PISA調査の問題から示唆される活用力育成のための指導のポイント

RooT No.01表紙

1.はじめに

 昨今、活用力の育成が叫ばれていますが、「活用」と言いますと、真っ先に全国学力・学習状況調査のB問題が思い浮かびます。ただ、こうした学力調査が実施されることになった背景には、いわゆる、「PISAショック」があったようにも思います。
 PISAショックとは、OECDが15歳児を対象に行っている国際学力調査(PISA調査)において2003年調査の結果が2000年調査の結果より落ちたことを受けて関係各所に広まったショックのことを指します。例えば、2000年調査における「数学的リテラシー」の順位は、参加32ヵ国中1位だったのですが、2003年調査では、参加41ヵ国中6位となってしまい、こうした結果は、当時の学力低下論争にある種の「とどめ」を刺した感もあったように思います。
 詳しく見てみますと、数学は6位だったのですが、実は1位グループには入っていましたので、そうした「相対的な」順位の低下に関しては、慎重に議論すべき問題だったでしょう。しかし一方で、我が国の指導がPISA 調査で求められているような力を伸ばしていないとすれば、それはそれで問題のようにも思えます。とすれば、実際のPISA 調査の問題を分析し、現在、社会で求められている力はどのようなものなのかを検討しつつ、「活用力の育成」に関してどういった示唆を引き出せるかについて議論してみることは、興味深い作業でもありましょう。

2.PISA 調査の問題の具体例

 PISA 調査では、その調査領域が、例えば「数学的リテラシー」とあるように、学校で学習した単純な知識・技能の習得状況を問うような問題が出題される訳ではありません。様々な状況で知識・技能を活用する能力を問われる問題が出題されます。また、各問題では、「数学的な内容」「数学的プロセス」「数学が用いられる状況」という3つの側面が考慮されます。特に「数学が用いられる状況」に関しては、実生活で生徒が遭遇するような状況として、「私的」「教育的」「職業的」「公共的」「科学的」という5つが設定されており、全国学力調査B問題に比して、かなり幅広い問題状況が想定されていることが分かります。
RooT No01_02 ここでは、数学が用いられる状況としては「公共的」、すなわち、生徒が生活する地域社会における文脈が問題状況となっている問題の1つである「盗難事件」問題を紹介いたしましょう。あるTVレポーターがこのグラフを示して、「1999 年は1998 年に比べて、盗難事件が激増しています」と言いました。
 このレポーターの発言は、このグラフの説明として適切ですか。適切である、または適切でない理由を説明して下さい。

国立教育政策研究所(編)(2004).『 生きるための知識と技能2:OECD生徒の学習到達度調査(PISA) 2003年調査国際結果報告書』. p.119.
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 なお、この問題の完全正答率は11.4%で、OECD平均の15.4%と比べてみても、かなり低いものと見てよいでしょう。

3.活用力育成のために

 全国学力調査B問題でも、こうした「データやグラフからある種の判断を求め、その判断の理由を問う」問題は継続的に出題されています。ところが、自らの考えを整理して、例えば「判断とその理由」を数学的な表現を用いて説明しなければならないような問題では、正答率が低くなるようです。そして、まさにこの結果から、活用力育成のための指導のポイントが示唆されます。それはすなわち、数値的なデータからある種の判断を求め、その理由を表現させ、できれば表現を洗練・工夫することで他者の納得を導くような活動を数多く授業に取り入れることが重要だということでしょう。
 また、この問題自体からは、「問題の文脈を作る状況を広く考えるべきだ」というもう1つのポイントが示唆されます。我々が「活用」を考える場合、直前に学習した知識・技能を超えない範囲で、それが使われる日常的な問題を考えてしまいがちです。しかし、そうした制約にとらわれ過ぎると、問題状況がいびつになりかねません。「盗難事件」問題のグラフの問題点は、記述統計の指導では必ず取り上げられる話題ですが、レポーターのグラフ解釈に対する批判的意見を述べる場合には、算数・数学の範囲を超えて、メディア・リテラシーに関わる議論にも踏み込まざるを得なくなります。しかし、それでもあえて「社会のリアルな問題を取り上げる」という目的意識を優先させて学習課題を選択・構成することは、算数・数学と社会との繋がりを感じ取らせるために、また「活用しようとする態度」の育成のために、重要な指導のポイントになってくると思うのです。

