種まく旅人 くにうみの郷

(C)2015「種まく旅人 くにうみの郷」製作委員会

 地産地消という。流通の進歩で、その意味は次第に変化しているかもしれない。だが、食べるものは、本来、地産地消である。残念ながら、人間は、動物や植物を食べることでしか生きられない。だから、食べるもの、食べることは、生きていく上で、たいへん重要なことである。そのような、至極当たり前のことを、映画「種まく旅人 くにうみの郷」(松竹配給)は、淡々と語りかける。
 舞台は淡路島。イザナギノミコトとイザナミノミコトが作った、日本のはじまりの島である。山や森があり、海がある。山の畑では、タマネギを作り、海の近くでは、海苔を養殖する。海彦山彦さながら、島にはタマネギを育てる若者、岳志(桐谷健太)と、海苔を養殖する若者、渉(三浦貴大)がいる。兄が岳志で、渉は弟である。そこに、農林水産省から、アメリカ帰りの女性官僚、神野恵子(栗山千明)が、第一次産業の現状を調査する目的で島にやってくる。まだ31歳、肩書きは地域調査官で、短期赴任である。恵子は、しばらく島に住み着くことになる。岳志と渉の兄弟は、父親の死をめぐって仲違いしている。

(C)2015「種まく旅人 くにうみの郷」製作委員会

 当初、上から目線の恵子は、役場のベテラン職員、津守(豊原功補)や、農水産部長の尾形(山口いづみ)をはじめ、地元の人たちから厳しい目で見られる。しかし、仕事であるから、なんと思われようと、きちんと現場を視察し、報告をしなければならない立場なのだ。恵子は少しずつ、島の暮らしにとけ込む努力を続け、あるとき、渉に頼み込み、力のいる海苔の養殖現場を体験し、タマネギ栽培の夢を語る岳志に付き合うようになる。
 漁業、農業の厳しい現実がある。海はきれいだが、人手不足、環境の微妙な変化がある。種をまく人がいても、いつも豊かに実るわけではない。確執を抱え、対立しながらも、仕事にひたむきな兄弟と付き合ううちに、恵子はなんとか兄弟が和解できないかと考えるようになる。
 島には、「かいぼり」という伝統的な作業がある。あちこちに点在する池の水を抜く作業だ。結果、池に積もった堆積物を海に戻すことで、栄養分を与える。これには、人手不足や海苔の養殖上の問題などがあり、ここしばらくは実施されていない。いろいろと調査した恵子は、「かいぼり」の復活に挑もうとする。

(C)2015「種まく旅人 くにうみの郷」製作委員会

 渉には、麻衣(谷村美月)という恋人がいる。美月は、淡路島伝統の、女性による人形浄瑠璃師を目指している。劇中、麻衣が浄瑠璃の稽古に励むシーンがたびたび出てくる。「かいぼり」に絡んだシーンと、人形浄瑠璃のシーンが巧みに交錯して、劇的に盛り上がる。
 タマネギと海苔。一見、関係のなさそうな食べ物が密接に結びつく。映画には、食品生産の現状、中央と地方の関係、地方の現実、山や海の環境問題などなど、多くのテーマが見え隠れする。監督の篠原哲雄は言う。「多くのことを語りたくなる映画だ」と。
 地域振興を専門にしている、あるコンサルタントの言葉がある。「地域振興には、3つのものが必要。わかもの、よそもの、ばかもの」。なるほど、と思う。映画から学び、議論し、考えることは多々ある。「種まく旅人 くにうみの郷」は、そのいい例だろう。

2015年5月30日(土)より新宿ピカデリーico_linkほか全国ロードショー!

