道徳ことはじめ 第2号(学年共通)

今回のテーマは、道徳の時間の授業づくりについてです!

道徳の授業の展開が難しい。どうしていけばいいんでしょうか?

国語科の読み取りのようになってしまったり、途中で、「あれ?ねらいからずれてしまっているなあ。」と困ってしまったり……。どうすればいいんだろう?

 道徳の教材では、いくつもの道徳的価値がふくまれています。その授業のねらいとする道徳的価値を授業者がはっきり意識をして臨むことが大切です。

道徳の主題と主題名

■道徳の主題とは……
授業者が授業で何をねらいとするか、その達成のためにどのように教材を活用するかのまとまりを示すもの。

主題は、ねらいとする道徳的価値とそれを達成するための教材によって構成される。

■道徳の主題名とは……
主題名は、ねらいとする道徳的価値と教材で構成した主題を端的に表すもの。

*内容項目や教材名をそのままつけるのは好ましくない。

主題名は、児童がそれを一目見ただけで本時の学習内容が分かるものにする工夫が必要。

→児童が考える上での視点となり、授業がぶれにくくなる。
(月刊「道徳教育」明治図書 玉川大学客員教授 後藤忠先生のご指導から)

ねらいを具体的に

 第1号でもねらいについては触れましたが、教材に絡め、具体的にねらいを立てる
 →例えば、「ロレンゾの友達」で「友情・信頼」の内容項目で行う場合、学習指導要領におけるねらいの中の「男女協力して助け合う。」のところは、この教材では扱いません。教材の中心となる場面に絡めていくことで、ねらいとする価値により深くせまることができます。

ねらいの語尾をよく吟味する

学校における道徳教育は、道徳性を養うことを目指して行われます。一方、道徳の時間(道徳科)では道徳的実践力を育成します。道徳的実践力とは、道徳的心情、道徳的判断力、道徳的実践意欲と態度を包括するものです。これらは、道徳性の諸様相と言われる。(「道徳授業で大切なこと」東洋館出版社 元文部科学省初等中等教育局教育課程課教科調査官 赤堀博行先生著から)

道徳的心情

道徳的価値の大切さを感じ取り、善を行うことを喜び、悪を憎む感情。人間としてのよりよい生き方や善を志向する感情であり、道徳的行為への動機として強く作用するもの

道徳的判断力

それぞれの場面で善悪を判断する能力、人間として生きるための道徳的価値が大切なことを理解し、様々な状況下において人間としてどのように対処することが望まれているかを判断する力。的確な道徳的判断力をもつことにより、それぞれの場面において機に応じた道徳的行為が可能になる。

道徳的実践意欲

道徳的心情や道徳的判断力によって価値があるとされた行動をとろうとする傾向性を意味するもの。道徳的心情や道徳的判断力を基盤とした道徳的価値を実現しようとする意志の働き

道徳的態度

道徳的実践意欲と同様に、道徳的心情や道徳的判断力によって価値があるとされた行動をとろうとする傾向であり、道徳的心情や道徳的判断力に裏付けられた具体的な道徳的行為への身構え

(「道徳授業で大切なこと」東洋館出版社
 元文部科学省初等中等教育局教育課程課教科調査官 赤堀博行先生著から)

 赤堀先生の著書においても、「道徳的実践力とは、子どもの将来に生きて働く力であり、内面的な資質です。1時間の道徳の時間の指導で子どもの変容を目指すということではなく、年間35時間(第1学年は34時間)、小学校段階では、209時間の指導を、その特質を踏まえて丹念に指導することによって、潜在的に、持続的な作用を行為や人格に及ぼすものであると言われる」と述べられています。
 このようなことを踏まえていくと、道徳的心情は、あらゆる道徳性の基盤となります。道徳的心情が育っていないのに態度をねらってしまうということはなかなか難しいところがあります。よって、ねらいの語尾についてもよく吟味することが大切です。

