孔子の教え

(C)2009 DADI CENTURY (BEIJING) LIMITED ALL RIGHTS RESERVED

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 およそ人間はどうあるべきか? たいへんな問いだが、孔子の「論語」のなかに、ひとつの答えがあると思う。弟子の子貢が、師の孔子に教えを請う。生涯の信条となる言葉とは、と。孔子は答える。「それ恕か。己の欲せざるところは、人に施すなかれ」。「恕」とは、思いやりのこころ、といった意味だろう。
 古今東西、普遍の真理と思う。
 今年2011年は、辛亥革命100周年、中国共産党の創設90周年にあたる節目の年。ここ数年、中国では、国策映画ともいうべき「建国大業」や「建党偉業」が製作され、興行成績は分からないが、多くの劇場で公開された。そのせいか、ふだんなら、たいていは日本より早く公開されるはずのハリウッドの大作映画の公開が遅れるという事態になったようだ。  
 節目の年ということなのか、日本では、このところ相次いで、中国の映画が劇場公開される。少林寺の歴史を辿った「新少林寺」、孫文と辛亥革命を描いた「1911」、司馬遷の「史記」を基にした京劇「趙氏孤児」の映画化「運命の子」などなど。

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 注目は、冒頭にあげた孔子の晩年を描いた「孔子の教え」(ツイン配給)だ。孔子は、「論語」で有名だが、その人生はどのようなものなのか、案外知られていない。意外にも、中国では、真正面から孔子を描いた映画は、これが初めてという。
 紀元前500年のころだから、ざっと2500年前、乱世の春秋時代。各地で起こる勢力争いのなか、周王朝は崩壊の危機にある。
 大国に囲まれた小国の魯の没落貴族の家庭に生まれた孔子は、乱世を憂い、魯の役人となる。
 魯の国には、殉葬といって、主人が死ぬと、使用人まで埋葬される慣習がある。孔子は、この悪しき慣習を廃止、魯の改革に乗り出していく。政治家としての才能を発揮した孔子は、やがて政治の陰謀に巻き込まれ、失脚する。
 紀元前497年。妻子や弟子を残して、孔子は放浪の旅に出る。孔子を慕う弟子は多い。顔回(レン・チュアン)が、旅する孔子に追いつく。ほかの弟子たちも、木簡を積んだ馬車とともに、孔子に合流する。弟子とともに、各国を巡る旅は、14年も続くことになる。
 映画は、史実をもとに、孔子晩年の20数年を再現する。迫力ある戦闘シーンも出てくるが、師弟同行の過酷な旅が、きめ細かく描かれる。もちろん、孔子の残した数々の有名な言葉たちが、場面場面に合わせて、効果的に語られる。
 「学を好み、死を守りて、道を善くす」、「義を見て為ざるは、勇なきなり」、「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」…。
 「論語」に残された孔子の言葉は、含蓄にあふれ、示唆に富む。分かりやすく解説した本も多数、出版されている。
 辛亥革命100周年の年、孔子の巨大な像が、天安門広場隣の中国国家博物館の北門前に飾られた。そして、ほどなく、撤去された。

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 また、ノーベル平和賞に対抗してか、昨年創設された孔子平和賞は、この秋、中止を決定。その後、孔子世界平和賞を創設するという新聞記事が出たが、これまた中止になったという。孔子をめぐって、いまの中国共産党のブレている現実が、端的に表れているようだ。
 孔子は説く。「寡きを患えずして、均しからざるを患え。貧しきを患えずして、安からざるを患う」と。世の格差、不公平が問題だ、と。 
 日本だけでなく、今、世界のあちこちで、いろんな意味での格差社会に、反対の声があがっている。そんな今、孔子の残した言葉の数々を、施政者や企業家は、改めて味わってほしい。もちろん、若い人たちも。
 筆者は、四十でも惑い、五十でも天命を知らず、六十でも耳に順わず。馬齢を重ねるばかりの不明を恥じるのみ。

2011年11月12日(土)より、シネスイッチ銀座ico_linkほか全国順次公開

■「孔子の教え」

監督:フー・メイ
製作:ハン・サンピン
プロデューサー:チュイ・ポーチュウ
脚本:チェン・ハン
撮影:ピーター・パウ
衣裳デザイン:ハイ・チョンマン
音楽:チャオ・チーピン
出演:チョウ・ユンファ、ジョウ・シュン、チェン・ジエンビン
2009/中国/中国語/125分/カラー/シネスコ/ドルビーデジタル
配給:ツイン


