新島襄の初心【大河を読み解くシリーズ1】

「八重の櫻」は何を問いかけたいのでしょうか

新島襄<国立国会図書館ホームページより転載>

新島襄<国立国会図書館ホームページより転載>

 昨今話題の大河ドラマ「八重の櫻」は、戊辰内乱における会津城攻防で奮戦した女性、山本八重を主人公したもので、3・11の東北大震災から立ちあがろうとしている東北への応援歌、会津落城の悲運を乗り越え、新時代に飛翔していく精神のありかを八重の生き方を問うことでさぐり、現在何が求められているかを照射しようとの思いが託されているようです。NHKは、「八重の櫻」のみならず、「日本人は何を考えてきたのか」なる番組においても、強く「東北」にひきよせた目で現在問われている課題を提示しようとしております。ここには、その短絡的にしていささか強引な番組づくりはさておき、東北再生に日本の明日を思い描き、その原点に精神の賦活をうながす魂の拠り所を求めたいとの強き想いが読みとれます。「八重の櫻」は何を現代に問いかけようとしているのでしょうか。会津士魂なるものの原点にある「ならぬ事はならぬものです」と語り聞かされてきた世界こそは、よるべき精神の在りかを忘失したかに見える現在の教育に対するかなめ石とみなし、世間の風浪に立ち向かえる強き心を担いうるものとのメッセージを提示したいのでしょうか。
 私は、山本八重-同志社の創立者新島襄の妻なる女性が巷の話題となり、その相貌が日本のジャンヌダルクなる物語として語り出されたのを目にした時、強い違和感に囚われた一人です。八重を「会津士魂」に引き寄せて語るのではなく、夫新島襄が説き聞かせた世界と重ね、襄が日本に寄せた世界に八重の生き方を読み解くことを期待したことによります。

時代人心に寄せる新島襄の想い

 上州安中藩(現群馬県安中市)江戸詰家臣新島襄(幼名七五三太〔しめた〕)、アメリカにおいてキリスト者となりヨセフの物語をふまえ襄)は、ペリー来航によって生まれた嘉永癸丑(嘉永6、1853年)からの危機の時代、神州の明日に想いを馳せ、欧米列強の植民地にされるのではないかとの激しい攘夷の志にうながされてアメリカに密出国した青年です。青年の心には尊皇なる義に身を捧げた楠正成を追慕する心がありました。
 新島が湊川の正成の廟に詣でたのは、文久2(1862)年12月、備中(現岡山県)高梁藩の船で訓練中、兵庫に入港した際です。湊川の楠公廟に立った新島は、「手洗い口そそぎ、廟前に拝すれば、何と無く古を思い起し、嗚呼忠臣楠氏之墓と記したるを詠みて一拝し、又詠みて一拝、墓後に廻り朱氏の文を読めば益感じ涙流さぬ計り」と感きわまり、「寒風吹来」るなかで、己のこころを「幾とせも尽ぬ香を吹きよせて袖にみたす松の下風」という歌にたくし「吐出」しております。まさに楠公によせる強き思いは、終の棲家となった京都の自宅書斎(京都御所の側、上京区寺町通り)にその拓本「嗚呼忠臣楠氏之墓」の銘文をかかげているなかに読みとれます。この日の感奮こそは心の原点となったものです。この兵庫では、湊川の帰路に平清盛の墓を一見しますが、「甚大なる者なれ共、一拝する気はなかりけり」と、平氏を天皇に背いたものと冷たく見放しています。ここには、頼山陽の『日本外史』が説き聞かせた尊皇の国日本という国のかたちによりそうことで、己の立つ場を確かめる青年の姿がうかがえます。
 新島は、嘉永癸丑以来の危機に対処するためにも、日本を脅かす「夷狄」たる欧米列強を知ること、夷情探索が急務との想いにうながされ、米国行きを決意、函館でその機会をうかがいます。開港場函館の地でロシア領事館が経営する病院の親切な対応に「函館の人民」の心が引き寄せられている状況を見聞した新島は「予切に嘆ず、函館の人民多年魯(ロシア)の恵救を得ば、我か政府を背に却て汲々として魯人を仰かん事を」との強い危機感にとらわれます。その想いは、堤防の小さい穴がやがて決壊して田地人家を流出させるように、「嗚呼我政府早く函館の少しく欠けし堤を収めされば、遂に魯国の水全堤を潰し、人民水に順い流れ、百万其れ塞ぐ能わさるに至らん(嗚呼我の嘆息はゴマメの切歯と同じ事か)」と、ロシアの植民地となるのではないかとの強い危機感でした。この危機感こそは、新しい国のかたちを求め、密出国をさせ、船中で聖書の神に出会い、米国における精神の覚醒に途を開き、キリスト者たる己の場を確かなものとし、新島襄、日本を導くヨセフたらんと決意した新島襄を誕生させたものにほかなりません。

