16世紀という時代 ―開かれた世界への眼―(4)

「貴族」フランシスコ・カブラルの日本像

 宣教師が向き合った日本とはどのような世界だったのでしょうか。1533年生のポルトガル出身の「貴族」フランシスコ・カブラルは、日本布教長として、1570年6月に天草志岐上陸、日本宣教にあたりました。その方策は、ザビエルが提示した日本順応への戦略ではなく、イエズス会の信仰を直截に原理的に説くことでした。カブラルは、ザビエルやフロイスの日本人に向ける評価を否定し、「異教徒」日本に厳しい言葉を浴びせています。

私は日本人ほど傲慢、貪欲、不安定で偽装的な国民を見たことがない。彼等が共同の、そして従順な生活ができるとすれば、それは他になんらの生活手段がない場合においてでのみである。ひとたび生計が成立つようになると、たちまち彼等はまるで主人のように振舞うに至る。日本人のもとでは、誰にも、胸中を打ち開けず読みとられぬようにすることは、名誉なこと賢明なこととみなされている。彼等は子供の時からそのように奨励され、打ち開けず、偽善的であるように教育されるのである。彼等は土着民であり、彼らには血族的な繋りがあるが、日本におけるヨーロッパ人には、一人の親族があるわけでもない。彼等はラテン語の知識もなしに私達の指示に基づいて異教徒に説教する資格を獲得しているが、これがために我等を見下げたことは一再に留まらない。日本人修道士は、研学を終えてヨーロッパ人と同じ知識を持つようになると、何をするであろうか。日本では、仏僧でさえも20年もその弟子に秘義を明かさぬではないか。彼等はひとたび教義を深く知るならば、上長や教師を眼中に置くことなく独立するのである。日本人は悪徳に耽っており、かつまたそのように育てられているので、それから守るためには、主なる神の御恩寵に頼るほかはない。日本で修道会に入って来る物は、通常世間では生計が立たぬ者であり、生計が立つ者が修道士になることは考えられない。日本人は同宿として用いるべきである。彼等は私達と同じ家に住み、説教の助けをしたり、通訳をしたり修道院での用事をする。彼等は修道士よりも多く働き、司祭を見下げるということもなく、イエズス会員ではないから、私達は余り激昂することもない。

 「傲慢、貪欲、不安定で偽装的な国民」との日本人像は、カブラルのみならず、現在でも耳にする日本像です。カブラルの宣教は、己の信仰的優越性を場に、「無知なる異教徒」への布教論でありました。その作法は、己が身につけている文化の場を絶対視したもので、日本人修道士の在りかたに「小賢しい性」を読み取ったのです。このような目、「ヨーロッパ人と同じ知識を持つようになると、何をするであろうか」、「封建君主に優る宣教師はいない」は、組織のなかで上役に弱い日本人像に読み取れましょう。いわば日本人は、異質な存在に同化を強要し、群としては「強者」となり得るものの、他者性を認識出来ない問題がカブラルの指摘にあるのだといえましょう。

「農民の息子」オルガンティーノ・ソルドの目

 イタリア人オルガンティーノは、1532年生れで「農民の息子」を自称、1576年都地方長として活躍、南蛮寺を建立した「ウルガン」伴天連として、京童に親しまれ、人気のあった宣教師。彼は、カブラルとともに来日、京都を中心に畿内で働き、多くの信者を育てました。その宣教論は、カブラルと対立し、ザビエルの日本像につらなるものでした。

日本人は全世界でもっとも賢明な国民に属しており、彼等は喜んで理性に従うので、我等一同よりはるかに優っている。我等の主なる神が何を人類に伝え給うたかを見たいと思う者は、日本に来さえすればよい。彼等と交際する方法を知っている者は、彼等を己の欲するように動かすことができる。それに反し、彼等を正しく把握する方法が解らぬ者は大いに困惑するのである。
私達が多数の宣教師を持つならば、10年以内に全日本人はキリスト教徒となるであろう。四旬節以来6ヵ月間に、8千以上の成人に洗礼が授けられた。この国民は野蛮ではないことを御記憶下さい。なぜなら信仰のことは別として、私達は互いに賢明に見えるが、彼等と比較するとはなはだ野蛮であると思う。私は真実のところ、毎日、日本人から教えられることを白状する。私には全世界でこれほど天賦の才能を持つ国民はないと思われる。(1577年)

