【連載再開!!】第2回中学校道徳教育セミナー

 先生方お久しぶりです。しばらくお休みをいただいていた「学び!と道徳2」の連載を再開することになりました。以前に増して先生方のお役に立つ内容にしたいと思います。さて、初めてお読みになる先生もおられると思いますので、簡単な自己紹介をしたいと思います。私は現在早稲田大学の教職大学院で教員を目指す学生や教育力の向上を目指す現職教員の指導を行っています。以前は東京都の公立中学校に勤務する数学科の教員でした。
 初任時代はちょうど校内暴力がはやり病のように全国に広がり始めたころで、私の学校でも次から次へと問題行動が起き、毎日生活指導に明け暮れるような状態でした。しかし、先生方がいくら指導しても、生徒自身が変わらなければ良くならない、どうすればよいのか悩んでいました。そのような中、出会ったのが道徳教育でした。図の記事は広島県教育委員会の調査で、道徳教育を行うと校内暴力やいじめが減少し、学力も向上するという結果です。生徒の心を育て、先生から言われてやめるのではなく(他律)生徒自ら行動を律すること(自律)ができる教育が必要だと思いました。その後、学級経営も学校経営も道徳教育を重点にして行うと、不思議なことに生徒たちは落ち着き、学校は本来あるべき姿になりました。4月からいよいよ「特別の教科 道徳」が始まります。道徳教育の要である道徳科を充実して、生徒たちの心を育て、世界の人々から尊敬される国際人を育てて欲しいと思います。
 前シリーズ同様に、早稲田大学道徳教育研究会(MOS)のメンバーである道子、真理、響とともに道徳教育について考えていきたいと思います。今号は昨年の12月23日早稲田大学で、MOS主催で企画運営して開催された「第2回中学校道徳教育セミナー」について報告したいと思います。

1 第2回中学校道徳教育セミナー

「第2回中学校道徳セミナーご苦労様でした。今回はMOSが主催し企画運営しましたが、実際に活動してみてどんなことがありましたか。」
真理「第1回に比べ、先生方がセミナーに求めるものが、道徳科の指導や評価は具体的にどうしたらよいかなど、より実践的な内容になったと感じました。先生の中にはすでにいろいろな取り組みを始めていて、話し合いの内容が授業実践に基づいたもので、司会をしていた私がたくさん学ばせていただきました。」
「昨年は多くの中学校で道徳を校内研修のテーマにして、講師を招いて勉強会をしたり、研究授業を行ったりしていました。先生方の道徳教育への関心が高まり、知識や授業のスキルが向上してきているということでしょう。道徳科にとっては良い兆しですね。」
道子「グループワークでMOSのメンバーが模擬授業を行いました。セミナーの前にみんなで練習して臨みましたが、現職の先生方の真剣な眼差しを前にしてとても緊張し、思うように演技することができなくなりました。グループワークの話し合いでは、模擬授業は展開の最初の10分の部分だったので、その後はどのように授業を展開するか、どのような発問をするかなど具体的な質問が多くありました。」
「模擬授業はグループワークにおける話し合いの話題づくりをねらいに行いましたが、授業の意図を事前に伝えておいたほうがよかったかもしれませんね。模擬授業については後で詳しく話しましょう。セミナーの運営上の課題はありませんでしたか。」
「会場の政経学部3号館は大学の中心部にあり、一番新しく目立つ建物なのでするにわかると思い、学バスの終点がある正門と地下鉄の駅に近い南口に案内を置きましたが、中心部から遠い西門や都電に近い北門に案内を置かなかったために迷った人がいたそうです。」
「今回のセミナーは東日本の先生を対象に実施しましたので、関東近県はもとより東北や甲信越からも総勢60人ほどの先生が参加しました。中には初めて早稲田大学に来られた先生もいたと思いますので、丁寧な案内は大切ですね。島恒生先生の講演、谷島竜太郎先生、多田義男先生の実践発表と渡邉真魚先生による指導講評はどうでしたか。」
「島先生の講演『4月からスタートする道徳科~授業と評価~』は前回同様とてもわかり易く勉強になりました。『考え、議論する道徳』を目指し、どのように生徒が主体的に対話的に深い学びをする授業を作ればよいか具体的に話していただき有意義でした。特に、僕は『道徳では下(教材など)を見て考えるのではなく、天井を見て考えます。』というお話に感銘しました。」
真理「響は天井を見ながら寝ているのでは……?」
道子「二つの実践発表がありましたが、昨年の4月から特別の教科となり実施している茨城県筑西市立川島小学校の谷島先生の発表は『授業づくりと評価について』というテーマでした。長年にわたる特別活動の研究実践をもとに、授業改善と授業づくりを目標に研究実践し、さらにそれが評価につながることを目指し、ワークシートの改善やマイボード(簡易ホワイトボード)の開発に取り組んでいました。特に研修通信を発行して、学校全体で研修に取り組んでいるところが素晴らしいと思いました。」
「評価をどのようにすればよいか悩んでいる先生がいますが、川島小学校のようにまず授業を充実することが評価につながりますね。」
道子「筑波大学附属中学校の多田先生の発表は、真理の探究を主題にした授業実践でした。IPS細胞で難病を治したいという思いで、それを世界で初めて作り出した山中伸弥先生を教材とした授業でした。偉業を成し遂げた方の話は、ときに生徒にとって身近な存在ではなく、葛藤も少ないですが、山中先生にも人間としての「弱さ」があり、それを乗り越えた「強さ」があることを押さえて授業をされていました。人間には誰にもそのような面があることを生徒自身に気づかせることが大切だと思いました。」
「道子さんの専門である数学は、常に真理を求め学んでいますね。生徒たちにはそのことに気づかせてもよいでしょう。」

