学校支援ネットワークへの着目

icon_pdf_small「日文の教育情報 No.127」PDFダウンロード(344KB)

■ 子どもの進路意識への働きかけ

 講演が終わって、会場を出たとたんのことです。ばらばらっと、5、6人の女性が走り寄ってこられました。何か問題になることを話したのか。思わず身構えました。ところが、その女性からの言葉はまったく予想外のものでした。「私たちも同じ考えを持っていました。」
 改めて、声の主に注意を向けました。推定年齢60歳前後の活気にあふれた方々でした。
 「子どもたちが社会人になってからのことが気にかかっていたのです。」「私たちの携わっている活動の意義が確認でき、勇気がわきました。」
 口々に話されることをつなぎ合わせると、この方たちが、最近の子どもたちの進路意識に不安を感じ、様々な形で学校の進路に関わる体験活動を支援されておられることが把握されました。

■ 学校支援ネットワークの取組

 これは、東京のA教育委員会主催、学校支援ネットワークフォーラムでのことです。A教育委員会では、「学校支援ネットワーク事業」を主要事業として位置づけ、地域・職場体験活動、校内での各種体験活動、出前授業などの支援を行っています。冒頭の私の講演というのは、その実践報告、情報交流の結びでのまとめの話でした。参加者は学校関係者、学校支援に関わる企業・団体の方々、学校教育に関心のある地域住民でした。
 私は、その直前に、中・高校生の進路決定に関わるという経験を持ったのですが、とにかく目の前の選考の苦しさから逃れたいという意識が強く、その先の生き方、社会との関わりの中での自己実現といった考えは希薄であるという印象を持ちました。
 私は講演の中で、最近の子どもたちにおける進路意識の希薄さ、生きることに結び付く体験の貧しさにふれました。子どもたちがそのような課題を抱えるだけに、本日のフォーラムの趣旨である体験活動は、子どもにとって大きな意味を持っていることを話しました。
 そして結びとして、学校への支援に関する様々な活動は、学校教育活動の活性化に結び付くだけでなく、地域を活性化させ、地域の人々の生きがいづくりにも役立つに違いない、といったことを話しました。
 冒頭の方たちの、「私たちの携わっている活動の意義が確認できた。」「勇気が出た。」は、話のこの部分を受けてのものだったと思われます。

■ 進路意識の成熟への働きかけ

 子どもの進路意識の成熟は、その子どもが大人の働く姿にふれ、それをどう受け止めどう行動に結び付けるかということに強く関わっています。大人社会とのふれあいによって大人とは何かを考え、生きることの方向付けに目覚めます。価値ある体験の中で、認識し、感じ、考える中で進路意識は次第に成熟していきます。
 通常の学校生活の中では、こうした体験の場の設定が難しい。それだけに、支援を生かす教育活動の工夫が大切になっています。自校の教育活動にそうした価値ある体験、学習が多様に準備されているかどうか、まずは全教育活動を見直すことが大切になっています。
 以前本情報(No.121)で引用した、平成23年7月公表「学校運営の改善の在り方等に関する調査研究協力者会議提言」の「子どもを中心に据えた学校と地域の連携」の項では、次のように述べられています。
 「子どもの『生きる力』は、多様な人々と関わり、様々な経験を重ねていく中でよりはぐくまれるものであり、学校のみではぐくめるものではない。加えて、近年の社会の変化に伴い、多様化・複雑化するニーズに学校の教職員や行政の力だけで対応していくことは困難となっており、学校が地域社会においてその役割を果たしていくためには、地域の人々(保護者・地域住民等)の支えが必要となっている。」
 また、平成25年4月に公表された中央教育審議会答申「第二期教育振興基本計画」においても、社会的・職業的自立に向けた能力・態度の育成にふれる部分があり、小中学校において、教育活動の展開に際して、その基礎となる能力・態度の育成を視野に入れることが重要であると考えます。
 子どもの生きる力の育成を目指す学校の活性化は、学校内部の力だけでは十分な効果を上げ得ません。学校は、学校外にある多様な教育機能に着目し、ともに教育を推進し家庭・地域社会の信頼に応える学校づくりを目指すことが求められています。

日文の教育情報ロゴ

教育長の資質能力

icon_pdf_small「日文の教育情報 No.126」PDFダウンロード(327KB)

■ 教育再生実行会議

 教育委員会制度の見直しについてはこれまでもいろいろと話題になってきたところであるが、昨年8月の中央教育審議会答申「教職生活全体を通じた教員の資質能力の総合的な向上方策について」において、教員の資質能力向上に関しては大学における教員養成もさることながら、採用・任用・研修等々と採用後40年近くにわたって責任を負う教育委員会の責任の大きさが改めて指摘された。
 さて、教育再生実行会議であるが、先頃4月15日の「教育委員会制度等の在り方について」(第二次提言)において注目することに次のことがある。

①教育行政の責任体制を明確にするため、教育長を首長が直接任免すること。
②教育長に専門的識見とマネジメント能力に優れた者を充てることができるよう、現職の教育長や教育長候補者の研修など、「学び続ける教育長」の育成に国が一定の責任を果たす。
③県費負担教職員の人事権について、小規模市町村を含む一定規模の区域や都道府県において人事交流の調整を行うようにする仕組みを構築することを前提とした上で、小規模市町村等の理解を得て、市町村に移譲することを検討すること。
④指定都市の教職員の人事権者と給与負担者を一致させることを検討する。
⑤教職員の人事についての校長の権限を強化するため、市町村の教育行政部局は、校長の意向の反映に努めることとする。

