天国からのエール

(C)2011『天国からのエール』製作委員会

(C)2011『天国からのエール』製作委員会

 高校生のころ、どんな音楽に熱中していたのか、大人たちとどんなふうに接していたかなどを、ふと思い出すような映画である。
 「天国からのエール」(アスミック・エース配給)は、沖縄のロック好きの高校生たちに、私財で音楽スタジオを作って、無料で提供する弁当屋のおやじの話である。実話である。おやじは、腎臓ガンを抱えているが、高校生たちには何も語らない。
 当然、おやじはいつか死ぬだろう、若者たちは成長していき、涙の別れが待つといった感動的なテーマだ。きっとお涙ちょうだい、とあらかじめ思ってしまう。ところが、これが抑制の利いた佳作、感動の押しつけがましさがなく、ユーモアも交え、サラリと描いて、いっそ清々しい。

(C)2011『天国からのエール』製作委員会

(C)2011『天国からのエール』製作委員会

 沖縄・本部町(もとぶちょう)。「あじさい弁当」を営む大城陽(阿部寛)は、母親、妻の美智子(ミムラ)、幼い娘の4人暮らし。近所の高校生たちが、お昼に弁当を買いにくる。
 高校生のアヤ(桜庭ななみ)は、同級生とロックバンドを組んでいる。練習する場所がないのが悩みである。アヤは、弁当を買いにきた折り、弁当屋の側の空き地を見て、ここが使えたらいいのに、と話している。
 それとなく聞きつけた陽は、高校生たちに音楽スタジオの提供を決意する。陽は思う。若いころには、まわりの大人たちが何かと面倒をみてくれた、それが、いまの若いもんにはないんや、と。
 スタジオが出来上がる。料金はいらない、設備は自由に使っていい、ただし、人としての姿勢、礼儀、秩序をわきまえること、と陽は宣言する。陽は、挨拶をしないメンバーに注意する。高校生たちは、陽のいろんな注意から、自らの規則をスタジオに張り出す。
 曰く、あいさつをしましょう!、赤点は絶対取らないこと!、人の痛みのわかる人間になれ!!、後輩には優しくおしえましょう!などなど。
 喧嘩が原因で、停学になっていたユウヤ(矢野聖人)が、バンドに復帰する。バンドの音楽は日増しによくなっていく。ハイドランジア(あじさい)というバンド名は、陽の弁当屋の名前だ。
 陽は級友を頼って、地域のFM局に働きかける。そしてその音楽が放送されるまでになる。ハイドランジアは、なんと、沖縄のロックフェスティバルに出場が叶うことになるが、陽の病状は進行していく。
 陽は何度も、「あきらめてはいけない」と言う。音楽好きの友人の死を経験した陽の、若者たちに託した夢が叶おうとしているのだが…。

(C)2011『天国からのエール』製作委員会

(C)2011『天国からのエール』製作委員会

 陽を演じる阿部寛が、いいおやじ役である。豪快さと繊細さを合わせた表現は、すぐれた演出家に鍛えられた歴史を感じさせる。アヤ役の桜庭ななみが、素直で爽やかな役どころを巧みに演じる。本欄でも紹介した「書道ガールズ!! わたしたちの甲子園」でも、ひときわ目立つ演技を披露した女優さん。
 人としての姿勢、礼儀、秩序をわきまえる。夢を諦めない。若い人たちへの、ごくあたりまえのメッセージが、ストレートに伝わってくる。
 モデルとなった仲宗根陽さんは、1998年にあじさい音楽村を創設、プロのミュージシャンを目指す若者を、何人もメジャーデビューさせた。2009年、逝去。享年42歳。映画は、故・仲宗根陽さんとその家族に捧げられる。

2011年10月1日(土)より、新宿バルト9ico_linkほか全国ロードショー

「天国からのエール」公式Webサイトico_link

監督:熊澤誓人
脚本:尾崎将也、うえのきみこ
出演:阿部寛、ミムラ、桜庭ななみ、矢野聖人、森崎ウィン、野村周平
2011/日本/114分/カラー
配給:アスミック・エース


