「西郷どん」とは何者か 3 ―西郷隆盛の決起は「いろは歌」がどのように問いかけていたか―

承前

 2回にわたり『団々珍聞』が報じた西郷隆盛を首領とした西南戦争についての世間の風聞を紹介しました。その風聞は、西郷隆盛を「西郷酒盛」「西郷戦生」「窮醜殺魔人」と、戦いに生きた、醜を極めた「窮醜」―九州、殺しの魔人「殺魔人」薩摩人だとこき下ろし、明治10年戦乱をして「迷痴10年」と道に迷うと戯けた痴者の仕業と揶揄嘲笑まじりに弾劾したものです。この声は戦火に逃げ惑う民の声、怒りを代弁したものです。
 しかし一方には、新政府に期待を裏切られた者にとり、西郷が掲げた「政府問責」の声に応じることで馳せ参じた群れもありました。その想いは西郷軍団の「出陣いろは歌」が「もはやこのうえ 忍ばれず 責めてはつくすもののふの 数万の民を救わんと 今日を限りの死出の旅」にこめられています。この歌は亡びの凱歌にほかなりません。

決起する理はどのように伝えられたか

 西郷軍団は、政府問責の兵を何故あげねばならないかにつき、「いろは歌」に託して各集落の民に伝え、支持を求めようとしました。この「いろは歌」は、「西郷方宣伝の歌」として、「唱歌は兼ねて賊将の何某が作りて昨今より各郷に伝播せしめ女童部までも謡ひはやす様に仕掛けたるものなりと或る人の寄せられたり」と、東京日日新聞が明治10年8月に報じられたものです。西郷軍は民の支持をもとめていたのです。決起はどのように知らされたのでしょうか。

い)まもむかしも神国なるに
ろ)しやあめりかよふろつぱ
ば)かな夷風に目はくらみ
に)ほんのみだれは顧みず
ほ)うを異国に立てかへて
へ)たの将棊の手前見ず
と)られそうだと金銀を
ち)ゑあり顔に無分別
り)よく我儘仕ほうだい
ぬ)すみは官員とがは民
る)ろうの士族おびたゞし
を)ほくの租税罰金を
わ)たくしからの政治故
か)はる布告は朝夕に
よ)の行末はいかならん
た)かきいやしきわかちなく
れ)いも作法もなくなりて
そ)んな我国益は破れ
つ)まり夷国の計略に
ね)い奸もののうち合ふて
な)には兎もあれ角もあれ
ら)い名つふした其時に
む)かしに復るといふたのも
う)そと今こそしられけり
ゐ)のちを捨てゝ国の為
の)がさず討てよ佞奸を
お)ほ久保三条ちぎり會ひ
く)らす此世は面白や
や)められうかや花の夢
ま)よう心の末ついに
け)たうじんらに國をうり
ぶ)具も刀も捨てよとは
こ)こんきかざる布告なり
え)ぞ地ももはやおひとられ
て)ん下の治亂は只今よ
あ)すはかゝらん暗殺に
さ)らば逢はんと想へども
き)よき心は神ぞ知る
ゆ)う士はあまた隠れゐて
め)いを奉ずるものもなく
み)すみす二人が居る故に
じ)職の人は勤王家
ゑ)い名あへて好まねど
ひ)道を責る天の道
も)はや此上忍ばれず
せ)めてはつくす武士の
す)まんの民を救はんと
京)をかぎりの死出の旅

「死出」の旅へ馳せ行く想い

鹿児島戦闘記<国立国会図書館ウェブサイトから転載>

 「いろは歌」には「政府問責」の兵を挙げた西郷軍団の想いが平易簡明に説かれたものです。それは新政府の文明開化路線への異議申し立てを歌ったものにほかなりません。その想いは、「神国」日本がロシア、アメリカ、ヨーロッパの「夷風」、文明の波濤にさらされ、「復古」というスローガンが無にされたことへの怒りです。政府は官員の跋扈、士族の窮迫云々と問責され、大久保、三条の専断が糾弾されています。ここに「じしょく(辞職)の人」西郷隆盛は、「勤王家」として、政府の「非道」を責めるのが「天の道」だとみなし、この状況から「数万の民」を救わんと「死出の旅」たる決意で兵を挙げたのだと。
 このような「いろは歌」が民衆の心にどのように受け止められたかは不明ですが、はやり歌の様式によせて民意を取り込むことで優位性を保とうとした戦略は、戦争が民意の帰趨によることを理解していたことにほかなりません。この作法は、鳥羽伏見にはじまる戊申の内乱で薩長勢力が「宮さん宮さん」の歌で錦旗を掲げ、「官軍」たる優位性を確立して幕府軍を制圧したことを西郷軍団も理解していたことをうかがわせます。
 まさに西南戦争は民衆の帰趨が戦局を左右する近代の戦争形態が意識された内乱でした。この思いが軍団の将兵にどれだけ共有されていたかは問わねばなりませんが。かつ戦争は、歌の末尾が「死出の旅」であることが物語るように、「天皇の政府」に向き合った叛乱だと自覚されていました。このような亡びの凱歌には、「戦生」として戦乱の巷に生きることで己を輝かせ、亡びに奔走した大いなるロマンチストともいえる西郷隆盛の生き方が封じこまれているのではないでしょうか。

