16世紀という時代(7) ―「沈黙」の世界に生きた人びと―

承前

 昨今話題となったマーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙サイレンス』は遠藤周作の作品を映画化したものです。私は、神々が宿る国日本におけるキリスト教の受容とは何かを問いかけた遠藤の作品をして、キリスト教国の人間がどのように描くかに興味がありました。しかし遠藤が己の信仰をかけたとも言える作品は、キチジローを狂言回しとした一種の道化芝居とも言うべき映画になっていたのではないでしょうか。フランスの友人からはローマ教皇がキチジローの姿に笑いだしたとの手紙をもらいました。世間がこの映画をどのように評価したか寡聞にして知りませんが、禁教下で生きたキリシタンの信仰をここで確認し、信仰に生きるとは何かを考える一助にしたいと思います。

Ⅱ)コンフラリアの相貌

 キリシタンは、秀吉から家康、さらに家光へと、踏絵、宗門人別帳、キリシタン類族帳等々による徹底した禁教体制下で生きねばなりませんでした。この体制下にあってもキリシタンは、先祖伝来の信仰としてデウスの信仰に生き、開港後にその存在が発見されました。そこには、厳しい迫害に耐えて生きるべく、同心協力の講組が結成されていました。ルイス・フロイスは、1592年10月1日付年報で、次のようにキリシタンの姿を報じています。

奉教人たちは迫害いよいよ進みしに拘わず、各地においてその勇気を保持したり。そのため彼らは一種の組合を作り、毎日曜日に信者たち団体またはあちこちの家に集まり、アニマ(霊魂)のために勤め、数時間を費せり、即ちスピリッアルの書を読み、また語り、一斉にオラショをなし、キリシタン宗門のため、またパーデレなどの聖教恢復のためデウスに祈り、主なる祝日を祝い、またクアレズマの金曜日には身を苛めて、聖週の日には血を流すに及べり。それらの暦日はよく心に止めたり。暦は既に日本語にて印刷せられてありたり。都にはこれらの組合七、八つあり。婦女子たちも亦男子とは別に集会し、またかかる方法にて信仰を保ちたり。而してこの勤行をよくするため、御主デウスは各地に熱心なる奉教人を作りたまえり。彼らはこの組合の頭として他の奉教人たちの尊敬と愛とを受けたり。彼らのうち、ある者は才能ありて説教し、また『どちりなきりしたん』を教へたり。唯信徒を助けるためならず、またこの説教を聴き、その回答を習いて新に宗門に入るもの年に甚だ多し。

 このような信仰共同体は、1559年(永禄2)に豊後府内で結成された慈善救貧施療をなすミゼリコルジャの組をはじめとし、1604年(慶長9)有馬で「お告げの組」、05年京都の「サンタマリアの組」、久留米に「お告げの組」、06年に肥後八代に「ミゼリコルジャの組」、07年長崎に「イエズスの聖名の組」、10年「長崎聖母被昇天の組」、平戸に「サンタマリアの組」、さらに長崎には11年「至聖聖体の組」、「聖ミカエルの組」、12年江戸に「ロザリオの組」、長崎に「アウグスチノ・コルドンの組」、13年有馬に「マルチリヨの組」、江戸に「セスタ講」等々と、キリシタンが所在した各地に結成されて行きました。

Ⅲ)組の目的と構成

 この組は、デウスの保護により、イエスの福音を伝え、「組衆各々の利益のみならず、まことのあにま(霊魂)のたすかりの世話のため、並びにきりしたんだあでの導きのための抉けなり。これによりてきりしたんは諸々の班と組とに分たれ、万事に於いて益々よく、容易く助けと導きとを見出すことを得るなり。これにより迫害の時に方りてまことに唯一無頼の利益を生きるものなり。」と位置づけられていました。
 その組織は、同一地方を統括する地域の名称を付けた親組、その下に500-600人で構成された祝日名かサンタマリアの連祷のなかの語句を尊称とする大組、さらに50人の男からなる小組から成っていました。妻子や未婚の男女は家主・地主の組数に入ります。そこには大親・小親(組親)がおり、その下に惣代、「慈悲のぶんぐこ」といわれる組員の面倒をみる慈悲役という年柄の女がおり、組員をまとめ、物心両面でささえていました。
 組員には、「四つの祈り、即ち、はあてるのうすてる(主祷)、あべまりや(天使祝詞)、けれど(使徒信教)及び十のマンダメントス(十戒)」を遵守し、さらに「組に於いて堪忍叶はざる科」という掟が課されていました。

1、ただしからざる方法により、また至当なる穿鑿なく人を殺すこと。
2、予めこんひさん(告解)をなすべき機会を与へず、或はきりしたんに非る場合、予めひいでず(信仰)を教へばうちすも(洗礼)を授からしむることなく、人をころすこと。
3、生るるに先立ち、また生れたる後子を殺すこと。
4、公にひろめありたるゑけれじや(教会)に於いてまちりもによ(婚姻の秘蹟)を受けず結婚すること。
5、夫婦の如く公然と同棲すること。
6、遊び者とて評判悪しきこと。
7、正当なる妻を離別すること。
8、きりしたんなる少年少女をぜんちよ(異教徒)に売ること、わけても海を越えてぜんちよの国々へ送ること。
9、てかけとなし、また金を儲くるために、己が娘を他人に与ふること。
10、己が家を姦淫の場に供すること、また他の者に此の職業を営ましむること。
11、公然の不和、またゑすかんだろ(躓き)の種子となるべき不和。
12、えけれじやに対し公然おべぢゑんしや(従順)を拒むこと。
13、二度三度組親または役人より諌めを受け、終にははてれよりも諌められたる後も、これに耳をかし、科を改むる意志なきこと。
14、ひいですを表すこと弱く、たとへ表のみなりともぜんちよに譲ること。

Ⅳ)信仰に生きるということ―蓮如が問い語る世界

 このような信仰の世界は、キリシタンのみならず、15世紀に蓮如によって各地に組織された一向門徒にもみることができます。蓮如は、越前吉崎に道場が建設された1471年(文明3)12月の御文で、門徒衆に「一心にふたごころなく弥陀一仏の悲願にすがりて、たすけましませとおもふこころの一念の信まことなれば、かならず如来の御たすけにあづかるものなり」と、信仰のありかたを問いかけています。このような信仰こそは、門徒衆が一向一揆で加賀に本願寺の領国を生み出し、16世紀に信長などの戦国大名と対峙せしめたのです。百姓衆は、己の心のありかをもとめ、弥陀一仏の悲願にすがる信仰に生きようとしたのです。想うに蓮如の御文はキリスト教でいえば新約聖書にあるパウロの書簡のようなものといえましょう。両者には信仰者としての共有し得る世界があるのではないでしょうか。

Ⅴ)沈黙に向きあい

 日本の16世紀は、ヨーロッパの宗教改革の波動を受けたイエズス会の宣教でキリシタンの時代とも言われますが、その根に蓮如による門徒衆の躍動が新しい時代の先駆けとしてあったのだといえましょう。戦国乱世と称される時代は物心両面で新秩序の形成期でもあったのです。
 16世紀のキリシタン衆は、門徒衆が手にした信仰世界に通じる心の世界を己のものとすることで、厳しい禁教下を生きることができたのです。その信仰は、絶対者たる神の応答を期待する信心ではなく、如何に過酷な状況下にあっても己の信をひたすらにつらぬいて生きる歩みにほかなりません。絶対者なる造物主たる神は人間の応答にただ沈黙する存在なのではないでしょうか。人間は神の沈黙に向き合い、仰瞻ることで生きていく己の場を確かめよりほかない存在なのではないでしょうか。
 昨今の教育界で喧伝される「道徳教育」で問われるのは、宗教の教説を解説するのではなく、時代を突破せしめた信仰とは何かを問いかけることで、己の生きて在る場を凝視できる目を育てることです。その方途は、キリシタン衆が沈黙する者の前に佇み、この世的に報いのない世界を生きようとした心の在り方を己の場から問い質すなかに見出したいものです。

静かなる情熱 エミリ・ディキンスン

© A Quiet Passion Ltd/Hurricane Films 2016. All Rights Reserved.

 エミリ・ディキンスンは、アメリカの女性詩人である。時代は19世紀半ば。生まれは1830年で、1886年に亡くなってから、多くの詩が世に出る。家族とその周辺とのつきあいしかないので、どのような人物か、くわしくは分かっていないらしい。
 詩は、自然、信仰、愛、死などをテーマに、繊細な言葉で紡がれる。死後、有名になったエミリ・ディキンスンの詩に、著名な人物が影響を受ける。武満徹は、詩の一節からひらめいて、フルート、ハープ、ヴィオラのために、「そして、それが風であることを知った」を作曲。サイモン&ガーファンクルは、「エミリー・エミリー」、「夢の中の世界」を作り、唄う。また、ウディ・アレンの短編集のタイトル「羽根むしられて」は、エミリ・ディキンスンの詩の一節と呼応していると、ウディ・アレン自身が述べている。
 では、エミリ・ディキンスンとは、どのような女性だったのか。映画「静かなる情熱 エミリ・ディキンスン」(アルバトロス・フィルム、ミモザフィルムズ配給)が、フィクションながら、そのひとつの答えを出す。
 アメリカ、マサチューセッツ州の女性だけの専門学校。エミリ(シンシア・ニクソン)は、信仰にまつわる学校での教えに、馴染めずにいる。弁護士の父エドワード(キース・キャラダイン)は、そんなエミリを、アマストの実家に連れ帰る。エミリは、両親、兄のオースティン(ダンカン・ダフ)、妹のヴィニー(ジェニファー・イーリー)と暮らすことになる。

© A Quiet Passion Ltd/Hurricane Films 2016. All Rights Reserved.