 このような日本への目は、日本人に好ましいだけに、「ウルガン」さまと慕われました。しかしオルガンティーノは、日本に順応する道を歩むほどに、あらゆるものに神々が宿る日本の空気に怯えたのではないでしょうか。芥川龍之介は、オルガンテイーノの心の揺れ動きを「神神の微笑」として描いています。まさに『神神の微笑』は、日本人の心性に切り込んだ作品で、日本人の神観念を抉剔したものです。キリスト教は、プロテスタントもそうですが、この「神観」にどれだけ向き合ってきたのでしょうか。映画「沈黙」はこの問いにせまっているでしょうか。神と神神がつきつける問題を考えたいものです。『神神の微笑』を読んでみて下さい。あわせて遠藤周作が『沈黙』で問いかけようとした世界を芥川の想いと重ねて読み解きたいものです。ここに日本思想史の課題があるのではないでしょうか。教室で話題としてみませんか。

草原の河

©GARUDA FILM

 およそ人間は、いろんな場所で生きている。中国のチベット。ところどころ、緑の草原があり、小さな河がある。冬、河は凍りつく。映画「草原の河」(ムヴィオラ配給)は、過酷な自然のなかで、牧畜を営むチベット人家族の日常を淡々と描く。
 一昨年、2015年の東京国際映画祭で、「ワールド・フォーカス」部門で上映され、長く公開が待たれていた。
 子が親を想う。親が子を想う。その表現に違いはあるが、愛し、慕い、ときには憎むこともあるが、その想いは、国や民族が異なっていても、さして変わることはない。
 冬の終わり。まだ6歳の娘ヤンチェン・ラモ(ヤンチェン・ラモ)は、母親ルクドル(ルンゼン・ドルマ)に、近く、赤ちゃんができることを知る。まだ乳離れのできないヤンチェンは、これから生まれてくる赤ちゃんに、母親がとられるのではないかと心配である。
 ヤンチェンの父親グル(グル・ツェテン)は、4年ほど前のある出来事から、ヤンチェンの祖父である自分の父を、許せないでいる。グルの父は、かつて仏教の修行に励み、いまなお、修行のために、村から離れた洞窟にひとりで住み、村人たちから、行者さま、と呼ばれている。

©GARUDA FILM

 春のはじめ。行者さまが体調を崩す。村人たちは、行者さまの見舞いに行く。グルもルクドルに促され、ヤンチェンを連れて洞窟に向かうが、父とは会おうとせず、ヤンチェンだけを祖父に会わせる。
 砂漠化が進行しているせいか、夏の放牧地への移動がまだ早すぎるころに、グルたち一家は、夏の放牧地に移動する。夜、狼が羊を襲う。ヤンチェンは、母を亡くした子羊を、ジャチャと名前をつけて、可愛がって、育てる。
 畑に種まきをする。訪ねてきたヤンチェンのおじさんは、ヤンチェンの祖父と同じ寺で修行をしていて、改革開放のいまなお、修行に励むのを、立派だと誉めたたえる。
 夏。いろんな家族が放牧地にやってくる。ヤンチェンは、まだ、乳離れしないでいる。ある日、ジャチャがいなくなってしまう。グルはヤンチェンをオートバイに乗せて、ジャチャを探しに行く。
 収穫の秋がやってくる。ヤンチェンにとっては、たいへん辛く、悲しいことが起きる。
 ヤンチェン、その両親、祖父と、三代にわたる家族の様子を、草原の河は、じっと見つめている。

©GARUDA FILM

 いまは、草原をオートバイで駆ける。確実に時代は移り変わっていく。およそ文明とはあまり縁のない場所とて、近代化の波は押し寄せている。国の政策で、その暮らしぶりにも、変化が訪れようとしている。文革を経て、改革開放となる中国のいまである。チベットと中国との複雑な関係も存在する。
 父と息子、息子とその妻と娘がいる。標高3000メートルを超える草原である。冬の寒さは半端ではない。放牧民として暮らすことは、決してラクなものではないだろう。過酷な自然との闘いでもある。そして、どこにいても、人は生きていこうと必死である。
 チベットのどこかが舞台であるが、映画は、青海省の同徳県で撮影された。ここは、監督のソンタルジャや、ヤンチェン役のヤンチェン・ラモ、父親役のグル・ツェテンの生まれ故郷である。チベット人の暮らしを、チベット人の視点でとらえる。映画にリアリティがあるのも当然のことだろう。
 チベット人監督の手になる映画が、日本で一般公開されるのは、これが初めてである。ヤンチェンを演じたヤンチェン・ラモは、監督の遠縁にあたる少女である。撮影当時、まだ6歳。映画に出るのは初めてだが、いたいけで、けなげな役どころを堂々と演じる。
 自然、人、暮らし。しんみり、だが、ほのぼの。さまざまな思いにかられる映画だ。