 県費負担教職員の人事権の市町村への移譲については、平成19年の地方分権推進会議の勧告以来5年越しの課題であるが、教育委員会や教育長自身の反対で実現にはこぎ着けていない。すでに国民は5年も前から市町村教育委員会の自立を期待しているのである。人事権の移譲とは、言葉を換えれば、教育行政をそれぞれの自治体で責任を持つということである。何故進まないのか、何故反対なのか、そろそろ教育委員会や教育長自身が国民に説明すべきである。しびれを切らした地域が、学校支援地域本部やコミュニティ・スクールという方法で形を変えて教育委員会の自立や学校の自立を通して促しているといっても過言ではない。

■ 教育長調査

 さて、その教育長であるが、つい先日の調査で次のような結果が出た。
 一定の成果は一定の行動によってもたらされる。その行動は知識やスキルによって促される。その知識やスキルは特定の経験から得られる。その教育長にとって最も重要な行動は、課題に対し、対策を練る過程において、情報収集や分析などを行い、新たな施策を進めようとする行動をさす「対課題行動」と、教育行政を展開する上で、事務局等へのはたらきかけを行ったり、組織内外の調整を図りながら施策を進めようとする行動をさす「対人行動」から成り立つと言われていたが、「対課題行動」には変革から維持までの幅があり、「対人行動」にも統率から調整までの幅があることが分かった。
 「対課題行動」を横軸に、「対人行動」を縦軸にして現在の教育長のタイプを調べたら、変革・統率タイプが24%、変革・調整タイプが22%、維持・調整タイプが44%、維持・統率タイプが10%という結果が出た。
 この調査から分かったことは、まず人材タイプの多様性があることである。言い換えれば教育長の人材はかように豊かなのである。問題は、各自治体の教育長のタイプがどのようなタイプであるかでなく、各自治体の抱える教育課題と教育長のタイプがマッチしているかということである。変革の必要な自治体にマッチした教育長のタイプであるか、維持の必要な自治体にマッチした教育長のタイプであるかということである。このことは、教育長候補者への研修ということと考え方やイメージが一致する。また、長く教育長を続ける人は、その時々に自治体が抱えている教育課題に対して解決に必要な能力を獲得すべく研修や学びをしなければならない。このことは、現職教育長への研修ということと考え方やイメージが一致する。
 それにしても、第3の教育改革の時代と言われる現在に、維持・調整タイプが教育長の半数近くであることは注目したい。

日文の教育情報ロゴ

よい教師をつくるには

icon_pdf_small「日文の教育情報 No.125」PDFダウンロード(332KB)

■ 教師は現場で育つ

 団塊の世代が現役を卒業し、学校現場には若い先生たちが増えた。都道府県によって差はあるが、東京・大阪などの大都市圏では20代の先生が過半数を占める小学校もめずらしくなくなってきた。
 この波はやがて中学校・高等学校へも波及し、全国に広がっていくことは時間の問題となっている。
 好むと好まざるとにかかわらず、これからの教育は若い先生たちに託さざるをえなくなっている。
 平成24年8月28日、中央教育審議会は「教職生活の全体を通じた教員の資質能力の総合的な向上方策について」を答申し、教員養成を修士レベル化するとともに、教員を高度専門職業人と位置づけ、「教科や教職に関する高度な専門的知識や、新たな学びを展開できる実践的指導力を育成するためには、教科や教職についての基礎・基本を踏まえた理論と実践の往還による教員養成の高度化が必要である」とした。
 しかし、ここでいう「実践的指導力」とはどのような能力をいうのであろうか。
 教員養成大学や教職大学院のあり方も問われているところであるが、大学が実践的指導力をそなえた完成された教員を学校現場に送り込むことはできない。
 教師は現場で育つものだからである。
 逆に言えば、若い先生たちをしっかりと育てる力量をもった学校現場をつくることが求められている。

■ ある教育長の語り

 「うちの市では、毎年40~50人の新採の教員が入ってくるけれど、ここ3年間、一人もやめた先生がいません。それが自慢です。」
 「“近頃の若い教師は…”と不満や苦情を言う人も多いけれど、私らだって大学を出た頃は、いいかげんな教師だったですよ。今から思うと、恥ずかしいことがいっぱいありましたよね。それを先輩たちが鍛えてくれた。若い者同志で競争しながら頑張った。だから今日があるわけで、若い先生たちはいいですよ。学校が明るくなる。子どもたちが元気になりますからね。」
 私は彼に「教育長さんが自慢できるようになるのには、いろんな取り組みや工夫をしているからでしょ、どんなことをしているの?」と聞いてみた。
 「力を入れていることが三つあります。一つ目は、毎年3月のはじめに、府教委からうちの市に配当される教員が決まるでしょ、そしたら、すぐその子らを集めて、まだ、どこの学校に赴任するかは分からないけれど、うちの市の学校の様子や子どもたちの様子を見て、一緒に遊んだり、先生のお手伝いをして学校現場を肌で感じてくださいと言うんです。この頃の子は真面目だから、まず全員参加しますね。
 二つ目は、4月になったらグループを組んでもらって、若い者同志の勉強会を学校をこえて月一回やるように指導しています。これはもう10年以上続いてますけど、最初の子らが、もう市の指導主事になったりしてますよ。若い者同志のつながりや切磋琢磨し合ってくれるのがねらいです。
 三つ目は、これが一番大事ですけど、学校の職場の雰囲気づくりですよね。若い先生たちを温かく迎えて、仲良く話しかけ、励ます教職員集団ができている学校の先生はやめません。まず校長・教頭に言ってるのは、若い先生を学校の運動会や児童会、生徒会の行事の責任者にして、先頭に立ってやってもらえと、そのかわり、つぶさないようにベテランの先生が、しっかり応援することを指示しています。誰だって、“やったあ”という達成感を味わったらやる気が出ますよね。」