『種まく旅人 くにうみの郷』公式Webサイトico_link

監督:篠原哲雄
脚本:江良至、山室有紀子
出演:栗山千明、桐谷健太、三浦貴大、豊原功補、谷村美月、音月桂、根岸季衣、永島敏行
製作・配給:松竹
上映時間:111分
(C)2015映画「種まく旅人 くにうみの郷」製作委員会

日本語と国語

承前

 日本列島は、亜寒帯から亜熱帯におよぶ弓状列島で、その姿を吉田松陰が蛇に、内村鑑三が天女に喩え、国の使命が語られております。このような列島のありかたは、各地域に固有の暮らしから生まれてきた文化があり、生活の場がもたらす地域的偏差をもたらし、地域によって話す言葉がことなりました。このことは、Vol.84「徳川の平和」で紹介しましたように、大坂郊外の住吉で在所の子供に手習い教授をはじめた奈良育ちの老人が村の童と言葉が通じないがため、謡を習ったという一事にもみることができます。
 ちなみに明治期の北海道では、各地からの移住者間で話が通らない場合、謡曲の節回しで会話をすることがみられた、と老人がかたってくれました。琉球奄美、薩摩大隅から松前、津軽、南部、西南日本と東北日本の間にある言葉の落差をうめ、この地域固有の言葉を「方言」となし、列島に共通する言葉の「標準語」をつくることは、列島の住民をして、「日本国民」にする上で不可欠な作業でした。ここに国語の造型がはじまります。

日本語とは

 日本列島の住民が共有する言葉を日本語とすれば、日本語とは何でしょうか。中華文明の圧倒的影響下にあったヤマトー日本は、漢字を学び、この表意文字で文章を書き、意思を表現しました。漢字こそは、「真名」と称されていますように、古代国家における公的世界の公的言語でした。それ以来というもの日本の公的な文書は漢字で表記されたのです。
 平安時代には、この漢字を借用し、「かな」文字による表現がはじまり、漢字では表現できない心の動きを書き表わせる和語が成立し、『源氏物語』などの文学作品や和歌がさかんになります。ここに用いられた和語は、公的世界の言葉が「真名」文字である漢字であるがため、「かな」仮の言葉でしかありませんでした。平安時代以降は、和語であるかな文字が普及し、「いろは」を学ぶなかで庶民の識字力がたかまります。
 明治維新による日本の近代化は、西洋文明を受け入れるため、外国語を「カタカナ」で表記することで、西洋の知識文物をとりこんでいきました。かくして日本語は、漢字、ひらがな、カタカナの混合した世界で、言語としての機能を果していきます。まさに近年の言語様式は、国際化の流れにのみ込まれたがため、カタカナ語の氾濫となっています。このような日本語の在り方には、国語という科目が現代文、古文、漢文で構成されていますように、外来文化を摂取し、自家薬籠とすることで己の文化を造型してきた列島住民の相貌が読みとれましょう。
 それだけに明治日本は、列島住民が日本国民として一つにするために、地域的な固有性をおびた日本語をして、国民が共有しうる言葉としての「標準語」を「国語」として確立せねばなりませんでした。とくに軍隊は、命令伝達をするためにも、兵隊同志の言葉が通じなくてはなりません。そのためには、標準語が未確立であるため、軍隊固有の「兵語」ともいうべき軍隊用語をうみだします。そこでは、和語がもつ地域的偏差をのりこえるために、漢字の音読みがつかわれました。「誠心」を「せいしん」、「正直」を「せいちょく」、ズボンを「袴(こ)」、スリッパを「上靴(じょうか)」、洗濯物を干す「物干場(ぶっかんば)」、靴下を「軍足(ぐんそく)」等々と。いわば地域ごとにことなる呼称は、漢音読みをすることで、世界の共有がはかられたのです。

国語への思い

 日本の言語学、国語学の開拓者上田万年は、列島の住民が日本国民として一つ世界を共有するために、「大和民族」としての言語、国語の確立が急務の課題となし、日清戦争で昨日「平壌を陥れ、今日又海洋島に戦ひ勝ちぬ。支那は最早日本の武力上、眼中になきものなり」という強い戦勝意識のおもむくままに、1894年(明治27)10月8日に哲学館(現東洋大学)で「国語と国家と」なる講演をし、国語によせる強い思いを高らかに問いかけました。

