遺灰は語る

© Umberto Montiroli

 「遺灰は語る」。なんとも、不思議なタイトルではある。遺灰は、語ったりはしない。原題は、「LEONORA ADDIO」。意味は、「さらば、レオノーラ」。ヴェルディのオペラ「イル・トロヴァトーレ」の第4幕の冒頭で、マンリーコが、塔の中から、愛するレオノーラを思って、「さらば、レオノーラ、さらば」と歌うシーンがある。では、この原題が、本編とどのように繋がっているのかを、期待しながら、見た。
 誰の遺灰かというと、イタリアの作家で、ノーベル文学賞を受けたルイジ・ピランデッロである。
 ピランデッロは、シシリア島生まれの大作家である。1921年に書いた戯曲「作者を探す六人の登場人物」が有名で、これは、後の前衛劇に大きな影響を与えたと言われている。
 ピランデッロは、1934年に、ノーベル文学賞を受けている。2年後の1936年、ピランデッロはローマの自宅で亡くなる。遺書を残していて、ちゃんと映画「遺灰は語る」のなかに、遺書の一節が引用されている。
 映画は、このピランデッロのノーベル賞の受賞式の様子から始まる。
© Umberto Montiroli ある男が死の直前の床にいる。「私は死んだのか」とナレーションが入る。子どもたちが、死の床にやってくる。子どもたちは、すぐに、もう大人になっている。やがて、この男が、作家のピランデッロだと分かる。
 ムッソリーニは、ピランデッロの死を、自分の名声に利用しようとするが、ピランデッロの遺書が、ムッソリーニの魂胆を阻止する。ピランデッロの遺言を読んで、激怒したムッソリーニは叫ぶ。「愚か者め」と。
 敗戦後、イタリア社会は変貌する。ピランデッロの遺灰は、なんとかローマに保存されていて、遺言通り、遺灰は、故郷のシチリアに帰ることになる。シチリアからの特使(ファブリツィオ・フェッラカーネ)が、ローマにやってくる。
 ただ、小さな壺に入った遺灰を、ただシチリアに運ぶだけなのに、これが、なかなかうまく行かない。遺灰になったピランデッロは、愚かな人間たちの所業を、嘲笑っているかのよう。無事、遺灰はシチリア島に着くのだろうか。
 約1時間の、モノクローム映像で、シリアスな雰囲気のコメディが終わる。さらに、ピランデッロが死の直前に書いた短編小説「釘」の映像が、エピローグとして添えられる。
© Umberto Montiroli バスティアネッド(マッテオ・ピッティルーティ)は、レストランで働く少年だ。バスティアネッドは、ふたりの少女が喧嘩しているところに出くわす。そして、幼いほうの少女を、拾った長い釘で刺し殺してしまう。おとなたちに問いただされても、ただ「定めだから」と答えるのみ。なぜ、こんなことになったのか、おとなたちは、あれこれ、推測するだけ。
 さらに、本編とエピローグには、過去のイタリア映画のアーカイブ映像が出てくる。ロベルト・ロッセリーニ監督の「戦火のかなた」、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の「情事」、ヴァレリオ・ズルリーニ監督の「激しい季節」、パオロとヴィットリオのタヴィアーニ兄弟監督の「カオス・シチリア物語」その他だ。
 タヴィアーニ兄弟は、「父/パードレ・パドローネ」や「サン★ロレンツォの夜」、「グッドモーニング・バビロン!」、「塀の中のジュリアス・シーザー」などの傑作を多く撮った兄弟だ。
 2018年4月、兄のヴィットリオが亡くなる。映画「遺灰は語る」は、弟のパオロが、ひとりで脚本を書き、監督した。
 原題の邦訳「さらばレオノーラ」は、オペラのなかの曲だが、邦題の「遺灰は語る」は、愚かだけれど、愛すべき人間たちに捧げた、パオロ・タヴィアーニの、生前に残した遺言かもしれない。パオロ・タヴィアーニは、1931年11月の生まれ。今年、92歳になる。
 映画「遺灰は語る」は、亡くなった兄、ヴィットリオに捧げられる。
 戦前戦後のイタリア。作家ピランデッロ。タヴィアーニ兄弟の多くの傑作映画たち。そして、人生とは何か。たった一本の映画とはいえ、学ぶこと、多し。

2023年6月23日(金)より、ヒューマントラストシネマ有楽町新宿武蔵野館ほか全国順次公開

『遺灰は語る』公式Webサイト

監督・脚本:パオロ・タヴィアーニ
出演:ファブリツィオ・フェッラカーネ、マッテオ・ピッティルーティ、ロベルト・エルリツカ(声)
原題:Leonora Addio/2022/イタリア映画/90分/モノクロ&カラー/PG12
字幕:磯尚太郎、字幕監修:関口英子
配給:ムヴィオラ
後援:イタリア大使館
特別協力:イタリア文化会館

