大日本帝国憲法にこめられた思い ―「皇国」日本という幻想(2)―

承前

 大日本帝国憲法は、1889年(明治22)2月11日、紀元節の「佳節」に発布されました。この日、王位継承の根本法典である皇室典範が制定されました。天皇皇后は、すでに1月11日に赤坂仮皇居より造営された新皇居である宮城に移っておりました。ちなみに「宮城」なる呼称は、1888年に天皇が住む「新皇居」を「宮城」と称すと告示したことによります。この「宮城」なる呼称は、1948年7月1日に「皇居」を「宮城」とした告示が廃止されたことで、「皇居」となりました。
 この一事には、ヨーロッパの王室制度を範にして天皇を統治の主体者とする制度としての皇室制度を設計するにあたり、西洋文明の仕組みに学ぶことで「天皇」という王権を位置づけようとした想いがうかがえます。まさに「皇居」なる呼称には、1945年の敗戦がもたらした衝撃をして、「天皇」という王権にこめられた特殊日本型の国家像たる「皇国」の神話に引き寄せることで、日本のnationality「国体」を誇示したいとの思惑がうかがえましょう。

統治者たる天皇が問いかけた世界

 天皇は、「告文」「勅諭」で、天壌無窮の皇統を継ぐ者として、「人文の発達」する時代の趨勢にしたがい、「皇祖の遺訓」を明らかにした「典憲」を定め、「内は以て子孫の卒由する所と為し、外は以て臣民翼賛の途を広め永遠に遵行せしめ」、大いなる帝王の下にある国家を強固にし、「八洲民生の慶福を増進」すべく、ここに皇室典範と憲法を制定したと、告げました。
 「憲法」発布は、「朕が祖宗に承くるの大権に依り現在及将来の臣民に対し、此の不磨の大典を宣布」すと。そこには、「我が臣民」が「祖宗の忠良なる臣民の子孫」であったことに想い致し、「朕が意を奉体し」て率先して従い行い、おたがいに「和哀協同」して「我が帝国の栄光」を「中外に宣揚し祖宗の遺業を永久に鞏固」にする望みを同じくし、この負担を分かちもつことを疑っていない。「国家統治の大権」は、「朕か之を祖宗に承けて之を子孫に伝ふる所」のもので、「朕及び朕か子孫は将来此の憲法の条章に循ひ之を行ふことを愆(あやま)らざるべし」と。
 朕は、「我が臣民の権利及財産の安全を貴重し及之を保護し此の憲法及法律の範囲内に於て其の享有を完全ならしむべきことを宣言す」と述べ、帝国議会を1890年に召集して議会を開会すると。かく天皇は、憲法発布がもつ意味を説き、各大臣が「朕が為に此の憲法を施行するの責に任ずべく、朕が現在及将来の臣民は此の憲法に対し永遠に従順の義務を負うふべし」と。かく語られた大日本帝国憲法にこめられた世界は制定者伊藤博文の意図を表明したものにほかなりません。

伊藤博文の思い

 憲法制定を主導した伊藤博文は、人心結合の器が仏教や神道に期待できないがため、「我國にあっては機軸とすべきは独り皇室あるのみ」と確信しました。まさに神の不在は、西洋諸国でキリスト教がはたした役割をして、「皇室」という存在に国家の根軸を託させることとなります。
 この「皇室あるのみ」との確信こそは、神が不在な日本において、天皇、万世一系の皇統につらなる天皇を神に代替しうる器とみなし、国民精神の拠り所に造形していくことだとの思いにほかなりません。この思いが結実した世界が大日本帝国憲法です。
 かくて伊藤博文は、憲法発布をふまえ、2月15日に枢密院議長官邸で府県会議長に対する憲法演説で、欽定憲法として発布された大日本帝国憲法にこめられた思いを懇切に説き語りました。そこでは、まず「憲法」が民との契約による「民約」ではなく、「欽定憲法」であることが強調されます。「欽定とは既に諸君の熟知せらるる如く、天子親ら定め玉うの辞にして、天子の特許して一国の臣民に賜与し玉うの義なり。故に此憲法は全く天皇陛下の仁恵に由り臣民に賜与し玉いしものなるを、恒に諸君の心に銘じて記憶せられんことを冀望す」と。まさに憲法は天皇の「仁恵」による賜物にほかなりません。この言説は、「我が日本国は、開闢の始より天皇親ら開き玉い、天皇親ら治しめすを以て、之を憲法の首条に載するは実に我が国体に適応するものと謂うべし。是れ他国の憲法と大に其構成体裁を同くせざる所以なり」と、日本開闢神話を「事実」とした王権の在り方を根拠としたものにほかなりません。
 かくて政府は、「天皇陛下の政府」であり、主権が天皇の玉体に集合し、天皇が任免した宰相が国政の責任を負う体制にほかならず、主権が人民にある共和国とは全く異なるものとなります。このことは、「主権は君主即ち王室に存し、未だ曾て主権の他に移りたるの事実なく、又移るべきの道理あらざるなり」という「開闢以来の歴史と事実」にもとづいたものであること。それ故、「仮令、議会を開き公議輿論の府と為すも、主權は唯だ君主の一身に存在することを遺忘すべからず。日本に於ては開闢依頼の国体に基き、上元首の位を保ち、決して主權の民衆に移らざることを希望して止まざるなり」と。この主旨をふまえ「苟くも帝国議会の議員たるものは、自己の選挙せられたる一部の臣民を代表するにあらずして、全国の臣民を代表し、敢て郷里の利害に跼蹐せずして、ひろく汎く全国の利害得失を洞察し、専ら自己の良心を以て判断するの覚悟なかるべからず」と、議員たるものの覚悟に説き及んでいます。
 ここには、「憲法政治」をかかげ、立憲君主制の定着をめざした伊藤の想いが読みとれます。まさに日本は、国民国家を造形すべく、西洋の立憲君主制の枠組を分節化して選別改変し選択的に受容する作法、機能合理主義的価値判断で「皇国」に相応し制度設計をすることで、日本型君主制ともいうべき「天皇制」を構築したのです。まさに「天皇制」は、日本の文明化と同時的に登場することで、その全容を整えていった制度体だといえましょう。そのための基本的枠組みは大日本帝国憲法と皇室典範にほかなりません。

