フューチャースクールの“その先”へ(後編)

1.学校現場の不安

 総務省「フューチャースクール推進事業」と文部科学省「学びのイノベーション事業」の実施以来、新たな教育の情報化の可能性が広く認識され、導入に向けた取組みが全国各地で進んでいます。しかし、学校現場には不安もあります。パソコンに詳しくない自分でも本当に使うことができるのか? 本当に必要なのか? 今までの授業の良さがなくなってしまうのではないか? などです。普通教室という日常の学びの場にコンピュータがやってくるインパクトの大きさを考慮すると、これらの不安は当然のことです。フューチャースクールの実証校でも同じような不安がありました。どのようにして取組みを定着させたのでしょうか。3年間の実践を通じ、定着に向けた3つの成功の鍵(ポイント)が明らかになりました。

2.コントロールする

 教育の情報化の最大の不安は、人と情報通信技術(ICT)の主従関係が逆転することです。ICTに人が「使われる」状態に陥り、これまでの教育で大切にしていたことが失われてしまうのではないかなど、ICTとの向き合い方によっては、これらの不安は現実のものになるかもしれません。それを避けるためには、ICT環境(システム)の安定性とシステムを思い通りに操作する利用者の技能(リテラシー)の習得が第一に求められます。この2つは車の両輪です。一体に取組むことで初めてICTを主体的にコントロールできるようになります。新たな機能や性能より誰もが簡単に自由に安定して使えるシステムを導入すること、そのシステムを利用するための技能やノウハウを習得できるサポート体制をつくることが重要です。

3.成功体験を積み重ねる

 児童・生徒の学力、クラス環境等といった様々な要因により指導方法は変化します。ICTは授業を画一化する道具ではなく、多様化する道具として捉えるべきです。金太郎飴のような同じ授業ではなく、環境変化に応じた多様な授業をするための道具として、ICTを活用することが重要です。そのためには、誰かが考えたICTを活用した授業方法をそのまま取り入れるのではなく、その取組みを参考にしつつも、現場の教員が自ら考え、試行錯誤することが求められます。教員が主体的に取組むためには、何よりモチベーションを維持することが重要です。短期間に成果を求めるのではなく、小さな成功体験を積み重ね、その成果を確認しながら、一歩ずつ定着を図るアプローチが求められます。

4.組織として学び・成長するサイクルをつくる

 教育の情報化の最終段階は、組織への定着です。組織への定着とは、どのような状態を指すのでしょうか? それは、組織的な取組みとして活動し、振り返り、より良いものにするためのアイディアを生み、新たに活動する、「学び・成長するサイクル」が形成されている組織であることです。その実現にあたっては、データの蓄積と学習の継続的な取組みが土台になります。まず、個人の知識・ノウハウを組織全体で共有できる環境を構築します。自作のデジタル教材や指導案等の活動記録を学年、教科、単元などに応じて整理し、サーバなどで共有することで、個々人の知見を組織全体の財産にすることができます。次に、蓄えられた情報をもとに研修等を通じて教員間で学び合うことで、知識・ノウハウの定着を図るとともに、意見交換により気づきを促し、新たな指導方法等のアイディアを創発し、新たな活用を図り、その情報を共有する、「学び・成長するサイクル」を形成することができます。これらを一過性のものではなく、継続的な取組みとして定着させることが重要です。一部のフューチャースクールの実践校では、教員による自主的な研究会を週1回20~30分程度、継続的に実施することで活動の定着をはかりました。ここでも個人の取組みと同じく、一歩ずつ着実に積み重ねることが重要な鍵となります。

 これらの3つのポイントには、共通して心掛けることがあります。それは、教員自らがワクワクし、「楽しむ」ことです。その思いは、児童・生徒にも伝わり、取組みを活性化し、学習効果を高めることでしょう。教育の情報化は、効果的に教科を教えることだけを目的とするものではありません。「学び」の楽しさを教えるための、新たなコミュニケーション基盤として活用することが、より本質的な目的になります。教員が自ら「学び」の楽しさを再発見し、「学び」の楽しさを実感できる授業を実践することこそが、教育の情報化を大きく前進させる原動力となるのです。