ぼくたちの哲学教室

© Soilsiú Films, Aisling Productions, Clin d’oeil films, Zadig Productions,MMXXI

 舞台は、北アイルランドのベルファスト。ここに、ホーリークロスという男子小学校がある。
 校長先生のケヴィンは、スキンヘッドで、エルヴィス・プレスリーの大ファンだ。登校の時間、ケヴィン先生は、生徒たちを迎える。一人一人の生徒に、ハグをし、ハイタッチをする。
 この学校の特色は、哲学の授業があること。哲学といっても、アリストテレスやプラトンのことを教えるわけではない。
© Soilsiú Films, Aisling Productions, Clin d’oeil films, Zadig Productions,MMXXI 新学期が始まる。最初の哲学の授業は、「他人に怒りをぶつけてもよいか」がテーマだ。ケヴィン先生は、生徒の一人一人に問いかける。そして、生徒が、自分の言葉で、自分の考えを話せるように導いていく。
 またある時は、記号の山印「∧」を黒板に書き、生徒たちに、何に見えるかを問いかける。さらに、山印を2つにして、何に見えるかを問いかける。このふたつの山印は、自転車の絵に変化していく。見方は、人によって異なることを、生徒たちに教える。
 ケヴィン先生の教えは、授業だけではない。授業に集中できない生徒や、喧嘩ばかりする生徒にも、徹底的に対話を重ね、生徒自身の言葉を待ち続ける。
 いまなお、ベルファストには、長年の紛争の傷跡が生々しい。憎しみを暴力で解決しようとしても、必ず、憎しみは連鎖する。ケヴィン先生は、この憎しみの連鎖を止めようと、必死である。
 生徒たちと、常に考え、質問を繰り返すケヴィン先生。「やられたら、やりかえす。それでいいの?」と。
© Soilsiú Films, Aisling Productions, Clin d’oeil films, Zadig Productions,MMXXI 先生は、ケヴィン校長先生だけではない。特別支援学級の責任者のジャン・マリー=リールは、学校の母親的な存在で、いろんな問題を抱えた生徒たちを、親身になって導いている。
 見ていて思う。これが本当の教育ではないかと。日本でも、つい最近だが、2020年、小学校の学習指導要領に「主体的・対話的で深い学び(「アクティブ・ラーニング」)の視点からの学習過程の改善」が掲げられるようになった。が、はたして日本には、ケヴィン先生やジャン・マリー=リール先生のような人材が、いるのかしらと、疑問に思ってしまう。いじめの存在を隠し続けたりする現状をみるにつけ、暗澹たる思いにとらわれる。
 このような、素晴らしいドキュメンタリー映画を撮ったのは、ナーサ・ニ・キアナンとデクラン・マッグラの二人。ナーサ・ニ・キアナンは、多くのドキュメンタリー作品を作った女性監督だ。また、デクラン・マッグラは、元は編集者で、やはり多くのドキュメンタリー映画を作っている。
 ナーサ・ニ・キアナンは、ケヴィン先生の言葉を引用して、言う。…今、人類が直面しているすべての課題のなか、もし私たちが生き残る可能性があるならば、ケヴィンのマントラ(真言)「シンク、シンク、レスポンド!」(考えて、考えて、答える!)は、私にとってかなり良い最初のレッスンのように思えるのです。
 多くの現場の先生方には、必見の映画。

2023年5月27日(土)より、ユーロスペースほか全国順次公開

『ぼくたちの哲学教室』公式Webサイト

監督:ナーサ・ニ・キアナン、デクラン・マッグラ
出演:ケヴィン・マカリーヴィーとホーリークロス男子小学校の子どもたち
2021/アイルランド・イギリス・ベルギー・フランス/英語/102分/カラー/16:9/5.1ch/ドキュメンタリー
原題:Young Plato
日本語字幕:吉田ひなこ
字幕監修:西山渓
後援:駐日アイルランド大使館/ブリティッシュ・カウンシル
カトリック中央協議会 広報推薦
配給:doodler

