豊後の王フランシスコ大友宗麟

イエズス会士がみた王

学び!と歴史vol36_01大友宗麟

大友宗麟銅像 大分県大分駅前

 大友宗麟は、豊後国-現大分県の守護大名大友義鑑(よしあき)の嫡男として、1530年(享禄3)に生まれ、幼名塩法師丸、元服して五郎と称し、先将軍足利義晴の「義」を得て義鎮(よししげ)と名乗りました。1551年(天文20)にフランシスコ・ザビエルを豊後府内・現大分市に招き、1553年にイエズス会の布教を認め、豊後を日本におけるキリシタンの一大拠点となし、1578年(天正6)7月に受洗、洗礼名ドン・フランシスコ。その姿は、ルイス・フロイスが臼杵(うすき-大分県)からポルトガルのイエズス会に送った同年9月16日付け書簡に読むことができます。

豊後の王は今四八、九歳なるが、日本に在る王侯中最も思慮あり、聡明叡智の人として知られたり。始め一、二箇国(豊後・豊前)※を有するに過ぎざりしが、今五、六箇国(豊前・豊後・肥後・筑前・筑後・日向)※を領し、その保有に心を尽し、ほとんど戦うことなくしてこれを領有し、また統治せり。彼は、日本において我等に好意を示したる最初の王にして、当地方のコンパニヤ(イエズス会会員)の父のごとし。しかしてパードレ(伴天連、神父)およびイルマン(伊留満、修道士)等がその領内に居ること二十七年なるが、たえず領内において我等を庇護せるのみならず、不幸に遭遇せる際我等を保護し、パードレ等の求に応じて免許状を交付し、またパードレ等がデウスの教を弘布せんと欲する都、その他異教徒の諸国の王侯大身等に書翰を贈り、教化の事業を援助せんことを請い、また好意を得んため進物を贈れり(村上直次郎訳注『耶蘇会士日本通信豊後編』雄松堂出版刊 1982年)

入道宗麟として

 このような宗麟像は、宣教師に共通したもので、キリシタンの庇護者への敬意に満ちたものにほかなりません。しかし宗麟大友義鎮は、キリスト教に好意を持ちながらも、府内最大の寺院万寿寺を保護し、京都大徳寺瑞峰院の名僧怡雲(いうん)禅師を招いて禅を修め、1562年(永禄5)に入道して瑞峰宗麟と称しました。こうした風貌は宣教師を当惑させますが、宗麟がイエズス会を保護することに変わりはありませんでした。1557年(弘治3)に周防-山口県の大内義長が毛利元就に滅ぼされたため、豊後府内は、日本布教の本部となり、ポルトガル人ルイス・アルメイダが病院を開設、西洋医学にあたる「南蛮医学」の治療がなされました。臼杵城下の最も良い場所には宣教師等の住院と会堂が建設されていました。こうしたキリシタンの活発な活動は、僧侶や宗麟家臣等の反撥を起こしもしました。
 宗麟のキリスト教への関心は、信仰への好奇心もさることながら、軍事的・経済的な利益への期待でした。戦国大名には宣教師とその背後にあるポルトガルがもたらす利益が魅力だったのです。宗麟は、毛利との交戦中の1567年(永禄10)に火薬の原料である硝石200年を毎年輸入したいと、ついで翌1568年には大砲を宣教師に求めています。府内の宣教師は、戦勝祈願をして宗麟を支援しています。
 豊後の王から九州の王へと馳せ行く宗麟は、キリシタンがもつ先端知の魅力に心うばわれ、時とともに信仰が説き聞かせる世界にとらわれていきます。そこには、博多商人を仲立ちにした朝鮮や明国との交易による大陸文化との接触、都の貴族や絵師等との交遊による狩野永徳の絵画、茶湯道具の名物蒐集(収集)にみられる多方面におよぶ、聡明叡智といわれた宗麟を魅惑する世界があったのです。このような王の眼は、戦乱の世を勝者として生きねばならない領主たる自分を想いみたとき、キリシタンの教理に向かわせます。

