中教審答申と教育委員会

■ 教員の資質能力向上

 さる6月末に、中央教育審議会教員の資質能力向上特別部会は「教職生活の全体を通じた教員の資質能力の総合的な向上方策について」の審議の最終まとめの報告を行った。
 グローバル化や情報化等、社会の急激な変化に伴い、高度化・複雑化する諸課題に対し、学校教育において求められる人材像の変化への対応が必要として、新たな学びを支える教員の養成と、学び続ける教員像の確立をめざしている。そのために、教育委員会と大学との連携・協働により、教職生活全体を通じて学び続ける教員を継続的に支援するための一体的な改革を行う必要性があるとしている。
 今回の大きな特徴は、従来の大学における教員養成の在り方に留まらず、採用以後直接的な責任を持つ教育委員会の在り方についても言及しているところにある。

■ 教員養成・教員免許状の改革

 教員養成の改革の方向性としては、教員養成を修士レベル化し、教員を高度専門職職業人として明確に位置付けることとしているが、アジアにおいても韓国やタイにおいて多くの教員が修士を取得していることを始め海外の多くの国において、教員の修士化が進んでいる現状がある。
 この教員養成の修士化は、教員免許制度の改革の方向性として、学部4年で取得する免許、「基礎免許状(仮称)」の創設と、1年から2年程度の修士レベル課程での学修を標準として取得する免許、「一般免許状(仮称)」の創設からなる。
 さらに、特筆すべきは「専門免許状(仮称)」の創設である。これは学校経営、生徒指導、進路指導、教科指導、特別支援教育等、特定分野に関し高い専門性を持つことに対する免許状であり、学位取得とはつなげず、いわゆる研修等で取得することとされている。

■ 教育委員会・学校と大学の連携・協働による高度化

 さて、教職生活の全体を通じて教員の資質能力に直接的な責任を持つ教育委員会についてであるが、その主な内容は採用と研修である。教員の採用については教員の資格取得者と採用数にあまり差のなかった時代では、教員の資質能力の責任の多くは養成側にあったが、10数万の教員免許取得者が毎年大学を卒業し、うち2万~3万の教員採用が行われる現在では、教員の資質の問題は採用時点でも教育委員会側にあると言わざるを得ない。受験者の身につけた資質能力を採用者側が適切に評価するための手法の開発や、大学での学習状況や実習の状況について採用選考の際に評価する方法の検討などが急がれる。また、採用年齢の撤廃や、年齢構成上少ない年齢層の積極的な採用など工夫できるところは多くあると思われる。
 また、研修においては、教育委員会と大学との連携・協働による現職研修のプログラム化・単位化や、講習の質向上など教員免許制度更新制の見直しも必要となる。管理職段階における研修では、マネジメント力を身に付けるための管理職としての職能開発のシステム化を推進する必要がある。
 いずれにしても、採用を境に養成までは大学、採用後は教育委員会という垣根をなくし、教育委員会と大学が連携・協働し全体として教員の資質能力の向上を図る必要がある。そのためには、修士化においては、大学での学びだけでなく、教育委員会の行う研修、将来的には校内研修も視野に入れて、関係機関全体で教員の修士化を目指したプログラムを完成させ、部分的には研修センターでの講座受講や、校内研修の特定の内容も一般免許状や専門免許状の取得単位の一部として認定を可能とすることも必要となるだろう。

■ 教育行政幹部(教育長)育成

 これらのことに伴い、教育委員会の機能や責任は従来とは違った面も出てくるだろう。そのために、兵庫教育大学では、「教育行政能力育成カリキュラム開発室」を新しく設置し、教育行政幹部職員に必要な能力の同定とその能力開発プログラムを目的とした研究に着手したところである。その際参考となるのが、米国の教育大学院(スクール・オブ・エデュケーション)において行われている、学校管理者や行政担当者を対象としたEd.D(博士レベル)を授与するコース等である。

