道徳授業、今だからこそ、再び「原点」に戻りましょう!

 「学び!と道徳」第4号です。
 このところずっと話題にしていました「全国小学校道徳教育研究大会 愛媛大会」(全小道研全国大会)も無事終わりました。公開授業、研究発表、指導講話、記念公演のどれをとっても中身の濃い充実した内容でありました。愛媛県で道徳教育の振興に尽力されている先生方の叡智が結集された大会でした。
 「大会主催者の皆様、本当にお疲れさまでした。」

 いろいろな方のご挨拶の中で、「よくぞ言ってくれた」というものがありました。大会二日目の会場となった「松山市総合コミュニティセンター」のロビーでは図書販売のブースが設けられており、今話題の書籍が所狭しと並べてありました。それらの書籍群を指し、「今、道徳の教科化のうねりの中で様々な本が売られている。しかし、それらの中には、買っていいものと買わなくていいものとがある。中々見分けがつきにくいと思うので、先ずは『小学校学習指導要領解説 総則編』と『特別の教科 道徳編』を熟読玩味することだ」とおっしゃいました。まさにそうです。もっと言うならば「買わなければならないもの」と「買ってはならないもの」とがあるということです。特に、問題解決的やら体験的活動等の言葉がタイトルについているとつい手にしてしまいがちですが、「ちょっと待てよ」というものが結構あるような気がします。時流に流され本質を見誤ってしまう危険性があると言ってしまっては言い過ぎでしょうか。

1.教科になったら、そんなに変わるの?

 道徳の時間が「特別の教科 道徳」になったらそんなに変わるの?そんなに変えるの?という主張や授業事例が最近多くなったような気がします。私も何人かの仲間に聞いてみました。「最近何か変!という授業が結構あるんだよね」という声がささやかれます。また、「それ、道徳(の授業)?」といった道徳授業の特質をどこかに置き忘れてきたような授業にも出合うことがあります。特に、「『議論する道徳』への転換」が声高に言われ、あたかもそれが目的になってしまったような授業が見受けられるのは実に嘆かわしいことです。子どもたち一人一人の内面に根差した道徳性の育成がどこかに行ってしまい、騒々しく(あえてそういう表現をします)意見を主張し合うディベートのような授業がよい道徳の授業だと勘違いしているのです。
 道徳は、平成30年度から(中学は31年度)教科として生まれ変わるのだから、新しい方向性を追求していかなければならないということはわかります。しかし、だからと言って着ているもの全てを新調しなければならないのでしょうか。決してそんなことはありません。そして、「新しいもの、新しいもの」といって踊らされている傾向もありはしないでしょうか。今まで培ってきた歴史があるからこそ、これからの未来があるのです。脈々と築きあげられてきた道徳の授業実践があるからこそ、これからの展望を持つことが出来るのです。

2.道徳が「教科」になる背景を、今一度考えよう

 背景には、いじめ問題と道徳授業の完全履行が挙げられます。それだけ、全国の学校で道徳の時間がキチンと行われていなかったのです。残念ながら惨憺たるものだと思います、一部の熱心な学校を除いては。ですから、新しい試みを模索するよりも、先ずは特質を押さえた道徳の授業をちゃんとやりましょう!ということの方が先決問題だと私は考えます。
 特質を押さえた道徳授業の敷衍こそ今まさに求められることではないでしょうか。それが出来ないのに新しいことばかり先行し過ぎることは、まさに砂上の楼閣のごとく崩れ去ってしまいやしないかと心配してしまいます。基礎が出来ていないのですから。
 全国の先生方がちゃんとした普通の道徳の授業を確実に実施して下されば「それでいい」と私は考えます。先鋭的な試みは研究指定校等で鋭意研究を深められれば良いと思います。新しいことばかりをあたかも競争のごとく生み出していかなければならないと思っている先生方に私は言いたい。「早く目を覚ましてください」と。

3.「もし、自分だったら…」の発問は、愚問か

 最近この手の発問をする学習指導案をよく見かけます。結論から言うと、愚問です。特に、展開前段(いわゆる資料、教材にかかわる部分)で、「もし、あなたが『(およげない)りすさん』だったらどんな気持ちになりますか?」「もしあなたが『ロベーヌ』だったらどのように考えますか?」という類の発問をよく見かけます。
 なぜ愚問なのか。それは、言うまでもなく、道徳の時間の指導における発問はすべからく「もしあなたがりすさんだったら」「もしあなたがロベーヌだったら」を前提として聞いているわけですから。りす、あるいはロベーヌになり切っているということが当然であるのです。りすやロベーヌになり切って、りすやロベーヌに託して自分の思いや気持ちを発言しているのです。ですから、あえて「もし~~だったら」と聞くまでもないと言うのが私の意見です。
 そのために、資料提示、教材提示が大切になってくるのです。入念な提示によってクラスの子どもたちを「およげない りすさん」や「最後のおくり物」の世界に誘(いざな)うのです。「資料提示で道徳の授業の成否は決まる!」ということはこういうことなのです。「ここではりすさんになりきって考えましょう!」と声かけしている先生、もう一度自分の資料提示、教材提示を見直してみましょう。
 先日、大学の講義(道徳教育指導法「初等」)で「友のしょうぞう画」を扱いました。パワーポイント(P・P)による電子紙芝居にBGMをかぶせ朗読する手法で資料提示を行いました。以下、学生の声をいくつか紹介します。

