学習者情報端末は教具なのか文具なのか

 2005年に発表されたOLPC(One Laptop per Child)は、学習者1人1台の情報端末整備によって途上国に教育機会を提供しようとする画期的プロジェクトとして注目されたが、その後動きは先進国にも広まり、OECD諸国では1:1(one to one)イニシャティブとして主要な教育政策となった。
 我が国でも、ここ数年は学習者に1人1台タブレット等の情報端末を割り当て、持続的に運用する事例が報じられるようになったが、授業に限らず自宅でも使う学習者情報端末をどう管理・監督すべきかについて、日本の学校はまだはっきりとした答えを持っていない。
 大雑把に課題を切り出すとすれば、教員都合の延長として「教具」と考えるのか、それとも、学習者に寄り添った「文具」として捉えるべきか。

 日本の学校は一斉授業が基本だ。我が国では明治40年頃にそのスタイルが確立した(児美川,1992 ※1) 。当時メディアや資源の乏しい状況でも、多人数に効率良く知識伝達を行える「一斉教授」と、場面に秩序をもたらす「一斉行動」を特徴とする。教員は知識を導くゲートキーパーとして、巧みに問答を繰り返しながら教育目標に達することが期待されてきた。
 我が国では過去20数年にわたって、おもに一斉授業のICT活用を追求してきたが、一斉授業で学習者側端末を「教具」として扱わせる事には矛盾が生じる。教員が授業場面を制するのだから、学習者端末も教員の意図通り操作させたいが、学習者端末はどんな情報でも入手可能なので、野放しにすれば授業の秩序を壊しかねない。
 この矛盾の解消のために、学習者端末は授業の大半をロックダウンされ、学習者が使える時間はわずか数分、全員が同時に情報を与えられ、単純な操作のみ許される、という奇妙な活用スタイルが定着した。それでも、授業を制御する教員側の負荷は高く、想定外のトラブルリスクには弱い。端末利用時間が限られるため十分な効果も得られず、学習者側の操作スキルも身に付かない。つまり、教員主導の「教具」という発想は、本来自在に使えるはずの学習者端末をわざわざ不便で虚ろな道具に仕立ててしまう。

 一方、ICTを上手に活用する海外の学校事例をみると、通常の講義形式の授業もあるが、講義・指示の時間を短くして、学習者端末を用いたレポート課題に比較的長い時間が割り振られる事が多い。それぞれがネットや書籍資料を参考にした課題や討議に取り組む。教員はファシリテート、個別アドバイスやフォロアップを行う役割として活動を支援する。いわゆる学習者主体の学習(Learner-Centered Learning)である。
 学習者は自己調整学習をルールとして身に付け、課題に対する見通しや段取りを持ち、知的な生産活動に臨みやすい態勢が出来ている。日常的にICTを利用するので、教室で割り当てられた機種が異なっていても誰も気にしない。
 学校を俯瞰すれば授業の外側も含めた情報化がなされている。デジタルサイネージは、今日の行事予定や学校ブログの最新トピックを伝え、連絡や通知は、メールやクラウドサービスを介して行われる。私物端末の学校持ち込みも規制されない。校内共有端末でも私物端末でも家庭用PCでも、場所を問わず学習者が活動継続できるので、授業内容を持ち帰る事も、授業にアイデアを持ち込む事も自在である。つまり、学習者中心の「文具」発想とは、学習者の知的作業環境を拡張するものである。

 このように、見かけは同じような学習者端末でも、教具か文具かの見立てによって使い方には大きな違いとなって現れる。その仕様決定にあたっては、学校側の教育観そのものがシビアに問われる事になるだろう。情報端末1人1台時代の到来にあたっては、この課題を正面から見据え、賢明な選択に期待したいところだ。

ペアワークによる調べ学習とレポートまとめ
スウェーデン・ストックホルム郊外ソレントゥナの小学校にて

倫理社会のテーマについてプレゼンテーションをグループ共有作成する
フィンランド・ヘルシンキ郊外カウニアイネンの中学校にて

 

