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大日本帝国憲法という枠組 ―「皇国」日本という幻想(3)―
承前
伊藤博文は、ヨーロッパでキリスト教がはたしている役割に代替しうるものとして、皇室を国民統合の要とみなし、国家の枠組みに天皇を精緻な制度体としてとりこむことに全能力をかたむけました。この制度体は、神話的な言説に粉飾されているものの、先進文明国であるヨーロッパの立憲君主制の枠組みを換骨奪胎し、日本型ともいえる立憲君主制を可能とする大日本帝国憲法として実現します。この国家造形に見られる作法は、文明の枠組みを分節化し、選別改変して、選択的に受容する、機能合理主義的価値判断にうながされたものです。まさに日本の近代化は、文明と天皇制が同時的に展開することで、国民国家への方途が可能となりました。ここに天皇という存在はどのように位置づけられたのでしょうか。
「帝国憲法」の構造
大日本帝国憲法は、伊藤が説き聞かせたごとく、「国家統治の大権は朕か之を祖宗に承けて之を子孫に伝ふる所なり朕及朕か子孫は将来此の憲法の条章に循ひ之を行ふことを愆(あやま)らさるへし」と、「第1章 天皇」からはじまります。
第1条 大日本帝国は萬世一系の天皇之を統治す
伊藤博文は、帝国憲法を解説した『憲法義解』において、第1条を次のように説いています。
恭て按するに神祖開国以来時に盛衰ありと雖、世に治乱ありと雖、皇統一系宝祚の隆は天地と與に窮なし本状首めに立国の大義を掲け我か日本帝国は一系の皇統と相寄て終始し古今永遠に亘り一ありて二なく常ありて変なきことを示し以て君民の関係を萬世に昭かにす
日本帝国は、神武天皇の「開国」以来の万世一系の皇統による統治を「立国の大義」となすことで、国家存在の根拠としました。この「立国の大義」は、第2条、第3条によって、新国家における王権の在り方を規定します。
第2条 皇位は皇室典範の定むる所に依り皇男子孫之を継承す
第3条 天皇は神聖にして侵すへからす
皇位は天皇の血を継ぐ男子がつぎ、天皇が「神聖」な存在であると。「神聖」とは、日本書紀巻一「神代上」冒頭にある天地開闢の記述で、「天(あめ)先づ成りて、地後に定る。然して後、神聖(カミ)其の中に生まれます」を受けたもので、「カミ」との意をこめたものです。しかし「カミ」なる天皇は、権力がいかに強大だとしても、
第4条 天皇は国の元首にして統治権を総攬し此の憲法の条規に依り之を行ふ
とあり、君主といえども憲法に規定された範囲を超える権力の行使が出来ないように君権を「憲法の条規」に封じ込めております。
伊藤は、この条文に「抑憲法ヲ創設スルノ精神ハ第一君権ヲ制限シ第二臣民ノ権利ヲ保護スルニアリ」(「枢密院会議筆記・一、憲法草案」)との思いを託したのです。ちなみに第1条と第4条の矛盾ともいうべき関係は、憲法および皇室典範を「皇祖皇宗ノ後裔ニ貽シタマヘル統治ノ洪範ヲ紹述」(「告文」)したものと位置づけることで、解消しました。
しかし、天皇が「戦ヲ宣シ」(第13条)、その戦に敗れたりすれば、当然天皇に政治的な責任が生じかねません。そのため、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」との第3条で「神聖(カミ)」なる天皇であるがために無答責であると宣言し、「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」(第55条)と規定することで、国務各大臣に大権行使の責任を負わせたのです。