●BGMの変わり目でなんとなく(物語の)次の展開の予想がつきます。また、大きなスライドを視聴していると物語の中に引き込まれました。主人公である和也になったようにずっと聴いていられ、様々な感情や思いが私の中に生まれました。

●今日の「友のしょうぞう画」という資料提示でP・PとBGMを使っていてすごく物語に引き込まれました。子どもを物語に引き込むことは、道徳の授業において最も大切なことだと改めて感じました。

●資料提示の仕方には色々な方法があることがわかりました。授業の内容に合わせて工夫したいと思います。今回、先生が行ったのはP・PとBGM、朗読でした。聞いていると、ストーリーが視覚からも聴覚からも入ってきて心にすとんと落ちていきました。児童が自分のこととして教材を考えるようになるためには、語る際にいかに入り込みやすく環境をつくるかが大切だということを実感しました。最後に、BGMだけを流していたところで(余韻をつくる)自分の内面を見ることが出来たので音楽の効果はすごいなと思いました。

 教師になったらぜひこの体験を子どもたちにもさせてあげてほしいと願ってやみません。

グレート・ミュージアム ハプスブルク家からの招待状

(C) Navigator Film 2014

 ハプスブルク家は、世界の歴史に必ず登場する名家である。13世紀から20世紀初頭まで、ざっと650年間、ヨーロッパに君臨した。著名な人物では、ルドルフ一世、マリア・テレジア、マリー・アントワネット、フランツ・ヨーゼフ一世等々。かつての全盛期には、ほぼヨーロッパの全域を支配した。
 しかも、遺産として、多くの絵画や彫刻などの美術品を残している。いずれも、名品ばかり。これを受け継ぎ、1891年から保存、展示しているのがウィーン美術史美術館である。
 このウィーン美術史美術館が、どのような美術品を、どのように展示、運営されているかを描いたドキュメンタリー映画が「グレート・ミュージアム ハプスブルク家からの招待状」(スターサンズ配給)だ。
 映画には、優れた美術品がつぎつぎと出てくるが、その詳しい紹介はない。描かれるのは、ウィーン美術史美術館で働く人たちの様子である。
 館長をはじめ、学芸員、修復家、運搬係、はては、清掃員まで登場する。個性豊かな人たちだけに、それぞれにドラマがある。膨大なコレクションである。しかも、傑作の美術品ばかり。後世に残しておかなければならない責任を感じている館長は、常に、「生き残るためにはどうすればいいか」を考えている。古くから勤めるお客様係の女性は、誇りを持っている。「お客様係や警備係は下っ端じゃない」と言い切る。

(C) Navigator Film 2014

 だが、現実は厳しい。維持管理には、多くのお金がかかる。予算はどんどん、減らされていく。新しいコレクションをオークションで落札するにも、お金がかかる。
 「集客が必要」と力説するディレクターがいて、「美術館の新しいロゴを作ろう」と提案し、実行する。一方、もうすぐ定年を迎える武器コレクションの責任者は、新しいブランド戦略には興味を示さない。
 修復家たちの奮闘もある。虫が掘った穴を見つけて、「数十年分の汚れよ」とため息をつく女性。からくり時計の修復にとりかかるが、その構造が分からず格闘する。ある室長はこぼす。「ハプスブルク家の伝統は重荷だよ」と。
 こういった仕事にかかわる人たちの本音や建前、喜怒哀楽が、時にはユーモラスに綴られて、じつに人間的。まるで、いろんな絵画に描かれた人物の内面そのもの。
 ちらりと登場する美術品を見るだけでも、ぞくぞくとする。有名なところでは、ブリューゲルの「バベルの塔」、「子供の遊戯」。フェルメールの「絵画芸術」。ベラスケスの「青いドレスのマルガリータ女王」。カラヴァッジオの「ゴリアテの首を持つダビデ」。ルーベンスの「毛皮をまとったエレーヌ・フールマン」。アルチンボルドの「夏」などなど。
 絵画だけではない。彫刻では、ヤコブ・アウアー作の「アポロとダフネ」。マティアス・シュタイン作の「トルコに帰還した皇帝レオポルド一世の騎馬像」。マスター・オブ・フリア作の「フリア」などなど。

(C) Navigator Film 2014

 ユリウス・ベルガーが描いた、美術工芸収集室の天井画がある。ハプスブルク家に関わった芸術の庇護者や芸術家、学者たちが、時間を超えて、一堂に会する。もちろん、皇帝フランツ・ヨーゼフ一世も描かれている。
 偉大な文化遺産を保護し、展示し、伝統を残そうとする人たちの英知に驚く。しかも、すべての具体的な作業は人間が行う。伝統を継続し、未来に伝え残すには、物理的にも精神的にも、人間としてのさまざまな悩みがある。これはウィーン美術史美術館だけのことではないだろう。
 ウィーンに行けるなら、まっ先に出かけたいのは国立歌劇場だったが、この映画を見ると2番目でもいいかなと思ってしまう。
 「グレート・ミュージアム ハプスブルク家からの招待状」という、すてきな、勉強になる映画を撮った監督は、ヨハネス・ホルツハウゼンという美術史が専門の映像作家。
 人間の奢りを描いたブリューゲルの「バベルの塔」を、注意深く運搬する人たち。なんと「人間的」なのだろう。もう、驚きの連続するドキュメンタリー映画だ。

2016年11月26日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町ico_linkほか全国順次ロードショー!