幻滅

© 2021 CURIOSA FILMS – GAUMONT – FRANCE 3 CINÉMA – GABRIEL INC. – UMEDIA

 もう60年ほど前になると思うが、中学校の国語教師のY先生の授業は、脱線とまではいかないが、教科書と関係のない話が多かった。よく話していたのは、フランスの作家、バルザックだった。曰く「バルザックは、生涯、90ほどの小説を書いた」。曰く「約200人ほどの人物の性格を描き分けた」。曰く「その作品群を自ら人間喜劇と名付けた」。曰く「バルザックを読め」と。
 このほど、このバルザックの書いた小説「幻滅―メディア戦記」が「幻滅」(ハーク配給)というタイトルで映画になった。
 今から、200年ほど前、主に、フランスはパリのメディアのありようや、貴族と一般人の差異を描いた、痛快な人間ドラマだ。
 19世紀の始め、20歳になる孤児のリュシアン・ド・リュバンプレ(バンジャマン・ヴォワザン)は、田舎町の小さな印刷所で働いていた。
 リュシアンは、仕事の合間、詩作に励み、いつかパリに出て、詩人になることを夢みていた。そんなリュシアンを理解し、応援しているのが地元の大地主の妻、ルイーズ・ド・バルジュトン伯爵夫人(セシル・ド・フランス)だ。
 ルイーズは、リュシアンのために詩の朗読会を開くが、だれもリュシアンの詩を理解できない。やがて、リュシアンとルイーズは、深い仲となる。ふたりの関係は、バルジュトン伯爵の知るところとなり、リュシアンとルイーズは、駆け落ち同然に、パリに向かう。
 パリでは、ルイーズに思いを寄せているデュ・シャトレ公爵(アンドレ・マルコン)が、秘かに、リュシアンの下宿先を世話してくれる。
 ルイーズは、リュシアンをオペラに誘う。ルイーズのいとこになる社交界の著名人、デスパール公爵夫人(ジャンヌ・バリバール)が同席するなか、観客の注目がリュシアンに集まる。田舎育ちのリュシアンの言動は、当然、客席からひんしゅくを買う。
 パーティの席上、新進作家のナタン(グザヴィエ・ドラン)だけが、リュシアンに好意的な態度を示す。
© 2021 CURIOSA FILMS – GAUMONT – FRANCE 3 CINÉMA – GABRIEL INC. – UMEDIA 下宿に置いていたお金を盗まれたリュシアンは、小さなビストロで働きだす。ここでリュシアンは、ジャーナリストのエティエンヌ・ルスト―(ヴァンサン・ラコスト)と出会う。
 リュシアンは、詩を書いていることと、芸術批評の仕事への憧れをエティエンヌに語る。現実的なエティエンヌは、うそぶく。「自分の仕事は株主を裕福にすること」と。
 エティエンヌに気に入られたリュシアンは、出版界の大物、ドリア(ジャラール・ドパルデュー)の主催する集まりに参加するようになる。ドリアは、ろくに読み書きはできないが、お金になる出版なら、どんな内容でも手を出す。
 恐怖政治を経て、王党派と自由派の対立が顕著になる。王党派を批判する自由派の新聞記者たちは、広告主の意向を汲み、世間の注目を集めるような記事ばかりを書く。
 リュシアンは、エティエンヌの依頼で、ある大衆劇の批評記事を書くよう依頼される。ここでリュシアンは、出演していた若い女優のコラリー(サロメ・ドゥワルス)と知り合う。若い二人は、たちまち男女の関係となる。
 自由派を支援する新聞2紙が合併する。エティエンヌは、新しい新聞「コルセール・サタン」の編集長になる。「もっともらしい言葉はみな真実だ」と挨拶するエティエンヌ。
 貴族たちにバカにされたリュシアンは、復讐よろしく、王党派を批判する記事を書きまくる。
 ナレーションが、当時の様子をうまくダイジェストする。「論説紙が商業誌へと変貌し、新たな産業が生まれつつあった。今や新聞は人々が望む情報を売る店だ。読者を啓蒙するのではなく、彼らの意見に媚びる。一部の記者は、文章と言葉の商人となり、芸術家と大衆の間のブローカーと化した」。
 羽振りのよくなったリュシアンは、劇場主を買収し、コラリーをラシーヌの戯曲「ベレニス」の主役になるよう画策する。
 作家として力をつけてきたナタンは、王党派とも親しい。ナタンはリュシアンに忠告する。「近く、自由派の新聞を取り締まる新法が出来るらしい。気をつけたほうがいい」と。
 早いテンポで、当時の新聞界、演劇界の内情が語られていく。多くの人物が暗躍する。ほとんどの人物が、金と名誉のために動く。映画は、2時間29分ほどのなかに、当時のメディア事情が語られ、絶妙のタイミングで、ナタンのナレーションが重なっていく。
© 2021 CURIOSA FILMS – GAUMONT – FRANCE 3 CINÉMA – GABRIEL INC. – UMEDIA 200年ほど前の話だが、メディアとお金の関係など、まったく今と同じようである。政権の批判を忘れ、お金のために、かんたんに寝返るジャーナリストは、いまの日本にも数多く存在する。
 驚くのは、主要な登場人物の人となりが、短いセリフやちょっとしたシーンから、いきいきと伝わってくることだ。映画では、原作にはない人物を造形したりするが、やはりバルザックのもとの小説が優れているからだろうか。「200人ほどの人物を描き分けた」といったY先生の言葉の真実味が増す。
 脚本、監督は、2015年に「偉大なるマルグリット」を撮ったグザヴィエ・ジャノリ。まだ学生の頃から、バルザックの「幻滅」を映画にしたいと思っていたそうだ。
 俳優たちが、みな力演。リュシアンを演じたバンジャマン・ヴォワザンは、フランソワ・オゾン監督の「Summer of 85」に出ていた。ルイーズ役のセシル・ド・フランスは、セドリック・クラピッシュ監督の「スパニッシュ・アパートメント」以来、ごひいきの女優である。そのほか、監督業を離れてグザヴィエ・ドラン、多くのフランス映画に出ているジェラール・ドパルデューなど、豪華なキャストだ。
 添えられた音楽の選曲が絶妙。なんども流れるのは、シューベルトの歌曲集「白鳥の歌」のなかの「セレナーデ」。さらに、ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲「不安」の第2楽章、モーツァルトの弦楽三重奏のためのディヴェルティメントの第4楽章、シューベルトの弦楽三重奏曲第1番の第2楽章、シューベルトのピアノ五重奏曲「鱒」の第2楽章、バッハの4台のチェンバロのための協奏曲、パーセルのソナタ第1番、マックス・リヒターの「サマー 1」などなど。
 映画を見て思った。もし、バルザックがいま生きていたら、どんな小説を書くだろうか、と。せめて、バルザックの傑作と言われている「ウジェニー・グランデ」、「ゴリオ爺さん」、「谷間の百合」そして「幻滅」と、改めて読み直したいと思っている。
 バルザックの言葉である。「幻滅の後、自分自身のうちに何かを見つけねばならない人々を思う」。

2023年4月14日(金)より、ヒューマントラストシネマ有楽町新宿ピカデリーYEBISU GARDEN CINEMAほか全国公開

『幻滅』公式Webサイト

監督・脚本:グザヴィエ・ジャノリ
出演:バンジャマン・ヴォワザン、セシル・ド・フランス、ヴァンサン・ラコスト、グザヴィエ・ドラン、サロメ・ドゥワルス、ジャンヌ・バリバール、ジェラール・ドパルデュー、アンドレ・マルコン、ルイ=ド・ドゥ・ランクザン、ジャン=フランソワ・ステヴナン
2022年/フランス映画/フランス語/149分/カラー/5.1chデジタル/スコープサイズ/原題:Illusions perdues
字幕:手束紀子
後援:在日フランス大使館、アンスティチュ・フランセ日本
配給:ハーク
配給協力:FLICKK

