公立高校の「定員内不合格」とインクルーシブ教育

1.はじめに

 最近、ニュースや新聞報道などで「定員内不合格」という言葉をたびたび耳にします(*1)。この言葉はご存じのことと思いますが、公立高校の入学選抜試験において志願者が募集定員に満たない場合であっても、「不合格」者を出していることを指しています。
 この「定員内不合格」の発生は、今に始まったことではありません。高校は義務教育ではないこともあり、入学選抜試験もいわゆる「適格者主義」に基づいた対応が一般的だったといえます。その結果、「学力が満たなかったり卒業が見込まれないと判断されたりした場合に不合格となるのは当然」と社会で受け止められてきたのではないでしょうか。しかし、進学率の高まりやインクルーシブ教育の進展によって、その課題点が指摘されるようになってきました。
 そこで、今回は、インクルーシブ教育の観点からこの「定員内不合格」を取り上げることにします。

2.入学選抜試験といわゆる「適格者主義」について

 文部科学省の入学選抜試験におけるいわゆる「適格者主義」への対応は、時代背景にともなって変化してきています。まずは、これまでの対応を振り返っておきたいと思います。
 平成24年7月12日の中央教育審議会初等中等教育分科会高等学校教育部会に提出された資料「課題の整理と検討の視点(案)」には、高等学校におけるいわゆる「適格者主義」に関して、次のような記述が認められます(*2)

いわゆる「適格者主義」について
○ 高等学校進学率が約67%であった昭和38年の「公立高等学校入学者選抜要項」(初等中等教育局長通知)において、「高等学校の教育課程を履修できる見込みのない者をも入学させることは適当ではない」とした上で、「高等学校の入学者の選抜は、中学校長から送付された調査書その他必要な書類、選抜のための学力検査の成績等を資料として、高等学校教育を受けるに足る資質と能力を判定して行なうものとする。」とする考え方を採っていた。
○ その後、進学率が94%に達した昭和59年の「公立高等学校の入学者選抜について」(初等中等教育局長通知)においては、「高等学校の入学者選抜は、各高等学校、学科等の特色に配慮しつつ、その教育を受けるに足る能力・適性等を判定して行う」として、高等学校の入学者選抜は、飽くまで設置者及び学校の責任と判断で行うものであることを明確にし、一律に高等学校教育を受けるに足る能力・適性を有することを前提とする考え方を採らないことを明らかにした。
○ 平成11年の中央教育審議会答申「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」においては、「今後、このような趣旨が更に徹底され、後期中等教育機関への進学希望者を盲・聾・養護学校高等部も含めた後期中等教育機関全体で受け入れられるよう適切な受験機会の提供や、高等学校の整備、盲・聾・養護学校の高等部の整備などの条件整備に努める必要がある。」と指摘されている。

 この資料からは、昭和38年の「通知」でいわゆる「適格者主義」が明示され、以後それに基づいた対応がなされてきましたが、昭和59年の「通知」では一律に能力・適性を有することを前提とする考え方をとらず、「設置者及び学校の責任と判断で行うもの」に変化してきていることがわかります。
 そして、「平成11年の中央教育審議会答申」では、その趣旨を徹底し、条件整備に努めることが謳われています。

 それでは、現在はどのようになっているのでしょうか。令和6年6月25日付で、高等学校入学者選抜等における配慮事項について文部科学省初等中等教育局長及び文部科学省総合教育政策局長の連名による「高等学校入学者選抜等における配慮等について(通知)」という通知が発出されています(*3)

4.公立高等学校の入学者選抜における志願者数が定員に満たない場合の対応等について
 高等学校入学者選抜の実施方法等は、実施者が決定し、高等学校の入学は入学者選抜に基づいて各校長が、その学校に期待される社会的役割や学科等の特色を踏まえ、その学校及び学科等で学ぶための能力や適性等を適切に判定し、許可するものです。定員内不合格自体が直ちに否定されるものではありませんが、定員内でありながら不合格を出す場合には、各教育委員会等及び各校長の責任において、当該受検生に対し、その理由が丁寧に説明されることが適切です
 一方で、学ぶ意欲を有する生徒に対して、学びの場が確保されることは重要であり、そうした観点から、各教育委員会等においては、「令和5年度高等学校入学者選抜の改善等に関する状況調査(公立高等学校)」(令和5年12月文部科学省初等中等教育局参事官(高等学校担当))等を通じて、定員内不合格を出さないよう取り扱っている例を含め、他の教育委員会における入学者選抜の実施方法等を参照するなどしていただくとともに、合理的な説明となっているかについて改めて御検討いただくようお願いします
 また、域内の学ぶ意欲を有する中学生の進学先が確保されているかについても、教育委員会の高等学校担当部署と中学校担当部署が連携するなどして、改めて確認、分析するとともに、今後の域内の高等学校政策の検討につなげていただきますようお願いします