豊福 晋平(とよふく しんぺい)
国際大学GLOCOM主幹研究員。1995年より国際大学GLOCOMに勤務、専門は学校教育心理学・教育工学・学校経営。教育と情報化に関するテーマに取り組む。

※1:児美川佳代子(1992),近代イギリス大衆学校における一斉教授の成立について,東京大学教育学部紀要 第32巻pp.43-52

木靴の樹

(C)1978 RAI-ITALNOLEGGIO CINEMATOGRAFICO – ISTITUTO LUCE Roma Italy

 中学生を自殺に追いやるような教育現場がある。学校はイジメが分かっていながら知らぬフリをする。事件が起こってから調査しても意味がない。
 ワイロを受け取るなど、明らかに悪いことをした大臣が辞任。睡眠障害とやらで、ちゃんとした説明をしないで逃げまわっている。外国との交渉で、徹夜に近い日々を過ごしたタフな政治家なのに。検察は動かず、やっと一部の弁護士たちが告訴した。
 小児の甲状腺がんは、100万人に一人の確率。福島の5年後、168人の小児が罹患している。それについての感想を聞かれた厚生労働大臣は、環境省の所感だからと、ノーコメント。
 景気は上向きだと政府は言う。一部の恵まれた人たちはそうかもしれないが、景気が上向きなどというのは、タクシーの運転手さんに話を聞けばうそだと分かる。スーパーで、ふつうの主婦が特売のチラシを手にどういう買い物をしているか、ちょいと注意深く観察するだけでもうそだと分かる。
 子育て中の女性がしっかりと働ける環境ではないし、介護に携わる人は低賃金。これで、みんな活躍できるのか。
 なんらかの形で、いまの教育や政治に関わっている人たちに、ぜひ見てほしい映画がある。もちろん、まだ学校で学んでいる若い人たちにも。たとえ、搾取され、貧しくても、きちんと食べ物を作り、神に祈り、しっかり生きている人たちがいることを、映画は静かに語りかける。

(C)1978 RAI-ITALNOLEGGIO CINEMATOGRAFICO – ISTITUTO LUCE Roma Italy

 ずいぶん前に公開されたが、「木靴の樹」(ザジフィルムズ配給)という映画が、このほどリバイバル公開される。舞台は、19世紀末の北イタリア、ロンヴァルディア地方のベルガモ。貧しい農民の家族たちが、どのように暮らしているかを、ドキュメンタリータッチで綴っていく。上映時間は3時間7分。長いけれど、退屈はしない。
 広い農場に、4つの家族が住んでいる。土地、住居、家畜の畜舎、農具などは、すべて地主の所有で、収穫した作物の3分の2は、地主のものとなる。
 バチスティ家。6歳のミネク(オマール・ブリニョッリ)は、頭がよくて可愛い少年だ。父親は、ミネクを労働力として期待しているが、神父は、ミネクを学校に通わせるよう、父親に申し渡す。ミネクは、片道6キロもある学校に通うことになる。
 アンセルモ家。ルンク未亡人(テレーザ・ブレッシャニーニ)の仕事は、洗濯の請負。6人の子どもがいる。牛の世話や畑仕事は、アンセルモじいさんと15歳の長男ペピーノの担当である。娘ふたりは、村で洗濯の注文を受けてくる。ペピーノは、家計の足しにと、とうもろこしを粉にする工場に働きに出る。じいさんは、トマトの苗を植える準備に取りかかる。
 フィナール家。けちなフィナール(バティスタ・トレヴァイニ)は、馬車の引き出しに小石を詰める。これでとうもろこしの量が多くなるよう、ごまかすわけだ。フィナールは、息子のウスティと、しょっちゅう親子喧嘩をしている。ある日、道に落ちている金貨を見つけたフィナールは、馬の蹄に金貨を隠す。
 ブレナ家。美しい娘のマダレーナ(ルチア・ペツォーリ)は、紡績工場に勤めている。マダレーナは、恋人のステファノを家に連れてくる。結婚式を済ませ、ふたりは新婚旅行でミラノに行く。
 バチスティ家。学校からの帰り道、ミネクの履いている木の靴が割れてしまう。夜、父親は、河沿いのポプラの樹を切って、ミネクの靴を作ってやる。