■ 最初の学校で将来が決まる

 この教育長さんの新採の先生たちを見る目が、上から目線でなく、歓迎と期待にあふれた温かい目差しであるのが、学校現場にも伝わっているのだろうと感じた。
 管理職や新採を指導する先生たちも、教育長と同じ気持ちで接しているに違いない。
 こちらがどう思っているかという気持ちは、必ず相手には伝わる。まず、職場のみんなが「よく来てくれました」という空気が大切である。
 新採の教員にとっては、最初に赴任する学校に、すごい先輩がいて、授業のやり方も学級経営についても、思わずマネがしたくなるような人にめぐまれるかどうか、若い者同志が何でも相談し合える仲間であるかどうかが、その人の一生を決めると言っても過言ではない。
 もう一度、確認しておきたい。
 「よい教師は学校現場がつくる」ということを。

著者経歴
元 大阪府堺市教育長
元 大阪府教育委員会理事 兼教育センター所長
元 文部省教育課程審議会委員
日文の教育情報ロゴ

求められる言語環境の点検

icon_pdf_small「日文の教育情報 No.124」PDFダウンロード(346KB)

■ 気になる掲示物、言葉遣い

 研究会などで学校に寄せていただいた折、気づかされることがあります。廊下や教室の掲示物、あるいは教師と子ども、子ども間の言葉遣いの学校差です。
 まず、掲示物。教室から廊下の隅々まで、子どもにとって役立つ情報、子どもの活動に働きかける掲示が様々に工夫されている学校があります。その一方で、いつ掲示されたものか、そこここで日焼けした掲示物が半ばめくれて垂れ下がっているのを目にしたことがあります。どうかすると、掲示板そのものが鋭い刃物で傷つけられ、そのまま放置されていることもありました。
 次に言葉遣い。つい先日のことです。「てめえ、ふざけんなよ。」「このやろう、ぶっとばすぞ。」過激な言葉にぎょっとなって声のするほうを振り返ると、ごくあどけない顔立ちの子どもたちがふざけあっていました。
 そういえば、話し方教室の出前授業講師として中学校を訪れた方が、こんなことを話しておられました。何でも、授業直前、教室の中に入って準備をしているときだったそうです。担任の先生が廊下に顔を出し、遅れてくる生徒に大声でこんな注意を与えたというのです。「馬鹿やろう。何ぐずぐずしてるんだ。走れ。話し方の講師はもう教室に来てるんだぞ。」これから話し方教室を始めようというところだっただけに、複雑な気持ちを抱かされたということでした。

■ 言語環境に関する基本とは

 言語環境に関し、子どもの学習意欲への働きかけ、言語活動への配慮が隅々にまで行き届いている学校がある一方で、首をかしげる場合があることは確かです。学校全体の言語環境は、様々な形で子どもの学習活動や言語活動に影響を与えます。そんなことは分かりきったことのように思われます。しかし、その理解が必ずしも実際の取組と結び付いていないことがあります。
 対応の基本を確認しておきます。
 「小・中学校学習指導要領解説[総則編]」(小学校平成20年8月東洋館出版社発行、中学校平成20年9月ぎょうせい発行)、第3章第5節の1に、「児童(生徒)の言語環境の整備と言語活動の充実」として基本的な内容が明示され、整備の例として次のことをあげています。

①教師は正しい言語で話し、黒板などに正確で丁寧な文字を書くこと。
②校内の掲示板やポスター、児童生徒に配布する印刷物において用語や文字を適正に使用すること。
③校内放送において、適切な言葉を使って簡潔に分かりやすく話すこと。
④適切な話し言葉や文字が用いられている教材を使用すること。
⑤教師と児童生徒、児童生徒相互の話し言葉が適切に行われるような状況をつくること。(以下略)

 子どもは授業中の板書や掲示物、日常の様々な言語活動から影響を受けています。教師の説明や説話、様々な会話から話し方を学んでいます。子どもの言語活動をより適正にするためには、学校全体の言語環境の整備が求められます。
 教師は授業中の内容には様々に留意します。しかし廊下の掲示板、日常の言葉のやり取りに関してはついつい意識が薄くなることがあるようです。注意を行き届かせるためには、学校全体の言語環境の点検と指導体制の整備が重要になります。

■ 点検に際しての留意点

 学校の言語環境は、次のように整理して捉えることができます。

[物的環境]
黒板、電子黒板、掲示板、図書室、情報・視聴覚機器、テレビ、新聞など
[人的環境]
板書・掲示板などの文字、教師や子どもの話し方、校内放送、図書の活用、情報・視聴覚機器の活用、新聞・文集づくりなど