イゼベルのこと

 しかし宗麟夫人は、宇佐八幡宮の別宮奈多八幡宮大宮司家出身でキリシタンを敵対視し、その布教を妨害します。そのため宣教師は、夫人をイゼベルと呼び、悪魔のごとき女とみなしていました。イゼベルとは、旧約聖書の列王記に語られているイスラエルの王アハブの妃でバアルを崇拝し、預言者エリヤを追放した女性のことです。このような夫人との関係は、宗麟が1576年(天正4)に家督を長男義統(よしむね)に譲り、キリシタンの信仰に強く表明していく中で悪化していきます。かくて宗麟は、夫人に仕えていた女性と臼杵城を出て新生活に入り、キリスト教徒としての日々に励み、領国統治の一切から手を引いていったのです。

ムジカに託した夢

大友宗麟の印章

大友宗麟の印章

 1578年(天正6)大友氏は、島津氏に敗れた日向国主伊藤義祐を救援した戦いにおいて勝利しました。この勝利は、隠居していた宗麟をして、島津氏を抑えることで九州の覇者たることを決定的にするものと思われました。ここに宗麟は、夫人と宣教師カブラル、アルメイダ等を連れ、300名の部下を率いて海路日向に向かいます。軍船は、十字架の軍旗をかかげ、胸に数珠と影像を懸けた家臣を乗せ、キリシタン大名の面目躍如たる日本の十字軍たる様相でした。
 この出陣は、豊後と日向の国境にある無鹿(むしか・務志賀-宮崎県延岡市無鹿町)に、ポルトガルの法律と制度による政治が行われる理想郷たるキリスト教都市の建設をめざしたものです。無鹿が聖歌音楽を意味するポルトガル語のムジカに似ていたことによります。しかし6月の決戦は二万人の戦死者を出す壊滅的敗北でした(耳川の合戦)。ここに豊後の王国は没落への一途をたどることとなります。まさに大友宗麟は、日向の国主伊藤氏に連なる伊藤満所(マンショ)をして、天正遣欧少年使節にいれて派遣したこと、フランシスコを漢字で「普蘭師司怡」「不龍獅子虎」等と署名したなど、キリシタン大名の雄として語られてきましたように、戦国の世を駆け抜けた王として魅力的です。
 戦国の世は、旧秩序が解体し、新しい世界の構築をめざした開かれた時代に相応しい人物を生み出しています。まさに宗麟という存在は、信長・秀吉・家康とは異なり、「無鹿」への夢に託した想いが物語るように、ヨーロッパの王侯を想像させる世界が読みとれるのではないでしょうか。この魅力は、遠藤周作『王の挽歌』、赤瀬川隼『王国燃ゆ 小説大友宗麟』などの文学作品となっていますように、ロマンをかきたてるものです。

 豊後の王国から日本列島、さらに世界を問い質すと如何なる歴史が想い描けるでしょうか。海に開かれた眼で日本列島の歴史を問い、「国史」的歴史像から訣別したいものです。

※旧地名の現在地
豊前:福岡県東部、大分県北部
肥後:熊本県
筑前:福岡県西部
筑後:福岡県南部
日向:宮崎県


ユニバーサルデザイン(universal design)

「嫌ってゐられる間だけは嫌ってゐるがいい、嫌はれてゐる間だけは嫌はれてゐるから。と太陽は霜に向かって言ってゐる。」(『美乃本體』岸田劉生著 河出書房1941)

「嫌ってゐられる間だけは嫌ってゐるがいい、嫌はれてゐる間だけは嫌はれてゐるから。と太陽は霜に向かって言ってゐる。」文引用(『美乃本體』著:岸田劉生 発行:河出書房 1941年)

