12月8日にどのように向き合ったのか ―戦後70年と開戦75年の間にみる世界―

 敗戦後70年が喧伝された2015年が終り、2016年は1941年12月8日の真珠湾攻撃による日米開戦から75年にあたり、米国では真珠湾攻撃75年の記念行事が開催されます。日本は、70年という節目の年、2015年に日本国憲法第9条が掲げた「非軍事憲法」ともいうべき戦後日本の基本法が「積極的平和主義」なる言説のもとに否定され、自衛隊が同盟国米国の「後方支援」を任務とすることが可能となりました。この「後方支援」は、新しい日米ガイドライン(防衛協力の指針)の英語版によれば、「logistic support」となっています。
 かくて平和協力業務(PKO)で2016年11月に南スーダンに派遣された自衛隊には、戦闘に巻き込まれた他国軍隊を「駆け付け警備」を名目に、支援する任務が付与されました。自衛隊が負わされた「積極的平和主義」による「後方支援」は、内戦下といわれる南スーダンにおいて、他国軍隊の支援を名目に武器を使用し、戦闘することとなったのです。いわば戦時における「後方支援」は、「logistic support」、「logistic―兵站」のことで、武器・弾薬・食糧の補給や兵士の輸送を任務となし、旧日本軍の兵科でいえば「輜重(しちょう)」に相当します。
 旧日本軍は、「輜重輸卒が兵隊ならば電信柱に花が咲く」「輜重輸卒が兵隊ならば蝶々トンボも鳥のうち」と揶揄、兵科に入らない存在とみなしていました。ここには、補給を軽視し、糧は敵に取れとした日本軍の戦略観が色こく投影されています。日本軍隊は、占領地住民から食糧をはじめ物資を徴発―略奪したがために、怨嗟の的となり、敗北したのです。
 自衛隊の任務は、旧日本軍が「軽蔑」した兵站を担い、米軍をはじめとする「同盟国」の作戦遂行を支えるわけです。近代戦は、戦線の拡大に相応する兵員と物資の輸送、兵站線の確保が作戦の死命を決定づけました。現代戦では、この兵站の確保が重要なだけに、敵の兵站を攻撃することが必須とみなされております。その意味では、「後方支援」である兵站を担う日本の自衛隊がまず攻撃対象にされることとなります。「後方支援」であるから「安全」という安倍首相の答弁は虚言、戯言なのです。
 このような現下の状況に想い廻らせたとき、私の頭に去来するのは、1941年12月8日のハワイ真珠湾の奇襲、対米・英宣戦布告の報に勇躍し雄叫びをあげ、「臣民」であり、「国民」であることを誇りとした日本人の姿です。日米開戦75年という日、12月8日は日本人にとり何であったかを確かめることは、戦後70年の2015年に日本が「非軍事憲法」をどのように処遇したかを問い質すためにも、現在あらためて確認すべき責務があるのではないでしょうか。

詩人にとっての12月8日

 詩人は言葉に生きる、生きねばならない存在です。日本の近代詩は欧米、特にフランスの詩壇に目を向け、その動向に倣うことで己の詩想をねりあげてきました。この方策は、古くは中国の詩を「漢詩」として、その創作を知識人の資格としてきた風潮につらなるものです。そこで、ヨーロッパの先端知を受け入れることに生命の火を燃やし続けた詩人の営みを読みとることで、日本の近代知なるものの在り処を問い質します。
 安西冬衛(1898-1965)は、日本植民地の大連で育ち、独自の心象風景を詩作した前衛詩人です。『軍艦茉莉』(1919年)での登場は衝撃的でした。

てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。(「春」)
彼女は西蔵の公主を夢にみた/寝床は花のやうによごれてゐた。(「犬」)

 この詩人が描いたエロチシズムは、12月8日という現実を目の当たりにし、「出陣の旦」(1941年)と語り、一挙に破砕されていきます。

「大本営陸海軍部発表『帝国陸海軍は本日未明西太平洋に於て米英軍と戦争状態に入れり』」
朝瞰紅を発して芙蓉の霊峰に映じ神国日本の眞姿将に東瀛に明け渡らんとする昭和十六年十二月八日の払暁、東京中央放送局の電波は、果然破邪顕正の神意の発動を儼として報じたのである。
鳴弦一旦。矢は既に放たれた。
我等は積年斯くあるを待望し、皇民一億又斯くあるを斉しく念願したのである。