道徳科の評価②

 6月になり早稲田大学のイチョウ並木が萌黄色の新葉から深緑の葉へとすっかり変わりました。梅雨の恵みの雨や夏の強い日差しを受け、さらに葉が茂り、そして11月になると見事に紅葉して、校内に黄色いじゅうたんを敷き詰めます。毎年の繰り返しですがイチョウの強い生命力を感じます。しかし、単に見ているだけではイチョウの成長がよくわかりません。40年前、私が大学生だった時に比べれば確かに幹が太く立派になりましたが、1年1年の成長はよく見えません。どうすればイチョウの成長を把握することができるでしょうか? 道徳科では『物事を広い視野から多面的・多角的に考え』とあります。イチョウを前から見るだけではなく、幹を切って上から見れば年輪がイチョウの成長を表しているでしょう。外から見えない心の成長も、長い時間の経過や違った視点から見ることにより把握することができるのではないでしょうか。
 今回は、前回から引き続き道徳科の評価の在り方について具体的に考えていきたいと思います。見えにくい心の成長をどのようにして可視化するか。さらに、その評価を生徒や保護者にどのように通知すればよいかについても提案したいと思います。先生方に少しでも参考にしていただけるようになればと考えています。

1 評価方法

「評価方法について考えてきましたか?」
「はい! 僕は中央教育審議会の答申に述べられている『ポートフォリオ評価』について考えてみました。ポートフォリオ評価は学習の記録を振りかえることにより成長を評価する方法ですので、授業で使っているワークシートを毎回ファイルに保存して、学期末や年度末などに見直すとよいと思います。」

認知評価シート(ワークシート)

「響君、宿題をやってきましたね! ポートフォリオとは、画家や写真家が自分の能力を示すために作られた作品集のことです。教育の分野では、生徒の作品、感想文、ワークシート、ノート、自己評価表、教師からのフィードバックや評価などを蓄積したファイルのことを言います。このポートフォリオを振り返ることにより生徒の変化や成長の状況を先生はもとより生徒自身も把握することができます。ポートフォリオ評価を効果的に実施するにはいくつかの工夫が必要です。一つは、参考資料『認知評価シート(ワークシート)』のようにある程度形の決まったワークシートや自己評価表を使用すると変化の状況が把握しやすくなります。もう一つは、ワークシートや自己評価表に先生からの一言などのフィードバックを生徒一人一人に書いてあげることも効果的です。三つ目としては、生徒が振り返りをするときの視点を指示してあげることです。漠然と眺めていてもなかなか先生が意図する変化や成長に気づいてくれませんので、『印象に残っている授業はどれですか。その理由は何ですか。』『生活していて実際に役立った内容はありましたか。』などの問いを生徒に投げかけることも大切です。答申にはもう一つ別な評価方法が紹介されていると思いますが?」
真理「『パフォーマンス評価』です。論述やレポートの作成、発表、グループでの話し合い、作品の制作などの活動を評価するとありますが……?」
「そうですね。パフォーマンス評価はフィギュアスケートの採点方法だと思ってください。フィギュアスケートでは、選手の演技を採点員が一定の基準に基づいて採点します。同様にパフォーマンス評価も課題に対する生徒の取り組みをルーブリックという評価基準を基に評価します。フィギュアスケートでは、ジャンプ・ステップ・スピンなどの技を演技の中に必ず入れるような課題が出されています。パフォーマンス評価ではどのような課題を与えるかも大切なポイントです。」
真理「実技教科は実際に作品を作ったり、演技をしたりすることができますが、道徳科ではどのような課題を与えればよいかな?」
道子「生徒がどのように問題を解決すればよいか、どのような生き方をすればよいかを道徳的価値を基に考えて話し合う課題がいいとも言われています。」
「そうですね、学習指導要領が求めている『考え、議論する道徳』や『深い学び』がパフォーマンス評価の場になりますね。またそのような活動において、友達の考えや発表について感想を述べたり、質問をしたりするような相互評価を生徒間で行わせることにより生徒自身の学習への評価がさらに深まります。」
「ポートフォリオ評価とパフォーマンス評価以外にも評価方法はありますか?」
「人材育成のために使われている手法として、結果だけでなくそこまでに至る過程(プロセス)を評価する『プロセス評価』という評価方法があります。

