富岡物語(3)

行啓

画像提供 富岡市・富岡製糸場

 英照皇太后と美子(はるこ)皇后(後の昭憲皇太后)は開業したばかりの富岡製糸場に1873(明治6)年6月24日に行啓、場内を巡覧、工場が日本の富国につながると職員を励ましました。『明治天皇紀』は、6月19日から26日までの行啓の途を次のように描いています。

皇太后皇后、上野国富岡町富岡製糸場台覧のため、午前八時御出門、宮内大輔萬里小路博房・同大丞杉孫七郎・宮内省三等出仕福羽美静・典侍萬里小路幸子等供奉す、大宮・熊谷を経て二十一日新町に着したまひしが、連日の降雨にて鮎川氾濫せるを以て、二十二日亦同地に駐まりたまふ、同日皇太后の安否を問はしめんため遣はしたまひし侍従山口正定、参候して聖旨を伝へ、且御贈進の菓子一箱を上る、二十三日両后七日市町に著し、御宿泊所に入りたまふ、二十四日午前九時御出門、富岡製糸場に行啓、同場雇仏蘭西国人ブリュナー夫妻に謁を賜ひ、尋いで場長租税大属尾高惇忠及びブリューナの御案内にて製糸作業及び機械室等を御巡覧、雇外国人に縮緬を、職員に酒肴料を賜ふ、ブリューナ西洋料理の御晝餐を献り、其の妻洋琴を弾奏す、午後二時七日市町に還啓あらせらる、同日皇后の詠じたまへる御歌に曰く、
 いと車とくもめくりて大御代の
   富をたすくる道ひらけつゝ
二十五日両后同町を発し、二十六日、武蔵国旙羅郡玉井村鯨井勘衛養蚕の実況及び挿秧の状を観覧
二十六日官幣大社氷川神社御拝あり、同日午後三時還啓あらせらる、富岡製糸場は、政府が生糸精製の端緒を開き大に蚕業の発達を図るらんとして、ブリューナを職工首長と為し、客秋開業せし模範工場にして、当時男女工合して五百余人、伝習生徒十二人あり、又一箇年の定額金は五万千六百十九円余と洋銀一万七千四十弗なり

 降雨による氾濫という悪天候下での行啓は、富岡製糸場建設に象徴されたように、国家が「蚕が化した金貨」を稼ぐ養蚕製糸の振興こそが「富をたすくる道」をもたらす富国の基いとなる器を期待しての営みです。それだけに皇后は、西洋の糸機械の前に居並び糸繰りを学ぶ工女の姿を「御世のため並居て学ぶときわきの日々に賑はふ富をかのさと」詠み、励まします。富岡は富をもたらす里とみなされていたのです。

製糸場での暮らし

 「御場所」といわれた官営模範工場は、レンガ造りの壮観な建造物と最新の機械設備によって、人々を驚かせる文明の府でした。横田英は、その偉観に圧倒され、筆にも言葉にも表し様がないと認めています。この驚きは皇太后・皇后も共に抱いたものといえましょう。

私共一同は、此繰場の有様を一目見ました時の驚きはとても筆にも言葉にも尽されません。第一に目に付きましたのは、糸とり台でありました。台からひしゃく、さじ、朝がほ二個(まゆ入れ湯こぼしの湯)、皆真ちう、それが一点の曇りもなく、金色目を射る斗り。第二が車、ねづみ色にぬり上げたる鉄、木と申物は糸わく、大わく、其大わくと大わくの間の板。第三が西洋人男女の廻り居る事。第四が日本人男女見回り居る事。第五が工女行義正敷、一人も脇目もせず業に付居る事で有りました。一同は夢の如く思ひまして、何となく恐ろしい様にも感じました。

