[論説]人が対話を通して学ぶ仕組みとICT ─21世紀型スキルと呼ばれるものをどう超えるか─ 三宅 なほみ ほか

  • 人が対話を通して学ぶ仕組みとICT
    ─21世紀型スキルと呼ばれるものをどう超えるか─
    …三宅 なほみ
  • 「クラス協創」活動におけるコミュニケーション&コラボレーション力の育成
    ─文化祭での学校紹介作品をクラスごとにデザインする─ 
    …山下 優子
  • ファシリテーションを意識した情報科の授業
    ─多様なグループワークを取り入れてコミュニケーション能力を高める─ 
    …石井 政人
  • 本気で問題解決の実習を実施して発見された新たな課題
    ─キャリア教育「浜市ふるさと講座」とのクロスカリキュラム─ 
    …矢頭 勇
  • クラスの実態を探れ
    ─Excelの集計・グラフを活用したレポート作成実践─ 
    …大岡 成樹
  • 嘉麻市内小中学校での情報教育実践例
    ─組織的なサポートで子どもの情報活用能力向上を─ 
    …池田 勇
  • PenFlowchartを使ってみませんか? 
    …中西 渉
  • 進化する情報の共有性と格差化
    −ネット広告から見る情報の選別と断絶− 
    …楢原 毅
  • 例えばコピペも2W1H?
    −コンピュータ操作を効率よく指導するには−

NOT YET OVER-あどけない瞳に映るもの-

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 2013年8月現在、郡山の子供たちは平常に戻ったかのように生活しています。ただ、避難された児童達はまだ、戻ってきていません。本当にこれでいいのかと迷いながら日々生活しています。
 しかし、私たちは前向きに考え必死に生きていこうと思います。

 私は、昨年出会った、ある高校の演劇部の「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか?」を漫画化させていただきました。この漫画を通して震災時のつらい高校生の心の葛藤を描きました。
 そして、今回、原発事故直後の1学期の小学校を舞台にした漫画を描きました。その当時のひどい生活を思い出し、また、聞いた話などを取り入れて描いてみました。
plus_vol1_01 残念ながら、私も普通の生活をしております。防災の意識が低くなってしまいました。私の思いは、震災後の福島の状況を風化させないことだけにあります。防災という意味でも忘れてはいけないことだと思っています。これは、私たち被災した者の使命だと考えています。今回の作品は私への戒めの意味も含まれています。ぜひ、県内の方たちにも、また、県外に住んでいる方たちにもいろいろ知ってほしいし、考えてほしいと思っています。

 フィクションではありますが、私の経験をもとにした作品です。いろいろな方に見ていただきたいと願っています。

学び!トピックス Vol.32「福島の先生が3.11後を漫画に。」

椿姫ができるまで

(C)LFP – Les films Pelléas, Jouror Développement, Acte II visa d’exploitation n°129 426 – dépôt légal 2012

 オペラは、面白い。すてきな音楽に、演劇、芝居が加わる。音楽は、オーケストラが奏で、歌唱、合唱が加わる。衣装も、装置も、美術も、シンプルなものもあるが、たいていは豪華だ。荒唐無稽なドラマもあるが、コメディもあり、シリアスな悲劇もある。
 多くのオペラのなかでも、好きなオペラは、ヴェルディの「椿姫」である。今年は、多くの傑作オペラを作曲したヴェルディの生誕200年になる。ヴェルディのオペラのなかでも、うっとりするほどの美しいメロディが数多く唄われるのが、この「椿姫」だろう。ことに第3幕で、ヒロインのヴィオレッタの唄うアリア「過ぎし日よ、さようなら」は、この世で、これ以上の美しいメロディがあるものかと、驚嘆する。「椿姫」は、マリア・カラスをはじめ、過去のソプラノの大歌手のほとんどがレパートリーにしているほどの超有名なオペラだ。

(C)LFP – Les films Pelléas, Jouror Développement, Acte II visa d’exploitation n°129 426 – dépôt légal 2012