4.おわりに

 ここではやや特殊なPISA調査の問題を取り上げ、そこから示唆される活用力育成のための指導のポイントを2点述べました。しかし、実は我々教師が最も意識すべき指導のポイントは、日々の算数・数学の授業を「既習事項の活用」という観点から構成し、児童・生徒にもそうした意識付けをはかるという所にあるのではないかと、密かに思っています。


コミュニケーション力は指の下に

■ 企業の求める人材

 経団連の「新卒者採用に関するアンケート調査結果」によると「選考にあたって重視するもの」の順位は次のようになっている。(2008年度)

 1位 コミュニケーション能力(79.5%)
 2位 協調性(53.0%)
 3位 主体性(51.6%)
 4位 チャレンジ精神(49.4%)

 コミュニケーション能力が断トツだが、この傾向は毎年、顕著になってきている。
 学生が気にしがちな「保有資格」などは、10位以内はおろか、どこにも見当たらない。相当なレベルでない限り、評価に値しないということなのだろう。
 それにしても、コミュニケーション能力の比重が年々増してきているのは、それだけ、面接官の質問をしっかり聞き、自分の言葉で適切に答える能力が弱ってきていると言えるのではないか。

■ 衰弱するコミュニケーション力

 昔、東京の大手の出版社へ、原稿の打ち合わせに出向いた時、広い編集部のフロアーは電話でやりとりする社員の声で喧騒としていて、すごい活気があった。
 去年、同じフロアーに行って驚いた。誰もしゃべっている人がいない。電話は全てメールに変わっている。原稿の依頼も催促も口を動かさず、指でするようになった。
 ここ10年、携帯電話が子どもたちの世界にまで急速に広がり、電車の中でも多くの高校生たちはメールに没頭している。車内が騒がしくないのは結構だが、座席に座っている女子高生がズラーと並んで携帯でメールしている光景は異様だ。
 学校の帰りにコンビニに寄っても、スーパーで買い物をしても、一言も会話せずに用事を済ませる。
 自販機でジュースを買っても、しゃべるのは自販機のほうだ。 家に帰って母親から「今日、学校はどうだった ?」、「べつに…」、「楽しかったの ?」、「ふつう…」と言って自分の部屋に逃げ、テレビをつけながらゲームに興じる。
 コミュニケーションしなくていい世の中で今の子どもたちは育っている。

■ コミュニケーション力を高めるために

 「コミュニケーション能力の育成は対話から」とよく言われる。
 対話は相手の話をよく聞くことが前提である。しっかりと聞き取り、適切に返答する力とは、ベラベラと冗舌に話すこととは別ものである。
 相手が何を求めているかを把握し、必要とされていることを返さなければいけない。
 それも、面接のハウツー本に書かれているような他人の言葉でなく自分の言葉で語る必要がある。
 自分の言葉で語れないのは”ネタ”を持っていないからだ。
 ”ネタ”とは自分自身の体験である。
 人は誰でも生まれてから今日まで様々な体験をしている。それをその時々にどう感じたか、どう対処したか、何が出来て何が出来なかったか、自分の長所は、短所は、といった自分史を持っているかどうかである。
 自己分析をし、自分を知っている人は、たとえささやかな体験であっても、相手の求めていることに自分の言葉で返せるはずだ。
 子どもたちに自分の生い立ちを振り返らせ、様々な体験をもとにして自己分析をさせることは、自己肯定感を持たせることにもつながる。
 文部科学省の学力テストの時に行われるアンケートに「自分にはよいところがあると思う」という項目があるが、これに堂々と「ハイ」と答えられないのは自分史を持っていないからだと言える。
 もうひとつ大切なことは、場数を踏ませることである。
 クラスの皆の前で、自分の意見を発表する機会、朝礼台の上に立って全校生の前であいさつをする機会、総合の時間に自分たちで調べたことをカンニングペーパーなしで訴える機会、そういう場数を踏むたびに場馴れしてくる。
 子どもたちはどの子も本当はお立ち台に立ちたがっている。皆に訴えて、自分のことをわかって欲しいと願っている。
 そういうチャンスを小学生の時からどの子にも数多く与えてやりたい。
 コミュニケーション能力を衰弱させないために、意図的な取り組みが求められている。

