禁じられた歌声

(C)2014 Les Films du Worso (C)Dune Vision

 映画の舞台は、アフリカのマリ共和国の世界遺産ティンブクトゥの近くである。多くの家族が平和に暮らしている。この平和な場所が、イスラムの過激派に占拠される。過激派の兵士たちは、勝手にいろいろな法律を作り、住民の自由を束縛する。唄うこと、笑うこと、サッカーなどを禁止する。

(C)2014 Les Films du Worso (C)Dune Vision

 「禁じられた歌声」(レスぺ・配給、太秦・配給協力)は、今年の6月に開催されたフランス映画祭で上映された。いちはやく見て、深く心が震えた。世界のほんの一部の場所ではあるが、ここには、人間の尊厳、自由を束縛する現実があり、抑圧された人たちは、出来うる限りの抵抗を示そうとする。
 砂丘のある美しい街である。幼い少女のトヤ(レイラ・ワレット・モハメド)は、優しい父キダン(イブラヒム・アメド・アカ・ビノ)と、美しい母サティマ(トゥルゥ・キキ)と、牛を飼ったりして、貧しいけれど幸せに暮らしている。そこに、イスラムの過激派の兵士たちがやってくる。自由を束縛された人たちは、ささやかな抵抗を試みる。兵士の難癖に、堂々と抗議する女性がいる。隠れて音楽を奏でる。少年たちは、ボールがないのにサッカーをしているふりをする。例外は、心を病んだ女性で、顔を隠すこともなく派手なドレスで街なかを歩き回る。弾圧が増していく。ある女性は、禁止された手袋をしただけで、ムチ打ちの刑を受ける。痛みをこらえて女性は、苦しい声で唄い始める。

(C)2014 Les Films du Worso (C)Dune Vision

 トヤの一家は街はずれに避難しているが、兵士がひっきりなしにやってくる。一家が飼っている牛の一頭が、川で漁をしている漁師の網をひっかけたことから、牛は漁師に殺されてしまう。銃を手にしたキダンは、妻サティマの説得を押さえて、漁師のもとに向かう。漁師と言い争ううちに、キダンの銃が暴発し、漁師が亡くなる。キダンは逮捕され、侵略してきた兵士たちによって裁かれようとする。
 ごく一部ではあるけれど、いまの世界の現実を、的確に、静謐に描ききった作品と思う。ジハード(聖戦)の名のもとに、殺戮を続ける兵士たちを、ことさら悪と決めつけていない。
 兵士たちとて人間である。同じイスラム教信者に禁止したサッカーの話題で盛り上がることさえある。暴力を否定し、愛と祈りを説く信者には、一言も逆らえない。
 この映画は、多くの問いを突きつける。ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、そのルーツは同じである。なぜ、いま、このような状況なのか。人間の自由とは、尊厳とは?
 監督は、モーリタニアに生まれて、幼い頃にマリに住み、モスクワで映画の勉強をしたアブデラマン・シサコという。現在はフランスで活動していて、本作はフランスとモーリタニアの合作となる。作られたのは、2014年。フランスのパリで、無差別、同時多発テロが起こった、ほぼ1年前である。監督は、2012年に小さな新聞記事を見た。イスラムの過激派に占領されたマリのある村で、結婚しないまま、子供を産んだ男女が、投石による公開処刑を受けた、という記事だ。監督は言う。「映画には不条理にあらがう力があり、何が正しいのかを理解する助けにもなる」と。監督は、映画のもたらす力を信じている。
 誰にも、私たちが笑い、唄うことを禁じることはできないと思う。見ていて、厳しく辛い状況の映画だが、寓意に満ちた、美しい映像表現である。その表現は、他者を愛すること、赦すことの意味を的確に伝えている。銃を手にしたキダンに、妻のサティマは言う。「武器は要らない、話し合うべき」と。

2015年12月26日(土)よりユーロスペースico_linkほか全国順次ロードショー!

『禁じられた歌声』公式Webサイトico_link

監督:アブデラマン・シサコ
脚本:アブデラマン・シサコ、ケッセン・タール
撮影:ソフィアーヌ・エル・ファ二
出演:イブラヒム・アメド・アカ・ピノ、アベル・ジャフリ、トゥルゥ・キキ、ファトウマタ・ディアワラ、イチェム・ヤクビ
2014年/フランス・モーリタニア映画/97分
原題:TIMBUKTU
提供・配給:レスペ
配給協力・宣伝:太秦
宣伝協力:テレザ
(C)2014 Les Films du Worso (C)Dune Vision

クロスロード

(C)2015「クロスロード」製作委員会

 ボランティア活動については、いろいろな人の多様な考えがあると思う。古今東西、世界中で、さまざまな形のボランティア活動が歴史として残っているし、現在もまた、進行中である。映画「クロスロード」(フレッシュハーツ配給)は、問いかける。「あなたにとってのボランティア活動とは?」と。