 学習においても、先生が生徒の学習プロセスを観察し、その学習状況を評価する方法が考えられます。また、この学習プロセスは生徒にどこまで考えられたかという学びの達成感を自覚させることもできます。道徳科では、道徳的価値を正しく理解するとともに、自分自身がその価値を自覚して行動しているか自己を見つめてみることが、道徳的行為を実践するためには大切なポイントです。つまりこのことは道徳的価値を認知し、さらにメタ認知することにより認知的行動へとつながる認知的な学習プロセスです。先ほど紹介した参考資料はこのような学習プロセスを基に作成したものです。今後は生徒の思考に沿った授業の展開を考えて、授業を行い、評価することも考えられるのではないかと思います。」
道子「岡田先生、学習のプロセスごとの評価はどうすればよいでしょうか?」
「発問に対する意見、ワークシートへの記入内容、感想文、自己評価、生徒同士の相互評価などがあります。
 図の『心のグラフ』は、円グラフによって自分の考えや思いの割合を扇形の面積で示すものです。考えたり、議論したりする中で、生徒自身が視覚的に自分の心の変化や成長をとらえることができます。この他に、数直線上に自分の位置を示す方法などもあります。皆さんも考えてみてください。」

2 評価の通知

真理「評価の方法についてはわかりましたが、その評価をどのようにして生徒や保護者に伝えるかが問題だと思います。」
「数値ではなく記述式で通知しなければならない。生徒や保護者が納得していないようなことを書いたらまずいな……。」
道子「生徒の問題点ばかりを書くわけにもいかないし……。先日の中学校道徳教育セミナーでも多くの先生方が心配していました。岡田先生、どのようにしたらよいでしょうか?」
「そうですね。生徒のマイナス面ばかりでは道徳科に対する学習意欲がなくなりますし、納得できないような評価を書けば生徒や保護者の先生に対する信頼感が揺らぎます。評価の通知は、生徒の良いところしっかりと把握し、認め励ますようなプラス思考の評価でなければなりません。また、生徒の日ごろの行動や言動を観察することにより、 道徳性の成長の様子をより正確に把握することができると思います。さらに、道徳性は人格を構成するものであるので、個々の内容項目ごとに評価するのではなく、大くくりなまとまりとして評価することも忘れてはなりません。そのためには、先生は多面的・多角的な視点から生徒を見つめ、評価していかなければなりません。そのような評価を行うための方法として、生徒自身の学習への評価を活用することが考えられます。毎時間の自己評価表の記述内容やポートフォリオに対する振り返りをもとに具体的に記入するとよいでしょう。例えば、ポートフォリオの振り返りで一番印象に残っている授業が生命は死んでも親から子供へと続くことであったら、『生命の大切さについてしっかり考えていました。』と単に道徳的価値について記入するのではなく、『授業ではしっかり考え、発言していました。特に生命についての学習では、生命の大切さを生命の有限性や連続性の視点から深く考えていました。』と通知したらどうでしょうか。」
「なるほど、生徒が自分で考え記入した内容ならば生徒は納得しているし、保護者にも説明できますね!」
道子「考えていてもワークシートなどに自分の考えを記入しない生徒にはどうすればよいですか?」
「確かに書くことが苦手な生徒もいますね。そのような生徒にはどのように考えているか個別に聞き取るような支援をすることで解決します。なお、評価は学級担任の先生が一人で行うことが多いですが、学年の先生や部活動の先生など複数の先生からも評価していただくことも大切だと思います。」

 第8回、第9回と連続して道徳科の評価について述べましたが、いかがでしたでしょうか? 道徳が教科となり評価をどうするかは中学校道徳教育セミナーでも大きな話題になっていました。この課題を解決するには、「指導と評価の一体化」「学びと評価の一体化」と言われるように授業をしっかりと行うことにより評価は見えてくるのではないかと思います。
 次回は最終号になりますので、道徳教育を、道徳科をどのように実施していけばよいかカリキュラムマネジメントの視点について考えていきたいと思います。ご期待ください。