「画家の肖像」 北川民次作

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油彩/カルトンボード/49.7×40cm/1931

 北川民次は早稲田大学予科を退学後、アメリカ在住の兄をたより20歳で渡米、サンフランシスコ、シカゴなどを経てニューヨークで数年を過ごし、のちメキシコで約15年を過ごします。彼にとって、ニューヨークで働きながら画学生として過ごしたアメリカ時代、そして放浪やアルバイト、美術学校で児童美術教育に携わったメキシコ時代は、生涯にわたる制作の基本的なスタイルを確立した時期でもありました。『自分が知っているものを素直に描く』というメキシコの児童画に見られる特質にヒントを得、新しい絵画表現を試みるようになります。美術教育においては、教師と生徒という上下関係の中で教えるのではなく、仲間のように溶け込もうとし、自由な発想で描く重要さを生徒たちと考えました。
 この「画家の肖像」は、彼のメキシコ時代に描かれたもので、大きく見開いた目や、大胆な構図で表されたパレットなどは、写楽の役者絵を思い起こさせる表現です。この作品が描かれた1931年ごろ、メキシコ市で開催された浮世絵展にも、彼がかかわっていたといいます。背景は黒味がかった赤で塗られ、教育者としての絵に対する情熱のようなものが感じられます。彼の37歳のとき、メキシコに滞在していた二宮鉄野と結婚した2年後の作品です。この作品と同寸で、同じ年に制作された「女の肖像」という妻の肖像画があり、一対の作品として描かれたものと思われます。
 彼は1936年に帰国してからは、メキシコの壁画を思い起こさせるようなダイナミックな構成の作品を発表します。第二次大戦中には一時窯業の盛んな愛知県の瀬戸に移り住み、その街で働く労働者の家族の中に人間愛を見いだし、深く人間性の根源を掘り起こそうとしました。

(笠間日動美術館 管理部長 亀山浩一)

■笠間日動美術館ico_link

  • 所在地 茨城県笠間市笠間978-4
  • TEL 0296-72-2160
  • 休館日 月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始

<展覧会情報>

  • 「モーリス・ユトリロと魅惑の風景画」
  • 2011年9月16日(金)~11月23日(水・祝)

展覧会概要

  • モンマルトルの白い壁に喜びと哀しみを塗りこめたユトリロ。コロー、モネ、ヴラマンクらの風景画、また渡欧して独自の画風を確立した佐伯祐三、荻須高徳らの作品を紹介します。

<次回展覧会予定>

  • 「児玉幸雄とアンティークドール」
  • 2011年11月26日(土)~2012年3月11日(日)

その他、詳細は笠間日動美術館Webサイトico_linkでご覧ください。


「美術大好き!」人間

訪れる人のない山頂から、錆び付いたブランコが下界を見下ろしていました。(福島県平田村)

今月のPhoto:訪れる人のない山頂から、錆び付いたブランコが下界を見下ろしていました。(福島県平田村)