 ロナルド・メイス(Ronald,L,Mace1941-1998)がバリアフリー概念の発展形として1985年に「できるだけ多くの人が利用可能な製品・建物・空間をデザインにする」というユニバーサルデザインの考えを提唱してからすでに四半世紀を経ました。ユニバーサルデザインは公用語としての地位を固めつつ、この概念はデザイン認識を新たにしました。今では、エコ(eco design)、バリアフリー(barrier-free design)などを包含しながら、ものづくりの基本コンセプトとなっています。

学び!と美術vol35_02

昭和31年度版教科書「中学図画工作2」

学び!と美術vol35_03

昭和31年度版教科書「中学図画工作3」

 デザインの訳語として「意匠」という認識は明治以来ありましたが、美術教育の領域としてデザインが導入されたのは昭和33年のことですから、デザインが日本語として市民権を得た歴史は、そんなに古いものではないのかもしれません。デザインが領域として扱われるようになった頃の教科書では、デザインは装飾や商工業デザインとして主に認識されていたと思われますが、ユニバーサルデザインにつながる役割や機能についての説明もすでに見られます。
 その後、社会や生活のグローバル化とともに、デザインそのものの考え方が美術から巣立ち、多方面で用いられるようになると、実家であったはずの美術を牽引するかのようにエコからサステイナブルデザイン(sustainable design)にまでデザイン認識が広がり、深まっていったように思われます。
 ところが、改めて日本の伝統的な造形を振り返ると、これらの優れたデザイン認識がすでに活用されていたことに気づきます。
 畳(じょう)や間(けん)で表される方形区画や障子に代表される通気・採光に優れる日本家屋などのデザイン性について、どこかで学んだことがあるでしょう。身近にある食器・茶碗の高台や風呂敷、行李など、現代にも通じるデザインの知恵が凝縮され伝統として遺されてきました。それらは、住む人の体躯や温度・湿度などの気候風土を考慮したデザインです。私たちがものを使ってみて、これは優れていると感じたり、生活してみて、この空間はよく考えられていて住みやすいと感じたりするものすべてが「使う人の使い勝手を考えたデザイン」、つまり、ユニバーサルデザインにつながるものなのです。正倉院などの校倉造りにその結晶があるというより、私たちの日常の生活にこそ、私たち自身が良いものを認め遺してきた伝承のデザインがあったのです。時代とともに、エコやバリアフリーの考え方が生じ、ユニバーサルデザインという認識が生まれたと考えられます。
 近代の急速な科学技術の発展と人口増などから、直接に人々の快適さを求める以上に、地球規模で安定した環境保全の必要に迫られ、地球上に存在する生命が多様であることの維持と、人類が、文化や生活習慣あるいは能力的特性の違いを超えて地球をトータルデザインする必要に気づいたのです。

学び!と美術vol35_04

平成18年度版 中学校教科書「美術1 自由な心で」

学び!と美術vol35_06

平成18年度版 中学校教科書「美術2・3下 美の広がり」

学び!と美術vol35_06

平成18年度版 中学校教科書「美術2・3上 美を求めて」

 近年の中学校教科書でも、ユニバーサルデザインが取り上げられ、デザイン分野の重要な位置を占めています。現中学校「美術」の教科書では、1年「生活とデザイン」、2・3年上「だれもが快適なデザイン」、2・3年下「エコデザイン」として、21世紀を生きる子どもたちに、ユニバーサルデザインやエコデザインが必要な学びとして位置づけられています。
 デザイン教育で大切なことは、色や形、テクスチャーによる造形的な表現性を学ばせるとともに、ユニバーサルデザインなどの意味するところに気づかせることにあります。飾る・使う・伝える、そして遊ぶことを目的に作者の意図が作品に込められ、デザインを受容する側の状況をどれほど思いやったかによって、価値が創造されるという経験が大切なのです。造形的な表現には、表そうとする情報を手渡したい対象者が常にいます。その想定される対象者を推察しながら表すことに一次的な楽しさがあり、それが受容された分量に比例して二次的な表現の楽しさが生じます。

