月別アーカイブ: 2015年4月
[教科書特集]中学校三年間の美術で伝えたいこと
求められる心の健康への配慮
「日文の教育情報 No.136」PDFダウンロード(372KB)
■気になる教職員のメンタルヘルス
複数の学校において学校運営協議会にかかわらせていただいています。委員会の性格上,会議は午後6時ごろに始まり8時過ぎに終わります。
会を終えて職員室前を通りかかっていて気づかされることがあります。多くの職員が職員室に残り,忙しそうに仕事をされているということです。明日の勤務は大丈夫だろうか。心配になっています。
平成25年3月,教職員のメンタルヘルス対策検討会議が「最終まとめ」を公表しました。「まとめ」では,「学校教育は,教職員と児童生徒との人格的な触れ合いを通じて行われるものであることから,教職員が心身ともに健康を維持して教育に携わることができるようにすることがきわめて重要である」としたうえで,「教職員のメンタルヘルス対策の充実・推進が喫緊の課題となっている」と述べています。
■多忙化に意識を向ける
日常的に7~8時までの勤務が行われていると,多忙化への課題意識が乏しくなるのではないでしょうか。まず,多忙化解消への鋭い課題意識が重要です。
多忙化の実態は学校規模や学校の抱える課題等によって一様ではありません。また,メンタルヘルスに関してもケースによって対応は異なります。学校運営に当たっては,自校の実態を的確に把握し,深刻化を予防するという観点と,具体的な問題への対応という観点の両面から,教員の多忙感,孤立・消耗感,同僚間の人間関係などに対する配慮を中心に検討を加え,適切な対応策を講じることが重要です。
特に注意を払いたいのは教職員の心の健康です。
表情が暗く仕事への取り組みが消極的という教職員が見られる,職員室の雰囲気がとげとげしい,というような場合は要注意です。
心の健康にかかわる問題が認められた場合は,その主たる原因がどこにあるのか,その解消のためには何が必要かといった課題意識が大切です。直ちに検討を加え,問題の改善に機能する体制を整え,適正な対応を行うことが求められます。
多くの学校で多忙化の解消が課題になっていることを実感します。しかし,多忙化の実態は学校の規模や当面する課題等によって差があります。また同一の学校でも,職員体制や校務分掌などとの関係があって,教員による差も認められます。的確な実態把握が必要です。
■改善の重点把握
校務に関しては,教育課程の編成,年間指導計画の企画・運営から授業時間の調整,教育評価の企画・実施にいたるまで,その内容は多岐にわたっています。7~8時までかかる仕事の大部分は,子どもの指導にかかわる内容でしょうが,そこにも多くの課題があります。心の健康維持のためには,その内容の整理と分担,職務展開の手順等に目を向けなくてはなりません。
校長・教頭あるいは主任等として,まず校務にかかわる勤務校の実態,問題点等をきめ細かく把握し,校務の合理化の重点を整理してとらえる必要があります。そして,校長の学校運営方針の下,適正な職務の担当,組織マネジメントの確立によってどう多忙化を防ぎ,組織力の強化にどう結びつけようとしているか,学校体制を再確認するのです。
特に,各主任や各学校の重点にかかわる職務の担当者に負担が集中しないこと,経験年数の少ない教職員に対する協働体制を整えることが重要です。また,もし問題を抱える教師があるときは助言をし,周囲の同僚が支えあうような人間関係,職場の雰囲気づくりに働きかけることが必要になります。
■協働の職場づくりを目指す
「新任教師の多忙化は,そのうち解消するだろう」「重要なポストが忙しくなることは,ある程度やむを得まい」こういった認識は事態の深刻化を招く危険をはらんでいます。ここでも,決め手は早期発見早期対応です。次のような早期の働きかけを留意したいものです。
