タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密

(C)2011 Paramount Pictures. All Rights Reserved.

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 スティーブン・スピルバーグ監督の映画を初めて見たのは、1973年の「激突!」だった。もう、38年前になる。車が大型のタンクローリーを追い抜く。逆に車はタンクローリーから執拗に追われることになる。ただこれだけの状況を、サスペンスたっぷりに描き、その鮮やかな語り口に驚いたものだ。2年後、「ジョーズ」でスピルバーグは大ブレイクする。
 その後、80年代には「インディ・ジョーンズ」のシリーズ、90年代には「ジュラシック・パーク」のシリーズなどなど、大ヒット作を連発したのはご存知の通りで、その活躍ぶりは、凄まじいものがある。「E.T.」や「未知との遭遇」、アカデミー賞の作品賞と監督賞などを受賞した「シンドラーのリスト」も、スピルバーグ作品だ。

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 このスピルバーグの新作「タンタンの冒険」(東宝東和配給)は、現在の映画製作がたどり着いた技術の、ほとんどすべてと言ってもいいくらいの精緻な映像。アニメーションと実写が結合、ベルギーのエルジェの手になる傑作コミックの世界を、見事なまでに映像化、監督の力量を、これでもか、これでもかと見せつけてくれる。
 若いレポーターのタンタンは、フォックステリア犬のスノーウィと、世界中を舞台にスリル満点の冒険を続ける。原作は全部で24冊、日本でも翻訳コミックが出版されている。どれも、おもしろく痛快。夢があり、希望に満ちている。いままで、ジョージ・ルーカスやスピルバーグが作ってきた、一連のエンタテインメント映画の基になるような原作である。
 映画は、原作の「なぞのユニコーン号」と続編の「レッド・ラッカムの宝」に、サハラ砂漠を舞台にした「金のはさみのカニ」の合体したストーリーで進行する。
 タンタン(ジェイミー・ベル)は、白い犬スノーウィといつも一緒、骨董市でユニコーン号という船の模型を買う。ところが、怪しげな二人組から、買ったばかりの模型を、売ってくれないか、と迫られる。なにかあると思ったタンタンは、いろいろ調べたところ、ユニコーン号は、海賊に襲われた軍艦だったことが分かる。しかも、軍艦は、多くの財宝を積んでいたらしい。艦長のアドック卿は、「アドックの血を引く者が秘密を知る」という言葉を残していた。タンタンは、模型の軍艦のマストから、巻物になった羊皮紙を発見する。 

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 これがきっかけに、タンタンとスノーウィは、ユニコーン号の秘密を解明しようとするが、大変な事件に巻き込まれて、とんでもない冒険を経験する。舞台は海、砂漠、空中と変化し、目まぐるしいスピードで進行する。
 広大な砂漠のシーンが、一瞬にして、大海原に切り替わる。思わず息を飲む。
 よく見ないと分からないが、タンタンをつけ狙う悪者役サッカリンに、007でおなじみのダニエル・クレイグが扮している。これまた、見せてくれる。
 もう、理屈抜きに面白い。タンタンもスノーウィも、優れた能力があるわけではない。ふつうの若者、犬である。ドジを踏みながらも、迫る危機に挑戦し続ける。やがて、夢や希望を決してあきらめないタンタンとスノーウィの活躍に、思わず拍手を送ることになる。
 3Dである。ことさら、飛び出してこなくても、迫力はじゅうぶん。美しく、きめ細かい映像に、素直に驚く。
 原作コミックの面白さに、映画の最先端の技術が加わる。たまには、理屈抜きで楽しまれてはいかが。まだ二作ほど、映画になるらしい。
 「タンタンの冒険」シリーズだけでなく、「スピルー」など、ベルギーには、優れたコミックが多い。映画を見て興味を持たれたら、ぜひ原作のコミックも見てください。

2011年12月1日(木)より、TOHOシネマズ スカラ座ico_linkほか全国ロードショー

■「タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密」

監督・プロデューサー:スティーブン・スピルバーグ
脚本:スティーブ・モファット、エドガー・ライト、ジョー・コーニッシュ
プロデューサー:ピーター・ジャクソン、キャスリーン・ケネディ
製作総指揮:ケン・カミンズ、ニック・ロドウェル、ステファン・スペリー
編集:マイケル・カーン
共同プロデューサー:キャロリン・カニンガム、ジェイソン・マッガトリン
音楽:ジョン・ウィリアムズ
シニア視覚効果スーパーバイザー:ジョー・レッテリ
出演:ジェイミー・ベル、アンディ・サーキス、ダニエル・クレイグ
2011年/アメリカ・ニュージーランド/上映時間1時間47分/スコープサイズ/ドルビーSRD/日本語字幕:戸田奈津子/字幕協力:ムーランサール ジャパン
原題:THE ADVENTURES OF TINTIN:THE SECRET OF THE UNICORN
配給:東宝東和