 大学院生の進路相談での話しです。彼は学会での発表と投稿論文に取り組んでいる最中ですが、優れた彫刻作品の表現者でもあります。そして、表現活動を続けたいと願いながらも教員採用試験の結果を待つ身でもあります。
 「故郷に帰る事への迷いや制作と教育への複雑な心境はわかるが、半年後に修了を控えた現在の心境は?」
「いろいろとやってみたい気持ちや試してみたいことはあるのですが、僕と同じように『美術大好き!』という生徒を育てたいというのが、私のもっとも強い願望かもしれません。」
 同じ年頃であったかつての自分を思い出しながら、その言葉に感動を覚えました。
 教員の採用数が少ないため、「美術」の採用試験は常に狭き門となっています。特に本年は、震災等の影響で福島県の教員採用試験は行われませんでした。それだけに多くの学生は地元を離れ県外での採用を余儀なくされています。
 私が採用された頃の昭和50年代は、多くの地域が大量採用傾向にありました。その頃採用された教員がそろそろ退職期を迎えています。そのため採用数が多くなっている地域もありますが、東北各県では大量退職を埋め合わせるように少子化が影響しています。学生たちは厳しい「美術」の教員採用試験に挑戦しているのです。
 当時を振り返ると、私は、彼のように「美術大好き!」な子どもを育てたいと思って美術の教員をめざしたわけではありませんでした。あわよくば表現者として作家活動を続けたいという思いが強く、大学卒業後も表現活動を軸として生活を組み立て、絵画教室等で生計を維持しようとしていました。高度成長期という特殊な社会環境が、「何をしても食って行ける」という雰囲気を学生たちに与えていたように思います。
 少年の私が「美術大好き!」人間になった原点はマンガだとVol.37で書きましたが、そう育つ要因の一つであったことは確かです。ところがその後順調に「美術道」を邁進したわけではありません。美術以外にも生物学に憧れたり、冒険者を志したりした迷いの道が長かったように思います。そして現在も「自然と遊ぶ」脇道が本道より太くなったりしています。
 それでも「美術大好き!」は薄れることなく、高校卒業時に「美術道」を選びました。
 40数年前に、「美術大好き!」に育つには、マンガだけでは説明がつかない他の要因があったのかもしれません。生育環境に根ざしたもっと大きな影響があったように思うのです。「美術大好き!」とは、私にとって絵や彫刻も、工作や鑑賞も大好きでしたから、造形全般が楽しいと思えるような環境や教育があった筈なのです。
 思い当たる環境の一つが、もののない時代であったことです。
 高価な既製品や商品を手に入れようとする前に、自作できないかという試みが、まずあったように思います。家族や地域の人たちは、手作りという工夫の中で生活を便利にしたり、周囲の人を喜ばせたりすることに割く時間があったのです。そして、苦労の末に出来上がったものに周囲も賞賛したり感動したりする豊かさがありました。ですから、「買った方が安いよ」という考えは最近になってから、やっとのみ込めたように感じています。当時は材料のみならず、加工する道具すら入手困難でしたから、子どもたちも肥後守一つで遊ぶ材料を工夫したものでした。社会全体がまだまだ貧しく、もののないところから工夫しようとすることを子どもなりに学んでいたように思います。
 もう一つの恵まれた環境は、同年代の子どもが多かったことでしょう。
 仲間と集うために外に出たいと思う気持ちが常にありました。風邪で学校を休んでいても、下校時間に子どもたちの声が聞こえると発熱を忘れて外に飛び出したものでした。同じものに興味を示し、ものづくりでは知恵を出し合い、子どもルールを遵守しながらの遊びが楽しくてたまらない時間がありました。そこでは手作りの遊び道具や大人から見れば何の意味もないと思われるようなものが宝物として価値づいているのです。遊びの中には弓矢のような学校で禁止されている道具もありましたし、大人の眼の届かないところで禿げ山を滑走するなどの危険な遊びほど夢中になりました。子どもたちは自作の滑空ソリを工夫して持参していました。当然のように怪我もしましたが、子どもなりにそれらのことを充分に承知した使い方・遊び方を心得ていたと思います。
 そのような恵まれた環境が子どもたちに、ものづくりの面白さや工夫することの楽しさを味わわせ、造形への誘いとなっていたと思うのです。遠い過去のできごとではあるのですが、そこでの体験が現在でも、描画や工作が、私にとってもっとも楽しい時間に感じさせているのだと思います。
 一方で、当時の先生方も授業に挑戦的であったように思います。中学1年のとき、男子が制服のズボンを脱ぎ、素足で粘土をこねた記憶は強烈な印象として残っています。その粘土は大きな瓶に保存され授業で使われました。またある時は、スリガラスにクレヨンで絵を描く授業がありました。描画した上に糊のようなものを塗って印刷する版画の授業でした。ぎこちない描線や刷り上がりの粗末さだけが作品のイメージとして残っているのですが、その実験的な授業を忘れることはありません。
 やがて美術の教員になり、生徒とともに授業を構築しながら「美術っていいな!」という実感が指導者として縦横に広がりを見せるようになるのです。私が「美術大好き!」人間を育てたいと思うようになったのは、初任から数年を経てからのことでした。生徒たちとリトグラフに挑戦したり、粘土をこねたりしながら、私自身が変容させられていったと思っています。

【今回は、導入事例をお休みします】


「までい」に子育てを

■ 昔ながらの方言

 東北地方で使われている方言に「までい」という思いやりのあるあたたかい言葉がある。
 「真手(まて)」という古語が語源で、広辞苑には「(『ま』は二つ揃っていて、完全である意)左右の手。両手。」とある。
 それが転じて「手間ひまを惜しまず、丁寧に心をこめて、つつましく」という意味で現在でも使われているそうだ。
 「までいに飯を食わねえどバチがあだっと」
 「子どものしつけはまでいにやれよ」
 「玄関はまでいに掃いておげよ」
などとお年寄りは言う。
 「天声人語」朝日新聞2011年5月5日(木)で知った。
 辞書を幾つか当たってみると、「手間ひまを惜しまず」という意味から広がって、「思いやりを持って、愛を込めて、大切に、もったいない、節約をする」などの意味を込めて使うらしい。
 東日本大震災をきっかけにして、東北地方のことをいろいろと情報として知る機会が増えたが、この「までい」という方言はずっと私の心の中で生きていた。