・校長の運営方針のもと,各組織の責任者が各部,各担当の任務と組織運営の基本方針を示し,職務展開の
合理化を図って各主任,その他の重点校務にかかわる担当者が力を発揮しやすくする。
・特定の教師への職務の集中を改善するため,校内体制,校務分掌に検討を加える。
・学年等の会合の設定に工夫を加え,支え合いを可能とする職場づくりに働きかける。

国家独立への模索
松陰の世界認識
松陰は、日本列島を「常山の蛇」に倣い、欧米列強の侵出に対峙しうる「皇国」の政略を「幽囚録」に描いております。その政略は、危機の時代を的確に把握し、世界認識を提示したものです。
神州の東を米利堅(メリケン)と為し、東北を加摸察加(カムサツカ)と為し、隩都加(オコツク)と為す。神州の以て深患大害と為す所のものは話聖東(ワシントン)なり、魯西亜なり。(略)
今急に武備を修め、艦略具はり礮(ほう「砲」)略足らば、即ち宜しく蝦夷を開墾して諸侯を封建し、間に乗じて加摸察加・隩都加を奪ひ、琉球に諭し、朝覲会同すること内諸侯と比しからしめ、朝鮮を責めて質を納れ貢を奉ること古の盛時の如くならしめ、北は満洲の地を割き、南は台湾・呂宗の諸島を納め、漸に進取の勢を示すべし。然る後に民を愛し士を養ひ、慎みて辺国を守るは、即ち善く国を保つと謂ふべし。
この論は、欧米列強がアジア・アフリカを植民地にしていく帝国主義の時代に対峙し、日本の独立をいかに守るべきかとの想いを述べたものです。この言説は、松陰を帝国主義につらなるものとみなし、その尖兵と論難されがちですが、日本が欧米の植民地となることへの危機感にうながされた政略にほかなりません。松陰には、日本の独立、国権を確立して、「民を愛し士を養ひ、慎みて辺国を守るは、即ち善く国を保つと謂ふべし」と、民権への強き想いがありました。
ここにみられる松陰の言説は、「開国和親」をかかげる文明化という近代国家の形成を、万国公法といわれた国際法の秩序下、欧化による主権国家としての独立をめさねばならないなかで、日本のとるべき戦略として具体化されていきます。それは、欧米列強が構築した万国公法を旨とする国際秩序のなかで、避けて通れない選択とみなされたのです。
万国公法という秩序
木戸孝允は、万国公法を主権国家間の調整統合をはかるためのもので、キリスト教文明を基盤とする規範体系であるとみなし、「兵力調わざるときは万国公法も元より信ずべからず。弱に向かい候ては大いに公法を名として利を謀るもの少なからず。ゆえに余、万国公法は弱国を奪う一道具」(木戸孝允『日記』1868年11月8日)と論断しました。まさに国際法は、欧米列強の侵出に向き合う日本にとり、「キリスト教国、白皙人種、ヨーロッパ州」という「特権掌握的国民」が己の権利を主張し、アジア・アフリカを植民地とするためのものでしかありません。このことは、後に陸羯南をして、「国際法なるものは実に欧州諸国の家法にして世界の公道にはあらず。この家法の恵を受けんと欲せば、国を挙げて欧州に帰化するよりほかに復た手段あるべからず」(「原政治及国際論」)と論難させます。いわば日本近代化への道は、このような万国公法といわれた国際法の秩序に棹をさし、欧米列強に対峙しうる独立国家の構築をめざす営みです。
「主権線」「利益線」という論理
松陰の門下生山県有朋は、1890年の第1回帝国議会における総理大臣演説「外交政略論」で、欧米列強に対峙するなかで国家独立の方途を確立しようとした近代日本の方途を提示しました。この「外交政略論」は、「国にして自衛の計なきときは国其国に非るなり、苟も国勢傾危にして外其侮を禦くこと能はす」となし、「臣民」たる国民が「各個の幸福」を保持するために「国の独立を維持振張」をはからねばならず、党派を超えて「同心協力」せねばならないと、国家独立自衛の道を説いたものです。