一国を維持する者とは

 帰国した新島襄は、日本にキリスト教主義の大学を創設し、新生日本を担うにたる人物の育成をめざします。この教育への志は、政府が富国強兵をささえる人間を求めたのに対し、国家の富強が人民の道義力にあるとの思いにほかなりません。「同志社大学設立の旨意」(明治21年11月)は一国を維持する上で何が求められているかを次のように問いかけています。

一国を維持するは決して二三英雄の力に非ず、実に一国を組織する教育あり、智識あり、品行ある人民の力に拠らざる可からず、是等の人民は一国の良心とも謂う可き人々なり、而して吾人は即ち此の一国の良心とも謂う可き人々を養成せんと欲す、吾人が目的とする所実に斯くの如し、諺に曰く、一年の謀ごとは穀を植ゆるに在り、十年の謀ごとは木を植ゆるに在り、百年の謀ごとは人を植ゆるに在りと、

 このように問いかける新島は、明治23年の国会開設を前に、「立憲政体を維持するは智識あり、品行あり、自から立ち、自から治むるの人民たらざれば能はず」と、立憲政体が地に根ざすために求められる「人民」像、市民の在り方を説き聞かせています。この「智識あり、品行あり、自から立ち、自から治むるの人民」への期待、この新島の激しき思いは現在実現しているでしょうか。この問いかけに心すれば、昨今聞く「教育再生」とか「美しい国日本」なる言説には、「一国の良心とも謂う可き人々」への目がないだけに、その空虚さのみがめだちます。
 「八重の櫻」は、ここに紹介した夫新島襄の問いかけを八重がいかに受けとめていたか、この視点から八重の激しき生き方を検証してみたらどうでしょうか。「ならぬ事はならぬものです」という世界は、新島が国のかたちの原器を担うとした精神の在り方を場に問い質したとき、明日を生き得る精神の糧を可能にするのではないでしょうか。その際、前回述べた新渡戸稲造が説いた垂直的な思考をする目と重ねて世界を読み解くとき、新島の智識、品行、自立、自治を可能とする私の場が確かなものとなるのではないでしょうか。

参考リンク

参考文献

  • 大濱徹也『天皇と日本の近代』同成社 2010年


「その子らしさ」の図画工作・美術

ライトテーブルの上に黒い色砂を乗せてお絵かき

ライトテーブルの上に黒い色砂を乗せてお絵かき

 私は「図画工作・美術は多くの子が『その子らしく』なれる時間だ。その意味で教育課程上、必要だ」と思っています。そう思うようになったきっかけは、私の若いころの失敗にあります(※1)。