 就業時間は、ブリューナが日本政府との契約で取り決めた「職工働き方」にもとづき、夜業を禁じ、午前7時から午後4時半までとし、午前に9時から30分、昼が1時間の休憩があり、実働8時間でした。日曜日と天長節などの祭日が休日とされ、12月29日から1月3日までが年末年始の休暇。このような労働環境は、官公署にみられたものの、当時の慣行にはないものでした。
 給与は、元繭1升の出来糸目方8匁5分、1日5升取りの者が1等工女で年額25円、元繭1升の出来糸目方8匁、1日4升取りの者が2等工女で年額18円、元繭1升の出来糸目方7匁8分、1日3升取りの者が3等工女で年額12円、等外の者が9円。夏冬には「服料」としてボーナスが5円、寄宿舎の賄料は1日7銭1厘。
 まさに開業時の工場は、労働環境や処遇のみならず、工女の健康を管理する医官がおり、「御場所」にふさわしいフランス直輸入ともいえる「文明の府」にほかならず、後の「女工哀史」的世界とは無縁でした。このような「文明」的ともいえる工場で生活した工女からは、日曜日ごとに甘楽第一基督教会(現日本基督教団甘楽教会)に通い、教会員となる者もいました。そのため当初の甘楽教会員は男性より女性が多数をしめていました。ちなみに甘楽教会は、1874年に米国から帰朝した新島襄の郷里安中での布教によって、78年に設立された安中教会(現日本基督教団安中教会)から84年に独立した教会です。

組合製糸の営み

 安中教会を支えた信者の群は碓氷郡の組合製糸碓氷社を支えた人びとでした。組合製糸碓氷社は、養蚕農家が自家製繭を改良座繰で製糸したものを組合に集積して検品、均一品質の良質のものを大量に準備して市場に出すことで各農家の利益をあげていきました。この方式は、資本力の無い農家が協業協力する組合を結成することで、独立した養蚕農家として道を歩むことを実現したものです。
 在来の伝統的な技法を改良した座繰製糸による農家の営みは、収繭から製糸を「各農家」、揚げ返しを「組」、束装販売を「組合本社」が受け持つという分担でそれぞれの責任体制を明確にすることで生産性をあげ、富岡製糸場をうわまわることができたのです。ちなみに碓氷社が地域にある組の共同揚げ返し場は水車などによる一斉回転の大枠と絡交装置をもち、機構として富岡製糸場と変らなかったといわれています。それだけに富岡製糸場は、生産工程の最新の機械化を実現したとはいえ、収繭から製品化にいたる過程を充分に管理出来ないままに農民の座繰に敗北し、身売りへと追い込まれたのでした。ここには、模倣としての「近代」に対し、在地に根ざした営みがもつ近代の在り方が読みとれましょう。

 

参考文献

  • 松浦利隆前掲書
  • 大濱『明治キリスト教会史の研究』吉川弘文館 1979年

[報告]高校生とスマートフォン—情報教育ができること— 第62回ICTE情報教育セミナー in 武蔵大学 ほか

  • 高校生とスマートフォン—情報教育ができること—
    —第62回ICTE情報教育セミナー in 武蔵大学
    …講演者:藤川 大祐 記録:日本文教出版編集部
  • 図書館を使った探究型学習(調べ学習)
    …鶴見 美子
  • 10年後の自分の仕事を紹介する
    —「社会と情報」におけるプレゼンテーションの実践— 
    …大石 智広
  • 画像のディジタル化について
    —アナログ教材を利用して画像のディジタル化の原理を理解する—
    …片桐 郁至
  • 「情報の発信と守るべきルール」に関する実践
    —Webサイトの作成を通した著作権の学習— 
    …小川 敬介
  • 「なぜ,計測・制御を学ぶのか?」生徒の疑問に答える授業展開の工夫
    —身近な製品のプログラムをフローチャートで考える— 
    …川俣 純
  • CSアンプラグドで情報の楽しさを伝えよう 
    …兼宗 進
  • メディアリテラシーを獲得するための情報デザイン(1) 
    …森棟 隆一
  • 偏食はだめよ
    —情報は好き嫌いせず摂れているか?—

ローマの教室で~我らの佳き日々~

(c)COPYRIGHT 2011 BiancaFilm

 ローマにある、ごく普通の高校が舞台である。女性校長ジュリアーナ(マルゲリータ・ブイ)は、自らトイレットペーパーを交換したり、水が出たままの水道の栓を閉めたりする。古くから美術史を教えているフィオリート先生(ロベルト・エルリツカ)は、無気力で、同僚とのつき合いも皆無。教育への情熱は失せ、「生徒の頭はからっぽ」と嘆くだけ。そこに、国語の補助教員として若いジョヴァンニ先生(リッカルド・スカマルチョ)が赴任してくる。生徒になんとかやる気を持たせようと必死になる。