(C)2015「クロスロード」製作委員会

 映画の主人公は、「ボランティアなんて偽善だ」と考えているカメラマンの沢田(黒木啓司)と、ボランティア活動に熱心な若者、羽村(渡辺大)。沢田は、売れっ子カメラマンのアシスタントとしての日々の仕事に、いまひとつ充足感がない。ふと、青年海外協力隊に志願する。海外に派遣される前に、訓練がある。とにかく海外に行きたいと軽く考えている若者や、羽村のように、とにかく困っている人たちを助けたいと思う若者がいる。沢田と羽村は、ボランティアについての考え方に大きな違いがある。ことあるごとに、ふたりの意見は対立する。協力隊には、多くの分野があって、助産師隊員を志願している志穂(TAO)が、いつもいがみあう沢田と羽村の仲介役になる。
 訓練が終わる。沢田はフィリピン観光省のバギオ支局に配属され、観光案内の資料作成や、写真撮影を教える。まったくやる気のない若い役人がいる。沢田の指導は空振り、物足りない日々である。沢田に世界遺産のマヨヤオ撮影の依頼が入る。マヨヤオには、2000年以上の歴史のある棚田がある。
 「天国への階段」と呼ばれるほどの美しい地域で、ルソン島の北、マニラからはバスを乗り継いで10時間もかかる。最近では、青年海外協力隊の指導で、ドジョウの養殖が行われている。マヨヤオは羽村の任地であった。当然ふたりは、ここでも反発し合う。なぜこれほどふたりは反発しあうのかの理由が、ここで少し明かされることになる。

(C)2015「クロスロード」製作委員会

 沢田はバギオに戻る。もともと、社会性のある報道写真を撮りたいと思っている沢田は、町のあちこちを歩く中で、貧しい少年ノエルと出会う。ノエルは小学校にも行けず、物売りをしている。ある日、沢田は、不良少年たちに脅されている少年を目撃する。カメラを構えると、その少年がノエルだと気づく。あわてて駆け寄ろうとすると、不良少年に腹を刺され、入院する。そこに志穂が見舞いに来る。沢田は、羽村の活躍ぶりを知ることになる。まだまだ、多くの出来事が沢田と羽村にふりかかる。そして、ふたりの人生が交差していく。
 映画は、青年海外協力隊のリアルな姿を描く。青年海外協力隊は、創設50年という。かつては大勢の青年たちが海外に出向いて行った。いまは、応募者が減少しているという。さまざまな理由があると思うが、協力隊の実像があまり報告されていないことがその理由のひとつかもしれない。すでに、アジア、アフリカ、中南米などの88もの国で、120以上の職種に隊員を派遣している。映画ではフィリピンが舞台となるが、広がりは世界規模である。
 若い人たちが、それぞれの理由から、海外でのボランティアに従事する。映画は、ほんの一例かもしれないが、カメラマンの沢田がいう「ボランティアなんて偽善だ」の言葉の意味を、見た人それぞれに考えてほしいと思う。
 監督は、すずきじゅんいち。自らも青年海外協力隊に参加し、モロッコに赴任した経験がある。日系アメリカ人の歴史を描いた3部作「東洋宮武が覗いた時代」、「442日系部隊」、「二つの祖国で」は、傑作ドキュメンタリーで、「マリリンに逢いたい」は大ヒットした作品だ。沢田役に、EXILEの黒木啓司。羽村役に、「るろうに剣心 京都大火編」などに出た渡辺大。志穂役のTAOは、世界のトップモデルで、来年の3月25日公開の映画「バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生」に出演するほどの逸材。主題歌は、大好きな中島みゆきの「ヘッドライト・テールライト」が流れ、余韻たっぷり。
 世界のさまざまな動きを日本で知る。沢田は「一枚の写真が世界を変える」、羽村は「現地の人が自立できる世界を作る」、志穂は「産まれてくる命を救う」と考えている。青年海外協力隊の果たす役割は、ますます増えていると思う。

2015年11月28日(土)より新宿バルト9ico_linkほか全国ロードショー!

『クロスロード』公式Webサイトico_link

監督:すずきじゅんいち
脚本監修・脚本:福間正浩
脚本:佐藤あい子(青年海外協力隊創設50周年記念映画シナリオコンテスト大賞作品)
エグゼクティブ・プロデューサー:吉岡逸夫
プロデューサー:香月秀之 櫻井一葉
出演:黒木啓司〈EXILE〉、渡辺大、TAO、アローディア、飯伏幸太〈DDTプロレス/新日本プロレス〉、山本未來、加藤雅也(友情出演)、榊原るみ、長塚京三
主題歌:中島みゆき「ヘッドライト・テールライト」《ヤマハミュージックコミュニケーションズ》
製作・配給:フレッシュハーツ
後援:国際協力機構(JICA)
宣伝:東映エージエンシー 
(C)2015「クロスロード」製作委員会(青年海外協力協会/フレッシュハーツ)

マルガリータで乾杯を!

(C)ALL RIGHTS RESERVED C COPYRIGHT 2014 BY VIACOM18 MEDIA PRIVATE LIMITED AND ISHAAN TALKIES

 ひところのインド映画の多くは、登場人物が唐突に歌いだしたり、踊りだしたりした。これはこれでおもしろいが、やはりドラマとしての辻褄があわず、いまひとつ、のめり込めなかった。このところ、「きっと、うまくいく」や「めぐり逢わせのお弁当」、「マダム・イン・ニューヨーク」など、突然、歌ったり、踊ったりしないドラマ仕立てのインド映画の秀作が多い。このほど公開の「マルガリータで乾杯を!」(彩プロ配給)も、そんな一本。