 デザインは留まることなく進化しています。ユビキタス(Ubiquitous至る所にある・遍在する)という考え方が、これからのデザインに求められようとしています。デザインの本質は、いつでも、どこでも、だれにでもその恩恵が受けられる創造の価値に行き着くのでしょう。生涯学習の中心核として美術教育の「デザイン」が機能しそうな予感があります。

導入事例 Case21

小学校2年『どうぶつさんと ぼく わたし』(4時間)
 *動物と遊んだ思い出を絵にあらわす題材です。

◎主な材料:

  • 画用紙
  • 水彩絵の具
  • パス など

◎導入の工夫:

 事前に学校の飼育小屋で飼っている動物とふれ合いました。
それだけでは動物も場所も限られていますので、絵が同じようになると思い、遊んでみたい動物や遊び、場所などをいろいろ想像させてから絵に表す活動に入りました。

T:学校にいる動物以外で遊んでみたい動物、いる?
C:いる!
ペンギン! リス! ネズミ! ヘビ! ライオン! コブラ! イルカ! モグラ! サル!…(30種類ぐらいの動物が出ました)
T:では、その動物と何をして遊びたい?
C:なわとび! 釣り! (モグラと)穴掘り競争! たたかいごっこ! バナナとり!(イルカと)水泳大会! (ゴマアザラシと)空を飛ぶ! ダンス!…(自分の思い思いの遊びを、どんどん話してくれました)
T:その遊びはどこでするの?
C:森の中! サバンナ! 海! 夜の森! ジャングル! 土の中! 木の上!…(おもしろい場所もたくさん出ました)
T:では、それを大きな紙にかいてみよう。
C:やったー!

学び!と美術vol35_07 学び!と美術vol35_08 学び!と美術vol35_09

(M先生の実践から)

導入事例 Case22

小学校2年『くいしんぼうのなかまたち』(4時間)
 *食品パックなどの透明容器を動物などに見立て、材料の形の組み合わせや質感を生かし、作品の透過光なども楽しめるつくりたいものをつくる題材です。

◎主な材料:

  • 透明容器
  • 色紙
  • ビーズ
  • 色セロハン
  • アルミホイル
  • おはじきなどの身辺材
  • はさみ
  • セロハンテープ
  • ホチキス
  • 接着剤

◎導入の工夫:

 透明容器をお腹の空いた動物に見立て、お腹に身辺材を入れたお腹いっぱいの動物をイメージさせます。多様な容器を示して、その形から動物を発想しやすくしました。生き物の性格や性別、特徴なども想像させ作品イメージが膨らむようにしました。

T:いろんな形の容器から、どんな生き物が想像できるかな? その生き物さんのお腹は空っぽだから、みんなの持ってきたキラキラ材料を食べさせてみよう。おいしそうなものを食べさせてあげてね。
C:かたつむりに見える!目はどうやってくっつけようかな。
T:プリンの入れ物、何かに見えてこないかな。ひっくり返してみるとどうかな。
C:お腹にセロハンとビーズを入れよう。
T:材料は中に入れてもいいし、外側にはりつけてもいいよ。
C:モールをつけてクモの足にしよう。
T:このワニさんはどこに住んでるの? お友達なのかな?
C:うん!ひもをつけて散歩できるようにしたいな。

学び!と美術vol35_13 学び!と美術vol35_10 学び!と美術vol35_12 学び!と美術vol35_11

(F先生の実践から)