(c)COPYRIGHT 2011 BiancaFilm

 映画「ローマの教室で~我らの佳き日々~」(クレストインターナショナル配給)は、このような3人の先生を中心に、いろんな個性にあふれた生徒たちとの日々を描いていく。日本と比べて、イタリアの高校生は格段におませ。男女とも、すでに風貌、体格は大人である。
 ジョヴァンニ先生のクラスには、いろんな生徒がいる。万事、調子のいい生徒。授業中にもイヤホンで音楽を聴く生徒。ことあるごとに挑戦的な態度をとる生徒。ルーマニアからの移民だが、優等生もいる。
 もう老人といっていいフィオリート先生は、たまにではあるが、怪しげな場所で東洋系の女性と過ごしている。フィオリート先生に、かつての教え子らしい女性から電話がかかってくる。 
 ジュリアーナ校長先生は、教育は学校で行うべきで、学校の内と外とは区別すべき、という考えを持っている。しかし、母親が家出して学校の体育館で寝起きしている生徒には、親身になって面倒をみる。
 ジョヴァンニ先生は、態度の悪い女生徒に手を焼きながらも、家庭事情の複雑さを理解するにつれて、なにかと女生徒の支えになろうとする。
 決して、先生たちの理想通りに事は運ばない。先生とて聖人君子ではない。ミスも犯すし、生徒への誤解もある。ジョヴァンニ先生は、誤解から生徒の進級を拒否し、留年させたりもする。フィオリート先生は、昔の教え子の言葉から、学期最後の美術史の授業で、かつての熱い思いを取り戻す。先生とて人の子、逆に生徒から教えられて気付くこともある。
 映画は、教育とはかくあるべきなどと、野暮なことは言わない。結論も出さない。もともと、教育とは人間同士のつきあいである。年齢や経験の有無や、その差はあるかもしれないが、突き詰めると人と人の触れ合いである。
 イタリアの国民的詩人、ジャコモ・レオヴァルディや、アメリカの女流詩人のエミリー・ディキンソンの詩が、ジョヴァンニ先生の授業に出てくる。必死に詩の持つ意味や素晴らしさを説いても、その真意はなかなか生徒には伝わらない。映画は性急に結論は出さない。たぶん、生徒たちは高校を卒業してから、レオヴァルディやディキンソンの書いた詩を読み直し、その意味を理解することになるのだろう。

(c)COPYRIGHT 2011 BiancaFilm

 イタリアの名優3人を演出し、脚本を書いたのはジュゼッペ・ピッチョーニ。「もうひとつの世界」や「ぼくの瞳の光」などを撮り、いろんな映画祭で多くの賞を受賞している。原作は、長く教鞭をとっていたマルコ・ロドリのエッセイ「赤と青」。映画の原題も「赤と青」だ。学校の成績で、赤とはギリギリのセーフ、青は落第、あるいは留年を意味するペンの色である。ジョヴァンニ先生が生徒から借りた青いペンのエピソードが暗示に満ち、うまいタイトルと思う。
 大上段に振りかぶらず、高校の現場、その周辺での教師と生徒の触れ合いを淡く描いた、なかなかに味のある一作。

2014年8月23日(土)より岩波ホールico_linkほか全国順次公開!

■『ローマの教室で~我らの佳き日々~』

監督・脚本:ジュゼッペ・ピッチョーニ
出演:マルゲリータ・ブイ、リッカルド・スカマルチョ、ロベルト・エルリツカ
2012年/イタリア/イタリア語/101分/デジタル/シネスコ
原題:Il rosso e il blu
原案:マルコ・ロドリ著「赤と青 ローマの教室でぼくらは」晶文社 8月23日刊行予定
字幕翻訳:岡本太郎
配給・宣伝:クレストインターナショナル

よくある質問~「立体」と「工作」の違いは?