 エミリは、自分に忠実で、何の疑問もなく、信仰を受け入れたりはしない。夜、エミリは詩を綴る。署名のないエミリの詩が、地元の新聞リパブリカンに掲載されるが、「有名な文学は男の作品で、女に名作は書けない」と、編集長は言う。そんな時代だった。
 エミリは、妹のヴィニーの計らいで、資産家の娘バッファム(キャサリン・ベイリー)と仲良くなる。快活で、進歩的な考えを持つバッファムに、エミリは惹かれていく。
 奴隷制度をめぐって、南北戦争が始まる。すでに結婚し、息子が生まれたオースティンは、戦地に向かおうとするが、父が阻止する。オースティンは、ディキンスン家のひとり息子で、家系を守る父の考えに、参戦をあきらめる。ゲティスバーグで51112人、スポットシルベニアで31086人、アンティータムで23134人。多くの若者が戦場に散っていく。
 エミリは、詩を作り続けている。「詩を作るのは私の日常。それは救いのない者への唯一の救い」とエミリ。
 何らかの形で、後世に詩を残したいエミリは、新任のワズワース牧師に、自作の詩を手渡す。
 バッファムの結婚、ワズワース牧師の転任と、大切な人たちが、エミリの許を離れていく。
 ひとり、閉じこもるエミリの生き甲斐は、詩を作ること。やがて、エミリは両親の死に立ち会い、重い腎臓の病魔と戦うことになる。それでも、エミリは、詩を作り続ける。
 生前に発表された詩、10篇。死後、発見された詩、1800篇。

© A Quiet Passion Ltd/Hurricane Films 2016. All Rights Reserved.

 劇中、ドラマの展開にあわせて、いくつかの詩が登場する。ことごとく繊細で、峻烈。魂のありかを模索続けるかのよう。「魂は自分の社会を選び そして戸を閉ざしてしまう その神聖な仲間に だれも加えてはならない」、「このひとは詩人だった ごく普通の意味から 驚くべき感情を蒸留し 戸口に散る 平凡な種類の薔薇から 限りない芳香をひきだすのだ」。
 控えめながら効果的、使われる音楽の品が実にいい。ベルリーニのオペラ「夢遊病の女」より第2幕のアリア「ああ!信じられない、花がこんなに早く萎むとは」。ショパンのワルツ第17番。ベートーヴェンの「7つのレントラー」の一節。シューベルトがマテウス・フォン・コリンの詩に曲をつけた「夜と夢」。エドゥアルト・シュトラウスのポルカ「テープは切れた」などなど。
 エミリ・ディキンスンの伝記というより、エミリ・ディキンスンの魂に捧げたような映画。アメリカの詩人の映画だが、イギリスとベルギーの合作になる。脚本、監督は、イギリス出身のテレンス・デイヴィス。イギリスでは高い評価のある監督で、いくつかの監督作品があるが、日本ではほとんど未公開。エミリ・ディキンスンを演じたシンシア・ニクソンをはじめ、ヴィニー役のジェニファー・イーリー、エドワード役のキース・キャラダイン、バッファム役のキャサリン・ベイリー、オースティン役のダンカン・ダフと、舞台経験のある俳優がズラリ。重厚な演技がぶつかりあって、見ものである。
 ちなみに、エミリ・ディキンスンの詩集は、「対訳 ディキンスン詩集―アメリカ詩人選<3>」(岩波文庫・亀井俊介 編・訳)をはじめ、日本でもいくつか出版されている。新しいところでは、「わたしは名前がない。あなたはだれ? エミリー・ディキンスン詩集」(KADOKAWA・内藤里永子 編・訳)。映画をご覧になる前でも後でも、ぜひお手にとって、読まれたい。

2017年7月29日(土)より、岩波ホールico_linkほか全国順次ロードショー

『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』公式Webサイトico_link

監督:テレンス・デイヴィス
出演:シンシア・ニクソン、ジェニファー・イーリー、キース・キャラダイン
2016年/イギリス・ベルギー/英語/カラー/125分/シネマスコープ/ドルビーデジタル/DCP
原題:A QUIET PASSION
字幕:佐藤恵子
字幕監修:武田雅子
提供:ニューセレクト、ミモザフィルムズ
配給:アルバトロス・フィルム、ミモザフィルムズ
宣伝:ミモザフィルムズ
宣伝協力:テレザ、高田理沙
後援:日本エミリィ・ディキンスン学会、ブリティッシュ・カウンシル

台湾萬歳

(c)『台湾萬歳』マクザム/太秦

 夜明けの海。小さな漁船。静かなギターの調べ。酒井充子監督のドキュメンタリー映画「台湾萬歳」(太秦配給)は、冒頭に、うっとりするほどの台湾の美しい風景を用意する。
 1895年から1945年まで、台湾は日本の統治下にあった。戦後生まれの酒井充子は、ツァイ・ミンリャンの「愛情萬歳」、ホウ・シャオシェンの「悲城情市」といった映画に魅せられて、1998年、初めて台湾の地を踏む。「悲情城市」の舞台になった九份で、あるおじいさんに流暢な日本語で話しかけられ、驚く。おじいさんは、日本語の先生の思い出話を語る。
 2000年、酒井充子は、「台湾の映画を撮ろう」と決意、本格的に台湾の取材をスタートさせる。2009年、日本語で教育を受けた世代の人たちの人生を追った「台湾人生」が完成、一般公開される。その後、第二次世界大戦、「悲城情市」で描かれた二二八事件、民主化運動を弾圧した白色テロなどの歴史に翻弄された世代の人生を描いた「台湾アイデンティティー」を撮る。
 いわゆる三部作の最終章となるのが、この「台湾萬歳」である。どのような悲惨な現実があろうと、人は生きていく。海で魚を採り、山でけものを討ち、畑で作物を作る。時代は変化しても、人が生きてあることには、なんの変化もない。本作の舞台は、台湾の南東部、台東縣。アミ族、ブヌン族、タオ族など、多くの民族が暮らしている。漁港のある成功鎮には、戦前から、多くの漢民族や日本人が移住している。

(c)『台湾萬歳』マクザム/太秦

 元カジキ漁の漁師だった張さんは85歳。77歳の妻の李典子さん、長男夫婦といっしょに成功鎮に住んでいる。張さんは、19歳から、兄といっしょにカジキ漁船に乗り、30歳で念願の船長になる。船の先端に立ち、カジキにモリを振り下ろす、伝統の突きん棒漁だ。漁業を引退したいまは、朝から畑に出て、イモやバナナ、パパイヤを作っている。午後は、漁港に行き、魚の水揚げを眺めるのが日課だ。奥さんは、かつて、張さんの穫ってきた魚を調理していた。
 69歳のオヤウさんと、62歳のオヤウ・アコさんは、成功鎮に住んでいるアミ族の夫婦だ。オヤウさんは、張さんといっしょにカジキ漁に従事、いまなお、カジキや、トビウオ、シイラ漁に出ている。アミ族は、かつて漁港を築くときには、労働力として駆り出されていた。アコさんの叔父は、戦後、国民党軍に徴兵され、ながく中国大陸で過ごすことになる。
 ブヌン族名でシンシン、通称カトゥさんは41歳と若い。台東縣の延平郷に住んでいる。父はパイワン族、母はブヌン族で、いまは中学校で、歴史を教えているが、ギターを弾き唄う、シンガーソングライターでもある。戦後、中国から移ってきた国民党の老兵が、二胡を弾きながら雑貨を売る様子を歌にした。通称のカトゥは、祖父の日本名が加藤四郎だったことからの名だ。

(c)『台湾萬歳』マクザム/太秦

 ブヌン族名、ムラスさんは89歳。日本名はきよこ。もともとは高地の村に住んでいたが、日本統治のころに、強制的に台東縣の延平郷に移住させられた。ときおり、カトゥさんが訪ねてきて、移住したころの話を聞いている。両親は移住に反対したが、どうすることもできなかった。以来、きよこさんは、故郷に戻ったことはない。せめて、自分たちの土地だった場所を守ってほしいと願っている。
 ブヌン族のダフさんは41歳。カトゥさんとともに、伝統の狩りを続けている。射撃の名手で、キョンを一発でしとめるほどの腕前だ。その場でキョンを捌く手際が見事。
 主に、7名の人物が登場する。だれも、声高に、台湾独立や民主化を叫ぶわけではない。与えられた人生に感謝し、家族を思い、謙虚に生きている人たちばかり。戦後、すでに70年を超えている。「台湾萬歳」で描かれた7人の暮らしからは、台湾と日本の関係がどのようなものであったかが、痛切に伝わってくる。
 監督もまた、声高に叫ばない。台湾の、田舎の、市井の、ごくふつうの人たちの暮らしを、淡々と綴っていく。さまざまな国が、文明の名のもとに、高度成長を遂げている。台湾のこの地とて、やがて文明の波にさらされるかもしれない。それでも、人と人は寄り添い、額に汗を流し、働き、ときには喜怒哀楽を歌に込め、唄い、ふつうに暮らしている。
 監督に、「ぜひ台湾へ」と、何度も言われたことがある。「台湾萬歳」を見て、ますます、いちどは訪ねてみたいと思う。監督は、「まずは何度も行き、やがて、成功鎮にも」と。

2017年7月22日(土)より、ポレポレ東中野ico_linkにて公開ほか全国順次

『台湾萬歳』公式Webサイトico_link

監督:酒井充子
出演:張旺仔、オヤウ/許功賜、オヤウ・アコ/潘春連、Sinsin Istanda/柯俊雄 ほか
エクゼクティブプロデューサー:菊池笛人
統括プロデューサー:小林三四郎
プロデューサー:小関智和、陳韋辰
撮影:松根広隆 録音・編集:川上拓也
音楽:廣木光一 制作:今村花 タイトル:張月馨
特別協賛:台東縣
宣伝協力:カツオ標識放流共同調査プロジェクト(味の素株式会社)
後援:台北駐日経済文化代表処、台湾新聞社、一般財団法人台湾協会、東京台湾の会、臺灣電影迷、チャイナエアライン
製作:マクザム、太秦
配給:太秦
2017年/日本/DCP/カラー/93分

児童が考えを深める道徳授業(2) ―教材提示を工夫して―(第6学年)

1.主題名

自分の役割と責任に誇りを  C[よりよい学校生活、集団生活の充実]