 フランスの「前衛詩」に学んだ世界は、「我等は積年斯くあるを待望し」、と「出陣の旦」とともに飛散し、「大詔昭々 大道坦々/豁然としてこの道の開闢するところ/山川海嶽/帰一してことごとく/天皇の卒土/ああ/感激の十二月八日/乾坤、転じ来って再び咫尺にあり」「それ/生死を言はず/名利また埒外/必謹/ただ必殺の神気/凝って撃発すれば/真珠湾頭たちまち紅蓮の焔と天に冲し/ベンガル海上真紅の火と濤を焼いて/ために敵胆をして寒からしむ」(「軍神につづけ」1943年)との雄叫びにのみこまれていったのです。
 丸山 薫(1899-1974)は、「病める庭園」(1926年)で真昼の空虚感を鮮烈な映像として詩(うた)う言葉の魔術師、硬質な抒情を奏でた詩人でありました。

静かな午さがりの縁さきに/父は肥って風船玉のやうに籐椅子にのっかり/母は半ば老いて その傍に毛糸を編む/いま春のぎょうぎょうしも来て啼かない/この富裕に病んだもの懶い風景を/誰がさっきから泣かしてゐるのだ
オトウサンヲキリコロセ/オトウサンヲキリコロセ
それは築山の奥に咲いてゐる/黄色い薔薇の葩びらをむしりとりながら/またしても泪に濡れて叫ぶ/ここには見えない憂欝の顫へごゑであった
オトウサンナンカキリコロセ/オカアサンナンカキリコロセ/ミンナキリコロセ

 この詩人は、「空虚感」が補填されたのかのように、12月8日の感激を一身に浴び、「日の本とともに」(『軍神につづけ』1943年)と雄叫びをあげております。

こぞのかの日/大詔くだりししゞまの刻ぞ/わが肇国のこのかたより/ももちの刻にもためしなき一刻/すぎしこの年/われら戦ふさなかの現実ぞ/ともに一億が生涯の中/幾十年にもまさる一年/仇国ら未だ亡びずとても/われら戦ひ 戦ひて捷つ未来こそ/わが国史の上/幾百年をこぞる光陰なれ/みたみわれら/この耀ける御代に生れ遇ひて/一日の感激を火と燃やさむ/一年のくらしを石と耐へむ/一生のこころを鉄と鍛へむ/草莽われら/光栄ある生涯を戦ひ抜きて/わが短きいのちを百年の力と化さむ/わが生くるいまの歓喜を孫子につたへて/日の本とともに永遠にあらむ

 この雄叫びは、『つよい日本』(1944年)で「航空体操」「けふも雲間に」「ぼくの初陣」「ぼくらは海鷲」等々の陸軍少年飛行兵の讃歌となります。現代のけだるい闇を詩うことで、人間の生のあやうさに眼を向けた詩人はどこにいったのでしょうか。
 三好達治(1900-1964)は、抒情詩人として、日本近代詩の劈頭をかざる人物と評価されているようです。その詩人は、抒情詩ならぬ、「臣民」として、『捷報いたる』(1942年)等々と国家を寿ぐ詩を奏でることで時代に伴走して生きた一人です。

くにつあたはらへよとこそ/一億の臣らのみちはきはまりにたり/十二月八日/捷報臻る/アメリカ太平洋艦隊は全滅せり/昨夜香港陥つ/汝愚かなる傀儡よ/馬来(マライ)の奸黠/新嘉坡落つ/この夕べ/ジュンブル家老差配ウインストン・チャーチル氏への私信/化け銀杏/一陽来/第一戦勝祝日/あたうちて/落下傘部隊/九つの真珠のみ名/三たび大詔奉戴日を迎ふ/陽春の三月の天/春宵偶感/アメリカはいづれの方よ