単元「幕府政治の改革と農村の変化」(第2学年)

※本実践は平成20年度版学習指導要領に基づく実践です。

webjirei_csh_vol002_07 言語活動を位置づけた学習活動を、地域の歴史を調べまとめていく学習を通して行い、郷土の歴史に対する関心を高め、幕政改革や藩政改革についての理解を深める。


1 目 標

  • 江戸中期の朝倉市の状況や藩の政策に興味・関心を持って意欲的に追究しようとする。
  • 黒田藩が行った政策について幕府の政策と比較しながら考察することができる。
  • 黒田藩の藩政改革について、地域の古文書や歴史書などの資料をもとに追究することができる。
  • 黒田藩の藩政改革や農村の変化について、その背景や結果をふまえて説明することができる。

2 「言語活動を位置づけた社会科学習」について

(1)学習の構想について

 今回取り組んだ学習は、近世江戸中期に本校の校区を治めていた黒田藩の藩政改革を題材としたものである。この藩政改革を通し、領内では産業の発達や教育の普及が見られ、またその際に奨励された商品作物の中には現在特産品となったものもある。そのひとつは校区内で生産され、生徒が1年生の総合的な学習の際に地域調べに訪れた川茸である。このことを教材に用いることで、生徒は本学習内容を身近なものとして感じることができ、学習課題に対する興味・関心を喚起できると考える。また、秋月黒田藩中興の祖と呼ばれ、藩政改革を進めた8代藩主長舒は、かの上杉鷹山の甥であり、この点も生徒の興味・関心を高めることができると考える。
 江戸時代中期は、貨幣経済の広まりや生活文化の変化による支出増、度重なる自然災害による農作物の不作などの原因から、幕府・藩ともに財政難に陥り、この財政難克服のための対策が行われていく時期である。このような経済システムの変化や政治方針の転換、農村の変化など変革の様子を身近な地域の具体的事象を通して、資料の読み取り、内容の考察、意見交流、探究の成果の文章によるまとめなどの言語活動を取り入れながら学習を進めていくことで、生徒の思考力、判断力、表現力を養い、学習内容の確かな理解と定着を図りたいと考える。
 また、新学習指導要領の「近世の日本」の学習内容・内容の取扱いの中でも「産業や交通の発達については身近な地域の特色を生かすようにすること」、「各地方の生活文化については身近な地方の事例を取り上げるよう配慮し」とあり、この時代の学習に適した題材だといえる。

(2)言語活動をふまえた学習活動について

 学習の各段階で、資料の読み取り、調べたことの交流、文章による学習のまとめなど、言語活動を位置づけた学習活動を仕組んでいく。

≪各段階での手立て≫

①つかむ段階
 江戸中期の秋月黒田藩領の飢餓のようすを記した古文書「望春随筆」の読み取りを通し、当時のようす(市内の飢饉の状況)を読み取らせ学習課題につなげる。
②見通しを持つ段階
 既習の学習(幕府政治の改革)をもとに、黒田藩はどのような藩政改革を行っていったのか予想させ、学習の見通しを持たせる。
③探究する段階
 資料を読み取り黒田藩の藩政改革について調べる。調べたことを4つの視点(政治・経済・文化・福祉)で整理し、改革について評価を行い、その評価を班や学級で交流させる。
④まとめる段階
 黒田藩の藩政改革について、政策の内容と、その結果、農村の変化について、4語連結の文章で表現する。

<古文書資料例>

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資料1 『望春随筆』

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資料2 『餘樂齋手記』倹約令

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資料3 『餘樂齋手記』目安箱

(3)学習計画


学習活動・内容

指導のねらい・内容・方法

評価の観点
(方法)

つかむ

1.江戸中期の地域の様子を知る。
(1)川茸や葛について知る。
(2)江戸中期の黒田藩領内のようすを知る
●資料『望春随筆』等から黒田藩領内の飢饉のようすを知る。