国家独立自衛の道二つあり、一に曰く主権線を守禦し他人の侵害を容れず、二に曰く利益を防護し自己の形勝を失はず。何をか主権線と謂ふ、彊土(きょうど 国境)是なり。何をか利益線と謂ふ、隣国接触の勢我か主権線の安危と緊した相関係するの区域是なり。凡国として主権線を有たざるはなく、又均しく其利益線を有たざるはなし。而して外交及兵備の要訣は専ら此の二線の基礎に存立する者なり。方今列国の際に立て国家の独立を維持せんとせは、独り主権線を守禦するを以て足れりとせず、必や進で利益線を防護し常に形勝の位置に立たざる可らず。利益線を防護するの道如何。各国の為す所苟も我に不利なる者あるときは我れ責任を帯びて之を排除し、巳むを得ざるときは強力を用ゐて我が意志を達するに在り。蓋利益線を防護すること能はざるの国は其主権線を退守せんとするも亦他国の援助に倚り纔かに侵害を免るる者にして仍完全なる独立の邦国たることを望む可らざるなり。今夫れ我邦の現況は屹然自ら守るに足り何れの邦国も敢て我が彊土を窺覦するの念なかるべきは何人も疑を容れざる所なりと雖も、進で利益線を防護し計を固くするに至ては不幸にも全く前に異なる者として観ざることを得ず。
かく説かれる政略は、シベリア鉄道が完成すれば、ロシアの圧力で朝鮮が独立を脅かされ、かつイギリスをはじめとする欧州強国の前に「東洋の遺利財源は肉の群虎の間に在るか如し」という国際状況をふまえたものです。日本が当面する方途は、このような「東洋の事情縦横錯綜して一朝我邦をして平和の地位に立つの困難を感ぜしむる」との認識から、朝鮮を恒久中立国となし、清国との関係を回復し、日本の利益線を保護する外交をなし、この間に軍事力を整備強化することで主権線を守護し、利益線の防護をはかることだと。かつ「国民愛国の念」を養成保持する教育、なかでも国語と国史教育の必要性が力説されました。この口説き昨今耳にする、山県と同郷の総理が語る世界に似ていませんか。
ここに山県が説いた主権線、利益線の政略は、日本が国家独立から世界帝国へと歩むなかで、対外膨張の論理となります。そこでは、松陰が説いた「民を愛し、士を養ひ」という想いが後景に退けられたのです。やがて日本は、「主権線」「利益線」なる論理を使い分けることで、島嶼国家から大陸国家へと直走り、アジアの殖民帝国となっていきます。
平成28年度版『中学数学』教科書特集号
鑑賞はハイブリッド~「視写」のススメ
学び!と美術<Vol.30>で「これからの鑑賞はハイブリッドだ」と書きました。これは「育てたい力は何か」「学習のねらいは何か」などを明確にした上で、いろいろな方法や作品を組み合わせて鑑賞を行おうとするものです。今回はそのための方法の一つ「視写」を紹介します。
ある美術館では、鑑賞の方法として「模写」を取り入れていました(※1)。美術館内で、子どもたちに鉛筆と紙を持たせて30分程度、好きな絵を写す方法です。学芸員は「まず子どもが集中します。また、思わぬ絵に興味を持っていることが分かります。同じ絵からも違う絵ができるので、子どもがどこを鑑賞しているのかつかめます」と話していました。
私は、この話を聞いて「厳密にいえば『模写』というより『視写』だな」と思いました。なぜなら「模写」は、美術作品などを「忠実に再現すること」であり、かなり高度な内容です。美大などでも行われる研究方法の一つで、例えば源氏物語絵巻を「模写」することで、材料の性質、道具の使い方、技法、主題などが解明されています(※2)。一方、「視写」は、主に学校教育、特に小学校国語科で用いられます。詩の全文や物語の部分を「そのまま書き写す」ことを通して、文章構成や表現技法の理解、集中力の向上などを図る学習方法です。この美術館の「模写」は形式的には「視写」に近いといえるでしょう。