焼成で粘土とガラス片を一緒に焼くと、ガラス片は溶けて水のようになります。そこから水をテーマにつくりたい形を考えるという高学年の題材です。

 夏、研修会のシーズンです。よくある質問の答えを書いてみましょう。形式上、断定的なQ&Aで書きますが、本来「答え」には、個人、学校、地域、年度、雰囲気等々、その「問い」が生まれた特定の状況が含まれます。オールマイティの「答え」はないことを踏まえて、読んでください。

Q.「立体」と「工作」の違いを教えてください。

A.ねらいと評価が違います。

 「立体」は、「自分の感じたことや思ったことなどを表す」というねらいがあります。自分の思いがふくらんで「船をつくっていたら、お城のようになって…」ということもおこります。一方、「工作」は、使うもの、伝えるもの、遊ぶものなど、意図や用途が明確です。筆立てをつくりながら、思いが広がってロボットのようになったとしても、筆立ての機能は必要です。

 でも、その子が表している瞬間で、両者を毅然と分けるのは難しいでしょう。また「夢を入れる箱」「私の○○な椅子」など、用途と思いが交錯する題材もあります。それもあって「絵や立体、工作に表す」とまとめて示しているわけです。低学年では「絵や立体、工作」と「造形遊び(※1)」が分けにくいことも起きます。実際に、教科書には、工作だけど「造形遊び」の要素がたっぷり入っている題材もあります。だからといって、工作ではなく「造形遊び」で評価するわけではありません。指導者は、題材のねらいを見失わず、評価がぶれないように配慮する必要があるでしょう。

Q.指導案の目標は1つですか?4つですか?

A.どっちでもかまいません。学校で決めましょう。

 指導案の形式は全国いろいろです。地域、市町村、小学校と中学校、附属学校と公立学校などで形式が異なります。題材目標だけ見ても「1つにまとめて書く」「評価規準にそって4つ書く」など様々です。目標の数に決まりはありません。指導案の書き方については、学習指導要領、教育委員会の方針、造形教育研究会の研究主題などをもとにしながら、各学校でしっかり考えてください。その際の協議こそが、貴重な校内研修になるでしょう。

 なお、国立教育政策研究所教育課程研究センターの「評価規準の作成、評価方法等の工夫改善のための参考資料(小学校 図画工作)」では、題材目標を包括的に1つにまとめて記述しています。理由は、4つにすることで、「題材で必ず4つ」というメッセージを出したくなかったからです。あの資料では「年間を通して4つ育ててください。そのために題材に軽重をつけてください」と言っています。そこで題材目標を1つにして、「特にこの題材でめざすもの」をはっきりさせました。

Q.子どものイメージを膨らませる方法は?

A.子どもの行為(ながら)が大切です。

 思考だけでイメージを膨らませるというのは相当難しいことです。イメージは、どこかに「あるもの」ではなく「生まれるもの」ととらえた方がよいでしょう。

 低学年であれば、材料にふれる、材料や用具を操作する、やぶる、ならべるなど「行為からイメージを発生させる」ことが大事です。中高学年でも「糸鋸で切りながら」「板を掘りながら」など、行為(ながら)は大切です。その上で「中学年では、想像を楽しむことを大切にする」「高学年では、自分で取捨選択できるようにする」など、発達に応じて考えることが基本です。周りとおしゃべりするとか、向き合って座るなど、学習形態を工夫することもポイントです。

 要はワークシートだけでなんとかしようとしないことです(※2)。子どもの頭の中の操作に閉じ込めるのではなく、動きや行為にイメージ、道具にイメージ、材料にイメージと考えた方がよいでしょう。なお〔共通事項〕で、イメージは「子ども」自身の、という前提がついています。子ども自身が思い描けるような手立てを工夫したいものです。

 

※1:今の指導要領で「造形遊び」は正式な用語となりました。教育課程、授業などに正しく反映してほしいものです。
※2:題材に応じて「マインドマップ」「論理構造をはっきりさせたワークシート」「簡素な画用紙一枚」など、どのような方法が有効か吟味する必要がある。

