「正義」(法的サービス)に容易にアクセスできる社会を目指して~司法改革と「法テラス」の創設・活動~

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1.2種類の「医師」

 私たちは身体の「不調」を覚えたとき、掛り付けの医院や定評ある病院に行って診察してもらいます。医師の診断を聞いて安心したり、手術など必要な治療を受けたりします。その際、曲り形にも医療保険制度があり、一般に経済的なこと(費用)について深刻に考えることなしにすませます。
 では、私たちが社会生活上の「不調」を覚えたとき(例えば、トラブルに遭遇したり、事の適正な処理に思い悩んだりするとき)はどうするでしょうか。こうした場合、多くは法的な問題がからんでいるものですが、私たちは弁護士のところに行って相談するでしょうか。そうはしないというのが日本の社会の実情でした。日本人は「和」を重んじ事を荒立てたがらない民族である(「日本人は訴訟嫌いである」はその象徴的表現)といわれてきました。しかし、本当にそうだったのでしょうか。相談しようにも身近に弁護士はおらず、しかもどれほどの報酬をとられるか見当もつかない、というのが主な理由をなしていたのではないでしょうか。だが、人が生活上の「不調」に適正に対処できなければ、生活の基盤が害され、不幸に苦しまなければならないことになります。
 しばらく前から、日本人の生活の様式や環境も大きく変ってきました。そして一般の国民にとって司法(弁護士)がこのように縁遠い状況を放置しておいてよいのかが反省され、平成11(1999)年に司法制度改革審議会(以下、審議会)が設けられました。平成13年に出された審議会意見書は、法の支配の理念に基づき、すべての当事者を対等の地位に置き、公平な第三者が適正かつ透明な手続により公正な法的ルール・原理に基づいて判断を示す司法部門が、政治部門と並んで、「公共性の空間」を支える柱とならなければならないとし、その司法部門を支える法曹(弁護士、検察官、裁判官)を「国民の社会生活上の医師」と位置づけ、様々な改革の方途を提示しました。

2.「国民の司法」の確立

 司法改革の趣旨・目的は、一般の国民にとって縁遠かった司法を身近なものとし、容易にアクセスできるいわば「国民の司法」を確立するということにあります。そのためには、①各種訴訟制度の改革が必要ですが、何といっても②法曹人口の増員・法曹養成制度の創設と一般の国民が司法に容易にアクセスしやすいようにする仕組の整備が不可欠です(なお、「国民の司法」という場合、国民が司法を利用しやすくするという面のみならず、国民が司法に参加し、支えるという面もあり、その中核をなすのが裁判員制度です)。
 司法がこのように広く国民の生活に根ざし、確かな国民的基盤に立つことによって、司法が政治・行政の行き過ぎや怠慢をより有効にチェックでき、自由で公正な社会を維持する上で不可欠な権力分立ないし抑制・均衡のシステムの一翼を真に担いうる存在となるという期待が込められていることも強調しておきたいと思います。
 現代は、グローバリゼーションの深化する時代です。ここでは、ルールや基準の定立・適用をめぐる駆け引きが熾烈で、日本の国益と国民の生活上の正当な利益を守るために司法(弁護士)が果たすべき役割が飛躍的に増大しています。世界的にみて、国境を越えた法的サービスの提供が最も急成長する業務といわれてきたのですが、この面でも日本の司法は立ち遅れていました。司法改革には、この遅れを取り戻すための基盤を早急に作りたいとの願いが込められていたことも付言しておきたいと思います。