 ドキュメンタリー映画「椿姫ができるまで」(熱帯美術館配給、アルシネテラン配給協力)は、フランス生まれ、当代きってのソプラノ歌手ナタリー・デセイが登場する。2011年のエクサン・プロヴァンス音楽祭で、ヴェルディのオペラ「椿姫」が上演されることになる。演出はジャン=フランソワ・シヴァディエ。指揮は、ロンドン交響楽団を率いたルイ・ラングエだ。ヒロインのヴィオレッタが、ソプラノのナタリー・デセイだ。
 映画は、オペラ「椿姫」のいわばメーキングだが、単なるメーキングの域を超える。オペラに限らず、いったいに演劇表現では、演出する側と、演じる側に、常に葛藤や解釈をめぐっての対立がある。オペラの場合は、演じるだけでなく、さらに唄うという行為が加わる。本作では、演出のシヴァディエが、自らの内にあるヴィオレッタ像を提出する。いろんなシーンに、解釈を加え、振りをつける。すべてを、デセイが鵜呑みにするわけがない。剽軽さを持つデセイが、シヴァディエの解釈に、とことん話し合おうと応じる。
 「椿姫」は、高級娼婦ヴィオレッタと、世間知らずの青年アルフレードの恋物語である。愛し合っていても、青年の父親が仲を裂く。さまざまな思いがヴィオレッタの脳裏をよぎる。愛し合っていても、ヴィオレッタは身を引く決心をするのだが…。ヴィオレッタは結核を患い、死期が迫る。ただそれだけのドラマながら、リアルに描かれた人物たちの、喜怒哀楽が交錯する。

(C)LFP – Les films Pelléas, Jouror Développement, Acte II visa d’exploitation n°129 426 – dépôt légal 2012

 「椿姫」は全3幕、そう長いオペラではない。シンプルなリハーサルが続き、そこにオーケストラが加わり、衣装や装置が、完成に近づいていく。優れた結果には、厳しい訓練が伴う。ひとつのオペラが、できあがるまでのプロセスに立ち会う痛快さが味わえる。
 女優を志したこともあるデセイは、演技経験が豊か。ヴィオレッタは、快適な暮らしをしているようにみえても、深い悩みを抱えている。全3幕にそれぞれ1回ずつ出てくる有名なセリフ「不思議だわ…」のリハーサル・シーンも出てくる。心理描写や身振りだけで演じるシーンも多く、デセイは、ことごとく自らのヴィオレッタ像を造形していく。
 ドラマの進行に合わせてのドキュメンタリーなのに、なかなかスリリングな展開、表現に、引きつけられる。監督のフィリップ・ベジアは、「ペレアスとメリザンド」や「ホフマン物語」などのオペラを映像化している。まことにオペラ好きなのだろう。
 多くの傑作オペラのなかでも、人間そのものがリアルに描かれる「椿姫」は、とにかく面白い。映画「椿姫ができるまで」を見ると、まず、オペラ「椿姫」を見たくなるに違いない。

2013年9月28日(土)より、シアター・イメージフォーラムico_link 他、全国順次ロードショー!

『椿姫ができるまで』公式Webサイトico_link

監督:フィリップ・ベジア
出演:ナタリー・デセイ、ジャン=フランソワ・シヴァディエ、ルイ・ラングレ
2012年/フランス/112分/カラー/ビスタ/ドルビーデジタル
配給:熱帯美術館/配給協力:アルシネテラン

あの頃、君を追いかけた

(c)Sony Music Entertainment Taiwan Ltd.

(c)Sony Music Entertainment Taiwan Ltd.