焼肉ドラゴン

© 2018「焼肉ドラゴン」製作委員会

 生まれて育ったのは、戦後すぐの大阪の西成区だ。今池界隈には、多くのホルモン焼きの店があった。焼肉といえば焼肉だが、主に臓物。ふつう、食べないで捨てるところから、関西弁で「ほうるもん」、転じて「ホルモン」というらしい。
 映画「焼肉ドラゴン」(ファントム・フィルム、KADOKAWA配給)は、大阪で万国博覧会が開かれる前年の1969年、兵庫県のもっとも大阪寄りの伊丹にある焼肉屋一家の、喜怒哀楽に満ちたドラマだ。空港の近くで、ひっきりなしに、旅客機が飛ぶ。一家と一家をめぐる人たちもまた、飛行機の騒音に負けないくらい、にぎやかだ。
 焼肉といっても、店の屋根の看板には、「ホルモン」と大きく書いてあるから、高級な焼肉店ではない。朝鮮半島から、強制的に日本に連れてこられた金龍吉(キム・サンホ)の営む店で、龍吉の「龍」から、みんなは「焼肉ドラゴン」と呼んでいる。
 龍吉の家族は、妻の英順(イ・ジョンウン)と4人の子どもの6人暮らし。英順は、いわゆる済州島四・三事件の被害者で、故郷の済州島を追われて、龍吉と再婚する。
 子どもの4人は、長女の静花(真木よう子)、次女の梨花(井上真央)、三女の美花(桜庭ななみ)、末っ子の時男(大江晋平)である。再婚時、龍吉は静花と梨花を連れていて、英順は美花を連れている。龍吉と英順は、戦後すぐ、国有地を不法占拠した土地を、民間から買ったという形で焼肉店を開き、やがて長男の時男が生まれる。
 龍吉は、日本兵として参戦、左の腕を失う。それでも、毎日、懸命に働き、一家を支えている。学校でいじめにあい、自閉症気味の時男に、龍吉は言う。「昨日がどんなでも、明日はきっとええ日になる」と。

© 2018「焼肉ドラゴン」製作委員会

 梨花が、幼なじみで常連客の哲男(大泉洋)と結婚することになる。店では、静花と美花、美花の恋人の長谷川(大谷亮平)が、パーティの準備をしている。短気の哲男は、役所の対応に怒って、婚姻届けを破り捨てる。これが原因で、せっかくのパーティが、大騒ぎになる。冷静なのは龍吉だけで、「明日、もういっぺん市役所に行ったらええ」と、騒ぎをおさめる。
 梨花と結婚しようとしている哲男は、いまなお、静花に未練がある。歌手を夢みる美花は、長谷川とつきあっているが、長谷川には、嫉妬深い本妻の美根子(根岸季衣)がいる。
 いつも、仲が悪いわけではないのに、みんなは本音でものを言い、言い争いが耐えない。オモニと慕われる英順が、要所要所で、存在感を示す。一家に、たいへんな不幸もあるが、龍吉たちは、耐えていくしかない。
 時代は、高度成長で浮かれている。集落の一角にある「焼肉ドラゴン」にも、再開発とやらで、時代の波が押し寄せてくる。
 原作は、2008年に上演された鄭義信の同名戯曲。在日3世になる鄭義信が、映画化にあたって、脚本を書き、監督する。鄭義信は、映画「月はどっちに出ている」や「愛を乞うひと」の脚本を書いた名手である。ここでは、日本と朝鮮半島の歴史をふまえ、戦後の在日韓国人の家族のありようを、笑いと涙で見せる。浮かびあがるのは、歴史そのもの。まさに、個を描いて全体に迫る、みごとな脚本である。
 龍吉役のキム・サンホと、英順役のイ・ジョンウンが、すばらしい演技を披露する。ふたりとも、多くの韓国映画に出ているが、もともとは、舞台俳優。映画でも、精彩を放つ。日本の俳優たちも、達者な関西弁を駆使、力演と思う。
 もともと、朝鮮半島は分断されていなかった。少し前の、日本と朝鮮半島の歴史をひもとくと、登場人物たちの悩み、苦しみが、じわりと伝わってくる。龍吉は言う。「戦争で無くした腕を返せ」、「息子を返せ」、「帰るところは、ない。ここで、生きていくしかない」と。