次に「写すというのは小中学校の図画工作・美術で嫌われるけど、鑑賞には有効だ(※3)」と改めて思いました。なぜなら、国語の学習で「視写」を取り入れると、子どもたちは読んだだけでは気づかないことを次々と「発見」するからです。例えば、童謡で有名な「ぞうさん」(まど・みちお)を「視写」すると、子どもたちは「先生、ぞうさん、ぞうさんって二度繰り返してるよ!子どもが象さんに呼びかけているんじゃないかな」「象さんは『かあさんも長いのよ!』って、少し怒ってるみたい」などと発言します(※4)。「視写」を行うことで、子どもの発表が言葉を根拠にした具体的なものに変化するのです(※5)。
また、「模写」は 脳の活性化という観点からも効果的です。例えば字を書いている人の様子を見つめると、自分は書いていないのに、字を書いている脳の部分が働きます。鏡のように映っているという意味で「ミラーニューロン経路」と呼びます。このミラーニューロンは、「模写」をしているときにも働くことが分かっています。またダンスや言葉でコミュニケーションしているときにも同じように働き、これが共感するという感情に結び付くようです(※6)。美術館の子どもたちは「模写」によって、まるで自分が描いたかのように共感的に絵と語り合っているのでしょう。
鑑賞は、自分の感覚、経験、知識、文化などから、子どもたち自身が意味や価値をつくりだす学習です。その方法は様々で、本稿で紹介した「視写」以外にもいろいろな鑑賞活動があります。例えば
・現代、同調、自然、構成などキーワードカードを使って作品鑑賞する
・彫刻のつくりだす空間をとらえるために作品の周りからスケッチする
・作品から音を見つけて、オーケストラのように「演奏」する etc(※7)
などです。
鑑賞のねらいや発達を踏まえ、学習テーマを工夫し、いろいろな方法や作品を組み合わせてハイブリッドな鑑賞活動を開発してみてはどうでしょうか。
※1:海外の美術館では描くという活動は比較的ポピュラーな方法である。テート美術館編 奥村高明・長田謙一監訳「美術館活用術~先生のための環境教育の手引き」美術出版2012
※2:徳川美術館・五島美術館監修「よみがえる源氏物語絵巻~平成復元絵巻のすべて~」NHK名古屋放送局・NHK中部ブレーンズ 2006。東京芸大の卒業修了展でも毎年「模写」を見ることができる。
※3:「個人」の「創造性」を重視するあまり、「写し」を極端に否定する場合がある。
※4:童謡「ぞうさん」は、「お鼻が長いのね」と悪口を言われた象の子が「一番好きなお母さんも長いのよ」と誇りをもって答えるという内容である。阪田寛夫「童謡でてこい」河出文庫1990 pp.256-257
※5:実際の授業では、「視写」に「音読」や「話し合い」などを組み合わせながら、主人公の気持ちや作品の意図の理解などを深めていく。「ぞうさん」では、小学校2年生でも上記の解釈にたどり着く。
※6:女子美術大学の前田基成先生との対談より。
※7:前掲書1
※8:http://bijutsu.biz/bss_bsc/scope/eureka.html
「光のさしこむ絵」(第4学年)
※本実践は平成20年度版学習指導要領に基づく実践です。

1.題材名
「光のさしこむ絵」
2.目 標
光の見え方を試したり,つくり方を工夫したりしながら,光の美しさや材料の重なりのよさを味わい,自分の表したいものをつくる。
3.準備(材料・用具)
教師:色セロハン,O.H.P.シート,透明ビニルシート,トランスパレントペーパー,お花紙,カラーホイル,木工用接着剤,化学接着剤など