 この文書では、公立高等学校の入学者選抜については、学校長が能力や適性等を判定し入学を許可するものであって、定員内不合格自体が直ちに否定されるものではないという従来の考え方を再確認した上で、定員内でありながら不合格を出す場合には、その理由が説明されることが適切であるということを示しています。
 文部科学省では、「障害者の権利に関する条約」を受けてインクルーシブ教育システムの構築を推進しており、「そのシステムにおいては、同じ場で共に学ぶことを追求するとともに、個別の教育的ニーズのある幼児児童生徒に対して、自立と社会参加を見据えて、その時点で教育的ニーズに最も的確に応える指導を提供できる、多様で柔軟な仕組みを整備することが重要であるということから、連続性のある多様な学びの場を用意しておくことが必要である」としています。
 こうしたことから、高等学校段階でも近年、「通級による指導」への取り組みが開始されているわけですが、インクルーシブ教育システムの構築という観点からすると、ニーズに対応するために更なる対応が必要になってきます。「定員内不合格」の問題にはそうした課題も含まれているといえます。そうした観点からとらえると、「定員内でありながら不合格を出す場合には、その理由が説明されることが適切」という表現がよく理解できます。

3.「定員内不合格」の現状

 公立高校の「定員内不合格」の問題については、以前からその課題点が指摘されてはいたのですが、2019年から国会で舩後靖彦参院議員が質問を重ねたことがきっかけとなって改めて光が当てられることになりました(*4)。舩後議員の質問を契機として文部科学省による全国実態調査も実施されています。
 文部科学省による調査は、2022年、2023年に実施されています。2023年の結果は、文科省ホームページに「令和5年度 高等学校入学者選抜の改善等に関する状況調査 (公立高等学校)」として掲載されています(*5)
 この調査から「志願者が定数に満たない場合の対応等に対する全国の自治体の回答」(図1-1)と「令和5年度高定員内でありながら不合格を出す場合には、その理由が説明されることが適切である等学校入学者選抜における定員内不合格となった者の数(延べ数)」(図1-2)を以下に示します。

図1-1 「志願者が定員に満たない場合の対応等」
(1)志願者数が定員に満たない場合の合否の決定に関する方針(アとイについては複数回答可)

出典:文部科学省ホームページ「令和5年度高等学校入学者選抜の改善等に関する状況調査(公立高等学校)」
https://www.mext.go.jp/content/20231219-mxt_koukou01-000026790_1.pdf

図1-2 「志願者が定員に満たない場合の対応等」
(2)令和5年度高等学校入学者選抜における定員内不合格となった者の数(延べ数)

出典:文部科学省ホームページ「令和5年度高等学校入学者選抜の改善等に関する状況調査(公立高等学校)」
https://www.mext.go.jp/content/20231219-mxt_koukou01-000026790_1.pdf

 この表に示されているように定員内不合格に関連して「志願者数が定員に満たない場合の対応について」は、「ア 文書、口頭、申し合わせ等により、原則として定員内不合格を出さないようにしている」が23県、「イ 定員内不合格を出す場合、教育委員会との協議を要することとしている」が16県、「ウ 各校長の判断に委ねられている」が20県でした。
 また、令和5年度高等学校入学者選抜における定員内不合格となった者の数(延べ数)については、定員内不合格を出していないのは、埼玉、東京、神奈川、愛知、滋賀、大阪、北海道、兵庫、和歌山の9都道府県でした。
 他方で、100人以上の定員内不合格を出している県が6県ありました。全国で定員内不合格となった人数は2004人で2022度(1631人)から73人増えていました。また、最終の受験での不合格も631人(昨年度は505人)となっていました。2022年度と比較すると、宮城県、三重県、高知県、山口県などで、定員内不合格者が減少していることがわかります。
 これらの調査結果からは、原則として「定員内不合格」を出さない方向で取り組んでいる傾向が認められるものの、対応に地域差が大きいこと、文部科学省から通知が発出されているものの、個々の学校長の判断は大勢としてその方向を向いているとは必ずしも言い難いことなどの実態が浮かび上がってきます。