3.法曹人口の増員と新たな法曹養成制度(法科大学院)の創設

 先に一般の国民に縁遠い司法といいましたが、審議会の頃、つまり21世紀初頭の頃、全国の8割以上の市町村では弁護士のサービスを身近に得られない状況にありました。因みに、当時の主要国における法曹人口の国民比をみると、アメリカは約290人に1人、イギリスとドイツは700人余に1人、フランスは約1640人に1人、そして日本は約6300人に1人という状況でした。
 こうした状況の源は、明治憲法体制に遡ります。行政に大きな比重をおくこの体制は、司法の役割を相当限定的に捉え、その中に法曹(特に弁護士)人口の統制という視点を潜在させていました。日本国憲法に至って法の支配の拡充という観点から司法の大幅な強化が図られましたが、法曹人口の統制という体質を払拭し切れませんでした(確かに、新しい制度の下で法曹人口は徐々に増え、昭和39(1964)年には司法試験合格者数は500人台に乗りましたが、以後30年近く500人前後の数字が続きました)。
 そこで、大幅な法曹人口増員に取り組まなければならないことになったのです。審議会の頃は規制緩和への動きも強く、合格者数1万人以上にといった主張もあったのですが、「社会生活上の医師」にふさわしい養成のあり方を真剣に考える必要があるというのが審議会の基本的立場でした。その際、従来の司法試験は開かれた制度としての長所もあるが、司法試験といういわば「点」のみによる選抜は、身体上の医師の養成と比較しても無理を伴っており、その固有の弊害もあるのではないか(最も厳しいときは、合格率1.5%)、他方、これからの法曹、特に弁護士のあり方を考えたとき(従来のような裁判法務だけではなく、「社会生活上の医師」として様々な形で法的な相談・交渉などに携わることが期待される)、司法研修所の司法修習に決定的に依存するのはいかがなものかが考慮され、結局、法学教育、司法試験、司法修習を有機的に連携させた「プロセス」としての法曹養成制度を構築すべきとなり、その中核として法科大学院を創設するということになったのです。そして、新しい法曹養成制度への切り替えが予定される平成22(2010)年頃には新司法試験合格者数を3000人とすることを目指すということになりました。
 しかし、予想をはるかに越える74もの法科大学院が誕生し、新司法試験のあり方も関連して、合格者数は2000人少々にとどまって、合格率は低迷し(合格者を累積すれば5割、6割、さらに7割以上の法科大学院は結構あるのですが)、他方では、増員に対する抵抗とも関連しながら“就職難”が喧伝される中で、法曹志望者(法科大学院への志願者)数が減少するという厳しい状況が現出しました。この現状に照らし法科大学院としても自ら正すべきところは正すとともに、関係者が協力しながら弁護士の職域拡大に努める中で、早く新しい法曹養成制度を安定化させる必要があります。
 OECD(経済協力開発機構)はかねて日本の高等教育、特に高度専門職業人教育の向上を求めていたのですが、多くの法科大学院では研究者と実務家が協同して少人数・双方向の密度の高い授業が行われており、そこを修了して司法試験に合格した者は既に1万数千人に達し、従来の弁護士像にとらわれず社会の各方面に進出し(企業内弁護士は10年ほど前に比べて10数倍の800人に達する勢いであり、自治体等々に就職する者も徐々に増えています)、新しい活動方法を編み出しつつ活躍する弁護士が多いことを強調しておきたいと思います。

4.「正義」(法的サービス)へのアクセスの拡充-「法テラス」の創設・活動-

 司法を国民の身近なものとするには、法曹人口の増員だけでは十分ではありません。弁護士の偏在(司法過疎地域の存在)の問題もありますし、経済的理由から弁護士に相談するなんてとてもという方もおられるでしょうし、まず何よりもどのように司法(弁護士)にアクセスしたらよいか分からないということがあるかと思います。こうした問題について、国はまともに取り組んできませんでした。少し正確にいえば、刑事被告人国選弁護制度は憲法上の要請で当初から設けられましたが、被疑者国選弁護制度はなく、先進国で広くみられた民事法律扶助制度についての国の積極的な取り組みはありませんでした。日弁連(日本弁護士連合会)は、法律扶助協会を実質的に支え(協会への国庫補助がはじまったのは昭和33(1958)年で、額は1千万円でした)、当番弁護士を設けたり、公設法律事務所を開設するなどの努力を重ねましたが、この種のことは本来国が行うべきものでした。そして、平成12(2000)年にようやく民事法律扶助法が制定され、さらに平成16年に総合法律支援法の制定をみて、ここにようやく国が責任をもって取り組む体制が整うことになりました。

業務を開始した「法テラス」のコールセンター

業務を開始した「法テラス」のコールセンター

 この法律に基づき、平成18年に日本司法支援センター(その愛称、ロゴとして「法テラス」)が業務を開始しました。この「法テラス」には、「法律によってトラブル解決へと進む道を指し示すことで、相談する方々のもやもやとした心に光りを『照らす』という意味と、悩みを抱えている方々にくつろいでいただける『テラス』のような場でありたいという意味」が込められています(日本司法支援センター[法テラス]編著『法テラス白書 平成23年度版』[2012年]参照)。
 「センター本部」は東京におかれ、全国50か所に「地方事務所」が設けられ、さらに実情に応じて「地方事務所支部」、「出張所」、「地域事務所」(「司法過疎地域事務所」と「扶助・国選地域事務所」)が設置されています。業務内容には、「情報提供業務」(法制度や各種相談機関等に関する情報を、誰にでも無料で電話・面談等で提供する[コール・センターのナビダイヤルは0570-078374(おなやみなし)]。2011年度は54万件近くに及ぶ)、「民事法律扶助業務」(経済的に余裕のない人に対し無料法律相談を行い、必要な場合には弁護士・司法書士の費用の立替えをする。2011年度で法律相談が28万件、代理援助が10万件余、書類作成援助が6千件余)、「国選弁護関連業務」(貧困等のため自力で弁護士を頼めない被疑者・被告人のために国選弁護人との契約、報酬費用の支払等を行う。2011年度で被疑者国選7万3千件余、被告人国選6万7千件)のほか、「司法過疎対策業務」や「犯罪被害者支援業務」が含まれています。
 日本では、法律扶助につき、開業弁護士が個々の事件を処理する方式がとられてきましたが、「法テラス」ではスタッフ弁護士制が併用されており、スタッフ弁護士は全国で230人ほどに上っています。そして、こうした弁護士たちが地元の社会福祉協議会や自治体等に積極的に出向き、潜在的な法的ニーズに応えようと活発に活動しています(いわゆる「アウトリーチ」)。因みに、2011年度の「法テラス」関係の政府予算は313.5億円、その中で民事扶助の交付金は165.5億円に達しています。