 全校の言語環境ということでは、これらの全体を視野に入れ、授業、児童会・生徒会、委員会活動などの指導の機会を整理して捉え、何に重点を置き、どう環境整備を進めるかを明確にすることが大切です。
 留意したいのは、ただ形を整えればよいということではなく、子どもの言語活動に働きかけ、子どもの適正な言語活動に機能するように工夫するということです。特に日常の言葉遣いは、子どもたちの豊かな人間関係、望ましい集団の形成にも深いかかわりがあります。細かい配慮が求められます。
 まずは整備の内容を明確にし、全教師によって自校の実態を点検することが大切です。その上で、企画委員会、学年会や関連する研修会などにおいて協議の機会を設定したいものです。その際に先の学習指導要領解説の関連部分を参考資料とするなどして、指導の留意点、工夫・改善の重点について話し合い、子どもたちに働きかける言語環境を実現することが望まれます。

日文の教育情報ロゴ

カリキュラムの構成原理

icon_pdf_small「日文の教育情報 No.123」PDFダウンロード(346KB)

 日本では学習指導要領で各教科の目標や内容が定められている。それはどのようなことを基盤にして検討されるのであろうか。筆者は近年、それをカリキュラムの構成原理として、いろいろな場で提言してきている。学習指導要領のより深い検討を期待して、ここでもそれを紹介してみたい。

■ カリキュラムの構成原理

 カリキュラムの構成原理は多々挙げられるが、教育目的、内容編成、指導方法に分けて考察するのが分かりやすい。

◇教育目的に関する原理
 教育の目的を基盤にして、次の三つに整理できる。
A1.人間主義:人間形成を第一の目的とし、人格の陶冶、諸能力の形成、情意面の育成等を目的とする立場
A2.実用主義:実用性を第一の目的とし、日常生活や職業、社会の発展等に役立つことなどを目的とする立場
A3.文化主義:教育内容や学問の享受、継承、発展などを第一の目的とする立場
 上記の三つは共存的である。そこで、カリキュラムの構成においてはそれらをどのようにウエイトづけするかが問われる。

◇内容編成に関する原理
 教育内容の選択・配列については、互いに対立する原理を組みにして整理すると、主に次のものが挙げられる。
B1.系統主義vs経験主義
 系統主義:親学問の系統性を重視する立場
 経験主義:子どもの生活経験を重視する立場
B2.知識主義vs思考主義
 知識主義:知識を重視し、多くの知識を内容とする立場
 思考主義:内容は少なくし、思考の育成を重視する立場
B3.歴史主義vs現代主義
 歴史主義:親学問の歴史的発達順序を重視する立場
 現代主義:親学問の現代的な成果の反映を重視する立場
B4.集約主義vs螺旋主義
 集約主義:内容をまとめて指導することを重視する立場
 螺旋主義:内容の質を変えた繰り返し的指導を重視する立場

◇指導方法に関する原理
 学習理論や認識論を基盤にして、今日では、次の四つを主要な原理として挙げることができる。
C1.連合主義:連合説を基盤とする立場
C2.認知主義:認知説を基盤とする立場
C3.構成主義:構成主義を基盤とする立場
C4.状況主義:状況論を基盤とする立場

■ 構成原理に基づく学習指導要領の考察

 次に、上で整理したカリキュラムの構成原理に基づいて、戦後の特徴ある学習指導要領を分析・考察してみよう。
 まずは生活単元学習時代(1947~1958) である。このときは「生活をよりよくする」ことを最大の目標として、生活経験を軸に内容が編成された。したがって、目的は実用主義、内容編成は経験主義を基本原理としていた。方法は子どもによる実際生活と関わりある活動や経験を重視していたので、今考えると状況主義を主としていたと言える面がある。
 次は現代化時代(1968~1977) である。このときは「学問の現代的成果を教育に活かそう」がスローガンだった。したがって、目的は文化主義、内容編成は現代主義、系統主義である。方法はピアジェ理論が基盤とされたので認知主義である。
 最後は先の厳選化時代(1998~2008) である。このときは「生きる力」の育成が目的とされた。これはその中身から、目的原理は人間主義である。その下で、内容編成として、思考主義、集約主義が採られた。方法は構成主義、認知主義である。

■ 全国レベルのカリキュラムに求められるもの

 上記の三つの時代の教育、とりわけ算数・数学教育はいずれも学力低下などをもたらし、大きな批判を浴びた。それらの学習指導要領は理念的には意欲的な改訂であったけれども、実践的にはいずれも失敗と言わざるをえない。同じことを繰り返さないために、原因の考察は重要である。マクロ的に言えば、一つの原理を重視しすぎた、極端な改訂、大幅すぎる改訂であったことが指摘できる。それが全国レベルのカリキュラム改訂に適していないことについては下記のような理由が挙げられる。
 一つには子どもたちは本当に多様で様々な能力を有しており、一つを強調しすぎるとそれに合わない子どもたちが勉強嫌いや学校嫌いになってしまうことである。二つには、先に示した原理はいずれも重要で意義ある考えを掲げており、それらには対立するものもあるけれども、一方を重視しすぎるのではなく、できるだけ調整し、それぞれのよさを活かしてカリキュラムを構成することが全国的レベルのカリキュラムには求められると考える。三つには、全国レベルのカリキュラムには多くの教師、子どもそして保護者が関わるので、その多くの者に大幅な改革の理解や実践を短期間で求めることには無理が生じることである。
 上記のことから、全国レベルのカリキュラム改革はいろいろな原理を可能な限り、調和・調整し、漸進的に進めていくことが重要と考える。

日文の教育情報ロゴ

生き方のモデルは長嶋か野村か

icon_pdf_small「日文の教育情報 No.122」PDFダウンロード(327KB)