 

参考文献

  • 滝井一博編『伊藤博文演説集』 講談社学術文庫 2011年
  • 坂本一登『伊藤博文と明治国家形成』 講談社学術文庫 2012年

学校における道徳教育②

 12月は師走と書くように先生方が忙しく走り回る時期です。学期末の成績処理をはじめとする事務処理に追われたり、教育相談や進路相談を実施したり、3年生を担当する先生は生徒の推薦書を持って高校を駆け回っておられるのではないでしょうか。インフルエンザも流行し始めます。健康にはご留意ください。私が勤務する教職大学院では秋クォーターの学校臨床実習が終了し、冬クォーターの授業が始まって院生が大学に戻り、師走の町のようににぎやかになりました。しかし、院生たちは授業と同時に実習の報告書の作成や報告会の準備にと忙しく取り組んでいます。私自身も道徳教育について学会発表・講演会と忙しい日々を送っています。
 道子、真理、響が所属しているMOS(早稲田大学道徳教育研究会)も活動を再開しました。

1 生徒指導と道徳教育

「今回は、道徳教育と他の教育活動との関係を考えてみましょう。まず生徒指導との関係です。皆さん、生徒指導とはどのような教育活動ですか?」
真理「生徒たちが学校や社会の中でよりよく生きていけるように意図的に指導したり、支援したりする教育活動です。」
道子「生徒が自主的・自律的・主体的に行動する資質や能力を育成することもあります。」
「生徒指導提要では生徒指導の意義を『生徒指導とは、一人一人の児童生徒の人格を尊重し、個性の伸長を図りながら、社会的資質や行動力を高めることを目指して行われる教育活動のことです。すなわち、生徒指導は、すべての児童生徒のそれぞれの人格のよりよき発達を目指すとともに、学校生活がすべての児童生徒にとって有意義で興味深く、充実したものになることを目指しています。……(一部省略)……各学校においては、生徒指導が、教育課程の内外において一人一人の児童生徒の健全な成長を促し、児童生徒自ら現在及び将来における自己実現を図っていくための自己指導能力の育成を目指すという生徒指導の積極的な意義を踏まえ、学校の教育活動全体を通じ、その一層の充実を図っていくことが必要です。(下線は筆者による)』とあります。」
「人格のよりよき発達を目指すことや、学校の教育活動全体を通じて行うことなど、道徳教育とよく似ている。道徳教育と何が違うのかな?」
真理「生徒指導には授業がないが、道徳教育には要となる授業が週1時間あることでは……。」
「なかなか良い視点に気付きましたね。教育学のヘルバルトは、教育の方法を『教授』『訓育』『管理』の3つに分けました。『教授』は、教材を用いて行う教育、つまり教科や知育のことです。『訓育』は、特に教材を必要とせず、先生と生徒の関係による教育、つまり教科外教育(領域)や徳育などです。道徳の授業には、教材を用いて学ぶ『教授』と、先生と生徒がともに考え、ともに語り合う『訓育』の両面があります。また、道徳教育は学校の教育活動全体を通して行われる『訓育』でもあります。これに対して、生徒指導は、ヘルバルト派のラインが考えた、訓育と管理と新たに養護を加えた『指導』に属します。その内容は、よりよい人格や自己指導能力などを育成する『訓育』とともに、学校生活などの管理や支援・援助するガイダンス機能なども含まれています。このように道徳教育と生徒指導には性格の違いがありますが、相互補完する関係もあります。」