■ 「までい」の心は生きていた

 今回の東日本大震災を通じて、私が一番心を動かされたのは、日本の社会全体が個人主義、「自分さえよければいい」という風潮に流れている中で、家族のつながりや仲間、地域の助け合いなどがしっかりと根づいている東北の人々の姿だった。
 水道も電気もガスもなく、冷房もない暑い体育館で、自分だけ快適な生活を求めて抜け駆けをすることもなく、大多数の人々は家族や親戚、仲間、地域の人々と肩を寄せ合い、この夏をのりこえられた姿に感動した。
 人と人とのつながりが薄らいでしまっている大都市に住む私には考えられない光景だった。
 そこには私たちの生活を支配している価値観、すなわち、効率的、刷新、改革、能率、有効、無駄なく、効果をあげる、新幹線、高速道路、といったイメージとは別の世界、まさに「までい」の世界があった。
 「までい」という方言も、昔は日常的に使われていたが、今日では効率を求める社会の変化のなかで、陰が薄くなり日常的に使われることがだんだんと減ってきているらしい。
 しかし、「までい」の心はしっかりと生きていた。

■ 教育改革(子育て)も「までい」に

 私ごとであるが今年の「夏休み」も講演に呼ばれて北海道から九州まで全国各地をめぐらせてもらった。
 話をする対象は、ほとんどが幼小中高の学校園の先生たちである。
 そこで共通して感じたことがある。
 それは、日本の先生たちは忙しすぎる、「学力向上」などの教育改革に追われている、そして一番大切な、子どもたちとたっぷりと遊んでいない、子どもの話をたっぷりと聞いてやっていない、保護者ともゆっくりと話し合っていない、用事があっても携帯電話ですましている、先生どうしのつながりも薄くなってしまっている、ということである。
 ある県の校長研修会で、手を挙げてもらった。
 「給料から毎月、積み立てをして、学校の全教職員で泊まりがけで親睦旅行に行っている学校はどのくらいありますか?」
 800人ほどいた校長さんのうち、8人が手を挙げた。
 99%の学校は全教職員で旅行に行くような日がとれないと言う。とれたとしても希望者しか行かないと言う。
 「夏休み中、どこにもつれて行ってもらえない家庭環境の子どもに電話して、今日は先生、当番で一日学校にいるから、遊びにおいで、などと気になる子とつながってますか?」という話をしたら、感想文に、「今日帰ったら、電話してみようと思った」というのもあった。
 教育で一番大事なのは人と人とのつながりである。
 先生たちの集団が仲間としてつながらないで、どうしていい教育ができるのだろう。
 先生たちが、子どもや保護者としっかりつながらないで教育と言えるのだろうか。
 「までい」に、家族、仲間、地域とつながって、手間ひまを惜しまず、丁寧に心を込めて教育改革を進めたい。

著者経歴
元 大阪府堺市教育長
元 大阪府教育委員会理事 兼教育センター所長
元 文部省教育課程審議会委員
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ソーシャル・キャピタルの醸成と教育委員会の役割

■ 地域コミュニティの形成とソーシャル・キャピタルの醸成

 地域コミュニティの形成において、ソーシャル・キャピタルの醸成と地域社会の課題への対応力との関係性が注目されている。
 ソーシャル・キャピタルとは、『人々の協調行動を活発にすることによって社会の効率性を高めることのできる、「信頼」「互酬性の規範」「ネットワーク」といった社会組織の特徴』と一般的に説明されている。信頼関係や相互扶助の慣行、人的ネットワークといった人々の協力関係を促進し、社会の機能を円滑に機能させる諸要素を資本(キャピタル)に見立てた概念であり、地域住民相互の“関わり合い”の指標と言える。
 また、ソーシャル・キャピタルの醸成と地域活動の活性化には、互いに他を高めていくような関係、すなわちポジティブ・フィードバックの関係の可能性も指摘されている。

■ ソーシャル・キャピタルの醸成と地域社会の教育力

 ソーシャル・キャピタルの醸成が地域コミュニティ形成の基盤になる可能性が指摘されるが、地域社会の教育力の活性化には、一般に次のサイクルが有効である。

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 ①は、地域社会の教育力を活性化するきっかけを発見する場面、例えば学校評価などにより明らかになった児童生徒に関わる課題を地域と学校が共有する場面などである。
 ②は、地域住民が地域課題に取り組む過程で地域社会に対するアイデンティティを高めていく場面である。地域と学校の双方向での連携促進は、児童生徒や保護者・地域住民に地域社会に対する関わりの深まりや地域社会の一員である自覚の高まりを期待できる。
 更に課題解決の成功経験によって地域づくりの意欲向上につながっていくのが③であり、行政と地域住民との協働が期待される。④は、実践発表などを通して、課題解決の方法を地域と学校が共有化しシステム化を図る場面である。学校運営に住民が参画する仕組みづくり等が位置づけられる。
 なお、①から④の各場面は、ソーシャル・キャピタルの醸成とポジティブ・フィードバックの関係であることからスパイラルなサイクルになると考える。