■『グレート・ミュージアム ハプスブルク家からの招待状』

監督・脚本:ヨハネス・ホルツハウゼン
製作:ヨハネス・ローゼンベルガー
共同脚本:コンスタンティン・ウルフ
撮影:ヨルク・ベルガー、アッティラ・ボア
出演:ザビーネ・ハーク、パウル・フライ、パウルス・ライナー
2014年/オーストリア/ドイツ語・英語/98分/DCP/カラー
提供:ドマ/ハピネット/スターサンズ
配給:スターサンズ/ドマ
配給協力:コピアポア・フィルム
後援:ウィーン美術史美術館、オーストリア大使館
日本語字幕:吉川美奈子
字幕監修:千足伸行

どうすれば、生徒の考えが深まる授業になるんだろう?

今までなかった「どうとくマンガ」!
「道徳教育」についてよく抱かれる疑問を取り上げ、マンガでわかりやすく解説します!
第6回のテーマは、生徒の考えの深め方についてです。

【登場人物】

徳田一道(とくだかずみち)

徳田一道
(とくだかずみち)

主人公。新任の中学校教師。悩んでいる。

保理 倫(ほりひとし)

保理 倫
(ほりひとし)

一道の同僚の教師。

モモ

モモ

なぜか一道に「道徳」について教えてくれる妖精(?)

ルル

ルル

モモと一緒に「道徳」について教えてくれる妖精(?)

ララ

ララ

モモとルルの上司。

【インタビュー】学校と美術館の連携の現場から

美術館と学校の望ましい関係

著者「美術館で学校を受け入れる立場として、喜びってありますか?」
藤吉「先生自身が美術館の活動を通して変化することがあって、それはうれしいですね。」
著者「具体的にはどのようなことですか?」
藤吉「美術館での鑑賞に熱心に取り組んでいる先生がいらっしゃいます。打ち合わせのため、ご自身の準備のために何度も美術館に来て、時間をかけて作品を鑑賞されます。すると、なかには、学校に戻ってから、子どもたちの制作のプロセスに以前より細かく、興味深く目を向けられるようになったって言ってくださる方もいらっしゃいます。子どもの作品を評価する時にも、出来上がった作品を単純に評価するのではなく、子どもの気持ち、意図、工夫も合わせて評価できるようにもなったんだそうです。」
著者「なるほど、表現活動に対する先生自身の見方が深まってるんですね。」
藤吉「子どもたちにとっては、美術館が実は学校での学習成果を発揮する場所にもなっているようです。」
著者「どういうことですか?」
藤吉「例えば、先生は『この子たちは美術館も鑑賞も初めてだから』と不安げなので、子どもたちの様子を観察していると、子どもたちは先生の心配をよそに時間をかけてゆっくりと見ているんです。そして、作品について意見を述べる時も、自分なりの意見を言っているんです。先生に学校の授業内容や子どもたちの様子を伺うと『図画工作に限らず、日頃から、言葉、形や色などの根拠を押さえた意見交換をしている』ということらしいです。」
著者「なるほど、学校の学習をしっかりやっていると、その力が美術館での鑑賞でも有効に働くんですね。たぶん、子どもにとって美術館は学力を統合的に発揮する場なんでしょうね。」
藤吉「ええ、いまだに多くの方が思われているように、美術館は単に美しいものを見る/見られるだけの場所ではないですね。」
著者「目の前の材料や色、形、すべて正解の中から、自分に必要なものを取り出して論理的に組み立てないと鑑賞も表現も成り立ちません。先週もある地方大会で、全国学力調査のB問題が上がったということを聞きました。研究大会が終了して、校長室でくつろいでいたときの話なんですが、私が『図画工作の研究校では全国学力調査のB問題の点数が上がることが起きるんですよね』って言ったんです。そうしたら校長先生が『そうか!』と膝を打って『B問題だけ上がっていたんです!でもその理由がわからなかったんですよ。そうか図工だったんですね』って話してくれました(※1)。図画工作や美術は学力を統合的に使う時間なんです。たとえ週2時間だけでも、しっかりやれば学力は上がると思います。エビデンスが明確というわけではないので、それは今後の課題ですけど(※2)。」
藤吉「学校は、子どもたちの学力伸張という点においても、美術館を多いに活用できますね。」