人の思いを形にする

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 今は代表という立場ですが、元々はリーダータイプではなく、人についていくタイプでした。美容師になろうと思ったのは幼稚園のときです。小学生のときには美容師になることを公言していました。
 美容師になって最初のころは、自分のためだけに仕事をしていました。あるときの失敗から、お客様のために仕事をしようと思うようになりました。すると、「ありがとう」と感謝の言葉をいただけるようになりました。美容師という仕事は、髪を切るだけでなく、髪の毛を通じて人を幸せにして、元気を与え、その人の人生までも変えられる、そういう仕事だと思います。
 海外、特にアジアの美容師業界では日本の文化が注目されています。日本が発信する側になっています。日本人は几帳面ということから、技術的な発展のスピードが早く、カットの技術は世界に認められています。
 わたしが子どものころは、見て、感じて覚える教育だったような気がしましたが、美容室で若い人たちを見ていると、今はそうではないようです。教わったことをただやっている感じでしょうか。今の若い人たちは叱られすぎると精神的に落ち込みやすいですね。つまり精神力が弱いのだと思います。そのため、その人のよさやタイプを感じ取って、それぞれ教え方を変えていかないと育たないような気がします。教育する側が教え方を“学んで”いかなければならない時代です。
 また、今の若い人たちはコミュニケーション能力が低い人が多いので、その力を高める教育が大切になります。皆、携帯電話にゲーム、下を向いて過ごしています。美容師はコミュニケーション能力、つまり人の心を感じ取る能力が必要です。常に笑顔で、お客様やスタッフに感謝の気持ちと思いやりをもつことがとても大切です。
 今の子どもたちには、自分にしかできないことをどんどんやってほしいです。決められた道を進むのではなく、自分で決めた道を進んで夢を追いかけてほしいと思います。

角 薫

角 薫

1975年、青森県生まれ。
美容室ACQUA dea代表。
“魔法の手”と言われているカットは、運気が上がる!とお客様から大評判。女性の感性を生かしたデザインだけではなく、内面的な部分から個性を引き出しプロデュースする。温かい人柄はお客様だけでなく、スタッフからも絶大な支持を得ている。
現在は、アジア各国をはじめ、世界へ日本のカット技術を広めている。


『KIDS ARE ALL RIGHT! ~映画祭のキンダーガーデン~』

topics_vol31-03 今年で第18回目を迎える、日本とヨーロッパとを結ぶ映像文化の祭典、「大阪ヨーロッパ映画祭」が11月3日(木・祝)~12月9日(金)の日程でエルセラーンホール、梅田ブルク7、兵庫県立美術館、梅田芸術劇場、イーマほかで開催されます。

 お子様をお持ちの映画祭ファンの方々のために、今年は親子で楽しめるプログラムをご用意しました。

 毎年、「子どもがいるから映画祭に行けない!」という意見から、小学1年生以上の子供たちを対象に映画祭会場に安心して子どもたちを預けられるキンダーガーデンがオープン! さらに、遊びながら映像の仕組みを体感できるプログラムを用意しています。「子どもたちも楽しめるヨーロッパ映画の上映を!」との思いで、未来の文化力を高める事業として、子供の映像教育の推進を図ることを目的に、毎年開催しているキンダーフィルム特集。トリノ市の子供たちが自ら制作した短編アニメーション作品を上映。鑑賞後に日本の子供たちは感想を絵にし、現地の子供たちへ届けます。さらに、イタリアから招聘したメディア・エデュケーター指導のもと、アニメーションの作成と映画製作の初期に使用していた映写機や3D眼鏡の作成にチャレンジ! 子どもたちが遊んでいる間、お父さん、お母さんは安心して映画をご鑑賞いただけ、子どもたちならではの柔軟な発想と個性的な映像に、思わず大人もその世界に引き込まれます。

○キンダーフィルム上映会

 5歳~10歳程度のトリノ市の子供たちが自ら制作したアニメーション作品を上映。鑑賞後日本の子供たちは感想を絵にし、現地の子どもたちへ届けます。(キッズプラザ大阪/エルセラーンホール)

○今年初めての試み『映画祭の学校』

 イタリアから招聘した保育士資格を持ったメディア・エデュケーターの指導の下、キンダーフィルム鑑賞後に映画初期に使用していた映写機、3D眼鏡を遊びながら作成にチャレンジ! 映画祭と同じ会場だから安心してあずけられます。(エルセラーンホール)

作成風景

作成風景

昔の映写機

昔の映写機

●キンダーフィルム特集●
~キンダーフィルム&ワークショップ 親子で楽しめる映画祭~

■11月19日(土)、20日(日)、23日(水・祝)/スカイアトリウム(ホテルエルセラーン大阪15F)

 5歳~10歳のイタリア・トリノ市の子どもたちが制作したアニメーション作品を上映し、鑑賞後、感想を絵にしてもらいます。この絵は、イベント後にトリノの子どもたちへ届けます。

 また、キンダーフィルム鑑賞後、イタリアから招聘したメディア・エデュケーター指導のもと、映画制作の初期に使用していた映写機や3D眼鏡の作成にチャレンジ! 子どもたちに、「映像」の仕組みを体感してもらいます。

 また、監修者でもあるメディア・エデュケーターによる映像教育の必要性とメディアリテラシーについての講演会を、保護者や教育者向けに実施します。(過去実績:06年フィンランド、07年ベルギー、08年エストニア、09年リトアニア)