(C)1978 RAI-ITALNOLEGGIO CINEMATOGRAFICO – ISTITUTO LUCE Roma Italy

 ここには、貧しいけれど、必死に生きていく人たちの姿が映し出される。みんなで、土地を耕し、家畜を育て、働き、教会で祈る。ミネクの父親は、一晩かけて木靴を作るが、木靴の樹もまた、かれらのものではなく、地主のもの。それでも、人は、与えられた条件のなかで、生きていくしかない。
 監督は、映画の舞台となったベルガモ生まれのエルマンノ・オルミ。ほかには、「聖なる酔っぱらいの伝説」、「ポー川のひかり」、「楽園からの旅人」などを撮っている。どの映画でも、風景を美しく見せる監督だが、1978年に撮った本作でも、ベルガモの風景を、まるで絵を見ているように美しく切り取っている。
 バッハの音楽が、貧しい人たちの祈りを助けるかのように静かに流れてくる。いくつかのカンタータ、「われを憐れみたまえ、おお主なる神よ」などの四声のコラール、ゴルドベルグ変奏曲からのアリアなど。
 現代の日本。裕福な政治家たちは、カップ麺がいくらで売られているかということや、派遣の人たちの賃金がいくらかということを知らない。時代も国も違うが、北イタリア、ベルガモの貧しい人たちが、どのように暮らしていたかくらいは知っておいてほしい。

2016年3月26日(土)、岩波ホールico_linkほか全国順次ロードショー!

『木靴の樹』公式Webサイトico_link

監督・脚本・撮影・編集:エルマンノ・オルミ
音楽:ヨハン・セバスチャン・バッハ
1978/イタリア/187分/カラー/スタンダード
原題:L’albero degli zoccoli
配給:ザジフィルムズ
(C)1978 RAI-ITALNOLEGGIO CINEMATOGRAFICO – ISTITUTO LUCE Roma Italy

国家に強要された死とどのように向き合いますか

戦跡への鎮魂慰霊の様式

 天皇明仁・皇后美智子による慰霊の旅、行幸啓は、日本人戦没者に向けられたもので、「大東亜戦争」の戦没将兵、現地で亡くなった日本人への追悼であり、慰霊鎮魂です。そこでは、日本軍の犠牲となった現地住民、戦争の犠牲者を慰霊することはありません。今回のフィリピンであれば、1945年米軍の進攻を前にした日本軍がマニラで10万人を殺したといわれる「マニラ大虐殺」の記念碑“MEMORARE MANILA―1945”(google Map)ico_linkを訪問、「日本国天皇」として献花し、頭を下げ、謝罪と哀悼の意を表することはプログラムにありませんでした。
 東南アジアには、このような「虐殺」記念碑として、シンガポールの「華人大検証」なる名目による「華人掃討令」で5万人ともいわれる華人、中国系の住民が「虐殺」されたとの悼み、「血債の塔」が建立されています。戦後の日本は、このような日本の戦争がもたらした各地の「惨劇」をどれだけ直視してきたでしょうか。ここには慰霊鎮魂の旅がもつ偏頗な構造がうかがえましょう。
 いわば天皇皇后による慰霊の旅は、国民に刻みこまれている国家が強要した死の痛みを慰霊することで、国家の責任を無化しようとの想いが託されているのではないでしょうか。ここには、日本軍が他国民に強要した死の重さを思い見る眼がありません。たしかに天皇明仁には、ハワイ訪問の際に真珠湾奇襲で撃沈され、乗員1,177名のうち1,102名が戦死した戦艦アリゾナがアリゾナ記念館“USS Arizong Memorial”というオアフ島にある戦没者の記念館を訪れ、献花をする意向があったようですが、内閣の意向で中止されたとのこと。
 日本は、海外における戦死者追悼行事において、日本人の鎮魂慰霊に心よせますものの、現地の戦争犠牲者に眼を寄せていきませんでした。現地の人びととともに追悼行事を営み、「平和」を祈念したのは立正佼成会の「青年の船」が初めてではないでしょうか。ここには、「大東亜戦争」アジア太平洋の戦争に向き合う日本国民の閉ざされた眼があるのではないでしょうか。この眼こそは、「平和国家」日本を喧伝し、アジア諸国に多大な資金援助をするものの、どこか白眼視さている要因といえましょう。
 行幸啓はこのような構造で営まれてきたものです。惟うに今回のフィリピン訪問で「マニラ大虐殺」の記念碑“MEMORARE MANILA―1945”に明仁・美智子が献花し、額ずくならば日本に向ける眼が大きく開かれることでしょう。しかし、このような作法は期待できないのが現実です。「国民の天皇」とは、あくまで内向きで、閉ざされた国民の眼に寄りそうものでしかないのです。