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 19歳の女子大生ライラは、障がいを抱え、車椅子でデリー大学に通っている。健常者に混じっても、まったく元気。何事にも前向きで、好奇心も旺盛、明るい性格である。両親も、ライラに精一杯の愛情をそそいでいる。両親はお金持ちではないけれど、自家用車があるくらいの、いわば中流の家庭である。ライラや弟にも、パソコンやスマホなどを所有させている。
 ライラは音楽が好き。同級生たちとバンドを組み、作詞もしている。バンド仲間でボーカル担当の男性ニマに、自作の詩を送る。これが、ニマに誉められる。ライラは、ニマにほのかな恋心を抱く。音楽コンテストが開かれる。ニマのバンドが、ライラの作った詩で演奏する。なんと、優勝する。審査員は言う。「障がい者が作詞したから、優勝を決めた」と。ライラは、がっかりする。ニマは、ライラを励ます。思わずライラは、ニマに告白するが、ニマに体よく拒否される。「バカみたい」と、落ち込んだライラは、大学に行くのもやめ、失意の日々を過ごす。そんなライラに、ニューヨーク大学に留学する話が持ち込まれる。父親は反対するが、母親は大賛成。ライラは母親とともに、冬のニューヨークに旅立つ。

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 映画には多くの示唆がある。障がい者と肉親や健常者との関わり、19歳の女性としての心と体のこと、同性を愛し異性も愛するといったバイセクシャルの問題、肉親の致命的な病気などなど。ヒロインのライラをめぐって、ドラマは二転三転する。ライラを演じたのはカルキ・コーチリンという、インド生まれのフランス人女優。すでにアラサー世代だが、19歳の障がい者役を達者に演じ切る。なにより、ドラマの描き方がきめ細かく、清潔である。演出は、女性監督のショナリ・ボース。アメリカでの映画の修行が大きな果実となった。
 これは、やがて大人になろうとしている若い人に、ぜひ見てほしい。おそらく、これからの現実に必ず出会うであろう事象の数々が、映画に登場するのだから。タイトルにある「マルガリータ」は、女性の名前に由来するカクテル。テキーラにホワイト・キュラソー、レモンかライム・ジュースを入れ、シェイクする。強いカクテルだが、これまた、大人へのとば口かもしれない。

2015年10月24日(土)よりシネスイッチ銀座ico_linkほか全国順次ロードショー!

■『マルガリータで乾杯を!』

脚本・監督:ショナリ・ボース
出演:カルキ・ケクラン、レーヴァティ ほか
2014年/インド/英語、ヒンディー語/カラー/ヴィスタ/5.1ch/100分/
配給:彩プロ
宣伝:ミラクルヴォイス

海賊じいちゃんの贈りもの

(C)ORIGIN PICTURES (OUR HOLIDAY) LIMITED / BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2014

(C)ORIGIN PICTURES (OUR HOLIDAY) LIMITED / BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2014

 大人の勝手な都合で、幼い子どもたちに多大な迷惑がふりかかることがある。また、子どもは、信頼できる大人の言うことにきちんと耳を傾けることがある。映画「海賊じいちゃんの贈りもの」(エスパース・サロウ配給)では、大人の勝手さ、大人の勝手さにうんざりの老人、子ども独自の世界観が、まとめてスピーディに綴られる。展開が軽快で、小気味いい。
 イギリス、ロンドン。父のダグと母のアビーは離婚寸前の仲。9歳の長女ロッティ、6歳の長男ミッキー、4歳の末娘ジェスの三人の子どもがいる。彼らは、いずれも個性的である。ロッティはメモ魔で、大人の言うことをいちいちノートに書きつける。ミッキーは海賊のヴァイキングに憧れている。末っ子のジェスは、石を集めて、それぞれに名前をつけている。
 ダグ一家は、ダグの父、ゴーディの75歳の誕生日を祝うために、一週間の予定でスコットランドに向かう。ダグとアビーは、子どもたちに仲良しのパパとママを演じようとするが、子どもたちは既に状況を理解している。おじいちゃんのゴーディは、ダグの兄ギャビン夫婦と同居しているが、居心地がいいというわけではない。ギャビンとダグの兄弟の仲もうまくいっていない。おまけに、ギャビンの妻マーガレットはいささか情緒不安定。10代の息子ケネスは、他人に無関心で、達者とは言えないバイオリンをところかまわず弾きまくる。
 大人たちは、ふとしたきっかけで、それぞれのエゴを主張し出す。そんな中、おじいちゃんの誕生日を祝うパーティの準備が進んでいく。息子夫婦たちの身勝手さにあきれ果てたおじいちゃんは、子どもたちを連れて浜辺に出かける。スコットランドの美しい風景が続く。おじいちゃんの「先祖はヴァイキングだった」の話に、子どもたち、とくにミッキーは大喜びである。
 おじいちゃんと子どもたちは、浜辺でのんびりと過ごしている。そこに、身勝手な大人たちへの制裁とも思える事件が起こる。結果的に、大人たちを巻き込んだ、とんでもない展開になっていく。
 撮りようによっては、シリアスなテーマ、展開になったかもしれない。共同で脚本、監督を担当したガイ・ジェンキンとアンディ・ハミルトンは、ドラマをコメディ・タッチで貫く。ラストは、ハラハラドキドキ、笑えるし、ホロリともする。そして、大人たちはともかく、子どもたちは確実に「海賊じいちゃんの贈りもの」を手にすることになる。
 パパ役ダグを演じたのは、「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」にも出演したデヴィッド・テナント。ママ役アビーは、ロザムンド・パイク。最近では、「ゴーン・ガール」に主演、アカデミー賞の最優秀主演女優賞にノミネートされた。
 頑固だが、飄々、とぼけたおじいちゃん役を力演したのは、キャリア豊富なビリー・コノリー。
 ふつうに常識があると思われている「大人」の身勝手さや欠陥、「子ども」だけの持つ純粋さが、頑固な「おじいちゃん」というフィルターを通して見事に語られる。イギリスの知性とユーモアにあふれている力作と思う。教育に携わる大人には必見と言っていい映画。もちろん、家族揃ってご覧になると、明日からは親と子の関係がさらにうまくいくようになるかもしれない。そう、あって欲しい。

2015年10月10日(土)より角川シネマ新宿ico_linkほか全国順次公開!