5.おわりに-時代環境の変化に即応する公正な社会の形成を目指して-

法律相談援助の状況(法テラス白書 平成23 年度版)

法律相談援助の状況(法テラス白書 平成23年度版)

 先に日本人の生活の様式や環境の大きな変化に言及しましたが、グローバリゼーション、バブル経済の崩壊(高度経済成長の終焉)、少子高齢化等々は、雇用関係の大きな変容(例えば、非正規雇用の増加や労働条件・環境の劣化等々)や社会福祉面における深刻な課題(例えば、認知症の人びとの増大に伴う問題、格差の拡大に伴う現代の貧困や社会的排除の問題等々)などをもたらし、人が尊厳ある存在として生を全うするために司法的支援を必要とする局面が大きく増大してきています。また、東日本大震災は、司法的インフラの脆弱さがいかに悲劇を増幅させるかを痛感させました。法教育への取り組みがようやく本格化してきましたが、司法関係者も旧来の自己像から脱皮し積極的に国民への法的サービスの提供・充実に努め、国もそうした努力を助長する環境整備に格段の意を用いることが強く求められているといわなければなりません。

佐藤 幸治(さとう こうじ)
専門分野/憲法学
主要著書/『現代国家と司法権』(有斐閣1988年)、『現代国家と人権』(有斐閣2008年)、『日本国憲法論』(成文堂2011年)など
日本文教出版『中学社会公民的分野』教科書監修者


世界の絵画を楽しもう!(第5学年)

※本実践は平成20年度版学習指導要領に基づく実践です。

1.基礎データ

題材・単元名

世界の絵画を楽しもう!
1次:二つの作品から
2次:○○さんに紹介したい一枚

時間数

3時間

題材・単元の
特徴

デジタル画像を使用することにより、クラス全員が同じ作品に触れ、自分の感じたことや思ったことを話したり友達の考えを聞いたりしながら鑑賞活動を広げ深めていくことができる。

授業環境 

活動環境

ランチルーム、1クラス分が座って集まれる広さの教室。
書くなどの活動ができる机がある環境

人数

児童35人 指導者1名

教材や用具

ワークカード、キーワードカード、鑑賞カード、画用紙(マップ用)、カラーマーカー

コンピュータ
動作環境

使用デジタル教材

提示型デジタル教材『みる美術』
日本美術 名品コレクション編
西洋美術 フランス国立美術館連合編

OSバージョン

Windows XP

使用周辺機器

パソコン、大型モニター

2.活用事例及び展開

①ねらい
 世界の美術作品を身近に感じ、よさや面白さ、作家の意図などについて友達と感じたことや思ったことを話し合いながら楽しく作品を見る。

②提示型デジタル教材『みる美術』の利用の意図
 世界の名作がデジタル画像になっていることにより、クラス全員で同じものを見て話し合うことができる(美術館と同様な隊形がとれる)ことや拡大縮小が容易にできて、見たいところにフォーカスしやすい。また、鑑賞する作品を自由に組合わせることができたり、子ども自身でセレクトしたりすることができる点などから使用を考えた。

③評価について
◆美術への関心・意欲・態度
・いろいろな視点から作品や作家のよさや面白さを感じて、友達と話したり意見を発表したりしながら、楽しく見ようとしている。
◆鑑賞の能力
・作品のよさや面白さ、作家のこと、作品のテーマなどについて、友達と話し合いながら楽しく鑑賞している。

④指導計画

学習活動の流れ

指導上の留意点 ◇評価方法

第1次
日本と世界の二つの作品を見て、それぞれのよさや文化などを感じながら鑑賞する。

・子どもたちの実態から、興味をもちそうな作品、よさなどの共通点があり、また、それぞれの特徴の違いがあるような作品を予め教師側でセレクトとしておき、教師側でファシリテーションしながら、鑑賞を広げ深めていく。
◇発言や児童の鑑賞の様子
ワークカード

第2次
自分の気になる作品などから、友達と一つの作品を選び鑑賞し、そのよさや面白さ、自分の意見などを身近な人に伝える。

・児童が自由に作品をセレクトできるように、パソコンや大型モニター、プリント資料などを準備しておく。
◇発言、グループ活動の様子、メッセージを伝えるためのキーワードカード