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【新連載スタート】本連載の方向と、ささやかな志

奥村高明

著者近影

 「図画工作科・美術科にできることとは何ですか?」
 以前から、よくそんな質問を受けた。今も、そのような話題になることは多い。
 行政的に答えることは容易である。図画工作科・美術科でできることは、学習指導要領が示す目標と内容であり、育てる能力は4観点である。それ以上でもなければ、それ以下でもない。それぞれの学校で教育課程を編成し、実施し、評価して、指導の改善を行う。それが正当だ。
 「いや、そうじゃなくて…」
 質問をした側は、その回答では満足しない。
 ただ、そうなると、先ほどの質問は教育課程とは別の話ということになる。話題は多岐にわたるし、焦点をどこにおくかで話は変わる。果たして自分に答える能力があるのか、そういう立場なのか、自信がなくなってしまう。そこで、そんな時は自分の気持ちを答えるようにしている。
 「私、図画工作科・美術科のために仕事をしているつもりはないです。でも、今、学校から図画工作がなくなったら、子どもが学校でうまく生きられなくなると思っています。だから図画工作科・美術科が必要だと思うし、応援しています」
 もちろん、この言い方が曖昧な言説で、図画工作科・美術科と他教科の二元論だということは承知の上だ。同じことは他教科でもいえるし、本質的に図画工作科・美術科は、教育課程の一つに過ぎない。しかし、こう答えると質問者の多くは安心した顔をしてくれる。そう、質問というものはたいてい「実際に質問したこと」は聞いていない。質問の奥には違うことがある。この質問の場合、図画工作科・美術科のこと以上に自分の存在意義を確かめようとしているのだろう。

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南台湾先住民ガラス工房にて(作業中の脇に筒に立ててあるガラス棒を上から撮影)

 でも、そろそろ「図画工作科・美術科に、今できることとは何か?」について本腰を入れて考える必要がある。なぜなら、もうじき曖昧さに逃げられない時期になるからだ。今、中央教育審議会はもっぱら大学教育について議論している。いわば大学の季節なのだが、おそらく数年後には幼・小・中・高などについて議論する季節になるだろう。
 そこで、本連載では、図画工作科・美術科に関わる人々が「図画工作科・美術科が今できること」について考えるための手がかりを提供したいと考えている。「図画工作科は子どもの何に役立つのか」「美術科は世の中の何に貢献するのか」など。もちろん、このテーマはあまりにも大きく広く深い。様々な角度から論じることができる。それに資することなど、とうてい無理だ。私の能力も、手元にある資料も知れている。
 ただ、一応30年以上図画工作科・美術科に関わってきた。自分自身が勇気づけられたエピソードもある。講演などで繰り返し紹介した思い入れのある事例がある。また、最近の調査には、図画工作科・美術科によって高められる力を明らかにしようとするものもあって、それはそれで有効かもしれない。本連載は、それらを、脈絡なく、思いつくままに羅列するだけの内容になると思うが、何かしらのヒントになれば、読者の方と一緒に考えていければ、と考えている。

 2回以降予定している内容は以下である。

・図画工作はいろんな子どもが生きる時間
・国籍が不可視化される図工の時間
・図画工作科・美術科は子どもを認める時間
・他者とともに自分をつくりだす教科
・美術は、哲学や思想を一瞬で伝える
・作品一枚で社会や文化について深く考えることができる
・ものをつくるときには多層な判断や思考の輻輳がおきる
・日本の図画工作科は世界的にみたら日本だけ


コッホ先生と僕らの革命

 (C)2011 DEUTSCHFILM / CUCKOO CLOCK ENTERTAINMENT / SENATOR FILM PRODUKTION

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 サッカーの強豪国ドイツに、いつ、どのようにしてサッカーがもたらされたのか。映画「コッホ先生と僕らの革命」(ギャガ配給)は、フィクションではあるが、ドイツ・サッカーの父と称される実在の人物、コンラート・コッホが、どのようにドイツにサッカーを伝えたかを描いていく。
 ドイツの帝国学校は、エリート校ではあるが、金持ちの子弟だけではなく、労働者階級の生徒もいる。生徒の間には、いじめも存在する。コッホ先生(ダニエル・ブリュール)は、英語の教師として赴任するが、イギリスで考案されたサッカーを利用して、英語を教えようとする。学校では、規律、服従を重視するが、コッホ先生はサッカーを通して、フェアプレーと仲間を敬愛する精神を伝えようとする。
 生徒たちは、とまどいながらも、サッカーの面白さに魅せられていく。コッホ先生を招いた校長先生のメアフェルト(ブルクハルト・クラウスナー)は、なにかとコッホ先生に肩入れするが、コッホ先生と、古い慣習を維持しようとする後援会会長たちとは、いろいろと摩擦が生じはじめる。