 「ジュンブル家老差配ウインストン・チャーチル氏」と愚弄した詩人は、ここには無残な破碎した言葉しかありませんが、戦後は戦争などどこ吹く風と戦火に生きる場を失った人々を何もなかったかのごとく「涙をぬぐって働かう」(『砂の砦』1946年)と鼓舞してやみません。戦争は自然災害でしかないようです。ここに詩魂が読みとれましょうか。

みんなで希望をとりもどして涙をぬぐって働かう/忘れがたい悲しみは忘れがたいままにしておかう/苦しい心は苦しいままに/けれどもその心を今日は一たび寛がう/みんなで元気をとりもどして涙をぬぐって働かう
最も悪い運命の颱風の眼はすぎ去った/最も悪い熱病の時はすぎ去った/すべての悪い時は今日はもう彼方に去った。

時代に向き合う場とは

 詩人、近代知を纏うその姿には、日本近代における知の受容の形相があるのではないでしょうか。日本の近代は、欧米の先端知を一身に纏うことで己の場を誇示してきました。詩人の相貌は、言葉で生きる存在であるがために、その空虚さを曝したにすぎません。その相貌は、日本の学問思想の根なし草につらなり、状況に合わせて乱舞する世界、流れに併走していく世界を生み育てたと言えましょう。それだけに時代に向き合い己の場を問い語る知の在り方が問われるのではないでしょうか。そのような時、私の心に谺してくるのはM、ピカートの問いかけです。

もしも人間が、沈黙からも教えの言葉からも、正しい行いをなすことを聴き容れない場合には、事件が、歴史そのものが、人間を教える役割を引きうけるのである。もはや言葉によって人間のもとに達することの出来なくなった真理は、そのとき、事件によって自己を明らかにしようとする。(『沈黙の世界』1969年)

 阪神淡路、東北大震災、原発災害、関東・東北豪雨、熊本地震、北海道を襲った台風10号等々、昨今日本を襲う自然の相貌に向き合う時、このピカートのことばが想起されます。12月8日にみられた脆い知、先端知の上澄みに踊らされるのではない、私の場は己の眼で歴史に問い質すことで手にし得るのではないでしょうか。危い時代の風潮だけに空虚な言葉の乱舞に踊らされることのない私の場を確保したいものです。
 なお安倍総理は、日米の同盟関係を誇示するために、75年記念式典が営まれる真珠湾を12月末に訪問、オバマ大統領とともにアリゾナ記念館で犠牲者に献花するそうです。犠牲者を悼み、死者の声に耳を傾けた時、12月8日を讃えた詩人の声が人間安倍晋三にはどのよう響いたかを聞きたいのですが、いかがなものでしょうか。その心には詩人の声に共鳴する世界で生きているのではないでしょうか。

 

参考文献

  • 阿部猛『近代詩の敗北』大原新生社 1980年、『近代日本の戦争と詩人』同成社 2005年
  • マックス・ピカート『沈黙の世界』みすず書房 1964年

皆さま、ごきげんよう

(c) Pastorale Productions- Studio 99

 「反骨」という言葉がある。単に、不当な権力に逆らう、ということではないと思う。さまざまな事象に、自らの考えを持って、自由に行動することではないだろうか。
 多くの映画を見ていると、この「反骨」という言葉がぴったりの映画監督がいる。グルジア生まれのオタール・イオセリアーニだ。グルジアは、いいワインができる。1966年に、ワインを醸造する若者とワインの製造会社との対立を描いた「落葉」という映画で、いちやく有名になった。その後、最近作では、「素敵な歌と舟はゆく」、「月曜日に乾杯!」、「ここに幸あり」、「汽車はふたたび故郷へ」を撮っている。
 イオセリアーニ作品の特徴は、ちょいと風変わりな人物が、入れ替わり立ち替わり登場する。いずれも、深い人間観察に裏打ちされたキャラクター設定である。人生半ば、平凡な日々から旅に出た中年男を描いた「月曜日に乾杯!」では、後半、覗きが趣味の牧師、見栄っぱりの侯爵、ワニと旅をしているジプシーたちなどが登場する。どこかおかしいけれど、憎めない人物たち。自伝的な映画ともいえる「汽車はふたたび故郷へ」では、映画製作の自由を希求する青年の決意が描かれ、映画への愛に満ちている。