丘の上の本屋さん

© 2021 ASSOCIAZIONE CULTURALE IMAGO IMAGO FILM VIDEOPRODUZIONI

 舞台はイタリアの中部、アブルッツォ州のチヴィテッラ・デル・トロントという、風光明媚な美しい村。
 本が大好きな老人のリベロ(レモ・ジローネ)は、丘の上にある広場の一角で、小さな古書店を営んでいる。隣にあるカフェで働く若者の二コラ(コッラード・フォルトゥーナ)が、仕事の合間をみて、古書店の留守番をしたりしている。
 いろんな客がやってくる。移民のボジャン(フェデリコ・ペッロッタ)は、ゴミ箱で拾った本を売りに来る。そのほか、初版本ばかりを探している収集家(モーニ・オヴァディア)、発禁になった本が目的でやってくる神父(ビア―ジョ・イアコヴェッリ)、辞書まで売りに来る教授(ピーノ・カラベレーゼ)などなど。常連客は、一癖二癖ありそうだが、リベロは、いつも、丁寧な対応をする。
© 2021 ASSOCIAZIONE CULTURALE IMAGO IMAGO FILM VIDEOPRODUZIONI リベロは、ボジャンが売りに来た本のなかから、1957年に書かれた一冊の日記を見つける。書き手は、家政婦として働く若い女性のミケーレだ。リベロは、合間を見つけては、ミケーレの日記を読み続ける。
 ある日、一人の少年が、ワゴンに置いてあったコミックを眺めている。リベロが少年に声をかける。アフリカのブルキナファソからの移民で、イタリアに来て、6年経っている少年は、エシエン(ディディー・ローレンツ・チュンブ)と名乗る。「本を買うお金がない」と帰ろうとするエシエンを呼び止めたリベロは、ミッキーマウスのコミックを「読んだら、返しにおいで」とエシエンに渡す。
 家政婦をしている若い女性のキアラ(アンナマリア・フィッティパルディ)が、主人の言いつけで、フォトコミックを探しにやってくる。二コラはキアラを口説こうとするが、キアラは相手にしない。
 翌日、エシエンがミッキーマウスを返しに来る。リベロは、別のコミックを貸してやる。
 やがて、「コミックは卒業だ」と、リベロはエシエンに児童図書の「ピノッキオの冒険」や「イソップ寓話集」を貸す。その都度、エシエンの感想を聞き、的確なアドバイスを与えるリベロ。リベロは体調が思わしくないなか、エシエンのために、次々といろんな本を貸し与える。
© 2021 ASSOCIAZIONE CULTURALE IMAGO IMAGO FILM VIDEOPRODUZIONI もう、本好きには、わくわくするような映画だ。上映時間が1時間24分と短いけれど、いくつかのドラマが手際よく進行する。リベロとエシエンの世代を超えた友情。リベロが読み続けるミケーレの日記。キアラを口説き続ける二コラ。そして、古書店にやってくる個性豊かなお客たち。
 リベロがエシエンに貸した本は、大人が読んでも、すてきな本ばかり。リベロは、とても素晴らしい本を、エシエンにプレゼントする。さて、その本とは?
 映画は古書店という設定だが、いま、日本の本屋さんは、ずいぶん少なくなっている。2006年には約1万4千店だったのが、2021年には約8千6百店ほど。総売り上げは、コミックのおかげか、ひどい落ち込みようではないらしいが、ひところから比べると、不況業種と言えるようだ。
 多くの良書、発禁本などが、うまい案配でセリフや映像で登場する。さぞかし、脚本を書き、監督したクラウディオ・ロッシ・マッシミは、並々ならぬほどの本好きではないかと思う。監督自身、映画の中で、なぞなぞ好きの男に扮して出演、「なぞなぞ集 1890年版」という本を買う。役者としても、いい味だ。
 リベロに扮したレモ・ジローネが、深い教養に裏打ちされた、温厚な書店主役を力演。イタリアで多くの映画に出演した後、アメリカに渡り、最近では「フォード VS フェラーリ」に、フェラーリの創設者エンツォ・フェラーリ役で出ていた。
 リベロは、エシエンにいろんな本を貸すことで、自由と幸福にちなんだ素晴らしいメッセージをエシエンに伝える。
 さまざまな本への、深い敬意と愛情に満ちている。もう、本好きは必見。ことに、本好きの若い人たちには、ぜひ見て欲しい映画だ。

2023年3月3日(金)より、新宿ピカデリーシネスイッチ銀座アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開

『丘の上の本屋さん』公式Webサイト

監督・脚本:クラウディオ・ロッシ・マッシミ
出演:レモ・ジローネ、コッラード・フォルトゥーナ、ディディー・ローレンツ・チュンブ、モーニ・オヴァディア
2021年/イタリア/イタリア語/84分/カラー/2.35 : 1/5.1ch
原題:II diritto alla felicità
字幕:山田香苗
後援:イタリア大使館、イタリア文化会館

提供:シネマライズ、ミモザフィルムズ
配給:ミモザフィルムズ

小さき麦の花

©2022 Qizi Films Limited, Beijing J.Q. Spring Pictures Company Limited. All Rights Reserved.

 およそ、人間にとって、幸せとは何かを、ストレートに訴えてくる。そして、中国の貧しい農民の、素朴な愛の形に、爽やかな涙があふれる。
 「小さき麦の花」(マジックアワー、ムヴィオラ配給)の舞台は、2011年の中国の西北地方の、農村だ。
 ヨウティエ(ウー・レンリン)は、貧しい農家の四男。両親と二人の兄を亡くし、三男のヨウトン(チャオ・トンピン)の家に、いわば、居候の身で、同居している。
 ヨウトンは、息子の結婚を控えて、弟のヨウティエが、なにかと厄介ものになっている。
 歩行障害のあるクイイン(ハイ・チン)は、内気な女性で、やはり、家族から邪魔もの扱いを受けている。
 似た境遇のヨウティエとクイインは、周りの勧める見合い結婚で、村の空き家で、暮らし始める。
 二人とも無口だが、日々、互いに思いやるようになっていく。
 そんなある日、ヨウティエの血液型が、入院中の村の豪農チャンと同じ、Rhマイナスだと分かる。
©2022 Qizi Films Limited, Beijing J.Q. Spring Pictures Company Limited. All Rights Reserved. 人のいいヨウティエは、クイインの心配のなか、何度も献血に応じる。
 甥の結婚が決まる。ヨウティエは、兄の依頼で、町から村まで、結婚道具を運ぶ。遅くまで戻らないヨウティエを気づかい、クイインは戸外で、待ち続ける。
 農村改革で、空き家を解体すると、お金がもらえることになる。持ち主から退去を迫られたヨウティエは、自分たちの家を建てようと、日に干したレンガを、作り始める。
 貧しい農村だが、ヨウティエとクイインは、力を合わせて、麦やとうもろこしを育て、鶏を飼う。
 無口な二人は、多くを語らない。愛の言葉などは、口にしない。ヨウティエは、クイインに、いろんな食べ物を「お食べ」と勧める。
 ヨウティエは、麦の種を花模様にして、クイインの手に並べる。
 ヨウティエは、飼っているロバにも、愛情を注ぐ。
 農作業の合間、ヨウティエはクイインに語りかける。
 「どんな人にも運命がある。麦も同じだ。麦なりの運命がある。夏が来れば 鎌で刈られる」
 また、「土は人を嫌わない。人も土を嫌わなくていい。土は清らかだ。金持ちにも貧乏人にも平等だ。1袋の麦を植えれば10倍や20倍にして返してくれる」
©2022 Qizi Films Limited, Beijing J.Q. Spring Pictures Company Limited. All Rights Reserved. 著しい経済発展を遂げている中国である。農村にも、改革が押し寄せつつある。当然、ヨウティエもクイインも、改革の波に身を晒すことになる。
 控えめに、互いを思いやる。そんなシーンが次々と出てくる。その都度、泣けてくる。
 脚本、監督は、リー・ルイジュン。少数民族のユグル族の幼い兄弟が、離れて暮らす両親を訪ねる旅を描いた「僕たちの家に帰ろう」を撮っている。
 ヨウティエ役のウー・レンリンは、監督の叔母さんの夫で、実際の農民である。その他、監督の兄や父、母など、親戚や知人が多く出演、とても素人とは思えない、達者な芝居を披露している。
 亡くなった人の供養のために、安い紙で出来たお金を燃やす。喜という字が二つ、並んでいる紙があり、新婚夫婦の家の壁に貼る。そういった風習が、丁寧に描かれる。
 決して、派手な映画ではない。10年ほど前の、中国の農村に住み続けようとする、心優しい夫婦の愛の形が、しっかり伝わり、胸をうつ。