2.教材名

海の勇者(出典:文部省「小学校 道徳の指導資料 第2集 第6学年」1965年)[一部再構成]

3.主題設定の理由

(1)ねらいとする道徳的価値について
 人は社会的な存在であり、家族や学校をはじめとする様々な集団や社会に属して生活を営んでいる。それらの集団や社会の中で生活していく上で大切なことは、集団や社会の中で一人一人が尊重して生かされるとともに、一人一人が主体的にその集団や社会に関わっていくことが大切である。そのためには、各自が役割をもち、その責任を果たしていくことが必要になってくる。しかし、人は大きな集団になればなるほど「誰かがやってくれる。」「自分がやっても大して変わらない。」といった無責任な気持ちで集団に関わり、自分の役割に責任をもとうとせず、責任転嫁してしまうこともある。しかし、これは個にとっても集団にとってもマイナスでしかなく、いずれはその集団のまとまりを壊してしまうことにもつながる。また、人は逆に自分の役割を自覚しているものの、その責任の重さに耐えられずその役割を投げ出してしまいたくなる弱さをももっている。
 いろいろ大変なことや自分の力だけではどうにもならないことが起こったとしても、集団や社会の中で自分の役割を自覚しその責任を果たしていくことをしていかなければ、よりよい集団や社会をつくっていくことはできない。そのように自分の役割を果たす経験を重ねる中で、「集団を支えている一人なんだ。」ということに気付いたり、集団の中で主体的に協力することの大切さを知ったりすることができる。自分の役割をしっかり果たすことで、所属する集団がよりよく向上していくことをじっくり考えさせていきたい。そして、集団の中で役割をもつことが大変なことと思うのではなく、自分が責任をもってやったことが集団に影響を与えることを考えることによって、自分に与えられた役割と責任を自分の誇りとしてどんなことがあっても最後まで責任を果たしていこうとする心情を育てたい。

(2)児童の実態について
 自分に与えられた仕事は責任をもってやろうとする児童が多い。普段の学校生活でも、係や委員会の仕事に責任をもち、その仕事の中でも全校に対して先頭にたってやらなくてはいけない時など、隙間の時間まで原稿に目を通していたり、練習に励んでいたりしている。また、6年生だからこそ頼まれた仕事や先生から自分を見込んで頼まれた仕事などは、生き生きと誇りをもって仕事をしている姿に頼もしく感じることもある。また、真面目に取り組んだり、責任感を強くもつ気持ちが強かったりすればするほど自分の責任に対して重く感じていることもある。
 責任をもつということは大変なことではあるが、自分の責任を重く感じるのでなく、自分が責任をもってやったことが集団の支えになっていることに気付かせ、自分に与えられた役割と責任を自分の誇りとして、どんなことがあっても最後まで責任を果たしていくことの大切さを考えさせたい。

(3)教材について
 1951年12月26日に実際に大西洋で起こった出来事の話である。突然の大嵐の中、船長のクルト=カールセンは必死に船と乗客、船員を守ろうとしていた。しかし、自然の驚異には勝てず、船がだんだん傾き、航海を続けることができなくなった。クルト=カールセン船長は乗客の命を守るために細かに避難の指示を出す。乗客、船員がボートに移った。しかし、クルト=カールセン船長は、船員の再三の呼びかけにも応じず、船を守るという自分の船長としての責任を果たそうとする。
 乗客が無事救助され、クルト=カールセン船長のもとにも救助船が向かい、とうとう船が沈んでしまうというところでクルト=カールセン船長も救助された。その最後まで乗客と船を守ろうとした船長の姿をたたえた内容である。
 何社かの副読本にもこの教材は掲載されている。原作である文部省「小学校 道徳の指導資料 第2集(第6学年)」を読み、その時の情景がよく描写され、クルト=カールセン船長の自分の責任に対する思いがよく分かるので、原作をもとにねらいとするところに着目して再構成をした。
 この教材を通して、クルト=カールセン船長が船長として、乗客と船をまもろうと最後の最後まで自分の責任を果たそうとした姿を通して自分の役割に責任をもち、また、それを誇りとしてどんなことがあっても最後まで責任を果たしていくことが集団の大きな支えとなることを考えさせていきたい。

4.教材分析図

場面

主人公の心の動き(内面)

発問

①船長と船員たちが必死に船を守っていた。

・早く嵐が静まってほしい。
・こんな嵐は初めてだ。
・このままではまずい。
・どうにかして、船と乗客を守らなくては…。

②船は、左に大きく傾いていった。

・もうだめなのか。
・これでは、乗客の命が守れない。
・誰か助けてくれ。
・奇跡が起きてほしい。

③じっと夜のように暗い薄気味悪い空の一角をにらんでいた。

・嵐は止んではくれなさそうだ。
・これからどうしたらいいのだろう。
・船と乗客を守るにはどうしたらいいのだろう。
・どうすることもできないのか。

④やがて、静かにしかし強い声で命令した。

・とにかく乗客だけは助けなければならない。
・この嵐の中を救助ボートで逃げるのは大変だが、このまま船に残っていても助からない。

⑤「お客様を先にお乗せしろ。風は冷たいぞ。毛布、セーター、ありったけお着せしろ。」と声をあげていた。

・乗客を無事に港に避難させなければ。
・この嵐の中、ボートで避難するのも大変だ。最善のことをしなければならない。
・どうにか港まで行ってほしい。

⑥「船長、早く乗ってください。」と、船員たちが口ぐちに叫んだ。

・ありがとう。
・よい船員に会えた。

⑦「船を最後まで守り通すのは、私の責任だ。きみたちの責任は、お客様の命を守ることだ。さあ、早く。」と船長は言った。

・船員たちの言っていることはわかる。でも、私の責任を果たしたい。
・船を守ることは船長の責任だ。乗客を守ることも私の責任だ。
・乗客のことは任せた。お願いだから、乗客を無事に守ってほしい。

⑧遠ざかるボートを、じっと見つめながら船長はつぶやいた。

・この嵐の中で無事にいけるだろうか。
・お願いだ。みんな素晴らしい船員だ。きっと船員は自分たちの責任を果たしてくれるだろう。
・自分の判断に間違いはない。
・自分はこの船を絶対に守るぞ。

○遠ざかるボートをじっと見つめながら、クルト=カールセン船長はどんなことを考えていたでしょう。

⑨傾きかけたエンタプライズ号は、救助船ターモイル号に引かれ、イギリスのファルマス港に向かって進んでいた。

・よかった。これで、船を守ることができる。
・あきらめなくてよかった。
・乗客も無事でよかった。

⑩1週間の後、エンタプライズ号は、その大きな体をぶくぶくと海の中へ沈め始めた。

・あと少しだったのに、ほんとうに残念だ。
・頑張ってきたのに…。
・嵐が憎い。
・ここまで頑張ったんだから仕方ない。
・船を守れなかったから、船長としては失格となるかも。

○クルト=カールセン船長は、どんな思いでフライング=エンタプライズ号が沈み始めるのを見ていたのでしょう。

⑪ファルマス港に入っていくと、人々は船長をほめたたえた。

・みんながこんなに喜んでくれて嬉しい。
・船は残念だが、乗客が無事だったことが何よりだ。
・乗客を守れてよかった。

⑫乗客と船員がみな無事に助かり、しかも、二代目のエンタプライズ号が、船長のために用意されていた。

・乗客も船員の命を救うことができて本当によかった。
・大変だけれど、責任を果たすことができてよかった。
・また、船長として頑張ることができる。
・さらに良い船長になろう。
・今度こそ、船も守りたい。
・自分のやったことが認められた。

◎乗客と船員が無事であり、さらに二代目のエンタプライズ号が用意されていることを知って、クルト=カールセン船長は、どんな思いだったのでしょうか。

5.ねらいに迫るための手立て

(1)座席の工夫
〈教材提示〉教材にじっくりひたらせるために、全員が担任の方を向くようにする。
〈話合い〉座席をコの字にし、みんなの顔が見て話し合いができるようにする。
〈振り返り〉前向きの座席の形にし、一人一人がじっくり自分のことを振り返られるようにする。

(2)教材提示の工夫
 実際にあった映像を教材提示の中で提示し、臨場感あふれるよう工夫する。他にも、場面に応じた写真をパワーポイントで映しながら、教師が範読する。

(3)話合い活動の工夫
 ハンドサインを活用し、児童の考えを把握し、多様な意見が出るようにする。中心発問では、ドキワク発言(手を挙げた児童以外でも教師が意図的に指名された児童が発言する)を活用し、話し合いを深めていくようにする。

6.本時

(1)ねらい
 乗客と船員の命を守り、また新しい船で船長ができることを知った船長の気持ちを考え、自分の役割の責任を果たすことが集団の支えとなることを自覚し、どんなことがあっても最後まで責任を果たそうとする心情を育てる。

(2)本時の展開

□学習の流れ ○発問 ・予想する児童の活動

・指導上の留意点
☆ねらいにせまるための工夫


□価値への導入
○6年生として責任をもってやってきたことはどんなことがありますか。また、その時はどんな気持ちでしたか。
・1年生のお世話…言うことを聞いてくれなくて大変だった。でも、かわいかった。
・委員会の仕事…みんなの前で言う時はちゃんと言わなきゃとドキドキした。

・全員に発言させる。展開に入る前に、「その責任が重いなあと思うことはあったか。」と問いかける。





□教材を視聴し、話し合う。
①遠ざかるボートをじっと見つめながら、クルト=カールセン船長はどんなことを考えていたでしょう。
・この嵐の中で無事にいけるだろうか。
・お願いだ。みんな素晴らしい船員だ。きっと船員は自分たちの責任を果たしてくれるだろう。
・自分の判断に間違いはない。
・自分はこの船を絶対に守るぞ。

☆パワーポイントで映しながら、教師が範読する。
・ここでは、乗客を助けるという責任だけでなく、船長は、船を守るという責任があることをしっかり考えさせる。

②クルト=カールセン船長は、どんな思いでフライング=エンタプライズ号が沈み始めるのを見ていたのでしょう。
・あと少しだったのに、ほんとうに残念だ。
・頑張ってきたのに…。くやしい。
・嵐が憎い。
・船を守れなかったから、船長としては失格となるかも。
・ここまで頑張ったのだから仕方ない。
・帰ったら、船を守れなかったことを責められるかもしれない。