(c) Pastorale Productions- Studio 99

 最新作が「皆さま、ごきげんよう」(ビターズ・エンド配給)だ。舞台は現代のパリ。主に、武器商人でアパートを管理する初老の男と、骸骨をコレクションする人類学者が登場するが、はっきりとしたストーリーは、ないに等しい。管理人と人類学者は親友同士で、ふたりを取り巻いて、いろんな人物が出てくる。覗きが趣味の警察署長。ローラースケートで走りながらかっぱらいを繰り返す若者たち。黙って、家を建てている男。勝手気ままに過ごすホームレス。そして、人間ではないが、街じゅうを堂々と歩く野良犬たち。そこに、事件が起こる。ホームレスが追い立てられることになる。さあ、みんなはどうするか。
 映画は、フランス革命のころから始まる。罪人がギロチンで処刑される。編み物をしている女性たちが叫ぶ。「貴族を殺せ」と。戦場のシーンが出てくる。どことどこの戦争かは分からない。兵士に洗礼を授ける牧師がいるが、体じゅうに入れ墨をしている。
 現代のパリ。ローラースケートの若者たちが、かっぱらいをしている。酔っぱらったホームレスが、ロードローラーにひかれて、ぺっしゃんこになる。覗きが趣味の警察署長が、アパートの管理人や人類学者の部屋を覗いている。

(c) Pastorale Productions- Studio 99

 いわば、さまざまな人間の営み、日々の暮らしが、精妙にスケッチされていく。それぞれのやりとりが、たまらなくおかしい。登場人物たちが、真剣であればあるほど、見ているほうは、笑ってしまう。そして、見終わったあと、ずしりとくるものがある。
 監督は、1934年生まれというから、いま82歳。人生の辛酸をなめ尽くしているはずだ。人間を愚かなように描いても、どこか、たまらなく愛おしいように撮っている。さまざまなパターンの、ショートコントを見ているようだが、悪事は続かず、因果応報。人間、生きていれば、いいこともあれば悪いこともある。そして、世間は、収まるところに収まるように出来ている。達観した監督のまなざしは、だからとても、優しい。
 愚かな人間への讃歌だろう。82歳といえども、監督の感覚は若い。シーンのひとつひとつを楽しみながらご覧ください。きっと、生きていくことって、辛いけれど、そう悪いものじゃない、と思われることだろう。あわせて、イオセリアーニ監督の過去の作品をご覧いただくと、より深く、イオセリアーニの世界を楽しむことができるはずである。

2016年12月17日(土)より、岩波ホールico_linkほか全国順次ロードショー

『皆さま、ごきげんよう』公式Webサイトico_link

監督・脚本・編集・出演:オタール・イオセリアーニ
撮影:ジュリー・グリュヌボーム
編集:エマニュエル・ルジャンドル
音楽:ニコラ・ズラビシュヴィリ
出演:リュファス『アメリ』、アミラン・アミラナシュヴィリ『月曜日に乾杯!』、ピエール・エテックス『ぼくの伯父さん』、マチュー・アマルリック『グランド・ブダペスト・ホテル』、トニー・ガトリフ『愛より強い旅』
2015年/フランス=ジョージア/カラー/121分/1:1.66
配給:ビターズ・エンド

図画工作・美術の「見方・考え方」

 新しい学習指導要領で提示される「見方・考え方」について検討します。結論から言えば、図画工作・美術では前回改訂の経緯や趣旨を理解していれば大丈夫だと思います。

1.「見方・考え方」とは何か(※1)