2023年2月10日(金)より、YEBISU GARDEN CINEMAヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開

『小さき麦の花』公式Webサイト

監督:リー・ルイジュン
出演:ウー・レンリン、ハイ・チン
原題:隠入塵煙/英語題:RETURN TO DUST/2022年/中国/カラー/133分/G
字幕:磯尚太郎/字幕監修:樋口裕子
配給:マジックアワー、ムヴィオラ

エンドロールのつづき

ALL RIGHTS RESERVED ©2022. CHHELLO SHOW LLP

 インドは映画大国で、言語の異なる、多くの映画が作られている。映画「エンドロールのつづき」(松竹配給)は、グジャラート語で語られる映画だ。
 インドのグジャラート州の田舎に住む9歳の少年、サマイ(バヴィン・ラバリ)は、小学校に通いながら、父親(ディペン・ラヴァル)の営むチャイの店を手伝っている。
 厳しい父親は、映画は低劣なものと決めつけているが、カーリーという女神を扱った映画は例外で、一家4人で、「カーリーの奇蹟」という映画を見るために、町にあるギャラクシー座という映画館に出かける。
 満席のなか、なんとか席につく。サマイは驚く。スクリーンには、唄い踊るシーンが出てくる。映写機からの光を、サマイは見つめる。
 翌日、学校を抜け出して、サマイはギャラクシー座に潜り込む。チケット代の払えないサマイは、当然、つまみ出されてしまう。
ALL RIGHTS RESERVED ©2022. CHHELLO SHOW LLP サマイは、いつも、料理上手な母親(リチャー・ミーナ―)の作るお弁当を持っている。映写技師のファザル(バヴェーシュ・シュリマリ)は、たまたま口にしたサマイのお弁当に驚く。旨いのだ。ファザルはサマイに提案する。「お弁当と交換で、映写室から映画を見せよう」と。
 サマイの映写室通いが始まる。サマイは、映写室の小窓から見えるインド映画に、すっかり、魅せられてしまう。
 映写室で、サマイはファザルからいろんなことを学ぶ。映写機の仕組みや、映画そのものとは何かといったことまでも。
 当然、サマイは、「大きくなったら、映画を作ろう」と思うようになっていく。
 連日のようにギャラクシー座に通っていることが、父親の知れることになる。父親は、サマイの映画館通いを禁止する。
 サマイは挫けない。仲間と語らって、なんと、フィルムの断片を、自作の映写装置で、母親の白いサリーに映写しようと試みる。
 サマイの映画への愛は、ますます深まるばかり。映画を作ろうとの夢もしかり。
 そんな折、ファザルから、サマイたちが驚くような、ある知らせが届く。
 過去の傑作や名作にオマージュを捧げたシーンが出てくる。
 映画の冒頭、チャイのお店がある駅のホームに列車が入ってくる。リュミエール兄弟の「ラ・シオタ駅への列車の到着」そのものではないか。
ALL RIGHTS RESERVED ©2022. CHHELLO SHOW LLP 映写室にいるサマイの顔に、光が当たる。これは、スタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」だろうか。
 サマイがマッチの炎を見つめるシーンがある。デヴィッド・リーン監督の「アラビアのロレンス」ではないか。
 トロッコの出てくるラストシーンは、アンドレイ・タルコフスキーの「ストーカー」と思われる。
 脚本を書き、製作、監督したのは、サマイと同じく、幼少の頃から、映画作りを夢見ていたパン・ナリン。映画での、サマイの経験した出来事のいくつかは、監督自身が経験したことと重なる。いわば、パン・ナリン監督の自伝的な映画でもある。
 エンドロールのなかで、パン・ナリン監督は、「道を照らしてくれた」として、世界じゅうの多くの映画監督たちに感謝を表明している。日本の監督では、勅使河原宏、小津安二郎、黒澤明の名がある。
 「ニュー・シネマ・パラダイス」の少年トトもまた、映画を見て、映画を作りたいと思う。サマイもまた、映画の世界に憧れて、羽ばたこうとしている。
 どのような夢を持ち、どのような職業を選ぼうと、自由である。そして、夢の実現に向かって、歩み出すこと。
 サマイの瞳の輝きに魅せられる。新年早々、見るにふさわしい、爽やかで優れた映画と思う。

『エンドロールのつづき』公式Webサイト

監督・脚本:パン・ナリン
出演:バヴィン・ラバリ
2021年/インド・フランス/グジャラート語/112分/スコープ/カラー/5.1ch/英題:Last Film Show/日本語字幕:福永詩乃
応援:インド大使館
配給:松竹

猫たちのアパートメント

©2020 MOT FILMS All rights reserved.