 

蛯子 准吏(エビコ ヒトシ)
北海道大学公共政策大学院教授
ボーズ株式会社入社、長野オリンピック冬季競技大会組織委員会情報通信部通信課主事への出向を経て、富士通に入社し富士通総研出向。内閣府地方分権改革推進委員会事務局上席政策調査員出向

感じる風景「思いの空」(第2学年)

※本実践は平成20年度版学習指導要領に基づく実践です。

1.題材名

感じる風景「思いの空」
「色とかたちの挑戦:木版画で抽象画」のための導入課題

2.目 標

 以前、美術部でタブレット端末機での鑑賞を体験した際に「作品を見て友達と話しているうちに、自分でも何か描いてみたくなった。」と生徒の意見があった。鑑賞した作品のメモやスケッチではなく、その体験から制作の着想を得て、1時間の授業内で鑑賞と制作をする、準備と片付けが簡単で机の上にタブレット端末や教科書があっても、小さな作業スペースででき、発想や描写に苦手意識がある生徒でも取り組める課題を提案したい。

3.準備(材料用具)

教室にデジタルテレビ、制作中の手元を映すカメラ(無線LANでテレビと繋げる)
正方形(10cm×10cm)やハガキサイズに切った画用紙を大量、色鉛筆24色セット、綿布、筆洗油の入った油差を人数分、1.2cm幅マスキングテープと鉛筆削りをグループの数
※水場には手洗い用の石鹸を用意
生徒:筆記用具、教科書、美術資料

4.評価規準

[関]
○目に見えないものを形や色で表すことを楽しむ。
○感じ取ったことを話し合う活動に関心をもつ。

[発]
○鑑賞を通して感じたことから発想を広げる。
○自分の気持ちを表すための描き方を工夫する。

[創]
○偶然にできる形や色の効果を生かす。
○自分の気持ちが表れるように、材料や用具の使い方を工夫する。

[鑑]
○形や色の使い方や表現の工夫について話し合い、見方を広げる。
○友達の作品を見て、自分との違いや表したかった色や形の工夫を見つける。

5.本題材の指導にあたって

 写実的に「上手く」描くことに興味がある年頃が忘れかけているのは、造形遊びのように素材と触れ合って発想することや、表していくうちに自分の気持ちにあう色や形に気づいて楽しむこと、「失敗も偶然の効果に」変える臨機応変さだ。自らが捉われる「上手い・下手」の狭い価値観を壊して自分の想いを思い切って表し、友達と語り合って心をつなげる喜びを感じさせたい。
 中野区はアールブリュット(アウトサイダーアート)の展示が盛んだ。この数ヶ月前には企画展のポスターが本校でも目立つ場所に掲示され、生徒はその大胆な抽象表現に驚き、何度も立ち止まって見入っていた。また、二年生は社会科で江戸時代の文化を学ぶ時期、さらにいまも浮世絵を制作する「アダチ版画研究所」の職人の様子を詳細に記録したDVDも美術室にあり、地域や他教科、図画工作との学びをつなぎ、広げる、まさに絶好のタイミングだ。鑑賞と知識を連動させ、表現と鑑賞の能力をより高めていくような充実した活動にしたい。
 また、導入課題「感じる風景:思いの空」では、お互いが感じたことや想いなど自由に語り合う鑑賞から発想して表現に取り組み、それぞれの個性を認め合える気軽な雰囲気を作りたい。そこで、色鉛筆のぼかし技法を紹介する。この技法は筆者が中学生のときに、こぼれた灯油からヒントを得て試行錯誤したものだ。誰もが知る身近な画材・素材を見つめなおし、誰も思いつかない新たな活用方法を探究する楽しみ、失敗も偶然の効果や面白さととらえられるような柔軟さや臨機応変な態度を育てたい。