一次、二次は5年生、6年生の2回に分けた授業展開、一次、二次の順番を変えて取り組むことも可能。

3.本時の展開<1次>

『二つの作品から』

①目標
 二つの作品(日本とヨーロッパ)を鑑賞し、そのよさや違いなどを話しながら楽しく鑑賞する。

②提示型デジタル教材『みる美術』を活用した授業の展開

主な学習活動・内容

教師の指導 ◇評価

導入

・今までの鑑賞の様子を先生の話や友達の話から、振り返り、本時の活動のめあてを知る。

・いろいろな鑑賞活動のうち、本時はデジタル画像を使っての鑑賞であること、日本とヨーロッパの作品を見ることなどを伝える。

展開1

日本の作品を鑑賞しよう。
『金魚づくし百ものがたり』
歌川國芳
まず、描かれているものについて話してもらう。
「なにが」だけでなく「どんな風に」について、話す。
作品のおもしろさや滑稽さ、よさ、不思議さなどについて、友達と話す。
「吹き出しをつけるとしたら…」
「どんな物語があるのだろう?」など、考えたことをみんなに話す。

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・作家名とその時代のみ、基礎知識として伝える。
・発言者だけの意見にしないように、全体に向けて「どうですか?」の問いかけをしたり、「なるほど」などの共感をもってそれぞれの意見を受け止めたりする。

◇発言(その内容)、共感の様子、鑑賞の様子

展開2

ヨーロッパの作品を鑑賞しよう。
「蛇つかいの女」または「戦争:駆け抜ける不和の女神」アンリ・ルソー
「なにが」「どのように」
・どんなことを感じましたか
・どんな状況なのだろう

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両者の作品が同時に見られるように、場の設定をするが、はじめはルソーの作品のみに焦点をあてて、鑑賞活動を展開する。
・自分と違うとらえ方についても、話し合い、イメージを広げさせる。

二つの作品をみて、気がついたこと考えたことなどを話す。
「なにか、不思議」
「変だけどなにか気になる」

気になる作品の前に集まり、自由に友達と話す。

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・「具体的にはどんなところから、そのように思ったのですか?」など問いかけをしたり、キーになる言葉から、他の子ども達にも新たな視点を提示したりしながら鑑賞を展開する。
◇二つの共通なこと、イメージやテーマ、作者の伝えたいことなどを友達と話している内容と様子

まとめ

鑑賞カードに自分の印象や考えたこと、友達と話したことなどをまとめる。

・同じ作家の他の作品などを見せながら、本時のまとめをする。

③指導のポイント
・日本とヨーロッパの二つの作品をそれぞれ鑑賞し、その後に両者を結びつけたりしながら、作家の意図などにも触れ、鑑賞を深めること、
・大型モニターなどを2台準備する。
・子どもの興味を惹く作品をセレクトすること。

3.本時の展開<2次>

『○○さんに紹介したい一枚』

①目標
 自分の知っている作家の作品、興味を惹かれた作品などを、マップにまとめ、自分の感じたよさや面白さを身近な人に紹介する。

②提示型デジタル教材『みる美術』を活用した授業の展開

主な学習活動・内容

教師の指導 ◇評価

導入

・今までの鑑賞の様子を先生の話や友達の話から、振り返り、本時の活動のめあてを知る。

・いろいろな鑑賞活動のうち、本時はデジタル画像を使っての鑑賞であること、自分のお気に入りの作品をセレクトして、身近な人に紹介することなどを伝える。

展開1

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・みんながよく知っている作品をみんなで見てみよう。
知っている作家、作品について話してもらう。
「レオナルド」「ゴッホ」「ムンク」そのうちの一枚を選んで、全員で鑑賞する。
まず、描かれているものについて話す。

さらに、「なにが」だけでなく「どんな風に」について、話す。
作品の特徴、面白さや滑稽さ、よさ、不思議さ、作家についてなど、出された意見をクラス全体でマップにまとめる。

・作家名を出してもらいながら、提示型デジタル教材『みる美術』の操作方法も伝える。
・発言者だけの意見にしないように、全体に向けて「どうですか?」の問いかけをしたり、「なるほど」などの共感をもってそれぞれの意見を受け止めたりする。
◇発言(その内容)、共感の様子、鑑賞の様子

・子どもたちから出された意見をマップにまとめながら鑑賞を展開する。
◇発言(その内容)、友達との話している様子、作品を見ている様子
<例>
二人の人―男女―話している、
ぐるぐるの空―青と濃い青―空ではないみたい

展開2

班ごとに、提示型デジタル教材『みる美術』を操作しながら、○○さんに紹介したい一枚を相談して、選び出す。
・選び出す過程で、キーワードをマップにためていく。
・出された意見をつなげて、具体的な相手を想像しながら、紹介メッセージを作成する。

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・グループで操作できるようにパソコンを準備する。
・よい視点や発言、グループのみんなが共感した発言、だれも気がつかなかった発言などをフォローしながら、グループを巡る。