たしかに陸海軍の統帥権をはじめとする「天皇大権」がありましたが、天皇が恣意的に「大権」を行使することはできません。そこには、内閣・元老、さらに軍等の意向を参酌せねばならず、天皇が独裁者の如くふるまう道はありませんでした。このような統治システムを「天皇制民主主義」とみなす論者もありました。ある意味でいえば、大日本帝国憲法の枠組みは、時代状況に応じて流動し、内閣や軍の意向に左右され、「天皇」の名による恣意的統治への道を開くことを可能にする世界でもあったといえましょう。
それだけに大日本帝国憲法の運用は、天皇と輔弼者である大臣との信頼関係、端的にいえば制定者たる伊藤博文と明治天皇との情誼的な一体感をふまえた信頼関係の下で、はじめて運用の実、憲法に込められた理念が実現できたのだといえましょう。この情誼的・人的装置の喪失は、法の論理が先行することで、「機関説」「神権説」云々の論争の中に運用の妙が喪失し、統治機構の内的崩壊をもたらすことのなったのではないでしょうか。この課題は、大正から昭和にかけて、あらためて検証せねばなりません。
ラーメンヘッズ

ラーメンに限らず、うどん、そば、スパゲティなど、めん類は一帯に好きである。評判のラーメンを、あちこち、食べ歩いている友人が、数人、いる。当方は、食べ歩くほどではないが、まあ、普通のラーメン好き、といった程度だ。
東京や、東京近郊の人気ラーメン店は、いつ行っても、客が行列し、入れないことが多い。運良く入れて、食べると、行列するほどの店かと思ったりして、がっかりすることもある。
一方、すぐ近くの、ごくごく普通の醤油ラーメン、中華そばが、意外とおいしかったりもする。作るほうは、苦労して、工夫して、めんやスープに、大変なこだわりをみせるが、結局は、個人の好みが大きく左右することになる。
中国に何度か出かけたが、その都度、出かけた町のめんを食べる。北京では、牛肉めんが多いが、日本風のラーメン屋がある。博多のとんこつラーメン屋がある。中国各地のめんを食べることのできるフードコートがあちこちにある。おいしかったのは、日本風のとんこつラーメンと、今、日本で人気の、あっさりスープの蘭州めんだった。
ドキュメンタリー映画「ラーメンへッズ」(ミッドシップ配給)には、さまざまな苦労をして、おいしいラーメンを提供しようとする人たちが、相次いで登場する。「ヘッズ」とは、狂う、バカ、といったほどの意味で、もちろん額面通りの意味ではないだろう。
一応、主役がいる。「中華蕎麦 とみ田」の富田治だ。20歳で、伝説の名店「東池袋 大勝軒」の山岸一雄に出会う。以前、本欄で、「ラーメンより大切なもの~東池袋 大勝軒 50年の歴史~」というドキュメンタリー映画をレビューしたが、この映画の主人公が、山岸一雄である。富田は、山岸の弟子の弟子、つまりは孫弟子になるそうだ。
映画は、富田の仕事と私生活を紹介しながら、丹念に富田の今を追いかける。
富田は修行をかさね、2006年、千葉の松戸で「中華蕎麦 とみ田」を開く。今では、朝早くから並ばないと、お昼に間にあわないほどの人気店だ。その言うことが、いい。「3万円の料理は、味に満足してあたりまえ。こっちは、800円で、いかに満足してもらえるかだ」と。
富田に、企業秘密はない。こだわりと自信がある。あきれるほど多くの材料からとったスープ。何種類もの粉を季節にあわせて調合し、打っためん。その製法、過程をカメラがとらえる。大変な自信である。撮影クルーが、「企業秘密という店も多いが……」と質問する。「大したことをやっていないから、見せられないだけですよ」。
休みの日も、ほかの店のラーメンを食べる。家族との食事も、ラーメンである。
今なお、富田の作る「つけ麺」は、進化し続けていて、一日に提供できるめんは、減り続けているらしい。
富田の店だけではない。5軒ほどのラーメン店が出てくる。「中華そば 葉山」のめんは、店主の齊藤幸純が、自ら青竹で踏んで、コシをだす。「福寿」は、標準的な醤油ラーメンだ。店主の小林克也は言う。「ラーメンは生きる為、仕事をする為に食べるもの」と。「らぁめん 一福」は、みそラーメンで、「味噌汁の延長で、なつかしい、おふくろの味」と石田久美子。「鯛塩そば 灯花」の高橋登夢の作る、琥珀色したスープのもとは、鯛からだけ。「中華そば 井上」のメニューは、中華そばのみ。築地の人気店で、「多い日は、1000杯、作る」と松岡勝治。