著者経歴
元 大阪府堺市教育長
元 大阪府教育委員会理事 兼教育センター所長
元 文部省教育課程審議会委員

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平城京・天平政治の舞台裏

 今年は、710年の平城遷都から1300年ということで、マスコットキャラクターの「せんとくん」を掲げた一大イベントが企画され、奈良への観光客の誘致がはられています。テレビでは、「大仏開眼」が話題をよび、シルクロードにつながる日本の道と重ね、日本の原郷、「日本のはじまりの奈良」への関心が呼びおこされています。そこには、昨今の日本をおおう閉塞感への苛立ち、ある種の「美しい国日本」を言挙(ことあ)げすることで「日本民族」の誇りを感じたいとの想いが読みとれます。この「天平」なる時代はどんな時代だったのでしょうか。

藤原政権への道

平城京 朱雀門 奈良県奈良市

平城京 朱雀門 奈良県奈良市

 平城京を都とした8世紀は、律令体制の下で、シルクロードにつながる仏教文化が栄え、いわゆる天平の盛事とよばれる世界が展開していました。しかし、王朝政治の底流では、激しい政争が絶え間なく続き、藤原一族の覇権が確立されていきます。
 律令政治は太政官が政治の中心となり、太政官は公卿といわれる太政大臣・左大臣・右大臣各1名、大納言2名、中納言3名、少納言3名と数名の参議で構成されています。この首脳部は、皇親と石上(いそのかみ)・多治比(たじひ)・紀・粟田・大伴・巨勢(こせ)らの有力豪族と大化改新の功労者藤原氏からなっていました。藤原氏は、大宝律令制定の中心であった藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘宮子が文武天皇の夫人となり首皇子(おびとのみこ。のちの聖武天皇)を生んだことで、天皇家の外戚として力をつけていきます。しかし720年(養老4)に右大臣であった不比等が死んだため、天武天皇の長子高市皇子(たけちのみこ)の子である長屋王がやがて左大臣として力をふるったのです。

学び!と歴史vol37復元図

平城京 復元図

 不比等のあとを継いだ藤原武智麻呂(むちまろ)ら4兄弟は、724年に即位した聖武天皇の夫人光明子(こうみょうし=安宿媛・あすかべひめ)が不比等の娘で武智麻呂の異母妹であったことで、長屋王に対抗しました。727年に光明子が生んだ基皇子(もといのみこ)が満1歳の誕生日を迎える前に病死したのは長屋王の呪いだとして、長屋王一族は滅ぼされました。長屋王は、臣下の出身が皇后になった前例がないとして、光明子が聖武天皇の皇后になることに反対したからだったのです。武智麻呂ら藤原一族は、長屋王が密かに左道を学び国家を傾けようとしているとの密告をもとに、長屋王邸を包囲攻撃し、王と妻子を自害させました。ここに藤原氏は、公卿9人のうち4人を占め、その主導する政権を確立していきます。

長屋王の祟り

 藤原一族による天平の政治は10年近くつづきましたが、737年に、2年前に新羅からもたらされた裳瘡(もがさ、天然痘)で4兄弟が病没したことで一挙に崩壊しました。聖武天皇は天然痘の流行に怯え、己が不徳のなすところとして、諸社への奉幣や護国経の転読などを行わせますが功なく、長屋王の子女の位階昇叙(いかいしょうじょ=官位があがること)などを行いました。光明皇后は燃燈供養で長屋王の菩提を弔い、「五月一日経」書写を発願して長屋王への罪障の滅罪をはかります。
 このことは、九世紀初頭に編纂された『日本霊異記』中巻の「己が高徳を恃(たの)み、賤形の沙弥を刑(う)ちて、もって現に悪死を得し縁第一」に、長屋親王らの屍を城外に捨て、焼き砕いて河に投げ散らし海にすてたが、親王の骨だけ土佐国に流した。そのため土佐国では多くの人々が死に、人々は「親王の気に依りて、国の内の百姓皆死に亡(う)すべし」と申した。天皇は、これを聞き、すこしでも皇都に近づけるために、紀伊国海部郡椒沙の奥の島(現和歌山県有田市初島町)に置いたとの話にみられるような、長屋王の祟りへの恐れあったことによります。政変による非業の死は、亡魂がこの世に祟りをもたらすとなし、怨霊の存在を意識させたのです。