 2011年、台湾や香港で大ヒットした映画「あの頃、君を追いかけた」(ザジフィルムズ、マクザム、Mirovision配給)が、このほど公開される。
 舞台は台湾の中西部にある町、彰化。あまり深く将来を考えることのない高校生コー・チントンことコートン(クー・チェンドン)と、その仲間たちの群像劇である。時代は1994年頃からの10年ほど。高校生たちは、大学に進学、卒業してからの数年間を、いささかの誇張を交え、ドタバタふうではあるが、軽快なタッチで、青春の喜怒哀楽を綴っていく。日本のコミック、井上雄彦の「スラムダンク」に憧れた高校生たちは、大学では、日本のアダルトビデオの世話になる。台湾と日本、その状況はさほど変わらない。もちろん笑わせるが、ラスト近くからは、爽やかな涙を誘い、なかなかの瑞々しさ。こなれた演出に洗練を感じる。
 コートンには仲良しの同級生が4人いる。中学からの親友で、いつも股間を勃起させていることからボーチと呼ばれているシュー・ボーチュン(イエン・ションユー)。シェ・ミンハ(スティーブン・ハオ)は成績は優秀だが、食いしん坊で太っていて、アハと呼ばれている。バスケのNBAが大好きで、トレーディングカード収集が趣味のツァオ・グオション(ジュアン・ハオチュエン)は勉強が嫌い。リャオ・インホン(ツァイ・チャンシエン)は、いつも股間を掻いているので、マタカキと呼ばれている。

(c)Sony Music Entertainment Taiwan Ltd.

(c)Sony Music Entertainment Taiwan Ltd.

 5人は、いわばクラスの問題児。コートンとボーチは、ヒステリックな女教師の授業中に、オナニーのまねごとをする。たちまち二人は席替えとなり、コートンは優等生のシェン・チアイー(ミシェル・チェン)の前に座らされる羽目になる。しかも、チアイーに、勉強の指導を受けるよう、教師から言い渡される。チアイーは、5人組が憧れている女生徒だ。
 5人は、チアイーの注目を引こうと、いろいろとアプローチする。マタカキは、下手な手品を見せる。ツァオは、上手くもないドリブルを披露する。ポーチは、夜なのに、チアイーの家まで出かけて、リコーダーを吹く。アハだけは、幼稚でない証拠とばかり、エア・サプライのコンサートに誘うなど、老獪だ。そんな中にあって、コートンは、チアイーを好きなのに、わざと粗野な振る舞いで、素直に思いを伝えられないでいる。コートンの一種の愛情表現だが、チアイーは、百も承知である。
 ある日、チアイーが教科書を忘れる。コートンがとっさに、自分の教科書をチアイーに渡し、コートンが叱責を受ける。チアイーは、少しでもコートンの成績がよくなるよう、自作の試験問題をコートンに与える。しかし、乗り気ではないコートンの反応はいまいちである。チアイーはコートンに言い放つ。「軽蔑するのは、自分が頑張らないで、人の努力をバカにする人」と。やがて、コートンの成績が少しずつ良くなっていく。
 1997年。大学への進学の日が来る。コートンたち5人の仲間とチアイーは、それぞれの道を進む。そして、コートンとチアイーの愛の行方を、ハラハラしながら見守ることになる。

(c)Sony Music Entertainment Taiwan Ltd.

(c)Sony Music Entertainment Taiwan Ltd.

 監督は、もともと、いろんなジャンルのネット小説で注目を浴びたギデンズ・コー。映画監督のキャリアは浅いけれど、すでに手だれ。本作は、自身の自伝的小説の映画化で、幅広い才能を感じさせて、さらに今後に期待がもてる。
 台北生まれ、中華圏で抜群の人気を誇るジェイ・チョウの唄う「ヌンチャク」が挿入されたり、校内放送の呼び出しで「3年2組、ジェイ・チョウ、生徒指導室にすぐ来なさい」などの楽屋落ちサービスもちらほら。セリフに散りばめた数々のメッセージもいい。あきらめないこと、人の努力をばかにしないことなど、少年から青年、大人になっていくために必要な心構えが、さりげなく伝わる。映画の冒頭、ノートに書かれた言葉は、「笑われる夢にこそ価値がある」、「正義に必要なのは卓越した武芸だ」、そして「人生に無意味な出来事はない」である。

2013年9月14日(土)より、新宿武蔵野館ico_link千葉劇場ico_link ほか全国順次ロードショー!