<参考> 教室内の準備について

美術室に洗濯ヒモを張り、作品を乾燥させている様子。

プレス機には手を挟まないように安全板を取り付けた。版の厚みにあわせた補助板もベッドプレートに貼り付けてある。

給食のチマキの竹の皮で巻きなおしたバレン。

6.題材の指導計画

学習活動の流れ

指導上の留意点、評価方法

1
本時

◎色とかたちの挑戦:感じる風景「思いの空」
・冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」を見て、描かれているもの、見えないものに気づかせる。
・色鉛筆を使って「今の自分の心の空」を描く。
・見えないものを形や色で表すことを楽しむ。

・絵から聞こえる音や声に気づかせるため、「よく見る:絵に入る」ように誘導していく。
・鑑賞していて思い出したこと、心にわきあがってきた思いなどをもとに発想するように声をかける。

・お互いが感じたことや想いなど自由に語り合う鑑賞から発想して表現に取り組み、それぞれの個性を認め合える気軽な雰囲気をまずは作りたい。

・作品は学年全員分を廊下などに展示する。

2

7

◎「色とかたちの挑戦:木版画で抽象画」
・言葉や音楽、好きな絵を(「よく見る:その中に入る」鑑賞で)手がかりにしてイメージを広げ、抽象的な表現を作り出すことを楽しむ。
・願いや祈り、思いをどのような形にこめるか工夫する。具体的なイメージを誇張(デフォルメ)して抽象化する。
※電動糸鋸がメインの「切りすすみ版画」。

◎「アダチ版画研究所」DVD鑑賞20分ほど
・伝統的な浮世絵の制作方法を映像で学ぶ。浮世絵が分業作業で作られていることや彫刻刀の安全な使い方、摺り方については詳しく板書で説明を受ける。

・電動糸鋸、釘、ドライバー、彫刻刀など、表したいイメージに合わせて用具を選択して制作する。
・プレス機の使用方法を学び、プレス機かバレンか印刷効果を自分で試しながら、重ね摺りをしていく。五枚摺る。

◎明治の浮世絵、庄田耕峰の作品を大きなテレビ画面で見せ、版画の持つ色合いの良さや質感の工夫などを味わう。
額装された版画作品:宮本承司「水おすし」を見せる。現代版画作家の実物にふれる。

◎摺った紙は、美術室の天井から大きく張った紐に洗濯バサミで吊るして乾燥させる。乾燥させながら、お互いの作品を鑑賞する。

・版画で仕上げることを念頭に、まずは思いついた線や大まかな形を描くように声をかける。
・モンドリアンの抽象絵画へのプロセスを紹介する。
・下絵が線的な表現になり過ぎないように、墨汁と筆なども用意して自由に使えるようにしておく。
・プレス機と電動糸鋸の安全指導を徹底する。

 

関:木版画ならではの表現に興味をもつ。

発:彫り(切り、釘穴の粗密)や摺りを意識して版づくりの構想を練る。

創:材料や用具の生かし方を考え、手順を考え、見通しをもって表す。

鑑:抽象的な版表現の工夫を味わう。他者の作品に込められた想いを感じ取る。

見当をつけるため、ライトボックスを使うことを思いついた生徒。
「おおお!バレンとプレス機で、印刷の感じが違う!」
「版を一回濡らしてから刷ると、にじむ!」
「黒い紙に刷るときって、白を混ぜなきゃだめみたい。」
「黒に赤で刷って、金を重ねたらきれいだったよ!」
「前の色が釘穴に残っていたのが出てきちゃったけど、面白いなー。」
「ゴミ箱の版の切りくず、もらっていいですか?」
「インクの指紋つけちゃった!次の版で隠しちゃおう。」