 日本の如きは、殊に一家族の発達して一人民となり、一人民発達して一国民となりし者にて、神皇蕃別の名はあるものの、実は今日となりては、凡て此等を溶化し去たるなり。こは実に国家の一大慶事にして、一朝事あるの秋に当り。われわれ日本国民が協同の運動をなし得るは主としてその忠君愛国の大和魂と、この一国一般の言語とを有つ、大和民族あるに拠りてなり。故に予輩の義務として、この言語の一致と、人種の一致とをば、帝国の歴史と共に、一歩も其方向よりあやまり退くかしめざる様勉めざるべからず。(略)
 言語はこれを話す人民に取りては、恰も其血液が肉体上の同胞を示すが如く、精神上の同胞を示すものにして、之を日本国語にたとへていへば、日本語は日本人の精神的血液なりといひつべし。日本の国体は、この精神的血液にて主として維持せられ、日本の人種はこの最も永く保存せらるべき鎖の為に散乱せざるなり。故に大難の一度来るや、此声の響くかぎりは、四千万の同胞は何時にても耳を傾くるなり。何処までも赴いてあくまでも助くるなり、死ぬまでも尽すなり、而して一朝慶報に接する時は、千島のはても、沖縄のはしも、一斉に君が八千代をことほぎ奉るなり。もしそれ此のことばを外国にて聞くときは、こは実に一種の音楽なり、一種天堂の福音なり。

 まさに国語は、「帝室の藩屏、国民の慈母、国民の血脈」と位置づけられることで、日本国民の精神的紐帯とみなされたのです。この国語が負わされた使命こそは、一民族一国家一言語という「神話」を信仰し、日本国民の物語を説き聞かせ、列島がもつ多様性と多義性を無視する精神の営みを育んだものといえましょう。この営みこそは、異質な存在を排除し、己の世界観を絶対視する偏狭なナショナリズムを生み育てた根ではないでしょうか。それだけに国語に対峙する日本語への眼を自覚的に問い質したいものです。

内村鑑三がみた日本列島

承前

 吉田松陰は、日本列島の容姿を蝘蜒委蛇(えんえんゐい)となし、「常山の蛇」によせて国家のあるべき政略を論じました。蛇とみなされた列島像は、内村鑑三にとり、「海の端に国があり名を扶桑、俗は風光に与り皆雅でゆったりとして美しい、万古雪を含む富士山頂」云々と日本の地理的景観を讃美し、日本帝国が「蜻蜒洲」なる名称でよばれていると紹介し、その麗しさを讃えてやみません。

日本列島の容姿

 内村は、日清戦争前夜の1894年(明治27)5月に『地理学考』(1897年に『地人論』と改題)を刊行、「日本の地理と其天職」で、「蜻蜒洲」なる名称が次のような列島の構造からきたものだと説きます。

其南北に長くして東西に狭く、中央に太くして両端に尖縮するの状、渠の脈翅虫に類似する処あるが故に若か称せしならん。其頭部は能登半島とせんか、其背部隆起する所を甲、信の高地とせんか、其腹と尾とは伊豆半島にして大島八丈として海に尽る所とせん、其右翼は東北三道并びに北海道にして、其左翼は関西西南の地と見做さん、その後翅後縁に刻入のあるは東海の浜に屈曲港湾多きを示さんか、翅脈に縦横あるは我国山脈の方向を示すが如し、前後両翅の分るゝ所は西南に内海、東北に青森湾のあるが如し、余は実に蜻蜒洲の名を愛するなり、吾人の祖先は卓見なりし、彼等は能く脈翅虫類の構造を極め、帝国地形の概略を示せり、吾人開明に進める彼等の子孫は此詩歌的の名称を廃すべからざるなり。