2018年6月22日(金)より、全国ロードショー

『焼肉ドラゴン』公式Webサイトico_link

原作:戯曲「焼肉ドラゴン」(作:鄭義信)
脚本・監督:鄭義信
出演:真木よう子、井上真央、大泉洋、桜庭ななみ、大谷亮平、ハン・ドンギュ、イム・ヒチョル、大江晋平、宇野祥平、根岸季衣 ほか
配給:KADOKAWA ファントム・フィルム
製作:「焼肉ドラゴン」製作委員会

PBLのはじまり②

1.「フレップ」──学生たちのPBL

 前にも述べたとおり、私がPBLを意識して実践を始めたのはここ数年のことです。けれども、大学ではPBLならぬPBLは10年以上も実践していました。
 「フレンドシップ実習」、後に「自然体験実習」、学生たちの間では「フレップ」という愛称で親しまれていた授業を、1997年から2008年までの12年間、福島大学で担当していました。

図1 セクション会議の様子

 お互いに名前も顔も知らない新入生約80人が実践チームをつくり、夏休みに実施する2泊3日の中高生との交流活動を自分たちで企画し、実践するという授業です。多くの学生たちは「子どもたちとキャンプをして単位がもらえるおいしい授業」といって受講してきましたが、その甘い期待はすぐに裏切られ、たいへんな厳しさを突きつけられることになります。
 学生たちは「リーダー会」「開閉会」「ハイキング」「集団創作活動」「キャンプファイヤー」「文集」のいずれかのセクションに所属し、それぞれに企画をつくります。
 企画を決めるにも話し合いができない、異論が出るとすぐに凹んでしまう、にもかかわらず大学生レベルの企画にしないと通してもらえない。意欲の高い学生とそうでない学生の温度差が、人間関係にひずみをもたらします。やればやるほど混迷の度合いは深まり、ほとんどの学生が一度は「辞めたい」と考えるようになります。

2.もまれながら成長する、居場所をつくる

図2 プラネタリウムの試作

 4月には週1回だった授業が、5月には昼休みの時間を占有するようになり、6月になると夜中まで議論が続くようになり、7月になると土日もなくなり、毎日が「フレップ」を中心に回転するようになります。
 7月中旬、ようやく各セクションの企画が固まりだした頃、学生たちは長いトンネルから脱します。この時期になると、学生たちの顔つきも高校生のあどけなさが消え、大学生の顔つきになります。リーダーとしての自覚も強靱になり、一人ひとりの個性が見えてくるようになります。

図3 ビニールを貼り合わせて巨人をつくる

 8月上旬に開催する「自然体験学校」の本番は、子どもたちとの時間がまるでジェットコースターのように去って行き、学生たちはとてつもない感動を得て、それぞれの日常に帰っていきます。提出された事後レポートには、これでもかというほど、自分の変化と成長のプロセスが饒舌にしたためられています。
 彼らは大学に入学して3ヶ月で、先輩も含めると約100人の仲間を得ることになり、在学中はもちろん卒業後もネットワークは続きます。100日間に渡る「フレップ」は、コミュニケーション力や協働能力、リーダーシップ、企画・実践力を身に付けさせるに留まらず、様々な課題を抱える学生たちの「居場所」としても機能します。

図4 自然体験学校を終えて 100日間の苦労を吹き飛ばす

 12年間続けてきて、ただの一度も安定した路線上で実践したことはなく、毎回毎回新たな問題がもたらされ、スリリングな展開となるのですが、今となってはそうした「問題」こそが学生たちを成長させる要因だということを確信しています。

3.PBLとしての「フレップ」

 さて、ここまで述べると、フレップが熱狂的な「セツルメント」などのサークル活動と変わらないのではないかと思うかも知れません。
 鈴木敏恵氏(2012)(※1)は「プロジェクト」(PBLではない点に留意)を以下のように規定しています。
 ①ヴィジョンや使命感に基づき、ある目的を果たすための構想や計画などを指す。
 ②目標を決め、そこへの到達方法を考え出すもの。
 ③何かを成すこと、夢や願いを成果として目に見えるものにすること。
 ④課題解決をしつつ、ヴィジョンを実現する一連の活動。
 ⑤たった1人で完結するのではなく、チームで目標に向かう。
 「フレップ」は、子どもたちと楽しく学び豊かな交流事業をつくる(ヴィジョン)ために、自分たち(チーム)で議論・企画・実践する一連の活動ですから、プロジェクトとしての条件は満たしていると思います。
 しかしながら、同氏は「プロジェクト学習」は①ヴィジョンとゴールの明確性、②価値の自覚、③プロジェクト学習の基本フェーズの存在、④成果と成長への自己評価、⑤「一人思考」と「思考共有」、⑥他者に役立つ「知の成果物」、⑦ロジカル・シンキング(論理的思考)、⑧Selfコーチングとメタ認知、などの要素を特徴として備えているとしており、これら一つひとつを照らし合わせてみると、この当時の「フレップ」がPBLとしてどうだったのか、反省させられる点が多々あります。

