16世紀という時代 ―開かれた世界への眼―(1)

 今年2017年は、ルターがヴィッテンベルグ城教会の扉に「95箇条提題」を掲げてローマ教会の在り方を告発し、宗教改革の狼煙をあげてから500年ということで、プロテスタントの諸教会が「宗教改革500年」の記念行事を各種企画しているようです。ルターが信仰の覚醒を説いた16世紀は、すでに1509年にエラスムスの『愚神礼賛』、1516年にトマス・モアが『ユートピア』を提示しているように、人間の精神が神の帳から解き放たれようとしていた時代の夜明けでした。このことは、日本においても1497年に蓮如が石山本願寺を創建、1501年に細川政元が日蓮・浄土の宗論を行わせたのをはじめ、1506年に北陸で一向一揆が長尾能景を敗死させたように、多様な宗教運動が民衆の心をとらえていく時代でした。
 ルターの告発は、このような時代の空気を揺り動かす精神の糧となることで、時代を震撼させたのです。その波動は、日本に到達し、蓮如に象徴される仏教諸派の信仰運動に連動することで閉ざされた民心を開いていくこととなります。
 イグナテイウス・デ・ロヨラを指導者にフランシスコ・ザビエルらは、ルターの叫びに応じ、ローマの教会―カトリックの信仰覚醒をめざし、1534年にイエズス会を結成、40年にローマ法王より認可され、全世界へ宣教をめざします。かくてザビエルの日本宣教は「キリシタンの時代」ともいわれることとなる16世紀をもたらしたのです。この時代については、すでに、「ルイス・フロイスがみた日本」(Vol.28Vol.29)、「キリシタンの時代」(Vol.68)、「日本、日本人とは」(Vol.69)等々でいくつかの事績を紹介しました。ここにあらためてザビエルの日本への眼差しをみるのは、昨今話題となっているマーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙SILENCE』、遠藤周作の『沈黙』が原作ですが、の問いかけている世界とは何かを現在の場から考えてみたいと想ったがためです。

ザビエルの旅

 ザビエルは、1506年4月7日にナバラ王国のザビエル城で生まれ、1534年8月ロヨラを指導者に同志7人とモンマルトンの丘で誓願(28歳)。この年は、ルターの聖書のドイツ語全訳、ヘンリー8世がイギリス国教会首長となった年でもありました。イエズス会がローマ法王パウロ3世より認可されたのを受け、42年インドのゴア着、49年4月、日本に渡航(43歳)、8月に鹿児島に上陸。すでに43年、ポルトガル船が種子島に漂着、日本に鉄砲が伝来していました。50年にキリスト教信仰の原理を述べた『公教要理』『使徒信教の説明書』を日本語に訳すとともに、鹿児島から山口を経て51年に堺からミヤコに入り、11日間滞在、11月に豊後沖の浜を出帆、中国広東の山川島(サンチュアン)で52年12月3日に亡くなります。
 ザビエルはこの旅のなかでインドなどとはことなる日本への夢を描き、日本宣教の可能性に明日を思い描いていたのです。

日本への憧れ

 ザビエルは、コーチよりローマのイグナチオ・デ・ロヨラ神父宛の1549年1月12日の書簡で、日本への熱い思いを認めています。ここには、「知識欲に燃える日本人」への強い期待が吐露されております。

