学び!と美術

学び!と美術

行為に浸り、私を実感する図画工作・美術
2013.05.10
学び!と美術 <Vol.09>
行為に浸り、私を実感する図画工作・美術
奥村 高明(おくむら・たかあき)

 これまで学力や地域、先生などの視点から図画工作・美術の役割について考えてきました。今回から、もう少し子どもによせて図画工作・美術ができることについて検討してみましょう。

 今、教室に一人の子どもがいます。目の前に、土粘土があります。触れると、ひんやり冷たく、表面はなめらかで、しっとりとした水分が感じられます。持ちあげるとズシッとした重みがあり、それを支える手に力が入ります。
 次に、子どもは粘土を机の上に置いて、自分の掌でぐっと押します。粘土は掌の形にへこみます。自分の体の動きが粘土の形となって現れるのです。このとき粘土もしっかり自分を押し返してきます(※1)。子どもはそれをはっきりと感じています。

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 今度は指先を、ぐっと粘土に押し込みます。指を抜くと、予想したような、でもそうともいえない穴が目の前に出現します。のっぺりとした全体に、そこだけ暗くなった穴が粘土に表情を加えます。子どもは指先の抵抗感、指を入れる動き、穴の形などが「面白いな」と思います。そこで、もう一つ穴をあけます。また心地よい感覚がして、粘土の表情が変わります。そしてもう一つ、またもう一つ、、、。
 材料と出会い、そこに働きかけ、材料が応える。さらに働きかけると、材料はもっと変化する。このとき子どもは何かを感じる、何かを思いつく、、、おそらくこの後に何か発想が生まれ、それが次第に展開し、作品となっていくのでしょう。
 図画工作・美術の学習活動の始まりは、基本的に、このような原初的な行為、そこで味わえる感覚や感情などです。それが展開してまとまった結果を、私たちは絵だとか工作だとか、造形遊びだと呼んでいます。そこで働いた性質や力作用を、感性や創造性、造形的な表現力などと言っています。でも、名付けるのは大人側の問題で(※2)、当事者の子どもにはほとんど関係のないことです。おそらく、粘土に触れたり、穴を開けたりしている子ども自身は、これは感性だとか、工作だとかは考えていないのです(※3)。
 働きかけることと応えることが一つになった運動の中で「材料が『意味ある材料』になって、私が『何事かが実行できる有能な私』になる」、それは、図画工作・美術の中で実に大切な要素です(※4)。そのことに浸り、そこで自分を実感する、、、そのような実践を保証する教科、それが図画工作・美術だと言い換えてもいいでしょう。

 教育課程のほとんどは「あらかじめ教える内容があって、それを学ぶ私がいて」という前提で構成されています。もちろんそれは大切なことで、図画工作・美術にも存在しています。ただ、現在の教育課程の中で、子どもが何事かに浸る中で自分自身を見つける時間は結構少ないように思います(※5)。今の図画工作・美術ができることの一つではないでしょうか。


※1:学習指導要領で言っている「体全体の感覚」は、例えばこういうことだ。
※2:しかもいろいろな立場で言い方は変わる。
※3:子どもが夢中になっている行為や実践と、その「名前」は別のものだと考えた方がいい。
※4:同時に先生が見逃しがちなことだ。
※5:他教科にも子どもが浸る時間はある。要は教育課程全体のバランスの問題だろう。


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