『海賊じいちゃんの贈りもの』公式Webサイトico_link

監督・脚本:アンディ・ハミルトン、ガイ・ジェンキン
製作:デヴィッド・M・トンプソン
出演:ロザムンド・パイク、デヴィッド・テナント、ビリー・コノリー
2014/イギリス/ビスタサイズ/DCP/95 分/カラー/英語
日本語字幕:西村美須寿
原題:WHAT WE DID ON OUR HOLIDAY
提供:ハピネット
配給・宣伝:エスパース・サロウ

ふたつの名前を持つ少年

(C)2013 Bittersuess Pictures

 今年は終戦からちょうど70年。前回、本欄で紹介した「ソ満国境 15歳の夏」をはじめ、映画の世界では、この8月、戦争に関するいろんな作品が公開、上映されている。ドイツとフランスの合作になる「ふたつの名前を持つ少年」(東北新社配給)もその一本で、強くお勧めしたい作品である。
 ふたつの名前とは、ユダヤ人としての本名スルリックと、ナチスドイツの迫害を逃れようとして名乗る、ポーランド人の名前ユレク。主人公は、まだ8歳の少年である。壮絶、悲惨、過酷などと、ひとことで言ってしまえることではない。とにかく、父の遺した「何としてでも生き延びろ」の言葉に、ユレクは身の上と名前を偽って、ドイツが降伏するまでの3年間を、生き延びようとする。

(C)2013 Bittersuess Pictures

 1942年冬。雪の中をユダヤの少年スルリックが歩いている。スルリックは、父の最後に遺した言葉を反芻する。「名前を変えてでも、生き延びろ、ただし、ユダヤ人であることを決して忘れるな」と。半年前、ワルシャワのユダヤ人居住区を脱走したスルリックは、他の少年たちと森の中でなんとか生活している。ドイツ兵が追ってくる。仲間の少年たちとはぐれて、スルリックは餓死寸前。ある家の前で倒れてしまう。助けてくれた夫人の夫と息子たちは、ナチスに抵抗するパルチザンに加わっている。スルリックは、父の教え通り、「ユレク・スタニャク」とポーランド名を名乗る。ナチスの秘密警察は、ユダヤ人を拘束している。夫人の家にも追っ手が迫る。ユレクの生き残るための旅が始まる。
 映画は、ユレクの逃避行を、スリリングに綴っていく。もう、死と隣り合わせ、いつ死んでもおかしくない状況が、ユレクを待ち受けている。映画を見ているうちに、ユレクに感情移入するのか、ひやひやしながら、ここを逃れてほしい、無事で生き延びてほしい、と思うようになっていく。また、映画の内容を際だたせるかのように、ポーランドのあちこちの風景が、美しく撮られている。緑に溢れた春、雪の舞う冬、深い森、渓流などなど、四季の移ろいが、孤独のユレクに寄り添う。

(C)2013 Bittersuess Pictures

 ポーランドとドイツの歴史が背景になる。ドイツは、ポーランドのあちこちに住むユダヤ人の一般市民を迫害、虐殺しようとする。ユダヤ人の存在を密告するポーランド人がいる。ユダヤ人は、逃れるしかない。映画には原作小説がある。ユダヤ人の作家、ウーリー・オルレブの書いた「走れ、走って逃げろ」(岩波書店・母袋夏生 訳)で、ヨラム・フリードマンというユダヤ人の実体験が基になっている。ウーリー・オルレブ自身も、ユダヤ人の強制収容所や、ナチスから逃れるための隠れ家生活を経験していて、当然、その小説は真実味がある。ウーリー・オルレブは、他にもすぐれた児童小説を書いている。「遠い親せき」、「太陽の草原を駆けぬけて」(どちらも岩波書店・母袋夏生 訳)などを読むと、映画がさらに身近に思えてくるはず。

 もうひとつ、お勧めがある。晩年、日本の国のありようを憂えた映画監督、黒木和雄の撮った4本の映画、「TOMORROW/明日」(1988年)、「美しい夏キリシマ」(2002年)、「父と暮せば」(2004年)、「紙屋悦子の青春」(2006年)が、8月21日(金)まで、戦後70年の特別企画として、岩波ホールで上映されている。ぜひ、足を運んでください。なお、どれもDVDで見ることも可能である。
 2004年に出版された「私の戦争」(岩波ジュニア新書)という本で、黒木和雄は書く。『…私たちの現在の日常のなかに「戦時下」のあの日々の姿がかたちを変えて、ふたたび透けて見えてくるような危機感を私はいだきます…』と。戦後70年、黒木和雄監督の遺した言葉の意味は重い。

2015年8月15日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町ico_linkほか全国ロードショー!