 新採用として赴任した中学校でのことです。私は、中学校1年生の学級担任を受け持ちました。でも、生徒とうまくいきませんでした。今思えば「自分は先生だ」という意識が過剰だったのでしょう。思春期の敏感な生徒たちはそれを見透かしていたのです。クラスの中でいろいろな問題が起きましたが、解決できないことがほとんどでした。教育現場はテレビドラマではありません。武田鉄矢のように生徒に話をしただけで収まるはずはないのです。後から聞かされたのですが、当時、親から「担任を変えてほしい」と学校長に申し入れがあったそうです。いやはや、相当ひどかったのでしょう。
 2年目もそういう状態が続いていました。そんなときのことです。ある日、職員室にいると、後ろから先輩の先生が本をそっと差し出してくれました。「奥村先生、これ読んでご覧」。題名を見ると、「先生と生徒の人間関係」(※2)。正直「う~ん、うさんくさい題名だな」と思いました。でも開いてみると、人と人の対話の意味を心理学的な視点から真面目に解説している本でした。
 例えば、「まず『ふ~ん』と頷きましょう。次に相手の言った言葉をオウム返ししなさい。それは相手を認めることになるのです」、あるいは「人は『全体』を褒めてもうれしくないが、『部分』は喜ぶ」などのようなことが書いてありました。
 何か腑に落ちたような気がしました。なぜなら、私はそれまで常に自分の主張を生徒に伝えることばかり考えていたし、常に「全体」から「個」を見ていたような気がしたからです。
 そこで、これを美術の時間に応用してみることにしました。生徒が絵を持ってきます。全体的な評価や「もっと塗り重ねなさい」などの言葉を飲み込みました。そして「部分」を指さして「ここは?」と聞いてみました。
 生徒「ここは、こう塗って…」
 先生「ふ~ん、こう塗ったんだ」
 生徒「それで、こうして…」
 先生「なるほどねぇ」
 生徒「うまくはいかなかったけど、こういう感じを出したくて…」
 反抗盛りの中学生が面白いように話してくれました。まるで魔法のようでした。そして、この出来事をきっかけに、私と生徒の人間関係は著しく改善していきました。3年目、「担任を変えてほしい」と言っていた親が、卒業式の時「あなたが先生でよかった」と言ってくれました。
 今思えば「その子の気持ちや考えを受け入れ、そこから指導を考える」という学校教育では当たり前のことです。ただ、私の場合、それを初めて実感できたのが子どもの作品との対話だったのです。
 「自分の評価はいったん脇に置く。子どもの作品から、その子が何を感じ、何を考えているかをとらえる。その子が表した何かを認める。それは先生と子どもの人間関係も構築する。」そう思いました。

 この出来事が私の美術教育の原点です。それ以来「子どもの作品には、その子の思いや考えがつまっている。形や色、表し方などに『その子らしさ』が現れている」と考えるようになりました。そうであれば、子どもの作品を「指導したことができたか、できないか」という視線だけで見てはいけないでしょう。少しでも、「その子らしさ」が現れる授業をした方がいいでしょう。でも「言うは易く行うは難し」。今も四苦八苦、反省ばかりの毎日です。次回はもう少し、失敗談を続けてみたいと思います。

※1:「昔話や昔の名前で生きるのはやめよう」と思っているですが、ご容赦下さい。
※2:ハイム・G・ギノットの「先生と生徒の人間関係~先生と親に自信を与える本」(サイマル出版、1983年)


「きょう土を開く」 ~最上堰をつくった人々の思いを考えよう~(第4学年)

※本実践は平成20年度版学習指導要領に基づく実践です。

1.単元名

「きょう土を開く」 ~最上堰をつくった人々の思いを考えよう~

2.目 標

○最上堰開削に力を尽くした先人の働きについて理解できるようにし,地域社会に対する誇りと愛情を育てるようにする。

○最上堰開削に力を尽くした先人の具体的事例を調べることを通して,地図や各種の具体的資料を効果的に活用し,社会的事象の特色や相互の関連などについて考える力,調べたことや考えたことを表現する力を育てるようにする。

3.評価規準

○社会的事象への関心・意欲・態度
 最上堰開削に力を尽くした柏倉文四郎と安孫子兼治郎の働きに関心をもち,意欲的に調べようとする。

○社会的な思考・判断・表現
 柏倉文四郎と安孫子兼治郎の働きを,地理的環境や歴史的背景,地域の人々の生活の向上と関連づけて考え,自分の言葉で表現している。

○観察・資料活用の技能
 課題を解決するために,最上堰を見学したり,開削の目的や方法等について資料をつぶさに見たりして必要な情報を集めて読み取るとともに,わかったことや考えたことを新聞にわかりやすくまとめることができる。

