学校教育の情報化、実際のところ、これからどうなる!?

 先日、九州のある地方都市のICT公開授業へ出かけた。移動中に利用した地元の鉄道には学校帰りの高校生が大変多く乗っていたが、ほぼ全員が携帯端末を片手に、音楽やゲーム、ネット検索などをしていた。非常に小さな街でも、都心部とまったく変わらない光景がそこにある。むしろ情報収集や娯楽も、ネット社会の充実で日本各地どこでも同じことなのだろうと実感した。

教育の情報化

 さて、学校における教育の情報化の現状はどうなのか。私たちの生活に駆け足で浸透してくるITの波が、学校現場でも同じように進んでいるのだろうか。
 政府においては、世界最先端IT国家創造宣言、第二期教育振興基本計画、教育再生実行会議などいずれも閣議決定され、その内容には、教育の情報化の推進に関する記述が随所に盛り込まれている。目立つのは、一人一台情報端末配備、電子黒板や無線LANの整備、デジタル教科書・教材の活用、情報活用能力の向上などといったキーワードだ。
 平成22年度に文部科学省では「教育の情報化ビジョン」が策定され、(1)子供たちの情報活用能力の育成、(2)教科指導における情報通信技術の活用、(3)校務の情報化の3つの軸による方向性が示された。具体的な普及状況は、文部科学省が毎年「学校における教育の情報化の実態等に関する調査」を実施し公表している。
 これら方向性においても、整備状況の実態においても、全国的に普及していることは確かではあるが、児童生徒向けとされる教育用コンピュータや、教校務用コンピュータ、普通教室の校内LAN、あるいは電子黒板などその整備率については、それぞれで差があり、全国の自治体別でみると、整備状況に地域格差が生じていることは否めない。

デジタル教科書の議論

 3つの軸の中でも、「(2)教科指導における情報通信技術の活用」に含まれる、とりわけ「デジタル教科書」という学校教材についてスポットを当ててみたい。
 昨今、教科書のデジタル化で課題と言われているのは、電子書籍のように、情報端末の画面に教科書の紙面がそのまま表示されている方がよいのかが議論の一つにあると思っている。電子化されれば、印刷物では実現できないことが期待されるわけで、たとえば学習効果や機能性、通信を利用した効果、学習記録・履歴による分析や活用など、さまざまな意見が出ている。その時々の技術の進捗にともなって、こうした電子書籍のレベルを超えるような期待が高まることは、何らおかしなことではないだろう。すでに一般社会では、PCの進化にともない、インターネット利用もPC中心だったのが、携帯電話や、スマートフォン、タブレットなどの個人の情報端末にシフトされ、次々に登場する最新機器や技術が、ごく自然に生活に溶け込んでいるのが現実だ。
 そもそも、学校教材のデジタル化は、だいぶ前から始まっていた。それは、マルチメディア教材と呼ばれCD-ROM媒体で提供していた時代からで、すでに15年、いや20年くらい前にさかのぼる。当時の学校現場における技術環境に配慮して開発された教材が次々に発売され、活用されてきた。視聴覚教室だった特別教室が、コンピュータ室という名に変わりつつあった頃だ。

指導者用デジタル教科書という教材

 文部科学省では、前述の「教育の情報化ビジョン」を契機に、21世紀にふさわしい学び・学校というテーマで、本格的な協議や、先行検証が進められている。そこには、ICT環境の普及にしたがって、学校教材の一つとして「指導者用デジタル教科書」の登場したことを書きとどめたい。この教材は、教科書発行会社が教科書に準拠した補完教材として、教科書改訂期に合わせて発売してきた。すでに学校現場への導入も進み、39.4%の導入率が出ている。(H27.3.1現在、全国平均値)
 「指導者用デジタル教科書」の普及の背景には、平成21年度補正予算におけるスクールニューディール政策の中の、学校ICT環境整備や、テレビの地上波デジタル放送化への移行がきっかけで、電子黒板や大型モニターなどの提示用機器が大きく普及・整備されたことが大きい。提示機器の普及に応じて「指導者用デジタル教科書」という教材のニーズが高まったのだ。従来の教材とは違い、教科書そのものが収録されていて提示機器に大きく教科書紙面が映し出され、それを拡大できるという新鮮さがあった。さらに、ペンツールによる書き込み機能とともに、内容に応じた動画・音声などの補足資料となるコンテンツが多く盛り込まれるなど、収録数も多くなり、搭載された機能も含めてそのボリューム感が今後の議論になるであろうことも記しておきたい。