■『ふたつの名前を持つ少年』

監督:ペペ・ダンカート
出演:アンジェイ・トカチ、カミル・トカチ、ジャネット・ハイン、ライナー・ボック イタイ・ティラン
原作:ウーリー・オルレブ作 『走れ、走って逃げろ』 母袋夏生訳 岩波書店
原題:RUN BOY RUN
2013年/ドイツ・フランス/カラー/108分
配給:東北新社
Presented by スターチャンネル
宣伝協力:ブレイントラスト

ソ満国境 15歳の夏

(c)『ソ満国境 15歳の夏』製作委員会

 戦後70年。映画の世界でも、節目の年ということで、戦争にまつわる映画が公開される。高井有一の小説「この国の空」を原作にした「この国の空」や、半藤一利のノンフィクションを原作にした「日本のいちばん長い日」だ。ぜひとも、若い人たちにお勧めしたいのが、田原和夫のノンフィクション「ソ満国境 15歳の夏」(築地書館)を映画化した「ソ満国境 15歳の夏」(パンドラ、ジャパン・スローシネマ・ネットワーク配給)だ。
 原作は、田原和夫の終戦前後の実体験に基づく。終戦直前の昭和20年5月、勤労動員としてソ満国境の近くに送り込まれた新京一中の三年生たちがいる。敗戦直後、日本の少年たちはソ満国境近くに置き去りにされ、餓死寸前、中国の人たちに救われたりしながら、過酷な状況を生き延びる。田原和夫はその中のひとりである。映画は、この原作を骨格に、現代の15歳の若者たちを重ね合わせる。

(c)『ソ満国境 15歳の夏』製作委員会

 2011年、未曾有の震災が日本を襲う。1年後の2012年、いまなお、福島の仮設住宅に住み、中学校に通う3年生の敬介(柴田龍一郎)たちが、中学生として最後の夏休みを迎えようとしている。校庭では、ボランティアの老人の原田(夏八木勳)たちが、放射能の除染作業を続けている。ある日、中学校の放送部に、中国の黒竜江省のあるところから新しい撮影機材が届く。手紙には、「中国に来て、撮影してほしい場所がある」と記されている。敬介たち放送部員は、引率の古賀先生(大谷英子)と、黒竜江省に旅立つ。撮影機材とともに、一冊の本が送られてきた。田原和夫の「ソ満国境 15歳の夏」である。古賀先生は生徒たちに、この本を読ませる。

(c)『ソ満国境 15歳の夏』製作委員会

 みんなを招待してくれたのは、石岩鎮という小さな町の長老、金成義(田中泯)である。日本語が達者な金長老は、みんなに取材、撮影してほしい場所を教える。そこが、終戦直後に少年たちがさまよった場所、ソ満国境のすぐ近くだった。敬介たちは撮影のための取材を続ける。やがて金長老は、秘めていた過去の出来事を敬介たちに話し始める。そして、敬介たちは、ここに招待された本当の理由を知ることになる。
 一見、複雑な構成に見えるが、過去と現在の出来事が巧みに交差して、分かりやすい展開である。よく練られた脚本で、過去と現在が、鮮やかに結びつく結末は見事である。
 いまなお、解決のメドのたたない福島の現実がある。憲法を勝手に解釈して、戦争への危惧が拡大する動きがある。映画の資料で、原作者の田原和夫は言う。「昨今、戦争を知らない世代の人口が増えています。往々にして過去の事実を確認することなく、紙に書かれたものを読むだけで判断する傾向があるように見受けられます。あくまでも過去の事実をしっかり踏まえた実証的な歴史認識を持っていただきたいものです」。
 資金難や苦労した中国ロケなどを経て、6年の歳月をかけてやっと映画を完成させた監督の松島哲也は言う。「15歳の若者の命を、誰がどうやって守っていくのか? 親子で見て、コミュニケーションのきっかけになってくれればいいのですが」。
 この夏、先生と生徒、親と子、戦争を知る世代と知らない世代など、一人でも多くの人に見てほしい一作。

2015年8月1日(土)より新宿K’s cinemaico_link大阪・シネ・ヌーヴォico_link名古屋シネマスコーレico_linkにてロードショー、以下全国順次公開!

■『ソ満国境 15歳の夏』

監督・脚色:松島哲也
脚本:松島哲也、友松直之
撮影:奥原一男
録音:山田均
照明:田部誠
音楽:上野耕路
美術:庄島穀、小林久之
編集:宮澤誠一、清水和貴
プロデューサー:野田慶人、宮澤誠一、松島哲也
原作:田原和夫著「ソ満国境・15歳の夏」(築地書館)
2015年/カラー/デジタル/94分
配給:パンドラ、ジャパン・スローシネマ・ネットワーク
(c)「ソ満国境 15歳の夏」製作委員会

種まく旅人 くにうみの郷

(C)2015「種まく旅人 くにうみの郷」製作委員会

 地産地消という。流通の進歩で、その意味は次第に変化しているかもしれない。だが、食べるものは、本来、地産地消である。残念ながら、人間は、動物や植物を食べることでしか生きられない。だから、食べるもの、食べることは、生きていく上で、たいへん重要なことである。そのような、至極当たり前のことを、映画「種まく旅人 くにうみの郷」(松竹配給)は、淡々と語りかける。
 舞台は淡路島。イザナギノミコトとイザナミノミコトが作った、日本のはじまりの島である。山や森があり、海がある。山の畑では、タマネギを作り、海の近くでは、海苔を養殖する。海彦山彦さながら、島にはタマネギを育てる若者、岳志(桐谷健太)と、海苔を養殖する若者、渉(三浦貴大)がいる。兄が岳志で、渉は弟である。そこに、農林水産省から、アメリカ帰りの女性官僚、神野恵子(栗山千明)が、第一次産業の現状を調査する目的で島にやってくる。まだ31歳、肩書きは地域調査官で、短期赴任である。恵子は、しばらく島に住み着くことになる。岳志と渉の兄弟は、父親の死をめぐって仲違いしている。