道徳教育(授業)に対する生徒指導の貢献

生徒指導に対する道徳教育(授業)の貢献

道徳の授業に対する学習態度を育成することができる

道徳的判断力や道徳的心情が育つことで生徒指導が進めやすくなる

生活指導の問題事例や実践例などを授業の教材として活用する

道徳の授業を生徒指導へとつなぐことができる

学級内の人間関係や環境を整備することで望ましい授業の雰囲気を生み出す

道徳の授業を通して児童生徒理解が深まり、生徒指導が行いやすくなる

道子「道徳教育と生徒指導は連携していくことが効果的ですね。」

2 体験活動と道徳教育

「次は体験活動と道徳教育について考えてみよう。平成20年3月に公示された中学校学習指導要領の解説「総則編」では『道徳教育を進めるに当たっては,教師と生徒及び生徒相互の人間関係を深めるとともに,生徒が道徳的価値に基づいた人間としての生き方についての自覚を深め,家庭や地域社会との連携を図りながら,職場体験活動やボランティア活動,自然体験活動などの豊かな体験を通して生徒の内面に根ざした道徳性の育成が図られるよう配慮しなければならない。』とありますが、なぜ体験活動は道徳性の育成に関係があるのだろうか?」
「道徳的な行為を体験することができるからだと思います。」
真理「情報化が進み、人と直接話す機会が少ない子どもに会話の場を提供する。」
道子「体験活動は考えるきっかけを与えてくれるからだと思います。」
「体験活動には、3つの種類があります。
 ①直接体験:自分自身が対象になる実物に実際にかかわる
 ②間接体験:インターネットやテレビなどを介して感覚的に学び取る
 ③模擬体験:シミュレーションや模型などを通して模擬的に学ぶ
 この中で、近年、間接体験と模擬体験は増加しているが、直接体験が減少していると言われています。直接体験には、間接体験や模擬体験に比べ、得るものがたくさんあります。例えば、テレビを通して富士山のご来光を見た時と実際に苦労して登って見た時は臨場感や感動が違います。さらに、そこまで行く間に出会う多くの人々とのコミュニケーションがあります。富士の自然・文化・歴史などに触れ、学ぶことができます。このような体験を通して、子どもは感動したり驚いたりしながら『なぜ』『どうして』と考えを深め、実際の生活や社会・自然の在り方について学びます。」
真理「直接的な体験活動は、道徳的判断力や道徳的心情の育成に効果があるということですね?」
道子「道徳的実践意欲と態度も育つと思う。」
「最近、旅行で体験活動をすることが流行しているが、何か行ったことはありますか?」
道子「修学旅行で京都に行き、清水焼の茶碗の絵付けをしたことがあります。」
「僕は、お寺で写経をした。」
道子「どうして写経をしようと思ったの?」
「ご利益があると聞いたので……。」
真理「写経した後で何か良いことはあったの?」
「見ての通り、変化なしです。しかし今思い返すと、使い慣れない筆で一字一字集中して書いていると無心になり、書き終わった時、とても清々しい気分になれたよ。」
「響君はとても貴重な体験をしたようですね。『体験』はただの経験だけでは何も意味がありません。響君のように体験を振り返り、価値づけをすることにより意義ある『経験(経験知)』になります。
 右の図は、このことを表した『経験学習サイクル』です。この中で、体験の内省的観察(振り返り)をすることで、体験は意味あるものとなります。そして新たに直面する体験に前の体験で学んだ経験知を活かすことが重要です。
 このことは、道徳教育がめざす道徳的行為の実践への具体的な指導展開です。さらに、振り返りによって概念化された道徳的価値は、具体的な行為を伴う道徳性を育成します。
 中学校学習指導要領解説「特別の教科 道徳編」(平成29年7月)には、『豊かな体験は,生徒の内面に根ざした道徳性を養うことに資するものである。これらの体験活動を通して生徒が気付く様々な道徳的価値は,それらがもつ意味や大切さなどについて深く考える道徳科の指導を通して,内面的資質・能力である道徳性としてより確かに定着する。道徳科の指導においては,職場体験活動やボランティア活動,自然体験活動などの体験活動を生かし,体験を通して感じたことや考えたことを基に対話を深めるなど,心に響く多様な指導の工夫に努めることが大切である。』とあります。
 学校における体験活動は、道徳的実践・道徳的行為につながります。そのような体験活動を道徳の授業で振り返り、道徳的価値への理解や自覚を深め、道徳性を育成することが大切です。一方、特別活動では、学校や社会における実際の体験活動による学習、すなわち『なすことによって学ぶ』ことを通して、全人的な人間形成を図るという意義を有しています。特別活動の学びを質的にも量的にも充実するためには、ただ体験活動をするのではなく、体験活動に道徳的価値をもたせ何を学ぶのかを明らかにし、活動後に振り返りをすることにより、体験に基づいた新たな実践が生まれるように指導していくことが大切です。」

 第3回目はいかがでしたでしょうか? 次回は道徳教育の内容について考えていきたいと思います。ご期待ください。

マノロ・ブラニク トカゲに靴を作った少年

©HEELS ON FIRE LTD 2017

 「初心忘るべからず」という。1942年、スペイン領カナリア諸島のラ・パルマ島、サンタクルスに生まれ育ったマノロ・ブラニクは、少年のころ、トカゲの足に、チョコレートの銀紙を巻き、「靴」を作ってやる。以降、靴のデザイナーを志して以来、マノロは、靴を作り続けている。トカゲに靴を作った少年は、大きくなって、トカゲの皮で靴を作り、いまなお、ミラノの工房で、ヒールにヤスリをかける。よくいわれるが、パン屋はおいしいパンを作り、靴屋は履きいい靴を作る。あたりまえのことだ。
 マノロのデザインした靴は、世界じゅうで有名で、多くの著名人が、その靴を絶賛する。ドキュメンタリー映画「マノロ・ブラニク トカゲに靴を作った少年」(コムストック・グループ配給)は、マノロがどういった人物かを、本人と、本人を知る大勢の著名人が語る。その靴は、つとに有名だが、どういった人かは、あまり知られていないようだ。
 マノロは、気さくで、ユーモラス。洗練された物言いが、なんともチャーミングなのだ。マノロの生まれ育ったラ・パルマ島は、草花が茂り、あちこちにバナナ園がある自然豊かな島。マノロは、草花をいまなお愛し続けている。また、小さいころから、「ヴォーグ」や「ハーパーズ・バザー」といったファッション雑誌を愛読、雑誌に載ったセシル・ビートンの写真に魅せられる。

©HEELS ON FIRE LTD 2017

 マノロは14歳になる。父親の意向で、マノロは、スイスのジュネーブで教育を受ける。1964年、デザイナーを目指してパリに赴く。パリでは、ピカソの娘、パロマ・ピカソと出会い、仲良しになる。マノロに運命の出会いが訪れる。1965年、ニューヨークで、アメリカ版「ヴォーグ」の編集長だったダイアナ・ヴリーランドと知り合い、「靴のデザインに専念を」とのアドバイスを受ける。
 マノロは靴作りに専念する。さまざまな材料からヒントを得た、斬新なデザインの靴は、たいへんな評判になる。
 1968年のパリ。大きなデモが連続する。マノロは関心がない。「暴力もデモも嫌い」ときっぱり。1971年、憧れていたロンドンに渡る。翌年、チェルシーに靴店を開く。マノロの快進撃が始まる。
 マノロは、女性靴だけでなく、紳士用の靴も作る。俳優で、作家でもあるルパート・エヴェレットの靴は、ゼブラ柄のパンプスで、たいへんシンプルだ。
 1983年、マノロは、ニューヨークに進出。勢いは止まらない。「ヴォーグ」で大々的に掲載されたり、映画化もされたテレビドラマ「セックス・アンド・ザ・シティ」にも、マノロの靴が登場する。ソフィア・コッポラ監督の映画「マリー・アントワネット」に登場する靴もすべて、マノロのデザインだ。

