幼稚園を核として,子ども委員会,教育サービス局をパートナーとして早期幼児プログラムを取り入れ,コミュニティーカレッジ,健康局,精神衛生局,福祉サービス局とも連携している。
この施設は,子どもの教育経験の基礎を確立し,最善の環境設計を学ぶことを目指しており,教室は自然光で満たされ,図書館や子どもと家族が活動できるコミュニティルーム(写真2)や野菜を栽培できる農園がある。
このように,学区はカリキュラム,施設,パートナーシップを柱として,ESDと向き合っている。
5.日本のESD推進に向けて
UNDESDの最終年の会合が2014年11月に岡山市と名古屋市で開かれることが決定している。ESDは,日本の一般社会でも教育現場においても,十分に周知され,積極的に実践されているとは言い難い。
中国のEPD の国家的な推進やアメリカ合衆国のESDの先進的学区の取り組みから,日本においても地域の学校教育と社会教育が連携する体制を構築していくことが必要である。また,地域の教育委員会などが中心となり,個々の教員が各教科の中で積極的にESDの視点を導入していけるような支援体制を整えていきたい。
〈参考〉
- 国立教育政策研究所教育課程研究センター『学校における持続可能な発展のための教育(ESD)に関する研究中間報告書』2010
- 「国連持続可能な開発のための教育の10年」関係省庁連絡会議編『わが国における「国連持続可能な開発のための教育の10年」実施計画』2006
- UNESCO, United Nations Decade of Education for Sustainable Development( 2005-2014):Draft International Implementation Scheme, 2004
|
永田 成文(ながた しげふみ) |
子どもをはじめ,世界の人々のために
わたしは,ごく普通の小学生だったと思います。その中で印象に残っていることは,夏休みにハワイへ家族旅行をしたことです。わたしにとっては,とても貴重な体験だったと思います。異文化に触れ,言葉の通じない人がいる。そういう国があることを,身をもって知った瞬間でした。わたしの人生における最初の分岐点でした。そのときの旅行で撮った写真を画用紙に貼り,何枚も重ねてノートのようにして夏休みの自由研究の宿題で提出した記憶があります。
その後時が過ぎ,中学生のころ,ふと見ていたテレビで,世界には日本で想像もつかないような貧困や紛争,迫害があることを知り,大きな衝撃を受け,それを解決するような仕事がしたいという夢をもちました。そして大学4年生のときに,1年間アフリカのエリトリアでボランティアをします。その延長でヒューマン・ライツ・ウォッチというNGOを日本に立ち上げたいと思うようになりました。
日々,日本人が何事も当たり前だと思っていることが,世界では当たり前ではないということを感じています。例えば日本だと教育を受ける,学校に行くことは当たり前ですが,学校に行きたくても行けない子どもが世界にはたくさんいるのです。例えば女子なら,10代前半で結婚を余儀なくされる現状があり,家事に追われる毎日で学校に通えず,自分の思うような人生を送るための最初の一歩が踏み出せないでいるのです。
わたしたちは人権のNGOなので,いじめについて考えることが多くあります。性同一性障害や同性愛の子ども,民族的なマイノリティなど,マイノリティのバックグラウンドがあるといじめのターゲットにされやすいのです。いじめから子どもを守れるのはやはり,学校の先生ではないでしょうか。なぜなら,わたしたちと同じように人権を守る最前線にいる大人だからです。子どもの能力を広げてあげたり,あるいは困っている子どもがいたらSOSをキャッチしたりできるのも,家庭や地域,そして最も身近な存在である先生です。本当に貴重な仕事だと思っています。

土井香苗
1975年,神奈川県生まれ。
NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ日本代表,弁護士。