天女の如き日本国の使命

 日本列島の構造は実に詩的ともいえる世界として描かれています。このような列島の容姿は、「日本国を天女に擬せん」と、天女とみなされます。その容姿は次のようなうるわしい姿だとみなされたのです。ここには、欧米列強に立ち向かわねばならない日本という国に生まれた者として、日本によせる強き愛が奏でられています。

若し日本国を天女に擬せんか、窈窕たる彼女の仙姿は大陸に背し大洋に面し、高麗半島の尽きる辺より加察加(カムサツカ)の南角に至る迄大洋面を掩ふが如し、彼女は頭を北海に擡げ、胸を東北の山野に持し、腹を関東の郊原に据へ、富士山帯を以て帯せられ、尾濃の原野を下腹となし、畿内に下肢となり、山陰山陽の一足を後にし、南海西海の他足を前に進むるが如し、彼女は旭日に面し夕陽に背す、東向して望むが如し、西背して弱者を擁するが如し、彼女の麗姿に声あるが如し、耳あるものは焉ぞ聞かざるを得んや。

 内村は、このように東から昇る旭日に面を向け、夕陽を背にした美しい姿である日本への想いをはせ、嘉永癸丑のペリー来航を「西洋文明の西漸」となし、西洋文明が大西洋からロッキー山脈を横断し、カリホルニアに達し、太平洋に及んできた景観を論じます。それは、イギリスにはじまる産業革命の波動が中国から日本に及び、世界資本主義の環がアジアにもたらした衝撃にほかなりません。日本は、この衝撃に対峙し、「西背して弱者を擁する」想いで中国・朝鮮を位置づけたのです。

日本の天職

 日本は、「支那印度を学び尽」した「同化力」で欧米を吸収し、「其東洋的の脳裡に蓄ふるに西洋的の思想と精神とを」消化し、「西隣未だ一尺の鉄路」を持たないのにもかかわらず、「鋼鉄路の文明」をもち、太陽暦を採用し、「三十年間にして日本は東洋国ならざるに至れり」となし、その立ち位置を「東西両洋の合同」として次のように論じます。

 西隣未だ自由の一声をも揚げざるに、釈迦の印度は属隷国の恥辱に沈み、孔子の支那は満洲掠奪者の占有物たるに際し、亜細亜の日本に已に欧米的の憲法ありて自由は忠君愛国と共に併立し得べしとの証例を世界にあげぬ。
 日本をして米亜の文明に接せしめしものは無論其地理学上の位置に依れり、之をして亜細亜的の統一に耐へしめしものは其軸脈の南北して一国の統御を易からしめしが故なり、而して西洋主義の輸入に会して直に之に応ずるに至らしめしものは東西の横断脈ありて統一の下にありて已に自治割拠の制に馴致せしが故なり、東洋的の君主主義も我に施し得べし、西洋的の自由制度も我は施行し得べし、我の制度は両洋に則れり、南隣若し西洋を学ばんと欲するか、必らず我より之を学ばん、東隣若し東洋の長を取らんとするか、必ず我に於て之を認めん、両洋我に於て合す、パミール高原の東西に於て正反対の方角に向ひ分離流出せし両文明は太平洋中に於て相会し、二者の配合に因りて胚胎せし新文明は我より出て再び東西両洋に普からんとす。

 内村は、「二者の配合に因りて胚胎せし新文明は我より出て再び東西両洋に普からん」と説かれた東西両洋を結びつける世界として、1907年の「初夢」に認めています。それは、富士山頂に降りた「恩恵の露」が全世界をおおいつくしていくというもので、日本のキリスト者鑑三の信仰が吐露されています。この壮大な夢は、「外交政略論」に重ねて読めば、「八紘一宇」なる世界につながるともみなせましょうが、どのように読みますか。