富田が店を開いて10年になる。富田は、おなじ業界の達人2人に、声をかける。究極のラーメンを作ろう、と。多くのラーメン好きが絶賛する「らぁ麺屋 飯田商店」の飯田将太、ミシュランで星を獲得した「Japanese Soba Noodles 蔦」の大西祐貴が、富田の誘いに応じる。
3人の、まさに究極のラーメン作りがスタートする。
「たかがラーメン、されどラーメン」という。簡単なモノを作っているように見えるが、提供する側の情熱、工夫、努力は、ハンパではない。かつて、何事もマネをして、いろいろな技術を磨いてきた日本である。だが、今は、いろんな業界で、手抜きだとか、偽データだとか、不正が目立つ。ラーメン業界でも、不味ければ、淘汰される。自然の流れである。
映画は、思わず笑い、驚き、あきれてしまうシーンも多い。突如、日本のラーメンの歴史が、さりげなく紹介される。楽しい映画だが、これは、とりもなおさず、エンタテインメントの味付けの効いた、ラーメンを通じての「日本人論」だろう。
理屈ではない。たかがのラーメンを作り、されどのラーメンを作る。たかがのラーメンを食べ、されどのラーメンを食べる。映画は、いろんなラーメンを作り、いろんなラーメンを食べる日本人たちのこころの世界を、活写しているようだ。
2018年1月27日(土)、シネマート新宿
、シネ・リーブル池袋
、千葉劇場
ほか全国順次熱々のロードショー
■『ラーメンヘッズ』公式Webサイト
出演:富田治(中華蕎麦 とみ田)、飯田将太(らぁ麺屋 飯田商店)、大西裕貴(Japanese Soba Noodles 蔦)、松岡勝治(中華そば 井上)、髙橋登夢(鯛塩そば 灯花)、石田久美子(らぁめん 一福)、齊藤幸純(中華そば 葉山)、小林克也(福寿)
監督:重乃康紀
プロデューサー:大島新
撮影:髙橋秀典
編集:齋藤淳一
プロダクションマネージャー:望月馨
共同プロデューサー:鎌田雄介、神野敬久
音楽プロデューサー:中嶋尊史
2017年/日本/93分/カラー/16:9
企画・製作:ネツゲン
配給:ミッドシップ
道徳って、成績がつくんですか?
今までなかった「どうとくマンガ」!
「道徳教育」についてよく抱かれる疑問を取り上げ、マンガでわかりやすく解説します!
第8回のテーマは、道徳科の「評価」と「ノートの使い方」です。
【登場人物】
美術を核にした教育プログラム
先月号で、これから社会に対して美術の成果を訴えるプログラムが求められると述べました。本稿では、その一例として読売教育賞2017美術教育部門最優秀賞(※1)を受賞した「地域の色・自分の色」実行委員会の教科融合型学習プログラムを紹介します(※2)。
色をテーマに「問い」が発展する教科融合型の学習プログラム
「地域の色・自分の色」のいう教科融合型とは、理科+美術、国語+社会のような既存教科の接合ではありません。科学、社会学、言語学、芸術学などが溶け合って、一つの探求的な学習が行われるイメージです(※3)。中心的なテーマは色です。色をもとに子ども一人一人が問いを生み出す学習が展開します。
実地調査に訪れたのは姫島村、大分県の国東半島の北東部、面積約7km2の姫島にある一島一村の行政区域です。人口は約1900人、代表的な特産物は黒曜石(※4)や車エビ(※5)、7つの火山によって形成された島は多様な地層や岩石が見られることで有名です(※6)。2013年には日本ジオパークとして認定されました(※7)。この姫島の小中学校で「地域の色・自分の色」学習の一つが行われています。