ジプシー・フラメンコ

(c)2013CROMOSOMA SA/LASTERMEDIA SL/TELEVISIO DE CATALUNYA SA/EVAVILA,IDEC-UPF

 詳しくはないが、フラメンコが好きである。踊りも歌も。以前スペインのグラナダの、たぶん観光客相手と思われる場所で、フラメンコを見たことがある。魅せられてしまった。延々と踊り、唄う。マドリードには、フラメンコのライブを見せる店があった。夜の10時頃から、やはり延々と踊り、唄う。聞くと「クアトロ・メディア」、午前4時半までやっているという。さすがに終演まではつき合えなかったが、いずれも見事なフラメンコだった。
 フラメンコが華々しく踊られる映画「バルセロナ物語」を見たのもずいぶん前である。若いころのアントニオ・ガデスが出ていたが、白眉はカルメン・アマジャの踊りと歌だ。ストーリーは「ロミオとジュリエット」そのままで、格別、劇的ではなかったが、カルメン・アマジャとアントニオ・ガデスの踊りがひときわ目立つ映画だった。
 このほど公開の「ジプシー・フラメンコ」(パンドラ、ピカフィルム配給)は、不世出の天才的フラメンコ・ダンサー、歌手のカルメン・アマジャに捧げられたかのような映画だ。フラメンコが大好きな5歳の少年フアニートと、カルメン・アマジャを大叔母に持つ、やはりフラメンコの名手、カリメ・アマジャと、カルメン・アマジャの姪で、カリメ・アマジャの母親であるメルセデス・アマジャ・ラ・ウィニー、彼ら3人のフラメンコへの思いが描かれていく。ドキュメンタリー映画というより、ドラマ仕立ての展開である。

(c)2013CROMOSOMA SA/LASTERMEDIA SL/TELEVISIO DE CATALUNYA SA/EVAVILA,IDEC-UPF

 舞台はバルセロナ。カルメン・アマジャが踊り、唄う「バルセロナ物語」という映画をみんなで見ている。スクリーンを見つめるまだ5歳の少年フアニートの瞳は、カルメン・アマジャのマシンガンのような足の動きに釘付けになる。
 カリメ・アマジャに、フラメンコの舞台の話が舞い込む。大叔母のカルメン・アマジャに捧げる舞台である。若い演奏家たちは、みんなカルメン・アマジャに憧れている。カルメン・アマジャ亡き今は、この舞台にふさわしいのはカリメ・アマジャと信じている。カリメ・アマジャは、メキシコにいる母のメルセデス・アマジャ・ラ・ウィニーに電話する。「ママもいっしょに出演して」と。
 リハーサルが始まる。演奏家たちは、カリメ・アマジャのすばらしい踊りに驚嘆する。さらに、母親のメルセデス・アマジャ・ラ・ウィニーが加わることになり、リハーサルが盛り上がっていく。
 フアニートは、大好きな叔父のギターに合わせて踊る。なかなかの腕前だ。踊り用の靴を選ぶ。いろいろと迷うが、赤いエナメルを施した靴を自分の意志で選ぶ。叔父の仲間たちがフラメンコを演じている。目を輝かせて見つめるフアニート。
 カリメ・アマジャが大叔母カルメン・アマジャの話をする。カルメン・アマジャは、ある取材で「踊りとは学べるものか天性のものか」と聞かれる。カルメン・アマジャは答える。「天性のものだ。努力して身につけた高い技術は賞賛に値する。でも、心で感じないとね」と。そして、「本気で踊ろうと思ったら、情熱を注ぎ、心を込めて謙虚に向き合うべきよ」と付け加える。カリメ・アマジャは、「全身全霊を捧げて私たちが踊れば、彼女の魂も共にある」と考えている。
 リハーサルが続く。フアニートは噴水の水を浴びながら、踊る。メルセ祭で、カリメ・アマジャとメルセデス・アマジャ・ラ・ウィニーの母娘が踊る。カリメ・アマジャは、フラメンコ史上初めて女性がパンツ・スーツで踊った大叔母に敬意を込めて、パンツ・スーツで踊る。メルセデス・アマジャ・ラ・ウィニーとカリメ・アマジャの母娘、少年フアニートたちを通して、ジプシー・フラメンコの「血」は受け継がれていく。
 もう、見ていて、少しずつ、震えが込み上げてくる。映画を見て学ぶことは多い。フラメンコだけの話ではない。何事にも情熱を注ぐ、謙虚に向き合う、全身全霊を捧げる…。その通りだと思う。
 わずかの興味であることが、一本の映画がきっかけになり大いなる興味に変わる。「ジプシー・フラメンコ」を見て、ますますジプシーの歴史を、フラメンコの歴史を知りたくなった。

2014年8月9日(土)より渋谷ユーロスペースico_linkほか全国順次公開!