恩恵の露、富士山頂に降り、滴りて其麓を霑し、溢れて東西の二流となり、其西なる者は海を渡り、長白山を洗ひ、崑崙山を浸し、天山、ヒマラヤの麓に灌漑ぎ、ユダの荒野に到りて尽きぬ、その東なる者は大洋を横断し、ロツキーの麓の金像崇拝の火を減し、ミシシピ、ハドソンの岸に神の聖殿を潔め、大西洋の水に合して消えぬ、アルプスの嶺は之を見て曙の星と共に声を放ちて謡ひ、サハラの砂漠は喜びて蕃紅の花の如くに咲き、斯くて水の大洋を覆ふが如くエホバを知るの知識全地に充ち、此世の王国は化してキリストの王国となれり、我れ睡蓮より覚め独り大声に呼はりて曰く、アーメン、然かあれ、聖旨の天に成る如く地にも成らせ給へと。

国際市場で逢いましょう

(c)2014 CJ E&M Corporation, All Rights Reserved.

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 お隣の国、韓国の映画「国際市場で逢いましょう」(CJ Entertainment Japan配給)を見た。ここ60数年の韓国の現代史が鮮やかに浮かび上がる優れた映画だった。
 内閣府の「外交に関する世論調査」というものがある。このなかに、日本の人たちが韓国という国に対する好感度、いわば、親しみの程度を示した調査がある。さまざまな韓流ブームを反映してか、2009年には約63%の日本人が韓国に親しみを感じている。これが、2012年には約39%にダウンしている。韓国の政府関係者の発言などが、いろんな形で報道された結果だと思われるが、かなり好感度が落ちている。では、韓国の人たちの日本への好感度はどうか。この2月の韓国のギャラップ調査では、わずか14%。親しみを感じない人は74%もいて、これは過去最低の数字だという。もっとも、1,000人ちょっとの人への調査だが、ずいぶん日本は嫌われているようだ。韓国だけでなく、中国の調査などではもっと日本が嫌われているようだし、逆に、日本人の韓国や中国への好感度も、年々、さらに落ちているかもしれない。ところが、実際には、韓国や中国からの旅行客が、日本のあちこちに押し寄せて多くの買い物をしているようだから、このような調査の数字はあまりアテにはならないかもしれない。

(c)2014 CJ E&M Corporation, All Rights Reserved.

 で、韓国の映画だが、ここ10数年優れた作品が多く公開されている。韓国の現代史にスポットを当てた映画に限定しても、「ユゴ 大統領有故」、「大統領の理髪師」などなど、傑作が多い。「国際市場で逢いましょう」は、現代の韓国、釜山の国際市場から始まる。釜山港を見下ろす高台に、老いたドクス(ファン・ジョンミン)と、妻のヨンジャ(キム・ユンジン)がいる。ドクスは港に停泊する大きな船を見て、船長になりたかった夢を妻に語る。そして、自らの過酷だった人生を振り返る。
 1950年、朝鮮戦争のさなか、興南撤収作戦のあおりで、まだ幼い少年のドクスは、父親(チョン・ジニョン)と幼い妹と離ればなれになる。ドクスは、母親(チョン・ヨンナム)と弟、もうひとりの妹と四人で、なんとか釜山の国際市場で露店を開いている叔母のコップン(ラ・ミラン)の家にたどり着く。朝鮮半島は北と南に分断され、故郷の興南(北朝鮮)に戻れないままになる。ドクスは父親から別れる寸前に聞いた言葉を忘れていない。「これからはお前が家長だ、家族を守れ」と。ドクスは靴磨きや肉体労働をしながら、貧困のなか家族を守り、生き抜いていく。ドイツでは炭坑夫として、ベトナム戦争では技術者として、ドクスはひたすら家族のために働き続ける。
 苦労続きのドクスの人生の背景に、韓国の現代史が見事に重なる。アメリカ軍による興南撤収作戦、ドイツでの炭坑や看護の仕事、ベトナム戦争など、韓国の人たちやドクスが経験した現実を、きちんと再現している。
 「国際市場で逢いましょう」は、韓国国内で大ヒットした。監督は、2009年に「TSUNAMI―ツナミ―」を撮ったユン・ジュギュン。主人公のドクスを演じたのはファン・ジョンミンで、20代から70代までのドクスの人生を力演する。ベトナム戦争で窮地に陥ったドクスを救う兵士ナム・ジン役は、東方神起のユンホで、これが映画デビューになる。決して、深刻、暗い映画ではない。韓国映画独特の笑いが全編に満ちている。涙と笑いがほどよい案配で、なによりも家族を思うドクスの心情に、胸がふるえる。
 戦後70年になる。歴史に翻弄されたのは、ドクスの家族だけではないだろう。それぞれ一般の人たちは、政治絡みのくだらない戦争の犠牲になっている。韓国は日本にもっとも近い外国である。国同士、お互い低い好感度では話にならない。それぞれの歴史を学ぶのは勿論だが、せめて映画を通して、お互いの国のことをもっともっと知り合うようになればいいのだが。