(C)2015「種まく旅人 くにうみの郷」製作委員会

 当初、上から目線の恵子は、役場のベテラン職員、津守(豊原功補)や、農水産部長の尾形(山口いづみ)をはじめ、地元の人たちから厳しい目で見られる。しかし、仕事であるから、なんと思われようと、きちんと現場を視察し、報告をしなければならない立場なのだ。恵子は少しずつ、島の暮らしにとけ込む努力を続け、あるとき、渉に頼み込み、力のいる海苔の養殖現場を体験し、タマネギ栽培の夢を語る岳志に付き合うようになる。
 漁業、農業の厳しい現実がある。海はきれいだが、人手不足、環境の微妙な変化がある。種をまく人がいても、いつも豊かに実るわけではない。確執を抱え、対立しながらも、仕事にひたむきな兄弟と付き合ううちに、恵子はなんとか兄弟が和解できないかと考えるようになる。
 島には、「かいぼり」という伝統的な作業がある。あちこちに点在する池の水を抜く作業だ。結果、池に積もった堆積物を海に戻すことで、栄養分を与える。これには、人手不足や海苔の養殖上の問題などがあり、ここしばらくは実施されていない。いろいろと調査した恵子は、「かいぼり」の復活に挑もうとする。

(C)2015「種まく旅人 くにうみの郷」製作委員会

 渉には、麻衣(谷村美月)という恋人がいる。美月は、淡路島伝統の、女性による人形浄瑠璃師を目指している。劇中、麻衣が浄瑠璃の稽古に励むシーンがたびたび出てくる。「かいぼり」に絡んだシーンと、人形浄瑠璃のシーンが巧みに交錯して、劇的に盛り上がる。
 タマネギと海苔。一見、関係のなさそうな食べ物が密接に結びつく。映画には、食品生産の現状、中央と地方の関係、地方の現実、山や海の環境問題などなど、多くのテーマが見え隠れする。監督の篠原哲雄は言う。「多くのことを語りたくなる映画だ」と。
 地域振興を専門にしている、あるコンサルタントの言葉がある。「地域振興には、3つのものが必要。わかもの、よそもの、ばかもの」。なるほど、と思う。映画から学び、議論し、考えることは多々ある。「種まく旅人 くにうみの郷」は、そのいい例だろう。

2015年5月30日(土)より新宿ピカデリーico_linkほか全国ロードショー!

『種まく旅人 くにうみの郷』公式Webサイトico_link

監督:篠原哲雄
脚本:江良至、山室有紀子
出演:栗山千明、桐谷健太、三浦貴大、豊原功補、谷村美月、音月桂、根岸季衣、永島敏行
製作・配給:松竹
上映時間:111分
(C)2015映画「種まく旅人 くにうみの郷」製作委員会

国際市場で逢いましょう

(c)2014 CJ E&M Corporation, All Rights Reserved.

(c)2014 CJ E&M Corporation, All Rights Reserved.

 お隣の国、韓国の映画「国際市場で逢いましょう」(CJ Entertainment Japan配給)を見た。ここ60数年の韓国の現代史が鮮やかに浮かび上がる優れた映画だった。
 内閣府の「外交に関する世論調査」というものがある。このなかに、日本の人たちが韓国という国に対する好感度、いわば、親しみの程度を示した調査がある。さまざまな韓流ブームを反映してか、2009年には約63%の日本人が韓国に親しみを感じている。これが、2012年には約39%にダウンしている。韓国の政府関係者の発言などが、いろんな形で報道された結果だと思われるが、かなり好感度が落ちている。では、韓国の人たちの日本への好感度はどうか。この2月の韓国のギャラップ調査では、わずか14%。親しみを感じない人は74%もいて、これは過去最低の数字だという。もっとも、1,000人ちょっとの人への調査だが、ずいぶん日本は嫌われているようだ。韓国だけでなく、中国の調査などではもっと日本が嫌われているようだし、逆に、日本人の韓国や中国への好感度も、年々、さらに落ちているかもしれない。ところが、実際には、韓国や中国からの旅行客が、日本のあちこちに押し寄せて多くの買い物をしているようだから、このような調査の数字はあまりアテにはならないかもしれない。

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 で、韓国の映画だが、ここ10数年優れた作品が多く公開されている。韓国の現代史にスポットを当てた映画に限定しても、「ユゴ 大統領有故」、「大統領の理髪師」などなど、傑作が多い。「国際市場で逢いましょう」は、現代の韓国、釜山の国際市場から始まる。釜山港を見下ろす高台に、老いたドクス(ファン・ジョンミン)と、妻のヨンジャ(キム・ユンジン)がいる。ドクスは港に停泊する大きな船を見て、船長になりたかった夢を妻に語る。そして、自らの過酷だった人生を振り返る。
 1950年、朝鮮戦争のさなか、興南撤収作戦のあおりで、まだ幼い少年のドクスは、父親(チョン・ジニョン)と幼い妹と離ればなれになる。ドクスは、母親(チョン・ヨンナム)と弟、もうひとりの妹と四人で、なんとか釜山の国際市場で露店を開いている叔母のコップン(ラ・ミラン)の家にたどり着く。朝鮮半島は北と南に分断され、故郷の興南(北朝鮮)に戻れないままになる。ドクスは父親から別れる寸前に聞いた言葉を忘れていない。「これからはお前が家長だ、家族を守れ」と。ドクスは靴磨きや肉体労働をしながら、貧困のなか家族を守り、生き抜いていく。ドイツでは炭坑夫として、ベトナム戦争では技術者として、ドクスはひたすら家族のために働き続ける。
 苦労続きのドクスの人生の背景に、韓国の現代史が見事に重なる。アメリカ軍による興南撤収作戦、ドイツでの炭坑や看護の仕事、ベトナム戦争など、韓国の人たちやドクスが経験した現実を、きちんと再現している。
 「国際市場で逢いましょう」は、韓国国内で大ヒットした。監督は、2009年に「TSUNAMI―ツナミ―」を撮ったユン・ジュギュン。主人公のドクスを演じたのはファン・ジョンミンで、20代から70代までのドクスの人生を力演する。ベトナム戦争で窮地に陥ったドクスを救う兵士ナム・ジン役は、東方神起のユンホで、これが映画デビューになる。決して、深刻、暗い映画ではない。韓国映画独特の笑いが全編に満ちている。涙と笑いがほどよい案配で、なによりも家族を思うドクスの心情に、胸がふるえる。
 戦後70年になる。歴史に翻弄されたのは、ドクスの家族だけではないだろう。それぞれ一般の人たちは、政治絡みのくだらない戦争の犠牲になっている。韓国は日本にもっとも近い外国である。国同士、お互い低い好感度では話にならない。それぞれの歴史を学ぶのは勿論だが、せめて映画を通して、お互いの国のことをもっともっと知り合うようになればいいのだが。