プレス機も、刷り終えた生徒が次に刷る生徒にやり方を教えるという流れが自然に生まれている。圧力調整もコツをつかんだようだ。
何度もインクの色を変えて重ねていく。

◎自分の作品すべてに題名をつける。
抽象画らしいタイトルとはなんだろう?作品の向きや組みなども考えて、余白に鉛筆で題名、サイン、エディションを入れる。

◎五枚摺ったなかから、展示する作品を選んで台紙に貼る。コメント用紙に自分の作品の「見どころ」を記入する。

8

お互いの作品を鑑賞する。

全員の作品を並べて鑑賞する。それぞれの感想や意見を述べ合い、鑑賞用紙の記入を通して、今後の自らの制作について考えさせる。

<参考> 生徒作品 一枚の版から。インクや紙の色、構成を変えて摺ったもの。

「幻覚で進めない」

「走り去ったあと」

「弾む足、逢いにいく」

7.本時の学習

①目 標
 「絵の中に入る」鑑賞からイメージを広げ、「今の自分の心の空」という抽象的な表現を作り出すことをクラス全員で楽しみたい。自身の制作を通して抽象的な表現に関心をもち、誰もが知る身近な画材・素材を見つめなおして誰も思いつかない新たな活用方法を探究する楽しみや失敗も偶然の効果や面白さととらえられるような柔軟さや臨機応変に工夫する態度を育てたい。

②学習展開

主な学習活動・内容

指導の工夫や教師の支援・評価の留意点

始まる前に
クラスの生活班(グループ)のかたちで着席する。
班長が必要な用具を人数分揃えてかごに入れ、班員に配布する。(戻すときも数を確認してかごに入れさせる)

教科書、資料集の画像をカメラで大きなテレビ画面に映して全員で細部まで鑑賞できるようにする。
※マスキングテープはあらかじめ人数分貼っておいたほうが時間の短縮になる。(紙の裏表の把握もしやすい)
パレット用紙には印をつけておくと良い。
★窓のカーテンは閉めておく。

◎色とかたちの挑戦:感じる風景「思いの空」
・教科書、資料集の抽象画、版画の図版を見て、これから取り組む課題について知る。
よく見る:絵の中に入る
・冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」を見て、描かれているもの、見えないものに気づかせる。作者の意図を感じ取る。

・教科書、資料集の抽象画の図版を紹介する。
・絵画の知識や価値にとらわれず、安心して自分の考えを述べたり、自己の表現を追求したりできるようにする。

「絵の中に入って辺りを見渡してごらん。そこからどんな空が見える?」
絵から聞こえる音や声に気づかせるため、「よく見る:絵に入る」ように誘導していく。

・鑑賞していて思い出したこと、心にわきあがってきた思いなどをもとに発想するように声をかける。
・同じ絵を見てもそれぞれ感じ方が違うことに気づくようにする。
★ここで窓のカーテンを開ける。
「今日の空の色はどんな色?一日が楽しみになるような朝の色?暑くなるぞっていう勢いの色?うんざりすることがあって退屈な色?恋をしているようなウキウキした色?同じ空を見ても、見る人の心次第で違う色に感じるね。」 
「絵に入って見上げた空の色も、その絵から感じ取ったものだから、今の自分の心の空色なのかもしれないね。どんな空色が見えた?これから色鉛筆で描いてみよう。」

「波にのまれそうな恐怖の瞬間。」
「そうかなあ、高波だー!つかまれーみたいな元気な感じがするよ。」
「この絵に入るのか、どこに入ろうかな。富士山の上だな。ここなら安心。」
「船から見上げる空?助かりますようにって祈る空だよー。」

※鑑賞する絵画は、空がハッキリと描かれていないものや小さいもの、光の方向だけが示されているなど、生徒の想像をかきたてるものが良い。「洛中洛外図:舟木本」も楽しい。
・お互いが感じたことや想いなど自由に語り合う鑑賞から発想して表現に取り組み、それぞれの個性を認め合える気軽な雰囲気をまずは作りたい。