美術館と学校の関係をつくる

著者「困っていることはありませんか?」
藤吉「打ち合わせ時に先生に来館目的(学習目標)をお訊きしても、子どもたちを美術館に連れて行こうと考えられた時に、では、そもそもの目的は?と考えておられる先生がとても少なく、あっさり『美術館に連れてくることが目的』『体験そのものが目的』と答えられ、学習目標やねらいを考えておられる先生がまだまだ少ないことですね。」
著者「あ~……もう少し主体的に教育課程に位置付けてほしいなあ。海外ではナショナルカリキュラムとの関連を大切にしている美術館が多くて、ロンドンのテート美術館は訪問申請書に目的や内容、カリキュラムとの関連を記入させていますよね。」
藤吉「ええ、そのために打ち合わせはするんです。まず来館目的や美術館での鑑賞の学習目標等をお訊ねするんですが、その時に返ってくるのが『鑑賞で何をやったらいいかわからないから、美術館に連れてきたいです』『美術のことは一切わからないから教えてください』という言葉なんですね……。最初から手放しで美術館にゆだねてくる状態で先生方から何とか聴き取ろうとしても、沈黙ということが多いです。」
著者「子どもは、その時間に学力を伸ばしているんだからもったいないなあ……。」
藤吉「そうなんです。美術館に連れてくるという相当なエネルギーを割かれているので、あともう一歩なんですけどね。もうちょっと欲張ってほしいです。でも、今の話の流れと矛盾するかもしれませんが、まずはそれでもいいかなとも思っています。」
著者「というと?」
藤吉「『美術館そのものが目的』とまず考えてくださることもとても大切なことだと思います。家庭で来館する機会がない限り、子どもたちが、幼少期に一人で美術館に来ることはまずないです。でも、先生が総合的な学習の時間、校外学習など、まずはいろいろな時間の枠を利用して美術館に子どもたちを連れ出そうとしてくださっていることは、子どもたちにとっては非常に貴重な機会となり得ます。」
著者「確かにそうです。」
藤吉「まずはそこからで、先生方からの信頼を得つつ、関係を醸成していく必要があります。例えば、毎年あるいは隔年くらいに来てくれる学校では、来館を繰り返しているうちに、美術館と相談して対象とする子どもたちの発達段階に応じた学習目標を掲げた鑑賞プログラムを立てようとしてくれる先生が増えてきました。」
著者「その変化はうれしいですね。」
藤吉「訪問そのものが、きっかけになって訪問計画が変化した例もあるんです。初回は『恒例行事で科学館に来るから、ついでにすぐ隣の美術館に立ち寄りたい』というだけだったんです。滞在時間は30分ほどでした。でも、先生たちが思っている以上に子どもたちは作品鑑賞を楽しんでいたんですね。その様子を見た先生方が二回目は滞在時間を増やしたいと希望されました。そして、今では科学館での滞在時間より美術館での滞在時間のほうが圧倒的に長くなっているという、そんな学校も少しずつですが現れてきました。」
著者「なるほど、先生が美術館の学習効果に気付いたんですね。」
藤吉「ある先生は美術や作品鑑賞に一切興味がなくて、子どもたちの来館にも非常に懐疑的だったんです。でも学年の取り組みだからしょうがない。毎年来ないといけない、そういう様子だったんです。でも、美術館鑑賞での子どもたちの様子に触れて『これは、他の活動では絶対に得られない体験をしている』と強く実感されたようです。今ではすっかり、美術館のファンです。先生ご自身が美術館での鑑賞のとりこになって、先生方向けの研修の際にも、子どもたちにもたらす美術館での鑑賞のパワーを他の先生方に積極的に話してくださっています。」
著者「子どもの姿で先生自身が変化するんだ。やっぱり現場の姿が一番説得力あるのかな。そこを見失っちゃいけないですよね(※3)。」

これからの美術館と学校

藤吉「学校教育から考えれば、美術館での鑑賞はちょっとしたオマケのようなもので、美術館での時間は独立したものと考えられているかもしれません。しかし、来館目的にもよりますが、少しでも学習効果を求めるとすれば、事前学習と事後学習は必要だと思います(※4)。実施されている学校と実施されていない学校では、子どもたちの美術館での時間の過ごし方にはじまり作品と対峙する姿勢にいたるまで、明らかに異なります。事後のフォローも重要です。美術館は『学校での学習の成果を実感として受け止められる場所』あるいは『さらに学習を発展させたりする場所』にもなりえると思います。もちろん、美術館が学校化して美術館らしさを失ってはいけませんが、学校として来館するのであれば、目的の大小はともあれ、学校と美術館を切り離して考えるのではなく、一連の関わりの中で考えてほしいです。」
著者「確かに、子どもは学校、美術館、地域社会と連続する世界で育っていると思います。そうであれば『社会に開かれた教育課程』として美術館を学校教育の資源に位置付け、学校と一体になって美術館を活用するようなカリキュラム・マネジメントが求められているのかもしれませんね。本日は、貴重なお話、ありがとうございます。」
藤吉「ありがとうございます。」

 

※1:学び!と美術<Vol.04>「図画工作・美術で学力が伸びる?」に書いたこととまったく同じことが起きたということです。
※2:フィリピンの貧困地域で調査を始めています。学び!と美術<Vol.43>「フィリピンの貧困地域における鑑賞教育の可能性」
※3:学び!と美術<Vol.50>「『現場の感覚』~オランダ美術館員の一言~」
※4:電話の掛け方から、事前事後学習(美術館新聞など)の在り方まで提案されています。ロンドン・テートギャラリー編 奥村高明・長田謙一監訳「美術館活用術 鑑賞教育の手引き」美術出版社2012