4.フルインクルージョン体制にあるイタリアでは

 フルインクルージョン体制をとっている国では、高等学校の進学はどのようになっているのでしょうか。イタリアでの対応について紹介したいと思います。
 イタリアでは、基本的に中学校を卒業していれば、障害等の有無にかかわりなく高等学校に入学することができます。そのため、「定員内不合格」という事態は発生することはあり得ません。そればかりか、障害がある生徒が高等学校に在籍するのは日常の光景となっています。
 これまでにも紹介してきていますが(*6)、フルインクルーシブ教育体制をとっているイタリアでは義務教育段階だけでなく、高等学校も含めてすべての学校教育段階で障害がある学生生徒を受け入れるための体制が整えられています。
 高等学校においても、障害があると認定されている場合は以下のような配慮がなされます。一般のカリキュラムにとらわれない個別の指導計画が作成され、それに基づいて教科等の指導がなされること、障害の種類や程度に応じて支援教師や支援員が配置されサポートが受けられること、学外の保健機関や医療機関と連携して必要に応じて支援が受けられることなどです。これらの点は、ようやく「通級による指導」が開始された段階にある日本の高等学校の場合とは大きく異なっているといえます。
 ただし、イタリアでは厳格な出口主義がとられているために、所定の単位を取得し卒業試験をクリアしなければ高等学校の卒業資格を得ることはできません。卒業資格については日本以上に厳しいといえます。したがって、障害認定されていても、卒業資格を得るためには特別な配慮はありません。以前ほどではなくなってきているようですが、卒業できない生徒は少なくなくありません。しかし、日本ほどの「学歴信仰」はないため、卒業資格が得られないことで人生の烙印が押されるといったマイナスイメージを持つことも少ないようです。なお、卒業資格が得られなくても在籍証明が発行されることになっています。
 イタリアの取り組みからは、「適格者主義」への対応についてヒントが得られそうです。

5.まとめと今後の展望

 ネットのニュースで、「定員内不合格」で検索していると、全国各地で「定員内不合格」となった人たちが、入学許可を求めて提訴しているという記事に出会います。
 インクルーシブ教育体制の構築が進展している義務教育段階を経てきた生徒が増えてきているわけですから、義務教育終了後も高等学校で学びたいという希望を持つ生徒が増えてくるのは、当然の帰結だといえます。それは、共生社会の実現をめざしたインクルーシブ教育システムの構築を進めてきたことの証左であるととらえることもできます。
 しかしながら、高等学校は、小・中学校とは異なる側面が多々ありますし、義務教育段階ほど手厚い対応がなされているわけでありません。適格者主義が薄れてきているとはいえ、「入学した生徒を所定の教育課程で履修させて卒業させる」ことが学校に求められます。中退をさせれば、それは学校の責任だという批判にさらされることにもつながります。そのため、「高校教育課程で履修できる見込みがない」、「入学させたらからには卒業させなければならない」といった理由で、「入学させることは適当でない」といった判断が学校長や学校でなされるのだろうと想像するに難くありません。「受け入れたくても受け入れられない」という苦渋の選択がそこにはあるように思われます。
 また、文部科学省の調査から「定員内不合格」への対応に地域差があることが明らかになったことからは、「意識」の問題だけではなく環境の整備や人員の配置など財政面での影響も大いにあるのだろうと考えられます。
 このように見てくると、「定員内不合格」は、個別の問題としてではなく、学校教育システム全体の問題であるととらえる視点を持つことが大事なことになってくるのではないかと思われます。すでにそうした観点から動き出している自治体もあります。例えば、報道によると東京都では、障害の有無にかかわらず一緒に学ぶ「インクルーシブ教育」をめぐり、都立高校と都立特別支援学校の一体的な運営を検討する方針を明らかにしています(*7)。今後の進展が期待されます。
 また、文部科学省でも中央教育審議会にワーキンググループを設け、これからの高等学校教育の在り方を検討しています。令和5年8月にその中間まとめが公表されています(*8)。この中間まとめには、「通級による指導」に関する記載はありましたが、「インクルーシブ教育システムの構築」という観点からの記載は見当たりませんでした。こちらの進展も気になるところです。