©HEELS ON FIRE LTD 2017

 著名人が、さまざまな賛辞を送る。「もう他の人の靴は履かない」。「靴の帝王よ、永遠にね」。「彼は靴を生き物として扱う。靴は動物ではないし、人間でもない。マノロの生んだ生き物よ」。「彼は詩人で、ヴィジョンのある仕立師だ。ボードレールに勝るとも劣らない」。「スペインにおいて、20世紀の偉大な3人のうちの1人だ。ピカソとペドロ・アルモドバル、そしてマノロ・ブラニク」。賛辞が続く。「ヴォーグ」誌もまた、「足裏のゴッドファーザー」、「足裏の帝王」と書く。
 マノロの言葉が、ことごとく、いい。「考えたこともない、名声を得たいとか、人に知られたいとか」。「重要なことは三つ。素材の質。職人の技術。そして、どう組み立てるか」。「私は芸術家ではない。ただ靴を作っている男だ」。
 マノロは、映画を愛し、小説「山猫」を愛読し、庭の手入れをする。森羅万象、あらゆるものからデザインのヒントを得る。異なる文化を抵抗なく受け入れる。
 どのような職業に就こうと、初心を忘れないこと。それだけではない。映画「マノロ・ブラニク トカゲに靴を作った少年」は、多くのことを示唆している。
 監督は、写真家、編集者、スタイリスト、イラストレーター、作家でもあるマイケル・ロバーツ。監督自身の手になるタイトルバック、劇中にはさまれるアニメーション、エンドロールが、ユーモアたっぷりで、楽しい。マノロ・ブラニクへの敬愛に満ちた映画の時間。学ぶこと多々。クリスマスの、これはすてきなプレゼントだろう。

2017年12月23日(土・祝)より、新宿ピカデリーico_linkBunkamuraル・シネマico_linkほか全国ロードショー!

『マノロ・ブラニク トカゲに靴を作った少年』公式Webサイトico_link

監督・脚本:マイケル・ロバーツ
出演:マノロ・ブラニク、アンナ・ウィンター、リアーナ、パロマ・ピカソ、シャーロット・オリンピア、イマン、アンジェリカ・ヒューストン、ジョン・ガリアーノ、ソフィア・コッポラ、ルパート・エヴェレット
2017年/イギリス/89分/原題:Manolo: The Boy Who Made Shoes for Lizards
配給:コムストック・グループ
配給協力:キノフィルムズ

日常の道徳教育の学びを深化する道徳科授業「ブランコ乗りとピエロ」(第5学年)

1.主題名

寄り添う心  B[相互理解、寛容]

2.教材名

「ブランコ乗りとピエロ」(出典:文部科学省『私たちの道徳 小学校5・6年』)

3.主題設定の理由

(1)ねらいとする価値について
 人の考えや意見は多様である。だから互いの考えや意見、立場を尊重し、認め合い、理解し合いながら豊かな関係を築いている。そして自分の考えや思いを相手に伝えるとともに、自分と異なる考えや思いを受けとめ、相手への理解を深めることで、自分自身を高めていくことができるのである。
 しかし、自分と異なる意見や考えを広い心で受け止めて、理解を深めることは決して容易ではない。つい、自分の考えや立場を優先してしまい、他人の意見や考えを一方的に否定したり、自分と異なる考えや意見の人を遠ざけたりする。
 自分の心の中には、身勝手に考えてしまうことがあったり、自己本位になりやすい弱さがあることを自覚し、相手の考えや意見への理解を深めようとする寄り添う心が、重要であると考える。相手の心に寄り添い、自分と異なる考えや意見を尊重することで、互いの違いを生かしたよりよい人間関係が育まれることを感得させたい。

(2)児童の実態について
 高学年になり、委員会活動やクラブ活動等、人とかかわる機会が広がり、自分の考えや思いをもち、様々な人と良好な関係の中で活動している。授業では、人の話を受け入れながら聞いている児童が多く、友達がどんな気持ちで話しているのかを聞く姿勢がある。しかし、話し合う場面では、自分の考えを主張し、相手の考えを受け入れず、また一方的に相手の意見を否定してしまう児童もみられる。相手の考えや意見を理解し、尊重していこうとする心を育んでいきたい。
 学級活動「子どもまつりを成功させよう」において、学級の出し物や係決め等について話し合う時間には、「みんな一人ひとりが『子どもまつりでこんなことをしたいなあ』という気持ちや考えがある。自分の考えだけでなく、友達の考えを生かし、みんなが楽しめる会に向けて話し合いをしよう」と指導した。児童は、楽しく意見を出し合い、参加者がより楽しめる工夫を考え、実践していた。
 本時では、意見や考えが違う相手の気持ちに寄り添うことの大切さを感得するよう日常の道徳教育の学びを深化する道徳授業を行う。相手の気持ちや考えを理解し、尊重することでよりよい人間関係が生まれることを味わわせたい。