2015年5月16日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町ico_linkシネマート新宿ico_linkほか全国順次ロードショー!

『国際市場で逢いましょう』公式Webサイトico_link

監督:ユン・ジェギュン
出演:ファン・ジョンミン、キム・ユンジン、オ・ダルス、チョン・ジニョン、チャン・ヨンナム、ラ・ミラン、キム・スルギ、ユンホ
2014年/韓国/127分
配給:CJ Entertainment Japan

パプーシャの黒い瞳

(c)ARGOMEDIA Sp. z o.o. TVP S.A. CANAL+ Studio Filmowe KADR 2013

 世界中のいろんな人にはそれぞれの生き方がある。どのような生き方を選ぼうとも自由であり、ほかの人たちからとやかく言われる筋合いはない。国境を越えて旅するジプシーの人たちしかり。砂漠の遊牧民の人たちしかり。内陸辺境に住む少数民族の人たちしかり。
 ポーランドの映画で「パプーシャの黒い瞳」(ムヴィオラ配給)を見た。幌馬車を連ねて、ジプシーたちが移動する。夜、火を焚いて野営する。楽器を奏で、踊る。これが、モノクロームの映像で、うっとりするほどの美しさ。映画は、1910年に生まれ、1987年に死んだジプシーの女性詩人、パプーシャ(人形を意味する)こと、ブロニスワヴァ・ヴァイスの人生を振り返る。

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 ジプシーは書く言葉を持たない。パプーシャは小さい頃から文字に興味を持ち、詩を書く。父の弟で、年の離れた叔父と結婚することになるが、ジプシー集落に身を潜めた詩人イェジ・フィツォフスキの影響で、パプーシャの才能は開花する。結果、パプーシャは詩を書き、フィツォフスキはジプシーの内情を本にする。
 ジプシー社会は、内部の実情を外部に漏らさないという不文律がある。パプーシャはジプシーたちから追放される。映画はパプーシャの生まれた1910年から始まり、1971年、1949年、1921年、1925年、1952年、1939年、1971年と、時制を変えながらパプーシャの人生を綴っていく。パプーシャの生まれ育った時代は、20世紀初めからのポーランドの歴史と重なる。第一次世界大戦後の1918年、ポーランドは国家として復活する。1926年、クーデターによるピウスツキ独裁政権ができる。1939年、ドイツ軍がポーランドに侵攻する。ヒトラーは、ユダヤ人だけでなく、ジプシーをも根絶しようとする。

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 雪の中、ジプシーたちの幌馬車は行く。受難は続く。1949年8月、ポーランド内務省はジプシーの定住化政策を開始する。幌馬車での旅ができなくなる。子供は学校に行かねばならない。誰もが定職に就かねばならない…。パプーシャたちジプシーは、このような過酷な時代を生き続ける。まして、パプーシャは、所属している社会から追われることになる。そんな中でもパプーシャは詩を書き続け、フィツォフスキに送る。パプーシャの書いた詩は現存し、各国語に訳されている。映画の中にも挿入され、すてきな詩たちである。

「いつだって飢えて いつだって貧しく 旅する道は 悲しみに満ちている とがった石ころが はだしの足を刺す 弾が飛び交い 耳元を銃声がかすめる すべてのジプシーよ 私のもとへおいで…」

 世界には、国家や国境と関係なく移動しながら生きる人たちがいる。また、世界のあちこちに散在する少数民族は、国家の政策で移住せざるを得ない状況に追いやられることもある。住む場所を追われた難民も多い。まことに国家は勝手なものと思う。
 映画「パプーシャの黒い瞳」は、単なる女性詩人の一代記ではない。あまりくわしく知られていないジプシー一族の内情、個人の受難を描いているとはいえ、政治的な意図を込めているわけではない。受難と孤独の中、パプーシャは「言葉」を紡ぎ続け、「詩」を創造する。「いくつもの時をその瞳は見つめた 森よ 今あなたはどこにいるの」と。永遠の問いだとは思うが、人間にとって自由とはなにか、そして、幸せとはなにかを、静かに問いかけてくる。
 監督は、クシシュトフ・クラウゼとヨアンナ・コス=クラウゼ。言語障がいを抱え、文字の読み書きができなかったポーランドの天才画家ニキフォルの晩年を題材に「ニキフォル 知られざる天才画家の肖像」を撮ったコンビである。クシシュトフ・クラウゼは2014年12月に亡くなった。本作が遺作となる。

2015年4月4日(土)より岩波ホールico_linkほか全国順次公開!