児童:はさみ,のり,光を受けて反射したり光ったりする身辺材料など
4.評価規準
造形への関心・意欲・態度
○材料や場から自分のイメージを膨らませ,興味をもって光の美しさを感じようとしている。
発想や構想の能力
○材料や場のよさを生かし,試したりつくり方を考えたりしながら,思いを広げて表している。
創造的な技能
○光の見え方を試したり,つくり方を考えたりしながら,表し方を工夫している。
鑑賞の能力
○光の見え方に興味をもち,美しさや面白さに気付いている。
5.本題材の指導にあたって
光を通したり反射したりする材料を使って子どもたちに「見え方」の変化を味わわせたいと考え,本題材を設定した。
光を通しやすい色セロハンなどの材料は,重ねる枚数や重ね方,置く場所,屋内と屋外で見たときなど,様々な条件によって「見え方」が異なり,それぞれによさや美しさがある。本題材では,子どもたちが光のいろいろな「見え方」を試し,つくり,つくり変えていく面白さを味わわせる活動にしたいと考えた。材料を加減したり,天候や場所による「見え方」を考えたりしながら子どもたちの発想を広げ,「こうしたらどうかな?」という思いが広がる活動に展開したい。
6.指導計画(全5時間)
|
時 |
学習活動の流れ |
指導上の留意点 |
|---|---|---|
|
で 45分 |
〇光を通す材料と触れ合う(色セロハンをはじめ,持参した材料など)。
色セロハンをいろいろな形に切って並べてみたよ。 |
・色セロハンなどの材料置き場を決め,予めそこから選ぶことを伝える。
「見え方」を意識させるため,材料は様々なものを用意する。 |
|
広 160分 |
〇材料を選び,光の「見え方」を試しながらつくる。
〇場所を変えたときの光の「見え方」の違いに気付く。
色の重なりがきれい。少しずつ違う色セロハンをずらして貼ってみたよ。
屋上で見てみよう!地面にも映るよ。 |
・透明なビニルシートやO.H.P.シートの上に,色セロハンなどの材料を貼っていくことを伝える。
・窓にかざしたり,屋上で広げたりするなど,場所を変えたときの「見え方」を意識させる。
曇っているときの光は弱い。絵の具の緑と黄色を混ぜると黄緑になるけど,色セロハンではどうかな? |
|
振 20分 |
〇友だちの作品を鑑賞する。
色セロハンの色の違いから,海の深さを表現したよ。
〇材料や場所の違いによる「見え方」の違いや,作品の工夫したところを発表する。 |
・それぞれの作品から,工夫の違いによるよさに気付けるよう促す。
大きい作品は友だちと一緒に見てみよう。 |
パプーシャの黒い瞳

(c)ARGOMEDIA Sp. z o.o. TVP S.A. CANAL+ Studio Filmowe KADR 2013
世界中のいろんな人にはそれぞれの生き方がある。どのような生き方を選ぼうとも自由であり、ほかの人たちからとやかく言われる筋合いはない。国境を越えて旅するジプシーの人たちしかり。砂漠の遊牧民の人たちしかり。内陸辺境に住む少数民族の人たちしかり。
ポーランドの映画で「パプーシャの黒い瞳」(ムヴィオラ配給)を見た。幌馬車を連ねて、ジプシーたちが移動する。夜、火を焚いて野営する。楽器を奏で、踊る。これが、モノクロームの映像で、うっとりするほどの美しさ。映画は、1910年に生まれ、1987年に死んだジプシーの女性詩人、パプーシャ(人形を意味する)こと、ブロニスワヴァ・ヴァイスの人生を振り返る。
ジプシーは書く言葉を持たない。パプーシャは小さい頃から文字に興味を持ち、詩を書く。父の弟で、年の離れた叔父と結婚することになるが、ジプシー集落に身を潜めた詩人イェジ・フィツォフスキの影響で、パプーシャの才能は開花する。結果、パプーシャは詩を書き、フィツォフスキはジプシーの内情を本にする。