○社会的事象についての知識・理解
 中山町の人々の生活の向上が,柏倉文四郎や安孫子兼治郎の働きや苦心によるものであることがわかる。

4.本単元の指導にあたって

 最上堰は,今から124年前,明治21年の4月2日に起工し,8ヵ月後に完成した。大江町の最上川から取水し,中郷と平塩,さらに中山町の岡・土橋・柳沢・金沢・向新田を貫流し,落合で須川に注ぐ。全長23kmで,約710ヘクタール余りを灌漑する堰である。
 最上堰が完成する前は水不足で悩んでおり,長崎村の柏倉文四郎は,17歳の時から最上堰開削を思い立ち,その信念を持ち続けていた。文四郎が30歳の時に記録的な旱魃があり,雨のない日が100日を過ぎた。未曾有の惨状を見て最上川分水工事を力説したが,先人の失敗から,賛同する者はいなかった。一方,中郷生まれの安孫子兼治郎も県へ工事着手を要請し,工事実施の費用を捻出した。これによりようやく県議会も動き出し,郡長が管理者となり水利土功会を発足,二人は工事係を命じられた。最上堰の完成により,天水依存でなく200年間万人が望んでいたこの地に命の水をもたらし,荒廃地が美田と変わった。最上堰は,先人の開削に対する願いや開削の際の苦労や努力などをとらえさせ,地域社会の発展を願う態度を育成する上で適切な学習材であると考える。
 本単元では,子どもが抱いた疑問をもとに単元を展開していく。「どうしてこんなに遠い大江町から取水したのか?」の疑問については,最上堰の経路となる中山町や寒河江市,大江町の地図をつぶさに見せ,土地の高さを最上堰の経路と関連づけて考えさせることで,高低差に気づかせる。また,「どのようにしてつくったのか?」の疑問については,当時使った道具などで実際に体験する活動を仕組み,その体験をトンネルで見たことと関連づけて考えさせることで,実感を伴った理解を図る。さらに,「だれが,どんな目的でつくったのか?」の疑問については,昔の人々の生活を,ため池や旱魃の様子と関連づけて考えさせる。
 単元の終末では,先人の生き方から学んだことや,今後の自分の生き方について考えたことをまとめさせる。先人の努力が今の自分のくらしにつながっていることを学んだ上で,自分の生き方について振り返るきっかけにする。

5.単元の指導計画

学習のねらい

子どもの活動と内容

評価規準の具体例

・用水路の水がどこから流れて来るのか関心を持たせる。

田んぼの水は,どこから来るのだろう。

・田んぼの水がどこから来るのか,進んで予想しようとする。(関心・意欲・態度)

・自分の生活経験をもとに,田んぼの水がどこから来るのか,自分の考えを書く。
・自分の考えを出し合って考える。
・最後にもう一度自分の考えを書く。





・用水路を途中まで逆に辿らせることで,水がどこから来ているのか,疑問を持たせる。

田んぼの水は,どこから来るのだろう。

・里芋畑の隣の田んぼの水がどこから来るのか,進んで調べようとする。(関心・意欲・態度)

・用水路を逆に辿っていく。
・近くの最上川から来ているのではないことに気づく。
・太い水路(最上堰)につながっていることに気づく。
・太い水路(最上堰)はどこにつながっているのか考え,改めて自分の考えを書く。





・用水路(最上堰)を逆に辿り,取水口まで行くことで,新たな疑問を持たせる。

田んぼの水は,どこから来るのだろう。

・最上堰を進んで見学し,自分なりの疑問を考えようとする。(関心・意欲・態度)

・町のバスに乗り,用水路(最上堰)を逆に辿っていく。
・トンネル部分を実際に歩き,昔の手で彫った跡を見る。
・大江町の最上川につながっていることに気づく。
・体験を通して気づいたことや疑問に思ったことを書く。

・わざわざ遠くの大江町から取水したのは,土地の高低差が関係していたことに気づかせる。

なぜ,わざわざ大江町の最上川から取水したのか考えよう。

・土地の高さを,最上堰の経路と関連づけて考えることで,高低差を利用して最上堰を作るために,わざわざ大江町の最上川から取水しなければならなかったことに気づき,考えたことを自分の言葉で表現している。(思考・判断・表現)