ホドロフスキーの虹泥棒

(c) 1990 Rink Anstalt / (c) 1997 Pueblo Film Licensing Ltd

 映画表現には、さまざまな方法がある。教育の問題に正面から取り組んだ映画もあるが、人間の存在そのものが、いったいどのようなことなのかといった、やや哲学的に考えようとする映画もある。南米のチリ生まれの映画監督、アレハンドロ・ホドロフスキーは、映画を通して、ずっと「人間とはいったい何か」を考え続けている作家と思う。
 熱狂的な映画ファンが絶賛する映画を数本撮った後の1975年、ホドロフスキーは、フランク・ハーバート原作の長大なSF小説「DUNE」の映画化を企てる。製作にぼう大なお金のかかる大作である。錚々たる俳優、歌手、画家たちが出演を承諾、ホドロフスキーは、この企画をアメリカの大手の映画会社に持ち込む。製作費がかかりすぎる、監督が無名、という理由で、どこも引き受けてくれない。結局、この「DUNE」の映画化は挫折する。

(c) 1990 Rink Anstalt / (c) 1997 Pueblo Film Licensing Ltd

 転んでもタダでは起きないホドロフスキーは、2013年、この映画化挫折の顛末をドキュメンタリー映画にしてしまう。撮ったのはフランク・パヴィッチという人だが、ホドロフスキー自身が出演、「DUNE」という原作の持つ世界観に共感し、当時のハリウッドの現状を徹底的にからかった、痛快なドキュメンタリーだった。
 このホドロフスキー監督が、1990年にイギリスで撮った「虹泥棒」という映画がある。興行的に成り立たないという判断なのか、契約の関係なのかの詳細は分からないが、日本ではずっと、一般公開されなかった。ずっと、ほぼ自力で撮り続けてきた作家である。大手の資本での映画製作は、これが初めてらしい。このほどやっと、監督自身の編集を経て、「ホドロフスキーの虹泥棒」というタイトルで公開の運びとなった。
 クリストファー・リー、ピーター・オトゥール、オマー・シャリフと、主役の3人は、世界的に著名な映画俳優である。俳優の名だけでも観客を呼べるくらいである。
 犬のダルメシアンを可愛がっている大富豪ルドルフ(クリストファー・リー)が、晩餐会を開く。招かれた親戚たちは、高齢のルドルフの遺産に期待している。親戚たちは、メニューに驚く。犬にはキャビア、人間には骨だけ。まったく逆である。そこに、ルドルフの呼んだ売春婦たちがやってくる。華やかな虹色のドレスを着て、ルドルフと戯れる。ところが、ここでルドルフが発作を起こし、昏睡状態となる。

(c) 1990 Rink Anstalt / (c) 1997 Pueblo Film Licensing Ltd

 遺産目当ての親族たちは、弁護士を囲んで、言い争う。ルドルフには、メレアーグラ(ピーター・オトゥール)という甥がいる。親族たちは、メレアーグラが遺産を手にするのではないかと心配している。メレアーグラは、親戚たちの言い争いにうんざりし、豪邸を出ていく。
 5年後、メレアーグラは、ささいな泥棒稼業の男ディマ(オマー・シャリフ)と、地下水道の一角で暮らしている。ふたりの生き甲斐は、まだ生きているルドルフの遺産のみ。
 人間とは、いったい何だろう。人間の運命とは、いったい何だろう。映画には、猥雑なシーンもあるが、息をのむような美しいシーンもある。人間のさまざまな欲望に対して、あざ笑うかのようなホドロフスキーの視線がある。人間の運命に対して、突き放すようなホドロフスキーの視線がある。
 タイトル通り、ホドロフスキーは、とても美しい虹を映しだす。「人間というものは、どうやって生きるのか。あなたがた、ひとりひとりが考えることですよ」と問いかけながら。

2016年11月12日(土)より、渋谷アップリンクico_link他にて全国順次ロードショー!

『ホドロフスキーの虹泥棒』公式Webサイトico_link

監督:アレハンドロ・ホドロフスキー『エル・トポ』『リアリティのダンス』『ホドロフスキーのDUNE』
脚本:ベルタ・ドミンゲス・D『王子と乞食』
製作:ヴィンセント・ウィンター、ヴァルデマール・ズィーキ
製作総指揮:ヨハネス・ヴァイネック
撮影:ロニー・テイラー『ガンジー』『遠い夜明け』
編集:マウロ・ボナーニ『サンタ・サングレ/聖なる血』
音楽:ジーン・ミュージィ
出演:ピーター・オトゥール、オマー・シャリーフ、クリストファー・リー、ジョアンナ・ディケンズ、イアン・デューリー
1990年イギリス映画/92分/カラー/ステレオ/ビスタサイズ(ヨーロッパ・ビスタ)
配給:アーク・フィルムズ
配給協力・提供:是空
協力:TCエンタテインメント

アクティブ・ラーニング、それは「議論する」道徳授業!?

 「学び!と道徳」第3号をお送りいたします。
 先月号で紹介いたしました松山市での「全国小学校道徳教育研究大会」(全小道研全国大会)では、会場校の一つであります「松山市立潮見小学校」で「道徳の時間」における定番資料「手品師」を扱った授業が公開されます。
 有名な資料(教材)なので何度か授業を拝見する機会に恵まれますが、難しいので授業者もそれなりに苦労されているようです。私も何度か挑戦してきましたが、なかなか「うまくいった!」という感触を得るには至りません。授業をするたびに悩んでしまいます。
 先日もこの資料を扱った授業研究会にお邪魔しました。びっくりしたのは、資料を途中で切ってしまったことです。授業者は「分割(中には、分断という人もいる)」と言っていましたが、「まだこんなことやっているんだ!」というのが私の率直な感想でした。(「まだ」と言ったのは以前このような授業が盛んに行われていました。しかし、最近もこのような授業事例が再び見られるようになり、「またか!」というニュアンスかもしれません)