教材分析をしっかり行う

 発問構成には教材分析が不可欠です。的を射た発問を作るためには欠かせません。発問は、経験や勘で作るのではなく、その根拠を明確にして作るものです。
 教材の文章の各行の全てに1から通し番号を打ち、主人公の気持ちが微妙に変化するところで細かく場面を分けていきます。理由は、児童がピンポイントで考えられる方が漠然とした場面を考えるより考えやすく、話合い活動もかみ合いやすくなるからです。話合い活動も活発になります。そして、各場面における主人公の気持ちをすべて出し尽くします。これによって、予想される児童の反応を把握できます。そして最初に、どの場面が一番本時のねらいにせまれるかを考え、中心発問場面としていきます。

(月刊『道徳教育』明治図書 玉川大学客員教授 後藤忠先生のご指導から)

道徳ことはじめ 第1号(学年共通)

今回のテーマは、道徳の時間についてです!

道徳って何やっていいのかわからないなあ……。副読本や東京都からも資料集がくるけれど……。活用の仕方がわからない。

教科になるらしいけれど、今なかなか道徳の時間ができていない……。ついつい説教のような話をしてしまうこともあるし……。道徳授業地区公開講座の時は、本当に大変……。

 私も道徳の研究を始めた頃は、「国語科とどう違うの?」と思ったり、「主題名と価値項目というのは違うの?」と悩んだりからのスタートでした。平成30年度からは、「特別の教科 道徳」ということで教科書に基づいての授業が行われます。少しずつ、道徳について一緒に勉強していけたらと思います。

道徳の時間とは……

 道徳の時間は、学校の教育活動全体を通じて行う道徳教育と密接な関連を図りながら、学習指導要領に示されている道徳的価値について年間指導計画に基づいて指導する時間である。

 児童は学校の教育活動全体を通じて、様々なところで道徳的価値に触れて生活をしている。道徳の時間は、それらを調和的に補充・深化・統合する時間である。
《例》
× 今度運動会があるから、信頼・友情の価値の教材を扱う。→これでは、左記の⇒が道徳の時間からの発信となり、みんなで協力して助け合わなくてはいけないという価値の押しつけになります。
○ 運動会を終えたあと、信頼・友情の価値の教材を扱う。→自分の体験をもとに価値について深く児童は考えることができます。

道徳の時間を通して、価値をしっかり理解させて、明日からすぐ子どもに頑張ってほしいのですが……。

道徳とは……

 道徳の時間に子どもの心に種をまくのが教師の仕事。やさしさの種、努力の種、協力の種。種はすぐに芽が出るわけではない。学校生活の中では芽が出ないかもしれない。
 しかし、まかない種は生えない。我々は道徳の時間に、コツコツと種をまこう。ひたすらよい種をまきつづけよう。10年後、20年後にやっと芽が出ることもある。心を育てるというのはそういうことです。

(玉川大学客員教授 後藤忠先生のお話より)

道徳の時間をどう作ればいいのでしょうか?

1.まずは、よい教材を選ぶ!
 教材は道徳授業の命である。よい教材とは何か。それは、「ねらいに合っている」「分かりやすい」「興味・関心がもてる」「臨場感がある」教材のことを言う。教師の心にガツンと響き、教師が惚れ込んだ教材は間違いなくよい教材と言える。よい教材はよい種のことである。

(玉川大学客員教授 後藤忠先生のお話より)

☆学校にある副読本やわたしたちの道徳、心あかるく、心しなやかに、心たくましくなど何冊か読み、よい教材を選んでいます。原作があれば、それを読んでみると、教材理解につながります。

2.教材提示に命を懸ける!
(1)教材はただ「読む」のではなく、「語る」ように読む。

 語=吾を言う ※読=言葉を売る
 何回も何回も読んで自分のものにする

「語る」と「読む」では違いますね。

(2)「間」と「余韻」を大切にする
 じっくりと、子どもの心にしみわたるよう
(3)子どもの表情を見ながら語る
(4)効果的な「朗読」の手法を

(明星大学教育学部教育学科特任教授 大原龍一先生のお話より)

☆何度も読むうちに最初に読んだ時とは違うところがたくさん見えてきます。授業で読む時に自分の自信にもなり、堂々と読むことができます。

3.本時のねらいを鮮明に立てる!
 本時のねらいは授業の出口である。ねらいが曖昧だと授業がぶれる。
 ねらいは、教材の扱いとの関係に照らして具体的に立てる、このことが大切である。