・最上堰の経路と土地の高さが載っている地図を見て考える。
・自分達が用水路を逆に辿った経路を地図上でなぞってみる。
・土地の高低を表す数字に目をつけて考える。

・もっこで砂を運ぶ体験を通して,昔の人達が手作業で堰を作ることが,いかに大変であったかを実感させる。

昔の人達は,最上堰をつくる時に,どんな苦労をしたのだろう。

・体験を,トンネルで見たことと関連づけて考えることで,最上堰をつくった人々の苦労に気づき,考えたことを自分の言葉で表現している。(思考・判断・表現)

・昔の人達が使った道具(のみ,木槌,もっこ,つるはし,くわ,じょれん)を実際に持ったり使ったりする。
・その体験を,トンネルで見たことと関連づけて考える。

10
本時

・昔の人達が生きていくためには,水が欠かせなかったことに気づかせる。

昔の人達は,機械がなくて大変なのに,なぜ最上堰を作ろうと思ったのだろう。

・昔の人達の生活を,ため池やかんばつの様子と関連づけて考えることで,生きるためには水が欠かせなかったことに気づき,考えたことを自分の言葉で表現している。(思考・判断・表現)

・かんばつが江戸時代から何度も繰り返しあったことがわかる年表と,当時のため池と田んぼの様子がわかる地図をもとに考える。
・昔の人達の生活を,ため池やかんばつの様子と関連づけて考える。

11

・多くの困難にぶつかりながらも,なんとか村人のために最上堰を作ろうと努力した2人の強い思いに気づかせる。

文四郎さんと兼治郎さんは,どんな思いで最上堰を作ったのだろう。

・年表から文四郎と兼治郎が多くの困難にぶつかりながらも,村人のために最上堰を作ろうと努力した2人の強い思いに気づくことができる。(観察・資料活用の技能)

・17歳の時に最上堰開削を思い立ち,約30年後に完成させた文四郎のことや,飢えに苦しむ中郷村の人々を見てきた兼治郎こと,大かんばつの様子等がわかる年表をもとに,文四郎と兼治郎の苦労と強い思いについて考える。

12

・最上堰が完成したことで村人(中山町)の生活が向上したことに気づかせる。

最上堰ができてから,人々の生活はどのように変わったのだろう。

・資料から,最上堰完成後の様子を読み取り,人々の生活が向上したことに気づくことができる。(観察・資料活用の技能)

・最上堰完成前と完成後の田んぼの面積,米の取れ高がわかる資料をもとに考える。
・現在の中山町の整備された田んぼの航空写真を見て考える。

13

・2人の生き方から学んだことをもとに,自分自身の生き方について考えさせる。

文四郎さんと兼治郎さんの生き方から学んだことを考えよう。

・先人の生き方から学んだこと,今後の自分の生き方について考えたこと等をわかりやすくまとめることができる。(観察・資料活用の技能)

・文四郎や兼治郎さんの,「みんなの役に立ちたい」という考えや,自分が思ったことを最後まであきらめないでやり遂げる姿などから,自分の生き方について考えたことを書く。

6.本時の学習

①目 標
 昔の人々の生活を,ため池やかんばつの様子と関連づけて考えることで,人々が水不足によって米が取れず生活が苦しかったことや,生きるためには水が欠かせなかったことに気づき,考えたことを自分の言葉で表現している。(社会的な思考・判断・表現)

②学習展開

主な学習活動・内容

指導の工夫と教師の支援

資料

1.前時の友達の振り返りを聞き,課題をつかむ。

・前時のK子の振り返りを取り上げ,今日はその疑問を解決していくことを告げる。


昔の人達は,機械がなくて大変なのに,なぜ最上堰を作ろうと思ったのだろう。

2.自分の考えを書く。

・考えの根拠にさせるため,はじめに資料を提示する。

〔資料1〕
かんばつが江戸時代から何度も繰り返しあったことがわかる年表
〔資料2〕
当時のため池と田んぼの様子がわかる地図


3.話し合う。
・田んぼに水をひくために必要だったからだと思います。昔は近くの最上川から水を引くことができなかったから,田んぼに引く水が足りなかったのだと思います。だから手作業で大変な思いをしてまでもつくったのだと思います。
・昔は雨水をため池にためて使っていたから,雨が降らないと水が足りなくなって米が取れなかったのだと思います。だから作ろうと思ったのだと思います。
・水あらそいが起きたと書いてあるので,米を作るためにはどうしてもたくさんの水が必要だったのだと思います。生きていくためには絶対水が必要だったから最上堰を作ろうと思ったのだと思います。