■ なぜ長嶋学をはじめたか

 私は2003年から大学のゼミで「長嶋学」を立ち上げ研究してきた。今年度その最後の仕上げとして、長嶋と野村の比較を調査した。
 その成果の一端を紹介する。
 長嶋学をはじめたきっかけは、長嶋の生き方が日本人の生き方のモデルになりうるか、を確かめたかったことである。
 戦後の日本人を勇気づけた人は力道山であり、美空ひばりであり、石原裕次郎であり、そして最近亡くなられた大鵬であり、長嶋茂雄である。
 日本人、とりわけ青少年に夢と希望を与え続けた長嶋茂雄を今の青少年達はどう評価しているか、を調べようとした。そのことによって、長嶋が青少年の生き方のモデルになっているか、確かめられると思った。

■ 長嶋VS野村調査で何が分かったか

 長嶋に関する調査は2003年、病気をした後の2008年、そして今回の2012年の三回行った。
 長嶋と野村の対比をトコトン調べた。調査対象は大学生775名である。調査方法は次のような形をとっている。
 長嶋VS野村―どちらが尊敬されているかと尋ね、具体的には①○○記念館を建てるなら、②たたえて銅像を建てるなら、③国民栄誉賞を与えるなら、④教科書に載せるなら、どちらを選ぶか答えさせる。
 「尊敬」では記念館、銅像、国民栄誉賞、教科書のどれにおいても長嶋を選択する者が8割を占める。野村がまさったのは「人生相談をするなら」(53.5%)「仕事の相談をするなら」(51.3%)であった。
 「どんな職業に向いているか」でも同じ結果になっている。
 長嶋に向いている職業は「小学校の校長」(81.1%)、「生徒会長」(75.5%)、「校長」(69.1%)である。一方、野村に向いているのは「仕分け人」(65.0%)、「高校の教師」(77.0%)、「社長」(63.8%)である。
 その他、「どちらが弱者を勇気づけるか」でも長嶋に軍配があがる。例えば、病気と闘っている人に「私と一緒に希望を持って闘いましょう」という電話ボイスで効き目があるのはどちらか、と尋ねている。

■ 長嶋海洋民族、野村農耕民族を引き継ぐ

 このように学生は具体的な問題に対する対比では野村より長嶋を支持している。
 ところが、長嶋、野村はスターですか、長嶋、野村は好きですか、という質問では興味深い結果が出る。
 「長嶋が好き」は84.0%、「野村が好き」は78.3%。野村もけっこう好かれている。そして、「長嶋がスター」は96.2%、「野村がスター」は67.4%。長嶋ほどではないが、野村も7割近くにスターと思われている。長嶋と共に野村も学生から好かれており、スターだと思われている。
 そこで、長嶋と野村の「両者が好きな」群と長嶋は好きだが野村は嫌い「長嶋大好き」群、長嶋は嫌いだが野村好きな「野村大好き」群、そして両方とも好きでない「無関心」群に分けてみた。
 数値は次のようになる。「両者が好き」73.1%、「長嶋大好き」11.3%、「野村大好き」5.2%、「無関心」10.4%。長嶋と野村が好きな者が7割を超えたのは意外であった。
 長嶋は「ひまわり」で記憶の人といわれる。野村は「月見草」で記録の人といわれる。
 長嶋は海洋民族のDNAを引き継いでいる。漁師は、「明日」ではなく「今」に生きる。そして、漁場の穴場は記録に残さない。息子に「あの山とあの山の」間に網を打て、と口伝で伝える。記録に残すと他人に穴場が伝わる危険性がある。
 長嶋の打撃指導は「来た球をバシーと打て」と身振り手振りのパフォーマンスで伝授する。口より身体で伝えようとする。ビデオより「生」(ライブ)を重要視する。
 それに対して、野村は農耕民族のDNAを引き継いでいる。「今」より「明日」を考えて生活する。春には種を蒔き秋に収穫する。あの畑は輪作は無理だ、という「記録」を残す。
 野村の指導は「ID野球」と呼ばれる。データを重要視する。ボールカウントにこだわる。打者とピッチャーの相性にこだわる。常に記録を頭に置いて作戦を練る。
 45才以上の人達は、たぶん長嶋派と野村派に分かれるだろう。今の学生達は具体的な評価は別にして、生き方をトータルに見たとき、長嶋派と野村派は共存する。
 メディア社会を生き抜いてきた学生達は多次元の価値を併存させている。というより、どちらもOKで共存・共有させている、というのが実情のようだ。新しい若者が出現しはじめている。

日文の教育情報ロゴ

地域連携を重視する学校運営

icon_pdf_small「日文の教育情報 No.121」PDFダウンロード(327KB)