 私がPBLの視点を得たのは、東日本大震災後の取り組みという大きなハードルを越えてからのことでした。

 

※1:鈴木敏恵(2012)『課題解決力と論理的思考力が身につくプロジェクト学習の基本と手法』教育出版

[特集]教室を飛び出そう 図工・美術新発見

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「形 forme No.315」の誌面のQRコードからご覧いただけるコンテンツをご紹介いたします。

■P.10-11「神田煙突づくし 木下栄三」 作品解説(213KB)

■P.18-19「村上センセイが行く! 全国美術室探訪 第三回 -中野区立第五中学校-」

■P.22「ラフスケッチ」 生徒作品(477KB)

■P.27-29「インタビュー 画家 建築家・木下栄三」

■P.28-29「モンスター図鑑」 ワークシート(229KB)

ゲッベルスと私

© 2016 BLACKBOX FILM & MEDIENPRODUKTION GMBH

 第二次世界大戦中、ヨーゼフ・ゲッベルスは、ナチス・ドイツの宣伝担当の大臣だった。ヒトラーに仕え、ドイツ国民に向けて、さまざまなメッセージを発するなど、重要な役割を果たした政府高官である。
 このゲッベルスの秘書をしていた女性、ブルンヒルデ・ポムゼルが生きていて、2016年のオーストリアのドキュメンタリー映画「ゲッベルスと私」(サニーフィルム配給)で、終戦から69年後、インタビューに応じる。映画の制作時、ポムゼルは103歳。30時間におよぶインタビューだった。
 「言われたことだけをタイプしていただけ」、「ホロコーストについては、なにも知らなかった」、だから、「私に罪はない」と、ポムゼルは言う。
 ポムゼルは、「与えられた場で働き、良かれと思ったこと、みんなのためにと思って働いてきた」と語る。だが、ポムゼルは、当時から、なにも知らなかったわけではない。「自分がやっていることはエゴイズムなのか」と自問し、「抵抗する勇気はなかった。私は臆病だった」と語っているのだから。そして、ポムゼルはきっぱりと言う。「あの体制から逃れることは絶対にできない」と。

© 2016 BLACKBOX FILM & MEDIENPRODUKTION GMBH

 ゲッベルスは当時、ヒトラーに次ぐ権力者で、その演説は、力強く、国民を鼓舞する。「勇気を持って、危険な人生を送れ!」と。
 ポムゼルがゲッベルスの人となりを語る。育ちが良く、おとなしく、紳士的な人だった。ところが、ゲッベルスは、演説で豹変する。小さな体から大きな声を出す。
 ナチス・ドイツのホロコーストが本格化する。多くのユダヤ人が強制収容所に送られる。当然、いろんな情報が制限されている。ポムゼルは言う。「みんな私たちは知っていたと思っている」、「私たちはなにも知らなかった。とうとう最後まで」。
 ゲッベルスは、力強く演説する。「ユダヤ人の気質は伝染性だ。感染してしまう。我が国の反ユダヤ政策に対し、敵は偽善的に抗議する。……我々は総統の命令に従う。……国民よ 立ち上がれ! 嵐よ 吹き荒れろ!」
 1945年、戦争が終わる。ヒトラー、ゲッベルスは自殺する。ポムゼルはソ連の強制収容所に収監される。当時と戦後を振り返って語るポムゼルの言葉に注目されたい。重く、深く、聞く者の耳に突き刺さってくる。
 2017年、ポムゼルは106で亡くなる。100年もの年輪を重ねたポムゼルの顔の深いしわが、すべてを物語っているよう。