・子どもの思考が深まるように,目標に向かうような第一発話者を選んで指名する。
・当時の人々の生活や思いが浮き彫りになるような問い返しをして考えさせていく。

4.課題についてもう一度自分の考えを書いて,振り返りをする。

 


昔の人達にとっては,生きていくために水がとても大切なものであることがわかった。昔はため池の水に頼っていたから,雨が降らない日が続くと干上がってしまい,田んぼに水を引くことができず,米が取れなかったのだと思う。そうなると食べ物がなくなって生きていけなくなるから,必死で水を田んぼに引こうとして水あらそいが起きたのだと思う。「毎年米が取れて安心して生活できるようになりたい。」という願いから,最上堰を作ろうと思ったのだと思う。

生き方のモデルは長嶋か野村か

icon_pdf_small「日文の教育情報 No.122」PDFダウンロード(327KB)

■ なぜ長嶋学をはじめたか

 私は2003年から大学のゼミで「長嶋学」を立ち上げ研究してきた。今年度その最後の仕上げとして、長嶋と野村の比較を調査した。
 その成果の一端を紹介する。
 長嶋学をはじめたきっかけは、長嶋の生き方が日本人の生き方のモデルになりうるか、を確かめたかったことである。
 戦後の日本人を勇気づけた人は力道山であり、美空ひばりであり、石原裕次郎であり、そして最近亡くなられた大鵬であり、長嶋茂雄である。
 日本人、とりわけ青少年に夢と希望を与え続けた長嶋茂雄を今の青少年達はどう評価しているか、を調べようとした。そのことによって、長嶋が青少年の生き方のモデルになっているか、確かめられると思った。

■ 長嶋VS野村調査で何が分かったか

 長嶋に関する調査は2003年、病気をした後の2008年、そして今回の2012年の三回行った。
 長嶋と野村の対比をトコトン調べた。調査対象は大学生775名である。調査方法は次のような形をとっている。
 長嶋VS野村―どちらが尊敬されているかと尋ね、具体的には①○○記念館を建てるなら、②たたえて銅像を建てるなら、③国民栄誉賞を与えるなら、④教科書に載せるなら、どちらを選ぶか答えさせる。
 「尊敬」では記念館、銅像、国民栄誉賞、教科書のどれにおいても長嶋を選択する者が8割を占める。野村がまさったのは「人生相談をするなら」(53.5%)「仕事の相談をするなら」(51.3%)であった。
 「どんな職業に向いているか」でも同じ結果になっている。
 長嶋に向いている職業は「小学校の校長」(81.1%)、「生徒会長」(75.5%)、「校長」(69.1%)である。一方、野村に向いているのは「仕分け人」(65.0%)、「高校の教師」(77.0%)、「社長」(63.8%)である。
 その他、「どちらが弱者を勇気づけるか」でも長嶋に軍配があがる。例えば、病気と闘っている人に「私と一緒に希望を持って闘いましょう」という電話ボイスで効き目があるのはどちらか、と尋ねている。