■ 多様・柔軟な学校運営協議会(コミュニティ・スクール)の設置

 地域社会の教育力を地域コミュニティ形成につなげる一つの方策として、地教行法第47条の5に規定されている「学校運営協議会」の設置があげられる。学校運営協議会の設置は、保護者・地域住民が一定の権限と責任を持って主体的に学校運営に参画することにより、学校を核とした地域社会づくりの広がりが期待されているものである。
 学校運営協議会は、指定学校ごとに設置することとされているが、地域自治組織(宮崎市で設置している地域自治区など)の仕組みの中に、学校運営協議会の内容を組み込んだ、いわば「地域自治組織立のコミュニティ・スクール」など地域の実情に応じた多様・柔軟な在り方が構想できる。地域内の各小中学校と地域が連携協力することによって「縦のつながり」と「横のつながり」が更に深まり、児童生徒の発達課題に応じた「地域とともにある学校」が実現されると考える。

■ これからの教育委員会の役割

 地域住民が学校運営協議会を通して学校運営へ参画し、学校づくりに関わることは、地域社会のソーシャル・キャピタルを醸成する契機になり、地域コミュニティの形成に影響を持っていると考えられる。
 また、学校運営協議会は、「当該学校の職員の採用その他の任用に関する事項」について、任命権者に対し市町村教育委員会を経由して意見を述べることができる。このことは、特色ある学校づくり、地域づくりを実現する上で重要な条件整備であると考える。
 これらのことから、教育委員会には、地域社会のソーシャル・キャピタルの醸成の支援や地域住民の学校に対する期待の的確な把握、それを教育行政に反映させる仕組みを構築することが望まれる。さらに、地域住民の人事面での要望をいかに調整するかも重要な役割の一つとなると考える。
 これからの教育委員会には、特色ある学校づくりとともに特色ある地域づくりを支援することが期待されているのである。日文の教育情報ロゴ

グラグラ ゆらゆら

※本実践は平成20年度版学習指導要領に基づく実践です。

指  導  計  画

題材名

グラグラ ゆらゆら

学年

総時数

領域

A表現(2)

題材の価値とねらい

 近年では、「動き」を取り入れたアートが注目されている。例えば、英国のロンドンでは、2009年に動くアートの展覧会「キネティカ・アート・フェア(Kinetica Art Fair)」が開幕した1)。また、テレビ番組でも何度か放送された「ビーチアニマル」は、大きいものでは体長12メートルにも及ぶ。プラスチックチューブやペットボトル、木材などで構成され、風を受けるとまるで生き物のように動き出す。そんな人工生命体のような作品を通して、生命の本質や未来の生命の可能性を考えるのが動くアートである。
 このように、動くアートは、「形・色」と、「動き」からの発想や構想に着目した点が特徴的である。幼児や低学年の子どもの場合、箱でつくった車を手で押したり、引いたりしている姿を見かけることがある。子どもは、止まっているものの面白さよりも、動いているものの楽しさの方を好むからである。
 本題材の価値は、お椀やデザート容器など、コップ型や円筒型の身近な材料を二つまたは、三つ合わせて色々な転がり方を見付けさせ、それぞれの転がり方の面白さに気付かせることができることである。
 子どもに家庭から転がりそうな材料を集めさせる。そして、「この材料同士を使ったら、どうなるだろうか」、「大きさや形を変えたら、どうなるだろうか」など、材料やつくり方によって、色々な動きをすることを理解させる。

題材の観点別評価内容

  1. 関心・意欲・態度
    転がり方を変える面白さに気付き、進んで身の周りから材料を集めたり、転がるおもちゃをつくることを楽しんだりすることができる。
  2. 発想や構想の能力
    転がり方を変えながらイメージを膨らませて、つくりたい作品に仕上げる工夫を考えることができる。
  3. 創造的な技能
    色や形、大きさなどを考えて、自分の思いを表現できる身辺材料を効果的に使って作品をつくることができる。
  4. 鑑賞の能力
    転がして遊ぶ活動を通して、転がり方を生かした面白さやよさを分かることができる。