「死」を意味付ける器とは

 この閉ざされた眼は、国家に求められた死をして、いかに一国民として受けとめたかということにかかわることです。このことは、日本が近代国家をどのようなものとして形成したかということにほかなりません。
 日本が国民国家を造形する上での課題を、プロイセンの国法学者グナイストは伏見宮貞愛(ふしみのみたさだなる)親王に1885年の講義でつぎのように説いています。国家をひとつに結付けるには、人心を一致協力させる精神の器がいる。そのためには、「人々互ニ相愛シ相保ツノ道ヲ教ヘ以テ人心ヲ一致結合」に導く「宗教」が必要である。「宗教」こそは、「自由ノ人民ニ其ノ善ク適当とすべきものを可成丈ケ保護シ、民心ヲ誘導シ、寺院ヲ起シ、神戒ヲ説教シ、深ク宗旨ヲ人心ニ入ラシムルニ非レバ、真ニ鞏固ナル国を成ス」もので、「兵ノ死ヲ顧ミズシテ国ノ為メニ身ヲ犠牲ニ供スルモ亦只此義ニ外ナラ」ないものなのだと。
 このような教示を受けとめた伊藤博文は、日本には宗教なるものの力が微弱であるとして、「我國にあって機軸とすべきは独り皇室あるのみ」と判断しました。かくて国民を一つにまとめる神の不在こそは、記紀神話に描かれている天皇を潤色して「神の裔」とみなす「大きな物語」を造型し、神格化していくことで国民の心に天皇崇拝を鋳造していくこととなります。この造形は、大日本帝国憲法が第1条「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」、第3条「天皇は神聖にして侵すへからす」、第4条「天皇は国の元首にして統治権を総攬し此の憲法の条規に依りて之を行ふ」と規定し、権力の行使を公的に天皇が保障するシステムとしての日本型君主制、後の1930年代に登場してくる「天皇制」なる言説で説き語られる世界となります。
 ここに天皇は、幕末維新期に来日した外国人の眼に「精神上の皇帝」「教皇」と写っていた存在から、国家権力の要となり、福沢諭吉にいわせれば皇室は政治権力の外に立つことで仲保者となり、「万機を統るもの」で、「人心収攬の中心」たる使命を担う存在となっていきます。

死者と伴走する天皇

 国家は、戦争において、天皇の名で国民に死を強要します。天皇は、己が強要した死に向き合い、「戦死者」の死を抱え込むことで、「死」を意味付けます。その国民的磁場が靖国神社です。かつ死に伴走する天皇の営みは私的な生活空間である吹上御苑に建設された御府に読みとることが出来ましょう。天皇は、靖国神社に詣でる「御親拝」で「靖国の神」となった死者を慰霊し、鎮魂の祈りをささげます。
 この営みは、1945年の敗戦占領下で中断、1956年の対日平和条約後52年7月に明治神宮に参拝し、「敗戦」の責を謝罪し、10月の靖国神社に参拝となります。しかし1978年東条英機ら「A級戦犯」14名が合祀されて以後、天皇は靖国神社を訪れていません。
 このことは、明仁天皇・美智子皇后をして、高齢をもかえりみず、海外の戦跡に足を向けさせ、慰霊と鎮魂をなさしめるのだといえましょう。このような作法は、日本国民の眼に天皇の御稜威を感じさせましょうが、無残な死を負わされた者の救済、鎮魂になるのでしょうか。
 死は、一己固有のものであり、何人も容喙できるものではありません。この原点こそは、記念碑等に国家が密閉した死者を解き放ち、国家に対峙する己の場を持つことを可能にするのではないでしょうか。日本の近代国家が密閉した世界に潜む闇を問い質し作業として、天皇が営む慰藉、慰霊、鎮魂等の作法を考えたいものです。