テーブル・ランプ「Kシリーズ」 倉俣史朗作

スティール・アクリル/高さ37cm(小)/1972
スティール・アクリル/高さ37cm(小)/1972

 白い一枚の布をつまんだような美しいドレープが特徴的なこのランプは、《Kシリーズ》という製品シリーズの名前よりも、むしろあの漫画のキャラクターと同じ「オバQ」の愛称でよく知られています。これは作者が作品発表時に命名した「フロア・ランプ『ランプ オバQ』」に由来しています。本作のデザイナー倉俣史朗は、戦後日本のインテリアデザインや家具デザインの分野において既存のデザイン的方法論を根底から覆すような前衛的な作品を次々に発表し、時代の寵児となった人です。
 例えば、《硝子の椅子》(1976年)は座面や背もたれなどすべてがガラスのみで作られており、まさに”透明”の椅子といったところですが、逆にモノとしての限りない存在感があります。一方、長方形の引き出し家具《変型の家具 SIDE1》(1970年)では、合板という普通の素材が使われていますが、家具自体がゆるやかなS字に変形しており、引力の法則に背くようなその特異な形状は見る者を驚愕させます。
 お化けのような乳白色のアクリルのシェードの形状にも見られるように、この《Kシリーズ》においても倉俣は<浮遊感>あるいは<うつろい>といった、やはり人間の知覚や感情に深く訴えるようなデザインを志向しています。
 実はこのランプは、限りなく手作りに近い方法で制作されています。正方形のアクリル板を熱し、4人の職人が四方から柱状の型の上にかぶせ、空気を吹き付けたりしながら、独特のかたちを生み出します。ですから、一見同じようなプロダクトに見えますが、どれもディテールは微妙に異なっています。
 「照明」という実用的な役割のみに終始することなく、このランプは我々にとって身近であり根源的な存在である「光」の不可思議さやその限りない魅力をそっと照らし出してくれているかのようです。

(宇都宮美術館 学芸員 前村文博)

宇都宮美術館ico_link

  • 所在地 栃木県宇都宮市長岡町1077
  • TEL 028-643-0100
  • 休館日 毎週月曜日、祝日の翌日

<展覧会情報>

  • 大原美術館名品展 モネ、マティスから濱田庄司まで
  • 2010年2月14日(日)~4月4日(日)

展覧会概要

  • 大原美術館コレクションから、モネやマティス、梅原龍三郎、安井曾太郎などをはじめとする、西洋と日本の近代美術、現代美術、また、栃木県にゆかりの深い陶芸家濱田庄司など合わせて76作品(85点)を展示。

<次回展覧会予告>

  • 没後10年 小倉遊亀展
  • 2010年4月18日(日)~5月30日(日)

その他、詳細は宇都宮美術館Webサイトico_linkでご覧ください。


チャンドマニ ~モンゴル ホーミーの源流へ~(2009年・日本、モンゴル)

(C)2009 FLYING IMAGE All Rights Reserved.

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 「チャンドマニ ~モンゴル ホーミーの源流へ~」(FLYING IMAGE配給)を見た。
 かつて沢木耕太郎は、ユーラシアをバスで旅したときの紀行「深夜特急」を書いた。映画「チャンドマニ」は、まるで「深夜特急」を読んでいるような快感。景色が、音楽が、匂いが、住む人の息づかいが、しっかり伝わってくる。
 映像作家 亀井岳が旅をする。登場人物も旅をする。だから、観客たちも映画とともに旅をする。そこから受け手である観客は、まだ行ったことも見たこともない土地なのに、不思議な既視感を覚える。
 映像の力は鋭い。本作は、主にモンゴルの伝統芸能や音楽の周辺が描かれているが、モンゴルで暮らす人たちのさりげない日常が、短いシーンの中で丹念に表現されている。

(C)2009 FLYING IMAGE All Rights Reserved.

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 若者二人が、モンゴルのウランバートルから、喉で音楽を奏でるホーミー(喉歌)という奏法の発祥地チャンドマニまで旅をする。チャンドマニは、ウランバートルの真西、1500キロ以上も離れたホブド県にある村。ホーミーは、遊牧民たちが自然の中で、喜びや哀しみをあらわす、いわば人間楽器だ。
 映画に出てくるいくつかの歌は、山や河に湖、馬や羊、鳥、草花など、自然との関わりを歌ったものばかり。
 映画は、劇的な、大きなドラマではない。モンゴルの雄大な自然と、さまざまな人の暮らす様子がドキュメント・タッチでスケッチされる。これが、ひたすら美しい。青い空、朝焼け、黄金色の草原、雪の平原、遊牧民が羊を追い込む姿…。