 猫や犬は飼ったことがないので、猫たちがたくさん登場する映画をレビューする資格がないのかもしれない。とはいうものの、飼ったことがないだけに、たくさん登場する猫たちの表情や挙動が、とても新鮮に見える。
 ドキュメンタリー映画「猫たちのアパートメント」(パンドラ配給)の舞台は、韓国のソウル。約3万人が住んでいたという、古くからあるマンモス団地が、再開発とやらで取り壊しになる。
 ここトゥンチョン団地には、たくさんの野良猫が住みついている。住民たちの引っ越しが始まり、あちこちの取り壊しが進んでいる。それでも、猫たちは、まだまだ住みつくぞといわんばかりに、団地内を闊歩している。
©2020 MOT FILMS All rights reserved. 猫好きの住民たちが、猫にエサを与え、どの猫も、まるまると肥っていて、いまや、総数250匹ほど。
 いつのまにか、住民たちの猫好きが集まり、「トゥンチョン猫の会」が結成され、猫たちの移住計画がスタートする。また、猫がこれ以上増えないよう、猫の避妊や去勢手術について、動物病院と交渉する住民たちもいる。
 マンモス団地に、たくさんの猫。はたして、猫たちは、安全に移住することができるのだろうか。
 個性的な猫たちが、多く登場する。部下を従えて堂々と歩く猫。1日じゅう毛づくろいをしている猫。エサを見ると嬉々として走ってくる猫。丸い顔に可愛い表情の猫。どの猫にも反応する社交的な猫……。
 見た目は、似ていても、猫たちの生態は、それぞれ、異なっていることが分かってくる。
©2020 MOT FILMS All rights reserved. このドキュメンタリー映画は、単に猫たちを愛する人たちの努力を描くだけではない。大規模団地の建て替えという、都市につきものの大問題が絡んでいる。映画の主役は、多くの猫たちと、猫を愛する住民たちだが、映画そのものは、一種の環境問題でもあり、人間と共存する猫たちの生態を描いた、文明批評の趣でもある。
 低いアングルで捉えられた猫たちの表情、身のこなしが、変化に富んで、とてもいい。一見、似たような表情なのに、よく見ていると、千差万別。一匹、一匹が、自己を主張しているかのよう。
 監督は、以前、劇映画「子猫をお願い」を撮ったチョン・ジェウン。仲良しの女子高生5人が成人、その青春群像に、可愛い子猫が一匹。まことに瑞々しい傑作だった。このほどのドキュメンタリー映画について、「<猫>は、私たちの社会の変化を示す物差しです。だからこそ、ますます興味が湧いてくる」と監督。
 いまさらながら、韓国の映画の幅の広さと奥の深さが伝わってくる。猫の好きな方なら、身を乗り出してご覧いただける映画と思う。

2022年12月23日(金)より、ユーロスペースヒューマントラストシネマ有楽町にてロードショー!!

『猫たちのアパートメント』公式Webサイト

監督:チョン・ジェウン
音楽:チャン・ヨンギュ『哭声/コクソン』

撮影:チャン・ウーイング、チョン・ジェウン
編集:キム・キョンジン

出演:遁村(トゥンチョン)団地に暮らす猫たち、キム・ポド、イ・インギュ

韓国/2022年/88分/韓国語
英題:CATSʼ APARTMENT
日本版字幕:松岡葉子
提供:パンドラ、竹書房、キノ・キネマ、スリーピン
配給:パンドラ

シスター 夏のわかれ道

© 2021 Shanghai Lian Ray Pictures Co.,Ltd. All Rights Reserved

 見知らぬ弟が、急に現れて、姉になる。弟は6歳、姉は看護師をしながら、医者になるために、北京の医科大の大学院を目指している。一人っ子政策が背景にあっての姉と弟の存在である。
 映画「シスター 夏のわかれ道」(松竹配給)の舞台は、中国・四川省の成都。
 アン・ラン(チャン・ツィフォン)は、医者を目指して、受験勉強に励んでいる。大学入試を勝手に決められた両親とは疎遠で、いまは看護師として働いている。
 突然の車の事故で、アン・ランの両親が亡くなる。6歳の弟ズーハン(ダレン・キム)の存在を知って、驚くアン・ラン。
 跡継ぎの欲しかった両親は、アン・ランが家を出た後、待望の男の子、ズーハンをもうける。
 葬儀が終わる。父方の伯母、アン・ロンロン(ジュー・ユエンユエン)と、母方の叔父、ウー・ドンフォン(シャオ・ヤン)は、ズーハンを育てるのは、姉のアン・ランだと決めつける。
© 2021 Shanghai Lian Ray Pictures Co.,Ltd. All Rights Reserved 悩んだ末、アン・ランの結論は、ズーハンを養子に出すことだった。
 養子先が見つかるまでは、とりあえず、アン・ランがズーハンの面倒をみることになる。
 うまくいくはずがない。両親の死の意味をまだ理解できないズーハンは、食事ひとつでも、わがままそのもの。「ママに会いたい、パパに会いたい」と叫ぶ。
 アン・ランには、病院での仕事もある。叔父の助けも借りながらの子育ては、やっかいなことばかり。
 ある日、養子先が見つかるのだが…。
 アン・ランは、自分の決めた道を選ぶのか、ズーハンとともに暮らすのか、人生の大きな岐路にさしかかることになる。
 時代は、まだ一人っ子政策が有効だった頃である。なぜ、複数の子どもが可能だったかの理由は、映画の中で、きちんと説明されている。
 また、いまだ、家父長制そのものが存在し、そこそこの家庭では、男子が家督を継ぐのが当然と思われている。
 当然、女性だからという理由だけで、自由な人生を選べない。
© 2021 Shanghai Lian Ray Pictures Co.,Ltd. All Rights Reserved 映画は、姉と弟の、とりあえずは短い日々を描きつつ、中国という国の、確かな実情を、丁寧に掬いとっていく。
 ズーハンを演じたダレン・キムが、短いけれど、場にぴったりのセリフで、涙を誘う。これが映画初出演、すでに名子役らしい。
 アン・ランを演じたチャン・ツィフォンは、「唐人街探偵 東京MISSION」に出ていたので、覚えている人も多いと思う。役の設定より、いくぶん若く感じるが、気強く生きる女性を、カラッと演じて、好感度大。まだ、北京電影学院に在学中とのこと。
 麻雀好きの叔父役のシャオ・ヤンは、俳優、監督、脚本家で、ミュージシャンでもある才人だ。
 伯母さんに扮したジュー・ユエンユエンが、控えめながら、貫禄の演技。家督継続の犠牲になる過去がありながら、姉弟に寄り添う難役を、演じきる。
 8年前になるが、舞台となった成都に、5日ほど滞在したが、雨の多い街だった。年に100日ほど雨が降るという。この時も、小雨ではあるが、2日ほど、雨だった。
 映画でも、何度か、雨のシーンが出てくる。観客の心に、じんわりと訴えてくる。まるで、涙を誘うかのように。
 こんなすてきな映画を撮ったのは、イン・ルオシンという女性で、これがまだ、長編2作目という。
 子どもをめぐっての映画は、中国に限らず、これからも多く作られることと思う。多くの傑作が生まれるといいなあ。