 

※御府は、戦死将兵の名簿、遺品、戦利品を納めるために皇居吹上御苑内に建設された振天府(日清戦争)、懐遠府(北清事変)、建安府(日露戦争)、淳明府(西伯利出兵)、顕忠府(済南・満洲・上海事変)のこと。

参考文献

  • 大濱『天皇と日本の近代』(同成社 2010)
  • 大濱『天皇の軍隊』(講談社学術文庫 2015年)

フィリピンの貧困地域における鑑賞教育の可能性

 今回は、筆者が協力することになったNPO法人「ソルト・パヤタス」(※1)が取り組む「貧困地域における鑑賞教育を通した能力開発」について報告します。第1回は現地の状況や活動内容の概要です(※2)。

1.「ソルト・パヤタス」とは

写真1

 「ソルト・パヤタス」は、1995年からフィリピンのパヤタス地区やカシグラハン地区など、貧困地域で教育支援を続けるNPO法人(事務局長:小川恵美子さん〔写真1〕)です。主な支援活動は次の3つです。
 (1)奨学金や学用品配布などの就学支援
 (2)ライフスキルやコミュニケーション力など子どもの能力を高める事業
 (3)商品開発や販売による女性への収入向上支援
 これまでに、高層化したゴミ山の崩落事故(※3)や大規模洪水(※4)で支援を行うなど20年にわたる活動の歴史があります。注目されるのは、2012年から「ソルト・パヤタス」の収入向上支援の受益者だった母親たちが刺繍製品の製作所を引き継ぎ、NPO法人「LIKHA」として自立したことです。2016年からは「ソルト・パヤタス」が支援していた地元の子ども図書館の経営も引き継ぎ、名実ともに、地域の教育支援を担うNPOとなります。今後、「ソルト・パヤタス」は、活動の拠点をパヤタス地区からカシグラハン地区の「チルドレン・エンパワメント・センター」に移し、そこで図書館やワークショップを行う計画です。

2.パヤタス地区の現状

 パヤタス地区のゴミ山は公的な廃棄処分場です。皮肉にもゴミ焼却によるダイオキシンやCO2の発生を防ぐ「大気浄化法」を契機に高層化、巨大化しました〔写真2〕。そこを囲むように床面積20m2程度の簡素な家々が、格子のような細い道に沿って幾重にも並んでいます〔写真3〕(※5)。人口は11万人(※6)。大人や青年のほとんどは建設作業員やジープニー(※7)、トライシクル(※8)等の運転手、スカベンジャーなど限られた仕事にしかつけません。スカベンジャーとは、ゴミ山から再利用できるものを回収して業者に売り、生計を立てている人々です(※9)。パヤタス地区の15%から30%がスカベンジャーと言われています。貧困から学校をドロップアウトする学童も多く、奨学金などを通して、まず子どもたちを学校に行かせることが最優先でした。
 しかし、訪問で実感するのは、ゴミ山が「産業」だということです。パヤタス地区の居住区域に至る道では、1日500台以上と言われるトラックが行きかいます。道沿いには道具屋、中間業者、運搬トラック関連工場などが延々と並んでいます。構造化された「産業」が相手ですから支援は単純ではありません。学費や学用品などを提供すれば終わる話ではなく、子ども自身のライフスキルの向上やパヤタス地区の家族、コミュニティそのものに働きかける必要があるのです。