『パプーシャの黒い瞳』公式Webサイトico_link

監督・脚本:ヨアンナ・コス=クラウゼ、クシシュトフ・クラウゼ
撮影:クシシュトフ・プタク、ヴォイチェフ・スタロン
音楽:ヤン・カンティ・パヴルシキェヴィチ
出演:ヨヴィタ・ブドニク、ズビグニェフ・ヴァレリシ、アントニ・パヴリツキ
配給:ムヴィオラ
原題:PAPUSZA
ポーランド映画/2013年/ロマニ語&ポーランド語/モノクロ/1:1.85/5.1ch/131分/DCP
字幕翻訳:松岡葉子
字幕協力:水谷驍、武井摩利

2013カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭スペシャル・メンション
2013バリャドリッド国際映画祭監督賞・男優賞・青年審査員賞
2013グディニャ国際映画祭メイキャップ賞
2013テサロニキ国際映画祭観客賞(オープン・ホライズン・セクション)
2014イスタンブール国際映画祭審査員特別賞
2014ポーランド映画賞 楽曲賞・撮影賞・美術賞

陽だまりハウスでマラソンを

(c)2013 Neue Schönhauser Filmproduktion, Universum Film, ARRI Film & TV

 人は必ず老いる。さあ、どうするか。舞台は、ドイツの老人ホーム。ここに、かつてオリンピックで活躍したマラソン・ランナーのパウル・アヴァホフと、その妻マーゴが夫婦そろって入居してくる。日頃、マーゴは、たびたび病気で倒れる。客室乗務員をしている娘は多忙で、母親の面倒は見れない。渋々、入居してみたものの、元気なパウルはパーティ用の人形を作ったり、合唱したりのホームの生活が耐えられない。ホーム・スタッフの万事事なかれ主義や、やたらホームの生活を仕切りたがる住人がいて、パウルは面白くない。パウルは決意する。「走ろう」と。

(c)2013 Neue Schönhauser Filmproduktion, Universum Film, ARRI Film & TV

 「陽だまりハウスでマラソンを」(アルバトロス・フィルム配給)は、70歳を過ぎた老人が再びマラソンに挑むドラマ。これが実にうまく作られている。映画の冒頭、パウルはゴール寸前、ソ連の選手を抜いてヘルシンキ・オリンピックのマラソンで優勝する実写らしいフィルムが挿入される。この実写らしいフィルムが、実はフィクションである。1952年のヘルシンキ・オリンピックのマラソンで優勝したのは、人間機関車といわれたチェコスロバキア(今のチェコ)のエミール・ザトペックで、銀メダルはアルゼンチンの選手である。また、劇中、パウルは、1956年、メルボルン・オリンピックのマラソンでも優勝したと出てくるが、メルボルンでの優勝者はフランスのアラン・ミムンで、2位はユーゴスラビアのフランジョ・ミハリクだ。ゴール前は接戦ではなく、優勝したミムンと2位のミハリクとの差は、たしか1分30秒ほどの差だったと思う。また、1956年のボストン・マラソンでも、パウルが優勝したと出てくる。この年の優勝者は、フィンランドのアンティ・ヴィスカリで、前年の優勝が、日本の浜村秀雄だった。ドイツの選手はマラソンでは、それほどの活躍はみせていない。それでも映画の設定の巧みさだろう。戦後の復興を遂げようとするドイツに、国民的な英雄が現れたというフィクションを、さもありえたかのように見せているわけである。
 日本ではそう有名ではないと思うが、芝居のうまい俳優が勢ぞろい。ディーター・ハラーホルデンがパウルに扮し、力演、奮闘する。脇役たちも年齢相応の達者揃い。背景の事情はいくぶん切実なのに、表現はユーモラス、ちょっぴり皮肉でもある。きびきびとした展開で、スピーディ。心地いい。

(c)2013 Neue Schönhauser Filmproduktion, Universum Film, ARRI Film & TV

 妻のマーゴは、すでに老人ホームを「終の棲家」とあきらめている。それでもパウルに促され、かつて務めたサポート役に復帰する。「ベルリン・マラソンに出る」とパウルは言う。パウルのことをバカにしていた周囲の人たちは、かつてパウルが偉大なマラソン・ランナーだったことに気付き始めて応援するように
なっていく。過去の栄光があるとはいえ、70歳を過ぎた老人がマラソンに挑む。ここに、さまざまな問題が噴出する。さて、どうなるか。
 いくつになっても夢や希望を持つことだろう。そして、決してあきらめないこと。応援したくなる対象は数多くあっていいと思う。誰しもがパウルのような老人ではない。だが、パウルを応援することは誰でも出来る。
 人は必ず老いる。監督、脚本のキリアン・リートホーフがインタビューに答えている。「…時が過ぎ、人生の終わりが近づいたときに、自分はどう行動するのだろう…。年老いてから初めて考えるのではなく、そのずっと前から考えておくべきものと思う」と。

2015年3月21日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町ico_link新宿武蔵野館ico_linkほか全国順次ロードショー!

■『陽だまりハウスでマラソンを』

監督・脚本:キリアン・リートホーフ
出演:ディーター・ハラーフォルデン、ターチャ・サイブト、ハイケ・マカッシュ、フレデリック・ラウ
配給:アルバトロス・フィルム
2013年/ドイツ映画/115分/デジタル5.1ch/シネマスコープ
原題:Back on Track
推薦:公益社団法人日本マスターズ陸上競技連合
協力:東京ドイツ文化センター