◇話し合いの様子、マップメモ、作品を見ている様子

まとめ

・グループで自分たちの選んだ作品を①または②の方法で紹介する。
① 作品を見ずに、マップを見せながらクイズ形式で紹介し、実際の作品を見る。

なぜ、自分たちがこの作品を選んだのか、紹介したい人がこの作品を見たときの様子なども話す。

② マップをよりどころに、実際の作品を見せながら作品のよさを紹介する。
いくつかのグループが発表し、自分の感想なども発表する。

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・発表の仕方だけの感想にならないように、作品のよさなどについて、話し合いを展開する。

③指導のポイント
・キーワードをつなげて、マップをつくることにより、より深い鑑賞活動を導き出すことができる。
・グループで鑑賞をすることにより、友達のいろいろな見方や感じ方、考え方を知ることができる。
・デジタル画像のズーム機能を活用して、みんなが同じところを見ながら話を進めることができる。
・身近な人への作品の紹介を想定することで、自分の(自分たち)の感じたこと、考えたことを無理なく、整理まとめることができる。

4.感想

 美術館へ行ったり、作家を招いたり、実際の作品や鑑賞の対象を教室に持ち込んだりといろいろな鑑賞活動のひとつとして、本時の活動がある。つまり、小学校の鑑賞活動のすべてをこのデジタル画像で行うのではなく、デジタルの利点を生かした授業として、本時を構成することが大切である。
 また、1次2次については、特に順番があるわけではなく、高学年カリキュラム2年間の中で実施するとよいと考える。
 1次の比較鑑賞については、表面的な『描かれているものが同じ』作品という視点より、よさや面白さ、不思議さなどに共通感があるという視点からセレクションしたほうが、子どもたちの鑑賞の深まりや広がりが生まれやすいように感じている。
 また、2次の活動のように自分の(自分たちの)意見や思いを身近な周りの人に発信していくことも、「なんとなくいい」から一歩深めた鑑賞に展開することが、無理なくできると活動になる。このように、他者に自分の見たこと、感じたこと、考えたことを積極的に伝えることも意味があると考えている。

行為に浸り、私を実感する図画工作・美術

 これまで学力や地域、先生などの視点から図画工作・美術の役割について考えてきました。今回から、もう少し子どもによせて図画工作・美術ができることについて検討してみましょう。

 今、教室に一人の子どもがいます。目の前に、土粘土があります。触れると、ひんやり冷たく、表面はなめらかで、しっとりとした水分が感じられます。持ちあげるとズシッとした重みがあり、それを支える手に力が入ります。
 次に、子どもは粘土を机の上に置いて、自分の掌でぐっと押します。粘土は掌の形にへこみます。自分の体の動きが粘土の形となって現れるのです。このとき粘土もしっかり自分を押し返してきます(※1)。子どもはそれをはっきりと感じています。

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 今度は指先を、ぐっと粘土に押し込みます。指を抜くと、予想したような、でもそうともいえない穴が目の前に出現します。のっぺりとした全体に、そこだけ暗くなった穴が粘土に表情を加えます。子どもは指先の抵抗感、指を入れる動き、穴の形などが「面白いな」と思います。そこで、もう一つ穴をあけます。また心地よい感覚がして、粘土の表情が変わります。そしてもう一つ、またもう一つ、、、。
 材料と出会い、そこに働きかけ、材料が応える。さらに働きかけると、材料はもっと変化する。このとき子どもは何かを感じる、何かを思いつく、、、おそらくこの後に何か発想が生まれ、それが次第に展開し、作品となっていくのでしょう。
 図画工作・美術の学習活動の始まりは、基本的に、このような原初的な行為、そこで味わえる感覚や感情などです。それが展開してまとまった結果を、私たちは絵だとか工作だとか、造形遊びだと呼んでいます。そこで働いた性質や力作用を、感性や創造性、造形的な表現力などと言っています。でも、名付けるのは大人側の問題で(※2)、当事者の子どもにはほとんど関係のないことです。おそらく、粘土に触れたり、穴を開けたりしている子ども自身は、これは感性だとか、工作だとかは考えていないのです(※3)。
 働きかけることと応えることが一つになった運動の中で「材料が『意味ある材料』になって、私が『何事かが実行できる有能な私』になる」、それは、図画工作・美術の中で実に大切な要素です(※4)。そのことに浸り、そこで自分を実感する、、、そのような実践を保証する教科、それが図画工作・美術だと言い換えてもいいでしょう。

 教育課程のほとんどは「あらかじめ教える内容があって、それを学ぶ私がいて」という前提で構成されています。もちろんそれは大切なことで、図画工作・美術にも存在しています。ただ、現在の教育課程の中で、子どもが何事かに浸る中で自分自身を見つける時間は結構少ないように思います(※5)。今の図画工作・美術ができることの一つではないでしょうか。

※1:学習指導要領で言っている「体全体の感覚」は、例えばこういうことだ。
※2:しかもいろいろな立場で言い方は変わる。
※3:子どもが夢中になっている行為や実践と、その「名前」は別のものだと考えた方がいい。
※4:同時に先生が見逃しがちなことだ。
※5:他教科にも子どもが浸る時間はある。要は教育課程全体のバランスの問題だろう。