(3)教材について
 サーカスをまとめるリーダーのピエロと花形スターのサムは、一時間という制限で大王にサーカスの演技を見てもらうことになった。日頃から、ピエロはわがままな言動のサムに腹を立てていた。当日、サムの演技が延長し、ピエロは大王の前で演技ができなかった。しかし、ピエロは演技後に疲れ切った様子のサムを何度も思い出しながら、サムの気持ちを理解し、尊重したため、サムを許すのである。
 児童には、身勝手な言動で到底許されるはずのないサムの言動を演技後の様子を何度も思い出し、理解し、受け入れるピエロの思いを考えさせたい。そして、互いに心が寄り添うことで、共演するなど、よりよい関係を築くことができることを感得させたい。

4.教材分析

場面

ピエロとサムの心の動き

考えられる発問

発問の意図

児童に考えさせたいこと

サーカスの開幕

サムの演技が始まる。ピエロとサムは開演前に話をしていた。

ピ:サムは、自分のことしか考えていない。勝手だ。約束を守れない。
サ:観客が喜んでいる。サーカスのスターだ。ピエロは、私の人気を妬んでいる。

ゲートのすき間からサムの演技を見ているピエロはどんな気持ちだったのだろう。

・サムの身勝手さを受け入れられないピエロに共感させる。
・大王の前で演技ができない悔しい思いに気付かせる。

ピエロはサムを許せない気持ちは強いが、「目立ちたい」「大王に演技を見せたい」「サーカスを成功させたい」等の気持ちは、サムと共通していることを感じ取らせる。

サムの演技が終わり、通路ですれ違う。

ピ:サムが演技で疲れ切っている。自分の演技を精一杯行おう。
サ:演技が終わった。

●通路ですれ違ったサムを見たピエロはどんな気持ちがあったのだろう。

・サムの演技と演技後の様子を見て、サムの身勝手さだけでなく、サムの良さにも気付き始めた。

通路で一瞬立ち止まるピエロの気持ちから、サムの努力を認め、サムへの憎む気持ちに変化があった。

控室
団員の怒りとサムの訴え
ピエロがサムに語りかける。

ピ:憎む気持ちが消えた。サムの気持ちが分かる。自分がサムの立場ならと考えた。
サ:どうして、身勝手な言動をした私を許してくれるのだろう。ピエロは、私のことを考え、話してくれた。うれしい。謝罪、感謝をしなければならない。

サムをにくむ気持ちが消えて、おだやかな目でサムを見つめるピエロはどんなことを考えていたのだろう。

・サムを許せるようになったピエロの心の変化を捉えさせる。
・自分の同じ立場ならとサムの気持ちや考えを理解しようとしたピエロに共感させる。

サムの言動を安易に許したわけではなく、サムの立場になって考えれば、ピエロ自身も同様のことを起こしかねないと考え、サムの気持ちを理解し寄り添うことの大切さに気付かせたい。

控室
サムとピエロのみが残り、語り合う。

ピ:サムの気持ちを考えてよかった。分かり合える。
サ:サムの気持ちを受け入れる。ピエロとともにサーカスを盛り上げていきたい。

●控室で話し合う二人の気持ちを考えよう。

・互いに分かり合えた二人の気持ちを感じさせる。

ピエロの言葉を受けとめ、サムの反省と感謝の気持ち等をとらえさせる。

サーカス最終日
二人の共演が行われる。

ピ:サムと分かり合えたので、二人で演技ができる。自分の気持ちだけでなく相手の気持ちを考えることが大切だ。
サ:ピエロとの共演は楽しい。互いに分かり合えてよかった。

どうして二人は共演することができるようになったのだろう。

・自分のことだけではなく、相手の気持ちを理解すること、尊重することの大切さに気付かせたい。

互いに理解し合うこと、尊重することが、よりよい関係づくりにつながることに気付かせる。

5.本時の学習

(1)ねらい
 サムをにくむ気持ちが消え、おだやかにサムを見つめるピエロの気持ちを考えることで、自分と異なる考えや意見を尊重し、大切にしていこうとする態度を育てる。

(2)本時の展開

主な発問と予想される児童の反応

・指導上の留意点
▽指導の工夫 ☆評価


1 友達と考えや意見が合わなかった体験を思い出す。

○友達と考えや意見が合わずに困ったことについて発表しましょう。
・友達と遊ぶ時に、何をして遊ぶかで意見が合わなかった。
・子供会で係を決めるときに、なかなか決まらなかった。

▽子どもまつりに向けた話合いを例示し、意見が合わず、話合いが進まなかったなど、自分と友達の考えや意見との違いを感じた場面を振り返らせる。
・話の登場人物(ピエロとサム)を紹介し、その立場について簡単に説明する。


2 教材「ブランコ乗りとピエロ」の範読を聞き、話し合う。

○ゲートのすき間からサムの演技を見ているピエロはどんな気持ちだったのだろう。
・自分だけ目立とうとしている。勝手だ。
・私の演技の時間がなくなった。ひどいことをする。
・約束したはずなのに…ずるい。
・私も大王の前で演技をしたかった……

▽範読後、ピエロとサムが共演している場面絵を提示し、「二人がどうして共演できたのか」と話題を提示する。
・サムの身勝手さに対する怒りの気持ちだけでなく、ピエロ自身も大王の前で演技をしたかった悔しい思いにも気付かせる。

◎サムをにくむ気持ちが消えて、おだやかな目でサムを見つめるピエロはどんなことを考えていたのだろう。
・サムはがんばっていた。【サムを認める】
・スターとして頑張っているサムはすごいと思う。【サムを認める】
・どこかで私も目立ちたいと思っていた。【謙虚に受け止める】
・自分が間違っているのではないかと思うようになった。【謙虚に受け止める】

▽サムの言動は簡単に許せることはできないと共有し、少人数グループによる話合いを通して、ピエロの思いを考えさせる。
・自分の同じ立場ならとサムの気持ちや考えを理解しようとしたピエロに共感させる。
☆話合いを通して、ピエロがサムを謙虚に受け止め、サムを尊重する気持ちを考えることができたか。