2 模擬授業

「それでは皆さんが行った模擬授業について考えてみましょう。今回使用した教材は文部科学省が作成し、平成24年5月に発行した『中学校道徳読み物資料集』に収録され、その後『私たちの道徳』にも収められている『帰郷』という読み物資料です。東京で俳優をしている息子のもとに、田舎で一人暮らしている母の急病の知らせが届くというところから話が始まります。母を東京に連れていき面倒を見るという息子に対して、迷惑をかけたくないという母の思い、息子に代わって母の面倒を見ると提案する夫婦や母の店の常連たちを通して、息子は多くの人に支えられて生きていることに気づき、感謝するという内容です。時折、オリンピックのメダリストのインタビューで『金メダルが取れたのは、皆さんのお陰です。皆さんに感謝します。』という言葉を耳にします。一方、最近の成功者の中には『自分の能力や努力で頑張って成功したのだ。他人の助けは何も無い』といった自己中心的(ジコチュウ―)な発言をたまに耳にします。そのような風潮に対して、今の自分が楽しく安心して生活できているのは、多くの人々の支えがあるからだと気づき、感謝を忘れないことの大切さを考えさせることができる教材です。」
「僕も田舎に親がいるので、この教材は自分のことのように思います。」
真理「しかし、私たちのような大学生には身近な内容ですが、まだ家族と生活している中学生には理解できないのでは……。」
道子「体験がないと自分のこととして考えることが難しいと思います。」
「それにこの教材は長く、読むのに時間がかかります!」
「以前、イギリスの学校で『ドラマ』という教科があることを紹介したことを覚えていますか?」
道子「シェイクスピアなどの劇の一部を使って、台詞を国語的な視点で正しく読み取り、さらにセリフの中に込められている心情を考え、実際に演じて評価するアクティブラーニングです。国語と演劇が一緒になったような学習ではないかと思います。」
真理「道徳で行われている役割演技(ロールプレイ)に似ているように思いますが……。」
「そうですね。『ドラマ』はイギリスでは教科として行っています。劇の台詞の読み取りから始まり、台詞に込められている心情を考える、その心情を表現する演技方法を考え練習する、全体で演技を発表する、全体で評価するなど何時間もかけて行っています。もちろん大学の入試科目でもあり、試験があります。今回の模擬授業では中学生には体験することが無いような内容なので、ドラマをすることにより教材を読むという間接体験から自分で考え実際に演技して直接体験をさせることを考えました。しかし、このような活動は時間がかかりますし、響君の言うようにこの教材は長文で、読むのに時間がかかるという問題があります。そのような課題を解決するために前時の授業で教材を渡し、演技することを宿題にしておく指導計画を考えました。皆さんは大学院の授業で『反転学習』を習っていますね。」
道子「先生から授業で学ぶことに関する本や論文、課題が事前に出され、それらを読んだり、課題に対する考察をしたりして授業に臨む学習です。予習が宿題のような学習で、習ってもいない専門書を自分の力で読むことはすごく大変です。しかし、授業では先生の話がとてもよく理解でき、納得します。」
「今回の模擬授業はグループワークの時間の都合で、文中の息子・母・おばさん・おじさんの四人の台詞の一部、
息子『母さん、東京で一緒に暮らそう。』『だって、しばらくリハビリも必要なんだろう。もう遠慮しないでいいんだよ。』
母『この町がいいんだよ。』
おばさん『研ちゃん。私たちはまだ元気だから、私たちでよければ、佐和子さんのリハビリや身の回りのことは手伝うけど……。』
おじさん『研ちゃん、私らだけじゃないんだよ。さっき見舞いに来た連中だって、ちょくちょくのぞくって、言ってるんだよ。』 
息子『ありがとうございます。母とゆっくり話し合ってみます。』
を演じてもらうことにしました。実際の授業では演じた後に、生徒にどのような意図で演じたのか発表させたり、見ていた生徒にはどのようなことを思ったかを尋ねたりして、多様な見方や考え方に気づかせ、その後に行う中心発問『帰りの電車で主人公はどんなことを思っていたかを考えよう。』で議論を深めたいと考えています。」
道子「他者の体験を再現することは、自分が体験することになるということですね。」
真理「時間があれば役を入れ替えて行ってもよいのではないかな……。」
「4人の視点から考えることは、多面的・多角的な学習になりますね。」
「しかし、生徒たちは事前に指示しても考えてくるかな……。」
真理「宿題忘れの響とまじめな中学生を同じレベルで考えないこと!」
「今年も冬休みに第3回の中学校道徳教育セミナーを予定していますから、皆さんも今からさらにしっかりと道徳科を勉強しておいてください。」