1.資料(教材)を途中で「切って」しまうこと

 先の「手品師」の授業では、手品師が「大劇場に出演しないか?」との友達の電話に迷ってしまう場面でいったん資料提示を終えてしまいます。そして、「もし、みなさんがこの手品師だったらどうしますか」と発問するのです。なぜそのようなことをするのか尋ねたところ、結論がわかっていないので話し合いが活発になり、道徳の授業が活性化するからだと言われました。確かに、「大劇場に出る」「男の子との約束を守る」と二手に分かれて子どもたちは盛んに話し合っていました。しかし、結論の一致点は当然見られません。
 議論が一段落したところ、なんと授業者は「この問題(状況)を解決するにはどうしたらよいでしょう。また、その理由を考えましょう」という中心発問を発しました。いわゆる、問題解決的授業の実践だそうです。「どうしたらよいでしょう?」と問われたものですから、子どもたちは具体的な解決方法を必死に考え始めます。「どのようにするか」といった方法論に陥った議論が始まります。男の子に連絡を取って謝る、後日その子を呼んで手品を披露する、その子を見つけ出して一緒に大劇場に連れていくなど様々な解決方法を発表していました。さんざん議論した後、教材の後半部分を提示します。
 「なあんだ、結局大劇場にはいかなかったんだ」「その方(大劇場に行かない)が道徳的だもんな」「本当は行きたかったんじゃない?」
という子どもたちの声が聞かれます。そして、先生は「それでは、たった一人の男の子の前で手品を演じている手品師に手紙を書きましょう」と展開後段の学習活動を促します。
 はっきり言って、これって道徳の授業?と思います。ねらいとする道徳的価値は「誠実」であったはずです。先生の授業運び自体が誠実ではありません。なぜならば、二手に分かれてさんざん子どもたちに議論させておいて、あらかじめ分かっている結論を後から提示するのですから。「正しいのはこれだよ」というように。相手にも自分にも「誠実でありたい」というこの授業のねらいはどうなってしまうのでしょう。
 一つ気になること。話の顛末を隠すことによって活発に話し合いをさせたいと教師は願っていますが、子どもたちは教室備え付けの道徳副読本を結構読んでいるものです。特に、お話し好きの子どもはしょっちゅう読んでいます。「この後こうなるよ」と話している声も聞きます。本当の意味で全員の子どもたちが初めて資料に出会うとは言い切れない現状もあるということです。
 さらにもう一つ気になること。「もし、みなさんがこの手品師だったら」の発問です。「もし~~だったら」という仮定において、子どもたちは本当に手品師の状況に立てるものでしょうか。私は立てないと考えます。立てないのに立ったことにして考えさせ、それを発表し、みんなで話し合わせることに疑問を感じます。自分の身に火の粉が降りかからないことを重々承知の上で危機的状況における身の処し方を問うていることと同じです。それよりもその場面における登場人物の気持ちについてじっくりと語り合うほうがよっぽど道徳の時間としての価値があると考えます。

2.編集の段階で資料(教材)が切られている!

 ある日、これも使用頻度の高い「ロレンゾの友達」という資料を調べていたときです。恥ずかしながら、私はこの資料で授業をやった経験がなかったのでよく知りませんでした。ある会社の副読本に掲載されているものを読んでみると、何となく尻切れトンボです。途中で話が切れています。「変だな」と思って他の会社の資料を調べてみると、なんとほぼ半分のところで切れています。後半が全く掲載されていないのです。「これで作者はよく了解したなあ!」と思います。改めて送られてきた学習指導案を見ました。一言で言うと国語科の「話し合い」の授業です。厳密に言ったら国語科としての授業でもないかもしれませんが。しかし、明らかに道徳の授業ではありません。「困ったな」と思っていろいろと実践事例を検索してみると、ほぼ同じような学習展開(道徳の授業になりえない)です。副読本の指導書を見ても同様です。そして、この資料が活用されている頻度が高いということ、道徳の授業になりえない学習展開が全国で展開されていることを知り、改めてびっくりしました。
 罪を犯したとされるロレンゾが故郷に帰ってくるにあたり三人の友達は再会を楽しみにする一方、どのように友に対応するか悩んでしまう。かしの木の下でそれぞれの主張は述べるが結論は出ない。結局その話は間違いだったということになり、旧知の四人はあらん限りの力で抱きしめ合い友情を確かめ合う。しかし、その帰り道、三人の友達はかしの木の下で話し合ったことは口にしなかった。
 前出の副読本では、三人の主張が述べられているところで終わってしまいます。そして、「みなさんは、どの登場人物の考えと同じですか? また、そのわけを考えましょう」と問います。「もし、みなさんだったらどの人の立場をとりますか?」と発問した授業も見たことがあります。そして、ネームカードなどを張りながらそれぞれの立場や考えを述べ合います。いわゆる、議論し合います。活発に議論します。授業者は満足気です。いい加減議論がなされたところで、「考えが変わった人はネームカードを張り替えましょう」と促し、張り替えた子どもにどうして変えたのかその理由を述べさせます。その理由を他の子どもたちと共有します。最後に「本当の友達とは、どのような友達を言うのだろう?」と問いかけワークシートにまとめさせます。やはり、国語科の「話し合い」の授業としか思えません。
 確かに、子どもたちは「友情・信頼」についてよく考え議論し合います。ワークシートにもよくまとめます。しかし、「自己の生き方についての考えを深める」授業になっていたかと問われるとなっていません。「批評、評論し、頭の中で概念を子どもなりにまとめた」という授業になってしまわないか不安です。私は、最後の「三人とも口にしなかった」が中心発問になると思いますが・・・・。