*1:例えば朝日新聞社説「定員内不合格 子のため 第一に判断を」
https://www.asahi.com/articles/DA3S16107766.html
*2:「課題の整理と検討の視点(案)」(平成24年7月12日)中央教育審議会初等中等教育分科会高等学校教育部会配布資料(資料3‐2)
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/attach/1325908.htm
*3:文部科学省「高等学校入学者選抜等における配慮等について(通知)」
https://www.mext.go.jp/content/202400625-mxt_koukou01-000026790_01.pdf
*4:朝日新聞「定員内不合格25回の男性との出会い 舩後靖彦議員、質問重ねたわけ」
https://www.asahi.com/articles/ASS955G4TS95UTIL02LM.html
*5:文部科学省「令和5年度 高等学校入学者選抜の改善等に関する状況調査 (公立高等学校)」
https://www.mext.go.jp/content/20231219-mxt_koukou01-000026790_1.pdf
*6:学び!と共生社会<Vol.38>「イタリアにおける逆統合型の学校とインクルーシブ教育」
https://www.nichibun-g.co.jp/data/web-magazine/manabito/inclusive/inclusive038/
*7:朝日新聞「都立高校と特別支援学校、一体化へ 都教委『インクルーシブ教育を』
https://www.asahi.com/articles/ASRDF61TQRDFOXIE00C.html
*8:中央教育審議会「高等学校教育の在り方ワーキンググループ 中間まとめ」(令和5年8月31日 初等中等教育分科会 個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実に 向けた学校教育の在り方に関する特別部会 高等学校教育の在り方ワーキンググループ)
https://www.mext.go.jp/content/20230901-mxt_koukou01-000031697_1.pdf
https://www.mext.go.jp/content/20240410-mxt_00004-000035136_3.pdf

Webマガジンまなびと:「学び!と共生社会」Vol.59

Webマガジン:「学び!と共生社会」Vol.59 “公立高校の「定員内不合格」とインクルーシブ教育”を追加しました。

Webマガジンまなびと:「学び!とPBL」Vol.81

Webマガジン:「学び!とPBL」Vol.81 “OECD東北スクールから10年② 「越境者」と「媒介者」”を追加しました。

OECD東北スクールから10年② 「越境者」と「媒介者」

 今回も前回に引き続き、OECD東北スクール(以下、東北スクール)に生徒として参加し、能登スクールのサポートをしている草野みらいさんのインタビューを紹介します。

1.「足かせ」ではない学び

三浦:草野さんの教育観について話してもらえますか。
草野:私は中学生時代に生徒会長をやっていて、自動的に「いわき中学生サミット」のメンバーになりました。震災が起きて、地域の復興を担うリーダーになることが期待され、いろいろな活動に参加しました。けれども、当時から地元で働きたいとは思っていなかったので常に違和感を感じていました。ある先生に相談したら、「必ずしもここに残らなくても、いろいろなところでやりたいことをやって、それが結果的に地元に還元されることになるのだとしたら、それは十分意味があることだ」と言われ、気持ちが軽くなりました。私は「学びは足かせであってはならない」と思っています。
三浦:日本では「勉強」という言葉が定着していて、我慢する、無理をするという意味で、学んだり認識したりする意味は含まれていません。学ぶことは我慢すること、と理解されていて、学びという苦役に耐えた人だけが成功を手にすると、本気で考えている先生も多いのではないでしょうか。
図1 東北復幸祭〈環WA〉を終えて(2014.9)草野:そう思います。学びというのは、自分がやりたいことを見つけたり、それを前に進めたりするためにある、その原点には好奇心があるのだと思います。だから「リーダーシップ育成プログラム」といった教育を大人が提供するのなら、生徒の自主性を尊重するという名目に甘えず、生徒の学びが最大化される枠組みを考える努力が大人の責任だと思います。学びというのは本人にとって楽しくて夢中になるものであってほしいので、その環境をいかに設定できるかが重要な気がしています。