 今回は中学校道徳教育セミナーの報告が中心でしたがいかがでしたでしょうか? 次回からは4月から始まる道徳科の指導方法について実践をもとに考えていきたいと思います。ご期待ください。

東北スクールとレッジョ・エミリア・アプローチ①

1.OECD東北スクールとレッジョ・エミリア市

 東北復幸祭〈環WA〉in PARISを半年後に控えた2014年2月、OECDの教育スキル局から「EU代表団がレッジョ・エミリア市に視察に行くので一緒に行かないか」とお誘いを受けました。東北スクールの進行でどん底にいた私にとって、何より心ときめく知らせでした。
図1 レッジョ・チルドレンにて(2003年) 私がこのイタリアのレッジョ・エミリア市の幼児教育─レッジョ・エミリア・アプローチ─を知ったのは1990年の初め頃で、2003年と2010年に訪問したことがあります。時数が減ったり、小中高の教員が減ったりと、ろくなことがない美術教育に絶望しかけた頃、唯一の希望を与えてくれた教育システムでした。
 この教育は第二次世界大戦後の混乱期のイタリアで、住民の手によって築きあげられた手作りの教育システムです。今日の世界の最先端に立つ教育実践とも言われており、その教育方法は「レッジョ・エミリア・アプローチ」と呼ばれています。実践記録は外郭団体である幼児・児童教育研究機関「レッジョ・チルドレン」によって美しい本やビデオにまとめられ、世界中から愛され続けています。
 レッジョ・エミリア・アプローチは、1991年のNEWSWEEK誌に、ハーバード大学のハワード・ガードナーによって「世界一の創造性教育」と紹介され、一気に世界的にその存在が知れ渡るようになりました。これにより世界中から教育学者や幼児教育関係者が頻繁に見学に訪れるに留まらず、子どもをレッジョ・エミリア市で学ばせたいと、海外からも転入してくるようになります。
図2 レッジョ・エミリア市の教育書籍 日本では、2001年の「国際イタリア年」に、ワタリウム美術館にて「子どもたちの100の言葉展」が開催され、大きく話題となります。2003年には東京大学の佐藤学氏や秋田喜代美氏の監修によるビデオ記録「子どもたちの100の言葉 レッジョ・エミリア市の挑戦」が小学館から発売され、学校教員を中心に支持が広がります。さらに2011年には再びワタリウム美術館にて「驚くべき学びの世界展」が開催され、21世紀の新しい「レッジョ・アプローチ」の姿が披露されました。
 OECD東北スクールの中で「被災地から新しい教育を」と考えたとき、私とOECDのシニアアナリストの田熊氏が共通に思い描いたのは、まさしくこのレッジョ・エミリア市の幼児教育でした。二人の間で、「レッジョ・エミリアを超える教育を」がいつしか合い言葉となり、その志は今も続いています。「レッジョ・エミリア市の幼児教育」はOECD東北スクールの原点の一つでもあったのです。