用具・材料

教師:紙コップ(小・大)、絶縁テープ、粘土、梱包用ビニール紐、ビニールテープ(赤・橙・青・黄・桃・黒・茶・灰)、マーカーペン
児童:コップ型の材料(アイスカップ,プリンカップなど、はさみで切り込みを入れることのできる材料)、円筒型の材料(トイレットペーパーの芯や、お菓子の入った円筒など)、粘土のように動きを変えるための小物(石やブロック、キャップなど)

学習の流れ

<導入時の工夫>

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コロコロ(左) ゴロゴロ(右)

 導入時には、「転がり方を変えると面白いな!」と子どもに思わせることが必要である。最初に、教師が簡単な仕組みを提示し、その仕組みを使って自由に遊ばせる。簡単な仕組みとは、紙コップの底の部分を合わせたものである。大小の紙コップでつくったものを事前に用意しておく。簡単な仕組みを転がす活動を通じて、「コロコロ(小さな紙コップでつくった仕組み)」、「ゴロゴロ(大きな紙コップでつくった仕組み)」というように、子どもと「見立て言葉(擬態語または、擬音語)」のネーミングを付けておく。
 T:先生がつくった見立て言葉、コロコロ・ゴロゴロの外に、どんなメニューができそうか、みんなもやってみましょう。はさみや粘土を使ってもいいです。
 C:はさみで切ったらどうなるかな。
 C:粘土を付けたら、おもしろい見立て言葉が見付かるかもしれないぞ。
 T:見立て言葉が見付かったら、一つ一つにネームペンで書いておきましょう。
 「見立て言葉」を考えさせることで、子どもは色々な転がる様子に着目し、自分だけの見立て言葉を考えようとする。複数の見立て言葉を見付けた子どもは、「転がり方を変えると面白いね。紙コップ以外の材料でも、違う見立て言葉を見付けてみたいな。」という状態になる。

切ってみよう

切ってみよう

メニューを思い付いたよ

メニューを思い付いたよ

<活動の広がり>

 紙コップ以外の材料に興味を持った子どもに、複数の材料を集めさせておく。
 C:ペットボトルとプリンカップを合わせたら、グラグラしたよ。
 C:トイレットペーパーの芯と紙のお皿をくっつけて転がしたら、ゆらゆらゆれたよ。
 C:お母さんからもらった化粧品とアイスのカップを付けたら、みんなと違って、ゴロンゴロンになったよ。
 C:私は、お家から持ってきたアクセサリーをカップの中に入れて転がしたら、シャラシャラという音がでたよ。

どんな転がり方をするかな?

どんな転がり方をするかな?

 子どもは、自分が持ってきた材料を組み合わせながら、面白い見立て言葉を考えていく。複数の見立て言葉を見付けた子どもに、さらにイメージを膨らませるために、次のように働き掛けを行う。
 T:みんなが見付けた見立て言葉にトッピング(~が・・・しているみたい)してみよう。
 C:グラグラだから、おばけがグラグラしているみたい。
 C:ゆらゆらしているから、ゆらゆらする観覧車にしたいな。
 C:カエルが山からゴロンゴロンと落ちてきたよ。
 C:おもしろいね。私は、たぬきがゴロンゴロンと転がっているみたいに見えるよ。
 子どもが考えた見立て言葉にトッピングを加えさせることで、子どもは、つくりたいイメージを膨らませて、つくりたい作品をつくることができた。

ジェットコースターがシャコシャコと音を鳴らして走っている

ジェットコースターがシャコシャコと音を鳴らして走っている

ゴロゴロと走るゴーカート

ゴロゴロと走るゴーカート

<評価>

 学習過程の児童のつぶやきや様子などを踏まえて、一人ひとりのつくりたい思いを継続させる評価を心がける。

  • 転がり方を変えることに関心をもち、意欲的に材料を集める。
  • 材料の組み合わせを変えて、色々な転がり方をするおもちゃを考える。
  • つくりたいものを表現する。
  • 友だちのつくった転がるおもちゃのよさや工夫に気付く。