2.学ぶ人は「越境者」

三浦:そう思いますが、その楽しさというのも表面的なものと、深いものがあって、どうしても表面的なものに流されがちです。表面的な楽しさはすぐに飽きるので、もっと刺激的な楽しさへとエスカレートしがちです。深い楽しさを勝ち取るためにはいろいろな苦労も必要です。むしろいろいろな苦労を通り越したところで深い楽しさに出会えると思っています。私はそれを「経験の質」と呼んでいます。子どもたちが夢中になると好奇心がどんどんつながり出して、大人が線引きしている境界を越えてしまうことがよくあります。
図2 高校生たちの通訳サポート草野:例えば、歴史と美術をつなぐと、歴史的な出来事がいろいろな絵に表されており、かつ、その時代ならではのとらえ方があって、いろんなことが学べると思います。先日、OECDのグローバルフォーラムで、シンガポールご出身で幼児教育のエキスパートの方が、大人と子どもでは学びの形が異なる、大人は何事にも枠組みや結論や目的を必要としてしまい逆算型になってしまいがちだが、子どもは結論を必要としないため、学びが好奇心のままにどんどん広がる、とおっしゃっていました。子どもの方がクリエイティビティに優れていると言われる理由の一つだと思います。
三浦:大人の知の形は、境界内にまとまるようにパターン化されています。子どもにはそのパターンというものがない。大人は混乱を避けるために、様々な形で線引きをする、つまり境界をつくり、線を越えないように注意します。子どもはその境界が何たるかを知らないので、足が届けばどこにでも進んでいきます。本当は今のような変化の激しい時代、大人もその境界を越える、「越境」することがとても大切なのではないかと思っています。確かに越境することは危険を冒すことではありますが、新しい経験に付きもののワクワク・ドキドキ感も伴います。
草野:日本の学校教育しかり、引いては社会全体の話にもつながりそうですが、境界線への意識が根深いようにも感じます。先生と生徒の立場を明確に区切り、そこを越えると叱られたり白い目で見られたりします。先生と他の職業の間にも一線を引く、みたいなことがよくあります。東北スクールの時にも、そんなことがよくありました。少しずつ「越境」するようになりましたが。先生も生徒もお互いの声に耳を傾ける姿勢は必要だと思います。
三浦:そうですね。力のある先生は生徒を頼りにするけど、力の弱い先生はどうしても自分の力だけに頼る傾向があるように感じます。教師という職業は、他の職業から見ても極めて特殊です。なぜなら、生涯学校の外を知らないで仕事ができるからです。それを教師は自覚しなければなりません。

3.「媒介者」としての教育者

図3 OECD本部で桜の植樹の準備草野:先生は「聖人君子」ではないということを、東北スクールでよくわかりました。往々にして先生はスーパーマンでもあるかのように語られてしまい、全て完璧であることや間違いがないことを求められてしまうけれども、実際は生身の人間です。東日本大震災で学校が避難所になったとき、先生があたふたしていて「こんな時どうしたらいいと思う?」と聞いてきました。先生も困ることもあれば我慢することもある、万能ではないと、あの時初めて知りました。
 先日、児童養護や社会的養護のお話を伺う機会があり、わかったことがあります。それは、私たちの誰もが、世の中には支援を必要としている人がいて、支援が必要だというはわかっているけれども、実際の当事者やその周辺で活動している人とただ認知しているだけの人とのギャップはとても大きいということです。教育でも福祉でも、いわばその両者のギャップを埋めることが、コミュニケーションの役割かなと。知っているだけの人が支援する意味を見出せるように、困っている当事者の声を代弁することで、誤解や隔たりを除いていくことだと思います。
図4 高校生と大学生とで作戦会議三浦:困っている当事者が「誰か助けてください!」と言っても、なかなかうまくいかないことがあります。第3者が客観的な立場で代弁すること、「媒介者」、わかりやすくいえばお節介やきの存在は問題を解決するときにとても重要です。当事者は、その問題状況に目を奪われていて、本当に自分や自分たちがよく見えないのです。当人に鏡を見せて状況を認識させるだけでもとても大切です。