☆ハンドサインを活用し、多様な意見が出るようにする。
・船を守れず、船長として責任を果たせてないという意見と、乗客の命は守っているし、ここまで守ろうとして守れなかっただけだから船長としての責任は果たせたという意見の両方を出させ、「船長としての責任」に着目させて話し合わせる。どちから一方の意見しか出なれば、補助発問によって、他方の意見も出るようにする。

③乗客と船員が無事であり、さらに二代目のエンタプライズ号が用意されていることを知って、クルト=カールセン船長は、どんな思いだったのでしょうか。
・乗客も船員の命を救うことができて本当によかった。
・大変だけれど、責任を果たすことができてよかった。
・また、船長として頑張ることができる。
・さらに良い船長になろう。
・今度こそ、船も守りたい。
・自分のやったことが認められた。

☆ドキワク発言を活用する。
・ただ船をもらって嬉しいという気持ちだけではないことに気付かせる。





□自己を振り返る。
○自分が責任をもってやったことで、みんなが喜んでくれたり、その集団がよりよい方向にいったりして充実感をもち、またその役割を頑張りたいなと思ったことはありますか。
・リレーのキャプテンをやって、みんなが生き生きと楽しくやっていたので、またやりたいなと思った。

・ワークシートに書く。


□教師の説話を聞く。

(3)評価
・乗客と船員が無事であり、さらに二代目のエンタプライズ号が用意されていることを知った時のクルト=カールセン船長の気持ちを考えることを通して、自分の役割を最後まで全うし、責任をもつことの大切さを考えることができたか。(ワークシート)
・自分の役割の責任を果たすことが集団の支えとなることを自覚し、どんなことがあっても最後まで責任を果たそうとする心情をもつことができたか。(発言、ワークシート)

(4)板書計画

画像提供:PPS通信

(5)ワークシート

児童が考えを深める道徳授業(1) ―発言方法の工夫を取り入れて―(第6学年)

1.主題名

まっすぐな心を貫く  C[公正、公平、社会正義]

2.資料名

アンパイアの心(出典:文部省「小学校 道徳の指導資料 第2集 第5学年(1965年)」)

3.主題設定の理由

(1)ねらいとする道徳的価値について
 社会生活の中で、人として公正に判断し行動していくことが、よりよい社会を作っていく中でとても重要である。そしてそれが社会正義でもある。その根底には、相手に対する思いやりの心、善悪の判断が働いてなければならない。しかし、それは決して容易なことではない。人間は、自分とは異なる考え方や感じ方に対して不安になったり、多数ではない立場や意見などに対して偏ったものの見方をしたり、自分より強い相手に恐れを抱き、つい自分の思いや考えを曲げてしまったりしてしまう弱さをもっている。また、自分より弱い存在があることで優越感を抱きたいがために偏った接し方をする弱さももっている。それが、差別や偏見につながっていくのである。
 社会に所属する一人一人が確かな自己実現を図ることができる社会を実現するためには、そのような人間の弱さを乗り越えて、自らが正義を愛する心を育むようにすることが不可欠である。しかし、それは簡単にできることではない。人間誰もが弱さをもっており、それに打ち勝つには強い意志が必要である。そのためには、自他の不公正を許さないという姿勢と共に、一時的な周囲の雰囲気や感情、人間関係に流されることなく自分の考えをしっかりもつことが重要である。自分の心に迷いがあったり、周りに流されて自分の心と反した行動をとったりすれば、他人を傷つけるだけでなく、自身の心が納得することはないということをじっくり考えさせていくことが大切である。
 誰に対しても、一時的な自分の感情に惑わされることなく、公正、公平な態度で、正しいことを迷わずに堂々と行っていこうとする心情を育てていきたい。

(2)児童の実態について
 本学級の児童は、人としてよくない行動は許してはいけないと思っている児童が多い。いじめの事件など人として許せないような話をすると、「そんなひどいことあるの。」と心を痛めている。また、相手のことを思いやる気持ちをもっている児童が多く、クラスで意見が対立した時などでも、対立する意見に対しても、相手の意見をうまく取り入れたり、相手に気を遣ったりしながら自分の意見を表出していることが多い。
 6年生の2学期になり、思春期に入っていく時期である。友達との関係も今までとは違ってくる。それでも、相手のことを考えることのできる心を大切にしながら、たとえ、状況が自分にとって不利であっても、また相手が誰であったとしても一時的な自分の感情に惑わされることなく、公正、公平な態度で、正しいことをやっていくことの大切さを考えさせていきたい。

(3)教材について
 この教材は、文部省「小学校 道徳の指導資料 第2集 第5学年(1965年)」の中の「アンパイアの心」の一部である。
 いつも公平な審判をするので「公平君」とあだ名で呼ばれるほどの主人公「公一」が、頼まれて引き受けた野球の試合の話である。
 公一は野球の審判をしていた。キリンクラブの友だちの広は調子が悪く、苦しい局面になっていた。相手チームのバッターは、感じが悪い。広のチームの味方をしたい気持ちに傾くが、公平な判断をすることを曲げず正しい審判をする。試合が進んでいくうちに、ライオンクラブの道男の打った球がギリギリのところでファールになる。1点を争うゲームの中での出来事で、ライオンクラブの応援団の中学生2人に「ホームランだ。」と殴られるかと思うほどの勢いで言い寄られる。しかし、判断は曲げなかった。結果は、ライオンクラブが負けてしまう。「負けたのはおまえのせいだ。」と帰り際にまた中学生に言われ悔しい思いになる。
 しかし、二週間後、公一は公平な判断をした公一の行動をたたえたスミ子の書いた校内新聞の記事を読み自分の判断の正しさを再確認する。また、その記事を読んだライオンクラブの道男と文句を言った中学生が自分たちの行動を謝罪し、また審判を公一に頼むというお話である。
 この教材を通して、自他の不公正を許さないという姿勢と共に一時的な周囲の雰囲気や感情、人間関係に流されることなく、公正、公平な態度で正しいことを迷わずに堂々とやっていくことの大切さを考えさせていきたい。

4.教材分析表

場面

主人公(公一)の心の動き・内面

発問

①広投手が力いっぱい投げた球はボールだった。

・残念。
・にらまれてもなあ。
・にらむことないのに。
・ボールに間違いない。
・くやしい気持ちはわかる。

②友だちの広は、今日は調子が悪い。

・どうしたのかな?
・体の調子がわるいのかな?
・ずっとボールが続いてつらいだろうな…。
・ストライクと言ってやりたいのはやまやまだが…。

③公一はえこひいきせず、公平な審判をするので審判を頼まれている。

・審判は公平にするべきものだ。
・友だちが苦しんでいるのを見ていると友だちに肩入れしたくなるが、ここは審判として我慢しなくてはいけない。
・みんなに公平な審判を認められていることは誇りだ。

④ライオンクラブの打者は感じが悪い。

・あんな失礼な打者にはいい思いをさせたくない。
・広がかわいそうだ。広の味方になってあまく審判をしてやりたい。
・でも、審判は公平でなくてはいけない。でも、相手があんな態度なのになあ…。

⑤満塁の後、広が投げた第一球もボール。続く球もボールで押し出しの1点になってしまった。

・広が不満そうにしている。辛いのはよくわかるが間違ったことは言えない。
・とうとう1点が入ってしまった。広は辛いだろうな。
・友だちだとしてもどうもしてあげられない。

⑥投手が代わり、広がぼくをうらめしそうににらんだ。

・ぼくが悪いわけではない。
・広、悔しいんだろうな。
・ぼく、恨まれているのかな…。
・ぼくは正しい判断をしただけだ。

⑦同点のまま7回を迎えた時、よい音がして、球がレフトの上を超え、ホームランかと思われたが、「ファール」と公一が叫んだ。

・あれは、ファールだ。
・確かにギリギリのラインだが、ファールだ。
・みんながホームランと勘違いするのも分かる。
・ぼくはずっと見ていたんだ。間違いない。

⑧ライオンクラブの選手や応援団が、「ホームランだ。」と騒ぎ出した。

・ほんのちょっとだから、そう思いたいのだろう。
・分かりにくいのは確かだが、ファールだ。
・間違っていないはずだが…。
・ぼくは、しっかり見ていたんだ。

⑨体の大きな中学生2人が詰め寄って、「ホームランだと言いなおせ。」となぐるような勢いで言ってきたが、ファールだと言い切った。

・ちょっとこわいな。
・なぐられてしまうかな?
・でも、ぼくは間違っていないから、堂々としていよう。
・きちんとここで言わなければ!公平な審判をすることで認められているんだから。
・負けないぞ。

⑩ライオンクラブは、負けてしまって、「さっきのホームランで勝っていたのになあ。」と悔しがっていた。

・負けたのはかわいそうだ。
・悔しいのは分かる。
・ホームランだとまだ言っているのか。
・正しい判断をしたとしても、うらまれてしまうのだろうな。
・悔しさも分かるけれど、ぼくは間違っていない。

⑪先ほどの中学生がまた公一のところに来て、「負けたのはおまえのせいだ。」と怒鳴り、公一はだまったまま唇を噛んでいた。

・ぼくの判断は間違っていない。それなのになんでこんなにまで言われなくてはいけないんだ。
・これでは、ぼくが悪いみたいだ。
・悔しいからって、ぼくのせいにするのはおかしい。
・こんなに言われるのなら、ホームランと嘘でも言えばよかった。
・みんなにぼくの判断が間違っていると思われているのかな?
・よく見ていたつもりだが、ホームランだったのかな?
・もう、アンパイアなんてしたくない。