 総務省の「フューチャースクール実証事業」(平成22年度~24年度)や、文部科学省の「学びのイノベーション事業」(平成23年度~25年度)といった、全国の小中学校の実証校を設定して行われた実証研究は、ICT機器を整備し、通信インフラ面と、教材開発・指導開発という両面が関連付けられた大きな取り組みであった。
 特に「学びのイノベーション事業」では、「学習者用デジタル教科書」の開発と実証研究が行われた。ただ、これが授業の中でどのように使われるべきなのか、学校も教師も初めて、開発する側も初めて、想定される学習シーンも従来にはない、などといった状況での議論・協議の真っ只中で、事業期間である第一ステージを終えたといってもよい。実証校のさまざまな環境、教師や児童生徒の実情があった上での検証として、取り組んでみて初めて生まれた課題も多かったはずだ。さらにこの事業により、指導者の視点ではなく、学習者である児童生徒との直接的な関係がクローズアップされる意味でも、新しいスタイルのデジタル教科書が注目され始める。
 事業開始が平成23年度と、すでに5年も前のこと。技術環境は、今よりも当然古い。技術の進歩により、今となっては容易なことでも、当時は実現するのが難しいことも多かった。デジタル教科書を含めた情報化実証研究そのものに対する教育現場への認知度、理解度も広まってきたと思われる。
 そもそも、学校や、教師、児童生徒らには、(ここではあえて言うが)印刷物の教科書があるのにも関わらず、どんな「学習者用デジタル教科書」があると良いのかを、開発者の一員としてよく議論したものである。その結論も出ないまま、作りながらの検証であった。利用者が学習者であったとしても、指導する教師がどのように提示して、子供たちに活用させていくのか、試行錯誤の事業期間であった。利用者も作る方も初めてづくしの中、まだまだ検証が足りない部分もあった。まして、対象の学習者は小学生から中学生の9年間と幅広く、子供の成長著しい期間に利用できるデジタルならではの教材とはどうあるべきか、その議論が満たされているとは言い難い。

検討会議の動き

 今年、ついに文部科学省では「デジタル教科書の位置付けに関する検討会議」が始まった。この会議の運営が初等中等教育局教科書課という教科書管轄の本丸なだけに、周囲の注目度も高い。5月に第1回会議がスタートし、つい先日は第6回目の会議が実施された。この6回までは関係団体らのヒアリングを実施し、検討会議の委員らは、1月以降論点整理へと進め、夏ごろには中間まとめをするという。
 教科書は、学校教育法において文部科学大臣の検定を経た教科用図書として法令化されている。現在、デジタル教科書と言われるものは教科用図書ではない。この会議では、あるゆる面において、従来の教科書と同等とするのかどうかの意見をまとめる会議とのことだ。おそらく結論は、提言なり答申なり、ある結論めいた方向へ進むことだろうし、関連する法案改正への手続きなど準備が進められることだろう。
 デジタル教科書が教科用図書に位置付けられると、現在の教科書のように、全国津々浦々の児童生徒が分け隔てなく使用できることが大前提となる。ということは、誰でも使えることが想定された内容や機能、入手方法、さらに、印刷物の教科書と同様の検定基準をどうとらえるのかなど、課題山積である。はたして、どう収束していくか。この動きを見守りたい。
 教育の情報化の推進には、通信・機器・教材や指導方法などが一体となった動きであって、デジタル教科書だけが一つの動きではないということも当然のことだ。
 新しい年を迎え、これからの学校教育の情報化は、どんな進化をしていくのだろう。

(山口 亮)