 グローバル化、情報化、技術革新などの急速な変化が、私たちの社会や身近な生活を質的に変えています(※2)。それらは子どもたちの成長にも影響を与えています(※3)。子どもたちが社会で活躍する30年後はいったいどうなっていることでしょう。“30年後に求められ、必要となる力を身に付けさせたい”、そこから中央教育審議会は、「社会に開かれた教育課程」を主軸に「各教科等をなぜ学ぶのか」「それを通じてどういった力が身に付くのか」という「学びの本質的な意義」をとらえ直す議論を展開してきたようです。各教科等の「見方・考え方」はこの文脈から生まれてきたと思われます(※4)。
 「見方・考え方」は、「どのような視点で物事を捉え、どのように思考していくのか」という教科等の「視点や考え方」とされています。例えば、算数・数学で示されている「見方・考え方」は「事象を数量や図形及びそれらの関係などに着目して捉え、論理的、統合的・発展的に考えること」です。子どもたちに置き換えれば、“数や量、図形とその関係に着目し”、そこから“論理的、統合的・発展的に考えている”姿でしょう。「審議のまとめ」では「見方・考え方」を支えているのは「各教科等の学習において習得した概念(知識)や考え方」だとも述べられています。子ども一人一人が自ら習得した知識や理解したことなどを活用し、具体的な課題について考え探究する姿が「見方・考え方」ということもできるだろうと思います。ただ、「見方・考え方」という言葉自体は一部の教科で用いられているだけで、学習指導要領全体として語られることはありませんでした。そこで、今回、各教科等の「学びの本質的な意義」を「見方・考え方」として明確化し、それを軸とした授業改善の取組を活性化しようということなのでしょう(※5)。

2.図画工作・美術の「見方・考え方」と〔共通事項〕

 図画工作・美術の「見方・考え方」については、現在のところ、以下のように整理されています。

図画工作
感性や想像力を働かせ、対象や事象を、形や色などの造形的な視点で捉え、自分のイメージを持ちながら意味や価値をつくりだすこと。
美術
感性や想像力を働かせ、対象や事象を、造形的な視点で捉え、自分としての意味や価値をつくりだすこと。

 まだ審議中であり、「審議のまとめ」から「答申」までは変更があると思われます。あくまでも8月時点での資料であり、これをもとにした筆者の個人的な意見であることを踏まえながら、検討してみましょう。

(1)「見方・考え方」のポイント
 まず、冒頭にくるのは、「感性や想像力を働かせ」です。「働かせ」の主語は子どもですから、ここには「(子どもが)感性や想像力を働かせ」という隠れ主語が入っていると考えてよいでしょう。前回、図画工作の改訂では、教科目標に「(子どもが自らの)感性を働かせながら」という文言を加えました。児童の感覚や感じ方などを一層重視するためですが、併せて中学校美術科の目標にある「感性」との共通化も図っています。今回、音楽や書道など芸術系全教科の「見方・考え方」に「感性を働かせ」という言葉が入っています。「感性を働かせる」ことは芸術系教科の基本的な立場に昇華したと言えるのかもしれません(※6)。
 次に、「対象や事象を、(形や色などの)造形的な視点で捉え」、そこから自分の「(イメージを持ちながら)意味や価値をつくりだす」と続きます。「見方」と「考え方」は厳密に分けられる性格ではないと思われますが、便宜的にとらえれば、前者が「見方」で、後者が「考え方」でしょう。子どもたちに置き換えれば、“形や色などの造形的な視点に着目して目の前の世界を捉え”、そこから“自分の意味や価値をつくりだす” 姿でしょう。
 最終的にどうなるかは不明ですが、図画工作・美術では、まず、子どもが自らの感性や想像力を働かせることを基盤に(※7)、対象や事象を造形的な視点で捉え、自分のイメージを展開したり、自分の意味や価値をつくりだしたりすることが「見方・考え方」であり、教科の学びの「本質的な意義」だと考えられます。

(2)「見方・考え方」と〔共通事項〕
 「見方・考え方」について、〔共通事項〕の視点から考えてみましょう。
 子どもは、何かの材料に触れたとき、その形の感じや質感を自分なりにとらえています。また、材料を見つめながら色の変化に気付くなど、対象の特徴をとらえています。自覚的であれ、直観的であれ、子ども一人一人は、何らかの知識や理解を持っています。同時に、材料などの形や色に対して、あるいは粘土を練るとか並べるなどの自分の行為に対して、ぼんやりと、時には明確に、自分のイメージも持っています。中学生であれば、色に関する文化的なイメージを把握したり、作家に対して特定のイメージを抱いたりしていることもあるはずです。
 つまり、何か「こと(表現や鑑賞の活動)」を起こす前に、子ども一人一人は、すでに形や色などの特徴をとらえ,イメージを持っているわけです。その上で、これらを基に発想・構想したり,鑑賞したりするなどの具体的な学習活動を展開しているのです。前回の改訂では、この「形や色などの特徴をとらえ,イメージを持つ」という基盤的な部分を、造形活動や鑑賞活動の“共通項”として取り出し、「表現と鑑賞の全てにおいて働く」としました。それが〔共通事項〕です。それによって、児童・生徒の活動を具体的にとらえ、指導や評価を改善するとともに、子どもの資質や能力をより高めようとしたのです。