①中学生の2人に「負けたのはおまえのせいだ。」と言われ、だまったまま唇を噛んでいた公一はどんなことを考えていたのでしょう。

⑫校内新聞を見て、ちゃんと見ていてくれた人がいたことが分かった。

・ぼくの判断は間違っていなかったんだ。
・負けないで、正しい判断をしてよかった。
・あそこで自分の信念を曲げなくてよかった。
・あの中学生に負けなくてよかった。
・中学生にもわかってほしいな。

②自分が正しかったと認めてくれた校内新聞を読んで、公一は、どんな気持ちだったでしょう。

⑬公一の家にライオンクラブの主将の道男と応援団の中学生2人が来た。

・また、文句を言いに来たのかな?
・怖いな。また、何か言われるのかな…。
・何の用事なんだろ。

⑭ライオンクラブの道男や中学生に謝られ、次の試合にもアンパイアになってほしいと言われた。

・どんなことがあっても正しい判断をすることが大事だ。
・いろいろあったけれど、分かってくれてよかった。
・公平にやったことで、またアンパイアを任せられた。嬉しい。
・正しいことはいずれ分かってもらえる。
・中学生にも分かってもらえて、すっきりした。

③公一に詰め寄ってきた中学生たちに、「次の試合にもアンパイアになってほしい。」と言われて、どんな思いになったでしょうか。

5.ねらいに迫るための手立て

(1)座席の工夫
〈教材提示〉教材理解にじっくりひたらせるために、全員が担任の方を向くようにする。
〈話合い〉座席をコの字にし、みんなの顔を見て、話し合いができるようにする。
〈振り返り〉前向きの座席の形にし、一人一人が集中してじっくり自分を見つめられるようにする。

(2)アンケートの活用
 児童に「公平にしたくても、その時の状況に負けて、公平にできなかった時はどんな時ですか。」というアンケートを事前にとっておく。導入では、アンケートに多く出てきた事例をもとに、その時の気持ちを児童に考えさせることで、具体的にねらいとする価値項目について考えられるようにする。また、振り返りの時に、なかなか思いつかない児童に対して、活用できるようにする。

(3)表現活動の工夫
 主人公がいろいろな考えで揺れている第2発問の場面で、役割演技を行う。役割は交替して、「何を言われてもゆるがない」という気持ちと、状況に負けてしまいそうな気持ちの両方の思いについて考えられるようにする。

(4)発言方法の工夫
 児童一人一人に考えを深めさせたい場面で、ドキワク発言を行う。ドキワク発言とは、手を挙げていない児童でも教師の意図的な指名をし、発言を促すものである。

*他にも、たけのこ発言(教師が指名を行わず、児童が自主的に立ち、発言する)、ドキドキ発言(挙手はなく、教師が意図的に指名する)などがある。

6.本時

(1)ねらい
 自分に詰め寄ってきた中学生たちにも正しい判断を認められた時の公一の気持ちを考え、その時の一時的な思いや状況に負けず、誰に対しても公正、公平な態度で接していこうとする心情を育てる。

(2)本時の展開

□学習の流れ ○発問 ・予想する児童の活動

・指導上の留意点


□価値への導入
○「仲の良い友だちが試合をしていた時の審判」
「自分より強い人に自分とは違うことを言われた時」などに公平にできない経験がある人が多かったのですが、このような時、どのような気持ちになるでしょうか?
・あとで、何か言われたら嫌だなあ。
・すっきりしないけれど、怖いから言えない。
・モヤモヤして、本当のこといいたいなあ。

・児童に事前に「公平にしたくても、その時の状況に負けて、公平にできなかった時はどんな時ですか。」というアンケートをしておく。





□教材「アンパイアの心」を視聴し、話合う。

・野球の簡単なルールを説明してから、教材の範読を行う。教材提示は、パワーポイントを使い、効果音を入れ、臨場感あふれる提示をする。
・公一が「公平くん」とあだ名をつけられるほど公平な判断をし、それを誇りとしていることや、最初はいくら中学生に詰め寄られても正しい判断を通したことをおさえてから第1発問に入る。

①中学生の2人に「負けたのはおまえのせいだ。」と言われ、だまったまま唇を噛んでいた公一はどんなことを考えていたのでしょう。
・ぼくの判断は間違っていない。それなのになんでこんなにまで言われなくてはいけないんだ。
・これでは、ぼくが悪いみたいだ。
・悔しいからって、ぼくのせいにするのはおかしい。
・こんなに言われるのなら、ホームランと嘘でも言えばよかった。
・みんなにぼくの判断が間違っていると思われているのかな?
・よく見ていたつもりだが、ホームランだったのかな?
・もう、アンパイアなんてしたくない。

・役割演技を2人組で行う。公一の「正しいことを貫く。」という気持ちと、状況に負けてしまいそうな気持ちの両方の思いについて考えられるようにする。役割交替をする。

・第1発問の後で、「何を言われてもゆるがない」という気持ちと、状況に負けてしまいそうな気持ち)どちらの気持ちが強いと思いますか。」と児童に補助発問をする。

②自分が正しかったと認めてくれた校内新聞を読んで、公一はどんな思いになったでしょうか。
・ぼくの判断は間違っていなかったんだ。
・負けないで、正しい判断をしてよかった。
・あそこで自分の信念を曲げなくてよかった。
・あの中学生に負けなくてよかった。
・中学生はわかってくれるのかな?

③公一に詰め寄ってきた中学生たちに、「次の試合にもアンパイアになってほしい。」と言われて、どんな思いになったでしょう。
・どんなことがわっても正しい判断をすることが大事だ。
・いろいろあったけれど、分かってくれてよかった。
・公平にやったことで、またアンパイアを任せられた。嬉しい。
・正しいことはいずれ分かってもらえる。

・ドキワク発言にし、教師の意図的指名を行う。





□自分を振り返る
○いろいろな思いや状況に負けずに、公平にできたことはありますか。その時、どんな気持ちでしたか。
・給食の時に友達に「減らして。」と言われたけれど、みんなと同じように配った。「えー。」とか言われたけれど、ずるいことはしたくなかったからしなかった。

・座席を全員前に向かせる。
・ワークシート(B6)に書かせる。
・なかなか思いつかない児童には、アンケートをもとに助言をする。


□教師の説話を聞く。

(3)評価
・自分が正しかったことを認めてくれた校内新聞を読んだ時の公一の気持ちを考えることができたか。(③の発言)
・誰に対しても自分の弱さに負けることなく、公正、公平な態度で接していこうとする心情をもつことができたか。(ワークシート)

(4)板書計画

(5)ワークシート

「一人一人が自分を語れる」道徳の授業を目指して(第3学年)

はじめに

 私が道徳の授業でいつも目指しているのは、子どもたち一人一人が「自分を語れる授業」である。そのために、特に展開前段に力を入れている。前段でいかに道徳の内容項目に迫れるか。児童が物語の世界に入り込めるような教材提示、登場人物に照らして思わず自分自身のことを語ってしまうような発問、みんなの考えが見える板書等、様々な工夫をします。これらで前段がうまく運べば、後段とスムーズにつなぐことで振り返りも必ず充実したものになると考えている。

授業実践

1.主題名 つながる命  D[生命の尊さ]

2.教材名 「いのちのまつり ヌチヌグスージ」(出典:サンマーク出版)

3.指導の工夫
(1)教材提示
 登場人物のイラストを用いて、黒板シアターによる教材提示を行う。全員が教材の内容を正しく理解できるように、登場人物によって声色や体の向きを変えながら読む。また、間を取りながらゆっくりと範読する。
(2)BGMの活用
 児童がワークシートに記述をする間中、小さな音量で沖縄の音楽を流しておく。ワークシートの記述は、児童によって書き終わる時間に差がある。BGMを流しておくことで、早く書き終わった児童も教材の余韻に浸りながら待つことができる。なお、早く書き終わった児童は近くの友達と静かに意見交流をしてよいと話している。
 普段は教材提示にBGMを流すことが多いが、BGMと範読が合っていないと効果が得られにくく、毎回の授業で活用することは難しい。今回の教材提示では、授業者が黒板シアターの操作に集中したかったため、BGMの使用は控えた。
(3)説話
 主題、ねらい、教材に合った教師の経験がある場合は、説話が非常に効果的であると考えている。今回は授業者が、子供の誕生、義母の死を通じて、主人公のコウちゃんと同じように命のつながりを感じた経験を話す。

4.本時
(1)本時のねらい
 先祖の数を数え、命のつながりに感謝するコウちゃんの気持ちを考え、生命は過去からつながっていることに気付き、自分の命や人の命を大切にしようとする道徳的心情を育てる。
(2)展開

学習活動

○教師の働きかけ、主な発問
・予想される児童の反応

指導上の留意点

1 沖縄のお墓の写真を見る。

○写真のものは何だと思いますか。
・石 ・家 ・お墓

・沖縄のお墓の写真を提示し、教材への導入を図る。

2 「いのちのまつり ヌチヌグスージ」を読んで話し合う。

○教材提示

☆黒板シアターによる教材提示。十分に間を取りながらゆっくりと範読する。

(1)「ぼうやに命をくれた人はだれ?」と聞かれたと
き、コウちゃんはどんなことを考えたでしょう。
・お父さんとお母さん?
・数えきれないよ。
・たくさんの人がぼくに命をくれたんだ。

・コウちゃんが命のつながりを意識し始めていることを捉えさせる。

(2)「ぼくの命ってすごいんだね」と言ったとき、コウちゃんはどんなことを考えたでしょう。
・たくさんの人のおかげでぼくが生まれた。
・ご先祖様の誰か一人が欠けても、ぼくはいなかった。
・ぼくの命は、たくさんの命とつながっている。
・ぼくの命は、ぼくだけの命ではないんだ。

・命のつながりに感動するコウちゃんに共感させる。

(3)「いのちをありがとう」と言ったコウちゃんの気持ちは,どうだったでしょう。
・ぼくに命をくれてありがとう。
・たくさんの人にもらった命を大切にしよう。
・ぼくも命をつないでいくぞ。

・命のつながりに感謝するコウちゃんの気持ちに共感させる。
・命のつながりへの気付きを通して、命の大切さを感じたコウちゃんの気持ちを捉えさせる。
☆ワークシートに記入する。