『あの頃、君を追いかけた』公式Webサイトico_link

監督:ギデンズ・コー(九把刀)
製作総指揮:アンジー・チャイ(柴智屏)
出演:クー・チェンドン(柯震東)、ミシェル・チェン(陳妍希)
2011年/台湾/110分/中国語/シネマスコープ
配給:ザジフィルムズ/マクザム/Mirovision
宣伝:ザジフィルムズ
協力:トリウッド
特別協力:駐日台北経済文化代表処
協賛:チャイナ エアライン


子どもをとらえる方法と手掛かり~視線

 前回「図画工作・美術では、子どもと先生の間に作品があるので、子どもを具体的に認めたり、ほめたりしやすい」と書きました。本稿では、これを少し進めて、図画工作・美術で子どもをとらえるための方法や手掛かりについて考えます。

「子どもをとらえる方法」

 私たちは、普段からいろいろな手掛かりをもとに「見えない」相手の心中をとらえています(※1)。
 例えば、相手の足が細かく動き始め、時計を気にし始めたとしましょう。その様子から「ああ、話を終わりたがっているな」「次に何か用事が控えているのかな」と判断します。そして「じゃ、そろそろ」「…っていうところですかね」など、話を終わりに方向付ける発言をします。それに相手が乗ってくれば、先ほどの判断は正しかったというわけです(※2)。
 このような能力は生まれてすぐから発達します。赤ちゃんが、お母さんの向く方を向く、口を開けると口を開けるという動作をすることをご存じでしょう。これは、真似ながら相手をとらえようとする行為で原初的なやり取りです。乳飲み子ですら、お母さんの動きや声などから機嫌をはかります。人は人と交渉しながら生きていく生き物です。私たちは表情、動き、言葉など様々な手掛かりをもとに相手の感情や考えをとらえ、相手とやり取りしながら、概ね妥当に生活しているのです。
 図画工作・美術で子どもをとらえるのも同じ方法です。姿勢や動きなど手掛かりをもとに、子どもが何を感じ、何を考えているのか推し量ります。

「視線という手掛かり」

 手掛かりにはいろいろありますが、今回は視線を取り上げましょう。
 視線はいろいろなことを教えてくれます。例えば視線が隣の子の作品に止まれば「アイデアや色などを気にしている」と考えられるでしょう。子どもの視線が宙を泳げば「何か考えている」のかもしれません。さらに、視線を他の動きや作品と関係づけると、もう少し具体的なことまで分かってきます。
 例えば、写真を見て下さい。習字の筆や墨を使って模造紙大の和紙に何か描いています。「思いのままに筆を動かそう」とか「筆が動いて生まれた形」などの提案が行われたのでしょう。
 まず、真ん中の女の子は、ぐるりと画面全体を見渡します(図1)。

図1

図1

 その直後、画面上部に筆を「ドン!」と落とします(図2)。

図2

図2

 次に画面下部に目を移します(図3)