2.アトリエリスタと「図像的言語」

 レッジョ・エミリア市の幼児教育は、1945年の第二次世界大戦終戦直後のイタリア北部の同市に生まれました。それまでのイタリアの幼児教育は、一般的には幼児をカトリックの修道女に預けて「しつけ」ればいい、という前近代的な考え方が一般的で、民衆的な子育ての域から脱するものではありませんでした。小学校の教師であったローリス・マラグッツィ(Loris Malaguzzi, 1920~1994)は、ピアジェやヴィゴツキー、デューイらの科学的な教育を学び、レッジョ・エミリア市に子どもたちの主体性を基礎とした革新的な教育をつくるために尽力し、長く市の教育を先導することになります。
図3 レッジョ・チルドレンに掲示されていた作品 レッジョ・アプローチのもっとも特徴的な点は、市内の21の幼児学校(3〜6歳)と13校の乳児保育所(0〜3歳)のすべてに美術の専門家「アトリエリスタ」を配置し、そのアトリエリスタを中心に各学校のカリキュラムを組み立てている点にあります。いずれのカリキュラムも造形的な活動を基礎に置き、これを発展させて「自然」や「社会」「言語」「音楽」「身体」などの認識へと広げていきます。子どもたちにとって描画活動は一つの言語として機能していると考えられ、「図像的言語」と呼ばれています。文字文化の定着していない幼児にとって、図像はもっとも率直に発することのできるコミュニケーション手段であり、造形活動は精神活動と身体活動が一体となった総合的な活動ということができるのです。レッジョ・エミリア・アプローチは決して狭義の芸術教育ではなく、子どもたちの認識や創造力を育む基礎に造形活動を位置づけているという点に留意してもらいたいと思います。子どもたちの素朴な作品はデザイナーの手を介して、洗練されたアートとなってわれわれの目に触れることになります。
図4 アトリエリスタのヴェア・ヴェッキ氏と(2010年) 2003年にレッジョ・チルドレンに訪問した折り、このアトリエリスタについていくつかインタビューをしています。アトリエリスタは美術の専門家であれば誰でも応募することができますが、採用後に教育学のトレーニングを受けなければならないとされています。アトリエリスタには伝統的な油彩画家もいればコンピュータ・グラフィックの専門家もいますが、彼らは表現形態すべてについて学び、それらをどう教育に生かしていくのかを研究します。近年表現形態が多様化し、アトリエリスタの研修にもダンスや演劇など様々な分野を取り入れるようになりました。アトリエリスタは意識の高い者が多いのですが、さらに常に自ら学んでいなければならない、と言っていました。近年では、小学校にアトリエリスタを配置する試みも行われていると言います。

 今回のOECDからの誘いは、EUの視察団に交じって、保育現場を実際に見られるというのですから、何があっても行かなければなりません。急遽調査チームを編成し、OECD東北スクールのサポートをしてくれている学生も加えて、イタリアに飛びました。