(玉川大学客員教授 後藤忠先生のお話より)

☆小学校学習指導要領解説の第3章、第2節の「内容項目の指導の観点」を低学年から見ていくとわかりやすいです。学年が上がるにつれて、どうねらっていくのかもわかります。

4.導入をしっかり行う!
 価値への導入をしっかり行うとぶれない授業ができます。児童の体験やアンケートの結果などをもとに導入を行うこともでます。また、教師の説話を使うのも一つの手です。

ばぁちゃんロード

©2018「ばぁちゃんロード」製作委員会

 相変わらず、日本の映画で、いいなぁと思う作品が少ない。観客に迎合するかのように、そこそこヒットしたコミックや小説の映画化が多く、作り手側は、当初から、ある程度の採算を見込んでの傾向と思われる。たいていの映画化は、原作の持つ魅力を損ねるような場合が多い。
 そんななか、篠原哲雄監督の「ばぁちゃんロード」(アークエンタテインメント配給)は、上村奈帆のオリジナル・シナリオを基にしての映画で、一言で言うと、清潔、静謐、誠実な映画だ。
 舞台は北陸の漁師町。ガソリンスタンドで働いている田中夏海(文音)は、両親が共働きのために、小さいころからのおばあちゃんっ子。自宅の庭で足を骨折、歩けなくなったおばあちゃんのキヨ(草笛光子)は、いま、施設に入っている。夏海は、高校時代からつきあっている漁師の青年、荒井大和(三浦貴大)から、「やっと船を一隻、任されることになった。結婚しよう」と、プロポーズを受ける。夏海は、おばあちゃんとバージンロードを歩きたいと願い、結婚の準備と、おばあちゃんのリハビリに奮闘する。

©2018「ばぁちゃんロード」製作委員会

 タイトルは、結婚式でおばあちゃんとバージンロードを歩くことを願うので、バージンロードならぬ「ばぁちゃんロード」。なるほど。
 おばあちゃんに扮した草笛光子の一挙一動が、とても演技と思えないほどの自然体。すでに、日本映画の多くの傑作に出演した大女優である。圧倒的な存在感、としか言いようがない。
 孫娘の夏海役は、文音。最近では、「八重子のハミング」や「おみおくり」に出演。かつてニューヨークに演劇留学をしたこともあり、まだ若いけれど、将来有望な女優さんだ。
 夏海とおばあちゃんの関係を示す、ささいだけれど、いいシーンがある。夏海は、かいがいしく、おばあちゃんに寄り添い、車椅子を押す。おばあちゃんは、人の手を借りることが好きでない。「誰かじゃなくて、夏海だからいいでしょ」と夏海。
 さしたる事件などは、ない。介護に打ち込む夏海と、住まいなどの準備をする大和との間に、ちょっとしたトラブルがあったりもするが、大事には至らない。

©2018「ばぁちゃんロード」製作委員会

 かつて、おばあちゃんと歩いた道を、いま、おばあちゃんの車椅子を押す。おばあちゃんは、ふと、北原白秋作詞、山田耕筰作曲の「この道」を口ずさむ。大貫妙子が2007年にレコーディングした「この道」が、映画の主題歌に選ばれる。これが、映画の内容、雰囲気を象徴して、ぴったりだ。
 ふと思えば、夏海に扮した文音も、大和に扮した三浦貴大も、ご両親は有名な俳優、歌手である。いわば、サラブレッド。まだまだお若いので、映画の世界でも、さらに声がかかるはずである。期待したい。
 「ばぁちゃんロード」は、べつに、小むつかしい映画ではない。結末の見当は、ほぼつくと思う。ラストでは、おもわず、こみあげてくる。
 篠原哲雄演出は、奇をてらわず正攻法。さまざまなジャンルの映画を撮っているが、これは、さわやかな感動にひたることができる。