© 2016 BLACKBOX FILM & MEDIENPRODUKTION GMBH

 映画には、ゲッベルスの演説や、当時のアーカイブ映像が挿入される。アメリカ合衆国ホロコースト記念館所蔵の、スティーブン・スピルバーグ・フィルム&ビデオ・アーカイブ・コレクションからの映像である。なかには、目を覆うようなシーンもあるが、注視されたい。
 いま、日本では、戦争が起きやすいような法が多く成立し、緊張をあおるような外交政策をとっている。公文書が隠蔽され、改竄までされている。圧力、圧力では、世界のもめごとはなにも解決しない。
 映画に限定してでも、ドイツやオーストリアでは、いまなお、過去の歴史を、いろんな角度から、検証し続けている。二度と戦争が起きないようにという、ごくあたりまえのことである。
 このドキュメンタリー映画を監督したのは、以下の4名。クリスティアン・クレーネス、オーラフ・S・ミュラー、ローランド・シュロットホーファー、フロリアン・ヴァイゲンザマー。優れた、貴重な映画だ。
 だれしも、幸せに生きようと思っている。ポムゼルという女性も、そのひとりだろう。ポムゼルに、罪悪感、無力感をもたらしたのが戦争である。映画を見て、思う。戦争の歴史を語り続け、世界じゅうの理性と知恵を集めること、と。

2018年6月16日(土)より、岩波ホールico_linkほか全国劇場順次ロードショー

『ゲッベルスと私』公式Webサイトico_link

監督:クリスティアン・クレーネス、フロリアン・ヴァイゲンザマー、オーラフ・S・ミュラー、ローラント・シュロットホーファー
オーストリア映画/2016/113分/ドイツ語/16:9/白黒/日本語字幕 吉川美奈子
配給:サニーフィルム
協力:オーストリア大使館|オーストリア文化フォーラム/書籍版:『ゲッベルスと私』紀伊國屋書店出版部

視覚文化と子どもたち

 教育の基盤である「子ども」について語る上で、文化という視点は重要です。本稿では、写真や絵と錯覚の問題を取り上げて私たちが優れて文化的な生き物であることについて考えてみましょう(※1)

写真はありのまま?

 写真はありのままを写しません。例えば、風光明媚な観光地に行ったときがそうです。目の前の山が屏風のように立ちはだかっていたのに、撮った写真を後から見ると「あれ?こんな感じだったかな」と思います。私は富士山が好きなので、よく撮影するのですが、あのするどい「高さ」はどうにも写真に現れません。
 精神科医で現象学者のヴァン・デン・ベルクも、写真は、地面に平行なはずの直線、つまり私たちが水平だと思っている線が全て曲がっていたり、斜めだったりしており、「日常生活から一番遠い」と述べています(※2)
 私たちは地面が、道路が、机が平らだと感じています。立体の中にいて、空間を感じながら生きています。写真は、それを無理やり平面に置き換えます。廊下の直線は「斜め」になり、四角い机は「矩形」になります。でも、私たちは、廊下を斜めにとらえて歩いてはいませんし、机は四角く、水平なままです。写真の「表象」は、私たちが身体的に感じる世界と根本的に異なっています。「写真がありのままを写す」という考え方があるとしたら、それは「写真が私たちの感覚と同じだ」ととらえる思い込みでしょう。

写真は読むもの

 昔の人が写真を「読めなかった」ことを示す記述は複数あります。
 例えば、中川作一は、視覚文化が十分入り切っていない地域で、人々が戸外の風景写真の奥行きが読めなかった事例を紹介しています。そして「おそらく、子どものころ、彼らの知覚が視覚文化の影響を受けない環境で育てられたためだろう」(※3)と述べています。
 写真家の東松照明も似た事例を報告しています。東松は1972年に沖縄の宮古島に移住、周辺の島々も含め様々な人々の写真を撮影します。彼は律儀な人で、撮影した写真は現像して本人宛に郵送したり、直接本人に持参したりしていました。その際「ときに面食らうこと」があったようです。以下の記述はあるオバアに持参したときの話です。

「礼をいって写真を渡すと、老婆は、生娘のごとくからだをくねらせて恥ずかしがる。老婆は食い入るようにして写真を眺める。何分も、ずーっと姿勢を崩さずに見つづける。変だな、と思ってのぞき込むと、老婆は、写真を上下逆さにしてみているのだ。
 信じられない話だが、息子さんに質すと、前にも同じようなことがあったという、横の写真を縦にして見ていた、と。(※4)