『シスター 夏のわかれ道』公式Webサイト

監督:イン・ルオシン
脚本:ヨウ・シャオイン
出演:チャン・ツィフォン、シャオ・ヤン、ジュー・ユエンユエン、ダレン・キム

2021年/中国語/127分/スコープ/カラー/5.1ch/原題:我的姐姐/日本語字幕:島根磯美
配給:松竹

アフター・ヤン

©2021 Future Autumn LLC. All rights reserved.

 「アフター・ヤン」(キノフィルムズ配給)の舞台は、近未来のどこか。「テクノ」と呼ばれる人間そっくりのロボットが、一般家庭にまで普及しているという設定だ。
 肌の色が違う中年の男女と、中国系らしい若者と少女が、動きのあったダンスを踊っている。とても家族とは思えない4人である。
 ジェイク(コリン・ファレル)は、茶葉を販売する小さな店を開いている。妻のカイラ(ジョディ・ターナー=スミス)と、まだ幼い娘のミカ(マレア・エマ・チャンドラウィジャヤ)との三人暮らしである。ジェイク夫妻は、中国系のミカが、まだ赤ん坊の頃に養女として迎えている。
 もう一人の家族は、「テクノ」という、人間そっくりの形をしたロボットのヤン(ジャスティン・H・ミン)だ。ヤンは、ミカを「メイメイ(妹妹)」と呼んで、ほんとうの妹のように可愛がっている。ミカもまた、ヤンを「グゥグゥ(哥哥)」と呼んで、兄のように慕っている。
 かつてジェイクは、引き取ったばかりの養女ミカのために、中古ではあるが、ちゃんと保証書のついた「テクノ」のヤンを購入した。ヤンは、中国系の人物に似せて作られていて、ミカに中国関連の知識を授けてもらおうというわけである。
 4人の、静かな、幸せな日々が続く。そんなある日、突然、ヤンが動かなくなった。
©2021 Future Autumn LLC. All rights reserved. ジェイクは、悲しむミカのためにも、ヤンを修理するべく、メーカーに持ち込む。
 修理は困難だが、ヤンには、一日に数秒間だが、動画を撮影できるパーツが埋め込まれていたことが分かる。つまり、ヤンが過去に経験したことが、動画で確認できるという訳だ。
 ジェイクは、ヤンの残した膨大な動画を、再生し始める。
 クローンやアンドロイド、人間のようなロボットが登場する映画は、数多く作られているが、この「アフター・ヤン」は、派手なアクションは皆無。全編、静謐そのもの。
 人工知能とやらで、どこまでロボットが人間に近づくことが出来るのかは分からないが、少なくとも、動画からうかがえるヤンの視線は、優しさにあふれている。
 ジェイクとカイラの夫婦は、人種が異なる。ミカは養女である。さらに、ヤンは人間ではない。この4人が、家族である。ふと思う。「家族ってなにか」と。
 昔、小津安二郎監督の「東京物語」という映画を見たが、このなかに、こんなシーンがある。老人役の笠智衆が、原節子扮する息子の嫁に、ふと告げる。「実の子どもよりも、他人のあんたが良くしてくれる」と。そして、息子の嫁が、何度も本音を漏らす。
 家族のありようの、ある本質をついたセリフのやりとりかと思っているが、ヤンが、どのような眼差しで、ジェイク一家と接していたかを見ていると、もはや、ロボットではなく、人間並みの感情を持った、ごく普通の青年に思えてくる。もちろん、入力されていない事柄については、「分からない」とはっきり言うのだが。
©2021 Future Autumn LLC. All rights reserved. さらに、ジェイクがヤンを購入する前の記憶もまた、動画に収められていることが分かる。また別の経験を持ったヤンのドラマが立ち上がってくる。
 もはや、ロボットと人間の境は、曖昧模糊。ひょっとすると、ロボットのほうが、より人間らしい感情を持っているのではないかと思ってしまう。
 家族とは? ロボットとは? 人工知能とは? 多くの疑問を抱えたまま、映画は進行していく。
 原作がある。未読だが、アレクサンダー・ワインスタインの書いた「Saying Goodbye to Yan」だ。これを基に脚本を書き、監督したのは、小津安二郎監督を敬愛する、韓国系アメリカ人のコゴナダ。変な名前だが、小津安二郎と多くのコンビを組んだ脚本家、野田高悟(のだこうご)にちなんだ名前だそうだ。
 以前、「コロンバス」というコゴナダ監督の映画を見たが、これまた、静謐そのものの映画で、本作とあわせてご覧になると、どのような映画作家かが、よりよく理解できるかと思う。
 使われる音楽が、またいい。坂本龍一のスコアに、劇中、ミカが唄うのは、日本の映画「リリイ・シュシュのすべて」で使われていた名曲「グライド」だ。さらに、バッハの名曲「G線上のアリア」が引用される。
 近未来を描いた映画のなかでも、この「アフター・ヤン」は、家族とは、喪失とは、人工知能とは、などなど、いわば人間存在への問いかけを、静謐なタッチで描いて、深い余韻を残す傑作と思う。