2017年4月29日(土)より、岩波ホールico_linkにてロードショーほか全国順次公開

『草原の河』公式Webサイトico_link

監督・脚本:ソンタルジャ
撮影:王 猛
出演:ヤンチェン・ラモ、ルンゼン・ドルマ、グル・ツェテンほか
原題:河/英語題:River/2015年/中国映画/チベット語/98分/DCP/ビスタサイズ/ステレオ/映倫区分:G
配給:ムヴィオラ

人生を乗り越えていく力

柔軟な指導者でありたい

 リオデジャネイロオリンピックでは、選手たちの努力が実り、全階級でメダルを獲得することができた。しかし、反省点は多々ある。メダルの色をもっとよい色にできたのでは……という心残りは、2020年の東京オリンピックで晴らさなくてはならない。リオの余韻に浸る間もなく、新たな大舞台へ向けての挑戦が、すでに始まっている。
 柔道は嘉納治五郎先生によって創始された武道であり、特にオリンピックでは日本の選手の金メダル獲得を期待できる競技として、長年大きな注目を集めてきた。しかし、近年では海外の選手の活躍も目覚ましく、従来の練習法や指導法だけではメダルを獲ることがどんどん難しくなってしまった。
 現役生活を引退後、柔道の指導者となる道を選んだ私は、日本オリンピック委員会の計らいで海外留学を経験し、世界でどんな柔道が行われているのかを研究することができた。
 日本の相撲のように、外国には外国の、その国に古くから伝わる国技とも言える格闘技がある。海外の指導者は、選手たちになじみのあるこのような格闘技の特長を柔道へうまく取り入れていた。そのため、日本の柔道しか知らないと、海外の選手に対応できなくなってしまうのだ。
 柔道は今や世界中で行われているのだから、その国ならではの戦法が生まれるのは、考えてみれば当たり前のことだ。それを研究して克服する方法を考えていかなければ、いくら日本で生まれた競技だといっても、勝ち続けていくことは難しい。
 私は留学中、疑問に思うことがあれば、海外のコーチに対して積極的に質問をした。世界と対等に渡り歩いていくためには、まずは相手を知る必要があると考えたためである。
 外国との比較だけではない。昔と今とでは柔道のルールも大きく変化している。また、社会の情勢も違う。今の時代だからこそ活用できるものは生かし、よいと思ったものは認めて柔軟に取り入れていくこと。この柔軟性が、監督としてとても重要なことだと思っている。

柔道を通して学んだこと

 とはいえ、礼儀を重んじる古くからの柔道のスタイルを否定するつもりはない。
 私は柔道を通して生きる力を学んできたと思っている。何事も続けていると、どうしても壁にぶつかるときがくる。それに負けずに立ち向かっていくことで、自己を成長させていく術を身につけてきた。これは、何もスポーツ選手に限ったことではない。誰でも人生において、辛いことや苦しいことがあるはずだ。そういうことにどう立ち向かって乗り越えていくか。これが生きる力だと私は考えている。
 選手が不調なときには、課題を明確にするように伝えている。何がよくないのか漠然としたままで繰り返していても、状況は変わらない。まずは原点に戻り、角度を変えて取り組んでみる。これは、なかなか勇気のいることだ。変化をつけると、最初はうまくいかず、どうしても失敗してしまう。しかし、これをおそれてはいけない。この失敗の中から不調を乗り切る鍵を発見できるのだ。
 私は指導者として、新たなことにチャレンジして失敗している選手については、大いに励まし、その努力を認めるように心がけている。
 現役時代、私も不調に悩まされたことがある。勝たなくてはいけない、強くなくてはいけないという、見えない何かに追い詰められているような感覚にとらわれていたとき、今は亡き母からの手紙にあった「初心」という言葉が私を救ってくれた。
 ―そうだ。柔道が好きだから、今まで続けてきたんじゃないか!
 柔道が好き。これが、私の「初心」だった。母が残してくれたこの「初心」という言葉は、今も私の座右の銘である。

親子のコミュニケーションと感謝の気持ち

 私は5歳の頃から、父が指導者である道場に通っていた。今にして思えば、父はわが子を柔道家として育てたいというよりも、柔道を通して親子のコミュニケーションを築く時間を取りたかったのかもしれない。
 こうした中で、自然と礼儀の大切さを学び、その経験が友達の家へ行ったときの挨拶へつながるなど、人間力の礎となる部分を鍛えられていったように思う。
 選手たちにも、柔道だけ強くなればよいのではなく、人間力を高める必要があることを述べている。誰しも、自分ひとりの力はたかが知れている。
 周囲の人々のサポートがあってこそ、競技に打ち込むことができるのだ。それを念頭に置き、周囲への感謝の心を忘れないようにしたいと、私自身も常々心がけている。
 現在、7歳の長女と6歳の長男が遊び感覚で柔道を始めている。楽しみながら体を鍛えてくれればくらいに思っているつもりだが、近くで見ているとついつい熱が入り、声が大きくなってしまうのが困りものだ。