写真2

写真3

3.カシグラハン地区の子どもたち

 建築中の「チルドレン・エンパワメント・センター」ができるカシグラハン地区は、パヤタス地区のゴミ山崩壊の被災家族が移り住んだ地域です。マニラなど都市部から立ち退きさせられた家族も住み込んでおり、ここ2年で爆発的に人口が増えています。「ソルト・パヤタス」が活動する地域は4万人、パヤタス地区と同様の貧困地域です。「チルドレン・エンパワメント・センター」が完成したら近接する公立小学校と連携しながら支援事業を進める予定です(※10)。
 今回の調査では小学校4年生の図画工作の時間を視察しました(※11)。図画工作は「MAPEH(※12)」という時間の中で週一回ほど実施されます(※13)。訪問当日は音楽の日だったので、急遽4年生だけに図画工作を実施してもらいました(※14)。A4用紙に「線の表現を工夫しながら行きたい場所の絵を描く」という内容でした。海、都会、パリなど思い思いに描いていましたが、ふと見ると描き始めない子どもが10人以上います。その理由は鉛筆がないからです。その子たちは多めに持っている子どもから鉛筆、消しゴム、クレヨンなどを借りながら描いていました。ただ、スムーズに描き進められなくても、子どもたちが絵を描くことが大好きであることは伝わってきました〔写真4〕。
 その姿に筆者は前日のカシグラハン地区で子どもたちの遊ぶ様子を思い出しました〔写真5〕。彼らは、食事用の燃料に使った小さな炭の残りを葉で包み、それを使って地面に絵や文字を描いていました。子どもたちは目の前にあるもの、使えるものを使って最大限に遊ぶのです。事務局長の小川さんは「子どもたちはあるものを使って遊ぶ天才だ」と話していました。子どものつくる行為に国境はありません。子どもたちは材料や道具を使いながら、何かを創り出し、能力を高めているのです。

写真4

写真5

4.「ソルト・パヤタス」の可能性

 今回の調査から筆者の感じた「ソルト・パヤタス」の魅力は大きく三つです。
 一つは、地域の教育力やコミュニティの発展を目指していることです。「文房具や学校などが足りないから提供する」は大事なことですが、一過性に終わってしまうことが多いのも事実です(※15)。「ソルト・パヤタス」は、地域のコミュニティや人・モノ・コトなどの教育資源そのものに働きかけ、これを改善しようとしています。
 二つには、子どもの能力開発を目指していることです。「ソルト・パヤタス」のミッションは子どもが自分自身の能力を発見し、その向上を通して自信と希望を持ち、自己肯定感を高めることなどです。そこに美術教育や鑑賞教育は貢献できるだろうと思います。
 三つには、実践の成果を統計的調査で明らかにし、貧困地域の子どもたちの能力開発をモデル化したいという挑戦です(※16)。今回のプロジェクトには統計や経済学の研究者が関わっています(※17)。確実なエビデンスを示すことで、ただの美談や感動物語に終わらせない意志が感じられます。
 実践するのはまだ先の話ですが、探求的な鑑賞活動、論理的な思考力の育成、コミュニケーション力の向上など、鑑賞教育の知見が役立つかもしれません。一方で、貧困自体が近代化や学校化(※18)の産物だということに配慮する必要もあるでしょう。先進国の目指すリテラシーや鑑賞教育のノウハウをそのまま持ち込むことには慎重でありたいものです。教育を問い直す姿勢を持ちつつ、現実との折り合いをつけながら実践していくことが求められます(※19)。
 次回の報告は「チルドレン・エンパワメント・センター」完成後になりますが、授業の実際やワークショップについて報告したいと思います。

 