 この地方(インド)でポルトガル人は、海上と海岸を支配しているだけです。すなわち、本土をすべて支配しているわけではなく、ポルトガル人が住んでいる部分だけを支配していることをあなたにお知らせします。(略)ポルトガル人がこの地方の未信者をもっと大切にしてくれれば、多くの人が信者になるでしょう。でも異教徒たちは信者になった人たちがこれほどまでに圧迫され、迫害されているのを見ていますから、それで信者になりたがらないのです。
 以上あげた理由によって、その他にも数えればさまざまな理由がありますが、日本についてたくさんの情報を入手したのが主な理由で日本へ行こうと思います。日本はシナの近くにある島です。そこではすべての人が異教徒で、イスラム教徒もユダヤ人もおりません。人びとは非常に知識を求め、神のことについても、その他自然現象についても新しい知識を得ることを切に望んでいるそうです。私は内心の深い喜びをもって、日本へ行くことを決心しました。このような知識欲に燃える日本人のあいだに私たちイエズス会員が生きているうちに霊的な成果を挙げておけば、彼らは自分たち自身の力でイエズス会の生命を持続してゆけるだろうと思います。
 ゴアの聖信学院には、私が帰って来た時に、1548年にマラッカから来た若い日本人が3人います。彼らは日本について重要な情報を提供してくれます。また彼らはよい習慣を身につけ、才能豊かで、とくにパウロは優れ、(略)8か月でポルトガル語を読み、書き、話すことを覚えました。今黙想中で大いに進歩し、信仰のことをたいへんよく受け入れております。日本で沢山の人びとを信者にしなければならないと、私は主なる神において大きな希望に燃えています。私を助けてくださる主なるイエズス・キリストにおける大きな希望を持って、まず国王のいるミヤコへ行き、次に学問が行われている所大学へ行く決意です。
 パウロが言うには、彼らが信奉している教えは、天竺(チエンジコ)と呼ぶ地からシナを過ぎ、タタールを経て伝えられたものだそうです。パウロの話では、日本から天竺へ行き、また日本へ帰るのは、3年の道のりだとのことです。

 この日本像こそは、日本宣教に赴くイエズス会の宣教師をとらえてのもので、その心に刻印された世界でした。日本宣教は、この日本像をめぐる確執、蹉跌であり、深い沼地たる日本という大地にのみこまれていく『沈黙』が問いかけた課題ともなるものです。『沈黙』が投げかけた問い、「なぜ神は我々にこんなにも苦しい試練を与えながら、沈黙したままなのか―?」に応じる前に、日本宣教への眼を確かめておきます。

考える視点を明確にし,「自己理解」に生かす授業実践(第4学年)

1.はじめに

 『小学校学習指導要領解説 特別の教科 道徳編』の第3章1の(3)では,「児童の発達的特質に応じた内容構成の重点化」が取り上げられている。道徳科で扱われている内容項目について,「児童の道徳的価値を認識できる能力の程度や社会認識の広がり,生活技術の習熟度及び発達の段階などを考慮し,最も指導の適時性のある内容項目を学年段階ごとに精選し,重点的に示したものである。したがって,各学年段階の指導においては,常に全体の構成や発展性を考慮して指導していくことが大切である。」と解説があり,道徳的価値が,発達段階に配慮して指導されるべきであることを示している。児童の発達段階や実態に合わせ,内容項目の関連的,発展的な取扱いの工夫を道徳科の中で教師が意図的にねらっていく必要があることを踏まえ,今回の授業実践を行うことにした。

2.課題意識をもたせる授業展開について

 本教材は,児童の身近な生活体験が描かれた作品である。主人公のひろしはたつやと1年生の頃から同じクラスで,一緒に勉強したり,遊んだりする仲のよい友達だった。ある朝,たつやはひろしに宿題の算数のノートを見せてくれと言う。すぐに渡さずにいると,たつやは「友達だろう。」と言い,ひろしのノートを持っていってしまう。その後も,写し終わらないので貸してくれと言ってくる。その後,ひろしがたつやに算数の宿題を自分でやるように伝えると,たつやは,「ぼくたちは友達どうしじゃなかったのか。」と言い,2人は一日中,口をきかずに過ごすことになる。ところが,帰りのしたくをするときに,たつやは,ひろしに対してにっこりとほほえみ,2人は「友達」としての思いをお互いに理解していくという内容である。
 本教材では,仲良しの友達に頼まれごとをされた主人公が,それを果たすべきかどうか迷いながらも,「友達」とはどうあるべきか自分なりに考えていく姿が描かれている。授業実践では,導入時から「友達」とはどんな存在なのかを児童に課題として問いかけた。児童は,「友達」とはどうあるべきか考える主人公の思いについて自分との関わりで考えることができた。また,自己を見つめる場面で,再度問い直すことで,「友達」に対する自分の考えをさらに深め自覚することができた。
 以上の実践から,考える視点を明確にした今回の手法は,教師の指導観を児童にはっきりと示すとともに,児童が自分との関わりで考える姿勢につながったといえる。今後も導入時の発問は,児童の実態や教材の特性に合わせ,丁寧に取り扱っていく必要があると感じた。