図3

図3

 そして、画面下部に向かって筆を「ピッ、ピッ」と振ります(図4)。

図4

図4

 10秒程度の出来事です。でも、そのわずかな時間の出来事から、この子が6年生らしい画面構成をしていることが分かります。
 まず、全体を見渡した後に、画面上部に大きく墨を落としたのは、そこに強い形が必要だと思ったからでしょう。次に、画面下部を見て、軽く筆を振ったのは、そこに小さな点が必要だと判断したからでしょう。つまり、この子は全体のバランスを考えながら筆を動かしているのです。それは高学年児童ならではの能力です。そのことが、この子の視線と、それに連動する手の動き、その結果としての作品などから分かるというわけです。
 一方、このような場面であっても、子どもの作品だけを見て評価する大人がいます。その場合、「書道と美術の融合で面白い」とか「大胆な作品だ」などのような「上から目線の評価」になりがちです。子どものすべてを作品からとらえることはできません。せっかく子どもが目の前で活動しているのですから、その姿から分かることを大事にしたいものです。
 視線は雄弁です。視線と手の動き、作品などを関連させることで、より具体的に子どもが何を感じ考えているかとらえられます。まずは、明日、誰か一人の子どもの視線に注目してください。ほんの数秒でよいと思います。そこでわかったことをもとに、子どもを認めたり、ほめたりしてみましょう。

※1:「見えない」というよりも、そもそもお互いに「見えるようにしている」というほうが適当だろう。環境との相互行為で自分をかたちづくるのが人間だ。
※2:必ず人は終わるためのやり取りを行う。


釈迦十大弟子

 「釈迦十大弟子」は釈迦の十人の弟子に普賢菩薩、文殊菩薩を加えた12の人物を六曲一双屏風に貼り込んだ作品です。1939年に制作し翌年国画会展に出品、1941年に洋画の新進画家に与えられる佐分賞を受賞しました。
 「わだば(私は)ゴッホになる」と、油絵画家を目指して、1924年に青森から上京した棟方は、展覧会で見た川上澄生(1895-1972)の版画にひかれ、やがて自らも版画の制作を始めます。1936年、長編詩を彫り込んだ板画絵巻「大和し美し」で頭角を現し、1938年には第2回文部省美術展覧会(新文展)に「勝鬘譜善知鳥版画曼荼羅(しょうまんふうとうはんがまんだら)」を出品、版画として初の特選を受賞しました。「釈迦十大弟子」も同時期のものです。白と黒の面の対比によって構成された切り絵のような作風で、美しさと力強さを兼ね備えています。
 板木には朴の木を用いており、上から下まで、また横幅もいっぱいに使って制作しています。両面を使用しているので板木は全部で6枚あります。普賢菩薩、文殊菩薩を彫り込んだ一枚は戦火で焼失してしまい1948年に作り直されました。
 戦後、新たに摺った作品を1955年、第3回サンパウロ・ビエンナーレに出品し最高賞を受賞、さらに翌1956年の第28回ヴェネツィア・ビエンナーレでは国際版画大賞を獲得、いずれも日本人初の受賞という快挙を成し遂げました。
 棟方は板の持つ性質を大事にしたい、板の魂を彫り起こすのだという想いから1942年以降、自らの版画を「板画」と呼び表しました。釈迦十大弟子も「板木のもっている力を無駄にせず、むきでるような方法をたてよう」と想いを込めて制作した力作です。

(棟方志功記念館 学芸員 天内敬子)

 

棟方志功記念館ico_link

  • 所在地 青森市松原2丁目1番2号
  • TEL 017-777-4567
  • 休館日 月曜日(祝日及びねぶた期間の8/2~8/7は開館)

<展覧会情報>

  • 秋の展示-「四季の彩り-花鳥風月を描く」
  • 2013年9月10日(火)~12月8日(日)

展覧会概要

  • 棟方の手掛けた四季折々の風物の板画を紹介。「柳緑花紅頌」「大原頌」、倭画「青森頌春夏秋冬図」をはじめ、十二ヶ月の四季の風物、四季を詠んだ短歌を題材に描いた作品を展示します。

<次回展覧会予定>

  • 冬の展示-「海の旅、山の旅-東海道棟方板画と信州油絵シリーズ」
  • 2013年12月10日(火)~2014年3月16 日(日)

その他、詳細は棟方志功記念館Webサイトico_linkでご覧ください。


八重よ(2)-新島襄との夫婦の世界【大河を読み解くシリーズ3】

 新島襄は、明治17年4月から18年12月までの1年8カ月に及ぶ欧米への旅行中、旅先から妻八重にこまごまと土地の状況を知らせるなかで、妻の身を案じています。この外遊中の手紙は、原書簡が遺されておらず、柏木義円(①)が筆写したものであるがため、新島家の個人的な話題を削除しており、旅先の見聞に関する記録を意識的に筆写したようです。そこには夫婦の世界を垣間見ることができます。