2018年4月14日(土)より、有楽町スバル座ico_linkほか全国順次ロードショー

『ばぁちゃんロード』公式Webサイトico_link

出演:文音、草笛光子 / 三浦貴大、桜田通、鶴見辰吾 他
監督:篠原哲雄
脚本:上村奈帆
音楽:かみむら周平
主題歌:「この道」(作詞 北原白秋 作曲 山田耕筰)
歌:大貫妙子(アルバム「にほんのうた 第一集」より)
製作幹事:セントラル・アーツ
製作プロダクション:スタジオブルー
製作:「ばぁちゃんロード」製作委員会(オフィスレン/セントラル・アーツ/東北新社)
配給:アークエンタテインメント
2018年/日本/カラー/ビスタ/5.1ch/89分
©2018「ばぁちゃんロード」製作委員会

「問い」から考える「主体的・対話的で深い学び」

 「主体的・対話的で深い学び」については「分かったような、分からないような……」が正直なところでしょう。「手を挙げた回数」「対話が取り入れられた学習」「難しいことを学んだ授業」でないことは分かります。一方で「主体的とは何か」「深いとは何ぞや」と考えても、答えが出るわけではありません。
 学習指導要領の読解のコツは「文言から考えない、実現状態から考える」です。本項では「問い」の実現状況から検討してみましょう。

本質的な問い

 教育評価などの研究者である西岡は、学習成果からさかのぼり、求められている結果やその証拠などから授業設計する「逆向き設計」を提唱し、論争的で探求を触発するような「本質的な問い」の設定の重要性を強調します(※1)
 「本質的ではない問い」は、一問一答で答えられるものです。「この作品の作者は誰ですか?」「透視図はどのように描けばよいですか?」など、いわゆる「事実的な知識(※2)」が問われる「問い」です。一方、「本質的な問い」は「国宝とはどのような概念か?」「この美術作品が後世に与えた影響は何か?」など、単元全体にかかる「概念的な知識(※3)」に相当する「問い」です。
 さらに単元を超えた包括的な「本質的な問い」もあります。様々な文脈で活用できて、その後の生き方に役立つ「問い」です。「より良い社会を形成するために、あなただったら美術を通して何を実践しますか?」「豊かな生き方のために私たちは芸術作品にどのように向き合えばよいですか?」など、教科の「見方・考え方」を働かせた教科の本質に関わる「問い」です。
 西岡は、社会科を例に以下のように述べています。

例えば、「社会はどのような要因で変わっていくのか?」という問いに対して、素朴な理解であれば「英雄が活躍することによって社会は変わる」という内容かもしれない。しかし、より洗練された理解であれば、「社会は様々な政治的・経済的・文化的要因が複雑に影響し合って変化する」ことを踏まえた内容になるだろう。

 「本質的な問い」によって、子どもたちが「素朴な理解」から、教科の本質に関わる「洗練された理解」に到達したとすれば、それは「深い学び」の実現だといえるでしょう。

アールブリュットを問う~滋賀県立膳所高等学校の実践

 具体例として、滋賀県立膳所高等学校教諭の山崎仁嗣先生が実践したアール・ブリュットの学習を検討します。
 アール・ブリュットとは、伝統的な美術教育を受けていない人が既成の芸術や文化潮流にとらわれずに表現した絵画や造形、つまり生(brut)の芸術(art)のことです(※4)。言葉自体には「障害」というニュアンスは含まれていませんが、日本では障害者施設等で生まれた表現がアール・ブリュットとして取り上げられることが多く、アウトサイダー・アート、エイブル・アートなど、微妙に異なる概念が混在しています。
 山崎先生は「アール・ブリュットやそこに関わる人の姿などから、美術や福祉、文化芸術への見方が深まり、それを通して社会や人としての在り方を考え、さらには今までの自分の認識や思考の仕方を省みることを試みたい」と考え、生徒が自ら調べ、様々な作品や文献、人々に出会う学習を組織しました。
 まず、生徒たちは、新聞記事や論文等の資料から、アールブリュットという聞きなれない言葉を調べ、自分なりの「問い」を設定することから授業が始まります。その後、講師の先生と話をしたり、実際の作品や制作活動を鑑賞したりします。さらに、生徒同士で討論したり、自分が受けてきた美術教育と比較したりしながら、自分の「問い」を発展させていきます。
 当初の「問い」は「アール・ブリュットとは何だろう?」という「事実的な問い」でした。その後「アール・ブリュットは、果たして障害のある人の作品なのか?」という「概念的な問い」へと変化します。さらに自分の考えを振り返ったり、これからの社会の在り方について考えたりしながら、最終的には「アール・ブリュットという枠組みが果たして必要なのか?」という「問い」になりました。