○どのような気持ちが芽生え、二人は共演することができるようになったのだろう。
・サムもピエロの気持ちが分かった。
・サムもピエロの気持ちに近づいた。
・サムも悪いと思った。
・ピエロとサーカス団を盛り上げようと思ったから。

▽話題を再提示し、教材を通した学びを共有する。
・互いに理解し合うこと、尊重することが、よりよい関係づくりにつながることに気付かせる。

3 今までの自分を振り返り、これからの自分について考える。

○自分の考えとは違っていても、友達の考えや意見を大切してよかったなあと感じたことを発表しましょう。
・移動教室の話し合いで、友達が言ってくれたことをやったらとてもよかった。(ピエロのようになれた自分)
・自分が勝手に言ってしまい、友達の話を無視してしまったことがある。これからは、話を聞いてあげるようにしたい。(ピエロのようになりたい自分)

▽「ピエロのようになれた自分」「ピエロのようになりたい自分」を示し、自分の体験を振り返るきっかけとする。
・ワークシートを通して、相手の気持ちや考えに寄り添った体験を振り返えらせる。また、自己の課題に気付き、寄り添いたいという意欲につなげる。
☆相手の考えや意見を大切に受け止めて、相手とよりよい人間関係をつくろうと考えることができたか。


4 教師の説話を聞く。
※展開後段での児童の発言を生かして話す。

・友達の意見を生かして、話合いを進めた児童の様子を話し、自分の思いだけでなく、広い心で人の意見を大切にしていこうとする気持ちを高める。

6.板書計画

研究大会と授業研究、「これまで」と「これから」

 秋は県大会、全国大会など様々な研究大会が行われるシーズンです。授業や分科会、講演など様々なプログラムが実施されます。メインは授業研究、そこから参加者は多くの気付きや学びを得ています。本稿では研究大会と授業研究の「これまで」と「これから」について検討してみましょう。

1.研究大会と授業研究の「これまで」

 研究大会は、市町村大会、都道府県大会、地方大会(関東ブロック大会、東北大会等)、全国大会(全国造形教育連盟、日本教育美術連盟等)など様々なレベルで行われています。組織の形態は様々で、小学校と中学校で組織が異なる場合、幼・保、小・中、高と合同で行う地域、行政的な「○○市教育研究会・美術科部会(市教研)」と民間教育団体の「○○県造形教育研究会(造形研)」が一体化している場合などです。戦後、教育方法や教育内容などを研究するために全国各地で様々な教育研究団体が設立されましたが、その地域ごとの歴史を背負って発展したようです。
 研究大会ではたいてい授業研究が行われます。授業研究とは、先生たちが一つの授業を参観し、その題材計画や指導方法などについてみんなで協議するものです。レッスン・スタディと呼ばれ、日本では明治時代から続いています(※1)。他者の授業の参観や協議を通して授業改善や指導力向上を図る教育実践は、世界的に見れば珍しく、国内外で高く評価されています(※2)。その一端が今回の中央教育審議会の答申にも明記されているほどです(※3)
 授業研究の多くは「校内研」(校内研修あるいは校内研究の略)として行われます。「校内研」とは、学校の先生たちが共同で行う研修活動で、言語活動や地域連携などの横断的なテーマや特定の教科を設定するなどして指導法や教育の改善を行うものです。学校として取り組むことで、目の前の子どもの育ちに直接寄与できることがポイントです。図画工作科や美術科の研究大会における授業研究も、全体テーマをもとにしながら、それぞれの学校の取り組みとして位置づけられていることが多く、中には大会を目指して何年も授業改善に取り組む学校もあります。
 明治時代から行われていた授業研究は、戦後の教育運動や行政的な施策などを反映しながら発展し、今も各学校、市町村、都道府県、全国などで多様に展開されています。先生たちは様々な研究大会へ参加し、広い視野を獲得したり、専門性を深めたりしています。みんなで教育の質を高め、子どもを育もうとする貴重な実践、それが授業研究や研究大会だと思います。

2.研究大会と授業研究の「これから」

 一方、各教科等の実践が中心となる研究大会や、授業を通して教育を検証する授業研究は、どうしても教科そのものに閉じていく傾向が生じます。図画工作科や美術科においても、「美術は素晴らしい」が強調されて戸惑ったり、教科的な閉そく性を感じたりすることがあります。現在、学習指導要領は改訂され、美術をめぐる社会的な状況は大きく変化しています。これから「授業研究」と「研究大会」に何が求められるのか考えてみたいと思います。

  1. ある研究会で「『図画工作・美術は他の教科と違う』ではなく、他の教科と同じ土俵で競っていけるように研究に励んでいきたい」という発言がありました。そうだと思います。これまで作品や造形活動だけがゴールだったり、「こんな学習をしたので、こんな姿になった」という我田引水的な発表が行われたりしていたことは否めません。「三つの柱」で全教科等が貫かれた今は、他の教科と対等な結果を出していくことが求められるでしょう。図画工作科や美術科の学習を通してどんな学力を育成したのか、その成果は何か、単なる感想やアンケート集計に終わるのでなく、統計的な調査やルーブリックなどを活用したエビデンスの提示、研究機関との連携などが必要だと思います。
  2. 授業研究では、具体的に「三つの柱」の実現を目指す必要があります。例えば、「知識・技能」では、適切に形や色を取り出す、細部までよく観察するなど、「思考力・判断力・表現力等」では、必要な材料を取捨選択する、動きや方向を調整しながら画面を構成する、複数の資料を論理的に組み立てるなど、「学びに向かう力、人間性等」では、友達の発想を取り入れて自分の活動を高める、オリジナルな視点や意見を出そうとする、他者を尊重し協働的に活動するなどが考えられます。指導方法と評価の関係を明らかにしながら具現的に想定することが大切でしょう。特に小学校中学年以上では、獲得した力や発揮した力などを子ども自身が自覚することも重要なポイントです。
  3. 「カリキュラム・マネジメント」の観点からは、単純な教科間連携だけで参加者を納得させることが難しくなります。「社会に開かれた教育課程」=「美術館との連携」も安易でしょう。人々は、図画工作科や美術科が、子どもたちの育成だけでなく、どのように社会に寄与しているかを知りたいのです。すでに自治体レベルで、「芸術を核にした教育」と呼べるような実践に取り組んでいる例もあります(※4)。教育の中心に芸術諸教科が位置づくプログラムを提案するのも方法の一つだと思います。
  4. 美術館で仕事や会議をする空間「はたらける美術館」