■ 長嶋海洋民族、野村農耕民族を引き継ぐ

 このように学生は具体的な問題に対する対比では野村より長嶋を支持している。
 ところが、長嶋、野村はスターですか、長嶋、野村は好きですか、という質問では興味深い結果が出る。
 「長嶋が好き」は84.0%、「野村が好き」は78.3%。野村もけっこう好かれている。そして、「長嶋がスター」は96.2%、「野村がスター」は67.4%。長嶋ほどではないが、野村も7割近くにスターと思われている。長嶋と共に野村も学生から好かれており、スターだと思われている。
 そこで、長嶋と野村の「両者が好きな」群と長嶋は好きだが野村は嫌い「長嶋大好き」群、長嶋は嫌いだが野村好きな「野村大好き」群、そして両方とも好きでない「無関心」群に分けてみた。
 数値は次のようになる。「両者が好き」73.1%、「長嶋大好き」11.3%、「野村大好き」5.2%、「無関心」10.4%。長嶋と野村が好きな者が7割を超えたのは意外であった。
 長嶋は「ひまわり」で記憶の人といわれる。野村は「月見草」で記録の人といわれる。
 長嶋は海洋民族のDNAを引き継いでいる。漁師は、「明日」ではなく「今」に生きる。そして、漁場の穴場は記録に残さない。息子に「あの山とあの山の」間に網を打て、と口伝で伝える。記録に残すと他人に穴場が伝わる危険性がある。
 長嶋の打撃指導は「来た球をバシーと打て」と身振り手振りのパフォーマンスで伝授する。口より身体で伝えようとする。ビデオより「生」(ライブ)を重要視する。
 それに対して、野村は農耕民族のDNAを引き継いでいる。「今」より「明日」を考えて生活する。春には種を蒔き秋に収穫する。あの畑は輪作は無理だ、という「記録」を残す。
 野村の指導は「ID野球」と呼ばれる。データを重要視する。ボールカウントにこだわる。打者とピッチャーの相性にこだわる。常に記録を頭に置いて作戦を練る。
 45才以上の人達は、たぶん長嶋派と野村派に分かれるだろう。今の学生達は具体的な評価は別にして、生き方をトータルに見たとき、長嶋派と野村派は共存する。
 メディア社会を生き抜いてきた学生達は多次元の価値を併存させている。というより、どちらもOKで共存・共有させている、というのが実情のようだ。新しい若者が出現しはじめている。

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よりよき人生

(c) Wild Bunch 2011

(c) Wild Bunch 2011

 日本の政権交代で、公共事業がますます膨れあがる。これで経済復興が出来るとは思えないし、ますます貧富の差が出来るように思う。会社も個人も、いくらかは借金しやすい状況になるかも知れないが、これで経済復興、インフレ解消になるとも思えない。
 フランス・カナダ合作の映画「よりよき人生」(パンドラ配給)を見ながら、フランスでも、貧しい人が借金を重ねると、とんでもない目にあうのだなあ、と痛感した。

(c)Jean-Claude Moireau

(c)Jean-Claude Moireau

 調理人のヤン(ギョーム・カネ)は、シェフの職を求めて、レストランの面接に行く。体よく断られるが、そこでウェイトレスをしているナディア(レイラ・ベクティ)と知り合い、さっそくデートに誘う。結果、うまく事が運ぶが、朝、目覚めると、ヤンは、ナディアには9歳になる男の子スリマンがいることを知る。スリマンは、レバノン人との間にできた子供で、ナディアはシングルマザーであることが分かる。
 ヤンは、心優しい青年で、スリマンともすぐに仲良しになる。ある日、三人は、ピクニックに出かけた湖畔で、すてきな廃屋を見つける。ここにレストランを開業すればうまくいくのでは…。ヤンは開業資金を捻出するために奔走する。
 ヤンは、あちこちから借金を重ねるが、消防署の認可がおりず、レストランの開業は困難を極める。辛い現実がのし掛かる。やむを得ず、ナディアはカナダでの職を選び、単身、出かけてしまう。パリ近郊、サン=ドニの町に取り残されたヤンとスリマンの二人暮らしが始まる。やがて、ナディアとの連絡が途絶え、音信不通になってしまう。
 ざっとのあらすじから窺えるのは、フランスと日本では、システムこそ違え、貧しい者は簡単には借金できないこと。無理をして、いったん借金してしまうと、高い利息で返済を続けなければならない。よりよき人生を求めても、ちっともよりよき人生にはならない。