母の悲愁

 日本の流行歌には、「九段の母」「岸壁の母」をはじめとし、失った子を慕う母の思いを歌ったものが多くあります。「九段の母」は、上野駅からとぼとぼと、靖国神社に祀られている我が子を訪う母の心をうたっております。「上野駅から」という歌いだしにはリアリティーがあります。日露戦争における旅順攻略で最も多くの戦死者を出したのは、「日本軍人の南無阿弥陀仏は万歳なり」といわれたように、本願寺門徒の兵隊からなる北陸金沢の第9師団でした。日本軍隊で過酷な軍務に堪え、戦場で勇戦した兵隊の供給地は北陸、東北出身者の部隊でした。
 上野駅は、東京駅に対し東京の「裏玄関」といわれてきましたように、北陸、東北からの列車の到着駅でした。亡き子を尋ねる母は上野駅から靖国の社に「とぼとぼ」と歩んだのです。ここには日本の母の原像が読みとれます。その姿は、戦後になると、舞鶴港に入港する引き上げ船に我が子をさがす母をうたった「岸壁の母」にひきつがれていきます。この「岸壁の母」像は、東京都大田区に実在した者で、現在舞鶴港にそのモニュメントが建立されています。日本における母と子の関係はこのようにうたい語られてきた世界にあるのではないでしょうか。

小学校の教科書にみる母像

 国定教科書は、第1期(1903年)の高等小学読本1に「感心な母」として登場し、第2期(1909年)尋常小学読本巻9で「水兵の母」となり第5期(1941年)まで載せられた世界にみられますように、「一命を捨てて、君の御恩に報ゆる」ことを説き聞かせております。この物語は、日清戦争で黄海海戦に臨んだ高千穂の分隊長小笠原長生(おがさわらながなり 1867-1958)の『海戦日録』(1885年)に描かれた一兵士をめぐる母と子の姿を素材にしたものです。このような兵士と母をめぐる物語は、日露戦争に出征する息子の船を見送る母の姿を問い語った第3期の「一太郎やあい」にもみることができます。この「一太郎やあい」は、主人公岡田梶太郎のことが「新学期の小学読本に美談『一太郎やあい』。出征の倅の船を見送って防波堤に叫んだ老母の真ごころ。物語の主人公は生存」「今は廃兵の勇士が悲惨な生活」との記事が大阪朝日新聞高松支局のスクープとして報じられたがために、第4期では削除されました。
 教科書は、「命をすてて天皇に報いる」「天子様のために奉公する」物語を語りかけることで、国民であるまえに良き臣民として生きることを幼き児童の身体に刻みこんだのです。このような母と子をめぐる物語がたどりついた姿は第4期の「姿なき入城」に読みとれます。この物語は、大東亜戦争でビルマ(現ミャンマー)の首都ラングーン爆撃で戦死した「我が子」に語りかける挽歌にほかなりません。

いとし子よ、ラングーン第一回の爆撃に、(略)機は、たちまちほのほを吐き、翼は、空中分解をはじめぬ。汝、につこりとして天蓋を押し開き、仁王立ちとなつて僚機に別れを告げ、「天皇陛下万歳」を奉唱、若き血潮に、大空の積乱雲をいろどりぬ。それより七十六日、汝は、母の心に生きて、今日の入城を待てり。今し、母は斎壇をしつらへ、日の丸の小旗二もとをかかげつ。一もとは、すでになき汝の部隊長機へ、一もとは、汝の愛機へ。いざ、親鷲を先頭に、続け、若鷲。ラングーンに花と散りにし汝に、見せばやと思ふ今日の御旗ぞ。いとし子よ、汝、ますらをなれば、大君の御楯と起ちて、たくましく、ををしく生きぬ。いざ、今日よりは母のふところに帰りて、安らかに眠れ、幼かりし時わが乳房にすがりて、すやすやと眠りしごとく。