3.展開例

■主題名:友達だから
■内容項目:B〔友情,信頼〕
■教材名:「友達だから」(日本文教出版)
■ねらい:自分の思いが伝わったと気付くひろしの気持ちを考えることから,友達と互いに信頼し合い,助け合おうとする心情を育てる。

学習活動
(◎中心発問,○発問,・予想される児童の反応)

◇指導上の留意点
◆指導上の工夫 ★評価


1 価値への導入を図る。

◇友達についての考えを共有できるようにする。

○友達がいてよかったなあと思うことを聞かせてください。
・休み時間に一緒に遊んだり,話したりして楽しい。
・勉強を教えてくれて助かった。

◆学級の友達と楽しく過ごしている様子の写真を掲示し,場面を想起しやすいようにする。


2 教材「友達だから」を読んで,ひろしの気持ちについて考える。

◆「ひろし」と「たつや」を掲示し,2人が友達であることを確認する。

めあて 「友達」ってどんな人か考えよう。

○もやもやした気持ちが広がっていったのは,どのような気持ちからでしょう。
・ひどいなあ。自分のことばかり考えて。
・ノートを貸すのは友達ではない。
・たつやのためにならない。

◇算数のノートを貸してと言われたひろしが友達として迷う気持ちについて気付かせる。
◆たつやのセリフを吹き出しで提示し,友達に対するひろしの思いをとらえやすくする。

○「あとは自分でしたら……。」と言ったとき,ひろしはどんなことを考えていたでしょう。
・友達だからこそ相手のためになるようにする。
・自分で宿題をやらないと意味がない。
・断っても,たつやならわかってくれるかも。

◇友達だから,たつやに自分で宿題をやってほしいと願うひろしの気持ちに気付かせる。

◎たつやがにっこりほほえんだのを見たとき,ひろしはどんな思いになったのでしょう。
・ぼくの気持ちをわかってくれた。
・よりよい友達として。
・友達だからこそ……。
・たつやはやっぱり友達だ。
・友達とは高め合い助け合う人だ。
・これからもたつやといい友達でいたい。
・言いにくいことも友達のために言うのが友達だ。
・助け合うのが友達だ。

◇ひろしのたつやへの思いが伝わったときの気持ちに気付かせる。
★自分の思いが伝わったと気付くひろしの気持ちを考えることから,友達と互いに信頼し合い,助け合おうとする気持ちになったか。

深める発問
たつやはひろしのどんな思いをわかってくれたのでしょう?

3 自分の生活を振り返る。

○自分にとって友達とはどんな人たちですか。また,自分はその友達にとってどんな人でいたいですか。

★自分がこれから大切にしたい友達との関わり方を考えることができたか。


4 教師の説話を聞く。

◆谷川俊太郎の『ともだち』の詩を読み,友達のよさを感じ取らせる。

レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮

(C) Rai Com – Codice Atlantico – Skira Editore 2016

 「モナ・リザ」や「最後の晩餐」の絵で、あまりにも有名なレオナルド・ダ・ヴィンチだが、では具体的にどのような人物なのかは、意外と分かっていないことが多い。このほど公開になるドキュメンタリー映画「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮」(コムストック・グループ配給)を見ると、大天才のダ・ヴィンチが、どのような人物だったか、その作品はどのようにして描かれたかが、よく分かる。
 映画は、パリのルーブル美術館から、ダ・ヴィンチの傑作「ラ・ベル・フェロニエール」が、運び出されるところから始まる。2015年、ミラノで開催の万博に展示するためである。次いで、カメラは、ダ・ヴィンチの生まれたフィレンツェ郊外のヴィンチ村から、ダ・ヴィンチゆかりの地であるフィレンツェ、ミラノの風景を映しだす。
 ダ・ヴィンチが生まれたのは1452年。フィレンツェでも名門の工房に入門し、いくつかの絵を描くが、その完璧指向のせいか、未完のままの作品が多い。ダ・ヴィンチは、30歳のころ、ミラノに向かう。ミラノを仕切っていたのは、イル・モーロことルドヴィコ・スフォルツァである。ダ・ヴィンチは、イル・モーロの支援を受ける。映画の冒頭に出てきた「ラ・ベル・フェロニエール」は、このイル・モーロの愛人がモデルといわれている。

(C) Rai Com – Codice Atlantico – Skira Editore 2016

 ミラノでは、やはり傑作といわれている「岩窟の聖母」や「最後の晩餐」を描く。ダ・ヴィンチの才能は、絵を描くことだけではない。自然科学、工学、建築学などを研究、修得する。映画は、主に、ダ・ヴィンチのもっとも充実した仕事を残したミラノ時代を中心に描かれる。
 ダ・ヴィンチはどのような人物で、どのような作品を残したのか。さまざまな学者、作家、評論家たちが語る。「最後の晩餐」の修復責任者で近代美術史の教授。ダ・ヴィンチの作品について著した作家。ヴェネツィアの現代建築史の教授。美術史家でもある評論家。ダ・ヴィンチ研究の美術史家。レオナルド・ダ・ヴィンチ記念国立科学技術博物館の学芸員。本作の原案・脚本家。それぞれが、ダ・ヴィンチの残した多大の功績を語る。
 最近のドキュメンタリー映画でよく登場する、いわゆる再現映像で、当時のさまざまな人物もまた、ダ・ヴィンチについて、その人物像を語っている。当時の衣装をまとい、背景のセットもまたリアルで、うまく再現されている。ミラノ時代のスポンサーともいえるイル・モーロ。「白貂を抱く貴婦人」のモデルで、イル・モーロの愛人のひとりだったチェチリア・ガッレラーニ。イル・モーロの妻の姉にあたるイザベッテ・デステ。ダ・ヴィンチがサライ(小悪魔)と呼んだ素行の悪い弟子のジャン・ジャコモ・カプロッティ。ダ・ヴィンチの人生に最後まで仕えた弟子のフランチェスコ・メルツィ。ダ・ヴィンチから絵画の技法を学んだラファエロ・サンツィオなどなど。いささかの皮肉もこめられるが、いずれも、ダ・ヴィンチの人となりを語り、その多彩な才能を賞賛する。

(C) Rai Com – Codice Atlantico – Skira Editore 2016

 数々の絵画の傑作もさることながら、ダ・ヴィンチの才能は、機械工学、航空学、解剖学でも発揮される。多くのスケッチが残っている。なかでも、「ウィトルウィウス的人体図」は超有名で、きっと、どこかでご覧になったことと思う。人が空を飛ぶ。ダ・ヴィンチの夢のひとつに終わったが、やがて、これは現実となる。
 ダ・ヴィンチの残したスケッチや手記は、ぼう大な数だが、完成した絵は15点ほど。どれもが傑作である。「音楽家の肖像」、「洗礼者ヨハネ」、「受胎告知」などは、もっともっと長い時間、静止画像で見てみたいほどである。さらに、ダ・ヴィンチが成し遂げたといういろいろな画法、技法についても、詳細な説明がある。なぜ、平面の絵が立体的に見えるのか、描かれた人物の視線はどこにあるのか、などなど。
 映画を見ているというより、ダ・ヴィンチという巨人の、いわば総合展覧会に踏み行ったような錯覚を覚える。もちろん、「モナ・リザ」という傑作についての考証も出てくる。
 このような、優れたドキュメンタリーを撮ったのは、ルカ・ルチーニとニコ・マラスピーナである。ルカ・ルチーニは、オペラの殿堂ともいえるミラノのスカラ座の歴史をたどったドキュメンタリー映画「ミラノ・スカラ座 魅惑の神殿」も撮っている。イタリアという国の文化や歴史を、まさに正攻法で伝え続けようとする、立派な仕事と思う。

2017年1月28日(土)より、シネスイッチ銀座ico_linkほか全国ロードショー

『レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮』公式Webサイトico_link

監督:ルカ・ルチーニ(『ミラノ・スカラ座 魅惑の神殿』)、ニコ・マラスピーナ
出演:ピエトロ・マラーニ(「最後の晩餐」修復主導)、マリア・テレサ・フィオリオ(ダ・ヴィンチ研究第一人者)
2015年/イタリア映画/イタリア語/82分/カラー/原題:Leonardo Da Vinci – The Genius in Milan
提供:テレビ東京、コムストック・グループ
配給協力:東京テアトル
映倫:G

「おえかき」から学力を伸ばす ~フィリピン貧困地域カシグラハン調査報告:第2回~

1.はじめに

 本稿は、以前紹介したフィリピン貧困地域カシグラハン調査報告の第2回です(※1)。今回の訪問の目的は、ランダム化比較試験(※2)の対象クラスにおける「おえかきプログラム」の実施状況視察と、担当するNPOソルト・パヤタス(※3)のコーディネーター研修会です。その概要を報告します。

2.「おえかきプログラム」とは

 「おえかきプログラム」は、簡単に言えば日本の図画工作の教科書に載っているような絵の題材群です(※4)。日本の図画工作の題材は「対象を見てただ絵をかく」「特定のテーマを与えてその通りにつくる」というものではありません。絵をかく場合も、必ず子どもが何か考えたり、工夫したりする必要があります。それは、絵の出来映えよりも、その子の学力を伸ばすことを目的とし、学習者中心の活動が題材として組み立てられているからです。今回のカシグラハンのプロジェクトも、学習プログラムによって学力を伸ばせるかどうかを調査の目的としています。そこで学力伸長を明確にした日本の図画工作を取り入れることになったというわけです。
 同時に、それは先生や友だち同士の相互作用を含むことも意味しています。図画工作のプログラムでは、授業の導入やまとめをシンプルにして、できるだけ主体者である子どもの活動時間を確保するように構成されています(※5)。子どもは活動中に、自ら情報を収集し、それを自分の表現に活用します。このとき頼りになるのはまわりの友だちの活動で、重要な情報源となっています。また、先生の指導や支援も、直接関わる子だけでなく、他の子どもの活動に影響を与えています。「おえかきプログラム」は、一人一人の学力伸長を目指すと同時に、友だちや先生などの活動が相互に関わり合うことによって子どもの学力を伸ばそうとするプログラムと言えるかもしれません。

3.研修会の概要

 しかし、このプログラムの特徴が、そのまま実施上の課題となりました。
 まず、カシグラハンのフィリピン人コーディネーターにとって、題材そのものが「難しい」のです。確かに日本の図画工作に慣れていない人にとって、子ども自身が思考し、判断する表現活動は難解に感じるでしょう(※6)。また、コーディネーターは教育に携わった経験のない人がほとんどです。表現活動を通して子どもが学力を発揮する〈理解〉はあるのですが、具体的な〈指導〉となると不安です。一応「コーディネーター心得(※7)」として指導上の配慮事項を示しましたが、その冒頭にある「子どもを簡単にほめないこと」に戸惑っていたようです。また、コーディネーター自身が子どもの学習活動の資源であることも分かっていませんでした。
 そこで、今回の研修会を実施することになったのです。目的は「おえかきプログラム」の特徴を理解するとともに、コーディネーターの不安を取り除くことです。まずコーディネーターに、いくつかの「おえかきプログラム」をやってもらい、子どもが力を発揮している感覚を味わってもらいました。その上で指導のポイントや「コーディネーター心得」をおさえました。さらに、視察した授業から子どもの事例を取り上げ、コーデネーターの理解促進を図りました。本稿では、その1つP君の事例を紹介しましょう。