 

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井上 康生(いのうえ こうせい)
全日本柔道男子監督 東海大学体育学部武道学科准教授
1978年宮崎県生まれ。東海大学体育学部武道学科卒業後、同大大学院体育学科研究科修士課程修了。柔道は5歳のときから始める。内股、大内刈、背負い投げを得意とする攻撃柔道で数々の結果を残した。2000年シドニーオリンピック100㎏級金メダル。1999、2001、2003世界選手権100㎏級優勝。2001~2003年全日本選手権優勝。2008年引退。2012年から柔道全日本男子監督。2016年、2020年東京オリンピックまでの続投決定。

【インタビュー】新学習指導要領の要点(2)~中学校美術科

 前回は小学校に重点を置いたので、今回、中学校美術科の改訂について環太平洋大学副学長 村上尚徳教授にお話を伺いました。

1.中学校改訂の進化

著者「中学校の今回の改訂ですが、以前から図画工作・美術は資質・能力ベースでつくられていたので、それが進化した感じですね。すんなり入ってくるというか……」
村上「そうですね。今回の改訂では、教科で身に付ける学力の構造を分かりやすくするために、小・中・高校の全ての教科等を、(1)知識及び技能、(2)思考力・判断力・表現力等、(3)学びに向かう力、人間性等の「三つの柱」で整理されています。
 ただ、図画工作・美術は平成20年の改訂のときに既にA表現の活動を、思考力・判断力・表現力等である『発想や構想の能力』と、技能である『創造的な技能』に分けて指導事項が示されています。中学校では、この時から、描いたりつくったりする活動を通して、発想・構想工夫してつくる技能をしっかりと育てることを大切にしてきました。今回の改訂では、この考え方を引き継いでいます。同様に、今回B鑑賞においても、『鑑賞の能力』は思考力・判断力・表現力等として明確に位置付けられました。鑑賞については、これまで対話などを通して子どもたちが考える活動が行われていました。前回と同じ流れなのですね。だから『すんなり』と入ってくるのだと思います。」

2.より具体的になった教科目標

著者「同じ流れといっても、いっそう分かりやすくなったというか、具体的になった感じがします。」
村上「それは、教科目標の改訂が理由だと思います。今まで美術は、何を学ぶ教科なのかということを「短い言葉で分かりやすく示す」ということが行われていませんでした。今、大学の教員をしていますが、大学生に『中学校の美術でどんなことを学んだ?』と尋ねると、ほとんどの学生が『風景を描いた、粘土で手をつくった』など、描いたりつくったりしたことそのものを答えるんですね。結局、描いたりつくったりしたこと以外は、学びとして自覚されていない、もっと言えばその人に残っていないわけです。
 今回の改訂では、教科目標の最初に、『表現及び鑑賞の幅広い活動を通して,造形的な見方・考え方を働かせ,生活や社会の中の美術や美術文化と豊かに関わる資質・能力を次のとおり育成することを目指す。』という一文が示されました。中学校の美術の学びとして、生活や社会の中の美術や美術文化と豊かに関わる資質・能力を育成することが具体的な目標として明示されたわけです。」

3.「生活や社会で生きる資質・能力」と〔共通事項〕

著者「『生活や社会の中の美術や美術文化と豊かに関わる資質・能力』とはどういうことですか?」
村上生活や社会の中の美術や美術文化と豊かに関わるとは、例えば、将来、美術を生かした職業に就くだけでなく、趣味で絵を描くこと、美術館へ出かけて鑑賞すること、生活の中の自然物や人工物からよさや美しさなどを感じ取ること、デザインにこだわってものを選ぶことなど、様々な関わり方が考えられます。」
著者「美術から考えるというよりも、生活や社会から美術をとらえ直す?」
村上「『生活や社会』VS『美術』のような対立的な考えではないですね。むしろ豊かに関わる力を育成するために、レストランでお皿の形や色彩などに目を止めたり、絵を見るときに『なぜ、この絵は奥行きを感じるのだろうか。なぜ、絵から光を感じるのだろうか。』など、造形を捉える多様な視点を持つことそのものを大切にしたい感じです。」
著者「それは現行の〔共通事項〕で大切にしたことですよね。」
村上「そうですね。今回の改訂では、それをいっそう進めたといえます。例えば、中学校は〔共通事項〕が「知識」に関する事項として位置付けられ、内容の取扱いに、色彩の明るさや鮮やかさ、材料の質感、余白や空間の効果、遠近感、動勢などを捉えることが示されています。これは、「言葉」や「単語」として覚えるのではなく、表現や鑑賞の活動の中で実際にそれらを捉え、実感を伴って理解することが重要です。そして、〔共通事項〕を知識に関する事項として示すことで、生徒の中に造形を捉える視点として、しっかりと根付かせていくことが大切になります。」
著者「なるほど、単なる事実的な知識じゃなくて概念的知識というか、『まなざし』というか、造形的な視点というか、そこがポイントなのですね。豊かさをともなう観点から考えたいですね。」