 それは、表現や鑑賞を超えて、図画工作・美術という教科の学びを本質的に見直す作業でした。つまり、今回「見方・考え方」で提示された教科の学びの「本質的な意義を捉え直す」ことが行われていたというわけです。前回の改訂で、感性を明確化し、〔共通事項〕を導入したことと、「見方・考え方」は同じ文脈にあります(図参照)。言い換えれば、「見方・考え方」は、感性を基盤に、〔共通事項〕が一人一人の児童・生徒において十分に活用された姿として見ることができるのです。

3.これからの授業づくり

 「見方・考え方」を踏まえたとき、各学校は、どのような授業づくりに取り組めばよいでしょうか。
 「審議のまとめ」では、「見方・考え方」は、「表現及び鑑賞に共通して働く資質・能力である〔共通事項〕とも深い関わりがある」とされ、「今後、その関連について検討していく」と述べられています。この文脈から、〔共通事項〕の趣旨を生かした学習活動の充実が考えられます。例えば、学習活動で取り扱う「形や色など」について、単なる事実的な知識にとどまらず、その効果や性質、生活や社会との関わりまで具体的にとらえ、発達の段階を踏まえながら、児童・生徒一人一人が主体的に活用できる学習過程を工夫することが可能です(※8)。その際、知識や技能の一方的な伝達に陥るのではなく児童一人一人の感性や想像力が働くようにすることが肝要でしょう。そのことが〔共通事項〕を十分に活用した学習活動につながると思われます。
 また、アクティブ・ラーニングの「深い学び」、「対話的な学び」、「主体的な学び」の視点から学習指導の改善・充実も求められるでしょう。この時、図画工作・美術の“アクティブさ”に目を奪われないようにしたいものです。本連載でも、図画工作・美術で子どもたちが楽しく活動しているのは、自分の資質や能力が発揮されていることが実感できるから楽しいのであって、題材や学習自体は厳しく難しいことを指摘しています(※9)。「審議のまとめ」で指摘されている「自分の見方や感じ方」「批評」「討論」などを視点に、「主体的な学び」の楽しさ、「深い学び」の面白さなどを明確にする必要があるでしょう。今回の改訂が「社会に開かれた教育課程」を主軸に置いていることを考慮すれば、図画工作・美術の授業を、学級単位で考えるのではなく、学校全体のカリキュラム・マネジメントの中で位置付けることも求められるかもしれません。
 ちまたでは「年が明ければ答申が出る」「年度内には学習指導要領が告示される」と言われています。前回の改訂をさらに発展させた図画工作・美術の学習指導要領を心待ちにしながらも、今から研究や実践を具体化する手立てを講じたいものです。

 