 ウランバートルで働いているザヤーは23歳。ザヤーの故郷は、ホブド県のチャンドマニ村。父ダワージャブは遊牧民で、ホーミーの奏者として国から勲章を受けるほどの腕前である。もちろんザヤーも、幼いころからホーミーを身につけている。今日も、アパートの屋上で故郷のチャンドマニを思い、ホーミーを奏でる。
 ダワースレンは、ウランバートルの芸術大学にいるころから、モンゴルの民俗音楽劇団のトゥメン・エフ劇場に出ている。笛とホーミーを担当、もう6年になる。ザヤーとは、ほぼ同じ年代である。劇団の先輩たちが、正月休みをどう過ごすかの話をしている。「ホーミーの故郷、チャンドマニへ行くべき」と。耳を傾けるダワースレン。

 ザヤーは、ウランバートルの北で遊牧をしている、幼なじみのアイナに会いにゆく。共に歌い、語る。「ホーミーには風が吹くところがいいのさ」と。
 ダワースレンは、幼い子供と妻の三人暮らし。先輩たちの話から、チャンドマニに行くために、ホブド行きを決める。正月、飛行機のチケットが取れない。小さなバスで、丸二日かけて行くしかない。
 ウランバートルに戻ったザヤーは、故郷のチャンドマニに帰る決心をする。小さなバスがチャンドマニに向かう。遊牧民のザグトが、イケルという弦楽器を説明して、イケルを弾く。イケルは、馬の走り方を表現する。もちろん舞曲も。
 バスは、まっすぐな道をチャンドマニに向けて走る。雪に埋もれた道を走る。ザグトが馬頭琴を弾き、歌う。「四季にわたって、草花が咲き乱れて、風にゆれている」と。

(C)2009 FLYING IMAGE All Rights Reserved.

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 ドゥゲルは85歳。モンゴルの長唄オルティンドーを歌う。18歳のころから歌っている。「遠い土地から、駈けてきた、輝く黄色い、馬に乗ってよ、やっと着いたと、いななけば、あんなに遠い、アルタイ山だ」と。
 バスは雪の中でエンスト。乗客みんなでバスを押す。
 ドゥゲルの歌うオルティンドーが続く。「白檀香る、林の中、若い鹿が、いるようだ、手綱めぐらせ、ふりかえりゃ、あんなに遠い、アルタイ山だ」。もはや、トゥゲルの歌は祈りである。「楽しく幸せにお過ごしあれ」と。
 ザヤーは、家にたどり着く。お正月の準備が整っている。

 ホブド歌劇場。歌い手のセンゲドルジがツォールという笛を吹く。大した音は出ない。ところが、ホーミーを奏でながらツォールを吹くと、これが複雑だけれど、なつかしい音楽。
 カザフ族の歌い手、ラミャが歌う。「幼いころに歌った歌、アルタイ山脈に生まれた、白鷺は夜明けまでに目覚めた、雪山近くの山腹に生まれた、いとしの故郷、いとしの故郷」と。
 ザヤーは、故郷チャンドマニで、再び遊牧民に。ダワースレンは、ホーミーの源流を訪ねて、さらに西に向かう。ともに、ホーミー奏者であることを知らないで。 
 そして心ふるえるラストシーンが用意されている。

 映画「チャンドマニ」の映像、音楽は、素朴で心洗われる。そして、モンゴルの人たちの暮らしを、ただ、静かに記録するだけである。

2010年3月20日より、渋谷アップリンクico_linkほか全国順次公開!

「チャンドマニ ~モンゴル ホーミーの源流へ~」公式Webサイトico_link

監督・脚本・編集・制作:亀井 岳
撮影:古木洋平
出演:ダワースレン、ザヤー、ダワージャブ、センゲドルジ ほか
2009年/日本・モンゴル/DV/96分/カラー/モンゴル語
配給:FLYING IMAGE