3 自分の生活や経験を振り返る。

○「命」について考えたことを発表しましょう。どんなときにどんなことを考えましたか。

4 教師の説話を聞く。

○「先生も『いのちをありがとう』と思ったことがあります。」

・児童が生命の「連続性」についての考えを深められるようにする。

(3)評価
・命のつながりに気付き、感動するコウちゃんに共感し、自分の命や人の命を大切にしようとする気持ちをもつことができたか。
・指導の工夫を通して、児童が「命のつながり」に関する自分の考えを深めることができたか。
(4)板書計画

5.考察
○中心発問「『いのちをありがとう』と言ったときのコウちゃんの気持ちはどうだったでしょう。」で用いたワークシート記述の一部を紹介する。

・コウちゃんの命はきれい。なぜかというとずーっと続く楽しいものだから。
・命を大切にしないとご先祖様が悲しむから、大切にしよう。
・命が一つしかないから、自分の命を守ると私は思いました。
・ご先祖様の命もぼくの命も一つしかないから、大切にする。
・命は一つしかないから、お父さんやお母さんはぼくの命を大切にしてくれたんだった。
・命をくれてありがとう。ぼくも結婚したら大事な可愛い子供を育てるね。
・産んでくれてありがとう。
・ぼく、生まれてきてよかった。

 ワークシートを見ると、「コウちゃんの気持ちを考える」という発問に対して、児童が“思わず”自分自身の気持ちを記述していることがわかる。書き出しの主語が「私は」に変わっている児童もいた。
 教材提示も、児童は集中して聴き、お話の世界に入り込んでいる様子があった。黒板シアターによる教材提示は、中学年の児童にとても有効であった。ワークシート記述中も、ゆるやかなBGMの中で、早く書き終わった児童が近くの児童と穏やかに意見交換をする姿が見られた。

○振り返りの発問「『命』について考えたこと。どんなときにどんなことを考えましたか。」に対する発言の一部を紹介する。

・家でお母さんと話したことがあります。お母さんは「自分の子供の命が自分よりも大切」と思って、私が生まれてから仕事をやめたそうです。
・僕のおじいちゃんは、僕が生まれてすぐ亡くなりました。僕を待っていてくれたのかなと思いました。
・会ったことのないご先祖様に会ってみたいと思いました。

 本時は命の「連続性」に焦点を当てた授業であり、展開前段ではそれに関する発言がほとんどであったが、振り返りでは「命」に関して、多様な考えが出た。一人一人の児童がそれぞれの経験に合わせて、「命」に関する考えを深めることができたのではないだろうか。
 また、説話で余韻を残して授業を終えた後、何人もの児童が授業者の周りに集まり、「命」に関するエピソードを話しに来た。説話が児童の心に響いた実感があった一方、これらのエピソードを授業の中で児童が発言しよう、したいと思えるようにするために、今後、さらに後段の発問を検討したい。

確かな学力を培い、たくましく生きる力を育む道徳授業の創造 ~主体的に考え、話し合える授業を目指して~(第3学年)

絵:戸井李名

1.主題名

心の美しさ  D[感動、畏敬の念]

2.教材名

「花さき山」 (出典:日本文教出版『新・生きる力』)

3.主題設定の理由

(1)ねらいとする価値について
 美しいものや気高いものに感動することは、豊かでありながらも謙虚さを大切にした人間らしい生き方をしていく上で大切なものである。また、感動したり、畏敬の念をもったりすることは、想像する力や感じる力を育み、自身の心を豊かにしてくれる。
 この期の子どもたちは、認識能力の発達に伴って、想像する力や感じる力が増してきている。しかし、美しいものや気高いものに触れても、それらの素晴らしさに気付くことができない児童や、人の心の美しさなど内面的な美しさや気高さに対して気付いたり、感動したりするなどの能力が、まだ発達の途上にある児童もいる。
 そこで、本主題では、一人一人が想像する力や感じる力を働かせ、日常生活における行為の気高さやその背景にある心の美しさに気付き、素直な気持ちで感動することの素晴らしさを感じ取るようにさせたい。

(2)児童の実態について
 本学級の児童は、物語に触れることが好きで、国語の授業や読み聞かせで新しい話に出会うと目を輝かせてその話を心から楽しむ様子が伺える。また、子どもらしく素直な子が多く、自分の感じ方を大切にしたり、感じたことを素直な表現で言葉にしたりしようとする。2学期に行った「しあわせの王子」では、美しい心にも触れ、目に見えないものの美しさを自分たちなりに感じようとする姿は見られた。しかし、ほとんどの子どもたちが普段の日常生活で感じている美しさの対象は、海、花、星、宝石など目に見えるものばかりである。したがって、人の行為や心情に対して美しさを感じられる機会がそれほど多くもなく、またそのような場面でも、その美しさに気付かずに過ごしてしまうことがほとんどである。
 そこで、本教材を通し、目に見える美しさに感動する心を大切にしながらも、目に見えないものにまで美しさを感じられる心情を育てていく。そして、誰もが美しい心をもっていることを実感させながら、それらに気付いたり、見つけたりしようとする心情へとつなげていきたい。

(3)教材について
 主人公あやは、ある時道に迷い、花さき山に一人で住んでいるやまんばと突然出会う。やまんばは、あやが人知れずに行うけなげさや優しさを認め、褒めてくれる。花さき山の花は、自己犠牲という心の美しさを象徴している。これを支えるつらさ、辛抱、涙は、花が咲くことで癒され、明日への希望となっている。花に象徴されるあやの心の「美しさ」を大切に扱っていきたい。

絵:戸井李名

4.研究主題(本タイトル)との関連

(1)ブラックシアターを活用した教材提示
 教材の世界観に浸らせるために、教室全体を暗くし、ブラックシアターを活用した教材提示を行う。登場人物を物語に合わせて出入りさせたり、花さき山のきれいな花を演出したりして、子どもたちがその物語の世界にいるような雰囲気を作り上げる。また、BGMを活用し、演出をより引き立てるようにする。

(2)協同的探究学習を意識した話し合い
 協同的探究学習とは、町田市で取り組んでいる、主に概念的な理解・思考を広げ深めるための学習形態のことである。一時間の授業時間の流れを、「①導入問題(限定された問題)」→「②自力解決(個別探究1)」→「③集団検討(協同探究)」→「④展開問題(個別探究2)」として、様々な教科に取り入れながら、児童の学力向上をねらいとして取り組んでいる。
 本授業では、中心発問を協同的探究学習の「導入問題」、後段の自分への振り返りを「展開問題」と位置付ける。導入問題では、子どもから出た意見を整理したり、関連付けを行ったりするための時間を十分に確保するために、発問を精選する。また、板書を計画的に活用し、子どもたちが自分たちの考えを整理する手立てとなるようにする。展開問題では、子どもたちが自分たちで広げたり深めたりしたことを元に、それぞれの心に返って自己を見つめる活動となるよう、以下(3)のように工夫する。

(3)一人一人の心の美しさに気付かせる展開後段・終末の工夫
 展開後段や終末で使用するための、「3年1組の花さき山」のボードを用意しておき、教室の中に用意しておく。
 展開後段で、みんなの前で発表することができる児童がいた場合、一人が発表するごとに一つの花をボードに咲かせていき、花を増やしていく。そして、終末の説話では、教師が感じていた3年1組の「美しい心」をいくつかを紹介し、花を咲かせていく。また、そのボードを今後も引き続き掲示しておくことを伝え、それらの花をさらに増やしていきたいという実践意欲につなげていく。

(4)多面的・多角的な思考を深める話し合い
 中心発問の話し合いでは、「あや」の気持ちを考えながらも、「そよ」や「母」の視点からも話し合いを深めていくことで、多面的な思考を深めさせる。また、自分のことよりも人のことを思う優しい心(思いやり・親切)や、そよやお母さんを大切に思う心(家族愛)など、様々な価値が関連した児童の考えが出てくる。それらを一つ一つ大切にし、複数の角度から「美しい心」について考えを深めさせることで、多角的な思考を深めさせていく。

5.教材分析

場面

登場人物の心の動き

関連する内容項目

考えられる発問

児童の心の動き

山菜取りに行ったあやが、道に迷って、やまんばと出会う。

・やまんばは何でも知っている。不思議だな。
・きれいな花だな。なんでこんなきれいな花が咲いているのだろう。

D[感動、畏敬の念]

あやは、やまんばと出会って、どんなことを思っているのだろう。

・やまんばはなんだか怖そうだな。
・あや、大丈夫かな。
・これから何が始まるのだろう。

あやが、花さき山の花がなぜ咲くのかを聞き、自分が我慢している気持ちが花を咲かせたことを知る。

・人の優しさが花になるなんてすごい。
・妹のそよのために、本当は欲しかったけれど我慢したな。
・私が我慢すれば、お母さんは困らないだろう。
・私の我慢が花を咲かせたんだ。
・なんてきれいな花なんだろう。嬉しいな。

D[感動、畏敬の念]
A[節度、節制]
A[善悪の判断、自律、自由と責任]
C[家族愛、家庭生活の充実]

あやは、どんな気持ちで「そよさ買ってやれ。」と言ったのだろう。
※あやのどんな心(気持ち)が赤い花を咲かせたのだろう。(中心発問)

・あやは優しいな。
・妹想いだな。
・お母さんは助かっただろうな。
・あやの優しさで花が咲いてよかったな。
・あやが我慢したことを、ちゃんと気づいてもらえてたんだ。よかった。

あやが、青い花が咲こうとしている理由を知る。

・小さな赤ん坊でも我慢しているんだな。
・弟想いで優しいお兄さんだな。

D[感動、畏敬の念]
B[親切、思いやり]
C[家族愛、家庭生活の充実]

あやは、双子のあんちゃんが咲かせた小さい青い花を、どんな思いで見ていたのだろう。

・あやよりもっと小さい子が、こんなに我慢しているなんて、えらいな。
・そんなに小さい子でも花を咲かせることができるんだ。

花さき山一面の花が、みんなこうして咲いたことを知る。

・我慢しているのは自分だけじゃなかったんだ。
・優しい人がこんなにいるんだ。すごい。

D[感動、畏敬の念]