  5. 図画工作科や美術科の大切さや効果などについては、いまだに明確に証明されていません。美術教育で育つのは創造性なのか、独創的な問題解決力なのか、気付く力なのか、グリットなのか、感性の豊かさなのか、何も分かっていないのです。一方で、社会は美術教育に高い可能性を感じています(※5)。それが時代の要請だとすれば、学校教育だけに拘泥するのではなく、美術に対する社会の期待に応えることも研究大会の一つの在り方だと言えるでしょう。

 今回の改訂は、単なる学力観の変化ではなく、時代や社会に応じた「学力そのものの変化」がポイントです。20年後、30年後の社会を視野に入れて、新しい学力を図画工作科や美術科から提案する「志」が授業研究と研究大会に求められているのかもしれません。

 

※1:「各学校で授業研究を実施するのは当然という文化が形成されており、教師の研修は教育センターにおける研修受講と授業研究を核とした構内研修により実施されることが、何の疑いもなくほとんどの教師に当然のことと受け取られている」 千々布 敏弥「日本の教師再生戦略―全国の教師一○○万人を勇気づける」教育出版
2005
※2:前掲書「授業研究が米国内に知られることとなったのは『ティーチング・ギャップ』出版の後であるが、授業研究がブームとなってきたのは、平成15(2003)年からととらえてよい。」
※3:「我が国では、教員がお互いの授業を検討しながら学び合い、改善していく「授業研究」が日常的に行われ、国際的にも高い評価を受けており、子供が興味や関心を抱くような身近な題材を取り上げて、学習への主体性を引き出したり、相互に対話しながら多様な考え方に気付かせたりするための工夫や改善が続けられてきている。こうした「授業研究」の成果は、日本の学校教育の質を支える貴重な財産である」中央教育審議会「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)」2016 48p
※4:例えば、読売教育賞2016 美術教育部門最優秀賞「地域の色・自分の色」実行委員会(大分市)

「地域の色・自分の色」石や貝殻を金槌で砕く

※5:すでにこの連載で指摘しているように、海外ではアートスクールが企業研修を担当し、美術館のギャラリートークにビジネスマンが参加しています。学び!と美術<Vol.61>「美術への期待と学力のエビデンス」。日本でも「アートセミナーが部長クラスのビジネスマンの予約で埋まってしまう」(アマナ・アートセミナー)、「地域の経済界のリーダーが美術鑑賞とビジネスの研修会に参加する」(内外情報調整会)などの状況が生まれています。

学校における道徳教育①

 「学び!と道徳2」第2号を掲載させていただきます。
 10月、各地区で公立学校の新規採用選考の合格発表がありました。私が勤務する教職大学院でも多くの院生が合格し、来年の4月には教師として羽ばたいていくことになりました。合格通知を手にして、喜びとともに教師としての自覚が芽生え始めているようです。しかし、合格者の中には今頃になって、「先生、もう一度道徳の授業のやり方を教えて下さい。」と言ってくるようなものもいます。新前教師として、現職の先生方にご迷惑をおかけすると思いますが、温かくかつ厳しいご指導・ご支援をよろしくお願いします。
 このシリーズに参加してくれる道子、真理、響たちも、先輩たちに続けとますます学びに力が入っているようです。