2015年5月16日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町ico_linkシネマート新宿ico_linkほか全国順次ロードショー!

『国際市場で逢いましょう』公式Webサイトico_link

監督:ユン・ジェギュン
出演:ファン・ジョンミン、キム・ユンジン、オ・ダルス、チョン・ジニョン、チャン・ヨンナム、ラ・ミラン、キム・スルギ、ユンホ
2014年/韓国/127分
配給:CJ Entertainment Japan

授業開発に関する課題

icon_pdf_small「日文の教育情報 No.137」PDFダウンロード(383KB)

 これこそいま求められている授業ではないか,そう思いました。
 生徒がそれぞれの「なぜ」を抱いて学習を展開している様子が見てとれました。都内の区立A中学校における,理数教育地区公開講座を参観した折のことです。
 「海洋学習」をテーマとするこの講座は,東京都の理数フロンティア校,B区理数教育重点校としての実践を土曜スクールとして実施したものでした。内容は,講師講演とワークショップによって構成されていました。
 まず,大学において海洋に関する研究を専門とされている方の講演です。
 スクリーンに映し出される映像を生かし,生徒を「海の世界」に誘い込みました。海の深さによって海草の色が違う。海底には,熱水噴出孔というものがあり,そのまわりに,最近話題になっているレアアースなどがある。さらに,多くの生徒が「へー」という声を上げたのは,日本は,国土と海を合わせた面積にすると,世界6位の広さを持つという説明でした。
 内容ある講演に引き込まれ,生徒たちが,日本を取り巻く「海」に意識を向けていることが見てとれました。生徒たちの関心は, 「海の利用や保全に関する法律が定められている」といった説明に向け始められていました。
 次がワークショップです。
 生徒は三つのブースに分かれ,体験活動を行いました。
 一つは,ウニの生態。一つは,海草を手にとっての活動。もう一つが,今朝とれたばかりの魚を目の前にする活動でした。ここで教材となったウニ,海草,魚は,いずれも講師の関係者が,わざわざ海浜から持ってきてくださったものでした。生徒たちは,ウニの生態を示す顕微鏡に見入り,海草を見比べて,いま得たばかりの知識と結び付けていました。それらの活動を通して,生徒たちが「海」に対する関心をますます深めている様子がはっきり見てとれました。
 平成25年に公表された,国立教育政策研究所プロジェクト研究調査研究報告書「社会の変化に対応する資質や能力を育成する教育課程編成の基本原理」の中に,次のような記述があります。「それ(いま求められる資質・能力)は,未知の問題に答えが出せるような思考力と,教室外の現実の問題も他者との対話を通して解決できるような実践力だといえる」
 また,昨年11月の中央教育審議会への教育課程基準等の在り方に関する諮問の理由には,自ら課題を発見し,その解決に向けて主体的・協働的に探究し,学びの成果等を表現することの重要性が述べられています。
 知識・技能を習得・活用し,それらを関連付けた探究活動によって思考力等を育成し,よりよい解や新しい知識を創り出す学習活動が求められています。この海洋学習は,その一つのモデルになる,そう思ったのです。
 社会全体にわたって急速かつ激烈な変化が進行している現代社会では,これまでに得た固定的な知識では事態の解決は難しい。状況に応じて知識を活用し新しい認識を形成する力,時代に挑戦する基盤になる資質が必要になります。
 このことを中学生に即してとらえると,教室での教科学習等を生かし,経験と結び付く形で主体的に知識を獲得することが求められます。知識を身に付けるにとどまらず,身に付けた知識を活用し,さらに新しい認識を創り出し,未来に向かって力強く行動する能力,資質が求められるということになります。
 主体的に判断・行動しよりよく問題を解決する,さらに言えば主体的・創造的に生き抜くための能力・資質が求められているのです。今,学校では,そうした資質・能力に結び付く授業の開発が求められています。
 再び海洋学習をテーマとする公開講座に戻ります。
 そこには,次のような内容がありました。
・日本は海に大きく依存している。
・私たち日本人が摂取する動物性タンパク質の約4割は水産物由来である。
・輸出入貨物の99%は海上輸送に依存している。
・国内輸送に限っても,これだけ鉄道や高速道路が発達している中で,輸送量全体の4割は海運に依存している。
 通常の教室内の授業では,こうしたことに関する知識を,行動に結び付く認識として取り込むことは難しい。それだけに,このような専門家の力を借りての,ワークショップを加えた授業の開発が重要だと思ったのです。しかし,同時に,こうした授業を行うことの難しさにも気づかされていました。第一に,適切な講師の確保,第二に活動に適した教室の確保,第三に「なぜ」の喚起に役立つ教材準備の難しさです。その困難さを乗り越え,新しい授業を開発することが課題になっています。