花さき山に咲く一面の花を見て、あやはどんな気持ちになっただろう。

・つらいことがあっても、我慢するといいことがあるんだな。
・人のために我慢するって、やっぱりいいことだったんだ。
・素敵な話だな。

山から帰り、みんなにやまんばから聞いた話をする。しかし、信じてもらえず、確かめに再び山へ行く。

・素敵な話を聞いたから、みんなにも聞いてほしい。
・信じてほしい。
・もう一度会うことはできなかったけれど、花さき山は絶対にある。
・これからもつらいことがあっても花さき山のことを思い出して頑張ろう。
・もっともっときれいな花を咲かせたいな。

D[感動、畏敬の念]

山から帰ったあやは、どんな気持ちで、しんぼうすることを続けているのだろう。
「やさしいことをすれば花が咲く。」ということについて、あなたはどんなことを考えましたか。

・みんなに信じてもらえなくて、あやがかわいそう。
・なぜもう一度やまんばや花さき山に出会うことができなかったんだろう。残念だな。
・花さき山ややまんばは、あやの心の中にあるから会えなくなったんじゃないかな。
・花さき山ややまんばに会えなくても、がまんを続けるあやはえらいな。
・やさしいことをすると花が咲くことを知って、あやはもっと頑張ろうと思っていると思う。

6.本時のねらい

心の美しさや気高さに触れ、それを大切にしていこうとする心情を育てる。

7.展開の概要

学習活動(○主な発問 ・予想される児童の考え)

◇指導上の留意点 ●評価


1 森林の緑や紅葉、山々などの美しい写真を見て、感想を発表し合う。

○写真を見て、どのようなことを感じましたか。
・きれい。
・すごい。
・美しい。
・自分も見てみたい。行ってみたい。

◇「きれいなもの、美しいもの」への興味や関心を高め、目に見えない「美しい心」について考えることを話し、ねらいとする内容項目に方向付ける。


2 教材「花さき山」を読んで話し合う。
○この話を聞いて、どんなところが心に残りましたか。
・あやが、自分も着物が欲しい気持ちを我慢したところ。
・あやの花が咲いたところ。
・花がたくさん咲いていたところ。
・小さな赤ちゃんでも、我慢をして、花を咲かせたところ。
・最後、もう一度花さき山を見つけることはできなかったけれど、それでもあやがよいことを続けていたところ。

◇物語の世界に子どもたちが引き込まれやすいよう、ブラックシアターやBGMを活用した教材提示を行う。
◇あやが出てくる場面だけでなく、双子のお兄さんや花さき山一面の花を咲かせた人みんなの心の美しさが感じられる場面に、触れられるようにする。
→ホワイトボードに場面絵を掲示していく。

◎あやはどんな気持ちで「そよさ買ってやれ。」と言ったのだろう。★協同的探究学習<導入> ※ワークシート
・優しい心。
・美しい心。
・そよに喜んでほしい。
・お母さんを悲しませたくない。
・自分も本当は着物がほしいけれど、我慢しよう。
・自分はお姉ちゃんだから、我慢しなくちゃ。

◇あやの母や妹へのやさしさと辛抱をとらえられるようにする。
◇みんなでとらえたあやの美しい心が、赤い花を咲かせたことをもう一度確認する。
●美しい心は、我慢したり、辛抱したり、つらいことを乗り越えたりすることだととらえられたか。

○花さき山一面の花を見て、あやはどう感じただろう。
・こんなにたくさんの人が人のことを思っていたんだ。
・優しい人がたくさんいる。きれいだ。
・優しいだけでなく、がまんや辛抱をしているんだ。
・わたしも、もっと花を咲かせたいな。

◇花さき山の花の美しさと涙、辛抱、つらさとのつながりをとらえられるようにする。

3 「心の美しさ」について考える。

○みんなの周りにも、花さき山の花を咲かせているなと思う人がいますか。★協同的探究学習<展開>
・友達が順番をほかの人に譲っていた。
・遊ぶことよりも当番の仕事を優先して、クラスのために働いていた子がいる。
・給食のおかわりの時に、他の人のことを考えて量を調節したり、譲ったりしていた人がいる。
・妹が、自分が遊んでいたおもちゃを欲しがっていたから、使わせてあげた。

◇心の美しさは、人が誰かのために我慢したり、譲ったり、尽くしたりすることだということをもう一度確認する。また、人のことだけではなく、自分のことでもよいことにする。
◇一人一人が考えることを大切にする。一つ発表したごとに、終末で使用するボードに一つずつ花を咲かせていく。
●美しい心を探したり、触れたりすることができたか。


4 ボードに、クラスの花さき山を作っておき、その一部を紹介していく。

◇その後も日常的に花さき山を掲示しておき、児童の花を咲かせることで、美しい心を大切にしようとする意欲をもてるようにする。

7.板書計画

8.ホワイトボード

9.ワークシート

10.考察

 ブラックシアターやBGMを用いた教材提示は、子どもの心を惹きつけ、物語の世界に入り込ませる上で、とても効果的だった。物語の美しさを視覚的・聴覚的にもとらえることができた。
 また、中心発問で、多面的・多角的に話し合いを進めていくことで、子どもが考えた全ての思いが「心の美しさ」につながっていく、ということをとらえさせることができた。
 当日、展開前段から後段に移る際に、『「花さき山」はどこに行ってしまったのだろう。』という補助発問を行った。すると、子どもから、「一人一人の心の中。」という反応が見られ、ねらいとする価値の深まりを実感することができた。
 展開後段で、「自分が我慢をして…」ということにこだわって授業を進めてしまったが、「心の美しさ」をもっと広くとらえさせることで、さらにねらいに迫ることができたのではないかと感じている。一人一人の心にどのように働きかけていくか、さらに模索を重ねていくことが今後の課題である。

【対談】これからの鑑賞活動

 札幌市立星置東小学校の森實先生と鑑賞活動で大切なことについて考えてみました。

「相互鑑賞」や「対話だけ鑑賞」の違和感

著者:鑑賞の実践はずいぶん盛んになってきました。でも気になることはけっこうあります。代表的なのが「相互鑑賞」で、造形活動を中断してお互いの作品を鑑賞し合わないといけない。子どもたちは自分の表現に夢中になっているのに、それを断ち切られるんですね。
 あるいは「対話だけ鑑賞」で、一枚の美術作品を前に低学年や中学年が延々と語り合っている。発達的には、作品と一体化できる特性があって、いろいろな方法で感じたり考えたりできる年齢なのにと思います(※1)
森實:言語化に違和感がありますね。自分の感じたことや考えたことなどを言葉にして「思考力,判断力,表現力等」を育成することは大切だと思います。でも、そこに、子どもの感じていることが十分表れているかというと、そうではありません。図画工作科や美術科では、子どもが本当に感じていることや考えていることなどは、言語だけで表れないというのが実感です。それが教科的な特徴だと思うのです。実際に、つくる活動の中に鑑賞活動は自然に含まれていますし、できた作品の中にも鑑賞したことが反映されています。
著者:「つくるのは表現」で「見るのは鑑賞」のように、表現と鑑賞を対立的に捉える傾向が背景にあるのでしょうね。「表現活動では、発想や構想、技能が発揮されている」だけで「鑑賞の能力は発揮されていない」と思っているのかもしれません。だからつくることを中断してまで相互鑑賞を行うのだと思います(※2)
森實:指導者が鑑賞ということを難しく考えているのかもしれません。鑑賞活動のねらいはその子その子のアンテナを増やすことだと思うんですね。発見する力、視点をつくりだす力と言い換えてもよいかもしれません。表現活動であれ、鑑賞活動であれ、子どもたちのアンテナが増える学習活動になっているかどうかを考えればよいのだと思います。
著者:アンテナという喩えは面白いですね。子どものアンテナが立つ題材や手立てになっているかをチェックすれば、「相互鑑賞」や「対話だけ鑑賞」は生まれないような気がします。

実践「私の素敵な和のセンス」

著者:アンテナが立っている実践の一つとして、森實先生の授業を取り上げたいと思います。子どもが着物や和食など日本風だと思われているものを鑑賞した後に、そこからエッセンスみたいなものを取り出して、扇子として表すという実践ですね。
森實:扇子というのは結構たまたまで(笑い)。屏風と違って「生活に使える」「親しみがある」と思ったんですね。試しにつくってみると「折りたたんで持てる」「開いた時美しい」ので「ああ、これは子ども達も楽しいかな」と。でも、そこにこだわっているわけではないんです。つくるものは何でもいいんです。
著者:というと学習のねらいは扇子づくりにはない?
森實:ええ。子どもたちの生きている生活の中に「和」はあって、その「和」ということを、その子らしいアプローチで、気づいて、考えて、その子なりにたどり着けばいいなと思いました。

著者:なるほど、私達の思う「和」や日本風を押し付けるのではないのですね。日本の伝統的な美を題材にすると、つい「自分たちの和」「大人の考える日本風」を押し付けがちになります。でも、材料は一応提供するけど、そこから何を感じるかは子どもたちに任せてみたわけですね。
 実際、できた扇子は様々ですよね。大人の言葉にすれば「空間的な構成」、「淡い色で表す季節感」、「繰り返しの様式美」などいろいろです。一つ一つの扇子の中に、その子の感じ考えた「和」がある感じがします。事実的な知識としての「和」ではなく、その子なりの概念的な知識としての「和」が成立している。
森實:この授業には、地域人材活用として美術の専門家に参加してもらいました。その方は、自分の価値観を押し付ける人ではなくて、子どもたちの実践を認めてくれるんですね。「これは空間を生かしたのかな?」「ほら、淡い色にはこういう作品もあるんだよ」って。その言葉に、子どもたちはずいぶん後押しされました。自分の考えた「和」に対して「これでいいんだ」と自信をつけたみたいです。
著者:なるほど、子どもに寄り添える大人が子どものそれぞれの感じや考えを言葉に変換して、新しい知識として定位させた感じでしょうか。