「お母さん」という叫び

 日本の母は、「さらば行くか、やよ待て我が子。老いたる母の願いは一つ。軍(いくさ)に行かば、からだをいとへ、弾丸(たま)に死すとも、病に死すな」(「出征兵士」)と戦場に送りだし、戦死した「我が子」を「今日よりは母のふところに帰りて、安らかに眠れ、幼かりし時わが乳房にすがりて、すやすやと眠りしごとく」と抱かねばならなかったのです。母が己の子を取り戻せたのは、死んだとき、骸となった「我が子」でしかなかった。ここに日本の母がかかえこんだ深い闇、悲愁があるのではないでしょうか。
 その「我が子」は、母の面影を抱くことで、戦場で生きられたのです。支那事変で1937年8月22日に戦死した陸軍歩兵中尉立山英夫の地染めの軍服には、母親の写真の裏に認めた母に呼びかけた「長詩」がありました。

若し子の遠く行くあらば、帰りてその面見る迄は、出でても入りても子を憶ひ、寝ても覚めても子を念ず、己生あるその中は、子の身に代わらんこと思ひ、己れ死に行くその後は、子の身を守らんこと願ふ、あゝ有難き母の恩、子は如何にして酬ゆべき、あはれ地上に数知らぬ、衆生の中に唯一人、母とかしづき母と呼ぶ、貴きえにし付し拝む、母死に給ふそのきはに、泣きて念ずる声あらば、生きませるとき慰めの、言葉交はして微笑めよ、母息絶ゆるそのきはに、泣きておろがむ手のあらば、生きませるとき肩にあて、誠心こめてもみまつれ

と問い語り、「お母さん、お母さん」と24回も繰り返し呼びかけています。
 このような母に寄せる思念は、戦場の広くみられたもので、『銀の匙』で評価の高い中勘助は、支那事変の戦場体験を詩った『大戦の詩』(1938年)に「百人斬りけふとげぬれどあすはまた撫で斬りせんと剣をとぎをり」と詠み、

白水村の戦ひに、敵前に擱座して燃えあがる戦車、車外に右手を傷ついて殪れた兵士、左手で書いた遺言、「天皇陛下万歳、豊田隆、隆は今から死にます、お母さん御機嫌」

 日本の母は、流行歌に唄いつがれていますように、「瞼の母」でしかなかったのです。このような想いこそは、立山の母によせる想いに寄せ、上官の大江一二三大佐が「靖国の宮にみたまは鎮もるもをりをりかへれ母の夢路に」と詠んだ世界となります。それは「靖国の歌」となりますが、母の悲愁は靖国という回路に封じ込められたのです。

水兵、姿なき入城(第5期)※クリックすると拡大します

禁じられた歌声

(C)2014 Les Films du Worso (C)Dune Vision

 映画の舞台は、アフリカのマリ共和国の世界遺産ティンブクトゥの近くである。多くの家族が平和に暮らしている。この平和な場所が、イスラムの過激派に占拠される。過激派の兵士たちは、勝手にいろいろな法律を作り、住民の自由を束縛する。唄うこと、笑うこと、サッカーなどを禁止する。

(C)2014 Les Films du Worso (C)Dune Vision

 「禁じられた歌声」(レスぺ・配給、太秦・配給協力)は、今年の6月に開催されたフランス映画祭で上映された。いちはやく見て、深く心が震えた。世界のほんの一部の場所ではあるが、ここには、人間の尊厳、自由を束縛する現実があり、抑圧された人たちは、出来うる限りの抵抗を示そうとする。
 砂丘のある美しい街である。幼い少女のトヤ(レイラ・ワレット・モハメド)は、優しい父キダン(イブラヒム・アメド・アカ・ビノ)と、美しい母サティマ(トゥルゥ・キキ)と、牛を飼ったりして、貧しいけれど幸せに暮らしている。そこに、イスラムの過激派の兵士たちがやってくる。自由を束縛された人たちは、ささやかな抵抗を試みる。兵士の難癖に、堂々と抗議する女性がいる。隠れて音楽を奏でる。少年たちは、ボールがないのにサッカーをしているふりをする。例外は、心を病んだ女性で、顔を隠すこともなく派手なドレスで街なかを歩き回る。弾圧が増していく。ある女性は、禁止された手袋をしただけで、ムチ打ちの刑を受ける。痛みをこらえて女性は、苦しい声で唄い始める。