※1:詳細は http://www.saltpayatas.com/
※2:
※3:死者行方不明300名と言われ、「ソルト・パヤタス」の奨学生も死亡した悲惨な人災でした。
※4:被災総額8000億円にもなった2009年の台風16号でカシグラハン地区も2000世帯が水没しました。カシグラハン地区にあるソルトセンターも水没したのですが、「ソルト・パヤタス」は翌日から飲み水の支給や食料支援、学用品配布などを行いました。
※5:昭和のような風景につい懐かしさを感じてしまいます。しかし「昔の日本」ではありません。おそらく「昭和20年代~30年代の日本」と「現在の日本」が同時に成立しているのがフィリピンでしょう。
※6:正確な戸籍はないのですが2012年の推計です。現在は急増しています。
※7:小型貨物自動車を主に16人乗り程度に改造した乗り合いタクシー。
※8:小型オートバイを屋根付サイドカーに改造した3人乗り程度の三輪タクシー。
※9:スカベンジャーには差別的意味合いが含まれるので、ウェスト・ピッカー(Waste Picker)と言い換えることもある。
※10:母親や教員に対する研修も予定しています。
※11:1クラスの児童数は45~76人、各学年3~6クラス、全校児童1729人の学校でした。
※12:「Music」「Arts」「Physical Education」「Health」の頭文字をつなげています。
※13:週ではなく、一日で時間割が決められています。午前クラスは6:00~12:00、午後クラスは12:00~18:00、その間に「English」「Mathematics」「Science」「MAPEH」「Edukasyong Pantahanan at Pangkabuhayan (EPP)」「Araling Panlipunan」「Filipino」「Edukasyon sa Pagpapakatao (EsP)」などが行われます。
※14:クラスは学業成績のよい特別クラスとその他のクラスで分かれています。今回の実施は特別クラス(児童数54名)が対象でした。
※15:施設や機械、ノウハウなどを提供しても数年たったら「やってません、動きません」はよく聞く話です。2016年3月2日夜発生したマグニチュード(M)7.8の地震で、2004年のスマトラ沖地震・インド洋大津波の後に外国の支援を得て設置された津波早期警戒システムが作動しなかったことはその例の一つでしょう。破壊行為、保守のための資金不足などが原因で海面の高さの変化を観測するブイが機能しなかったと発表されています。
※16:JICAによって始まった地方行政と地域住民(=コミュニティ)による学校運営という支援モデル「みんなの学校プロジェクト」は有名です。 http://www.jica.go.jp/60th/africa/niger_01.html
※17:「ソルト・パヤタス」は開発経済学や教育経済学の分野の先生に協力を依頼中です。
※18:ここでは「学校化」は学校で証書や資格を得る事が富につながるという意味で使っている。
※19:現在建築中の「子ども支援センター」も4年後は地域に委ねられる予定です。

幸せをつかむ歌

 まことに身勝手な母親である。幼い子どもが3人もいるのに、ロック歌手を夢見て、リンダ(メリル・ストリープ)は家庭を捨てる。リンダは、リッキーという男名前を名乗り、ロサンゼルスの場末のバーでロックを唄っている。バンド名は、リッキー&ザ・フラッシュ。かつてのヒット曲にオリジナルを交えて、パワフルな演奏、ボーカルを聴かせている。熱心なファンがいるが、小さなライブハウスだからリッキーの生活は楽ではない。リッキーは、近くの食料品店でアルバイトをしながらの一人暮らし。バンド仲間のグレッグ(リック・スプリングフィールド)と仲良しだが、一緒に住んでいるわけではない。インディアナポリスに残してきた子どもたちは、もう、とっくに成人している。