落書の世界 ―二条河原落書が問いかけた世界― 2

承前

 後嵯峨天皇の眼には、「天子二言アリ 院中念仏アリ 当世両院アリ ソヽロニ御幸アリ」と、民の営みなど眼中にありませんでした。正元元年(1259)11月には、後嵯峨上皇が後深草天皇の皇位を弟恒仁親王に譲位させ、亀山天皇となり、上皇が後嵯峨、後深草の2人となりましたが、後嵯峨が父権によって権力をにぎっていました。この後嵯峨上皇は、熊野・八幡・賀茂・高野等への御幸が繰り返しており、亀山は皇位を後深草に返さず、己の子を皇位につけ(後宇多天皇)、後深草と対立、幕府の介入で皇位を後深草の持明院統と・亀山の大覚寺統の交互にするという迭立の方式となりました。ここに皇統が二流となり、この方式が後醍醐による「建武中興」で破綻、南北朝争乱となります。その意味では、この「院落書」にみられる「当世両院アリ」は南北朝の争乱への讖言にほかなりません。

後嵯峨(1242年)から後醍醐へ

 後嵯峨から後醍醐への皇統の流れは右図のようなものです。このような迭立の時代は、前号で紹介しましたように鎌倉大地震、諸国暴風雨、飢饉疫病流行、諸国飢饉の時代であり、戒壇設立をめぐる山門、寺門の抗争が渦巻いておりました。幕の御家人体制は、大陸に成立した元の脅威にさらされ、文永・弘安の役となり、「悪党」といわれた非御家人台頭し、亀裂がはじまってきます。日蓮は、こうした時代が迎える危機を説き、文応元年(1960)に『立正安国論』で世に警告、流罪に処せられます。両統迭立という方策は、御家人体制が揺らぐなかで、鎌倉幕府が朝廷を懐柔操作する方策として活用されたのです。後醍醐の登場は、北条執権体制を担う得宗執権体制に異をいだく御家人にくさびを打ち込み、畿内西国の非御家人を結集する場を提供し、鎌倉幕府を亡ぼすこととなります。この変革は、天皇親政に道を開いたとして、「皇国」日本の「国史」上で「建武中興」なる名称で説かれることとなります。

建武新政の虚実―二条河原落書(建武年間記)は何を問いかけているか

口遊。去年八月二条河原落書云々。元年歟。
此比都ニハヤル物。夜討強盗謀綸旨。
召人早馬虚騒動。生頸還俗自由出家。
俄大名迷者。安堵恩賞虚軍。
本領ハナルヽ訴訟人。文書入タル細葛。
追従讒人禅律僧。下克上スル成出者。
器用ノ堪否沙汰モナク。モルヽ人ナキ决断所。
キツケヌ冠上ノキヌ。持モナラハヌ笏持テ。
内裏マジハリ珍シヤ。賢者ガホナル伝奏ハ。
我モ々々トミユレドモ。巧ナリケル詐ハ。
ヲロカナルニヤヲレルラン。為中美物ニアキミチテ。
マナ板烏帽子ユガメツヽ。気色メキタル京侍。
タソガレ時ニ成タレバ。ウカレテアリク色好。
イクソバクゾヤ数不知。内裏ヲガミト名付タル。
人ノ妻鞆ノウカレメハ。ヨソノミルメモ心地アシ。
尾羽ヲレユガムヱセ小鷹。手ゴトニ誰モスエタレド。
鳥トル事ハ更ニナシ。鉛作ノオホ刀ガタナ。
太刀ヨリ大ニコシラヘテ。前サガリニゾ指ホラス。
バサラ扇ノ五骨。ヒロコシヤセ馬薄小袖。
日銭ノ質ノ古具足。関東武士ノカゴ出仕。
下衆上臈ノキハモナク。大口ニキル美精好。
鎧直垂猶不捨。弓モ引エズ犬逐物。
落馬矢数ニマサリタリ。誰ヲ師匠トナケレドモ。
遍ハヤル小笠懸。事新キ風情ナク。
京鎌倉ヲコキマゼデ。一座ソロバヌヱセ連哥。
在々所々ノ歌連歌。点者ニナラヌ人ゾナキ。
譜第非成ノ差別ナク。自由狼藉世界也。
犬田楽ハ関東ノ。ホロブル物ト云ナガラ。
田楽ハナヲハヤルナリ。茶香十炷ノ寄合モ。
鎌倉釣ニ有鹿ト。都ハイトヾ倍増ス。
ゴトニ立篝屋ハ。荒涼五間板三枚。
幕引マハス役所鞆。其数シラズ満ニタリ。
諸人ノ敷地不定。半作ノ家是多シ。
去年火災ノ空地共。クワ福ニコソナリニケレ。
適ノコル家々ハ。点定セラレテ置去ヌ。
非職ノ兵杖ハヤリツヽ。路次ノ礼儀辻々ハナシ。
花山桃林サビシクテ。牛馬華洛ニ遍満ス。
四夷ヲシヅメシ鎌倉ノ。右大将家ノ掟ヨリ。
只品有シ武士モミナ。ナメンダウニゾ今ハナル。
朝ニ牛馬ヲ飼ナガラ。タニ変アル功臣ハ。
左右ニオヨバヌ事ゾカシ。サセル忠功ナケレドモ。
過分ノ昇進スルモアリ。定テ損ゾアルヲント。
仰デ信ヲトルバカリ。天下一統メヅヲシヤ。
御代ニ生デテサマ々々ノ。事ヲミキクゾ不思義トモ。
京童ノロズサミ。十分一ヲモラスナリ。