LOVE展:アートにみる愛のかたち―シャガールから草間彌生、初音ミクまで

「LOVE展の展示風景」 両親|油彩/キャンヴァス/182.9×182.9cm/1977 (C)DAVID HOCKNEY COLLCTION TATE, LONDON D0226

「LOVE展:アートにみる愛のかたち」の展示風景(森美術館)
両親|油彩/キャンヴァス/182.9×182.9cm/1977
(C)DAVID HOCKNEY COLLECTION TATE, LONDON
D0226

 現在、六本木ヒルズ・森美術館の開館10周年記念展が開催中です。人間の根源的な心の働きである愛をテーマに集められた、古今東西の多彩な作品が「愛ってなに?」「恋するふたり」「愛を失うとき」「家族と愛」「広がる愛」の5つのセクションに区分されて展示されています。
 ホックニーの『両親』は「家族と愛」セクションにあります。長年連れ添った両親の、何気ない日常の一瞬を、愛情あふれる眼差しで描き出した作品です。ホックニーは自分に近しい人をモデルとした作品を数多く描いており、これ以前にも父親を描いた作品が幾つか存在します。また、この作品は母親の入院をきっかけにして制作されたものです。
 作品を見てみましょう。母親は作者であるホックニーをまっすぐに見据えていますが、父親は目を落として手許にある本を眺めています。この本は『Art and Photography』(エアロン・シャーフ著)という本だと言われています。ホックニーは絵画制作に写真を導入しており、この作品のためにも60枚以上ものカラー写真を撮影しています。写真撮影によって構図を決め、個々の人物を観察して制作にあたったのです。作品に描き込まれている本には,そういった写真を基にした絵画制作のヒントが記されていたのかもしれません。また、両親の間に置かれたカートの下段にはホックニーが青年期に影響を受けた『失われた時を求めて』(マルセル・プルースト著)のペーパーバックや、絵画技法を研究した18世紀の画家シャルダンの画集が置かれています。
 この作品には、両親に対する愛情のみならず、ホックニーに影響を与えたものなども描き込まれているのです。

(編集部)

<展覧会情報>

  • LOVE展:アートにみる愛のかたち―シャガールから草間彌生、初音ミクまで
  • 2013年4月26日(金)~9月1日(日)

展覧会概要

  • 愛をテーマに時代や地域を超えて選ばれた、美術史を彩る名作、意欲的な新作を含む約200点を通して、複雑で変化に富んだ愛の諸相を考察できます。絵画、立体、彫刻、インスタレーション、映像メディア表現、パフォーマンスなど多彩な表現を一度に体験できるのも特徴です。 

■森美術館ico_link

  • 所在地 東京都港区六本木6?10?1 六本木ヒルズ森タワー53F
  • TEL 03-5777-8600(ハローダイヤル)
  • 休館日 会期中は無休

<次回展覧会予定>

  • 「アウト・オブ・ダウト展 ― 来るべき風景のために(六本木クロッシング2013)」
  • 2013年9月21日(日)~2014年1月13日(月)

その他、詳細は森美術館Webサイトico_linkでご覧ください。


よい教師をつくるには

icon_pdf_small「日文の教育情報 No.125」PDFダウンロード(332KB)

■ 教師は現場で育つ

 団塊の世代が現役を卒業し、学校現場には若い先生たちが増えた。都道府県によって差はあるが、東京・大阪などの大都市圏では20代の先生が過半数を占める小学校もめずらしくなくなってきた。
 この波はやがて中学校・高等学校へも波及し、全国に広がっていくことは時間の問題となっている。
 好むと好まざるとにかかわらず、これからの教育は若い先生たちに託さざるをえなくなっている。
 平成24年8月28日、中央教育審議会は「教職生活の全体を通じた教員の資質能力の総合的な向上方策について」を答申し、教員養成を修士レベル化するとともに、教員を高度専門職業人と位置づけ、「教科や教職に関する高度な専門的知識や、新たな学びを展開できる実践的指導力を育成するためには、教科や教職についての基礎・基本を踏まえた理論と実践の往還による教員養成の高度化が必要である」とした。
 しかし、ここでいう「実践的指導力」とはどのような能力をいうのであろうか。
 教員養成大学や教職大学院のあり方も問われているところであるが、大学が実践的指導力をそなえた完成された教員を学校現場に送り込むことはできない。
 教師は現場で育つものだからである。
 逆に言えば、若い先生たちをしっかりと育てる力量をもった学校現場をつくることが求められている。