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これからの美術鑑賞~「文脈」と鑑賞教育

浅草 飴細工 アメシン
(代表 手塚新理)
飴細工の金魚、大きさ7cm

 日本の鑑賞教育は、形や色などの物理的な手掛かりをもとに、主題や意図など作品の内容を考えるのが主流です。でも、形や色と主題の行き来だけでは「もったいないなぁ」と思います。作品を成立させるために不可欠な要素「文脈」(※1)を用いれば、鑑賞活動をより探究的な活動にすることができるからです。

 「文脈」は、例えば、作品にまつわる知識や物語、美術や社会に関する問題、時代性や歴史などです。形や色のように作品から直接は確認できず、主題のように作家が表しているものでもありません。今回は、「文脈」の代表選手「美術館」を取り上げてみます。

美術館

 美術館は、作品を美術品にするための代表的な仕組みです。「美術館には本物がある」「美術館には名品がある」。私たちは、美術館が信頼できる審美眼によって選ばれたものを展示していると思っています。もちろん、それはその通りで、美術館は日々努力しているのですが、それは「美術館に幼児の作品を紛れ込ませても、多くの人々は高名な作家の名作として見てしまう」というシステムでもあるのです(※2)。

壁や空間

 美術館の白い壁面や広い空間も、作品を立派に見せる仕組みです(※3)。それは、美術品を他の要素から切り離し、できるだけ単独に味わうために考え出された方法です。デザインに詳しい人ならお分かりでしょう。よく見せようとするモノがあれば、周りのものをどかして、白か黒い布の上にポツンとおけば、それだけで立派に見えてくるはずです。美術館の壁や空間はそのような働きをしていて、その上で私たちは鑑賞しているのです。