【内容】3つのセクションに分けて、約2時間の構成です。

  1. アニメーションの鑑賞+感想を絵画
  2. 3Dめがね、映写機の作成
  3. アニメーションの作成

 ※各セクションの最大人数は10名。総勢30名までを予定。

■11月12日(土)、13日(日)/キッズプラザ大阪

 5歳~10歳のイタリア・トリノ市の子どもたちが制作したアニメーション作品を上映し、鑑賞後、感想を絵にしてもらいます。この絵は、イベント後にトリノの子どもたちへ届けます。

■このイベントの目的

  1. 子供がワークショップをしている間、親御さんは映画鑑賞
    過去の映画祭では、映画祭会場でキッズイベントを行っていなかった為、子供がいるから映画祭へ行けないという意見が多かった。今年はキッズイベントも映画祭と同じ会場にすることで問題を解消。親子で楽しめる映画祭に!
  2. ワークショップを通じて、遊びながら映像の仕組みを理解する
    遊びながら、昔の映写機・3Dめがね・アニメーションの作成を通じて、映像の仕組みを理解する。また、創造性・協調性・積極性が身に付く。


教員の資質能力向上

■ 中教審分科会の議論

 昨年から中央教育審議会に設置された「教員の資質能力向上対策特別委員会」では、大きく分けて、教員養成制度、教員免許制度、採用・任用・研修等を担う教育委員会の在り方について議論されている。
 教員養成制度、教員免許制度については、議論そのものが教員免許の修士化(4+2、今は4+αと言われている。)が議論の入り口だったので、学部4年に何年を継ぎ足すか、その際のカリキュラムはどうするか、といった具体論が今後展開されていくと思われる。このことで、注目すべきことは、専門免許の創設が話題になっていることである。専門免許については、具体的な議論は始まっていないが、経営、生徒指導、特別支援等の専門免許が例として示されている。これらの専門免許を取得した教員が、校長・教頭等の管理職や、地域での生徒指導・特別支援等の支援を行う立場や、大学等での教員として考えられるだろう。これに、教員養成の課程認定の問題も今後の話題となることが予想される。

■ 市町村の責任

 教員養成にいくら手をつけても4年ないし6年の問題であり、問題は、採用後40年近くの教員の資質向上に責任を持つ任命権者としての都道府県教育委員会や、実際に学校の設置管理者であり、服務監督者としての市町村教育委員会の責任である。地方分権一括法から10年を過ぎ、地方分権推進改革委員会勧告から5年を過ぎようとしているのに、地方分権の主体者として責任を果たしているのか。その最たるものが「県費負担教職員」の人事権問題である。勧告では市町村への移譲を前提としつつ、中核市への移譲については先行することを勧告したにも関わらず、人事権を持つことを嫌がる市町村と、人事権を手放したくない都道府県教育委員会が多く、現在まで結論が出ていない。
 学級編成の問題もこの間、県教育委員会の設ける学級編成基準が従うべき基準から、市町村教育委員会から都道府県教育委員会への同意を要する事前協議と移り、さらに来年4月からは事前協議の義務付けが廃止され事後の届け出となることに標準法は改正されたのに、果たして都道府県教育委員会は標準法が算定の基準と編成の基準が一致していた時代の学級編成基準から、算定の基準と編成の基準は別物であるという時代になって10年を過ぎたのに、学級編成基準を作る責任者としてその責任を果たしているのだろうか。市町村教育委員会はその準備を進めているのだろうか。
 我が国は第三の教育改革期である、と盛んに言われ、それを前提にいろいろな政策・施策を実施してきたはずである。この10年間の議論はすべてそこに収斂されるはずである。学校組織の在り方の見直し、地域と学校との関係、教職員制度の大改正、学校評価の導入や人事評価の改革等々、目標を理解せずひたすら上意下達で導入してきたのなら責任は重大である。こどもたちへの「生きる力」というメッセージもむなしく響く。

■ 学力向上

 教員の資質能力向上はいうまでもなく、子どもに反映されなければならない。そのことが教員の資質能力向上の目標である。しかし、その方法はあまりにも、いわゆる「指導技術」に偏っていないか。板書は…、発問は…等々、同じことを言い続け、指導技術だけで学力向上に向かっていないか。もちろん、それらのことは普遍の指導技術の面もあるが、今もって黒板とチョークを前提にしていたり、挙げ句の果てには、黒板とチョークが教師の本質であるような精神論が堂々とまかり通っていないか。もともとそれだけではないはずである。学校という組織がどう教育を組織的に行うかという、システムの面からのアプローチが必要である。それらの根本に手をつけようとしているのが、学級編成権の弾力化である。このことは、一斉授業、板書、学級主義からの転換を意味する。これらを変えることのできない普遍的なものとして捉える限り新しい学校の姿は生まれてこない。学校や学級の適正規模の話題も、言い換えれば一斉授業を何人にするかという議論であり、このことについては正解がないばかりか、取りこぼしを生み取りこぼしを補うために習熟度という方法を取るなどシステムとしての矛盾を内在している。
 これらの問題は、経済効率が生んだものであり、長く続いた右肩上がりの価値構造が転換するこれからの時代にはそぐわない。「経済効率優先の教育」から「知識効率優先の教育」へ転換すべきであるし、「組織マネジメント」から「知識マネジメント」への転換が求められる。

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