※1:中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会「次期学習指導要領等に向けたこれまでの審議のまとめ」平成28年8月26日
※2:例えば、技術革新で、つい10年前まであった仕事が消えています。PASMOやスイカは駅の改札を消し、スマートフォンは公衆電話やテレフォンカードを激減させました。いったい子どもたちの活躍する30年後、世の中はどうなっているのでしょう。その時に行われている仕事な何なのでしょう。このことについては、様々な識者が指摘しています。「テクノロジーが雇用の75%を奪う」マーティン・フォード(著)秋山 勝 (翻訳)朝日新聞出版(2015)
※3:例えば、現代の子どもは映像文化やメディアなどで高速で視覚的に操作することに長けています。それは知能指数にも影響を与えているようです。「なぜ人類のIQは上がり続けているのか? –人種、性別、老化と知能指数」ジェームズ・R・フリン(著)水田賢政(翻訳)太田出版(2015)、「知能と人間の進歩 遺伝子に秘められた人類の可能性」ジェームズ・フリン(著)無藤 隆ほか(翻訳)新曜社(2016)
※4:「審議のまとめ」8p。「これから子供たちが活躍する未来で一人一人に求められるのは、解き方があらかじめ定まった問題を効率的に解いたり、定められた手続を効率的にこなしたりすることにとどまらず、直面する様々な変化を柔軟に受け止め、感性を豊かに働かせながら、どのような未来を創っていくのか、どのように社会や人生をよりよいものにしていくのかを考え、主体的に学び続けて自ら能力を引き出し、自分なりに試行錯誤したり、多様な他者と協働したりして、新たな価値を生み出していくことであると考えられる。そのために必要な力を、子供たち一人一人が学ぶことで身に付け、予測できない変化に受け身で対処するのではなく、主体的に向き合って関わり合い、その過程を通して、自らの可能性を発揮し、よりよい社会と幸福な人生の創り手となっていけるようにすることが重要である。」
※5:また、「見方・考え方」の提示と「三つの柱」の整理で、学んだことを教科等の枠を越えて活用したり、教科等を横断して学びを構築したりしやすくなります。そのようなカリキュラム・マネジメントで「社会に開かれた教育課程」を実現するとすれば、「見方・考え方」は、単に教科の学びを豊かにするだけでなく、教科相互、教育課程全体で子どもたちの資質や能力が十全に働くために設計された仕組みでしょう。
※6:学び!と美術<Vol.45>「図画工作科・美術科の改訂、どんな感じ?」参照
※7:高学年や中学生以上であれば、他者の感性や文化的な感性も含まれるでしょう。
※8:学び!と美術<Vol.49>「図画工作・美術における知識の行方」
※9:学び!と美術<Vol.28>「ホントは厳しい図画工作・美術」参照

御一新から維新へ

維新150年を前にして

 2018年、平成30年は、1868年の明治維新から150年ということで、山口県などでは「維新150年」という各種の企画がはじまっており、今から観光イベントとしてもりあげようとしています。顧みれば1968年の明治維新100年をめぐっては、政府が企図した100年行事に対し、歴史学界の多くは反対声明を出し、日本の近代化が「侵略戦争」となったことを論難しました。ある意味では国論を二分したともいえましょう。150年にはどのように向き合うでしょうか。
 この間に歴史研究者は、「天皇制絶対主義」なる言説から「国民国家」論へ視点を移し、「江戸ブーム」ともいえるような風潮にささえられた江戸時代像に「国民文化」の幻想を読み、エコロジー社会、完結型社会の先駆けを見出すなど、日本近代の内在的要因を評価する言説が声高に語られております。
 このような言説の背景には、1968年前後の時代が公害問題、日本大学をはじめ、東京教育大学の移転問題、東京大学安田講堂攻防戦等々をはじめとする大学闘争、公害、ベトナム反戦、沖縄の基地問題、東京都、大阪府等にみられた「革新」自治体の登場等々に戦後政治への訣別と異議申し立ての可能性を見出そうとした気分がありました。このような気分は、経済成長の下での「中流」意識、欲望充足型の社会風潮の渦にのみこまれ、社会への眼ではなく、自己一身の安心立命に自己充足をもとめる「個人主義」に名の下に忘失されていったようです。
 しかもバブル崩壊による低成長時代の到来は、「経済大国」日本が低落するという不安に怯え、「大国」幻想をして「日本回帰」の言説が喧伝される風潮を増幅しております。それだけに維新150年なる想いは、日本人たる「愛国心」、栄光の明治を言挙げすることで、敗戦によって奪われた時を恢復した昭和天皇の記憶に重ね、「万世一系」の「皇統」の国「日本」にことよせて、日本の栄光を取りもどそうとの想い、国家愛の表明、閉ざされたナショナリズムに呼応するものともいえましょう。その一端は、11月3日の「文化の日」、明治天皇の誕生日を旧来の「明治節」となし、4月29日の「緑の日」、昭和天皇の誕生日を「昭和節」にしたい、との念にも表明されています。このような時代の風潮に向き合うには「維新」なる言説が提示した世界を読み解かねばなりません。