■ ある教育長の語り

 「うちの市では、毎年40~50人の新採の教員が入ってくるけれど、ここ3年間、一人もやめた先生がいません。それが自慢です。」
 「“近頃の若い教師は…”と不満や苦情を言う人も多いけれど、私らだって大学を出た頃は、いいかげんな教師だったですよ。今から思うと、恥ずかしいことがいっぱいありましたよね。それを先輩たちが鍛えてくれた。若い者同志で競争しながら頑張った。だから今日があるわけで、若い先生たちはいいですよ。学校が明るくなる。子どもたちが元気になりますからね。」
 私は彼に「教育長さんが自慢できるようになるのには、いろんな取り組みや工夫をしているからでしょ、どんなことをしているの?」と聞いてみた。
 「力を入れていることが三つあります。一つ目は、毎年3月のはじめに、府教委からうちの市に配当される教員が決まるでしょ、そしたら、すぐその子らを集めて、まだ、どこの学校に赴任するかは分からないけれど、うちの市の学校の様子や子どもたちの様子を見て、一緒に遊んだり、先生のお手伝いをして学校現場を肌で感じてくださいと言うんです。この頃の子は真面目だから、まず全員参加しますね。
 二つ目は、4月になったらグループを組んでもらって、若い者同志の勉強会を学校をこえて月一回やるように指導しています。これはもう10年以上続いてますけど、最初の子らが、もう市の指導主事になったりしてますよ。若い者同志のつながりや切磋琢磨し合ってくれるのがねらいです。
 三つ目は、これが一番大事ですけど、学校の職場の雰囲気づくりですよね。若い先生たちを温かく迎えて、仲良く話しかけ、励ます教職員集団ができている学校の先生はやめません。まず校長・教頭に言ってるのは、若い先生を学校の運動会や児童会、生徒会の行事の責任者にして、先頭に立ってやってもらえと、そのかわり、つぶさないようにベテランの先生が、しっかり応援することを指示しています。誰だって、“やったあ”という達成感を味わったらやる気が出ますよね。」

■ 最初の学校で将来が決まる

 この教育長さんの新採の先生たちを見る目が、上から目線でなく、歓迎と期待にあふれた温かい目差しであるのが、学校現場にも伝わっているのだろうと感じた。
 管理職や新採を指導する先生たちも、教育長と同じ気持ちで接しているに違いない。
 こちらがどう思っているかという気持ちは、必ず相手には伝わる。まず、職場のみんなが「よく来てくれました」という空気が大切である。
 新採の教員にとっては、最初に赴任する学校に、すごい先輩がいて、授業のやり方も学級経営についても、思わずマネがしたくなるような人にめぐまれるかどうか、若い者同志が何でも相談し合える仲間であるかどうかが、その人の一生を決めると言っても過言ではない。
 もう一度、確認しておきたい。
 「よい教師は学校現場がつくる」ということを。

著者経歴
元 大阪府堺市教育長
元 大阪府教育委員会理事 兼教育センター所長
元 文部省教育課程審議会委員
日文の教育情報ロゴ

体罰教育の根にある世界

私的体験から

 海軍における「精神棒」で臀部を撃つ制裁は、「ケツバット」と称し、1950年代の高校球児の世界で日常的にみられた光景でした。エラーをした、負けたといって、精神がたるんでいるとなし、「ケツバット」がふるわれたのです。野球部員には、甲子園への予選がはじまる頃になると、臀部の痛さで廊下の壁につかまり、蟹の横ばいのようにソロソロと歩いて教室に入ってくる者が再再いました。その珍妙な風景は、「ケツバット」なる野球部に特有な“しごき”によるものです。試合で負けた、エラーをした、打てなかったのは、精神がたるんでいるからだとなし、臀部をバットでなぐる。こんな馬鹿げた風景が高校球児の世界で日常的でした。
 このような風景を見聞すれば、高校球児を「純粋」だと讃え、夏になると囃したてる甲子園物語ほど下らないものはないと実感しました。運動部の連中の底意地の悪さは、体育祭で競技にかこつけ、柔道部の連中が気に食わない者に技をかけて倒し、暴行することが日常的にみられた由。柔道部ほど、嘉納治五郎が説いた世界と無縁な、技を暴力の具にする連中はありませんでした。このような世界で育ってきた世代が現在の柔道界を指導しているのではないでしょうか。
 私が小学生で受けた体罰は、給食を嫌がったといって、水をいれた給食バケツを両手に持たされて廊下に立たされたこと再再。その教師がある時から奇妙に猫なで声になったので、「なぐったら首を切られるから」と言ったら、顔面を鬼のようにしたことを覚えています。教師には、嫌な、腹の立つ子どもであったと思う次第。ことほど左様に教師への不信とその暴力に嫌悪感をもって育ちました。
 日本の軍隊を研究素材にした時、学校教育における体罰、暴力教育は軍隊に根があることを確信しました。天皇の下にある「一大家族」という幻影は、暴力をして、親が「わが子」の行く末を思う「愛の鞭」とみなさしめ、体罰を教育となし、その残虐な行為を隠蔽し、肯定するシステムを構築したのです。
 かつ日本の教育は、「良兵良民」をかかげ、子どもたちを良き「兵隊さん」に、軍人に育てることをめざしていました。このことは、すでに紹介した「尚武須護陸(しょうぶすごろく)」(Vol.1 2007年3月掲載ico_link)の世界に読みとれます。暴力を是とする教育は、人間を犬猫とみなし、調教することにほかなりません。そこでは、教育に問われる言葉による理解と説得が否定され、優位者が権威と権力を体現する暴力で他者を圧服せしめるのが教育と思いみなされています。まさに軍隊教育は、この暴力のシステムをして、ある種「芸術的」に磨きあげた作法にまで高め、体罰制裁をする己に自己陶酔せしめる世界を生み育てたのです。この制裁は、先にその一面を紹介しましたが、いまだに運動部等にみられる体罰のアラカルトに受け継がれています。