2022年10月21日(金)より、TOHOシネマズシャンテほか全国公開

『アフター・ヤン』公式Webサイト

監督・脚本・編集:コゴナダ
原作:アレクサンダー・ワインスタイン「Saying Goodbye to Yang」(短編小説集「Children of the New World」所収)
撮影監督:ベンジャミン・ローブ
美術デザイン:アレクサンドラ・シャラー
衣装デザイン:アージュン・バーシン
音楽:Aska Matsumiya
オリジナル・テーマ:坂本龍一
フィーチャリング・ソング:「グライド」Performed by Mitski, Written by 小林武史
出演:コリン・ファレル、ジョディ・ターナー=スミス、ジャスティン・H・ミン、マレア・エマ・チャンドラウィジャヤ、ヘイリー・ルー・リチャードソン
2021年/アメリカ/英語/カラー/ビスタサイズ/5.1ch/96分/原題:After Yang/字幕翻訳:稲田嵯裕里
配給:キノフィルムズ
提供:木下グループ

ドライビング・バニー

©2020 Bunny Productions Ltd

 子どもたちとともに暮らしたい母親。当たり前である。「ドライビング・バニー」(アルバトロス・フィルム配給)は、この当たり前のことが叶わず、なんとかいっしょに暮らせるよう奮闘する母親、バニー・キング(エシー・デイヴィス)の姿が、丹念に描かれていく。
 舞台はニュージーランドのオークランド。15歳の男の子ルーベンと、まだ幼い娘シャノンの母親バニーは、過去の、ある事件が原因で、いまはシングルマザーだ。そして、ふたりの子どもとともに暮らせない状況にある。
 バニーは、生活保護や住宅手当を受け取っているようだが、少額すぎて、家を借りることが出来ない。とりあえずは、妹のグレース(トニー・ポッター)の家に居候している。子どもたちと暮らすには、役所の決まりで、住む家がなくてはならない。

 とにもかくにもお金がいる。バニーは、朝早くから、大したお金にならないけれど、駐車場の車の窓ふきをして、稼いでいる。
©2020 Bunny Productions Ltd 気前よくお金をくれる人もいるが、バニーに頼んで窓ふきをしているわけではなく、一銭もくれない人も多い。
 バニーはグレースに頼み込んで、ガレージを貸してくれないか交渉する。ストーブやベッドを用意すると、なんとか親子3人で住めそうだ。グレースの再婚相手のビーバン(エロール・シャンド)は、家賃を増やす条件で承知する。
 子どもたちを迎える準備が進む。ところが、バニーは、ビーバンの義理の娘になるトーニャ(トーマシン・マッケンジー)に、ビーバンがセクハラをしているらしい現場を目撃する。
 夜遅くまでパートで働くグレースは、ビーバンの言いなりで、トーニャは母親と距離を置いていて、義父とのことは語ろうとしない。
 バニーとビーガンが衝突する。当然、バニーは追い出されてしまう。
 トーニャは、母親との確執を抱え、いまの生活から抜け出そうと考えている。バニーとトーニャは、ビーガンの車を盗みだす。
 バニーの望みは、シャノンの6歳の誕生日を祝い、子どもふたりを取り返すことである。トーニャを車に乗せ、バニーの本格的な奮闘が始まる。
 貧困層の現実は、日本とそう変わらないと思う。ニュージーランドもまた、家賃の比較的安い公共住宅は満員で、民間の賃貸は、家賃が高い。
©2020 Bunny Productions Ltd 役所は、ある事件の当事者であるバニーから、子どもを奪ってしまう。子どもたちは、里子に出され、面会にも役所の許可がいる。バニーは、役所のルールを破ってしまったことから、大きな事件に発展していく。
 悲惨極まりない状況だが、バニーは、貧しくても、逞しく、子どもたちを迎え入れる方法を、次から次へと考え、実行する。
 もはや痛快でさえある。深刻な話なのに、どこか、ほのぼの。
 40歳ほどの設定のバニーを演じたエシー・デイヴィスが、圧倒的にいい。いっさい化粧をせず、ここぞというときだけのアイライン。逞しく生き抜こうとするその姿勢に、思わず応援し、拍手を贈りたくなる。
 義理の父親の車で、バニーと行動をともにするトーニャ役のトーマシン・マッケンジーは、寡黙だけれど、自由を手に入れようと、一歩を踏み出す役どころを力演する。
 監督はゲイソン・サヴァットで、ニュージーランド在住の中国人女性。これが長編第一作という。現実の厳しさに対抗して、なんとか思いを遂げようとするバニーに寄り添った演出が、小細工なしで、好感度じゅうぶん。
 国の違いこそあれ、貧困の現実は、世界のあちこちに存在する。日本に「最終的には、生活保護といった、そういった仕組みもある」と嘯いた総理大臣がいたが、ひどい発言だ。生活保護などが存在しないようにするのが、あなたの仕事だ、と言いたい。
 映画とはいえ、ニュージーランドの貧困状況の一例である。貧者の声を聞く。これが、政治のすべての原点だろう。

2022年9月30日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町新宿シネマカリテほか全国公開

『ドライビング・バニー』公式Webサイト

監督:ゲイソン・サヴァット
脚本:ソフィー・ヘンダーソン
原案:グレゴリー・デビッド・キング、ゲイソン・サヴァット、ソフィー・ヘンダーソン
製作:エマ・スレイド
撮影監督:ジニー・ローン
作曲:カール・スティーブン
追加原案:グレゴリー・デビッド・キング
美術:ロージー・ガスリー
衣装デザイナー:クリスティ・キャメロン
メイキャップデザイナー:ステファン・ナイト
出演:エシー・デイヴィス(バニー・キング)、トーマシン・マッケンジー(トーニャ)、エロール・シャン(ビーバン)、トニ・ポッター( グレース)、ザナ・タン(アイリン)
2021年/ニュージーランド/英語/100分/シネスコ/5.1ch
原題:The Justice of Bunny King/日本語字幕:江波智子
後援:ニュージーランド大使館
提供:ニューセレクト
配給:アルバトロス・フィルム