 ある日、リッキーのもとに別れた夫のピート(ケヴィン・クライン)から電話が入る。すでに嫁いだ娘ジュリー(エイミー・ガマー)が離婚したという。事業に成功したピートは、モーリーン(オードラ・マクドナルド)と再婚、いまは幸せな生活である。ピートは、ジュリーを慰め、元気づけることが出来るのは実の母親だけと考え、リッキーにインディアナポリスに来るよう、申し出る。家族を捨てた立場のリッキーは、ジュリーの結婚式にも出なかった。片時でも子どものことは忘れないリッキーだが、いまさら子どもの許に戻れる身ではない、と思う。重い胸の内のまま、リッキーはインディアナポリスに向かう。
 「幸せをつかむ歌」(ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント配給)は、ざっとこのような映画である。ロックという音楽は、普段それほど聴くことはないが、歌詞に込められた意味は奥が深く、幅の広い音楽と思っている。映画のなかで、リッキーとその仲間たちは、ドラマの展開にうまく合ったロックを聴かせる。その選曲が見事である。
 冒頭は、リック・スプリングフィールドのベスト盤にも入っている、トム・ぺリーの「アメリカン・ガール」である。リッキー役のメリル・ストリープが熱のこもった歌唱を聴かせる。息子ジョシュ(セバスチャン・スタン)の結婚式の案内が届くシーンでは、リッキーたちの演奏ではないが、ローリング・ストーンズの名曲「黒く塗れ」が流れる。また、スタンの結婚式に出かける費用がなく、バンド仲間のグレッグが、ご自慢のギブソンのギターを売り払った後で唄われるのは、ドビー・グレイの「ドリフト・アウェイ」。これは、まことにパワフルで、メリル・ストリープの歌が素晴らしい。そのほか、ブルース・スプリングスティーンの「マイ・ラブ・ウィル・ノット・レット・ユー・ダウン」、レディ・ガガの「バッド・ロマンス」、ピンクの「ゲット・ザ・パーティ・スターテッド」などなど。どの曲がどのシーンで唄われるか、ぜひ、ご注目ください。
 リッキーたちのバンド演奏は、吹き替えではなく、実際に演奏しているとのこと。もちろん、メリル・ストリープがギターを弾き、唄う。巧いものである。メリル・ストリープは、ファッション雑誌の鬼のような編集長(「プラダを着た悪魔」)役をはじめ、ミュージカル作品では実際に唄ったり(「マンマ・ミーア!」)、実在した料理研究家そっくりのしゃべりかたをしたり(「ジュリー&ジュリア)」、イギリスの元女性首相に扮したり(「マーガレット・サッチャー 鉄の女」)。その芸域の広さと演技の巧さは現役最高の女優だと思う。メリル・ストリープの出た映画を見るだけで、アメリカの雑誌業界のことや、スウェーデンのグループのアバのヒット曲、料理の世界、イギリスの政治の話などにつき合える。

 本作では、母と娘の葛藤も描かれるが、その和解もある。生みの母と育ての母との議論も飛び出す。ラブストーリーでもあり、音楽映画としても見どころ、聴きどころ満載である。映画は、決して堅苦しいものばかりではない。見て楽しく、色々な知識を獲得できる映画も多い。まさに映画は、人生のためになる「教師」役でもある。
 来日公演も何度かあるリック・スプリングフィールドは、オーストラリア生まれのロック・ミュージシャンで、自伝や小説も書く才人。巧すぎる演技のメリル・ストリープの良き理解者といった役どころを、そつなくこなす。監督は、傑作の「羊たちの沈黙」を撮ったジョナサン・デミ。老獪、手だれの演出。楽しんで、涙がホロリ。ことにラスト近くは、畳みかけるように、すてきなエピソードが連続する。
 この映画でメリル・ストリープのことを、いいなあと思われたら、ほかの作品もぜひ見てください。裏切られることはないはず。この一本と聞かれると困るが、個人的に好きなのは、2002年に作られた、時空を超えた3つの話が交差する「めぐりあう時間たち」。メリル・ストリープの出るエピソードでは、ヘルマン・ヘッセの詩に、リヒャルト・シュトラウスが曲をつけた、「4つの最後の歌」から「眠りにつくとき」が流れる。お勧めです。

2016年3月5日(土)、Bunkamuraル・シネマico_linkヒューマントラストシネマ有楽町ico_linkほか全国順次公開!

■『幸せをつかむ歌』

監督:ジョナサン・デミ
脚本・製作:ディアブロ・コディ
出演:メリル・ストリープ、ケビン・クライン、メイミー・ガマー、リック・スプリングフィールド セバスチャン・スタン 他
2015年/アメリカ/101分
原題:RICKI AND THE FLASH
映倫:G
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント