16世紀という時代 ―開かれた世界への眼―(3)

承前

 イエズス会は、ルターの批判に向き合い、ローマ教会を信仰の覚醒で蘇生させ、全世界への宣教をめざしました。その信仰的熱心は、1549年のザビエル来日にはじまる日本布教より30余年、1583年(天正10)に長崎を中心とする「下」・「豊後」、畿内の「都」からなる3布教区に200教会、25万の信徒を擁するまでの教団を生み出したのです。ここに16世紀日本は、キリシタンの時代といわれるように、時代の人心が大きく揺れ動いた転換期とみなすことができます。この時代を記録した宣教師の一人がルイス・フロイスです。フロイスの「日欧文化比較」については先に28号29号で紹介しましたが、今回は日本にどのように信仰が伝えられたかを読み解くこととします。この課題は、昨今話題となっている映画『沈黙』、遠藤周作の作品をめぐる日本人の心の在りかた、信仰信心を考えたいためでもあります。
 フロイスは、1532年にリスボンで生まれ、王室付き秘書となり、48年にイエズス会入会、ゴアのパウロ学院に学び、62年に日本へ派遣、63年に大村純忠所領横瀬浦入港。平戸から65年にミヤコ、74年に豊後臼杵、79年に来日した巡察師ヴァリニャーノの通辞として随行、信長との会見に同席するなど、16世紀日本の政治社会事情を報じる同時代史ともいうべき『日本史』を遺しています。87年の秀吉によるキリシタン禁教令の下でも伝道に励み、90年に来日したヴァリニャーノを支援、97年に長崎で歿しました。

信長はどのようにみられているか

 フロイスは、信長が覇者への道を歩む時代と同伴し、信長という人間に強い共鳴盤をいだいていました。その意味では秩序解体期ともいうべき16世紀の空気を一身に浴びた宣教師であったといえましょう。信長の相貌は次のよう紹介されています。わたしは、「多少憂欝な影があったが、困難な企にかかると大胆不敵で恐れるところなく」とのフロイスの信長像に、織田信長という人間の本質があると思うのですがいかがでしょうか。

信長は尾張国三分の二の殿(織田信秀)の二男であった。彼が天下を支配し始めた時は、37歳くらいと思われた。彼は中背痩躯で、髭は少なく、声は甚だ快調で、きわめて戦を好み、武技の修業に専念し、名誉心強く、義に厳しかった。他人から加えられた侮辱に対しては、これを処罰せずにはおかなかった。或る事柄では愛想よさや慈悲を示した。眠ること少なく、甚だ早起きであった。貪欲ならず、決断を秘してあらわさず、戦略においてはきわめて狡猾で、気性激しく、癇癪もちであったが、それも、平素そうであったというわけではなかった。彼は部下の進言に左右されることはほとんどなく、全然ないと言ってもよいくらいで、皆から極度に恐れられ、尊敬されていた。彼は酒を飲まず、食事も適度で、彼の行動は何物にも拘束を受けず、その見解は尊大不遜であった。日本の王侯を悉く軽蔑し、彼等に対してまるで自分の下にいる家来たちに対するように見下した態度で口をきき、人びとは絶対君主に対するように彼に服従していた。戦運が彼に反するような場合、彼は度量が大きく、辛抱強かった。彼はすぐれた理解力と明晰な判断力とをそなえた人であり、神仏の祭祀や礼拝はどんなことでも軽んじ、異教の卜占や迷信的な慣習はすべて軽蔑した。名義的には、最初いかにも法華宗に属しているような観をいだかせたが、顕位についてからは、誇らし気にすべての偶像よりも自分を優れたものとし、霊魂の不滅などということはなく、来世における賞罰もないと考えていた。彼は家居ではきわめて清潔を好み、諸事の指図にたいそう几帳面に気をくばっていた。人が彼と話をする時には、だらだら長びいたり、長たらしい前置きを嫌い、ごく卑賤な、軽蔑されていた僕とも打解けて話した。彼が特に好んだものは、茶の湯の有名な器、良馬、刀、及び鷹狩りで、また、貴賤の別なく自分の前で裸で相撲をとるのを見るのがたいそう好きであった。何人も武器を携えて彼のところへはいることは許されなかった。彼は多少憂欝な影があったが、困難な企にかかると大胆不敵で恐れるところなく、人びとは何事でも彼の命に従った。
我等今までに報告した日本の諸宗派の中で最も不遜、傲慢、放恣なのは、釈迦を拝む法華宗である。彼等の間では僧侶が第一等の地位を占めていて、彼等はデウスの教えの最悪の敵であり、敵対者である。その中でも特に六条という寺院(本圀寺)は年収も豊かで、悪習に耽って甚だ放埓であった。(1569年)

病人・貧者への目―聖遺物・聖水によせる想い

 イエズス会は、国取り物語ともいうべき戦国の世にあって、信長の位置取りに期待する政治的遊泳術で布教戦略を展開しております。そこで説かれた信仰は、大友氏をはじめとする戦国大名の庇護を期待するなかで、病者や貧民への働きに証をもとめたものでした。その一端はすでに1549年の薩摩の宣教にみることができます。

ぱあでれメステレ・フランシスコがそこから出発するに先だって、この土地には医者も薬もないから、それが同時に肉体上の病気を癒すのにも役だつような記念品を何か残して行ってほしいと、ミゲルはぱあでれに願った。ぱあでれは、これは霊魂のための薬です、皆さんマリヤ様を尊敬して、マリヤ様が世の救い主である御子ゼズス・キリシトからあなた方の罪の赦しをいただいてくださるようにお願いなさいと言って、一枚の小さな聖母の画像をミゲルに残した。また、ぱあでれは、「わが子ミゲルよお信じなさい。これは肉体のための薬です。キリシタンでも異教徒でも、誰か熱病に罹ったときは、あなたが病人の上にゼズスとマリヤとの聖い御名を呼び求めている間に、この鞭でその病人を軽く五つお打たせなさい。そうすれば、その人たちは健康になるでしょう」と言って、自分の鞭をミゲルに残した。この善良なミゲルの信仰は、彼がその後なお十四、五年生存していたので、多数の病人が方々から彼のところに集まって来たほどであり、彼等はデウスの御力によって健康を得た。誰かが熱心のあまり鞭で打つ数をふやしたり、もっと強く打ちたがったりすると、ミゲルは鞭がいたまないように、これを許さなかった。このようにして、彼は聖遺物のようにこれを頸にかけていた。

ポロシモへの愛の業

 信仰は、聖母と聖遺物信仰として、日本人キリシタンに受けとめられていることが読みとれます。宣教師は、日本キリシタンが聖遺物をほしがるがために、これらのロザリオ等々を送るように書簡に認めています。かつ宣教師は、病人と貧困者に奉仕し、「ポロシモ」隣人への愛の業に励み、戦乱の巷にとり遺された人々に、「キリシタンたちはそこにいた貧しい人たち皆に一席食事を与え」(1552年 山口)、その心をささえたのです。その営みは、各地でイエズス会の期待となり、信仰への道を用意しました。豊後では、大友氏の庇護を受け、病院がもうけられていました。

救貧病院には、毎日方々からそこに集まって来る人たち以外に、百人以上の人たちがいた。我等の御主は惜しみなく与えたもう大度を彼等に示すことを嘉したもうて、病気の重さのためにその期望を全くもっていなかった大勢の人びとに完全な健康を与えたもうた。その大多数の人びとは瘻症傷痍があって、これにはもう手の施しようがなかった。それで、彼等は現地の医者たちに絶望してやって来て、デウスの恩寵によって期待以上の短期間で健康になった。このことは日本人たちに大驚異を喚び起こし、彼等にとっては聖い福音に近づく動機となった。しかし、我等の仲間は、どう考えてみてもそれだけの効力は殆んどないのに、薬がその病人たちに現わした効果を見て、不思議に思わずにいられなかった。そうして、皆は身体の健康と同時に霊魂の健康をも得た。なぜならば、彼等は説教を聴いてキリシタンになったからである。その人びとの中には、今年は、僧侶やごく名望ある人びとが少数あった。(1562年 豊後)

 宣教師の働きは、「奇跡」の業とみなされ、その説く教えに心を開かせたのです。このような働きは、イエズス会の信仰をして、「乞食」「病人」の信仰とみなされる一因ともなりました。このことは、日本宣教をめぐり、宣教団に亀裂をもたらしました。この亀裂は日本評価をめぐるものですが、ポロシモへの愛の実践こそは過酷な弾圧の時代を信仰によって生き抜く力となった原動力にほかなりません。

ルーブリック的な評価を使った実践「もりのゆうびんやさん」(第2学年)

1.はじめに

 「特別の教科 道徳」の実施にあたり、「評価」について様々な実践や案が出ています。評価は子どもの実態や成長を把握し、それに合わせて指導をしたり保護者と連携したりして教育効果を上げるためにあります。どの教科・領域においてもその意義は変わりません。今回は評価基準を用いるルーブリック(注1)評価を参考にした実践を紹介します。児童一人一人がどのような考え方をしたのか分析することで、授業中の声掛けや事後の指導に生かすことができると考えました。先生方の実践のご参考になれば幸いです。

2.実践

(1)主題名 働くことのよさを感じて C[勤労、公共の精神]
(2)教材名 「もりのゆうびんやさん」(出典:「小学校道徳読み物資料集」文部科学省)
(3)主題設定の理由
A.ねらいとする道徳的価値について(指導観)
 自立した人間として、他者と共によりよく生きるためには、自己の能力を発揮し働く必要がある。変化の激しい現代社会においても、社会の維持向上に積極的に努める価値の尊さは社会の形成者である以上揺るがない。その手段である勤労、職業につながるような教育が求められている。
 小学校では、児童が自己中心的な考えから視野を広げ、他者や集団、社会に愛着をもつように指導を重ねていく。その中で、多くの人々の支え合いや助け合いを実感し、自分もそれに応えようという意欲につなげる。そして、実践する場所を与えていくことで、社会の維持向上に積極的に努めようとする態度を育てることができる。
 働くことの意義については多様な考えがあり、これからの社会を生き抜くためには様々な考えに触れることも大切である。本研究では、様々な考え方の中でも、社会の維持向上に積極的に努める価値を中心におく。低学年の発達段階を考慮して、集団を限定したものにせず「みんなの役に立つ」ことを中心に働くことのよさについて考えさせる。目の前にいる先生、友達、家族等見える相手から、少しずつ集団という見方ができるように視野を広げさせる。自分のしている仕事は誰かの役に立ち相手の喜びにつながることを実感させ、みんなの役に立とうとする心情を育てたい。

B.児童の実態(児童観)
 掃除や給食当番等、意欲的に取り組む姿が見られる。その動機としては、その作業が楽しかったり、新鮮だったりするところが大きく、また、先生や家の人に褒められるという基準で動いている様子が窺える。
 普段の生活ではその実態に合わせて、様々な仕事に触れさせ、教師の声掛けから価値観を広げることを意識して指導に当たっている。その結果、学級内で様々な仕事があることを理解しつつある。また、自分の役割がみんなに影響を与えることも経験してきている。
 6月の生活科「商店街探検」の学習では住んでいる町の人々の仕事についても学ぶ機会となった。目の前の自分たちの仕事と直接結びつけることは難しかったが、職業を知る、仕事を知るという部分で学びがあった。
 7月の特別活動「多田小祭り」の学習では、縦割り班活動で、任された簡単な仕事を楽しく、責任をもって行うことができた。遊びの中でも、仕事として認識する機会になった。
 9月の道徳「のぶくんはポスター係」の教材を使った学習では、「楽しいから、褒められるから」という喜びから、「ありがとう」等の周りの人が喜んでいることが分かった時に喜びを感じるという価値観に気付く時間となった。自己の振り返りの活動では、学級内で他の人の仕事で嬉しかったことの経験を書いた。そして、終末では教師の説話で、自分も人に喜んでもらえるように仕事ができるといいねと生活につなげた。
 本時では、指導をより一層深めるために、自分のしている仕事は、自分が楽しむだけでなく周りの人も嬉しい、周りの人の役に立っていることのよさを感じられるようにする。そして、これからもみんなの役に立とうとする道徳的心情を育てたい。

C.教材について(教材観)
 くまさんは森の郵便屋さんである。ある雪の日のこと、やぎじいさんへ小包を届ける仕事が入る。くまさんは鞄の中に小包を大切に入れてやぎじいさんの家に向かった。やぎじいさんに心温まる小包を無事に届けるとやぎじいさんは感謝の気持ちを伝えた。くまさんは、それを聞いて次に配達する家に急いだ。一日の仕事を終え家に帰ると、くまさんに一通の手紙が届いていた。森のこりすから、くまさんが仕事をしていることに感謝する内容の手紙だった。
 本教材は、勤労について「した方がいい、でも辛いこともある」といった人間理解を深められる場面や、価値について多面的、多角的に考えられる場面が見られる。そのことから、くまさんに共感し心情や判断を話し合うことで、勤労についての価値理解を深めることができる資料だといえる。くまさんの気持ちを通して、自分の仕事が誰かの喜びにつながっていることや相手の役に立っているという、働くことのよさを学ばせたい。

場面

価値に関わる心情

①くまさんが森のみんなに郵便をわたす。

喜んでくれてうれしい。

②くまさんは、郵便が無い日でも森のみんなと話したり、他の森の様子を伝えたりする。

みんなを喜ばせたい。
みんなに会いたい。

③ある雪の日に小包が届く。

雪で届けるのが大変だ。
雪でもやらなくちゃ。
明日にしようかな。
やぎじいさんは喜ぶだろうな。

④くまさんがカバンの中に小包を入れて出かける。

やることに決めた。
頑張ろう。
必ず届けるぞ。

⑤やぎじいさんの家が見え、急ぎ足で歩く。

つらいな。
もう少しだ。
やぎじいさんは喜ぶかな。
喜んでほしいな。

⑥やぎじいさんに郵便を渡す。

やっとついた。
やってよかった。
仕事を最後までできた。
よろこんでくれた。
役に立てた。

⑦次に配達する家に急ぐ。

次も頑張ろう。
また喜んでほしい。
他の人にも役立ちたい。

⑧家に帰り、手紙を読む。

みんな喜んでくれているんだな。
いいことをしているんだな。
今までやってきてよかった。
これからも続けていこう。

(4)評価について
 一人一人の学習状況についての評価の観点は「みんなのために働くことのよさについて、自分の経験に照らし合わせながら考えることができたか」とする。
 評価方法は、自己の生活を振り返る活動の場面でワークシートを活用する。ワークシートを活用することで、じっくりとねらいとする価値について自己を振り返るとともに、一人一人がどのように価値について考え、深めたのかをみとれるようにする。
 事前に行ったアンケートの結果とねらいとする価値についての指導者が評価した簡単な所見を用意しておく。

(はたらくことのよさについてかんじたことを書きましょう)

仕事ができるようになった。

友達の助けになってよかった。

みんなが困らなくなったからよかった。

仕事が楽しい。

友達に「ありがとう」といわれた。

みんなが喜んでくれた。

シールをもらえた。

親に褒められた。

みんなに褒められた。

(5)本時の学習
A.ねらい
 みんなのために働くことのよさを感じ、みんなの役に立とうとする心情を育てる。
B.展開

 

主な発問と児童の心の動き

※指導上の留意点と手立て ☆評価



◆学習のめあてをもつ。
○どのような仕事をしていますか。

※アンケート調査でどのような意見があったかを伝える。
※ねらいとする価値を意識し主体的に学習させるために、学びの視点を提示する。

はたらくとどんないいことがあるだろう



◆「もりのゆうびんやさん」を読んで、話し合う。
1 くまさんは郵便の仕事をどう思っていますか。
 ・しなくちゃいけない。
 ・楽しい。
 ・みんなに会えてうれしい。

※くまさんの気持ちを想像しやすくするために、BGMを流して資料提示をする。
※郵便はくまさんにとって仕事だということをおさえる。

2 やぎじいさんの家に向かいながらくまさんはどんなことを考えていたでしょう。
(なぜ、いそぎ足になったのでしょう。)
 ・つらいな。
 ・もう少しだ。がんばろう。
 ・最後までやりきるぞ。
 ・やぎじいさんは喜ぶかな。喜んでほしい。
 ・責任を果たしたい。
 ・みんなが困ってしまう。

※仕事をすることは時に辛いと感じる人間理解と、それでもがんばろうとするくまさんの動機を考えさせることで価値理解を深めさせる。
※ペアで話し合い後、全体で交流させる。

3 手紙を読みながらくまさんはどんなことを考えていたでしょう。
 ・やってよかった。
 ・やぎじいさんやこりすが喜んでくれてよかった。
 ・他の人も思っているのかな。
 ・責任を果たせた。
 ・みんな喜んでくれているんだな。
 ・みんなのためになっているんだな。
 ・これからもがんばろう。

※やぎじいさんだけではなく、こりすや他の人も同じ気持ちでいることをおさえる。
※多様な考え方が視覚的にわかるように板書する。
※くまさんの心情と学びの視点を照らし合わせながら、課題に対する答えを一人一人がもてるようにする。



◆自己の生活を振り返る。
○はたらくよさをかんじたことを書きましょう。
 ・係活動でがんばったらスターになった。
 ・お手伝いをしてありがとうと言われた。
 ・当番の仕事でみんなの役に立った。

☆みんなのために働くことのよさについて、自分の経験に照らし合わせながら考えることができたか。(ワークシート)

C.板書計画

D.評価の例

児童4
 授業前のアンケートで働くことのよさについて、「何かもらえる」「楽しい」の自己の利益が優位にある回答をしていた。また、普段の生活からは、怠けたり嫌がったりするようなことはほとんどなく、しなければならないことを確実にこなすところを評価していた。授業中の発言はほとんどなかったが、他の児童の発言をよく聞いて取り組んでいた。ワークシートでは、家庭でのお手伝いのことを振り返り、「ありがとう」と言われて、仕事が好きになったことを書いた。この授業では、他者意識の広がりが見られた。

児童8
 授業前のアンケートで働くことのよさについて、「褒められる」「仕事ができるようになる」という回答をしていた。また、普段の生活からは、自分から進んで行うというよりは、指示を受けて仕事を覚えている段階と評価していた。書く活動があまり得意ではなく、本時でも何を書こうか悩んでいたため、「できるようになったことがあるかな」と声掛けを行った。すると、生活班のリーダー活動のことを思い出し、自分の経験と照らし合わせて考えることができた。

児童4のワークシート

児童8のワークシート

児童3
 授業前のアンケートで働くことのよさについて、「何かもらえる」「みんなが困らない」というルーブリックで見るとバラバラな回答をしていた。また、普段の生活からは、周りの大人の様子を見て、褒められそうなことを行う傾向があると評価していた。中心教材のくまさんの気持ちでは、「やぎじいさんの笑顔のために頑張る」と相手を意識した発言をしていた。また、「手紙がもらえてよかった」という気持ちに共感した発言をした。ワークシートでは、「お小遣いをもらえなくても褒められてよかった」と、価値を比べながら相手意識の面で進んだ方に価値を見出していることが見られた。その他に書いていることからも、ねらいとする価値について、多面的・多角的に考えていることが分かる。

児童5
 授業前のアンケートで働くことのよさについて、「何かもらえる」「褒められる」というねらいとする価値についての深さでは低い回答をしていた。また、普段の生活からは、言われたことを確実にこなしていると評価していた。ワークシートでは、家庭で、お風呂掃除をしたときに、兄弟に喜んでもらえたことを思い出し、経験に照らし合わせて考えることができた。この授業では、ルーブリックにおけるねらいとする価値の深まりが見られた。

児童3のワークシート

児童5のワークシート

3.おわりに

 今回は「C 勤労、公共の精神」の「みんなのために働くことのよさ」をねらいとする価値とし、「もりのゆうびんやさん」を中心教材にして授業をしました。ルーブリックはその価値の深まりと相手意識の広がりをベクトルに作っています。このルーブリックのベクトルはどの内容項目でも当てはめられるものでもありません。また、同じ内容項目でもねらいや教材が違えば変わってくるでしょう。大事なのは、指導者が児童にどのような価値観に触れさせたい、気付かせたい、身につけさせたいという願いをもって指導に当たるかです。指導の成果である児童の実態を把握していく手段の一つとして、今回の提案をご参考にしていただけたら幸いです。

 

注1:ルーブリックとは、子どもの学習到達状況を評価するための、評価基準表のこと。

タレンタイム~優しい歌

(c) Primeworks Studios Sdn Bhd

 北朝鮮とも友好的な国、マレーシア。4年ほど前に、「シネ・マレーシア~マレーシア映画の現在~」という映画祭で、マレーシア映画をまとめて見る機会があった。多民族国家らしく、幅広い題材、テーマに驚いた。滅びゆく伝統文化への敬意や、都会に出た若者たちを待ち受ける過酷な現実、貧しい漁村に暮らす父と息子のそれぞれの恋愛などなど、多彩なジャンル、テーマで、見応えある映画が多かった。
 日本のいろんな映画祭などで上映され続けてきたマレーシア映画の傑作「タレンタイム~優しい歌」(ムヴィオラ配給)が、このほど一般公開となる。作られたのは、2009年。マレーシアの女性映画監督、ヤスミン・アフマドの長編映画の遺作である。
 「タレンタイム」とは、「タレント」と「タイム」がくっついた造語と思われるが、いわば、高校生たちの歌や演奏、踊りなどのコンテストのことである。
 ある高校。校長らしい女性のアディバ先生の発案で、久しぶりに「タレンタイム」の開催が決まる。高校には、成績優秀なハフィズが転校してきたばかり。ハフィズはマレー人のムスリム(イスラム教)である。女生徒のムルーは、祖母がイギリス系で、父はイギリス系とマレー系の混血になる。開放的で裕福そうな家庭で、中国系のメイドを家族同様に扱っている。マヘシュは、インド人でヒンドゥー教徒。幼い頃に父を亡くし、いまは母親と姉の3人暮らし。耳の聞こえない障がいがあるが、母の弟になる叔父に可愛がられている。ハフィズが転校してくるまでは、クラスでいちばんの成績だったカーホウは中華系。成績が下がったために、父からこっぴどく叱られる。二胡の演奏に長けていて、ムルーにひそかな想いを寄せている。

(c) Primeworks Studios Sdn Bhd

 オーディションが始まる。アディバ先生のお眼鏡に叶ったのは、ピアノの弾き語りのムルー、二胡で「茉莉花」という曲を演奏するカーホウ、自作の曲をギターで弾き、唄ったハフィズたちである。生徒たちがオーディションの合格結果を知らせる。ムルーの家に結果を届けたマヘシュは、自宅に戻る。なんと、結婚披露宴の最中だった叔父が、葬式をしている隣人ともめて、殺害される。ヒンドゥー教のマヘシュの母は、弟を殺したイスラム教徒を憎むばかりで、食事もしない日々が続く。
 「タレンタイム」の本番に向けて、みんなの放課後の練習が始まる。練習の送り迎えも、生徒たちが分担する。ムルーの送り迎えは、合格通知を届けたマヘシュである。ムルーは、挨拶をしてもまったく返事をしないマヘシュに腹をたてるが、耳が聞こえないことを知って以来、ムルーは、マヘシュに牽かれていく。ムルーの家族は鷹揚で、マヘシュがインド系、ヒンドゥー教、耳が聞こえないことなど、まったく気にしないで、マヘシュを受け入れる。
 ハフィズの母は、脳腫瘍で入院している。母のそばには、見知らぬ男性患者が、まるで天使のように寄り添い、「神の御心を」などと語りかける。天使は、ハフィズの母に、イチゴを差し出す。まるで、天国に誘うように。
 ムルー、マヘシュ、ハフィズ、カーホウの、それぞれの家庭環境が巧みにモンタージュされながら、いよいよ「タレンタイム」の本番がやってくる。

(c) Primeworks Studios Sdn Bhd

 高校生たちの青春がみずみずしく描かれた映画でもあるが、単なる若者たちの音楽物語ではない。ここには、マレーシアという国の、さまざまな現実が活写されている。映画の言語も、マレー語、タミル語、英語、広東語、北京語と多彩で、マレーシアがいかに多民族、多宗教国家かが分かる。そこに、母と息子、母と娘、姉と弟、父と娘たちといった、さまざまな家族のつながり、葛藤が盛り込まれる。
 劇中とエンド・クレジットで、「おお、愛しい人よ」という歌が唄われる。「残り火の上を裸足で歩いているかのよう 見知らぬ人に育てられたかのよう 連れていってくれ あなたの元に 偏見だらけの世界は 僕の永遠の敵 大切なあなた 愛しい人よ」。
 世界のさまざまな偏見を洗い流すかのように、ドビュッシーの「月の光」が、なんども流れてくる。国家間の諍いを静めるかのように、バッハの「ゴールドベルク変奏曲」が流れてくる。
 女性監督ヤスミン・アフマドの言葉が映画の資料にある。「私は国境がきらいです。私は人間と人間とを恣意的に分断することがきらいです。…私たちは、何か成果を出そうとしていると、つい基本的な人間の資質である優しさや思いやりを忘れてしまいます。コマーシャルであろうと映画であろうと、私が作る映画には、そうした感情をいつも描こうとしています」。また、「私にとって映画は、人間に、人間であることを思い起こさせてくれる、格好の機会を与えてくれるものなのです」とも。
 マレーシアという国だけのことではない。いまほど、寛容、思いやり、共感が必要な時代はないのではないか。監督の、「タレンタイム~優しい歌」に託した想いは、監督の死後、8年を経てもなお、説得力じゅうぶん、世界に通用することと思う。

2017年3月25日(土)より、シアター・イメージフォーラムico_link、4月シネマート心斎橋ico_linkほか全国順次公開

『タレンタイム~優しい歌』公式Webサイトico_link

監督・脚本:ヤスミン・アフマド
撮影:キョン・ロウ
音楽:ピート・テオ
出演:パメラ・チョン、マヘシュ・ジュガル・キショールほか
原題:Talentime/2009/カラー/115分/マレー語・タミル語・英語・広東語・北京語
配給:ムヴィオラ

「特別の教科 道徳」における「評価」について

 さて、本論稿も今回で一つの区切りといたします。続きは、今秋あたりからと考えています。最近Web「my実践事例(道徳)」もアップされました。4月から相当数の事例がさらにアップされる予定です。そちらも、ぜひご覧ください。

 第8回は「評価」について少し述べてみたいと思います。現場(学校)ではかなり切実な課題・問題であるようです。どこへ行っても評価についての質問を必ず受けます。道徳の教科化が言われ始めたころ、道徳の時間に評価はなじまない、だから教科にして評価するのは「けしからん!」という声をよく聞きました。また、大学でも、講義が始まった初回あたりに学生から「道徳の教科化には反対です!」という勇ましい発言にも出くわします。「あ!誰かに習ってきたな!」と直感します。「どうして?」と聞くと、「心の問題を評価(おそらく、A.B.Cなどの評定のことを言っています)することに違和感があります。してはいけないと思います。だから、反対です」と返答が返って来ます。私が「え! これまでも評価しているよ。学習指導案にも【評価の欄】がありますよ」、「授業である以上、評価しないなんてありえないでしょう?」と問い返すと、初めて気がつくようです。講義も終盤になると、ほとんどの学生は評価することの意味、さらには、道徳を教科にすることの意義を理解するようです。反対が賛成にまわります。
 平成30年度から、小学校では「特別の教科 道徳」の完全実施が始まろうとしています。評価に関することを始め、教科になることについて正しく認識されているだろうか不安になることもあります。

1.何のための評価?

 今の、学校現場における「道徳科の評価」の最大の関心事は、指導要録や通知表に何を、どのようにして記述すればよいのか、ということではないでしょうか。そして、そのためにはどうするのがよいのか、ということです。初めてのことで先例もありません。そして、学校現場は忙しいときています。道徳の評価ばかりやっているわけにもいきません。だから、「評価文例集」なるものがもてはやされます。これは今に始まったことではありません。学期末になると、必ず「所見文例」を特集した雑誌が出回り、大いに売れるのが現実なのですから。平成30年度の学期末には、「道徳科評価文例集」がよく売れるのではないかと皮肉な予想を立てています。
 もう一度考えてみましょう。「何のための評価なのでしょう」。その前に、教科にして(指導要録や通知表に)評価をすることになったのはなぜでしょう。そのあたりのことをよく吟味する必要があります。
 (指導要録に)評価欄を設け、記述式にせよ評価することになった背景には、道徳科の授業の完全実施という切実な「思い」が込められています。今まできちんとやってこられた先生方は問題ないのです。残念ながら、そうは言えない先生方も中にはおられるようだから「こうすれば、ちゃんとやってくれるだろう」という強い願いが込められているのです。問題・課題は教師の側にあると言っても言い過ぎではないと思います。
 何のための評価?これも教師の問題です。一言で言えば、「評価と指導の一体化」です。すなわち、「児童のよい点や進歩の状況などを積極的に評価するとともに,指導の過程や成果を評価し,指導の改善を行い学習意欲の向上に生かすようにすること」が評価の大前提となっていることに、今一度留意したいものです。
 毎週の道徳科の授業をきちんと行い、さらによりよい授業創りのための授業改善への不断の努力をしましょうよ!ということです。

2.「学習指導要領」では…

 小学校学習指導要領解説「特別の教科 道徳編」における評価についての記述についておさらいしてみましょう。まずはここが基本になりますから。(※以下、引用下線部は大原)

「第5章 道徳科の評価」の構成です。

第1節 道徳科における評価の意義
 1 道徳教育における評価の意義
 2 道徳における評価の意義 
第2節 道徳性の理解と評価
 1 評価の基本的態度
 2 道徳科に関する評価
 3 道徳科の授業に対する評価
  (1)道徳科の学習指導過程に関する評価の基本的な考え
  (2)指導の諸方法を評価する観点
  (3)学習指導過程に関する評価の工夫
  (4)評価の工夫と留意

 まず、第一に「道徳教育における評価の意義」について、教育活動全体を通じて行う道徳教育の評価の重要性を言っています。特に、「他者との比較ではなく児童一人一人のもつよい点や可能性などの多様な側面,進歩の様子などを把握し,学年や学期にわたる児童の成長という視点を大切にすることが重要であるとしている。道徳教育でもこの考え方は踏襲されるべきである。」と述べられています。
 また、小学校学習指導要領解説総則編の第3章、第1節、2道徳教育では、各内容項目が道徳の時間だけのものではなく、全教育活動を通して充実・徹底を図るものですよ、ということを言っています。もちろん各教科等にはそれぞれの押さえるべき特質があるので、それらを押さえた上での話です。その上での評価であることを再度確かめておきたいものです。現在の学習指導要録の「行動の記録」なども、考え方として一部該当すると思います。

 第二に、「道徳科における評価の意義」です。これまでの踏襲になりますが、「数値などによって不用意に評価してはならないこと」が大前提であります。詳しく述べる必要はありません。それに続き、「それぞれの指導のねらいとの関わりにおいて児童の学習状況や成長の様子を様々な方法で捉えて,それを児童に確かめさせたり,それによって自らの指導を評価したりするとともに,指導方法などの改善に努めることが大切である。」と述べられています。つまり、子どもの成長の様子をとらえましょう、そして、授業の改善につなげましょう、ということです。現行の解説編では、その方法として、観察や会話による方法、作文やノートなどの記述による方法、質問紙などによる方法、面接による方法、その他の方法(事例の検討や各種テスト利用)が例示されています。

3.「道徳性の理解と評価」について

 第2節の内容です。少し詳しく見てみましょう。

(1)評価の基本的態度
 まず、「道徳性」について、「人間としてよりよく生きようとする傾向性であり道徳的判断力,道徳的心情,道徳的実践意欲及び態度内面的資質である」と規定しています。これも従来と変わりません。そして、内面的資質であるからこそ道徳性が養われたか否かは、容易に判断できるものではないということです。道徳性は、人格の全体に関わるものであるからでしょうか。しかし、その後に、「道徳性を養うことを学習活動として行う道徳科の指導では,その学習状況を適切に把握し評価することが求められる」と続きます。すなわち、養われたか否かは容易に判断できるものではないが、学習状況を適切に把握し評価しなければならないのです。そのためには、授業改善が大切であると続きます。これは、当然のことです。
 問題は、「学習状況」の中身ではないでしょうか。どうしても、道徳性の諸様相と見てしまいます。現行小学校学習指導要領解説「道徳編」(平成20年6月)の第8章、第2節、2(1)評価の観点でも以下の記述が見られます。「道徳性は本来,児童の人格全体にかかわるものであり,いくつかの要素に分けられるものではない。しかし,その理解や評価に当たっては,指導の目標,ねらいや内容をその窓口とするが,それとともに,道徳的心情,道徳的判断力,道徳的実践意欲と態度及び道徳的習慣などの観点から分析することが多い。」
 このことは、かなり難しい! おそらく新採教員を含め現場レベルでこの見取りを真剣にやろうとすることは相当の労力と研究を必要とします。一部には、道徳性の発達段階説に即して子どもの成長の様子を見ようとし、また、それを評価に取り入れようとする向きもありますが、あくまでも指導のための評価であり、評価・評定のための評価ではありません。したがって、「児童の成長を見守り,努力を認めたり,励ましたりすることによって,児童が自らの成長を実感し,更に意欲的に取り組もうとするきっかけとなるような評価を目指すことが求められる」というところに落ち着いているのではないでしょうか。

(2)「道徳科に関する評価」について
 ここにおいて、このように指導要録等に評価しましょう、という視点が明示されています。

・数値による評価ではなく,記述式であること。
・他の児童との比較による相対評価ではなく,児童生徒がいかに成長したかを積極的に受け止め,励ます個人内評価として行うこと。
・他の児童生徒と比較して優劣を決めるような評価はなじまないことに留意する必要があること。
・個々の内容項目ごとではなく,大くくりなまとまりを踏まえた評価を行うこと。
発達障害等の児童についての配慮すべき観点等を学校や教員間で共有すること

 このことを踏まえ、まとめると、「(道徳科の時間における)児童の学習状況の把握」と「道徳性に係る成長の様子」を記述しましょうということだと私なりに考えています。したがって、これらのことが個々の子どもの状況によっても違ってきますし、あくまでも「個人内評価」であるので「それぞれみんな違う」ものであります。「評価文例集」等によって仕訳した分類を基にそれを子どもに当てはめて記述する教員が出ないことを祈るばかりです。
 次に、子どもの学習状況の把握の仕方です。前回の小学校学習指導要領解説「道徳編」(平成11年5月)から評価の方法について抜粋させていただきます。

(ア)授業中の児童の発言内容の変化を分析する。
(イ)授業の終末に配布するワークシートに「この時間に、新たに学んだこと、思ったこと(感じたこと)、考えたこと、これからしようと思っていること」などを記入し、児童自身が自らの内面で起こった変化のプロセスを振り返れるようにする。
(ウ)授業の事前と事後に質問紙法による自己評価方式のアンケートを行い変容を確かめる。
(エ)授業前後の児童の学校生活の様子を観察し比較する。
(オ)授業後の日記や道徳ノートで、授業の反応や学習が発展しているかなどを確かめる。

 最後に、子どもの学びの「何を」評価すればよいのでしょうか。赤堀博行氏(文部科学省初等中等教育局教育課程課教科調査官)も講演等資料で記されています。解答は、これも「解説」に載っています。周知のことですが、あえて掲載します。

①道徳的諸価値の理解
 ・価値理解  道徳的価値のよさ、素晴らしさ
 ・人間理解  道徳的価値の実現の難しさ
 ・他者理解  道徳的価値の多様さ
②自己を見つめる
③多面的、多角的に考える
④自己の生き方についての考えを深める

 このあたりのさらなる具体化は、学習指導要領解説「特別の教科 道徳編」を参照しながら各学校で規準が作られることを願っています。

 なお、(3)学習指導過程に関する評価の工夫、(4)評価の工夫と留意点については、今回は触れることができませんでした。またの機会に記してみようと思っています。

新学習指導要領の要点(1)

 新学習指導要領の改訂案が発表されました。2月14日から3月15日までパブリックコメントが募集されています。この案をもとに改訂の概観を簡単にスケッチしてみましょう。なお、あくまでも一個人の考えにすぎません。公的な説明とは異なることをご了承ください。

1.目標の改訂

 平成20年改訂では、各教科等の目標は一文で示されていました。重文、複文の構造で、その教科に精通していないと少々分かりにくいものでした。「各教科等のもとに目標がある」という感じもぬぐえませんでした。今回、全ての教科等で、「各教科等の見方や考え方を働かせることを踏まえた文章」と「資質・能力の三つの柱」で整理されています(図1)。これによって「知識・技能」「思考力・判断力・表現力等」などについて教科を超えて捉えることができるようになりました。「学校教育としての目標があって、次に各教科等がある」ことも明確に感じられます。

<図1>

 各教科等の目標の共通化は、教科横断的な実践を促進するかもしれません。これまでは各学校でクロス・カリキュラムをしようと思ったら、まず教科目標の共通性から検討しなければなりませんでした。それぞれの教科目標を達成することが必要十分条件だからです。一方で、「風で動くおもちゃをつくる。風だから理科、おもちゃをつくるから図工」のような安易な実践が見られたのも事実です。しかし、答申では「各教科等の教育内容を相互の関係で捉え、学校教育目標を踏まえた教科等横断的な視点で、その目標の達成に必要な教育の内容を組織的に配列していくこと」と述べられています(※1)。教科の学びを充実させながら、どのように子どもの成長発達を図るのか、各学校のカリキュラム・マネジメント力が問われるでしょう。

2.内容の改訂

 表現領域について、小学校図画工作は、「発想・構想」と「技能」が示され、それぞれに「造形遊び」「絵、立体、工作」が示されています(図2)。前回は、「造形遊び」と「絵、立体、工作」が示され、それぞれに「発想・構想」「創造的な技能」が示されていました。「内容の箱」から「資質・能力の箱」に整理し直したといえるかもしれません。中学校美術は前回から「資質・能力の箱」で示していましたが、今回さらに整理を進めています。図画工作・美術については前回の改訂から資質能力ベースで作成されていましたので、今回の変更に大きな戸惑いはないと思いますが、より小学校と中学校が一貫した印象をもつ方がいらっしゃるでしょう。

<図2>

 鑑賞領域に関して、小学校では鑑賞の対象や資質・能力がまとめて示され、事項に含まれていた「感じたことや思ったことを話す、聞く、話し合う」などについては、言語活動として「第3 指導計画の作成と内容の取扱い」に示されています(図3)。中学校では、鑑賞の対象や資質・能力がより具体的に示され、言語活動については第1学年と第2・3学年ごとの「3 内容の取扱い」に示されています。学習指導要領の「事項」と「内容の取扱い」が連動した改訂です。

<図3>

3.内容の取扱いの改訂

 「内容の取扱い」のポイントは知識でしょう。小学校は〔共通事項〕のアで、中学校は〔共通事項〕のアとイで、知識の具体例が示されています。例えば、小学校中学年で「形の感じ、色の感じ、それらの組合せによる感じ、色の明るさなど」、中学校で「色彩の色味や明るさ、鮮やかさ」「全体のイメージや作風」などです。ただ、初出ではなく、図画工作や美術の認知的な発達も十分に踏まえて解説書等で繰り返し説明されている内容です。答申には「〔共通事項〕との関連を図り、形や色などの働きについて実感を伴いながら理解し、 表現や鑑賞などに生かすことができるようにする(※2)」と示されています。指導に当たっては、単に事実的な知識の定着を図るのではなく、概念的な知識の獲得や、創造的な知識の活用まで目指すことが大切でしょう(※3)。

 答申では以下のように述べられています。

現行の学習指導要領で明確にした、資質・能力と学習内容との関係を踏まえて、A表現、B鑑賞のそれぞれの領域及び〔共通事項〕の中で育成を目指す「知識・技能」及び「思考力・判断力・表現力等」について、それらと関連する項目や指導事項、内容の取扱いなどに明示する(※4)。

 資質・能力を育んでいくために、単に学習指導要領の一部を改訂するのではなく、子どもたちが「何ができるようになるか」「何を学ぶか」「どのように学ぶか」を踏まえて、目標、表現や鑑賞、〔共通事項〕、内容の取扱いなどを相互に関連させて改訂されているようです。

 

※1:「カリキュラム・マネジメント」の三つの側面
①各教科等の教育内容を相互の関係で捉え、学校教育目標を踏まえた教科等横断的な視点で、その目標の達成に必要な教育の内容を組織的に配列していくこと。
②教育内容の質の向上に向けて、子どもたちの姿や地域の現状等に関する調査や各種データ等に基づき、教育課程を編成し、実施し、評価して改善を図る一連のPDCAサイクルを確立すること。
③教育内容と、教育活動に必要な人的・物的資源等を、地域等の外部の資源も含めて活用しながら効果的に組み合わせること。平成28年12月21日 中央教育審議会「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の 学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)」23p
※2:同上書168p
※3:学び!と美術<Vol.49>「図画工作・美術における知識の行方」
※4:同上書170p

「道徳的実践力」における「態度」と「道徳的実践」における「態度」について

 今回は、今までも非常に紛らわしいと言われてきた言葉「(道徳的)態度」について少し考えてみたいと思います。態度を広辞苑で調べてみると、「状況に対応して自己の感情や意志を外形に表したもの」と記され、「具体的な行為、行動」のことを指しています。しかし、道徳の授業においては、そのようなとらえ方はしません。「内面的な資質」として考えています。本当に紛らわしいと私も思います。
 上記のことをお話しする前に、次期学習指導要領では使われなくなった「道徳的実践力」について、「道徳的実践」との比較で明らかにしておかなければなりません(次期学習指導要領では「道徳性」という言葉が使われるようになります)。そんなことは「自明だ!」とおっしゃる道徳に熱心な先生方からおしかりを受けるかもしれませんが、あえて記させていただきます。これも態度と同様、言葉の使い方として紛らわしいからです。

1.「道徳的実践力」と「道徳的実践」

 これらの言葉について、現行の学習指導要領解説「道徳編」から引用させていただきます。(P.30 下線部は大原)

(1)道徳的実践力

 道徳的実践とは,人間としてよりよく生きていく力であり,一人一人の児童が道徳的価値の自覚及び自己の生き方についての考えを深め,将来出会うであろう様々な場面,状況においても,道徳的価値を実現するための適切な行為を主体的に選択し,実践することができるような内面的資質を意味している。それは,主として,道徳的心情,道徳的判断力,道徳的実践意欲と態度を包括するものである。

★道徳科(道徳の時間)は、子どもたちの内面的な資質(道徳的心情,道徳的判断力,道徳的実践意欲と態度)を育てる時間であります。

(2)道徳的実践

 道徳的実践は,内面的な道徳的実践が基盤になければならない。道徳的実践が育つことによって,より確かな道徳的実践ができるのであり,そのような道徳的実践を繰り返すことによって,道徳的実践も強められるのである。道徳教育は, 道徳的実践と道徳的実践の指導が相互に響き合って,一人一人の道徳性を高めていくものでなければならない。

★道徳的実践とは、ある意味「目に見える具体的な行為、行動」といってよいでしょう。因みに、小学校学習指導要領解説「特別の教科 道徳」から、「道徳性」についての記述も引用しておきます。(P.19 下線部は大原)

 道徳性とは,人間としてよりよく生きようとする人格的特性であり,道徳教育は道徳性を構成する諸様相である道徳的判断力,道徳的心情,道徳的実践意欲と態度を養うことを求めている。

★新しい学習指導要領では、「道徳的判断力」と「道徳的心情」の順序が入れ替わりました。もっとも、現行の前の学習指導要領では、道徳的判断力が先にありました(もとに戻ったと言うべきでしょうか)。

 これらのことを図式化してみます。
 左図は、海面に浮かぶ氷山です。海面上の氷山、すなわち目に見える部分を「道徳的実践」と呼び、具体的な行為、行動を表しています。反対に、海面下、目に見えない部分を「道徳的実践力」と言い、いわゆる心の中、目に見えない「内面的資質」としています。
 道徳の時間、道徳科ではこの内面的資質である「道徳的実践力」を育成するのが目的です。したがって、「態度」と言ってもあくまでも内面的資質である「目に見えない」ところを育てるのです。よく道徳の時間で、本時の目標(ねらい)に「○○という態度を育成する」と書かれている指導案を見ます。協議会でも「態度形成をねらう」とか「態度化」ということが論点になることがありますが、今一度「道徳的態度」についてきちっととらえ直すことも大切ではないでしょうか。

2.道徳的実践力(「道徳性」)の諸様相

 以下、道徳的実践力についての解説を現行の学習指導要領解説「道徳編」から再び引用させていただきます。(P.26~27 下線部は大原)

(1)道徳的心情

 道徳的価値の大切さを感じ取り,善を行うことを喜び,悪を憎む感情のことである。人間としてのよりよい生き方や善を志向する感情であるともいえる。 それは,道徳的行為への動機として強く作用するものである。

(2)道徳的判断力

 それぞれの場面において善悪を判断する能力である。つまり,人間として生きるために道徳的価値が大切なことを理解し,様々な状況下において人間としてどのように対処することが望まれるかを判断する力である。的確な道徳的判断力をもつことによって,それぞれの場面において機に応じた道徳的行為が可能になる

(3)道徳的実践意欲と態度

 道徳的心情や道徳的判断力によって価値があるとされた行動をとろうとする傾向性を意味する。道徳的実践意欲は,道徳的心情や道徳的判断力を基盤とし道徳的価値を実現しようとする意志の働きであり、道徳的態度は,それらに裏付けられた具体的な道徳的行為への身構えということができる。

(4)道徳的習慣

 長い間繰り返して行われているうちに習慣として身に付けられた望ましい日常的行動の在り方であり,その最も基本となるものが基本的な生活習慣と呼ばれている。これがやがて,第二の天性とも言われるものとなる。道徳性の育成においては,道徳的習慣をはじめ道徳的行為の指導重要である。

★そうです! 「態度」と言っても、「具体的な道徳的行為への身構え」なのです。道徳の授業は、具体的な行為、行動の仕方を身に付ける時間ではないのです。グループエンカウンターやソーシャルスキルを取り入れた道徳の授業を拝見することがありますが、「ちょっと待てよ」ということになってしまいます。

3.「いじめをなくそう」の学習から

 さて、第5回の本稿で論じました「いじめをなくそう」の学習です。第一時「道徳」の学習課題が「いじめをなくすためにどう行動するか考えよう」となっています。中心発問では「同じ場面に居合わせたとき、どのように行動したいかを考え、話し合う」。そして、いわゆる展開後段(自分自身を見つめる段階)では「議論の後、いじめをなくすためにどのように行動するか、自分の考えを書くように伝える」と問いかけています。
 まさに、「行動化」オンパレードです。先ほどの図の「目に見える氷山(海面上)」の部分の学習活動が主としか思えないのは私だけでしょうか。「いじめを許さない」基本的な行動様式を身に付けさせるための授業としては可ですが(教科等がはっきりしませんが)、道徳の授業にはなり得ていないと言うのが私の率直な意見です。
 最後に、小学校学習指導要領解説「道徳編」から「道徳の時間の指導」の「指導の基本方針」から(1)道徳の時間の特質を理解するを引用します。(P.79 下線部は大原)

 道徳の時間は,児童一人一人が,一定の道徳的価値の含まれるねらいとのかかわりにおいて自己を見つめ,道徳的価値の自覚及び自己の生き方についての考えを発達の段階に即して深め,内面的資質としての道徳的実践力を主体的に身に付けていく時間である。このことを共通に理解して授業を工夫する。

「道徳科」における「補充(補ったり)、深化(深めたり)、統合(相互の関連を考えて発展させたり統合させたり)」について

 あと13カ月ほどで小学校では「特別の教科 道徳」が完全実施の運びとなります。4月からは教科書会社の見本本が出揃い、教科書採択が行われます。「いよいよ!」という感がします。このところ、道徳の研究発表会に行くと、どこの会場にも多くの人があふれています。それだけ現場の「道徳の教科化」への関心は高いものと実感します。とても喜ばしいことです。
 そして、どこに行っても聞こえるキーワードは、「『考え、議論する道徳』への質的転換」「物事を多面的・多角的に考える」「問題解決型の学習」「体験的な学習」「評価のありかた」等です。それらの文言を全面に押し出した書物等もよく売れていると聞いています。
 もちろんそれらの事項について明確にし、理解しておくことはとても大切なことです。しかし、道徳の時間の機能について再度おさらいしておくことも必要なことと思われます。そこで、今回は全教育活動を通して充実・徹底を図る道徳教育の「要(かなめ)となる道徳科」の役割である【補充、深化、統合】について私の考えを述べさせていただきます。前号の実践例で疑問を呈したところでもあります。

1.「補充、深化、統合」について

 このことについて、現行の小学校学習指導要領解説「道徳編」(平成20年8月)から主な部分をひろってみます。

(2)学校の教育活動全体で行う道徳教育を補充,深化,統合する
 (中略)すなわち,各教育活動において行われる道徳教育を,全体にわたって調和的に補充,深化,統合する時間である。
 (中略)道徳の時間は,このように学校の諸活動で考える機会を得られにくい道徳的価値などについて補充する役割がある。(中略)道徳の時間は,このように道徳的価値の意味やそれと自己とのかかわりについて一層考えを深化させる役割を担っている。更に,多様な道徳的体験をしていたとしても,それぞれがもつ道徳的価値の相互の関連や,自己とのかかわりにおいての全体的なつながりなどについて考えないままに過ごしてしまうことがある。道徳の時間は,それらを統合し,児童に新たな感じ方や考え方を生み出すというような役割もある。(P.29~30抜粋 下線部は大原)

 「各教育活動において行われる道徳教育を,全体にわたって調和的に補充,深化,統合する時間」と言うことから、それぞれの教育活動で(意図的、無意図的にかかわらず)行われている道徳教育を「要る(かなめる)」のが「道徳の時間=道徳科」であります。言うまでもありませんが、補充したり、深化したり、統合したりするのはあくまでも「道徳の時間(道徳科の授業)」において行うことです。
 同様に小学校学習指導要領解説「特別の教科 道徳編」(平成27年7月)からも引用してみます。「補充,深化,統合」という言葉は使われていませんが、考え方の基本は全く変わっていないことがお分かりになると思います。

 特に,各教科,外国語活動,総合的な学習の時間及び特別活動における道徳教育としては取り扱う機会が十分でない道徳的価値に関わる指導を補うことや,児童や学校の実態等を踏まえて指導をより一層深めること相互の関連を捉え直したり発展させたりすることに留意して指導することが求められる。
 道徳科は,このように道徳科以外における道徳教育と密接な関連を図りながら,計画的,発展的な指導によってこれを補ったり深めたり相互の関連を考えて発展させ,統合させたりすることで,道徳的諸価値についての理解を基に,自己を見つめ,物事を多面的・多角的に考え,自己の生き方についての考えを深める学習を通して,道徳性を養うことが目標として挙げられている。(P.15抜粋 下線部は大原)

 もう一度、それぞれについてまとめてみます。
(1)補充【補う】
 学校生活全般で行われる道徳指導の足りない点を補い、さらに徹底を図ろうとする働きです。
 道徳科において意図的・計画的に授業実践を行わなければ、指導内容(内容項目)に偏りが生じてしまいます。また、しつけやきまりに終始しがちな(どうしても目につきやすい)内容項目の指導が多くなり、これもまた偏りが出来てしまいます。これらを是正し、普段の生活ではあまり見られない、扱うことの少ない内容項目を意図的・計画的にきちんと学習させなければなりません。
 いわゆる「補充する(補う)」と言うことです。
(2)深化【深める】
 日常的な指導では徹底しにくい道徳的な見方、考え方を【一単位時間という授業枠を使って】一層深めたり、広げたりして指導の徹底を図ろうとする働きです。
「表面的なとらえ方」を「内面的なとらえ方」に、「固定的なとらえ方」を「幅広いとらえ方」に深めると言うことです。
(3)統合【相互の関連を考えて発展させたり統合させたり】

 随所随所で行われている指導だけでは、子どもにとってまとまりのないものとなり、十分な効果を上げることが出来ないので、(道徳科の授業において)それをまとめ、筋道をつけて指導の徹底を図ろうとする働きです。
 例えば、「礼儀」の指導1つとってみても、子どもに対して校内外で様々礼儀に関わる指導や働きかけが行われています。子どもにとってみればその時々については認識し理解しているにしても、それらを一つのまとまりとして受け止めているわけではありません。したがって、道徳科の授業で礼儀についてしっかりと学習することでいくつか受けた指導や働きかけは「礼儀ということで1つにまとめられるな」と関連、統合して主体的に自覚させることが必要なのです。

2.やってはいけない「補充、深化、統合」について

 このことについて、現行の小学校学習指導要領解説「道徳編」(平成20年8月)から主な部分をひろってみます。

図1

図2

※上図における  は、全教育活動における道徳教育。

 【図1】は、健全な「補充、深化、統合」の姿です。「補充、深化、統合」という役割が「道徳の時間(道徳科)」に向けられているからです。すなわち、全教育活動において行われる道徳教育が「道徳の時間(道徳科)」において「要られる」ような図式になっています。生活科や特別活動、その他の教育活動において学んだ道徳的な価値を「道徳の時間(道徳科)」において「補充、深化、統合」するようになっているのです。
 しかし、【図2】は違います。やってはいけない「補充、深化、統合」なのですが、意外と現場では行われているようです(やってはいけないと言うよりも、もともとこれを「補充、深化、統合」とは言いません)。
 たとえば、特別活動の宿泊行事をとって考えます。みんなで力を合わせてよりよい移動教室にしようと教師が念じ、(事前に)「集団生活の充実」という内容項目で道徳科の授業をやっておこう、また、自然に親しむために「自然愛護」も必要だ、そして、それぞれの仕事も一生懸命やらせたい、そうだ「勤労」もやっておかなければならない。このように考え、意図的・計画的に移動教室の事前指導として道徳科の時間を使って強化することは避けなければなりません。
 ひどい場合、「○○移動教室」と言った単元構成に、特別活動や他教科といっしょに道徳科も組み込まれてしまった事例を見たこともあります。前号の「いじめをなくそう」という単元構成に道徳科がくみこまれていることは私にしてみればNGです。いじめをなくす「行為を身に付けさせる」ために、「相互理解・寛容」の道徳科の授業をやるわけではないのですから。魅力ある道徳科の授業を毎週丹念に行い、子供たちの道徳性を高め、その結果いじめへの抑止力が育つならばよいと考えます。

サクロモンテの丘 ロマの洞窟フラメンコ

 もう40年以上前になるが、団体旅行で、スペインに出かけたことがある。その日は朝、マドリードのバラハス空港から飛行機で、マラガに向かう予定だった。ところが、イベリア航空がストライキで、ずっと空港で待機していたが、お昼になっても夕方になっても、飛行機が飛ばない。急遽、予定が変更になり、夜行列車で、グラナダに行くことになった。
 マラガは、風光明媚なところと聞いていたので、ややがっかりしたが、グラナダでも悪くはない。なにしろ、アルハンブラ宮殿のあるところだからだ。翌日、グラナダ郊外の、たぶん観光客相手と思われるが、小高い丘の上にある洞窟のようなスペースで、フラメンコを見た。これが、すさまじい迫力。音楽としてのフラメンコは好きなほうだったが、生の歌と踊りに接したのは初めて。若い人だけでなく、かなり年輩の人たちが、唄い、踊り、手拍子を打つ。すっかり、魅せられてしまった。

 このほど、グラナダのサクロモンテにあるフラメンコ・コミュニティのいまを描いたドキュメンタリー映画「サクロモンテの丘 ロマの洞窟フラメンコ」(アップリンク配給)を見た。迫力である。老若男女、いろんな人が、唄い、踊る。柔軟な体がしなやかに動き、美声とはいえないがこころのこもった歌を唄う。
 1963年に、フラメンコ界のスーパースター、カルメン・アマジャが亡くなる。同じころ、サクロモンテの丘を水害が襲う。かつて、西のほうから、この地に定住したロマたちは、住む場所を失ってしまう。
 映画では、ロマたちの迫害や、洞窟の崩壊といった歴史にさらされながらも、いまなお、フラメンコそのものを守り、継承している唄い手、踊り手、ギタリストたちが、多く登場する。その歌、その踊り、その演奏もさることながら、インタビューに答える言葉が、光り輝いている。「洞窟では常に音楽が響いていた」、「稼ぐため、自分を証明するために踊った」、「フラメンコは生きる糧だった」、「世界中がサクロモンテに注目した」…。冒頭、年輩の女性が、いささか下ネタを語るが、これとて、長く生きて、いまなお、フラメンコへの情熱を物語る証しだろう。

 幸い、日本は島国である。なんらかの理由で、長い距離の大陸を移動することもない民族だ。ひきかえ、グラナダのロマたちの歴史をひもとくと、定住するまでの苦闘の歴史が見えてくる。
 深く印象に残る歌唱がある。無伴奏である。
「グラナダ、聖なる地よ アルハンブラを頂きに その石畳踏む者は おまえの聖女に祈るだろう スペインいちのあの方に」。
 このような優れたドキュメンタリーを作ったのは、グラナダ生まれのチュス・グティエレスという女性。資金のないなか、何度も何度もサクロモンテに出かけ、撮影を続けた。
 歌、朗唱、踊り、ギター演奏と、いずれも情熱的、官能的である。このライブを行う場所をタブラオという。グラナダからマドリードに戻り、さっそくタブラオに出かけた。午前4時半まで、唄い、踊るようだ。
 日本には、フラメンコを愛好する人がけっこう多いと聞いている。「サクロモンテの丘 ロマの洞窟フラメンコ」をご覧になると、ますますフラメンコ人口が増えるのではないだろうか。

2017年2月18日(土)より、有楽町スバル座ico_linkアップリンク渋谷ico_linkほか全国順次公開

『サクロモンテの丘 ロマの洞窟フラメンコ』公式Webサイトico_link

監督:チュス・グティエレス
参加アーティスト:クーロ・アルバイシン、ラ・モナ、ライムンド・エレディア、ラ・ポロナ、マノレーテ、ペペ・アビチュエラ、マリキージャ、クキ、ハイメ・エル・パロン、フアン・アンドレス・マジャ、チョンチ・エレディア他多数
日本語字幕:林かんな/字幕監修:小松原庸子/現地取材協力:高橋英子
2014年/スペイン語/94分/カラー/ドキュメンタリー/16:9/ステレオ/原題:Sacromonte: los sabios de la tribu
提供:アップリンク、ピカフィルム
配給:アップリンク
宣伝:アップリンク、ピカフィルム
後援:スペイン大使館、セルバンテス文化センター東京、一般社団法人日本フラメンコ協会

16世紀という時代 ―開かれた世界への眼―(2)

日本宣教への覚悟

 ザビエルが手にした日本情報は宣教への夢を日毎に大きくしたようです。その夢は、マラッカからヨーロッパのイエズス会員宛1549年6月22日に読みとることができます。ヨーロッパに伝わった日本宣教への期待は、信仰覚醒にうながされ、イエス・キリストの使徒として全世界に旅立たんとの熱気を誘うメッセージとして王侯貴族のみならず青年の心に火をつけていきます。まさに17世紀の禁教下に来日した『沈黙』の主人公ロドリゴは、ザビエルにはじまる日本宣教像が提示した記憶を共有することで来日の狂気にとらわれた一人なのです。

 ポルトガル人が日本について私によこした手紙によると、日本人は非常に賢く、思慮分別があって、道理に従い、知識欲が旺盛であるので、私たちの信仰を広めるためにはたいへんよい状態であるとのことです。(略)日本についての情報を得てから、私は日本へ行くべきか否かを決定するために長いあいだ熟考しました。主なる神が、日本において神に仕えるために日本へ行くことが私の使命であると、私の内心に確信を抱かせる恩恵をお与えになることをお望みになってからは、もしもそれを実行しないならば、私は日本の未信者よりも悪い者になると思うようになりました。悪魔は私の渡航を妨げようとして、いろいろな試みをしました。私たちが日本へ行くことを悪魔が恐れているのはなぜなのか、私には分かりません。私たちはミサをたてるために必要な物をすべて携行します。神の思し召しであれば、来年私たちがあちらで体験したことすべてを、細かに報告することになるでしょう。
 日本に着きましたら、国王のおられる本土へ行き、イエズス・キリストから遣わされた使節であると国王に申しあげることにしました。主なる神が悪魔に対する勝利を与えてくださるに違いないと、神の慈しみを心から信頼して私たちは渡航します。私たちは日本において、学識のある人たちと出会い討論することを恐れません。なぜなら、神を知らず、イエズス・キリストをも知らない人びとが何を知ることができるでしょうか。

 「主なる神が悪魔に対する勝利を与えてくださる」との信仰的確信は、日本で出会った世界をして、「この国の人びとは今までに発見された国民のなかで最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう」と、言わしめるほどに日本宣教への高い期待を生み育てたのです。この日本像は、日本への憧れが強かっただけに、日本熱を否応なしにうながします。

日本という世界

 鹿児島到着後にゴアのイエズス会員宛1549年11月5日の書簡は、ザビエルが思い描いてきた夢が眼前に展開したものとみなされ、来るべき日本が「キリスト教の王国」に相応しいものとして紹介されています。

1)私たちが交際することによって知りえた限りでは、この国の人びとは今までに発見された国民のなかで最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません。驚くほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉を重んじます。大部分の人びとは貧しいのですが、武士も、そうでない人びとも、貧しいことを不名誉とは思っていません。
2)日本人は侮辱されたり、軽蔑の言葉を受けて黙って我慢している人びとではありません。武士以外の人たちは武士をたいへん尊敬し、また武士はすべて、その地の領主に仕えることを大切にし、領主によく臣従しています。
3)この国の人たちの食事は少量ですが、飲酒の節度はいくぶん緩やかです。この地方にはぶどう畑がありませんので、米から取る酒を飲んでいます。人びとは賭博を一切しません。賭博をする人たちは他人の物を欲しがるので、そのあげく盗人になると考え、たいへん不名誉なことだと思っているからです。宣誓はほとんどしません。そして宣誓する時は、太陽に向かってします。大部分の人は読み書きができますので、祈りや教理を短時間に学ぶのにたいそう役立ちます。
4)この地の二つの習慣について、あまりにもひどいので驚いています。その第1は、これほど大きな忌わしい[ボンズたちの]罪を見ていながら、人びとはなんとも思っていないことです。昔の人たちがこうした罪のなかで生活することに慣れてしまったので、現在の人たちも前例に倣っているからです。(略)その第2は、世間一般の人たちがボンズたちの生活よりも正しい生活をしていることです。
5)私があなたがたにお知らせしたい唯一のこと、それは主なる神に大きな感謝を捧げていただきたいことです。この島、日本は、聖なる信仰を大きく広めるためにきわめてよく整えられた国です。そしてもし私たちが日本語を話すことができれば、多くの人びとが信者になることは疑いありません。

 ここに提示した日本像は、後に来日したルイス・フロイス等々の宣教師の眼を規定し、日本に順応した宣教論を構築する根拠となったものです。ここには、パウロが「コリントの信徒への手紙」で「わたしはあなたがたに乳を飲ませて、固い食物は与えませんでした。まだ固いものを口にすることができなかったからです」(一の3章2節)との想いがありました。日本人には、「聖なる信仰」そのものを生のまま説き聞かせるのではなく、日本人の心に寄り添い、その心に合わせて日本人の心に響くように「信仰」を説き聞かせ、キリスト者にしていく作法がとられたのです。この作法は、「順応」論といわれるもので、16世紀をキリシタンの時代になさしめたものです。

道徳授業、こんなのも、あり?!

 先回の第4号において、特質を押さえた道徳の授業について少し述べました。小学校では、道徳科の完全実施まであと1年ほどとなりました。このところ色々なところでいわゆる「新しい道徳科の授業」に関する実践を散見します。表題にも挙げましたが、「こんな道徳授業があっていいの?」と思われるほど、さまざまな実践事例が報告されているのも状態です。
 そうした状況の中で、少しばかり道徳教育の研究に携わってきた者として、危惧観と危機感を感じざるを得ません。「教科化なんでもあり」の機運の中で、「もう手遅れ…」になってしまわないように、問題点を洗い出しそれを考えておこうと思います。
 事例を挙げてお話いたします。

1.「小学校第4学年 道徳・特別活動」の実践事例(注1)

 本事例は、道徳と特別活動(おそらく、学級活動)という2領域を合体させた単元構成です。
(1)単元名 「いじめをなくそう」
(2)単元を通して身に付ける力

いじめをなくすために行動しようとする態度

(3)指導計画(4時間扱い)

①第1時
【本時】

ア.「道徳」 相互理解・寛容
イ.<いじめのない楽しいクラスにしよう>
ウ.自分の周りでいじめが起こったとき、どのように行動するかを考える。

②第2時

ア.「道徳」 個性の伸長
イ.<その人らしさをさがそう>
ウ.いじめを生まないためには、互いの「その人らしさ」を受け入れ、認め合うことが大切であることに気付く。

③第3時

ア.「特別活動」
イ.<コミュニケーション力を高めよう>
ウ.言葉で伝えることに加え、相手の動きや表情をよく見て、相手が話したいことを知ることの大切さを学ぶ。

④第4時

ア.「特別活動」
イ.<気持ちのコントロールをしよう>
ウ.いらいらするなど「嫌な気持ち」になったときの心の変化について知るとともに、具体的な対処方法を学ぶ。

(4)本時の指導(道徳)
①【本時で身に付ける力】自分の周りでいじめが起こった時の対応を考えることができる。
②学習指導過程

ア.導入

○課題を把握する。

いじめをなくすためにどう行動するか考えよう

イ.展開

◎教材を視聴し、話し合う。
教材(いじめを傍観してしまった14人の子供たちが、何もできなかったことについて、一人ずつ言い訳をしていく内容。)
○周囲で見ている子の気持ちを考える。
★登場人物のいじめを傍観している15人目になったつもりで考える。
○いじめられている子の気持ちを考える。
★傍観者の心情を十分に考えた上で被害者の視点に転換することで、いじめられている子の心の痛みへの気付きを促す。

◎自分自身がどうするか話し合う。
○同じ場面に居合わせたとき、どのように行動したいかを考え、話し合う。
★2~3人のグループで考えを共有し、それぞれの発表を基にして議論につなげる。
○学習を振り返り、考えをまとめる。
★議論の後、いじめをなくすためにどのように行動するか、自分の考えを書くように伝える。

ウ.まとめ

○絵本の読み聞かせを聴く。
★自分や友達、それぞれのよさを認め、受け入れることの大切さを印象付け、第2時につなげる。

2.この事例から感じたこと、思ったこと

 本事例は、何があっても「いじめは許さない!そして、させない!」という強い決意と信念を感じる実践であることに、まずは敬意を払います。いじめることは、「弱いものをいじめてはなりませぬ」と言う会津藩校の「日新館」の教え(什の掟)を引き合いに出すまでもなく、何があっても許されることではありません。「ならぬことは、ならぬ」のです。
 ただ、道徳の授業実践として見た場合いくつかの疑問を感じます。今回は私の素朴な疑問を記すに留めておきます。
(1)道徳の時間(道徳科)と他教科等とで単元構成をすること。それと同時に、道徳の時間の本来の役割である「補充、深化、統合」について。
(2)単元の目標「いじめをなくすために行動しようとする態度」における「態度」と道徳の時間で育てる道徳的実践力の「態度」との整合性。
(3)本時の主題である「イ.いじめのない楽しいクラスにしよう」は道徳の主題ではなく、特別活動「学級活動」の主題でではないだろうか。また、本時のねらいである 「ウ.自分の周りでいじめが起こったとき、どのように行動するかを考える。」が道徳の時間のねらいたり得るだろうか。道徳の時間では、あくまでも「内面的資質である道徳的実践力(道徳科では使わなくなるが)」であります。
(4)上記と重なるが、「どのように行動するか」すなわち、「行動の仕方を見出すこと」が道徳の時間となってよいのでしょうか。
(5)道徳の時間、いや、他の学習においても「いじめを傍観している15人目になったつもり」をやらせてよいものだろうか。あえていじめの傍観者に(むりやり)ならせることに疑問を感じるのは私だけでしょうか。
(6)「自分の周りでいじめが起こったとき、どのように行動するかを自分のこととして捉え、考えている」が評価規準となっている!道徳の時間において、具体的な行動の仕方を評価するのでしょうか。

3.次回、私の見解を述べます

 これをお読みになられた方はどのように感じられましたでしょうか。次回は、私が抱いた疑問を基にして、私の見解を述べさせていただきたいと思います。いよいよこの連載も終盤を迎えます。もう少しおつきあいをお願いいたします。

 

注1:実践事例については、「平成28年2月 東京都多摩地区教育推進委員会第21次計画報告書」より引用させていただきました。