旅立ちにあたり

 4月4日、八重は湯浅治郎(②)らと英国汽船キーウァニまで送り、「別れに臨み祈祷す。鎌田、甲賀ふじ、八重は后にのこり、泛々小舟にのり神戸に戻る。舟よりも甲板上よりも白きハンケルチーフを振り、離別の情の切なるを表す」、と襄は船出の情景を「第二回外遊記」に認めています。船は午後7時過ぎに解䌫、8日6時半に長崎港着。八重は、長崎で投函された船内での見聞を記した7日付けの手紙を、11日に受取ります。
 手紙には、「御両親様方別して一体なるお前様に別るゝに随分四方に志ある此襄も心を哀しませぬ事はなく、旁々以て身体も大に疲るべしと案じ居る」となし、伝道等のための諸種の資金の配分を事細かに指示しております。その追記には「何卒々々しんぼうしてオトナシク御留守被下度希上候、グードバー」と。妻を案じる襄の姿がうかがえます。八重は、神経質なまでの各方面にわたる新島の詳細な指示をはたすのみならず、新島家の両親に仕え、学校の問題にも目を配らねばならなかったのです。
 それだけに襄は、甥の公義(③)宛の長崎安着を報じた八日付け手紙で、「何卒留守之義諸事御注意あるのみならず、偏に御老親方と八重をも御慰め被下度奉切望候」「返す返すも御老親方八重を御慰め被下度候、四方之志をして躊躇せしむるは只此一事也」と、留守宅のことを案じ、八重の支えになるようにと頼んでいます。
 襄が思い描く「四方之志」とは、公義が整理したものによれば、香港、シンガポール、セイロン、スエズ、アレキサンドリア、ローマ、フローレンス、ピサ、スイス、ドイツ、フランス、英国を広く見聞した後、九月末に北米合衆国に入り、ボストンをはじめとした故地を訪れ、日本伝道の成果を報告し、学校への支援を呼びかける旅でした。それは思い定めた学校、同志社大学設立への旅にほかなりません。

八重の身を案じ

 旅行記は、西洋見聞記として読んでも面白い世界が展開していますが、アジアに向ける眼を紹介しておきます。外遊の第二信は米国宣教師ヘーゲルの案内で香港を見聞した模様を報じたものです。香港政庁等の壮観さを「日本に見ざる所」と驚く一方、中国人街が「純然たる支那之実況を現出し家は暗黒又不潔、亞片烟を喫する人々の有様なと中々筆頭に尽し難し」となし、中国人の姿を次のように描いています。

先支那人の有様は上流より下等に至る迄一口に申せば此世に只衣食之為に出でたる者と申しても誣言にはあらざる可し

 襄は、かくアジアの野蛮に思いいたす各地の見聞を記すなかで、両親と八重の兄山本覚馬の安否を気遣い、同志社一統、学生の身を案じ、必要な経済的支援を指示しております。その八重が健康を患ったとの報には驚き、信頼している宣教医師テーラの診察を受けるようにと、その身を気遣い、新島家の嫁の身を案じたのです。