(c)Jean-Claude Moireau

(c)Jean-Claude Moireau

 夢が叶わず引き裂かれる男と女、血の繋がっていない男と少年の「家族」が、貧困と戦う。映画は、暗に、血が繋がっていなくても、濃密な人と人との関係があり、フランスの抱える貧者の現実があることを伝える。
 残された道は、とにもかくにも、ナディアのいるカナダまで出かけること。ヤンとスリマンの「父子」は、カナダに向かう。
 多くの厳しい現実を前にした三人は、よりよき人生に向けて、どのように生きていくのか。映画の示した問いの持つ意味は大きい。ことは、フランスだけの話ではない。日本の現実もまた、ほとんど同じなのだから。
 監督、共同脚本は、セドリック・カーン。数年前、「チャーリーとパパの飛行機」という映画で注目を浴びた監督。
 貧困で、悲惨な状況でも、僅かでも「希望」はあるはず。一歩、踏み出すことである。ヤンとスリマンが、カナダに向かったように。

2013年2月9日(土)より、新宿武蔵野館ico_linkにてロードショー

■『よりよき人生』

監督・脚本:セドリック・カーン
脚本:カトリーヌ・パイエ
撮影監督:パスカル・マルティ
編集:シモン・ジャケ
出演:ギョーム・カネ、レイラ・ベクティ、スリマン・ケタビ
2011年/フランス・カナダ共同製作/111分/35mm・デジタル/カラー
原題:Une Vie Meilleure
配給:パンドラ
後援:フランス大使館


「若冲が来てくれました―プライスコレクション 江戸絵画の美と生命」

白象黒牛図屏風

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長沢芦雪「白象黒牛図屏風」紙本墨画/六曲一双/各155.3×359.0cm/18世紀末頃

 江戸時代後期の京都では多彩な画家たちが輩出し、それぞれに個性的な画風を競い合いました。錦小路の青物問屋の主人・伊藤若冲(1716-1800)によるマス目描きの作品などはその最たるものですが、長沢芦雪(1754-1799)の絵も驚くべき内容を備えています。この画家は、写生画の一大潮流を築いた円山応挙(1733-1795)の高弟で、奇想の画家として知られる人物です。記録によれば、芦雪には顕微鏡で観察した蚤を屏風いっぱいに描いた作品もあったと言います。一寸四方の極小画面に五百羅漢を収めてしまった銅版画のような作品も最近、数10年ぶりに再発見・公開され、大きな話題となりました。こんな意表を突く作品を好んで描いた芦雪の代表作として知られるのが、今回展示されるこの屏風です。
 寝そべった姿でも、屏風からはみ出してしまうほど大きく描かれた象と牛。たぶん実物大を意識したものでしょう。よく見ると、白象の背には黒い2羽のカラスが止まり、黒牛の腹の前には白い子犬が1匹ちょこんと座っています。大小と黒白、好奇心旺盛なカラスと無邪気な子犬、置かれた位置も含め、ここに描かれたすべてが対照を際立たせるために存在しているわけです。ユーモラスこの上ない表現は、江戸絵画の開いた地平の広大さをも教えてくれることでしょう。
 今回の展覧会は、東日本大震災の惨状に心を痛められた米国在住のプライス夫妻による、「東北の人々に美しいものをお見せしたい」「次代を担う子どもたちの勇気を喚起したい」との思いから実現したものです。被災地を思い訪れること、それが復興に向けての大きな力となります。ぜひこの機会にお出かけください。

(仙台市博物館主幹兼学芸室長 内山淳一)

<展覧会情報>

  • 東日本大震災復興支援
    「若冲が来てくれました―プライスコレクション 江戸絵画の美と生命」

    2013年3月1日(金)~5月6日(月・振休)
    巡回:岩手県立美術館 2013年5月18日(土)~2013年7月15日(月・祝)
    巡回:福島県立美術館 2013年7月27日(土)~2013年9月23日(月・祝)
  • 休室日:月曜日(3月11日、4月29日、5月6日は開館)

展覧会概要

  • 伊藤若冲の作品をはじめ、長沢芦雪や酒井抱一・鈴木其一など江戸絵画の世界的コレクターとして知られるプライス氏のコレクションから、10数点の初公開作品を含む選りすぐりの優品100点で構成されます。仙台市博物館を皮切りに岩手県立美術館、福島県立美術館の被災地3県を巡回します。

■仙台市博物館ico_link

  • 所在地 仙台市青葉区川内26番地<仙台城三の丸跡>
  • TEL 022-225-3074

その他、詳細は仙台市博物館Webサイトico_linkでご覧ください。