参考文献
1)奇想天外!ロンドンで動くアートの展覧会

【磯部 征尊】

大久保利通の東北開発構想

東北日本への目

国立国会図書館蔵

大久保利通<国立国会図書館蔵>

 大久保利通は、富国開明を目指す明治新政府のなかで、傑出した存在でした。大久保は、維新敗残の東北を「海内一家東西同視」という場から、東北振興策を提示し、東北日本の富を新国家の富とする構想の実現に取り組みます。その構想は、1970年代初頭に日本列島改造計画を提起した田中角栄の世界をこえるものでした。
 「鬼県令」として「悪名」のたかい三島通庸は、東北日本の富をいかに活用するかとの大久保の意向を受け、その東北開発構想を具体化すべく、山形から福島を通って栃木に入る東北縦断道路の開発をはかり、山形を起点に福島から那須につなげ、那須野原の開拓を推進しました。そのために三島は、山県・福島・栃木の三県令を兼務し、在地の利益を代弁する民権派を弾圧したがために、歴史に悪評をのこし、いまだにその国家構想が十分に評価されていません。その富国開明への目は、大久保の東北開発構想とともに、現在あらためて検証されるべきものといえましょう。

大久保利通の東北開発計画

 大久保は東北開発のために7大計画を提起しております。

  1. 北上川を改修して野蒜(宮城県)に築港すること。
  2. 新潟港の改修。
  3. 越後・上野間の道路開削(これが現在の清水トンネルを生む)。
  4. 大谷川運河を開削し、那珂湊(茨城県)に通ずること。
  5. 阿武隈川を改修して白河・福島を海につなげ、野蒜港との一体的運用をはかり、福島地方の振興を実現すること。
  6. 阿賀野川、特に新潟県下の阿賀野川を改修して新潟につなげ、会津地方の振興をはかること。
  7. 印旛沼より東京への通路を開くこと。

 この壮大な構想は、野蒜築港計画の挫折に象徴されますように、画餅に帰します。しかし敗残の汚名に泣く東北では、野蒜築港に故郷の明日をかけようとした宮城県登米地方の人々のように、地域振興への期待大なるものがありました。
 宮城県登米郡は、敗残の身を開港場箱館にさらし、ロシア領事館付き司祭ニコライと出会い、ハリストス正教の伝教師として再生した旧伊達藩士の宣教活動でロシアの国教であるハリストスの拠点となっていました。その一つ佐沼顕栄教会は、半田卯内が設立に力を尽し、町の有力者の大半が教会員となり、ハリストスの町を形成していきます。半田は、町を豊かにすべく、主だった人物によびかけて産業結社広通社を結成、東北の米をはじめとする物産を東京に移出すべく野蒜築港の予定地である海岸に倉庫を建て、登米からの富村富国を構想し、その実現に家産を投じたのです。しかし、明治十四年の松方デフレは、計画を水泡に帰し、佐沼町とその近隣の「有産階級の約三分の二は倒産の憂目を見るの悲惨」(『半田卯内翁小伝』)な境遇におとされました。夢破れた半田は、膨大な借財をかかえ、学校の先生として後半生を生きていきます。この挫折こそは、自力による地域振興への夢に怯え、いまだに国家プロジェクトへの過剰な期待をよせるトラウマかもしれません。