 オバアの年齢は書いてありませんが、おそらく1880年前後の生まれだと思われます。テレビや写真が豊富に入り込んできたのも、オバアが70歳近くになってからでしょう。視覚文化の影響を受けなかったオバアにとって、白黒写真を読むことは難しかったようです。

文化的な錯視としての透視図法

 透視図法は一種の錯視です。錯覚は物理的、生理的だけでなく、文化的な原因によっても起こります。
 中川が紹介するのは、明治初期の人が透視図法で描かれた絵を正しく認識できなかった事例です。洋画家の牧野義男の父親は、国定教科書に描かれた正確な透視図法による四角い箱の絵を見て次のように言ったそうです。
 「何だ?この箱は確かに四角じゃない。わしにはひどくいびつに見えるぞ(※5)
 牧野義男は1870年生ですので、父親の言葉が発せられたのは、おそらく1880年(明治13年)前後のことでしょう。江戸生まれの父親は、透視図法で描かれた図を「正しい」絵だと知覚できなかったのです。
 しかし、9年後に彼は真逆のことを言います。同じ図画の本を見ながら、彼を呼んで「妙なものだ。この四角い箱は、いびつだと思ったものだが、今は真四角に見える」といったのです。江戸時代に生まれた人が、当初は透視図法を受け入れられなかったこと、それが明治時代になってから変化したことが分かる記述です。
 線遠近法との効果で錯視を起こす有名なミュラー=リヤーの図(右図)も、世界的に見れば錯視を起こす率が異なり、特に西洋文化が到達していない地域では錯視を起こさなかったとする報告もあります(※6)
 ミュラー=リヤーの錯視の原因は「内向き、外向きの矢が、透視図的な見方を促進する」「矢によって電気生理学的な作用が起きる」など言われていますが、そもそも長さを測るということ自体が、かなり文化的な実践です。
 例えば、北村、川村らは、日本人は周囲との関係で長さを目測する傾向があるのに対して、西洋文化圏の人々が、長さそのものをとらえようとする傾向があること、さらに、西洋文化圏から日本に来た留学生が、日本的な測り方をするようになることを心理学的な実験から指摘しています(※7)

さて、子どもはどうだ?

 哲学者のメルロ・ポンティは「知覚において私の所有しているのは物それ自体であって表象ではない(※8)」と語っています。写真、透視図などは文化的に生み出されたまぎれもない「表象」です。私たちが感じている世界は「それ自体」です。写真、透視図などは「表象」であり、それを見ることは、すぐれて文化的な実践だろうと思います。
 子どもたちはどうなのでしょう。年齢によって異なりますが、少なくとも、私たちの文化や見方には染まり切っていません。おそらく、多くの子どもたちは、私たちの文化や見方とせめぎ合っている状態だと思います。一方で、現代の子どもたちが、昔の子どもたちと同じだと考えることも危険でしょう。牧野の父親やオバアと異なり、子どもたちは、0歳児の頃から視覚文化の影響に浸っているのです。
 絵を描く、写真を撮るなど、図画工作や美術の教育では、当たり前のように行われている実践です。その当たり前を、文化的なまなざしから問い直すことは大事なことかもしれません(※9)

 

※1:本稿は、奥村高明著「マナビズム 「知識」は変化し、「学力」は進化する」東洋館出版 2018(印刷中)第2章を加筆したものです。
※2:ヴァンデン・ベルク著 立教大学早坂研究室訳「現象学の発見 歴史的現象学からの展望」勁草書房 1988、6-9p
※3:中川作一著「目と絵の社会心理学」法政大学出版局 1984、74p
※4:東松照明著「新編 太陽の鉛筆」赤々舎 2015、50p
※5:前掲書2、62p
※6:広い平原に暮らす環境要因、紙のような平面画像に慣れないため、矢の部分と軸の部分を切り離して見る能力が優れていたためなど様々な理由が指摘されている。
※7:Shinobu Kitayama, Sean Duffy, Tadashi Kawamura, Jeff T. Larsen “Perceiving an Object and Its Context in Different Cultures A Cultural Look at New Look” Psychological Science 2003 pp.201-206
※8:M.メルロ=ポンティ著 滝浦静雄・木田元共訳「見えるものと見えないもの」みすず書房 1989、16p
※9:40年近く前の話になりますが、私が受け持った中学生に、どうしても透視図法が描けない子どもがいました。他のすべては優秀な子どもだったので、当時「なぜ描けないのか」と、ずいぶん叱った思い出があります。もう少しやさしい言葉がかけてあげればよかったと、今は思います。