■ 地域の重要性の再確認

 学校外部評価委員、あるいは学校運営協議会委員として様々な角度から学校に関わる機会を得て、改めて学校・家庭・地域の信頼関係に大きな意味のあることを確認している。
 一つには、子どもの抱える問題、学校が直面する課題が多様化する傾向にあって、課題解決には家庭・地域との緊密な連携が欠かせないからである。
 次にあげられるのは、第一の理由と重なって、地域住民・保護者が積極的に学校に協力することによって特色ある教育活動の充実・活性化が図られるからである。
 例えば、私が学校運営協議会委員として関わっている、東京都のA小学校においては、運営協議会が家庭・地域の様々な意見を学校運営に反映させるだけでなく、職場体験や全校マラソンといった行事に協力し、さらに学校支援本部が主体的に多様な子どもの活動の企画、展開に機能し、実際の支援を行っている。
 また、B中学校では「○○中学校おやじの会」「学区内町会・自治会」「PTA OB会」などを母体とする学校応援団の組織という形で連携体制・支援本部を構築し、地域の意見・要望を学校に伝え、同時に学校行事、生徒会行事などを支援している。
 そこで展開される諸活動を通じ、地域に潜在する教育力の大きいこと、地域の方々の中にある子育てへの思いの強さを知らされた。諸活動の積み重ねによって家庭・地域の願いが学校の教育活動に反映される。見守られ、支えられることが子どもの活動に活気を与え、指導に当たる教員の指導を活性化させるのである。
 さらに、共感的に学校が直面する課題の難しさ、積み重ねられている努力を理解し、単に見守るだけではなく、それぞれの役割を果たそうとするようになる。そのことが教育機能を高めることとなり、学校の過剰な役割の改善につながる面を持つことも見逃せない。

■ 学校運営改善に関する報告書

 教育目標の実現を効果的に進めるためには、学校だけの力では難しくなっている。学校運営の展開には、保護者や地域と信頼関係を築き、地域を巻き込んで活動を展開するという発想が欠かせなくなっている。
 平成23年7月に公表された、学校運営の改善の在り方等に関する調査研究協力者会議報告書「子どもの豊かな学びを創造し、地域の絆をつなぐ~地域とともにある学校づくりの推進方策~」の冒頭には、次のように示されている。
 「近年、『新しい公共』という概念が打ち出される中で、保護者、市民としての子育てや学校の関わり方について、社会の意識変化が生まれつつある。」
 特に注目されるのは、「子どもを中心に据えた学校と地域の連携」の項で述べられている次の部分である。
 「子どもの『生きる力』は、多様な人々と関わり、様々な経験を重ねていく中でよりはぐくまれるものであり、学校のみではぐくめるものではない。加えて、近年の社会の変化に伴い、多様化・複雑化するニーズに学校の教職員や行政の力だけで対応していくことは困難となっており、学校が地域社会においてその役割を果たしていくためには、地域の人々(保護者・地域住民等)の支えが必要となっている。」
 改めて考えてみると、現代の子どもと地域における様々な人との関わりは非常に乏しくなっていることに気づかされる。子どもにとって、社会性の獲得、自己指導力の育成は重要な課題であるが、これは学校内の教育活動だけでは難しい。学校を開かれたものにし、家庭・地域からの活力を得ることが必要になる。

■ 学校段階を超えた子どもの育ち

 ここに引いた報告書が述べるように、子どもの育ちは各学校単位で収まるものではない。地域における子どもの育ちは、個々の学校や学校段階を超えて捉えていくことが必要になっている。
 これは当然の認識なのだが、実際には学校の教育活動が学校内、教室内に限定されている場合があり、全人的な「生きる力」育成の課題になっている。
 まずは学校と家庭・地域の間で、どのような子どもを育成するのか、何を実現することが求められているのか、目標を共有することが求められる。
 これからの学校運営については、こうした考えを十分に生かし、地域の人々の学校運営への参画などについても視野に入れ、全教職員の共通認識の下で開かれた教育活動を展開することが課題になっている。
 その第一歩として、例えば、ここに引いた報告書の重点になる部分を資料にするなどして、目指すべき学校運営の在り方について全教職員の間で十分に話し合い共通認識を有することが強く望まれている。

日文の教育情報ロゴ

博物館における教育

icon_pdf_small「日文の教育情報 No.120」PDFダウンロード(330KB)

■ 博物館教育を中心とした博物館経営

 博物館は、資料の収集、保管、展示、調査研究をすることを目的とした機関であり、実物資料を通じて人々の学習活動を支援する施設としても、重要な役割を果たしている。
 当協会は、宮崎市の博物館類似施設(人文科学系3館、自然科学系2館及び文化施設1館)を、市条例に規定されている設置目的及び事業内容に則り、指定管理者制度により管理運営している公益財団法人である。
 博物館経営とは、博物館がまちづくり、人づくりという公益的なミッションを遂行する機関としての役割を含む概念と捉え、博物館教育を中心に据えた博物館経営の在り方について、「学校・地域との連携」「資質向上」をキーワードに整理する。

■ 博学連携の推進

 博物館の取扱いについて学習指導要領では、「連携、協力を図りながら、それらを積極的に活用するよう配慮すること。」(小・理)等、博学連携の推進を求めている。
 しかし、博物館における学習活動を配慮した教育課程の編成・実施が十分なされるまでには至っていないのが現状と思われる。
 博学連携の阻害要因の一つに地理的・経済的側面から既に指摘がなされているが、昨年度開催された「博学連携ワークショップin宮崎」において「同じ展示物を見ても、博物館関係者と学校関係者では視点が違うことを相互理解しなければ博学連携は広がらない」こと、そのためには、博物館を関係者が「科学的見方や考え方を楽しむ場」として捉え直すことが重要であることが指摘されている。(「日本理科教育学会第62回全国大会」)
 当協会では、「視点の違いの相互理解」を目的に、学習指導員(退職教職員)や市教委指導主事の指導でTIMSSやPISAの課題を用いて、学習指導要領に示す学力観についてワークショップを行い、各施設の展示物の展示の仕方や説明方法について子どもの視点(学習内容、生活体験)から見直しを行った。見直した展示物と学習指導要領の関連性を示した「授業に使える展示物-学校での利用ガイドブック」を作成・配布することで博学連携を推進している。