4.P君の事例

(1)題材「魔法のタネ」

 「魔法のタネから、飛行機やお城などいろんなものが生まれてくるよ!」。タネというきっかけから、形や色を工夫しながら、想像力を働かせてかく題材です。

(2)場面1

写真1


写真2

 写真1を見てください。P君(写真左下)の隣(写真左上)にいる女の子が、タネから出てきた植物の花、葉、茎、雲などを「複数の色のクレヨン」を使って表しています。「想像力を働かせる」という目的は達成していませんが「色を工夫する」ことはできています。そこで、これを「コーディネーター心得1:まず、子どもの事実を認める」事例としてとらえ、一緒に視察したNPOの日本人コーディネーターに「いろいろな色を使ってるんだね」と伝えてもらいました(※8)。
 着目したいのは、この時P君が、この様子をじっと見つめていることです。タネから花や木などの植物が出てくる絵をかいている子どもは多く、P君もその1人でした(写真2)。この時点では比較的単純に植物をかいているだけです。P君は、色の工夫を取り入れるのでしょうか?

(3)場面2

写真3

 写真3を見てください。P君は、色ではなく、花の形を変えました。ただ、その形は特徴的です。花をかく子どもの多くは、それまでP君が描いているような類型的な花の形(写真2)でした。雪の結晶のような形はP君だけです。そこで、これを「新しい花の形をつくりだしている姿」としてとらえ、P君を賞賛することにしました。使うのは「コーディネーター心得4:ほめるときは自分の感情を素直に伝える」です。「この形、好きだなぁ」と伝えてもらいました。

(4)場面3

写真4

 その後、活動は終了し、私たちは集めたスケッチブックを点検しました。学習目標のうち「想像力を働かせる」ことには課題が残りました。しかし複数の色を組み合わせたり、面として塗ったりする子どもたちが多くいました。これまで、クレヨンは、単色で用いられることがほとんどでしたから「形や色を工夫する」ことについては概ね達成したと言えるでしょう(※9)。

写真5

 さて、P君はどうだったでしょうか。写真4が最終的な姿です。最上部の花(写真5)を見てください。P君は、茎をさらに伸ばし、写真3でつくりだした花の形を、1つ1つの花びらの色を変えて表しています。「色を組み合わせて1つのものをかく」という表現は、これまでの彼のスケッチブックにはありませんでした(※10)。また、花弁がハラハラと落ちている表現も加わっています。彼にとって「新しい表現」がつくりだされたと考えてよいでしょう。
 また、P君は、最上部に雲と鳥をかき加えています。まわりに雲や鳥をかいた子どもはいたので、それを取り入れたのかもしれませんが、絵の全体を一つの空間としてまとめたかのようにも見えます。また、雲は笑顔です。それはかき終わったときのPくんの表情にも似て、自らの活動を喜び、その思いを温めているように感じられました。
 結果的に、この絵はP君の発揮した学力の変化が、絵の下部、中部、上部、最上部と一目で分かります(※11)。また、大人目線ではありますが、作品としても十分に完成しています。あるコーディネーターはこの作品を見て「一枚の絵に子どもの成長が見える」と発言しました。それは、コーディネーターとして、子どもの作品から子どもの成長を理解した素直な実感だと思います。
 P君の変化の背景には様々な要因があるでしょう。おそらくコーディネーターの指示や、子どもへの声かけ、子ども同士の情報交換、何より彼自身の学力などが絡み合った現象であったと思われます。

5.おわりに

 子どもの学力について、本稿の事例はあくまでも個別的、一時的です。たった一回の実践をもとに「おえかきプログラム」に学力伸長の効果があるとか、継続的で汎用性があるとかとは決して言えません。それは、今回の調査が終了し、統計的なデータがそろって初めて言えることです。もしかすると「おえかきプログラム」には効果がないかもしれないのです(※12)。
 ただ、今回の研修会を通して「一つの題材の中で子どもの発揮する学力が変化すること」「友だちや先生が資源となって連鎖し合うこと」などついてはコーディネーターと確認できたように思います。もし、コーディネーターが、子どもの姿や作品などから「子どもが伸びること」を実感し、その仕事に魅力や自信を感じてもらえたら当初の目的は達成できたと言えるでしょう。カシグラハンNPOの今後に注目したいと思います。