(C)2014 Les Films du Worso (C)Dune Vision

 トヤの一家は街はずれに避難しているが、兵士がひっきりなしにやってくる。一家が飼っている牛の一頭が、川で漁をしている漁師の網をひっかけたことから、牛は漁師に殺されてしまう。銃を手にしたキダンは、妻サティマの説得を押さえて、漁師のもとに向かう。漁師と言い争ううちに、キダンの銃が暴発し、漁師が亡くなる。キダンは逮捕され、侵略してきた兵士たちによって裁かれようとする。
 ごく一部ではあるけれど、いまの世界の現実を、的確に、静謐に描ききった作品と思う。ジハード(聖戦)の名のもとに、殺戮を続ける兵士たちを、ことさら悪と決めつけていない。
 兵士たちとて人間である。同じイスラム教信者に禁止したサッカーの話題で盛り上がることさえある。暴力を否定し、愛と祈りを説く信者には、一言も逆らえない。
 この映画は、多くの問いを突きつける。ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、そのルーツは同じである。なぜ、いま、このような状況なのか。人間の自由とは、尊厳とは?
 監督は、モーリタニアに生まれて、幼い頃にマリに住み、モスクワで映画の勉強をしたアブデラマン・シサコという。現在はフランスで活動していて、本作はフランスとモーリタニアの合作となる。作られたのは、2014年。フランスのパリで、無差別、同時多発テロが起こった、ほぼ1年前である。監督は、2012年に小さな新聞記事を見た。イスラムの過激派に占領されたマリのある村で、結婚しないまま、子供を産んだ男女が、投石による公開処刑を受けた、という記事だ。監督は言う。「映画には不条理にあらがう力があり、何が正しいのかを理解する助けにもなる」と。監督は、映画のもたらす力を信じている。
 誰にも、私たちが笑い、唄うことを禁じることはできないと思う。見ていて、厳しく辛い状況の映画だが、寓意に満ちた、美しい映像表現である。その表現は、他者を愛すること、赦すことの意味を的確に伝えている。銃を手にしたキダンに、妻のサティマは言う。「武器は要らない、話し合うべき」と。

2015年12月26日(土)よりユーロスペースico_linkほか全国順次ロードショー!

『禁じられた歌声』公式Webサイトico_link

監督:アブデラマン・シサコ
脚本:アブデラマン・シサコ、ケッセン・タール
撮影:ソフィアーヌ・エル・ファ二
出演:イブラヒム・アメド・アカ・ピノ、アベル・ジャフリ、トゥルゥ・キキ、ファトウマタ・ディアワラ、イチェム・ヤクビ
2014年/フランス・モーリタニア映画/97分
原題:TIMBUKTU
提供・配給:レスペ
配給協力・宣伝:太秦
宣伝協力:テレザ
(C)2014 Les Films du Worso (C)Dune Vision

「展覧会」は面白い!

 前回に続き、児童作品の展示について考えます。取り上げるのは「展覧会」です。

「展覧会」って何?

写真1

 「展覧会」と言うと、まるで画廊の個展か美術館の企画展のようですが、児童作品展のことです(※1)。ただしコンクールではありません。東京では、ほぼ全ての小学校が2年に一回、図工や家庭科、書写など全校児童の作品を展示するのですが、これを「展覧会」と呼んでいるのです。時期は11月から12月、週末の二日間程度、学校を開放して体育館などで行われます。子どもたちだけでなく、多くの保護者や地域の方が作品を鑑賞します。
 「展覧会」の中心になるのは、図工専科の先生です(※2)。作品展示や会場設営、ワークショップなど大活躍です。特に会場全体のデザインは腕の見せどころです(写真1、2)。学校や体育館全体が大きな作品などで構成され、そのダイナミックさに子どもの作品展というイメージが覆されます。最近小学校の保護者になった知人も、こう話していました。

写真2

 「『アートの森』という全体のテーマが設定されていて、1年から6年まで体育館いっぱいに作品が展示されていました。高学年児童のガイドによる作品の説明がないと迷うほどです。ナイトミュージアムもやっているし、2日間限定なのがもったいない!」
 なるほど、我が子の作品だけでなく「子どもの表現」を味わい、普通の美術館のようにイベントを楽しんだということでしょう。参観日に作品を教室に展示することとは一味違うようです。保護者、地域全体で子どもの表現や成長を祝うような学校行事かもしれませんね。

「展覧会」は研修会?