■ 地域との連携

 博物館の役割の一つに、地域活動への「関わり」があると考える。まちづくりにおける課題解決において、博物館の存在意義や活動の重要性を地域住民に向けて発信していくことが重要である。
 当協会が管理運営している施設では、地域住民や退職教職員(JSCジョイフルサイエンスクラブ等)にボランティアとして古文書解読の講師、展示物の案内・説明、イベントの運営、学習活動の支援等の活動や講座の実施などに参加していただいている。博物館の活動に地域住民が専門的な技術や知識の提供者として主体的に関わりを持ってもらうことは博物館にとっても活動内容の充実となる。
 また、このような博物館ボランティアの活動は地域にとっても地域の文化力、教育力の向上につながるものであり、自立した地域社会の形成(「知の循環型社会」)を目指した活動と言える。
 今後、地域住民が持っている知識や情報を取り入れて地域や各種団体と協働で事業を開催することは、博物館経営にとって重要と考える。

■ 体系的な研修計画

 博物館はそのミッションやビジョンを達成するために、博物館が持つマンパワーを含めたさまざまな経営資源を最大限に活用して、教育機能を提供することが必要である。
 当協会では、事業の充実を図り適切な事業を展開するため「研修計画-公益目的事業を推進するための人材の育成」を策定している。
 「研修計画」を体系的なものにするため、《求める職員像》(①サービス提供のできる職員、②施設の効用を最大限に発揮できる職員、③チャレンジできる職員、④コミュニケーション能力のある職員、⑤専門能力のある職員)と《研修内容》のマトリックスで具体的な《研修項目》を設定している。
 このことは、職員に《求める職員像》の視点から自己評価し、内省的思考を経て主体的に《研修項目》を選択していくことを求めていることになる。
 また「研修計画」は固定的なものでなく、P-D-Sの評価サイクルによって適宜見直しながら、より有効で計画的な研修体系に改めるものと考えている。

 博物館と学校・地域との相互の関わり合いは、今後も博物館教育として継続・発展するであろう。博物館が行う教育活動は、地域社会に対して「公共の場」としての博物館の存在意義を示すことでもあると考える。

日文の教育情報ロゴ

若い先生たちに言いたいこと

■ その1 パソコンではなく先輩に相談しよう

 小学校の女性教頭さんが言いました。
 「先生、この頃の若い先生はパソコンから指導案を引っぱり出してきてスマートにまとめる人が多いんです。先輩に聞こうとしないんですよ。」「授業というのは生き物だから、子どもたちのことを知っている先輩と相談して、きっとこんな反応が返ってくるよ、とか、これはあの子はわかってくれるかな? とか想像しながら指導案って作るものですよね。」「パソコンの通りにいかなくなって、授業がうまくいかない若い先生が多いんです。」
 そこで私は、「あんたの学校には、若い先生たちが相談したくなるような先輩がおらんのと違うか?」とは言わずに、「この頃の若い先生は、すぐ情報機器に頼るよね。人とつながるコミュニケーションをとるのが面倒くさいのか、パソコンと相談するのが気楽でいいと思っているんやろね。」と答えました。
 そこで一言 「若い先生たち、パソコンでなく先輩から学べよ!」

■ その2 名刺ぐらい持っとけ!

 大阪のある幼・小・中連携に取り組んでいる中学校区の先生たち5人が、大学の私の部屋に講演の打ち合わせに来てくれました。
 「一中の○○です。」「××小の○○です。」「△△小の□□です。」「○○幼稚園の××です。」「××幼の○○です。」
 一人ずつ立ったまま自己紹介してくれました。
 私は自分の名刺をそれぞれに渡したあと、「5人もいっぺんにおぼえられへんなあ、名刺ぐらい持っとけ!」と言ったあと、「どうぞ、まあ座って…。先生というのは名刺持ってない人多いなあ、社会人になったらたいていの人は名刺持ってるやろ、これは先生という立場の人たちのう・ぬ・ぼ・れ・と思うで。
 “どうぞよろしくお願いします”という気持ちで名刺を出してご挨拶する習慣がないからなあ。“先生である俺の名前ぐらいおぼえとけ”と思ってるから名刺作らんのかねえ。『教師の常識は世間の非常識』と言われることのひとつやろ。それでは地域の人たちと謙虚につながって開かれた学校づくりなんて、できっこないよ。」
 「幼小中連携の一番大切なこと何か知ってる? 幼小中連携と言えば、①段差の解消、②学力向上、③地域とのつながり、とか普通は言うやろ? そんなの立て前や。一番大事なことは先生どうしが仲良くなることやで。小学校の先生が道で中学校の先生に出会った時、
“○○ちゃん、この頃ちゃんと学校に行ってますか?”
“大丈夫ですよ、元気に来てますよ!”
“よかったあ。よろしくお願いします。”
というような、気になる子どもの話がいつでもできる先生どうしの関係をつくることが連携やで。教育は人なりって言うやろ、一度幼小中の5校園の先生が集まって、名刺の交換会から始めたらどうですか。」と言いました。
 そこで一言 「若い先生たち、名刺ぐらい持っとけ!」