「御一新」をめざし

 ペリーとプゥチャーチンの艦隊が来日した嘉永6癸丑(1853年)の衝撃は、朝廷が京都の寺社と伊勢神宮に「夷類退攘」の祈願をさせ、日本が列強の植民地になるのではとの危機感を共有していくなかで、「夷類退攘」から造語された「攘夷」が流行します。この「攘夷」なる言説は、閉塞感にとらわれた時代を突破するスローガンとなり、やがて「攘夷開国」へと道を開くこととなったのです。この攘夷実現は、江戸将軍家の秩序を解体し、「皇国」という国の容を取りもどさねばならないとの想いとして時代を動かしていきました。
 この秩序の解体と一新への想いは、「御一新」、総ての秩序を新たにすると念が命じるままに、江戸将軍家に対峙する討幕への行動へと奔らせたものにほかなりません。慶応3年(1867)12月9日に出された 「王政復古の大号令」はこの思念を次のように宣言しています。

近年物価格別騰貴如何共不可為、勢富者ハ益富ヲ累ネ、貧者ハ益窘急ニ至リ候趣、畢竟政令不正ヨリ所致民ハ王者之大寶百事御一新之折柄旁被悩 宸衷候。智謀遠識救弊之策有之候者無誰彼可申出候事。

 「民ハ王者之大寶百事御一新」との宣言は、「百事御一新」とすべてが新たとなることを宣言したもので、神武復古を掲げた復古革命ともいべき、新権力の誕生を告げたものにほかなりません。西郷隆盛は、「民ハ王者之大寶百事御一新」に新国家の寄るべき場を見出したがために、「維新」という言葉を口にせず、終世「御一新」という言説にこだわって生きたといわれています。

「維新」という言説

 明治の新政府は、明治3年(1870)正月3日の「宣布大教詔」で、御一新がめざした秩序の在り方を問い直します。

今也天運循環百度維新宜明治教以宣揚惟神之大道也因新命宣教使布教天下汝群臣衆庶其体斯旨

 「百度維新」という言説は「惟神之大道」に重ねて説かれたのです。「維新」は「惟神」でもあったのです。しかも「百事御一新」にこめられた体制の大変革なる想いは、「百度維新」、ある種のものを新たとする改革、「神ながら」という建前にそうかたちでの改革に貶められたのです。このような「維新」なる言説は、『日本書紀』巻25「孝徳紀」大化2年(646)3月壬午(20日)の記事にみることができます。

皇太子、使(つかひ)を使(また)して奏請(まを)さしめて曰(のたま)はく、昔在(むかし)天皇等(すめらみことら)の世(みよ)には、天下(あめのした)を混齊(むらかしととの)へて治めたまへり。今に及逮(およ)びて、分れ離れて業(わざ)を失ふ。[国の業(わざ)を謂ふなり。]天皇(すめらみこと)我皇(わがきみ)、萬民(おほみたから)を牧(やしな)ひたまふ可き運(みよ)に屬(あた)りて、天(かみ)も人も合応(こた)へて、厥(そ)の政(まつりごと)惟(こ)れ新なり。是の故に、慶(よろこ)び尊(とふと)みて、頂戴(いただ)きまつりて伏(かしこまり)奏(まを)す。

 ここには大化の改新による政治秩序、天皇による統治の回復が「政惟新」とみなされております。「維新」「惟神」はこのような故事にかさねて読みたいものです。さらに藤田東湖は、天保元年(1830年)の藩政改革上書で「周雖旧邦其命維新(周は旧邦といえども、その命維(これ)新たなり)と『詩経』「大雅、文王篇」によって、改革を論じています。
 いわば「維新」なる言説は、西郷がめざした「御一新」による秩序を解体する革命、復古革命への途ではなく、統治機構の改革による「文明国」をめざす営みでした。このような新政府の方途は、「御一新」に夢をたくした草莽の国学者、島崎藤村の父正樹(『夜明け前』の主人公青山半蔵)をして、新政府に絶望し、座敷牢で狂死せしめたものにほかなりません。
 維新150年を問い質すには、御一新への夢が「維新」となることで、日本における近代国家―国民国家の形成がなされたことを凝視し、「国民」がどのような「文明の徒」として造形されたのかを考えたいものです。国民化される民衆と国家との間には、深い闇があり、多様な亀裂が奔っていたのではないでしょうか。