 御前様には未だに御全快無き由、其心配致候、費用は如何計り相懸候とも不苦、テーラ様(④)に御相談充分御療治被成候様仕度候、婦人之病気之一生涯之病ひ持になり、之が為に世の中に役にたたすとなる者少なからず、費用は如何ばかりかかり、又他人が如何に思ふとも決して頓着なく病に替へられず、且私も久々之脳病に而思ふ儘に之の為に働くを不得、中々困り候際、お前様も病人に相成候而は病気の共もダオレに相成、今日の如き働きの入用なる日本にあり共に病の為に妨げられしならば、御同様如何に不幸なる者となるべきも難計、療治も手厚く加へてもなをらぬ病気ならは致方無之候得共、充分手を尽さすして久々の病気とならば我々の手落ちと申べし、何卒心を大きく御持被成、少しの事にクヨクヨと御心配あらば、私遠国にあり中々お前様之御身に心配致し、私の養生もとげすして直に日本に帰らねばならぬ事も出来すべし、此身を主基督に捧げ、且我愛する日本に捧げたる襄の妻となられし御身ならば、何卒夫之志と且其望をも御察し、少々の事に力落さず、少々の事を気にかけず、何事も静に勘弁し、又何事も広き愛の心を以て為し、如何に人に厭はるるも人に咀はるるも、又そしらるるも常に心をゆたかに持ち、祈りを常に為し、己を愛する者の為に祈るのみならず己れの敵の為にも熱心に祈り、又其人々の心の る迄も其の為に御尽しあらば、神は必ずお前様之御身も魂迄も御守り被下べし、返す返す少しの事に御了簡違ひの無之様、種々六ヶ敷事あるは世のならひなれば、何卒主と共に棘の冠をかふり、又身にいたき十字架迄も御になひ被下度候、何事もすらすらと参るのが私共の幸ならず、此六ヶ敷世の中に心に罪を犯さず、人をにくまず、之を忍び神の愛を心に全うするこそ我等信者の大幸なれ(略)御年寄様も段々御年は進み、且少しは我儘も出可申候得共、此上又となき私の両親と思召、日本の癖として兎角しゆふとのよめによき面(カオ)をなさぬ事もあるべきも、返すか返すも御忍び御つかへ被下度、別して食物は女子共にのみまかせず、精々御注意ありて柔かなる物を御上被下度候、(略)何卒武士の心ばかりにては足らず、真の信者の心を以て主と共に日々御歩み被下度奉希候

 この手紙には、「武士の心」をもつ八重の言動が周囲に波紋をひろげ、孤立を深めている状況が読みとれます。八重は、気難しい襄の両親に仕え、同志社をめぐる個性的な人間関係のなかで、心労を重ねていました。とくに八重と両親との関係は襄をなやませていたようです。そのため老人への心配りを求め、夫の志を実現するためにも、イエスに目を向け、信仰によって生きることを説いたのです。ここには、襄と八重にとり、志をもって時代を生きることが如何に厳しいものであったかがうかがえます。八重は、襄にとっても、時代を己の足で馳せ行く女だったのです。

①柏木義円(1860-1938)
 越後国三島郡与板の西光寺に生れ、新潟師範、東京師範に学び、群馬県の小学校校長。同志社英学校に入学したが学費続かず、中退。再び群馬県で小学校校長。安中教会で受洗。再び同志社普通学校に再入学、熊本英学校教師。新島襄の信頼厚く、「同志社文学会雑誌」の編集を担当。教育勅語を批判。後に安中教会牧師として『上毛教界月報』を編集、足尾鉱毒を批判、非戦平和の論陣を展開、総督府の支援を受けた組合教会の朝鮮伝道を批判。
②湯浅治郎(1859-1932)
 群馬県安中の醸造販売業有田屋経営、帰国した新島襄の指導を受け、安中教会を創立。群馬県会議員として群馬県を廃娼県となし、衆議院議員であったが、新島没後の同志社をささえるべく、財政を担当。警醒社、民友社を支援。妻初子は徳富蘇峰の姉。
③新島公義(1861-1924)
 植栗義達の次男。襄が脱国していたので、弟新島双六が死亡したため、新島家の養子となる。
④テーラ W、Taylor(1835-1923)
 ミシガン大医学部、オベリン神学校を卒業、1874年(明治7)に神戸上陸、医療宣教師として同志社と契約したが、京都府が医療活動を認可しないため、1878年に同志社をやめ、大阪に在住して1912年まで医療とキリスト教伝道に従事。