広嗣の乱、広嗣の霊

 藤原四氏没後の政権は、右大臣橘諸兄(たちばなのもろえ)が中心となり、唐から帰国した吉備真備(きびのまきび)と僧玄昉(げんぼう)らが参加して運営されていきます。
 740年(天平12)、大宰府に左遷されていた藤原広嗣(ひろつぐ)は、天地の災害の元凶が吉備真備と僧玄昉にあるとなし、北九州の豪族・百姓を率いて叛乱を起こしましたが、大野東人(おおののあずまびと)に鎮圧され、唐津で処刑されました。ここに広嗣の式家に代わり南家が台頭し、朝廷も動揺します。聖武天皇は、律令の原理であった公地公民制が破綻し、天地の異変に怯え、都を恭仁京(くにきょう-現木津川市加茂)、紫香楽宮(しがらきのみや-現滋賀県甲賀市信楽町)、難波宮(なにわのみや-現大阪市中央区)に遷都し、平城京に還すという遷都をくりかえす有様でした。
 玄昉は、745年(天平17年)に藤原仲麻呂から筑紫観世音寺別当(太宰府市観世音寺)に左遷され、翌年に亡くなります。この死については、『続日本紀』天平18年6月の条が「世相伝えて云わく、藤原広嗣の霊のために害するところ」と記しており、『扶桑略記(ふそうりゃっき)』も「玄昉法師大宰小弐藤原広嗣の亡霊のためにその命を奪わる。広嗣の霊は今松浦明神なり」としているように、玄昉の死を広嗣の霊魂の仕業とする風聞が広く流布したのです。『平家物語』『今昔物語集』も広嗣の悪霊をめぐる物語を描き、天皇が怯えていたことを記しています。
 広嗣の霊は、悪霊としての強力さで、現在の佐賀県唐津市の鏡山の麓に鎮座する鏡神社、北九州市八幡東区の荒生田(あろうだ)神社、奈良市高畑町の鏡神社、京都府木津川市の御霊神社などに祀られています。

跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する亡魂・生霊

 橘諸兄の政権は、聖武天皇が譲位して孝謙天皇の時代になると、藤原仲麻呂と対立していきます。仲麻呂は、孝謙女帝とその母光明皇太后の信任を得て、皇后宮職を改称した紫微中台(しびちゅうだい)長官として、皇太后の権威を背景に権力を握ります。諸兄の子奈良麻呂は、仲麻呂を排除すべく決起しようとして捕縛され、拷問死します。奈良麻呂の乱は、「民間に亡魂に仮託し、浮言紛紜として、郷邑(きょうゆう=郷里)を撹乱する者あり」と、奈良麻呂の非業の死への同情が怨霊となって世を騒がすとの風聞を生んだようです。
 ついで仲麻呂は孝謙上皇の寵愛をうけた道鏡を排除しようとして処刑され(恵美押勝の乱)、廃帝された淳仁天皇は淡路に幽閉され、淳仁の兄弟船親王は隠岐国へ、池田親王は土佐国に流されました。孝謙は重祚(じゅうそ=一度退位した君主が再び君主の座に就くこと)して称徳天皇となります。『水鏡』は、称徳天皇の項に、天平宝字9年(765)に「淡路廃帝国土を呪い給うによりて、日てり、大風吹きて世の中わろくて、飢え死ぬる人おおかりきと申し合いたりき」と、淳仁の呪いで災異が起きたとの噂があったことを記しています。天平宝字の災害は淳仁の生霊が引き起こしたとみなされたのです。淳仁は、称徳の意向で淡路廃帝と呼ばれたままで、淳仁天皇と呼称されるのは明治3年(1870)になってからです。称徳は、淡路の淳仁が逃亡し、徒党を組んで皇位を奪いにくることを警戒しつづけたのです。淳仁は、天平神護元年(765)10月23日に歿しました。

「青丹よし」と歌われたかの平城京は、権力の争奪をめぐる激しい政争が渦巻き、非命に倒れた者の恨みが世を騒がしていたのです。平城遷都1300年の現在、復元された平城京に立ち、そこに眠る亡魂と向き合い、敗者の眼で時代の闇を読み解くのも、歴史の一作法です。


ねんど デ・アニメーション!