東北三大プロジェクト

 明治の東北には、青森県の三本木開拓、福島県の安積開拓、栃木県の那須野開拓の三大プロジェクトがありました。
 十和田湖の水を疏水とする三本木の開拓は、新渡戸稲造の祖父、新渡戸伝が中心になって行われました。新渡戸伝は南部藩の人で、六十歳のときに開拓に入り、近江商人などの力を借りながら七十九歳まで開墾に従事します。厳しい状況のなかで新渡戸家は貧窮し、そのため稲造は奨学金を得て官費で学べる札幌農学校に行きました。現十和田市には新渡戸記念館があり、傍らの新渡戸神社には稲造も祀られています。
 安積開拓は、旧米沢藩士で福島県典事中條政恒の指導で実現したものです。中条は、安積開拓に各地から集まった人びとの心をまとめるために開成山に遥拝所を設立し、神武天皇祭(4月3日)・天長節(11月3日)に入植者のみならず、近隣の村々の者をも参拝させ、「郡中人民協同一致」をはかろうとします。開成山大神宮の遥拝では「神武天皇祭と天長節のときには村人たちはみな、ここに集まれ。花を持って集まって、花を植えろ。そのときだけは、踏歌(歌を歌ったり踊ったり)し、何をしても自由だ。みな楽しめ」と説かれたのです。このような作法は、「国祖」たる神武天皇、「国帝」たる天皇を知らない「無知無識」な「東奥の民」に「国家」を国家たらしめている存在の何んたるかを教え、「国民」たる自覚をうながそうとした営みにほかなりません。
 この遥拝所が現在「東北のお伊勢様」と喧伝されている開成山大神宮となります。開成山大神宮は、「郡中人民」の社と位置づけられましたが、各地からの入植者はそれぞれの郷里の神様を持ってきています。たとえば鳥取からの入植者は鳥取の宇倍神社、高知の開墾者は八坂神社、棚倉藩の棚倉士族は三柱神社という具合です。それぞれの神様の頂点に開成山大神宮があり、国家神である伊勢神宮につながる精神世界を造形していくことで、東北の「貧民流民愚夫婦」を国家の民に編成していったのです。まさに遥拝所―開成山大神宮―伊勢神宮へとつらなる精神結集の場にほかなりません。
 この開拓地に生きた人びとの姿は、安積開拓の祖たる中條政恒の家で過ごした孫娘中条百合子(宮本百合子)が小説『貧しき人々の群』で描いています。そこには、少女時代の体験をとおし、安積開拓の相貌が読みとれます。
 那須野開拓の特色は、三島通庸の要請を受け、大山巌、松方正義、青木周蔵らの薩摩・長州出身の華族らの農場として開かれたことです。三島農場と別邸があり、開拓の相貌を画家高橋由一の描いた世界にうかがえます。ありし日の名残は、松方農場が現在のホウライ(株)の千本松牧場に、大山農場の大山家墓所、洋風建設の青木周蔵邸等々に現在も忍ぶことができます。

「三島ごばんの目」紹介ページico_link

参考文献

  • 大濱徹也『天皇と日本の近代』同成社 2010年
  • 大濱徹也「大地の祈り」(『年報 新人文学』第4号)北海学園大学大学院文学研究科 2007年


「インサイダー」 アントニー・ゴームリー作

5体のうち1体部分/鋳鉄/193×190.6×27cm/1999

5体のうち1体部分/鋳鉄/193×190.6×27cm/1999

 薄暗い森の奥へと続く長い階段を下っていくと、シラキの若木が軽快な垂直線をつくりだし、その葉の間から降り注ぐ木漏れ日によって光あふれた空間が目の前に広がります。アントニー・ゴームリー作「インサイダー」は、霧島の湿潤な気候、繁茂する植物が醸し出す独特の空間の中を、作家自らが歩き回り発見したこの特別な場所にあります。
 ゴームリーは1950年にロンドンに生まれ、オックスフォード大学で人類学を学んだ後、美術家をめざします。ゴームリーは、人間の存在について哲学的な問いを投げかけ続ける彫刻家で、1981年より自らの体に石膏を塗って型取りした「ボディー・ケース」シリーズを制作するようになります。
 「インサイダー」は、一見するとゴームリーの身体と遠くかけ離れているように見えますが、自らの身体で型取りしたものから数学的法則に基づいて抽象化したものです。そのかたちは、身体の中の核としてのもう一つの身体といえます。人間は生きていく中での様々な体験を記憶として体に刻んでいきますが、「インサイダー」は身体に対する記憶と同じようなものなのです。
 ゴームリーは、人々が「インサイダー」に出会うために森を通過していく道すがら、自分自身の呼吸や心臓の鼓動への意識が高まったり、自分がどこにいて、どこへ向かっているのかと自問したりできるような特別な感情をひきおこす場所をつくるために、森の奥にポーズの異なる5体の作品を設置しました。
 目の前に現れたもの言わぬ細長い彫刻は、彫刻も自分自身も自然の一部かもしれないと来訪者に思いを馳(は)せてもらうために設置された、森の中のアンテナのようなものなのかもしれません。

(霧島アートの森 学芸専門員 前野耕一)

■霧島アートの森ico_link

  • 所在地 鹿児島県姶良郡湧水町木場6340-220
  • TEL 0995-74-5945
  • 休館日 月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)

<展覧会情報>

  • 「八谷和彦展 -OpenSky in KIRISHIMA-」
  • 2011年7月15日(金)~9月25日(日)

展覧会概要

  • メディアアーティスト八谷和彦による本展は、SFコミックの中に出てくる架空の航空機を、実際に有人飛行可能な機体として制作するOpenSkyプロジェクトの軌跡をたどりながら魅力を伝える展覧会です。

<次回展覧会予定>

  • 「高嶺 格展 とおくてよくみえない」
  • 2011年10月7日(金)~12月4日(日)

その他、詳細は霧島アートの森Webサイトico_linkでご覧ください。