●実物の川茸を提示し、パッケージから江戸中期から生産されていることに気づかせる。葛も同じ時期であることを確認する。
●地図から十文字中校区が秋月黒田藩と福岡黒田藩の領地だったことを確認させる。
●資料から黒田藩内のようすについて読み取らせ、飢饉の被害の大きさを感じ取らせる。
●飢饉をイメージできるよう以前提示した「天明飢饉之図」も掲示する。


見通す












探究する












まとめる

黒田藩の藩政改革を調べ、農村の変化について考えよう。

黒田藩の藩政改革の内容について知るとともに、視点ごとに整理しながら理解を深める。

黒田藩の藩政改革について資料をもとに意欲的に調べることができる。
(関・意)
〈様相観察・学習プリント〉

2.黒田藩の藩政改革について予想する
(1)当時の秋月黒田藩の財政について知る
●参勤交代、長崎警備、湯島の普請手伝いなどによる出費
(2)黒田長舒について知る
(3)黒田藩の取り組みを予想する

●家系図を確認しながら、黒田家、秋月家、上杉家の関係について確認させる。
●資料の中に線を引かせ、その後学習プリントにまとめさせる。
●資料から見つけ出したものを、学習プリントに視点ごとに整理し書き込ませる。

3.資料をもとに藩の取り組みを調べる
視点(政治、経済、文化、福祉)
●資料『餘樂齋手記』(古文書)『物語秋月史』『秋月を往く』
●学習プリントに記入する
●調べた内容を発表し黒田藩の政策について確認する

4.黒田藩の改革について考える。
(1)黒田藩の取り組みについての評価をする
(2)個人で評価したものを藩で交流しまとめる。
(3)班ごとにまとめたものを掲示し、学級で交流する
●班でまとめたレーダーチャートを黒板に掲示し、評価理由を交流し合う。
(4)資料から、黒田藩のその後の財政や農村の変化について読み取る。『国計亀鑑』『物語秋月史』
●藩政改革の成果
●長崎警備やお手伝普請による出費
●藩の借金

●班でまとめたレーダーチャートを黒板に貼り、評価の理由を班ごとに発表させる。
●黒田藩のその後の状況を記した資料を提示し、改革の成果について確認させる。

黒田藩の藩政改革についてレーダーチャートを使い評価することができる。
(思・判)
〈学習プリント〉

5.黒田藩の取り組みについてまとめる
(1)藩政改革について文章にまとめる。
●江戸中期の経済状況
●藩政改革の内容
●改革の成果と農村の変化

学習内容を整理し、地域への関心を高めることができるようにする。


黒田藩の藩政改革や農村の変化についてについて文章で表現することができる。
(技・表)
〈学習プリント〉

●学習したことをもとに、黒田藩の藩政改革について、4語連結文でまとめさせる。「江戸中期の朝倉市の状況は~黒田藩では~のような藩政改革を行ったが~農村では~」
●何人かの文章を発表させる。

3 学習の実際と考察

≪手立ての①≫
 つかむ段階で用いた、古文書「望春随筆」には当時の地域のようすが記してある。往来に死人が多かったことや、死んだわが子を川に投げ捨て、その亡くなった子の衣服を米と換えた母親の話などがあり、「天明飢饉之図」に描かれたような惨状が身近な地域でも見られ、生徒は興味深く学習していた。古文書の読解は難解すぎるので読み取れる文字を見つけさせ、あとは書き下し文を範読しながら内容を考えさせた。

≪手立ての②≫
 見通しを持つ段階で、黒田藩の藩政改革について予想させることについては、既習の幕政改革を想起させながら、それらの政策を参考に考えさせた。このことにより、幕政改革についてどのような政策が行われたのかも再度振り返えらせ、学習の理解を深めることができた。

≪手立ての③≫
 秋月黒田藩の郡奉行であった間小四郎の記した『餘樂齋(よらくさい)手記』にはさまざまな記録が残っており、興味深い資料であるが、古文書であるため生徒にとってすべての読解は時間的にも難しいため、その一部の原文を提示したり、書き下し文を提示したりしながら用いた。資料に対する生徒の関心を高めるため「目安箱」や「倹約令」などの幕政改革で見られた政策と同様のものや、校区内の地名が明記されているものなどを選んで提示した。また、それ以外には地域の歴史書から、藩政改革に関わる記述を提示し、どのような改革や政策が行われたのか調べさせた。これらの調べ学習により、幕政改革で行われたような政策が身近な地域でも実施されていたことに気づき、当時の幕政改革や藩政改革を身近なものとして捉えることができたと思う。
 また、この調べたことを4つの視点で整理し直し、レーダーチャートを使って改革の評価を行い班や学級で交流を行ったことは、内容や政策についての理解を深めるとともに、思考力や言語表現力を養う学習活動になった。
 レーダーチャートについては思考を可視化でき、意見交流する際の手立てとして効果的であった。