※本実践は平成20年度版学習指導要領に基づく実践です。

指  導  計  画

題材名

ねんど デ・アニメーション!

時 間

準 備

油粘土(薄い色は避ける)、爪楊枝(粘土細工用)、手動回転轆、スリット(8等分)の入った円筒形の黒画用紙と粘土を置く台紙

学習目標

  • 作家の作品を見たり、つくる過程を聞いたりすることで、作家の制作活動に対する熱意や思いを知る。
  • アニメーションの仕組みを知り、粘土で動く簡単なアニメーションをつくる。

主な学習内容

  • 作家の作品を見て、アニメーションの仕組みを知る。
  • 8コマで構成される簡単な話を考え、動きを工夫しながら(上下、左右、大小など)つくる。
  • 自分や友達の作品を鑑賞し、お互いの作品のよさや工夫について感じ取る。

主な評価の観点

  • アニメーションの仕組みに興味をもち、単純なアニメーションを考えることができる。(関心・意欲・態度)
  • 8コマの動きを考え、つくり、つくりかえながら、自分の思いにそって作品づくりができる。(発想や構想の能力)
  • 粘土の特性を捉え、丸める、伸ばす、つなげるなど試行錯誤しながらつくることができる。(創造的な技能)
  • 友達と作品を見合いながら、お互いの思いや工夫を伝え合い自分の作品にも生かそうとする。(鑑賞の能力))

「教科書で紹介されている作家さんが来てくれた!」

 希望に胸ふくらませ、5年生になった子ども達。毎年、子ども達と一緒に一年間にやってみたい内容など、教科書を見たり、実際に種々の作品を提示したりしながら計画をおおまかに立てることが定例になっている。
 「先生!この 石田卓也さん と言う人の粘土アニメーションって見たことあるよ!」教科書の最後のページを開きながら、目を輝かせ、興奮気味に伝えに来た子ども。楽しくっておもしろくって、つくってみたいと創作意欲が沸き起こる作品の数々。
 高学年になると、子ども達は自分たちがつくりたい作品だけではなく、鑑賞のページに掲載されている作品や芸術家自身の仕事へも興味・関心が非常に高くなる。

「石田さん登場!」

 子ども達に、石田さんとの授業が実現できることを伝えると大歓声が!
 前日には、石田さんとともに授業のための準備や仕込みをし、準備万端。子ども達にも簡単な粘土で動く8コマアニメを考えてくるように伝える。

 当日…石田さん登場に大興奮!今までの作品をビデオで見せていただきながら、つくる過程での思いや苦労、作品への熱い思いを伺った。
 色鮮やかな粘土があっという間にくるくると変化していくおもしろさや発想の豊かさにどの子も驚いている様子。

「アニメーションの1秒の動きに何枚くらいの原画を描くと思う?」
「10枚くらいかな…」
「正解は24枚」

Web実践事例vol04_02森脇先生 石田さんとのやりとりで、アニメーションを制作するには、豊かな創造力と発想の転換、頭の柔らかさが大切なこと(石田さんはいつまでも子どもの心を忘れないことと力説)一つ一つの動きをよく観察し、こだわりをもってつくっいること、歩くなどの一つの動作をつくるにもたくさんの時間がかかることなどなど…ものをつくりあげるには、総合的な力が必要なことを学んでいた。

「ふしぎ!ふしぎ!」

 ビデオでアニメーションの簡単なつくりを理解した子ども達は、実際に石田さんの作品を見せてもらうことにした。

Web実践事例vol04_01森脇先生

 [ぶたさんがぞうさんに変化するの巻]