ジプシー社会は、内部の実情を外部に漏らさないという不文律がある。パプーシャはジプシーたちから追放される。映画はパプーシャの生まれた1910年から始まり、1971年、1949年、1921年、1925年、1952年、1939年、1971年と、時制を変えながらパプーシャの人生を綴っていく。パプーシャの生まれ育った時代は、20世紀初めからのポーランドの歴史と重なる。第一次世界大戦後の1918年、ポーランドは国家として復活する。1926年、クーデターによるピウスツキ独裁政権ができる。1939年、ドイツ軍がポーランドに侵攻する。ヒトラーは、ユダヤ人だけでなく、ジプシーをも根絶しようとする。
雪の中、ジプシーたちの幌馬車は行く。受難は続く。1949年8月、ポーランド内務省はジプシーの定住化政策を開始する。幌馬車での旅ができなくなる。子供は学校に行かねばならない。誰もが定職に就かねばならない…。パプーシャたちジプシーは、このような過酷な時代を生き続ける。まして、パプーシャは、所属している社会から追われることになる。そんな中でもパプーシャは詩を書き続け、フィツォフスキに送る。パプーシャの書いた詩は現存し、各国語に訳されている。映画の中にも挿入され、すてきな詩たちである。
「いつだって飢えて いつだって貧しく 旅する道は 悲しみに満ちている とがった石ころが はだしの足を刺す 弾が飛び交い 耳元を銃声がかすめる すべてのジプシーよ 私のもとへおいで…」
世界には、国家や国境と関係なく移動しながら生きる人たちがいる。また、世界のあちこちに散在する少数民族は、国家の政策で移住せざるを得ない状況に追いやられることもある。住む場所を追われた難民も多い。まことに国家は勝手なものと思う。
映画「パプーシャの黒い瞳」は、単なる女性詩人の一代記ではない。あまりくわしく知られていないジプシー一族の内情、個人の受難を描いているとはいえ、政治的な意図を込めているわけではない。受難と孤独の中、パプーシャは「言葉」を紡ぎ続け、「詩」を創造する。「いくつもの時をその瞳は見つめた 森よ 今あなたはどこにいるの」と。永遠の問いだとは思うが、人間にとって自由とはなにか、そして、幸せとはなにかを、静かに問いかけてくる。
監督は、クシシュトフ・クラウゼとヨアンナ・コス=クラウゼ。言語障がいを抱え、文字の読み書きができなかったポーランドの天才画家ニキフォルの晩年を題材に「ニキフォル 知られざる天才画家の肖像」を撮ったコンビである。クシシュトフ・クラウゼは2014年12月に亡くなった。本作が遺作となる。
2015年4月4日(土)より岩波ホール
ほか全国順次公開!
■『パプーシャの黒い瞳』公式Webサイト
監督・脚本:ヨアンナ・コス=クラウゼ、クシシュトフ・クラウゼ
撮影:クシシュトフ・プタク、ヴォイチェフ・スタロン
音楽:ヤン・カンティ・パヴルシキェヴィチ
出演:ヨヴィタ・ブドニク、ズビグニェフ・ヴァレリシ、アントニ・パヴリツキ
配給:ムヴィオラ
原題:PAPUSZA
ポーランド映画/2013年/ロマニ語&ポーランド語/モノクロ/1:1.85/5.1ch/131分/DCP
字幕翻訳:松岡葉子
字幕協力:水谷驍、武井摩利
2013カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭スペシャル・メンション
2013バリャドリッド国際映画祭監督賞・男優賞・青年審査員賞
2013グディニャ国際映画祭メイキャップ賞
2013テサロニキ国際映画祭観客賞(オープン・ホライズン・セクション)
2014イスタンブール国際映画祭審査員特別賞
2014ポーランド映画賞 楽曲賞・撮影賞・美術賞