評価の理由としてあげたもの

<政治>
○間引き(捨て子)禁止令がよい。せっかく生まれてきた命を大切にすることになるから。
○倹約令や捨て子禁止令、目安箱など人々の事を考えている政策があるから。

<経済>
○新田開発がよかった。田をつくるのは大変だが、収穫量が上がるから。
○地方の藩でやったにしては多く取り組んでいる
●たくさんやっているのはいいが、あまり変っていない
●お金がないからと言って、藩札をたくさん発行するのはインフレにつながる。
●上米がだめだ。

<福祉>
○善行人の褒賞や、御救い米などを出したこと。
○囲い米などがいい。
○ききんの中、養育費の支給があるのはいい。
●養育費の支給や善行者の褒賞で余計にお金を使った。
●養育費の支給は必要ない。自分で育てるべき。

<文化>
○藩校(稽古館)をつくったのがいい。
○私塾を開設して武士の学力をあげようとしていることはいいと思う。
○●私塾をつくったことはよかった。しかし数が少ない。

≪手立ての④≫
 探究活動でまとめたプリントを参考にさせながら文章でまとめさせたが、学習を振り返らせることができ、理解の定着を図ることができた。

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資料4 探究活動の学習プリント

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資料5 学習プリント、レーダーチャート

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資料6 学習プリント、まとめ

4 成果と課題

この学習を通して以下のねらいを達成することができた。

  • 身近な地域の歴史を題材としたことで、生徒が今まで知らなかった地域の歴史を学ばせることができた。
  • 課題追求活動の中で意欲的に学習プリントでまとめをすることができた。
  • 黒田藩の藩政改革について、政治・経済・文化・福祉の4つの視点から整理し考察することができた。
  • 黒田藩が行った政策について幕府の政策と比較しながら考察し、また交流することで、黒田藩の政策に対する理解を深めることができた。
  • 学習活動を通して資料の読み取り、意見の交流、文章表現によるまとめなど、複数の言語活動を仕組むことができた。

一方で、不十分だった点は以下の点である。

  • 限られた時間の中で多くの資料を出したことにより、一部の難解な古文書資料などが(意欲的に)十分に読みこなせない生徒がいた。もっと資料の精選を行い、1つ1つの資料の読解をじっくりできるようすべきだった。
  • 地域の藩政改革の学習を通し、幕府の政治改革への理解を深めたかったが、藩政改革を通して幕政改革を見る視点を与えていなかったので、不十分であった。黒田藩の藩政改革と幕府の幕政改革の共通点や違いについて確認させるなどの活動が必要だった。
  • 農村の変化について、変化を捉える視点を明確に与えていなかったので、まとめの中に書き出させることができなかった。

自律的な学びを一層促す行政への期待

■ 中学校のある授業

 最近、ある中学校で数学の授業を見る機会があった。熱心に課題に取り組んでいる生徒も居る中で、公開授業であったにもかかわらず堂々と机に伏せて寝る生徒が少なからず居た。数学の授業のもつ課題も少なくないが、授業で平気で寝ること、もっと言えば、勉強への拒否をあからさまに示す生徒がいることにいささか驚かされた。

■ 学びの方法を学ぶ大切さ

 いつの頃からか、授業は自分が成長できる貴重な機会であること、そのために、どのようにすればこの機会を最大限に活用することができるかの意識が子どもの中から欠落してきたのではないかと感じることがある。あるいは、授業がそのような大切な機会であり、単に答えを求める場ではなく、将来の「答えのない世界での問題解決力の習得」のために「答えのある世界での問題解決をモデルとして習得」する機会で、それはどのようにすることかという学びの方法を指導する場であることを先生方も意識しなくなっているのかもしれない。