展覧会

 展覧会は、作品をよりドラマチックに味わう仕組みです。学芸員は作品が十分に味わえるようにストーリー性を考えて展示室を構成していきます。人の導線、視線の動き、展示場所やライティングなど、慎重に検討しています。その結果、私たちは順路を追って進めば、学芸員の提示する「美術の物語」を効率よく追体験することができるわけです。それは、「ありのままに作品に出会う」というよりも、「展覧会という方法を通して作品に出会っている」と言えるでしょう。

美術品

 作品自体も美しく見えるように「加工」されることがあります。例えば、ミロのビーナスなどの有名な古代ギリシャ彫刻は、つくられた当時、色鮮やかに着色されていました(※4)。でも時間が立つと色は落ち、真っ白の大理石像になります。そこに「白が高貴な理想の色」という考えが加わり、僅かに残っていた色の痕跡でさえ削り落とされたのです。大英博物館で実際に起こったことです(※5)。私たちは、その「まなざし」を未だに引き継いでいるかもしれません。現代作家のLéo Caillardはギリシャ・ローマ風の白い彫刻にTシャツやジーンズをはかせていますが、その通俗的な姿は、逆に私たち自身の白い大理石彫刻に対する「信仰」に気づかせてくれるでしょう(※6)。

 美術館、壁や空間、展覧会、美術品などは、いずれも私たちの「まなざし」を構成する重要な「文脈」です(※7)。探究的な美術鑑賞を通して、これに気づくことは可能でしょう(※8)。本稿の例で言えば「美術館には素晴らしい本物がある」と信じて疑わない姿勢や、「美術館=美の神殿」という意識を問い直すことができるはずです。今、求められている、クリティカル・シンキングやメタ認知の育成などにも役立つように思います(※9)。発達や習熟度にもよりますが、「風景とは」「自己とは」「女性とは」「子どもとは」など、様々な文脈に着目した鑑賞教育に挑戦してみてはどうでしょうか(※10)。

 

※1:テート美術館「アートへの扉」を参照。ロンドン・テートギャラリー編 奥村高明・長田謙一監訳「美術館活用術 鑑賞教育の手引き」2012美術出版社
※2:美術館の制度性については100年前から批判されている。大聖堂、メディア、商業施設等、今も美術館の存在は、作家や研究者、美術館自身などから問い続けられている。
※3:近代的な美術館として誕生したMoMA(1929年開館)は、無菌室やホワイト・キューブなどと呼ばれ、批判の対象となった。「今もって絶対的な権威」「それ自体がひとつの表現だ」などの指摘もある。
※4:近年の図鑑や絵本などの復元画は、パルテノン宮殿も、大理石の像も「極彩色」である。
※5:「NHKスペシャル 知られざる大英博物館 第2集 古代ギリシャ “白い”文明の真実」NHKエンタープライズ 2015
※6:http://www.leocaillard.com/
※7:私たちは、文化的な生き物であるがゆえ、文脈という仕組みから逃れることはできない。
※8:普段の美術鑑賞で、このようなことを問題にするのは無粋だろう。ただ、経験的にギャラリーツアーなどで鑑賞者が自ら「展示室の作品の配置における学芸員の意図」や「美術館の設置と自然環境の関係」について語り始めることがある。
※9:指導者側が「文脈」に無自覚なまま「作品との純粋な出会い」や「ありのままの自然な対話」を求め続けても、この要求には応えられない。中学校学習指導要領には「自分の価値意識をもって批評し合う」とあり、解説書では「自分の価値意識をもって批評するためには,自分の中に対象に対する価値を明確にもつことが前提」「鑑賞は単に知識や作品の価値を学ぶだけの学習ではなく,知識なども活用しながら自分の中に作品に対する新しい価値をつくりだす学習である」とある。「いくつかの鑑賞の視点を設定」して、探究的な学習の開発を行う実践も求められている。
※10:アートカードを用いた美術館づくりや、キッズ・オークションなどがこれにあたる。オークションについては大分県立別府青山・別府翔青高等学校岩佐まゆみ先生が公的な美術館と収集の問題に関わった興味深い実践を行っている。