体罰のアラカルト

 水を入れたバケツを両手にもって廊下に立たせる作法は、一尺平方位の手箱を両足爪先と両手の二箇所に重ねて、その上で「前へ支え」をする制裁につながるものです。この手の制裁には、海軍の「ハンモック支え」「衣嚢支え」をはじめ、左右に揺れて進む端艇のオールを高く捧げる「橈(かい)支え」、卓や椅子の間をもぐって行き、「ホ―ホケキョ」と鳴く「鶯の谷渡り」、小さく区切られた衣嚢棚に入る「蜂の巣」、厚いズックで出来た衣嚢に入り、首だけ出してしばる「ダルマ」等々。制裁の名称は何とも風流を思わせるとはいえ、そこに見られるのは人間の尊厳を削ぎ取り屈辱感をあたえるものにほかなりません。いわば軍隊では、多様な制裁で己を抹殺し、一個の物になし、唯々諾々と考えることなく命令に従順な兵にしていくことでした。そこでは、制裁を制裁と受けとめる感覚が麻痺し、精神を覚醒するために制裁を自分から求める心性がつくられたのです。ここに体罰が精神を覚醒し、弱き我を鍛えるとの思いが増幅されていきます。制裁を加える者は、己の行為をして、次のように弁明しております。

やる気さえあれば、できないことはない。できないんじゃなくて、お前達にはやる気がないんだ。やる気がなければ、いくらでもやれるようにしてやる。なにも、俺達は、お前達を、こんな寒い中へ、何時間も立たせたり、嫌な文句をきかせたり、好き好んでやっているのじゃない。文句をいう側になってみろ。痛い目にあわせる身になってみろ。決して、楽なものじゃない。なるべく文句をいうまい、痛い目にもあわせまいと、思えばこそ、じっと我慢していたんだ。だが、もう、黙っていられない。

 かく云々と問い語り、制裁がはじまります。この「海軍説教文例」にみられる口説きは、当世風に、昨今話題の女子柔道にあてはめれば、監督の心象風景が見えてくるのではないでしょうか。これが体罰なるものを日常化していく世界だったのです。

制裁根絶への目

 陸軍は、私的制裁の根絶のための指針において、「監督上の準拠」で「犯行、原因、動機」として、「1)教育の熱心其の度を過ぎて之を犯すもの、2)教育及経歴の差異より生ずるもの、3)集団的社交に慣れざるため、4)能力程度の差異より来るもの、5)切磋琢磨を誤用したるもの、6)自己の怠慢性の欲望を達せんため、7)不純なる動機に基く物的欲望を達せんがため、8)性来の残虐性より来るもの、9)権力を弄せんと欲する欲望より来るもの」、と説き、その対処方を具体的に提示しております(山崎敬一郎『内務教育の参考』1933年)。この指摘は、現在問われている体罰を当然視する教師指導者にあてはまるもので、軍隊における制裁が根深く息づいている底知れぬ闇をうかがわせる。
 この闇を撃つには、人間が人間であることへの目を育て、己が組織の部品ではなく、一個独立した人間であることを取りもどすことではないでしょうか。それは、「道徳教育」ではなく、人格とは何かを問い質すことからはじまります。
 想うに戦後教育は、人格を説き聞かせながら、人格を身につける教育を疎かにしてきたのではないでしょうか。人格への認識は、新渡戸稲造が問い語った「人間以上のものがある」こと、この大いなるものへの目を身につけることではないでしょうか。まさに日本は、このような人格観念を欠落させ、人間を横の関係でしか見ないがため、他者との競争で選別していく作法に囚われて生きる社会を是とする構造です。そこでは、人格の平等という観念が人間の平準化とみなされ、匿名化された均質な社会が当然視されたのです。この構造の根には、明治建国以来の国のかたち、軍隊教育の闇を問い質すことなく、「民主主義」の乱舞に埋没した「市民」の存在がみえてきます。ここに求められるのは、小手先の「根絶」ではなく、人格への目を研ぎ済ませ、己の場から明日を手にする営みではないでしょうか。

参考文献

  • 大西巨人『神聖喜劇』(ちくま文庫)、同編『兵士の物語』(立風書房)
  • 大濱徹也・小沢郁郎編著 『改定版 帝国陸海軍事典』(同成社)