 この有名な落書は教科書の定番です。「建武」の世とは下記の年表に読み解くことができます。時代の人心は、政治の動乱に天変地異を重ね想いみたとき、はじめと歴史として把握できます。歴史は想起し創造することで描ける世界です。この想いを秘め、一人の歴史家として、年表が問いかけている時空間の世界を旅してみませんか。なお、落書が掲示された場所は、後醍醐天皇の政庁が所在した二条富小路に近い二条河原で、無縁地で公権力が介入できない公界の場でした。

1325年(正中2)10月 正中地震 M6.5‐7
1331年(元弘元)7月 元弘地震 3日紀伊 7日東海 M7以上(東海地震か)
1333年(正慶2、元弘3)閏2月 後醍醐天皇、隠岐脱出 5月 六波羅、鎌倉陥落 6月 後醍醐天皇、京都に還る 8月 足利高氏に尊氏を賜う
1334年(建武元)5月 記録所、雑訴決断所、武者所の設置 8月 二条河原落書
1335年7月 中先代の乱、護良親王歿 11月 尊氏、鎌倉で叛 12月 赤松則村の叛
1336年(延元元、建武3)5月 楠木正成、湊川で敗死 6月 尊氏、光厳院を奉じて入京 11月 尊氏、建武式目17条制定 12月 後醍醐天皇、吉野潜行(南北両朝分裂)
●卜部兼好「徒然草」
1337年12月 北畠顕家、鎌倉攻略
1338年(延元3、歴応元)5月 顕家、和泉石津で敗死 7月 新田義貞、越前で敗死 8月 尊氏、征夷大将軍
1339年8月 後醍醐天皇歿(52)、秋、北畠親房「神皇正統記」
1342年(興国3、康永元)4月 五山十刹の制
1353年(正平8、文和2)8月 尊氏、後光厳院を奉じて入京
1354年4月 北畠親房歿(62) 12月 直冬が京都侵攻、尊氏、光厳院と近江へ逃れる
1358年(正平13、延文3)4月 足利尊氏(54)歿

内憂外患の世

 室町の世は、幕府にみる主従制的支配原理も天皇による統治権的支配原理も揺れ動くなかで、列島をささえてきた秩序のありかたに亀裂が奔って行く時代です。まさに時代は、年表に列記された時代相にみられますように、自然災害によって大きくゆるがされ、大転換の時に曝されていきます。

1360年(正平15)10月 紀伊摂津(東南海地震か)M7.5-8 死者多数、津波
1361年6月 正平地震 M8-8.5 死者多数、摂津・阿波・土佐で津波被害大
1407年(応永14)12月 応永地震 京都M7-8 紀伊・伊勢で地震、熊野本宮の温泉停止
1408年5月 義満歿(51)11月 諸国関所の制
1413年8月 段銭・棟別銭を諸国に課す
1418年 近江大津の馬借、京都に侵攻
1419年 朝鮮の兵、対馬襲来(応永の外寇) 京都・関東に地震・風水害
1420年 全国各地、凶作飢饉
1421年1月 倭寇、明辺境を侵攻。●飢饉・疫病流行
1427年5月 京都大水害
1428年(正長元)8月 畿内近国で土民蜂起、徳政要求(正長の土一揆)「亡国の基」
1429年(永享元)1月 播磨国に土一揆
1433年(永享5)9月 相模地震 M7以上 死者多数、津波で利根川逆流
1449年(文安6)4月 山城・大和地震 M6.5 死者多数
1454年(亨徳3)11月 亨徳地震 会津強震、奥州海岸の大津波 12月 鎌倉で大地震
1474-75年(文明6)冬 京都大地震
1467年(応仁元)10月 細川勝元(東軍)・山名持豊(西軍)激戦(―77年11月)
1495年(明応4)8月 津波で鎌倉大仏破壊
1498年(明応7)6月 日向地震 M7.5 死者多数、畿内でも地震(南海地震か) 8月 明応地震 M8.2-8.4 使者3―4万人以上 伊勢・駿河津波被害大、浜名湖が海に繋がる
1502年(文亀元)12月 越後地震 M6.5-7.0 死者多数

 応仁の乱は、南北朝の抗争にはじまる列島の歴史構造にくさびを打ち込み、新しい秩序の誕生へと向かわせます。おもうに皇統の在り方、その統治権的支配原理の混迷は、日本の統治構造をめぐる歴史に大きな翳をおとしており、現在の「象徴」なる言説にみられる日本の支配原理をも揺るがす要因を秘めていることに想いをいたしたいものです。