 「顔の変化をよく見てごらん」
 「鼻がどんどん伸びている」
 「顔も変わっていくよ」
 「耳だって大きくなっている」

「芸術家の技にびっくり!」

Web実践事例vol04_03森脇先生 「8あるあなの中から一つ選んで、そこから目をはなさずに見ると、連続して見えるよ」

 「鼻がのびたりちぢんだりすごいなあ!」
 「よく見ると目も大きくなったり小さくなったり、つり上がったり、たれ下がったりして笑ったり、おこったりしている!」
 実際に子ども達の目の前で、粘土の作品をいとも簡単につくりあげてしまう石田さん。
 子ども達の感嘆の声!「石田さんの手は魔法の手!」と、どの子も職人技に驚いた。熟練した石田さんの手作業の早さや正確さは、子ども達にとってもよい刺激となった。鑑賞とは作品のみならず、作り手の思いや技、制作中の表情や身体の動きまでも含め素晴らしい出会いがあると再認識できた。

「さあ!つくってみよう」

Web実践事例vol04_04森脇先生
Web実践事例vol04_06森脇先生
Web実践事例vol04_05森脇先生
Web実践事例vol04_07森脇先生

●準備するものは…

 油粘土(薄い色は避ける)、爪楊枝(粘土細工用)、手動回転轆轤、スリット(8等分)の入った円筒形の黒画用紙と粘土を置く台紙

●つくるヒントとして…

 石田さんと相談し、自由につくらせることももちろん大切だが、子どもの実態に合わせ、今回はつくるヒントをいくつか示した。

  1. 大きい→小さい→大きい…
  2. 上→下→上…
  3. 縮む→伸びる→縮む…
  4. くっつく→はなれる→くっつく

など、4つの動きを基本として発想を広げさせる手がかりとした。

 「これはね、三角の生き物(木)が育っていく様子なんだ」
 「一番大きな木から小さい木になるときどんな動き方をするんだろう?」

「石田さん、見てください!」

 必ず、できたときは石田さんに声をかけ、評価をしていただく。
 まずは、回してみて確かめながら…
 「ここをもう少し大きくするとうまくつながっていくね」
 「すごい!びっくりするくらい変化しておもしろいね!」
 などなど、批評をいただき嬉しそうな子どもたち。
 もう一工夫とアドバイスを受けたところを、つくりかえてもう一度チャレンジ!

「お互いの作品を見てみよう!」

Web実践事例vol04_08森脇先生
Web実践事例vol04_09森脇先生

 「恐竜が生きているみたい!」
 「首を曲げたのがもどるとき迫力があるね!」
 「平らな粘土から生まれてくるってアイディアがすごいね!」

 グループの子ども達が競うように作品をもってきては、見せ合いお互いに評価をし合っている光景がほほえましい。
 最初の導入段階では、アイデアがなかなかでなくて、悩んでいた子ども達も、石田さんのアドバイスや友達の刺激を受けながら、多い子どもでは、6つもの作品をつくり上げ大満足の様子だった。

「できたよ!力作」

Web実践事例vol04_10森脇先生
Web実践事例vol04_11森脇先生

 [絵描きさん伸びた鼻の巻]

 これは、グループの友達と二人でつくりました。とんがった鼻が、急に平らになったところは、どのように動いて見えるかすごくわくわくします。

 [バレリーナのくつ踊るの巻]

 バレーを踊るときのトウシューズが楽しく踊りだすという作品です。私の大切なトウシューズに願いをこめつくりました。

「授業をおえて…」

 あっという間の2時間だった。石田さんとの打ち合わせで、子ども達に作品を紹介し、作り方を提示し、つくらせるという段取りは2時間では、精一杯と予想していた。しかし予想に反し子ども達は、石田さんからたくさんの刺激を受け、泉がわき出るように作品をつくり上げていった。芸術家との素晴らしい出会いは、子ども達の心にも深く刻まれ、「大好きな図工がもっともっとすきになった」「アニメーションの仕事に興味をもった」など、本物との出会いは、創作へのエネルギーの原動力と思えた素晴らしい一日だった。