1996年,司法試験に合格後,大学4年生のとき,NGOピースボートのボランティアとして,1年間,エリトリア法務省で法律づくりに携わる。
2000年から弁護士。業務の傍ら,日本にいる難民の法的支援や難民認定法改正のキャンペーンにかかわる。
2008年9月から日本代表。
これまでに,テレビ朝日「サンデーフロントライン」のニュース選定委員やCS朝日ニュースター「ニュースの深層」のキャスターを務める。
2010年,エイボン女性賞受賞。2011年,世界経済フォーラムのYoung Global Leader。
ARコンテンツ ※ARについて
■表2「い~め~る 土井香苗さん」
■P.26「ご当地料理紹介 浜松餃子」
■P.27「わが町オススメ行事 せたがやボロ市」
「愛国心」を自覚した秋
承前
「大皇国」日本という言説は、教育勅語に唱和していくなかで、「茅屋の民」を皇室になびく民草たる「臣民」に造型し、時代の危機に対応することで声高に語られ、日本人たる者の心の拠り所とみなされました。日清戦争は、このような日本と日本人であることへの眼を開き、日本国民たる「我」を強く自覚させ、愛国心を覚醒しました。愛国心なるものの最大の教師は戦争です。このことは、現在も眼にすることで、竹島や尖閣諸島の問題を喧伝することで、歴史教科書の在り方を論難し、「日本をたてなおす」「日本を取りもどす」という言説が横行している世間の風潮にみることができます。それだけに「愛国心」なるものが叫ばれたのは何時なのかを知りたいものです。
日清戦争前夜の空気
日本の暮らしにはシナ―中国文明が生活に色濃く影をおとしていました。寺子屋で習ってきたのは四書五経の世界からの道徳訓であり、公式に書く文字は「漢字」といわれてきたシナの言葉、シナの文章を「漢文」として日本流に読み解く漢文訓読の作法を身につけることが教養人の証です。現在でも「漢文」が国語の授業で教えられ、大学入試の受験科目に入っています。「漢文」は日本のみならず中華文明圏で育った国々にとり、ヨーロッパ世界のラテン語に相当するものにほかなりません。漢籍の素養は武士階級をはじめ知識人の証でした。
さらに祭りの山車が漢の高祖や楚の項羽などの英雄豪傑で飾られていますように、庶民の世界には水滸伝で語られてきた物語がねざしていました。そのため日本の歴史はシナの物語になぞらえて語り聞かされてきたのです。日本の英雄豪傑は、忠臣楠正成が日本の諸葛孔明とされたように、水滸伝の世界になぞらえて紹介されてきました。日清戦争時に12歳であった生方敏郎(1882-1969)は、上州(群馬県)沼田で生まれ育った日々の暮らしが、家をいろどる屏風や絵皿が「唐人と唐人の遊技図や南京皿」であり、学校で教えられるのは「支那の文字」で、「日本人は当時支那人以上とまでは誰しも自負していなかった。ただその以下でさえなければよい、と考えていた」(『明治大正見聞史』)と、少年期の思いを回想しています。
日本は圧倒的な中華文明の影響下に国家を形成してきただけに、「大皇国」日本という強烈な自己主張はその劣等感が裏返されたある種の「優越感」の表明と言えるのではないでしょうか。それだけに清国―シナとの戦争は庶民を不安と焦燥にかりたてたのです。
横浜の芝居小屋では、日本人の妻と別れるシナ人の物語等が上演されると、シナ人に扮した役者を観客が罵倒し、舞台に物を投げるという光景が見られたそうです。そのため舞台の役者が「われわれだって愛国心に富む日本人である」と、客と喧嘩することもあったのです。まさに戦争は日本に広くシナへの憎悪と敵愾心を増幅していきました。
日本国民たる我
会津藩出身の井深梶之助(1854-1940)は、会津敗北後に藩命で東京に遊学、苦学して横浜でオランダ改革派教会の宣教師のS・ブラウンに出会い、1873年(明治3)に受洗、キリスト者となり、86年に明治学院創立で日本側理事となり、89年に副総理に就任、学院の運営にあたった人物で、日本のキリスト教界を代表した一人です。94年9月に井深は、横浜で開催された女子夏期学校で「社会改良の前途に就いて」なる講演で日清戦争と条約改正が日本の「第二の維新」にあたるものとなし、日清戦争が日本と日本国民にもたらす意義を問いかけました。