■ メタ認知とは

 「この時間は、しっかりと興味・関心のもち方、見方・考え方を学ぶ時間」だと子ども自身が自分に言い聞かせるような<もう一人の自分(メタ認知)>の働きが弱くなっていないだろうか。十分メタ認知を育成してこなかったのではないかと思える。
 メタ認知とは、自分の記憶や理解などの認知的行為をモニターしたり、コントロールする頭の中の働きといえる。実際、学習の不振に2種類ある。図がかけない、計算ができないといった直接的(認知的)原因と、いつ、どこで図をかいたり、計算をするか、といった頭の中の働き(メタ認知)が影響した原因となるものがある。したがって、後者の原因での改善には先生のメタ認知的支援が大切になる。例えば、「ここで前に習った図を使えばよいよ。」と先生が言えば、子どもは「それを早く言ってよ。」とばかりに鉛筆が進むことがある。この「図を使えば解決できる。」は子どもの方略についてのメタ認知的知識で、これが適時適所で働くことを先生が代理するメタ認知的支援を行ったといえる。
 筆者は、このメタ認知の育成には、発達的には小学校3、4年生が大切な時期だと考えている。また、メタ認知の育成にとって大切なメタ認知的知識の育成には、先生の言葉がけ(言語的行動)が大切だと考えている。というのも、先生の言語的行動が子どもに内面化され、やがては行動する自分を見つめる<もう一人の自分>として働くと考えられるからである。そのためにメタ認知を『内なる教師』とも言っている。
 それだけに、先生の頭にある教科の学びや学びの方法そのものに対してのメタ認知的知識が大切になってくる。「正しく答えてより点を取ることが大切」としか学びの課題を考えていなければ、やがて子どもの学びに対するメタ認知が「点数」だけになる。だからこそ、授業で寝て聞いていなくても点さえ取ればよいという行動のコントロールが働いたのかもしれない。
 このメタ認知の育成は、単に学習のつまずきをのり越えるための方法の習得という側面だけでなく、将来の未知で困難な課題の解決にとって大切な知的働きであるということで、シンガポールでは日本と同じような態度・思考・知識・技能の4つの教育目標に加えて、第5番目の教育目標に「メタ認知」が位置づけられている。

■ これからの子どもたちの学び

 よりよくできる子どもの特徴は、自分が知るべきことについて考え、計画的に対処し、先生から情報を与えてくれるのを待たずして自ら学習に取り組む傾向があるという。これは、頭の中に自律的な学びを進めるメタ認知がうまく働いている子どもといえる。
 このような子どもを育むには、子どもたちがこれまで体験したり、学習したりしたことを生かしながら、課題を見つけたり、自分で工夫して問題を解決したりすることができるようにすることが必要である。さらに、先生が子どもの主体的で自律的な学習活動を仕組むためのメタ認知的支援を積極的に行うことが必要になる。その結果、子ども自ら学ぶ楽しさと充実感を味わい、さらなる学びに取り組み、やがては、学んだことをもとに「提案型」の学力をもった子どもとなることが期待できる。
 このために、先生方の健全なメタ認知の育成やメタ認知的支援のあり方の研修機会が望まれる。
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デジタル教科書を使ってみませんか? -算数・数学の授業におけるICTの活用-

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1.デジタル教科書と学びの場

 2020年に向けて、教育の情報化についてまとめた「教育の情報化ビジョン」 1)が公表されています。
 そこでは、社会の情報化の急速な発展等に伴い、情報通信技術を最大限活用した21世紀にふさわしい学びと学校が求められているとして、子どもたちへの情報活用能力の育成、教科指導における情報通信技術の活用、校務の情報化などの観点から今後の教育の情報化に関する総合的な推進方策が示されています。
 教育の情報化について、世界の状況を見ると、情報化が進んでいるイギリスでは、全教室に電子黒板が設置されているといいますし、韓国やシンガポールでも普及が進んでいるといいます。韓国では、2015年をめどに、教科書のデジタル化が行われるという状況です。我が国でも、デジタル教科書やデジタル教材の開発などが本格的に進められようとしています。
 これからは、授業にデジタル教科書や電子黒板、インターネットなどICTを活用した指導を積極的に取り入れ、わかりやすく力のつく授業を展開していく授業力が求められているといえるでしょう。

(1)デジタル教科書
 いわゆるデジタル教科書とは、「デジタル機器や情報端末向けの教材のうち、既存の教科書の内容と、それを閲覧するためのソフトウェアに加え、編集、移動、追加、削除などの基本機能を備えるもの」であるとされています。デジタル教科書は、指導者用デジタル教科書と学習者用デジタル教科書の2種類に大きく分けることができます。
 現在、我が国でデジタル教科書といわれているものは、指導者用デジタル教科書で、「主に先生が電子黒板等により子どもたちに提示して指導するためのもの」であるといえます。