シングルマザー親子を支援する仕組み作り

■ 離婚率は三組に一組になる

 今、離婚する者が増えている。三組に一組が離婚をしている、といわれる。件数は年間26万件にのぼるそうである。その結果、離婚件数の8割は母親が子どもを引き取る母子家庭となる。
 私はこれまで十数年間シングルマザー親子を支援するボランティア活動を行ってきた。そこから見えてきたことを報告する。
 シングルマザー親子は全国で百万世帯を超える。そして年収の平均は220万円ほどで低い。「貧困層」といわれる者が15%いる。それはかなり母子家庭と重なる。
 このしわ寄せの典型が親子の食生活である。仕事に追われ疲れた母親はなかなか朝食と夕食の準備ができない。ついインスタントなモノや店屋物に頼りがちである。
 ボランティアのきっかけは、このシングルマザー親子の食生活を支援できないか、であった。

■ シェフたちと料理キャンプ

 フランス料理のシェフたちが作ったNPO法人がある。日本エスコフェ協会である。会員は約600名近くいる。
 ボランティア活動は、このNPOと連携して一泊二日の料理キャンプを行う。シェフたちには簡便で野外でもできるフランス料理のレシピの作成と実際の料理指導をしてもらう。
 そこには大学生のボランティアスタッフも参加し、子どもたちと遊んだり料理の手伝いもしてもらう。
 私の願いは、このキャンプで覚えた簡便なフランス料理を親子で十日に一回でよいから、レシピを見ながら作って食べて欲しい、というものである。
 この料理キャンプのもう一つのねらいは、同じ境遇の者たち同士でネットワークを作ってもらう、ということである。
 そのために、夜はリフレッシュ・タイムと称して炉端懇談会を用意した。お酒などの飲み物を用意し、夜を徹して話し合う。子どもたちは大学生たちと一緒に就寝するので母親は思う存分に食べたり、飲んだりできる。

■ シングルマザーの悩みベスト3

 この場は本音タイムである。それこそ様々な意見が飛び交う。これらをまとめると、次の3点に絞れる。

  1. 仕事が欲しい
  2. よい弁護士を教えて欲しい
  3. 学校や教員への批判

 離婚した母親の多くはそれまでに定職をもっていない。離婚をきっかけに働き始めるが正社員の口はほとんどない。一年間のみの派遣かパートぐらいである。
 多くの母親は首切りの心配がない安定した職業を求めている。正確には、渇望している。
 二つ目は、別れた元夫からの慰謝料と養育費を上手くもらえるようになりたいので、安くて優秀な弁護士を紹介して欲しい、というものである。
 実際1992年、離婚した夫から養育費の支払いを受けている者は15%にとどまる。かつて受けたことがある者16%を加えても3割に過ぎない。民事執行法の改正が行われた後の2006年でも、養育費の支払いを受けている者は19%にとどまる。
 三つ目の学校・教員への批判は耳が痛い。「どんな教員養成をしているのか」という厳しい意見を数多くいただいた。
 批判の中心は教員たちの母子家庭に対する偏見である。子どもがいたずらをしたとき、母親のしつけがしっかりしていないから、と直接に説教をされている。
 教員の多くは母子家庭の置かれた経済的な苦しさはもとより、精神的な不安定さを理解できていない、という。シングルマザーに寄り添っていないのである。

■ 公助と互助と自助の仕分けをしよう

 公助はいうまでもなく公的な援助である。今回の子ども手当はシングルマザーにとって効果的である。15%いる貧困層にとって恵みの雨である。
 互助は互助組合という言葉に代表されるように助け合いである。料理キャンプでいえば、NPO法人のエスコフェ協会であり、大学生たちのボランティア活動が互助になる。
 自助はセルフヘルプである。自力で生き抜くのである。母と子どもが公助と互助を受けながら自立への道を歩むのである。
 経済格差が著しい。15%の貧困層への支援が不可欠である。しかし、支援する仕組み作りが遅れている。とりわけ、貧困層の多くを占めるシングルマザー親子の自立を進める支援が断片的である。
 教育においては、放課後の子どもの「遊びと勉強」を総合的に支援する仕組みを早く作り上げていきたいものだ。

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