姫島の海岸では、黒曜石をはじめとして黄、赤、薄緑といろいろな色の石を拾うことができます。姫島小の児童はこれを砕いて粉(顔料)にして絵具をつくり、絵を描きます。クルマエビの殻を蒸し焼きにし、炭をつくって文字を書いたり、植物で染料をつくって布を染めたりもします。その過程で色の仕組みを考えたり、関連する美術作品を鑑賞したりするなど多様な学習が展開されます(※8)。
学習を貫くのは子どもたち一人一人の問いです。参観した授業は、植物で布を染めた後に、問いを整理する場面でした。「どうすればきれいな色が出るのか」「なぜ出し方が違うと色の濃さが変わるのか」などの技術的な問い、「どうして水温が違うと色が変わるのか」「どうして枯葉は色が出ないのか」などの科学的な問い、さらに「なぜ花には色があるのか」「なぜ(世界に)色はあるのか」などの概念的な問いも生まれていました。「地域の色・自分の色」学習は、次々と問いが生まれるようにデザインされており、これを追求することで、無理なく科学や言語、社会などが絡み合って学習が進むようになっています。
美術を中心とした学習プログラム
もう一つの特徴は、プログラムの中心に美術が位置づいていることです。すべての学習で美的な感性、創造的な思考、子どもの感じる美しさなどが大切にされています。
国東市の安岐中学校では、「おいしい色って、どんな色?」という実践が行われました。生徒は国東地域の野菜や果物などを集めて並べ、撮影し、それをもとに布をつくって装います。野菜に加え、鯛や車エビ、タコなど地域の食材を用いて「ジアスピザ(※9)」をつくり、それを食します。子どもたちは美的な感性を常に働かせながら学習活動を展開し、地域の自然や社会について考えるというわけです。
背景には2015年に開館した大分県立美術館の哲学があります。美術館の管理運営をつかさどる公益財団法人(※10)の佐藤禎一理事長は「鑑賞を含めた芸術活動は、教育全般をその根底で支え、成熟した社会を形成する」と述べています。芸術は社会形成の根底にあり、欠かせない要素だという考え方です。そこから「学校や地域の公民館等で、地域の歴史や文化を色や形という美術的な視点から見直す」のです。すでに評価の決まった美を教え込み、味わわせるのではなく、美術が本来持っている豊かさや感性などの視点から地域を問い直すのが、大分県ならではの美術館教育なのでしょう。
社会的な広がりと地域的な支援で深化する学習プログラム
プログラムを実行する「地域の色・自分の色」実行委員会は美術館だけでなく、県、教育委員会、大学など複数の組織で構成されています(※11)。市町村や教育委員会などの行政組織は、人的支援、予算的配慮などを行います。大学の研究者は、科学的な調査やデータに基づいてエビデンスを蓄積します(※12)。公的な組織による実践の支援と、研究機関による成果の明確化などによって、子どもたちの学習を広げ、深めることが可能になっています。
地域ごとに個性がはっきりしている大分県の強みも生かされています。大分県は、江戸時代に中津藩、杵築藩、臼杵藩などの八藩が分立し、それぞれ独自の文化が育まれていた場所です。1980年代には、一村一品運動(※13)を通して地域活性化や人材育成が図られました。今も、地域に応じて特徴のある文化や社会、経済などが形成されています。その上に学習プログラムが立脚しているのです。
姫島村の実践も、2013年の日本ジオパーク認定がきっかけです。2014年から始まった「地域の色、自分の色」は、姫島の地層、人々の生活、地域の願いまで取り込みながら学習が進みました。そのときの小学生は今、中学3年生、学習成果をいろいろな形で示しています。例えば、「ハガキ新聞(※14)」はフェリーポートに持ち帰り自由で展示され、より多様な人々と交流し合えるようになっています。学力も大きく伸び、姫島村長は「近年子どもたちの成績が上がって、中学校は九州でトップクラス」と嬉しそうに語っていました。村とともに発展する教育だということが、本学習の重要なポイントなのでしょう。