鑑賞をもとに制作をする
・主題を発想する。鑑賞をもとに、発想や構想を掘り下げて考えて制作をする。
・小さな画面に色鉛筆を使って「今の自分の心の空」を描く。見えないものを形や色で表すことを楽しむ。

・用具と色鉛筆のぼかし技法について説明する。

筆洗油は揮発性の液体なので扱いには十分注意する。
※窓を開けて換気する。
※教室などでこの作業を行う場合は無香性の筆洗油をつかうが、あえて臭いのある筆洗油を使用したほうが生徒は危険性を認知する。ゴミ箱には絶対に他のゴミ(揮発するものや発火するもの)と一緒に丸めて入れないこと。
※紙に残った油染みは乾燥すれば消える。
※制作が終わったら、必ず返却された油差しの数と綿布の数を確認する。全員が手を石鹸で洗うことを見届ける。机は水拭きする。

「いま、描きたい気持ちの空が思い浮かんじゃって、この波の絵から離れちゃいそうだけど良いですか?」
「描いているうちに思いついて、描きたいものが変ってきちゃったなあ。もっと爽やかな感じにしたい。」
「この色がきれいだったから、これを生かしたいな。」

・パレット用紙を切って、ステンシルのように型紙にする方法など、生徒が思いついた技法をカメラで撮影し、大型テレビに映して全員に紹介する。

・最後にもう一度テレビにカンディンスキーの抽象画を映し出す。
・作者の意図を感じ取ろうとする姿勢を大切にする。

・描き終わったら、丁寧にマスキングテープをはがす。
・白く残った余白部分に鉛筆で題名とサインを入れる。

「このへんがあったかくて、だんだん冷たくなる感じ。山登りの思い出を描いたのかな」
「線の感じが音楽っぽい。聞こえてくるのは大きい音とかかも。」

・制作を振り返り、自己評価や感想をまとめる。どんな想いを込めたのか発表する。他の生徒の作品の表現の工夫や良さを味わう。

・次回からの版画制作の見通しができるようにしたい。

生徒作品「またあした」

関:心にのこる情景を思い出す。
発:思い出を振り返りながら発想を広げる。
創:材料や用具の生かし方を考え、工夫して表す。
鑑:他者の作品に込められた想いを感じ取る。

<参考>

自分の心の闇を描くと筆を取り、何枚もドローイングを描いた生徒。

電車の路線図から発想する生徒。版画だから逆になると気づき、大慌て。

生徒作品「襲来」
手前の黒い部分はゴミ箱の切りくずを版にして後から付け加えた。

制作中の生徒作品(部分)
幾何形体から発想していた。黒いインクに金色を重ねている。

 今回、ほとんどの生徒が最初の下絵から離れ、版を重ねながらの色や形から何度も想像を広げて表したいことを模索していた。まとめの題名を考える場面ではどのクラスも楽しく盛り上がり、組み作品にしてお話作りをする生徒も多く、作品を見返しては詩的な題名を発想する様子が全体に見られた。また、浮世絵や現代版画の制作や歴史、購入方法や展示の仕方にも大きく興味を示した。何より、「もっと版画の時間が欲しい。工夫したい。」のつぶやきに成長を感じた。

生徒作品「夜の昼」
「白夜というのを社会で知り、そこから発想しました。主な版をうすくして、上から小さな版を濃い色でのせることで目立たせました。」

生徒作品「運命」
「花を描いてみたかった。花の散る運命と、実は食べられてしまう運命を描きました。」

生徒作品「冬の道」
「自分が好きなように描きました。細かいところまで彫っています。見どころは凹版なことです。色は優しい感じにしました。」

生徒作品「暁の晩」
「浮世絵をみてかっこいい!と思ったのが発想のきっかけです。自分の頭の中を表現しました。日の出と雲をみてください。」

聖者たちの食卓

『聖者たちの食卓』より

 映画を見る喜びのひとつは、たとえばドキュメンタリー映画なら、世界じゅうの、いろんな出来事に接することができること。このほど見た「聖者たちの食卓」(アップリンク配給)は、インドの北西部、パキスタンとの国境に近いアムリトサルにあるシク教の総本山ハリマンディル・サーヒブ(黄金寺院)に訪れる信者たちに食事を振る舞う様子が、逐一描かれる。シク教の教義では、すべての人は平等である。祈りでは、「無料食堂の鉄板がずっと使い続けられますように」と唱えるらしい。