 (C)2011 DEUTSCHFILM / CUCKOO CLOCK ENTERTAINMENT / SENATOR FILM PRODUKTION

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 とはいえ、まったくシリアスなドラマではない。ドイツ帝国学校の古い慣習と、サッカーを教えようとするコッホ先生の理念とのズレが、笑いを誘う。戦争では、ドイツはフランスに勝利、今や、イギリスが敵といった時代背景がある。しかもサッカーは、イギリスで考案されたスポーツで、ドイツ人から見れば、ボールを蹴るなど、野蛮極まりない。この落差の数々に、多くの笑いが生まれる。巧みに配置されたユーモアに、映画の作り手セバスチャン・グロブラー監督の、人間を見つめる眼差しの暖かさを感じる。
 「貧富の差は、いつの時代、どの国にも絶対的に存在するが、サッカーを楽しむ上では無縁、貧富の差はない」と、映画は、おだやかに語りかけてくる。
 1874年のドイツ、ブラウンシュヴァイク。エリートの多く通うカタリネウム帝国学校が舞台である。ここに、イギリスのオックスフォードに留学していたコッホ先生が、ドイツ初の英語教師として赴任してくる。コッホ先生はカタリネウムの卒業生だ。これからは通信の時代、英語の教育が必要になるとの実験的意味もあっての人事である。 
 コッホ先生は、生徒たちにイギリスのイメージを聞く。野蛮だ、女帝がいる…。別に間違ってはいないが、偏見だとコッホ先生は思う。
 級長のフェリックスは、学校の後援会長の息子で、奨学金で通学するヨストをいじめている。
 夜、パーティの席で、コッホ先生は、学校全体の権力者である後援会長に出会う。規律と服従がすべてと言う会長に、未来は子供たち自身が決めることと、コッホ先生は答える。
 優秀なクラスの生徒たちだが、コッホ先生の英語の授業に、深い関心を示さない。「3分以内に体育館に集合」とコッホ先生。英語で「これはサッカー・ボールだ」と、ボールを蹴り、「これがゴールだ」と、「蹴る」ことを教える。
 生徒たちは、たちまち、サッカーに魅せられる。いつもイジメの対象になっているヨストは、サッカーの才能があって、仲間からも一目置かれるようになっていく。嫉妬からか、フェリックスだけは面白くなさそうである。

(C)2011 DEUTSCHFILM / CUCKOO CLOCK ENTERTAINMENT / SENATOR FILM PRODUKTION

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 ある日、コッホ先生の授業を見ようと、後援会長たちが、教室にやってくる。誰もいない。
 そして、体育館で、生徒たちがサッカーに興じているのを見る。ちょっとした事件が起きる。いきさつを理解できない後援会長は、たちまち、サッカー禁止令を校長に命じる。さて…。
 いまや市民権を得たサッカーだが、その黎明期のドイツでの話である。時代の変遷の節目節目には、教育の内容、質は、変化せざるを得ない。コッホ先生の行動や判断から、今なお、学ぶべきこと多々である。もちろん、サッカーや教育にとどまる話ではない。フェアプレーの精神、仲間や敵すら、人として敬うことは、時代を超えて、永遠の真理であることを、映画は伝える。

2012年9月15日(土)、TOHOシネマズシャンテico_link他全国順次ロードショー

■『コッホ先生と僕らの革命』

監督:セバスチャン・グロブラー
脚本:フィリップ・ロス、ヨハンナ・シュトゥットゥマン
原案:セバスチャン・グロブラー、ラウル・ライネルト
>出演:ダニエル・ブリュール、ブルクハルト・クラウスナー、ユストゥス・フォン・ドーナニー、トマス・ティーマ ほか
>2011年/ドイツ映画/114分/カラー/シネスコ/ドルビーデジタル
字幕翻訳:吉川美奈子
>>原題:Der ganz grose Traum
提供・配給:ギャガ
後援:ドイツ連邦共和国大使館