4.鑑賞の改訂

著者「B鑑賞の改訂についてはどうでしょう?」
村上「B鑑賞は、ア 作品の鑑賞イ 生活の中の美術の働きや美術文化の二つに大きく分けられています。さらに、ア 作品の鑑賞は、(ア)は、A表現の絵や彫刻などの感じ取ったことや考えたことなどを基にした表現(イ)は、デザインや工芸などの伝えることや、使うことなどの目的や条件などを考えた表現に対応するように示されています。これにより、特に発想や構想と鑑賞の双方に働く中心となる考えを関連させながら思考力・判断力・表現力を育成することが重視されています。」
著者「なるほど、表現と鑑賞が相互に関わりあって学習できるようになったわけですね。」
村上「ええ、例えば、ピクトグラムのデザインの学習をする時に、ピクトグラムを描くことそのものが目的ではなく、形や色彩は情報や気持ちなどを分かりやすく、美しく伝えることができるという、ここでの中心となる考えを、作品を鑑賞したり、自分で表現する中で学んだりすることが重要だと考えます。〔共通事項〕により造形を捉える多様な視点を身に付けるとともに、表現と鑑賞を関連させて、心情などを表す美術装飾などの美術伝達の美術使うものの美術など、中心となる考えをしっかりと学ぶことで、生活や社会の中の美術や美術文化と豊かに関わる資質・能力を育成することになるのだと思います。」

5.前回との関連

著者「個人的な印象なのですが、前回の改訂後、中学校の授業や作品が『がらり』と変わった感じがしました。豊かな学習活動が想像できるし、生徒自身が学力を自覚しているように思います。」
村上「前回の改訂の背景には、先ほどの大学生の発言のように、美術科の授業が、単に描くこと、つくることを目的としていた授業が少なくなかった感があります。そこで、前回の改訂では、学習指導要領の指導事項を、発想や構想の能力創造的な技能に分けて示し、それらを組み合わせて題材を考えるように改善が図られました。どのような資質・能力を育成するのかを明確にして題材を考えるという考え方を、今回は一層推進した改訂だと思います。」
著者「そこは今回の図画工作科の改訂でも同じ方向ですね。」
村上「今回の改訂は、全ての学校種、全ての教科で、学力の三つの柱に位置付けて資質・能力で学習指導要領を整理することになりました。図画工作、美術は、現行の学習指導要領で一回練習ができたので、ずいぶんスムーズに移行できるのではないかと考えます。」
著者「小中一貫というか、題材の展開も小中見通せますね。」
村上「確かに、図画工作は結果的に美術に近い形になりましたが、いきなりこの形になっていたら現場の先生方は戸惑っただろうと思います。前回が今回と前々回の中間的な形になっているので、今回の形に持って行けたのではないかと思います。」
著者「それはストンとくる説明ですね。」
村上発想や構想の能力、創造的な技能、鑑賞の能力といった資質・能力を表す言葉が、この10年で小学校も中学校も現場の先生方から普通に聞かれるようになってきました。加えて学習指導要領の構造も小中で同じような形になったので、新しい学習指導要領は小中ともにどちらの先生が見ても分かりやすいものになっており、小中連携もさらに進むことでしょう。」

 

著者「最後に、一言お願いします。」
村上「資質・能力を押さえて題材を考えることは大変重要なことで、新しい学習指導要領ではそれを一層推進した形になっています。それと同時に、図画工作・美術は子どもたちにとって楽しい活動であり、子どもの中では、発想や構想、技能、鑑賞などの資質・能力が関連したり一体化したりしながら働いているということを常に意識することが大切です。木を見る、森を見るといった視点で、資質・能力を押さえながら、学習活動全体として楽しくやりがいのあるものになっているかについて、常に関係づけながら捉えていきたいものです。」
著者「ありがとうございました。」