『聖者たちの食卓』より

 1日に作る食事は5万食から10万食。ともかく、そのスケールの大きさに驚く。ジャーナリストで作家の佐々木俊尚さんは、この映画へのコメントで、「喧噪と混沌にあるインドが描かれている。しかしその向こう側に見えてくる、すべてが清浄で根源的である、完璧な食風景を鮮やかに感じました。みんなで作って食べるって美しい」と書いている。言い得て妙である。
 映画では、ほんの少しだけ字幕で説明が出るが、ほとんど何の解説もない。効果音もなければ、ナレーションもない。ただ、食事の準備をし、訪れる人たちに提供し、行列した人たちが整然と食べ、その後片づけの様子が淡々と映し出されるだけである。
 食事の準備をし、調理し、配り、後片づけをする人たちが、単に一生懸命というだけではない。整然と、さも普通のように振る舞い、それぞれの役割をこなす。もはや、神々しいとしか言いようがない。
 ランガルという無料食堂である。いちどに5,000人入る食堂が2つある。10万食なら、この2つの食堂がそれぞれ10回転することになる。厨房も巨大なスペースで2ヵ所ある。食材の野菜は、寺院の近くで穫れたものや、近くの市場から仕入れる。小麦粉、豆類、米、牛乳なども、毎日毎日、大量に消費される。すべて寄付で賄われている。
 食堂のルールがいくつかある。入るときは靴を預け、手を洗い、足を清める。宗教や階級に関係なく、大人も子供も、男性も女性も、一緒に座る。レンタルもあるが、ターバンを巻き、タオルを着用する。お代わりは自由だが、残さず食べる。使った食器は元に戻す。酒、タバコの持ち込みは禁止。大勢での食事だから譲り合うこと、などなど。

『聖者たちの食卓』より

 サハダールという食事の準備や奉仕をする人は約300人。この人たちが、毎日5万食から10万食を準備し、後片づけをする。ある日のメニューは、豆カレー、チャパティ(パン)、ライタ(ヨーグルトの中に刻んだ野菜入り)、サブジ(野菜のスパイス合え)などなど。
 朝からさまざまな準備がある。にんにくや玉ねぎの皮を剥き、刻む。じゃがいもの皮を剥く。巨大な鍋で煮る。粉をこね、チャパティを焼く。午後、大勢の人が整然と食堂に向かう。食事が始まる。壮観である。シク教の信者ばかりではない。観光客や、地元の恵まれない人たちもいる。賑やかに、みんな同じものを食べる。
 ふと、近頃のファミリー・レストランの風景を思い浮かべる。まだ若いふたりが食事している。デートなのかどうかは分からないが、せっかくの食事である。なのにまったく口をきかない。二人とも黙々と携帯かスマホの画面を見て、時折、何かを食べている。いったい、食事、食べることとは何なのかと考え込んでしまう。
 監督はベルギーの映像作家、フィリップ・ウィチュスと、その妻の写真家で映像作家でもあるヴァレリー・ベルトー。アムリトサルに滞在した折り、黄金寺院での食事風景を目の当たりにして感動、製作のきっかけになったという。
 人間は、残念ながら動物や植物を食べることでしか生きていけない。人間は食べることでなんとか生きていける。食べることとは何か、あらためて深く考えてみるきっかけになるドキュメンタリーと思う。

2014年9月27日(土)より渋谷アップリンクico_linkほか全国順次公開!