(2)ICTを活用した学びの場
 ICTを活用した学びの場の将来像として、教育情報ビジョンでは、具体的に

  1. 一斉授業において、ポイントとなる部分を拡大・強調したり、動画など子どもたちの興味関心を引く教材を使用して学んだりすること
  2. 個別学習において、デジタルコンテンツ等の活用により、疑問について深く調べたり、自分にあった進度で学んだり、一人一人の理解やつまずきの状況に対応した課題に沿って学びをすすめたりすること
  3. 共同学習において、情報端末や提示機器等を活用し、教室内の授業で子どもたち同士がお互いの考え方の共有や吟味を行いつつ意見交換や発表を行うことや、学校外・海外との交流授業を通じて、お互いを高め合う学びを進めること

の3つをあげています。
 授業におけるICTの活用で重要な視点として、黒板などのこれまでの教育メディアとICT機器の組み合わせによる活用があります。たとえば、電子黒板と書画カメラを使用して、児童のノートを電子黒板に拡大して提示し、電子黒板上で書き込みをさせながら発表を行うなどの活用は簡便でしかも効果的な活用方法だといえます。しかし、電子黒板上の画像は一覧性に欠け、授業の中で比較・検討し、練り上げをする場合などにはスムーズにいかない点も出てきます。このようなときに、電子黒板の画面を印刷し、黒板に掲示するなど既存の黒板との組み合わせをすれば、発表から討論へスムーズに展開できると考えられます。

2.教科指導におけるICT活用の効果

 授業でのICT活用の効果 2)については、ICTを活用して授業を行った教員の98.0%が、「関心・意欲・態度」の観点において効果を認めています。また、小学校算数の実践の結果(図1)から、ICTを活用した授業が、そうでない場合と比べ、それぞれの観点について効果が高いことが明らかになっています。

3.デジタル教科書の活用

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図1 算数における客観テストの結果

 『小学算数』の教師用指導書には、デジタル教科書が添付されています。このデジタル教科書は、CD-ROMをパソコンにセットするだけで使用できるようになっています。デジタル教科書を活用すれば、次のような「ICTを活用した学びの場」を子どもたちに提供することが可能です。

  1. 教科書を拡大して提示し、学習課題やポイントとなる図、グラフ、用語などを強調する。
  2. 画面に直接書き込みをして、作図や計算のしかたなどを確実に理解させる。
  3. デジタル教科書の「資料活用」機能で準備されている動画などのコンテンツを活用することで、わかりやすい授業を展開する。(教科書のroot_no7_03マークの箇所には、コンテンツが用意されています。)

 デジタル教科書を効果的に活用して、わかる授業、深める授業を展開していきたいものです。

【参考引用文献】
1) 文部科学省「教育の情報化ビジョン」H23.4
2) 財団法人 コンピュータ教育開発センター「ICTを活用した授業の効果等の調査 報告書」H20.3


悲愁-大和十津川郷から北海道の新十津川へ

明治22年の山津波

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 日本は、東北太平洋沿岸の津波に次いで、集中豪雨による奈良県十津川の孤立等々、自然の猛威にさらされています。自然の怒りは、日本のみならず世界各地にみられることで、自然を収奪し破壊することで文明を謳歌してきた人間の営みに対する裁きともいえましょう。
 このような災害や凶荒で生きる場を失った人々は、新たな生きる場をもとめ、新天地に移住し、厳しい自然と向き合うことで新しい世界を切り開いております。北海道の大地にはそのような移住者の手になる世界がみられます。北海道樺戸郡新十津川町は、十津川村を母村とし、今回の災害にいち早く村の職員を派遣し、救援活動にあたりました。
 新十津川は、明治22年8月18日未明から20日にかけての未曾有の風雨で山崩れ、山津波に襲われた大和十津川郷の人々が集団移住をして築いた町です。その様は、東京にいる郷土の出身者に救援を求めた次の一文にうかがえます。

雨最も甚だしく、加ふるに電閃雷吼山崩川漲人民或は埋没、或は流亡し老幼は屋上に在りつつ狂浪に捲去れて暗中頻に救援を呼ぶあり。(略)
二十日雨晴るるも河腹尤も肥満し或は後山避けて前山を圧倒し為めに河脈を変ずる処あり。十津川沿岸の聚落毫も旧観を存する所なきに至れり。