学習指導要領の改訂にともない、「社会に開かれた教育課程」「カリキュラムマネジメント」などの言葉が飛び交っています。既存の観光資源を取り入れただけの地域連携、美術科と他教科の表層的な合体などが行われれば、図画工作科や美術科は直ちに道具と化すでしょう。図画工作科や美術科で大切にしていることを中心において(※15)、子どもと社会の育ちを見つめるプログラムの開発が急務です。大分県の実践はそのための示唆を与えてくれるように思います。
※1:1952年に始まった読売教育賞は、小・中・高、幼稚園、保育所、教育委員会、PTAなどを対象に、意欲的な研究や創意あふれる指導を行い、すぐれた業績をあげている教育者や教育団体を顕彰しています(美術部門は隔年おき)。「もし全教科で一つ選ぶのであれば、この実践だ」という声もあったそうです。
※2:「地域の色・自分の色」実行委員会 実行委員長:照山龍治(公益財団法人大分県芸術文化スポーツ振興財団専務理事)、副委員長:簑田祐二(大分県教育センター副所長)、副委員長:木村典之(大分県教育庁義務教育課)、事務局長:塩月孝子(公益財団法人大分県芸術文化スポーツ振興財団)、参与:藤井康子(大分大学教育学部准教授)
※3:網代島で行われた学習のイメージ図
※4:マグマの水中噴出などで形成されるガラス質の火成岩。姫島産の黒曜石は乳白色から黒灰色の独特の色をしており、国の天然記念物に指定されています。写真は灰褐色の特徴的な黒曜石が露出している観音崎。
※5:かつて塩田が盛んで、その跡地で昭和35年から養殖されています。村長のアイデアによる「車エビのしゃぶしゃぶ」は特に有名です。
※6:金火山のふもとでは、粘性の強い溶岩が流れた縞模様の跡がよく分かる地層が見られます。
※7:「地球・大地(ジオ:Geo)」と「公園(パーク:Park)」とを組み合わせた造語で、ユネスコの定める基準に基づいて認定された世界ジオパークと、日本ジオパーク委員会が認定した「日本ジオパーク」があります。
※8:佐伯市立宇目緑豊小学校では「宇目色クレヨン」をつくって絵を描いています。
※9:ジアスとはGIAHS(世界農業遺産)のこと。杵築市を含む国東半島宇佐地域では、古くから多くのため池とシイタケ原木のクヌギ林が繋がれ、限られた水を有効に活用する農林水産循環システムが作り上げられています。平成25年には、国際連合食糧農業機関(FAO)から世界農業遺産(GIAHS)に認定されました。
※10:公益財団法人大分県芸術文化スポーツ振興財団。大分県の芸術文化の2大拠点施設「大分県立美術館」と「大分県立総合文化センター」を管理運営しています。
※11:関係機関連携推進協議会の構成員は大分県、大分県教育委員会、関係市町村・関係市町村教育委員会、大分大学、大分県芸術文化スポーツ振興財団、研究者等、有識者に元文部科学省事務次官、元国立美術館理事、弁護士など。
※12:津久見市の第一中学校の実践では、色彩感覚、創造性、語彙力などの変容を分析しています。
※13:当時の大分県知事である平松守彦が提唱し、大分県の各市町村がそれぞれ異なる1つの特産品を育てることを通して人材育成や地域活性化を図った地域振興運動。シイタケ、カボス、関アジ、関サバなどが有名です。
※14:『はがき新聞(公益財団法人理想教育財団)』は葉書サイズの新聞。生徒一人一人が地域で学習した成果を一枚にまとめ、フェリーポートの待合室に展示しています。
※15:感性や創造力、発見する力、やり遂げる力などいろいろあげられるでしょう。ただそれが具体的に何なのか、エビデンスはあるのか、と言われると現時点では誰も証明していません。ただ、証明されていないからあきらめるのではなく、これから明らかにする志が大事だと思います。