『聖者たちの食卓』公式Webサイトico_link

監督:フィリップ・ウチュス、ヴァレリー・ベルトー
2011年/ベルギー/65分/Color/16:9
原題:Himself He Cooks

「子どもの見方」

 今回は、筆者自身の「子どもの見方」が変わったささやかな出来事を紹介しましょう。

1.「本当に入っていけたらなぁ」

画像1

 20数年前のことです。一年生の造形遊びを見ているときでした。三人の子どもたちが画像1のように水溜りに島をつくっていました。雑草や枯れ枝を植え込んで、それはもう、本物の島のようになっていました。「面白い」と思って子どもたちにカメラを向けた時です。一人の子が、こうつぶやきました。
「あーぁ、本当に入っていけたらなぁ」
聞き流せば、そのまま通り過ぎた言葉でしょう。でも、何度も頭の中でリフレインするのです。聞いた言葉が繰り返すということは、そこに何か意味があるということでしょう。
 考えてみました。まず、子どもは「本当に入っていけたら」と言っています。「本当に」ということは、気持ちの上では「中に入っている」わけです。言い換えれば、子どもたちは「島の中で遊ぶようにつくっている」のです。でも、実際は島の中に入れません。そこで「本当に(体が小さくなって、島の)中に入っていけたらなぁ」と言ったのではないしょうか。そうだとすれば、この言葉は、島の中で走り回っている気分になってつくっていた子どもが、ふと、我に返り「実際は入れない、残念だなぁ、入れたらいいのに……」という宣言だと思われます(※1)。

2.見方の転換

 そう思った時、先輩たちの言葉が一斉に私の中で意味を持ってつながり始めました。それは、以下のような言葉です。
「作品は、その子そのもの」
「作品ができた時、新しい私が生まれる」
「子どもは、まるで自分をつくるように作品をつくる」
 それまで、私は、つくっている「子ども」と、つくられている「作品」を分けてとらえていました(画像2)。つくっている「主体」があって、その「対象(作品)」があってというわけです。でも、この子たちは、島の中で走り回るように、まるで、「作品」と一体化するようにつくっていました(画像3)。そうすると、作品は、その子たちの「対象」というよりも、「その子そのもの」と呼んだ方が適切でしょう。さらに言えば、作品をつくるという行為は、その子自身をつくる実践ということになります。そのことを、先輩たちは独特の言い方で述べていたのです。
 これをきっかけに、私の見方が変わりました。まず、子どもと作品は一体的だということを前提に、子どもを見るようになりました(※2)。その上で、子どもから指導法や指導の改善を考えるようになりました。それが、今も続く私の「子どもの見方」です。

画像2

画像3

3.大人も同じ

 この話には後日談があります。ある大学で学校の先生対象に講演があり、その中でこの話を紹介しました。すると、会場校の先生がやや興奮したように話しかけて来ました。
「いやぁ、今日はいい話を聞きました。私の研究室に来てもらえますか?」
そして、研究室に行くと
「あなたは、この図面の意味がわかります?」
と難解な建築の図面を見せられました。
「いや……申し訳ありません。さっぱり分かりません」
「そうでしょう?そうですよねぇ、でもね、僕はね分かるんですよ!ここは窓でね、ここはドア……それでね、これを描いている時に、体を動かすんです」
「え?」
「『窓は少し高いかな』と外を覗くように体を伸ばしたり、『このドア、開きが狭いなあ』と体をくねらせたり……。つまりね、今日の話と同じなんです。『僕』と『図面』はね、一体なんですよ!」
 なるほど、大人の根幹にも、つくっている「作品」と一体化する「自分」がいるのでしょう。

 

※1:そこには、自分たちの造形活動を引いて見つめる視線も感じられます。
※2:もちろん、幼児でもつくっているものから、すっと体を引いて確かめるように眺めることはあります。「子どもと作品は完全に同化している」と考えるのは危険です。