こどもしょくどう

(C)2018「こどもしょくどう」製作委員会

 映画のタイトルは、すべてひらかなだが、そもそも「子ども食堂」とは何か。「こども食堂ネットワーク事務局」の釜池雄高さんの書いた映画の資料にこうある。話は2012年8月に始まる。東京の大田区にある「気まぐれ八百屋 だんだん」の店主、近藤博子さんが、地元の小学校の先生から、「朝晩の食事がバナナ一本、という子どもがいる」と聞いて驚く。近藤さんは、「何か出来ないか」と考える。
 「だんだん」はもとは居酒屋だったから、台所はある。八百屋だから、食材がある。近藤さんは、恵まれない子どもたちに、安価で、食事を提供し始める。テレビや新聞で報道され、同じような試みが全国に広がる。支援する自治体が増え、昨年の3月末では、全国で2286ヵ所となり、いまでも増え続けているようだ。近藤さんの思いを尊重して、「子ども食堂」は、「子どもたちが1人でも来られ、地域の人たちが無料または低額で食事をふるまう場所」と、とりあえずは定義されている。
 映画「こどもしょくどう」(パル企画配給)は、「子ども食堂」がどのようにして出来るようになったのかを、食堂を営むある家族を中心に、フィクションで描いた映画だ。
 いじめにあう小学生がいる。学校に行けず、河原に停めた車で、父親と暮らす幼い姉妹がいる。保護者は、子どもたちに食事を作らない。映画は、こういった子どもたちの視点から、淡々と現実を提示していく。
(C)2018「こどもしょくどう」製作委員会 高野ユウト(藤本哉汰)は、小学校の5年生で、「あづま家」という食堂を営む両親と、妹のミサ(田中千空)との4人家族だ。ユウトは、幼なじみの大山タカシ(浅川蓮)と、補欠ながら、野球チームでも仲良しだ。行動ののろいタカシは、学校でも野球チームでも、いじめにあっている。タカシは、母親に育児放棄され、食事を作ってもらえない。そんなタカシに、食堂を営むユウトの父、作郎(吉岡秀隆)と、母の佳子(常盤貴子)は、いつも食事を振る舞っている。
 ある日、ユウトとタカシは、河原で車中生活をしている姉妹に出会う。ユウトは、自分たちのいつも食べている唐揚げなどを、姉妹に届けるようになる。お腹をすかした妹のヒカル(古川凛)は、ユウトの差し入れを屈託なく受け入れるが、ユウトと同じ年くらいの姉のミチル(鈴木梨央)は、どこか醒めている。
 姉妹の現状を見かねたユウトは、ミチルとヒカルを家に招き、両親の作ったトンカツやオムライスといった食事を食べさせてあげる。
 ユウトの両親は、役所に姉妹の保護を頼むか否かを議論し始める。突然、ミチルとヒカルの父親が姿をくらます。河原に停めてあった車は、もう乗れないよう、何者かに壊されてしまう。
 ふだんは、何事にもあまり積極的ではなかったユウトが、立ち上がる。ヒカルがふと漏らした言葉から、ユウトたちは、両親に内緒で、とんでもない行動に出るのだが。
 子どもたちの現実が、くっきり、丁寧に描かれる。ことさら涙をさそうような演出ではない。ミチルとヒカルの姉妹の現実を、微細に写しとっていく。子どもたちのやりとりを丁寧に切り取っているからこそ、その苦しみ、哀切さが、じわりと伝わってくる。
 「子ども食堂」が増えているのは、明らかに、子どもが貧困、つまりは両親が貧困だからだろう。政府は、隠蔽、改竄した統計で、好景気が続いていると言うが、とんでもない。統計などは、政府に都合のいいように改竄され、発表する。つまりは、いかようにも操作できる。
(C)2018「こどもしょくどう」製作委員会 大人たちは、ことに施政者たちは、幅広く、社会の現実、つまりは貧困の現実を見ていただきたい。ほんとうは、「子ども食堂」といった仕組み、施設が存在しない社会が、まっとうな、あるべき社会ではないか。
 一昔前とちがって、いまは地域社会全体が、恵まれない子どもたちに、手を差し伸べることが少なすぎる。なによりもまず、大人たちが、いまの子どもたちの現実に、気付かなければならない。
 優れた映画には、優れたスタッフが結集する。監督は日向寺太郎。黒木和雄監督に師事し、2005年に「誰がために」、2008年に実写版の「火垂るの墓」、2013年に「爆心 長崎の空」、2014年にドキュメンタリーの「魂のリアリズム 画家 野田弘志」などを撮っている。寡作ながら、いずれも気骨ある作風で、高い評価を得ている監督だ。
 撮影が、なんと大ベテランの鈴木達夫だ。1966年、黒木和雄監督の「飛べない沈黙」で長編映画デビュー。以降、日本映画の傑作を撮り続けている。子どもたちの、生き生きしたセリフに満ちた脚本は、「百円の恋」や「嘘八百」を書いた足立紳と、山口智之。編集は、やはり多くの優れた映画の編集を手がけている川島章正。
 ユウトのお母さん役、常盤貴子がいい。大衆食堂のおばさんといった役どころを、いきいきと演じる。また、子どもたちとの距離感が絶妙だ。じっさいに、いろんな裁判を傍聴している女優さんで、社会の底辺を見続けている。
 エンドロールに、俵万智の作詞した主題歌「こどもしょくどう」が流れる。「……食べることは命、食べることは温もり……」と。子どもたちの見た世界は、日本の貧困の現実である。では、おとなたちは、何をすべきなのか。映画を見るべきは、子どもたちに、命と温もりを与えなければならない、おとなたちである。

2019年3月23日(土)より、岩波ホール2週間先行ロードショー、ほか全国順次ロードショー

『こどもしょくどう』公式Webサイト

監督:日向寺太郎
原作:足立紳 脚本:足立紳、山口智之
撮影:鈴木達夫 照明:三上日出志
美術:丸山裕司 録音:橋本泰夫
編集:川島章正 音楽:Castle in the Air(谷川公子+渡辺香津美)
主題歌:「こどもしょくどう」 作詞/俵万智 作曲/谷川公子 編曲・演奏/Castle in the Air
出演:藤本哉汰、鈴木梨央、浅川蓮、古川凛、田中千空/降谷建志、石田ひかり/常盤貴子、吉岡秀隆
2018/日本/カラー/ビスタサイズ/5.1ch/93分
製作:パル企画/コピーライツファクトリー/バップ
配給:パル企画