■ その3 教育は「熱と涙」

 若い先生たちの感度は良好です。
 この夏休みの終わり頃、若い先生たちに講演する機会がありました。私は以下のような話をしました。

・教育は「熱と涙」学校なんて「教師次第」。
・子どもは環境によってつくられる。人は環境を変えることができる。
・受け身でなく、攻めの仕事を。
・子どもが心から血を流しているかどうかは心でしか見えない。教師がそれを感じとれる人権感覚を。
・たくさんの人が集まる行事やセレモニーよりも、一人の困っている子どもを支える家庭・学校・地域の取り組みが大事。

 真面目だけど言われたことだけ、受け身、無理しない内向きな若者が増えていると言われている。
 学校の先生たちも例外ではない。目の前の仕事をこなすのに精一杯の多忙な生活を送っている人も多い。
 若い先生たちが、前向きに熱い思いをもって、子どもたちと一緒に涙できるように、必死で取り組んで欲しいと願って語った。
 後日、先生たちが一枚のポスターを持って来てくれた。
 「先生の言われたフレーズを、写真入りのポスターにして、皆が目につく場所、印刷室の壁に貼っています。」
 「やる気をだして、頑張ってます。ありがとうございました。」
 そこで一言 「教育は熱と涙やで!」

著者経歴
元 大阪府堺市教育長
元 大阪府教育委員会理事 兼教育センター所長
元 文部省教育課程審議会委員

日文の教育情報ロゴ

なぜ、学校を開かねばならないか

開かれた学校の効用

 学校開放は早くから指摘されている。学校だけで教育を自己完結する時代ではない。学校と地域がお互いにパートナーシップを持ちながら教育をすすめる時代に突入している。
 しかし、この学社連携は今ひとつ進んでいない。それはなぜか。学校と地域が連携することでどんなメリットがあるか、の実証的なデータの積み重ねが少ない。
 人々を動かすにはエビデンス(証拠)が必要である。観念では人は動かない。事実にまさるものはない。今回はうまくいっている数少ない学社連携の事例を紹介する。

1)被災地での学校支援地域本部の役割

 3・11の大震災で得た教訓の一つが地域の教育力の育成である。これまでの地域ネットワークづくりが効果をもたらしたケースである。宮城県の仮設住宅での話である。
 避難で混乱した状況の中では当然かもしれないが様々な苦情が行政に向けられたそうである。その中で、比較的苦情が少なくみんなで協力し助け合った地域とそうでない地域があった、という。
 その違いはどこから生まれたのだろうか。社会教育主事の話では、学校支援地域本部を設置していたところでは苦情が少なかった、という。
 学校が日常的に開かれており、住民同士が顔見知りになっている。率直に話ができ気疲れが少ない。そして世話役のコーディネーターが人々の要望をくみ取り、行政に伝えていく。住民と行政の間のパイプが詰まっていない。
 学校支援地域本部で培われた人間的なネットワークが危機的な場面で、ギスギスした人間関係を緩和させた、というのである。

2)木更津市の学校支援ボランティアの10年間の成果

 木更津市は学校支援ボランティアを始めて14年がたつ。そして、全国的な規模でボランティア交流会を始めて9年となる。
 この市の特徴は小中学校31校全てで学校支援ボランティアを行っている、ということである。各学校にボランティア担当教師とコーディネーターがいる。ボランティアの登録人数は1800人を超えている。
 この木更津市の学校支援ボランティアはどんな教育的な効果をもたらしているのだろうか。市の教育委員会が平成14年度から平成23年度の10年間における小、中学生の規範意識の比較調査を行っている。
 規範意識では、例えば「髪の毛を染めて学校に行くことはやめた方がよい」や「まわりの仲間に悪いことをさそわれても絶対やらない」や「地面に座り込むことはやめた方がよい。迷惑だ」に対する肯定的な意見が、10年間で15%近く数値が伸びている。児童・生徒たちの規範意識が高まっている。
 その要因は何か。規範意識を高めている要因を見るとベストスリーは、次の項目である。 

・一位「よく話をする教師の数が多い」
・二位「読書数」
・三位「ボランティアの目撃体験」

 一人の教師だけとの関わりより、複数の教師の関わりが規範意識を高める。これは人間関係を深めるからであろう。
 読書も効果がある。これも納得ができそうである。興味深いのは、三位にあがってくるボランティアをする人や行動の目撃体験である。学校の中にボランティアの人が多く出入りし始めると、子どもたちの規範意識が高まるのである。これは貴重なデータである。
 ボランティアの人達は「第三の大人」である。子どもたちにとって見知らぬ人か知っていても直接的に関わらない人達である。
 親戚のいとこと同じ「ナナメの関係」である。学校社会は「タテとヨコ」の関係が強い。ナナメの関係であるちょっとした「外の目」を受け入れることで、子どもたちの中に善悪の価値判断が芽生えるようである。
 今の子どもたちが出会う大人は第一の大人といわれる親か、第二の大人といわれる教師が大半である。第一と第二の大人との関係はいうまでもなく「タテの関係」である。濃密だが、あるときはギスギスしかねない。ゆるやかな人間関係を維持するのが難しい。
 それに対して、ボランティアの人達の「目」は子どもたちにとってほどよいスタンスに映るのであろう。
 また、ボランティアの「目」は小学生より中学生の方がより効果的である。中学生にとって「第三の大人達」は彼らの行動を規制するのであろう。
 開かれた学校を一層進めるには、地域のネットワークづくりが欠かせない。それは多くの人の温かい「目」を用意することである。

日文の教育情報ロゴ