『ジプシー・フラメンコ』公式Webサイトico_link

脚本・監督:エヴァ・ヴィラ
出演:カリメ・アマジャ、メルセデス・アマジャ・ラ・ウィニー、フアニート・マンサーノ
原題:BAJARI
日本語版字幕:原田りえ
2012年製作/スペイン/デジタル/1:1.66/ドルビーSRD/84分
提供・配給:パンドラ+ピカフィルム

特別展 ガウディ×井上雄彦―シンクロする創造の源泉―

アントニ・ガウディ(スペイン|1852-1926) photo: Audouard & C.ª、 Barcelona ©Institut Municipal de Museus de Reus

 スペイン出身の建築家アントニ・ガウディ(1852-1926)の設計資料や手掛けた建築物と、漫画家井上雄彦(1967-)がガウディの生涯をテーマに描き出した漫画や絵画作品が同時に展示されるコラボレーション展です。井上は在スペイン日本大使館より「2013-2014日本スペイン交流400周年」の親善大使に任命されており、この展覧会はそのプロジェクトの一環でもあります。
 ガウディについては、学生時代の製図やスケッチなどから、建築家として名を成してからの代表作にまつわる資料や、現存する建築の写真などが紹介されています。自然の摂理に則ることに腐心したガウディの建築は、曲線や曲面を用いた生物的な形状が特徴です。代表作サグラダ・ファミリア聖堂の設計において、ガウディは紐と錘を用いて作成したフニクラ(逆さ吊り模型)を基に有機的な大型模型を作成し、工事を進めていました。サグラダ・ファミリア聖堂の着工は1882年。ガウディ没後の現在もなお、工事が進められており、かつては完成に300年かかると言われていました。しかし、現在ではスペインの経済成長や建築技術の進歩により、2026年の完成がアナウンスされています。

井上雄彦(鹿児島県|1967-)©I.T.Planning、日経BP社(写真:川口忠信)

 ガウディは設計図を役所に届ける必要最小限のみしか描かなかったと言われています。さらに、そういった数少ない設計図や大型模型の大半が、ガウディの死後に勃発したスペイン内戦で焼失するという憂き目にあってしまいました。現在のサグラダ・ファミリア聖堂の工事は、職人による伝承や、残されているおおまかな外観のデッサンなどを頼りに、ガウディの設計を推測しながら行っているのです。
 ガウディは後半生をサグラダ・ファミリア聖堂の作業に専念しましたが、そんな彼の生涯を3章に分けて、それぞれについて井上が自身の感性に基づいた漫画作品を制作しています。また、いくつかの時代におけるガウディの肖像画や、世界最大級の手漉き和紙に描いた墨絵などが展示されています。これらは、井上がスペインのバルセロナに滞在し、ガウディの建築作品で世界遺産にも登録されているカサ・ミラ内にアトリエをかまえて制作した作品です。

(編集部)

 

<展覧会情報>

展覧会概要

  • 建築家ガウディのスケッチや図面、建築作品の大型模型などの資料約100点を紹介。加えて、漫画家井上雄彦がガウディの生涯を描いた漫画や、ガウディの肖像画、大型作品を含む約40点の絵画作品も合わせて展示します。

森アーツセンターギャラリーico_link

  • 所在地 東京都港区六本木6-10-1
  • TEL 03-6406-6855
  • 休館日 会期中無休

<次回展覧会予定>

  • 私のマーガレット展
  • 2014年9月20日(土)~10月19日(日)

その他、詳細は森アーツセンターギャラリーWebサイトico_linkでご覧ください。