1 学校ではどのようにして道徳教育が行われているのか

真理「実習校で、部活指導の中で道徳教育をしているという先生がいます。」
「生徒指導をしっかり行えば、道徳教育はいらないという先生もいるよ。」
道子「道徳教育はしつけと同じだから、家庭で行えばよいという意見もあるわね。」
真理「私が卒業した学校は『文武両道』を教育目標にしていて、勉学とスポーツに力を入れていたので、運動が苦手な私は大変だった。」
「人格の完成を教育の目的としている教育基本法では、第2条の教育の目標の一で『幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い【知育】、豊かな情操と道徳心を培う【徳育】とともに、健やかな身体を養う【体育】こと』と定めています。これは、知育・徳育・体育をバランスよく行うことにより、生きる力を育成することです。図のように、知育・徳育・体育のどれ一つでも不十分だと、生きる力が十分に育たないということになります。道徳心を培うとあるように道徳教育は、徳育です。教育基本法はすべての教育に対して定められた法律ですから、学校教育はもとより家庭教育でも徳育をすることが求められています。しかし、近年家庭の教育力の低下は課題になっています。そのような状況に対して、学校・家庭・地域社会全体が協働して子どもへの徳育を行うことの重要性がますます高まっています。話は変わりますが、響君の専門である音楽科や美術科などは、表現活動や鑑賞を通して豊かな情操を培うので大切な徳育の一つであるとも考えられます。」
「体育が苦手な真理は、生きる力が弱いということか。」
真理「失礼ね!」
「響君、そんなに簡単に考えてよいかな。本日のアクティビティーは、道徳教育は学校でどのように行われているか、を考えてみましょう。」
「道徳の時間と言いたいが、今の先生の話では、僕の音楽科も関係しそうだな。」
「冴えているね! 平成29年3月31日告示の学習指導要領には『学校における道徳教育は、特別の教科である道徳(以下「道徳科」という。)を要として学校の教育活動全体を通じて行うものであり、道徳科はもとより、各教科、総合的な学習の時間及び特別活動のそれぞれの特質に応じて、生徒の発達の段階を考慮して、適切な指導を行うこと。』とあります。つまり、道徳教育は、週1回の道徳の時間に行われる授業と学校の教育活動全体で行うことになっています。真理さんの実習校の先生が言うように部活動でも当然道徳教育は行われます。しかし、部活動ですべての内容を指導できるかは疑問です。指導するべき内容が指導されなかったり、指導しても不十分だったり、さらには内容間のつながりや発展に触れられないことがあります。そこで、道徳の時間(授業)で指導の足りないところを補ったり、深めたり、内容を統合したりすることが求められています。このことが扇の『要(かなめ)』のように、道徳の時間を中心として学校の教育活動全体で道徳教育が行われているという意味です。」
真理「私の数学科でも道徳教育をしなければならないということですね。難しいな……。」
「その通りです。学習指導要領では『道徳教育の目標に基づき、道徳科などとの関連を考慮しながら、第3章特別の教科道徳の第2に示す内容について、数学科※の特性に応じて適切な指導をすること(※各教科が入る)』とあります。皆が教科指導をするとき、道徳教育の指導内容が自分の教科の指導内容とどのような関わりがあるか常に考え指導していくことが求められています。」
道子「数学は公式や定理を使って問題を解くから、公式や定理はきまりと考えられるのでは……。」
真理「そうか! きまりを守ることの大切さを教えることができるね。」
「音楽では合唱や合奏で互いに協力することの大切さを指導できる。」

2 道徳教育の目標

「音楽科との関係は理解できたけれど、道徳教育の目標って何だろう?」
道子「道徳性の育成でしょ。響、勉強不足よ。」
「確かに新しい学習指導要領には『道徳教育は、教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき、自己の生き方を考え、主体的な判断の下に行動し、自立した人間として他者と共によりよく生きるための基盤となる道徳性を養うことを目標とすること。』とあります。自分はどう生きるべきか考えるとき、どのように行動すればよいかを自ら考え判断するとき、さらには社会の中で自立した人間として多様な人々と協働しながら生きるにはどのようにすればよいか考えるときの基盤となるものが道徳性であり、その道徳性を養うことが道徳教育の目標であるということです。」
「判断や行動の基準のことかな?」
「判断や行動の基準は、道徳教育の指導内容、つまり、道徳的諸価値です。道徳性とは、『よりよく生きるための基盤となる道徳性を養うため、道徳的諸価値についての理解を基に、自己を見つめ、物事を広い視野から多面的・多角的に考え、人間としての生き方についての考えを深める学習を通して、道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度を育てる。(特別の教科 道徳の目標)』と学習指導要領にあるように、よりよく生きるための基盤である、道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度のことです。」
「前回勉強した見えない心の中にある、善悪を判断する理性、善悪を感じる感性、そして善いことを行おうとする心構えのようなものかな。」
真理「だから道徳教育は心の教育と言われるのか。」

3 他律から自律へ

道子「先生、道徳教育は『生徒の発達の段階を考慮して、適切な指導を行うこと。』とは、どういうことですか?」
「まだ小学生のような中学1年生と大人っぽい中学3年生では、同じ内容でも指導の在り方が違うということかな。」
真理「教育と指導の違いかな?」
「すごいところに気付いたね。教育という言葉は、『教え』『育てる』という意味ですね。道徳教育では、行動や言葉遣いについてはどうすればよいか教えるとともに、よりよい言動を自ら考え実践しようとする心情も育てます。例えば、何も知らない幼い子どもや小学1、2年生には『高齢者が電車に乗ってきたときには席を譲りましょう。』と教えることは大切です。しかし、中学生にもなればいつも親や先生から言われて行動するのではなく、自ら考え判断して高齢者に席を譲ろうと思う心の力を育てることが大切です。
 発達心理学者のピアジェは、道徳性の発達は他律から自律へと変化していくと述べています。子どもは自己と他者との区別がつかない『自己中心性』の無秩序な時期から社会とのかかわりの中で、親や大人との『強制関係』から子ども同士の『協同関係』という2つの段階へと発達すると考えています。
 強制関係は大人の言うことを聞くことが基本的な義務であり、規則が外部から子どもに押し付けられている。これは他律的な道徳です。これに対して、『協同関係』は子ども同士が自分たちで規則を作りだし、自ら作った規範に従う。つまり、自律的な道徳です。
 哲学者のカントの道徳哲学も他律から自律へ転化させるプロセスを述べています。命令や義務といった外的な強制にいやいや従う他律的な行為から、自分のうちにある良心に照らした道徳的な規準『格率・格律』と全ての人間の道徳的な行為を制約する普遍的な規準『道徳法則』を一致させることにより行われる自律的な行為へと転化することが大切であると述べています。
 皆さんが教える中学生は思春期の第2次反抗期でもあります。親や先生などの大人の言葉に素直に従うことができない生徒が多いと思います。先生から価値を押し付けるのではなく、生徒自身に考えさせ自覚させることが大切です。」
「なるほど、勉強をしなさいと言われてもやる気にならないわけだ!」
真理「響は勉強が嫌いなだけでしょ。」
道子「私たちも自律的に学びましょう。」

 第2回目はいかがでしたでしょうか? 第3回も引き続き学校における道徳教育について考えていきたいと思います。ご期待ください。