生徒たちの「問い」の発展

事実的な知識の問い   「アール・ブリュットとは何を意味しているか?」
概念的な理解の問い   「アール・ブリュットは障害のある人の作品か?」
教科の本質に関わる問い 「アール・ブリュットという枠組みは私たちにとって必要か?」

 膳所高校の生徒たちは、アール・ブリュットという概念は、多様性が求められるこれからの社会に必要なのか、新たな差別をつくりだすのではないのかなど、その正当性や妥当性そのものを問い直す「問い」に辿り着いたのです。アール・ブリュットという概念や枠組みが、現時点では必要であったとしても、今後自分たちが生きていく上で、果たして必要かという社会に対する問いかけでしょう。
 生徒たちは、「学習前と後では、自分の考え方が変わったことに気が付いた」「いろいろ情報を鵜呑みにせず、自分がどう考えるかが重要だと思う」など感想を述べています。山崎先生は、「生徒は、美術や福祉、文化芸術への見方を深め、社会や人としての在り方を考え、さらには今までの自分の認識や思考の仕方を省みている」と答えています。
 本学習は、生徒たちが主体的に「問い」を形成し、友達や関係者など様々な人々との対話を通して、将来、彼ら自身が文化や社会をつくりだす可能性を期待させる学びとして成立していると思います。そうであれば、実現状況として「主体的・対話的で深い学び」を達成していると言えるのではないでしょうか(※5)

 

※1:西岡加名恵「教科と総合学習のカリキュラム設計―パフォーマンス評価をどう活かすか」2016 図書文化社
※2:「身に付けるべき知識に関しても、個別の事実的な知識と、社会の中で汎用的に使うことのできる概念的な知識等とに構造化されるという視点が重要である。個々の事実的な知識を網羅することが学習の最終的な目的ではなく、様々な場面で活用される概念的な知識を身に付けていく過程の中で、事実的な知識を獲得していくことが必要であるという点を明確にする必要がある。教育課程企画特別部会「論点整理のイメージ(たたき台)(案)」平成27年。学び!と美術<Vol.49>「図画工作・美術における知識の行方」も参照してください。
※3:中央教育審議会の最終的な答申では、「概念的な知識」は「生きて働く知識」としてまとめられています。

 各教科等において習得する知識や技能であるが、個別の事実的な知識のみを指すものではなく、それらが相互に関連付けられ、さらに社会の中で生きて働く知識となるものを含むものである。
 例えば、“何年にこうした出来事が起きた”という歴史上の事実的な知識は、“その出来事はなぜ起こったのか”や“その出来事がどのような影響を及ぼしたのか”を追究する学習の過程を通じて、当時の社会や現代に持つ意味などを含め、知識相互がつながり関連付けられながら習得されていく。それは、各教科等の本質を深く理解するために不可欠となる主要な概念の習得につながるものである。そして、そうした概念が、現代の社会生活にどう関わってくるかを考えていけるようにするための指導も重要である。基礎的・基本的な知識を着実に習得しながら、既存の知識と関連付けたり組み合わせたりしていくことにより、学習内容(特に主要な概念に関するもの)の深い理解と、個別の知識の定着を図るとともに、社会における様々な場面で活用できる概念としていくことが重要となる。

※4:英語ではアウトサイダー・アートと称されている。加工されていない生(き)の芸術、伝統や流行、教育などに左右されず自身の内側から湧きあがる衝動のままに表現した芸術である。フランスの画家ジャン・デュビュッフェ(Jean Dubuffet 1901-1985)によって考案された。
※5:小学校における問いについては、学び!と美術<Vol.65>「美術を核にした教育プログラム」の姫島小学校の実践を参照。