 

※1:学び!と美術<Vol.43>「フィリピンの貧困地域における鑑賞教育の可能性」
この原稿を執筆した時点では鑑賞教育を想定していましたが、その後「おえかき」にしぼったプログラムに変更しました。
※2:ランダム化比較試験は、東京大学大学院経済学研究科の澤田康幸先生、慶應義塾大学総合政策学部の中室牧子先生、一橋大学経済学研究科の真野裕吉先生が中心になって進めています。最初に各学年からまんべんなく調査対象児童を選び、その中からランダムにプログラムを実施するグループと実施しないグループに分けます。ランダムに分けたので、2つのグループの平均的な性質(例えば、本人の学力や父親の教育年数、世帯の資産、兄弟姉妹の数など)は似通っています。違うのはプログラム実施の有無なので、プログラム実施後にグループ間で学力などに統計的に有為な差が発生すれば、それはプログラム実施によるものだと考えられます。今回は「親と子に教育プログラムを実施するグループ」「子どもに学習プログラムを実施するグループ」「何も実施しないグループ」の三つのプログラムを実施しています。本稿で取り上げるのは1年生の「おえかきプログラム」です。
※3:特定非営利活動法人ソルト・パヤタス(以下、ソルト)は、フィリピン・ケソン市パヤタス地区とその周辺の貧困地区で、人々が、望む未来を自らで描き、自らの力で実現していけるよう、子どもと女性を中心に教育と収入向上の支援を行う団体です。http://www.saltpayatas.com/
※4:なぜ「おえかき」だけなのかは、カシグラハンの学校のシステムや学習環境によるものです。残念ですが粘土遊びや工作が存分に出来る状況にはありません。ある意味、日本の図画工作が工作や粘土など幅広い題材で実施できるのは、それができる環境や文化が担保されているという一種の贅沢さにあると言えるでしょう。
※5:子どもたち一人一人が自分の力を発揮できるように道具や材料を提供したり、一人一人の状況をとらえて支援したりする指導のポイントについては、学び!と美術<Vol.47>「図画工作の授業(2)~指導案の書き方」を参照してください。
※6:もう1つの側面として、絵や工作は本来的に難しいことがあげられます。子どもたちは見るからに楽しく絵や工作をやっていますが、それは、自分の能力を十全に発揮することが楽しいのであって、活動そのものがたやすく、単純に楽しいのではありません。詳しくは、学び!と美術<Vol.28>「ホントは厳しい図画工作・美術」
※7:資料「コーディネーター心得」(PDF:769KB)
※8:このような言葉かけを「誘導」ととらえるか「承認」ととらえるかという問題は重要です。「誘導」にならないように配慮することは言うまでもありませんが、「誘導」か「承認」かの分かれ目は「子どもの主体性が成立しているかどうか」によるでしょう。子どもの主体性が確保されていれば、先生の言葉かけを無視することもありますし、逆に取り入れることもあります。この問題は「子どもの主体性が保障されている指導計画なのかどうか」から判断する必要があると思います。
※9:色を多用する活動は、活動時間の3分の2程度で起きていました。授業の後半に、色に関しての「活動の爆発」が起きたと思われます。「活動の爆発」については、前掲註5参照。
※10:女の子の情報を取り入れたのかもしれませんが、それは証明できません。
※11:絵が上に伸びていくように描かれるという題材の特性のせいでもあります。子どもの変化がわかりやすい題材だと思います。
※12:子どもの保護者から我が子が「ずいぶん色を選ぶようになった」という報告はあるようです。しかし、これに飛びつくことはできません。それが「おえかきプログラム」に寄与するかどうかは証明できませんし、単に発達によるものかもしれないのです。乏しいエビデンスや少人数のアンケート調査結果から「多くを」語ることについては、慎重でありたいと思います。