 その被害は、十津川郷六か村の戸数2403戸、人口1万2862人、田235町5反、畑596町2反であったが、死者168人、負傷者20人、全壊・流失家屋426戸、半壊家屋148戸、耕地の埋没流失226町8反にのぼり、水田の50パーセント、畑の20パーセントが流亡しました。山林の被害も甚大でした。ここに十津川郷の住民3000人が郷里で生活を再建することが困難な事態となったのです。

北海道移住-新十津川物語の世界

 十津川郷は、太平記が「鳥も通わぬ十津川の里」と記したように、高野山の麓、吉野の奥にある山岳重畳の僻地にあり、南北朝の争乱で護良親王を擁し、南朝後醍醐天皇のために戦った「南朝遺臣」の里たる自負をもって生きてきた村で、勅免地として租税が免除されており、京都での禁裏警備を任としていました。そのため十津川郷士は、明治維新においては尊皇攘夷をかかげ討幕の先駆けたらんと、天誅組に加担し、大和の五条代官所、高取城の攻撃などに参加しました。
 この尊皇愛国の念は、ロシアに対する北方防備の任たる「北門の鎖鑰」を担う者に相応しいとみなされ、永山武四郎北海道庁長官の勧めを受け、北海道に新十津川の創立をうながします。600戸、2489人(移住願は2691人)の移住民は、3回にわかれて郷里を出発し、明治22年10月末から11月初めにかけて順次小樽港に入港、滝川の屯田兵屋で越冬し、滝川で屯田兵に応募した95戸を残し、537戸2230人が23年6月に徳富川流域のトック原野に入地しました。7月には第2次移住者として40戸172人がソッチに入植します。ここにいたるまでの道程は、22年11月から翌23年7月までに96名が死亡しているように、「大和に移住民空知の肥だよ」と囚人が橇引き音頭で歌ったほどに悲酸をきわめたものでした。
 この悲惨な開拓の日々を支えたのは、22年10月18日の第1回移民出発の日に明治天皇が就産資金を下賜するとの特旨を知らされ、「南朝遺臣」につらなる「恩賜の村」たる思いでした。その思いは新しい村づくりにむけた移民誓約書に読みとることができます。

今般我々人民北海道へ移住するもの僅々六百戸に対し、政府より保護を受くるの金額実に十七万五千七百余円の巨額に上ほり、殊に我郷民北海道へ移住の事 聖聴に達するや特旨を以て就産資金若干円を下賜せらる、実に感泣に堪へさるなり、 聖恩の優渥なる政府保護の深厚なる我郷未た曾てあらさるなり、 聖恩斯の如く優渥政府の保護斯の如く深厚なる所以のもの抑も何等に依りて然るか、是固より地方官の具状と要路顕官諸賢の翼賛に依ると雖も又我祖先先輩の遺徳余光にあらずして何そや、即ち我十津川郷民は忠君愛国の情に富み勇敢忍耐の徳を備へ其名声夙に世評に籍々たるを以て証するに足る(略)
若し万一我移住民か因循姑息に流れ、保護の旨趣に違ふ事ありては上政府に対し下我々先祖先輩の遺徳に対し何の面目あつて世に立つへけんや

 入植五年目の明治27年には、移民自作の馬鈴薯を天皇に献上し、黒田清隆、松方正義、三条実美、山県有朋、西郷従道、谷干城らの政府要人にも贈り、移住における手厚い配慮への謝意を表します。「南朝遺臣」につらなる「忠君愛国」の念こそは、北の大地で生きる者の心を支え、新十津川を実現せしめたものにほかなりません。
 この新十津川誕生をめぐる記憶の根は、十津川町の開拓記念館に忠臣楠木正成の家紋である菊水の旗指物を展示し、菊水公園を造成しているなかもうかがえます。「故郷の残夢」なる詩は、十津川を旅立ってからの道程を詠ったもので、「夢な忘れそわらはべよ 家を富すも君の為め 家を富まして大君の 深きめぐみに報はなん 夢な忘れそわらはべよ 村を富すも君の為め 村を富して大君の 深き恵みに報はなん」とむすび、「恩賜の村」なる誉れに生きんとの思いを吐露しております。まさに困苦に生きねばならなかった移住者は、大君の恩愛にすがることで、己の生きている場を確認したのです。
 ここに生きた人びとの苦闘は、両親を失い、姉とも別れた9歳の少女津田フキの生涯に重ねて描いた川村たはし『新十津川物語』全10巻(偕成社 昭和53-63年)に読みとれます。この物語は、NHKの大河ドラマで放映され、町の新十津川物語記念館で追体験することができます。