写真3

 「展覧会」には、他の学校の図工専科の先生も来場します(※3)。「展示方法の工夫」「材料・用具の使い方」「題材の指導法」「新しい表現」「子どもの可能性」などを学べる絶好の機会だからです。本稿では、指導法という観点から「展覧会」の作品を見ていきましょう。紹介するのは、今年訪問した練馬区立光が丘秋の陽小学校の玉置先生の実践です。
 写真3を見てください。定番題材のボックスアートのように見えます。でも、縦15cm×横20cm×奥行15cmの中に、かなり広い「空間」が感じられます。玉置先生の指導をたどりながら考えてみましょう。

写真4

 まず、先生は子ども達に「自分の美術館を作ろう」と提案します。そして、まず「美術館の中」にいる自分の写真を撮ります(※4)。次に木箱をつくります。普通の四角い枠ですが、子どもは、箱の中の自分を想像しながら組み立てます。必要があれば天井や壁に穴を開けて光を取り入れます。箱が出来たら、その中の「空間」を形や色、材料などを工夫して表していくことになります。
 指導の流れを踏まえた上で、写真4を見てみましょう。作品は青一色です。柱が2本、壁を横切る形で収められています。上方に光窓があります。そこから複数の光がスポットライトのように空間を照らしています(※5)。作者は後ろ姿です。まるで空間全体を味わっているように見えます。おそらく写真の位置から、天井を見上げたり、壁を見つめたりしながらつくったのでしょう。高学年らしく吟味を繰り返し、あえてシンプルにした結果が、この作品だと思います(※6)。

写真5


写真6

 一方、写真5は、これでもかとばかりに幾重にも材料が重なり合い、上下が混沌としている作品です。一般に高学年になると、中学年の「作品の中で冒険や想像を繰り返す様子」が影を潜めます。メタ認知が発達して、作品を客観的に見つめながらつくる傾向が強くなるからです。でも、この子は、冒険心を取り戻したかのように、実験的な気持ちでつくったようです。
 写真4と写真5に共通するのは、「作品に入り込んで考える」というプロセスです。それは「私の美術館をつくる」という提案と「自分の写真を中に置く」というさりげない手立てによるものでしょう。それによって作品は複数の視点から検討され、立体性や多層的な空間を生み出したようです(写真6)(※7) 。指導の工夫によって、より子どもの資質や能力が発揮されたといえるのではないでしょうか。
 「どれだけ子どもが力を発揮したのか」の結晶が「作品」です。そのために材料や用具を工夫し、展開にそって学習のステージを組み込んだまとまりが「題材」です。「展覧会」では、題材ごとに数十点の子どもの作品が展示されています。そのため題材に対する子どものアプローチや先生の指導法がよく分かるのです。「作品」と「題材」の両方を学べる貴重な研修の場が「展覧会」かもしれませんね。

 

※1:全国的には「校内展」「学校展」「子ども展」などと呼ばれています。
※2:東京都の場合、図画工作は専科の先生が行うことが多いのです。平成25年東京都公立学校統計調査報告書によると1145名、これは全国の図工専科の70%以上を占める数字です。
※3:有名な先生の「展覧会」には多くの先生が集まります。筆者も毎年複数の「展覧会」を訪問し、最先端の題材や図工教育の動向を学んでいます。
※4:よくある不自然なポーズや直接関連のない自分の写真ではなく、壁を指差したり、じっくり見ていたりしている落ち着いたポーズが多かったです。
※5:体育館天井の光量の強いライトが差し込んでいるためです。
※6:一般に、ボックスアートで、このようなシンプルな作品は見られません。
※7:ボックスアートでは箱に材料を詰め込んだだけの平面的な作品が多く、複数の視点を感じさせるものや、多層的なものが少ないように感じます。自分と作品が対峙し、一つの視点だけから検討するからではないでしょうか。