まず「2師団即ち5万内外の帝国軍隊」の「朝鮮出陣」と「帝国10万の兵は支那国に侵入し、北京城を指して進撃」し、海軍が「威海衛、旅順口を衝き、直ちに天津を指して進行するならん」という戦況にふれ、「此の如き戦争は、日本建国以来未曾有の大事件にして、百般に付き其の影響の非常に広大なるべきこと亦論を俟たず。我が陸海軍兵機の精鋭なる、兵士の勇武なる、当局者の熟練なる、此の戦争や必ず我が國の勝利に帰せんこと毫も疑いを容れず。然らば即ち、果して此の大戦争の我が勝利に帰したる暁には、之れより生ずる所の影響は如何あらん。」として、次のように語りかけています。
先ず我が帝国の武力を世界に発揮するは勿論、外交上に於ても、貿易上に於ても、工業上に於ても、大なる影響あるは明白なりと雖も、我が国民の精神上に於ても亦一大変更を来たすや疑いを容れず。先ず第一に国民的精神の発達なりとす。夫れ人は他あるを知りて始めて己あるを知るが如く、国民も亦他国あるを知りて始めて自国あるを知るなり。試みに王政維新前のことを想い見よ。非凡の学者は格別、通常の人は己の生国又は藩あるを知りて、日本国又は日本国民なるものあるを知らざりき。現に余輩の学校に時に日本国民と云う詞を聞きたる覚えなし。只常に耳にしたる所のものは、江戸将軍家、薩摩、長州、土佐、鍋島、尾州、水戸、越前等と云う名称なりき。成る程偶には、日本、唐土、天竺等の語を耳にせざるに非ざれども、実に茫々漠々として雲をつかむ如き考えなりき。実に余は会津藩士たる我なるを知りたれども、日本国民たる我あるを知らざりしと云いて可なり。実に不都合千万成る事にして、今日より想えば殆んど想像に困しむ事なれども、事実此の如くなりし事は、維新前に生長したる人に聞きて知るべし。然るに、今回清国の開戦に関する日本国民の感情は如何。貴賤の差別なく、東西の別なく、四千万人の感情全く一人の如く然り。今にして尚且つ然り。況んや愈々今回の戦争にして我が帝国の大勝利に帰するに於ては、此の国民的精神即ち愛国心の大発達を見るや疑いなし。
日清戦争は、「帝国の武力を世界に発揮」することで、「日本国民たる我」を自覚させ、愛国心の大発達をうながします。その勝利は、「支那人の傲慢亡状を懲らしむる」もので、「不健全なる漢学即ち支那主義」に加えられた打撃とみなされたのです。まさに戦争は、敵国清を強く意識することで、日本と日本人という意識を研ぎ澄まし、旧藩的な藩(くに)から日本国民へと脱皮させたものにほかなりません。ここに日本は、戦争に勝利していくことで帝国となり、自家中心的な愛国心を肥大化させ、夜郎自大な自画像に陶酔していくこととなります。
参考文献
- 大濱『庶民の見た日清・日露戦争―帝国への道―』刀水書房 2003年
- 『井深梶之助とその時代』第2巻 明治学院 1970年
特集 かかわる
子ども同士、子どもと教師、材料や用具。
図画工作・美術は様々な「かかわる」時間で構成されている。
社会に必須ともいえる「かかわる」力を
これほどに内在している教科はあるだろうか?
実際に子どもたちは活動の中でどのようにかかわるのか
かかわることで何が生まれているのか。
→続きは、PDFデータをご覧ください。
「形forme No.301」PDFダウンロード(3.7MB)
インデックス
3 特集 「かかわる」
対談 大学教授 山田芳明
小学校教諭 西村德行
9 場の設定-地区展覧会編- 山本幹雄
10 鑑賞 先ず見る「秋田の行事」 佐藤幸宏
12 授業実践 小学校3・4年生向き「自然材を見つめるまなざし」
14 授業実践 中学校2・3年生向き「カラーサウンドスケープ」
16 1 / 127,338,621 203gow
19 ともに学ぶ
20 児童・生徒作品解説 私の見方
「形 forme 301号」では以下の3つのページでARが体験できます。
画像をクリックするとARと連動した動画をご覧いただけます。
※ARについてはこちら
をご覧ください。
他業種から学校現場へ 〜若手教師サミット〜
電子ブックの後半で、4名の先生が普段どのような実践をしているか簡単に紹介しています。
題して『私の授業レシピ』です。