災害を受けとめて

 北海道は、十津川のみならず、多くの被災地からの移住者によって開拓されてきました。上川郡愛別村には、明治28年に連年の水害と震災から逃れて岐阜団体55戸、明治24年の濃尾大震災の被災者からなる愛知団体が入植。41・2年には、山梨県下の水害罹災者400戸が倶知安村と弁辺村(現豊浦町)に入りました。まさに北の大地北海道は、日露戦争後の東北凶荒、大正12年の関東大震災、米軍の都市爆撃による被災者等々、災害と戦災で生活の場を破壊された者の逃れ場でした。国家は、暮らしの拠点を奪われた人びとを北の大地に送りこむことで、開拓の捨石としたのです。このような国家の施策は現在も続いております。
 まさに新十津川誕生の物語は、「恩賜」という光被で語られているものの、「空知の肥」と囃されたように、北の大地にたどり着いた流亡の民が眼にした世界と変わりがありませんでした。それだけに「恩賜」という幻影に酔わねばならなかったのです。

「新十津川町開拓記念館」紹介ページico_link
「新十津川物語記念館」紹介ページico_link
※共に北海道新十津川町ホームページ内

参考文献

  • 『移住九十周年の回想』(新十津川望郷会東京支部 昭和55年)
  • 『新十津川百年史』(新十津川町 平成3年)


「七宝桐文引手」

象嵌七宝/桃山時代

象嵌七宝/桃山時代

 「七宝」とは、古い仏教の教典にも見られる言葉で、もとはその名の通り七つの宝や宝石を指していたと考えられています。この言葉に由来する七宝は、宝石に並ぶほど美しいもの、あるいは宝石の代わりとして作られたものです。一般的には金属の表面にガラス質の釉薬を焼き付けたもので、その繊細な細工と鮮やかな色彩は、輝く宝石と同じように愛されてきました。日本には中国から朝鮮を経由して伝わったとされ、正倉院の宝物にも見られます。
 技法としては、器胎(金属の素地)の表面に金属の線を付け、作りたい模様の輪郭を作り、ガラス釉どうしが混ざらないようにした有線七宝、また金属線を取り除いてから焼き付ける無線七宝とに分かれます。有線七宝は模様の境界線がはっきり表れるのに対し、無線七宝は釉薬の混ざり合った部分が微妙な色になり、やわらかい印象を作り出します。また本作品に用いられる象嵌七宝という技法は、器胎そのものをあらかじめ表現したい模様に形作っておき、凹部分にガラス釉を施す技法です。
 日本では、桃山時代から江戸時代にかけて城郭や書院建築の造営が盛んに行われ、七宝は襖などの引手や、柱や長押(なげし)の釘の頭を覆う釘隠(くぎかくし)などとして数多く作られました。建築金具には、草花をモチーフにした模様や形が多く見られ、華やかな空間を演出していました。
 この桐文引手もそうした建築金具の一つです。葉の先を白でぼかした透明感のある青い葉には虫食いや水滴が表され、花の先には濃いピンク色が施されて、明快な色彩と写実的な表現がみどころとなっています。
 普段は気にかけないような、ちょっとしたところにも美を楽しんできた日本の伝統を今に伝える、まさに小さな「宝」といえるでしょう。

(細見美術館 学芸部 福井麻純)

■細見美術館ico_link

  • 所在地 京都市左京区岡崎最勝寺町6-3
  • TEL 075-752-5555
  • 休館日 月曜日

<展覧会情報>

  • 「京都国立博物館所蔵 典雅なる御装束-宮廷のオートクチュール-」
  • 2011年10月1日(土)~11月27日(日)

展覧会概要

  • 宮中の儀式に用いられる様々な御料は、千年以上もの歴史に培われた有職の伝統に則り、技術と美意識の粋を集めて調製されるものです。それらは国内において最も格式の高い服飾儀礼を象徴するだけでなく、近代においては国際的な儀典の場面でも用いられ、海外の文化をも摂取して独自のスタイルを築きあげてきました。
    本展では、京都国立博物館所蔵の有栖川宮家・秩父宮家の各宮家ご所用の装束をはじめとする公家服飾の数々をとおして、我が国固有の伝統文化をご紹介します。
    ※会期中、展示替えがあります。詳しくはお問い合わせください。

<次回展覧会予定>

  • 「華麗なる京蒔絵 -三井家と象彦漆器-」
  • 2011年12月3日(土)~2012年1月29日(日)

その他、詳細は細見美術館Webサイトico_linkでご覧ください。