森實:この実践では、扇子の形はみんな同じなんですね。だから表現と言い切ってしまうのは、ちょっと心配で、私としては、この実践は鑑賞かなと思います。扇子そのものは作品というより、国語で言えば自分の考えを文字で表した感想文のような位置づけですね。
著者:その扇子から対話や感想文などには表れない子どもたちの感性や論理性が見えるような気がします。「ぼくの見つけた『和』はこれだよ!」みたいな声が聞こえてきそうです。言い換えれば、扇子の中に多様な「思考力,判断力,表現力等」が可視化されています。
 また、子どもたち一人一人は身の回りの生活や社会の中から、「自分の和の世界」をつくりだしていますよね。それは、ささやかだけれども「社会に開かれた教育課程」と言っていいかもしれません。
森實:美術館を出たときに、自分のまなざしが変化していることに気付くことがあります。何気ない標識や壁がアートに見えるというか、世界の美しさを感じるというか。私の目指したところはそこなんです。子どもたちの世界というか……なんだろう、遊びの幅を広げられたのだったらうれしいですね。
著者:遊びの幅という表現はいいなあ。新しい学習指導要領で言えば、「見方・考え方」が豊かになったということですよね。シンプルな題材なのだけど、子ども一人ひとりがよく感じ、考えています。これは絵だ、これは鑑賞だという内容から題材を考えるのではなくて、「思考力,判断力,表現力等」から考えていったら、こんな題材になったということだと思います。これから求められる題材の考え方ではないでしょうか。

「思考力・判断力・表現力」から鑑賞活動を考える

著者:子どもの事実としては、鑑賞はいつも自然に行われています。「ここをどうしよう」「何の色にしよう」と考えているときに、じっと自分の作品を見ていますし、キョロキョロと周りから情報を取り入れています。美術作品を鑑賞しながら、新しいことを発想しているし、作品の前後まで思いを巡らしたりしています。表現題材であっても鑑賞題材であっても、鑑賞という「思考力,判断力,表現力等」は働いています。
森實:鑑賞だ、表現だと考えるのではなく、「思考力,判断力,表現力等」から考えるということですか?
著者:はい。今回の改訂で、学習指導要領は、小中一貫して資質・能力ベースになりましたよね。そして「思考力,判断力,表現力等」の中に「発想や構想の能力」と「鑑賞の能力」が統合されたような形になりました。すると「表現と鑑賞がまずあって、そこでそれぞれの能力を伸ばして……」ではなく「『思考力,判断力,表現力等』を高めるために、学習活動がどうあればよいか」「表現と鑑賞がどう関連しあうのか」ということになるはずです。
森實:これまで通り、子どもから考えていけばいいんですよね……。
著者:そうですね。いくら理屈っぽく言っても、結局はそういうことだと思います(笑)。子どもの考える姿から鑑賞活動を工夫するということでしょう。今日はありがとうございました。
森實:ありがとうございました。

 

※1:対話だけでなく簡単なアクティビティを取り入れることが大事だと思います(学び!と美術<Vol.34>「探求的な鑑賞~探究活動を基盤とする美術鑑賞『Inquiry Based Appreciation』」
※2:相互鑑賞を指導過程に入れておけば先生は安心するからなのかもしれません。

16世紀という時代 ―開かれた世界への眼―(6)

承前

 ヴァリニャーノは、どのように日本と日本人を読み解き、いかなる方策を提示したのでしょうか。

宣教に問われたこと

 日本宣教方策は、カブラルが切り捨てた日本人への対応を否定し、まず日本人修道士・同宿とヨーロッパ人宣教師との統一融和をめざすことからはじめました。同宿とは教会などで宣教師らの身の回りの世話をなし、日本人信者との間をとりもつ人々。

1)イエズス会に入る日本人を、あらゆる点でヨーロッパ人修道士と同様に待遇し、同宿もその身分に応じて同様に扱うこと。
2)イエズス会の会則に応じて、温和と愛情をもって日本人を待遇し、徳操と宗教的贖罪を教えるように努力する。かくて我々の中に、粗野や激情、怒りによる動揺、無礼や侮辱的言辞を感じさせないようにする。常に彼等を道理によって指導し、納得させ、贖罪や処罰においても、感情でではなく、愛情をもって待遇し、すべて彼等の幸福と利益の為に努力していることを理解させなければならぬ。
3)習慣や態度、挙措の異なる他国民に、悪い感情を抱いたり悪口を述べてはならぬという我等の規則を厳格に遵守すること。
4)あらゆる努力をもって日本の習慣、その他のものを修得し、喜んでこれを遵守せねばならぬ。
5)我等はヨーロッパ人の嗜好をすべて放棄し、自らを制して彼等の嗜好に合わせ、彼等の食物に適応せねばならぬ。

 ここに日本人は、ラテン語の学習への道が開かれ、イエズス会員への道が用意されたのです。この宣教団内の改革のみならず、宣教師には日本の生活に可能な限り順応していくことが説き聞かされております。その一端を日本人との社交、付き合いについての言及にみることとします。

日本人とどのように交際したらよいのか

 ヴァリニャーノは「日本の習俗と気質(カタンゲ)に関する注意と助言」で、「パードレやイルマンが日本の習俗や気質にあてはまった行動をとる」指針を提示します。その指針は、日本人と付き合うにあたって権威を獲得し保持するための取るべき方策で重要なこととして、「身分、位階についての様々の等級があり、すべてのものがこれをこの上もない熱心さをもって守ろうと努め、各自が自己の身分、位階に適ったことより以上にも以下にも行動しないように」、身分に相応しい行動が必要なことを繰り返し説いています。それは、手紙の出し方から、来客の迎え方―座敷に上げるか否か、お茶の出し方等々にまで詳細にわたるものです。かつ領主との関係は、ヨーロッパの政治と非常に異なるから、「軽々しく動いてはいけない」、「領主の意志を汲みとることのできる何人かの立派なキリシタンに十分」に相談した上で対処し、「いかなる領主にも大砲やその他の武器」を斡旋しないこと、等々。さらに領主、国衆、奉行、「騎士」は何処の座敷に通せばよいか、中間、町人、百姓は立場によって門前か玄関口か、女性にはいかなる座敷の出入りをするにせよどのような挨拶も儀礼もしてはならない。パードレは座敷で待っていなければいけない。縁側まで送って行きたいと思うほどの「貴婦人」は別であるが、と。礼儀作法がきわめて厳格な階層秩序にもとづいていることを繰り返し教えています。そこでは、盃と肴のやりとり、宴会と贈物等々におよぶ諸注意が詳細に述べられています。まさに「礼法指針」が説き聞かせた世界は、日本人が日常的に営んでいた暮らしの仕方を「異文化」とみなしたがために記録したわけで、16世紀の日本における暮らしの作法にほかなりません。日本の暮らしにみる階層的秩序と男女差が読みとれます。宣教師はこの手引きで日本人の心にせまったのです。

宣教をめぐる確執

 このような順応策は宣教師に素直に受け入れられたものではなく、ヴァリニャーノの反対派は、カブラルのみならず、少なからず存在していました。その一人、ペドロ・ラモン(1577年来日)が生月から出したイエズス会総会長宛(1587年10月15日)の少年使節の「欺瞞」を告発した書簡に読みとれます。この告発は、日本宣教の成果を誇大に宣伝し、王侯貴族からの多額な宣教資金を獲得し、巡察師としての己の場を教会内で固めようとの思惑に対する反発にほかなりません。
 この書簡は、ともすれば神話化されてかたられてきた遣欧使節像を問い質し、派遣をめぐる宣教団内における確執、さらに禁教下における日本宣教を問い質す素材ともいえましょう。禁教下の宣教師が「フェリペ国王の手でこの日本国内に要塞を一つ獲得しなければならない」との想いを表明していることは、ヴァリニャーノがめざす宣教方策と全くことなるものですが、キリシタンの存在をめぐる17世紀の日本の選択を読み解く一つの手がかりともなりましょう。

少年使節の欺瞞―今年起こった出来事は、事の経緯を知っている当地のわれわれ会員にとって非常に驚くべきことであった。またそれが、日本人の間でわれわれのことについて強い不評を買う原因となったのも事実である。それは、御地に赴いた例の日本の少年たちについて行われたことであって、御地から届いた書簡によると、彼らのことを日本の領主とか王公と呼んでいたが、彼らは御地にとってはなんらの価値のない者で、日本においては非常に貧しく、あわれな貴族にすぎない。猊下に断言するが、御地で彼らに対して行われた事を聞いた時には、私は恥ずかしさで顔をおおったほど驚いた。われわれ会員について多分最も良く理解している日本人たちがそのことから得た教訓は、イエズス会士はこのように事を偽ってまで日本でキリスト教界をつくろうとしたので、神は会員を日本から追放することでこれに正当な罰を与え給うた、ということであった。というのは彼らは御地に赴いた少年たちを知っているので、御地に送られた情報のために、想いもよらないことを御地で信じ込んでしまっている、としか、彼らには言いようがない。(略)
関白殿はわれわれ全員の日本追放を命ずるに至り、われわれにはこれに対する確実な対策がない。これはすべて、イエズス会も教会も、このような窮状に際し避難できるような確固たる基地を日本に持たないところから生じている。このため、このような基地を持つことが何にもまして必要である。そしてそれには、フェリペ国王の手でこの日本国内に要塞を一つ獲得しなければならない。

 日本は、南北朝から応仁の乱へと秩序が流動していくなかで、ルターの登場がもたらした波動がキリスト教世界に奔った衝撃の渦に向き合い、16世紀を開かれた時代としました。時代の活力は、キリシタンの世界に対峙することで、17世紀に列島を一つとする秩序が可能となったのではないでしょうか。この時代が奏でる転換期の相貌は、キリシタンが他者なる存在である日本を記録した世界を読み解くとき、日常化された日本を現在読み直す手がかりを提示してくれましょう。日本・日本人なる言説が夜郎自大的に増幅している昨今、開かれた時代にみる他者認識の在り方とは何かに目をとめてみたらいかがでしょうか。