対談 『13歳からのアート思考』(後編)

末永幸歩先生と筆者

 前編では出版の背景や子どもとアートの関係について語っていただきました。後編では、本書で最も伝えたかったこと、アートは世界の見方であり、生きる上での基盤だということについて伺っていきたいと思います。

美術の授業という宝

筆者:私は図画工作や美術の中には、ビジネスや医療など多くの場面で役に立つようなたくさんのお宝があると思います。もちろん、薬として役立つ草花が、そのために咲いているわけではないように、アートはアートであることが大切です(※1)。でも、美術を美術教育の中だけで消化するのはもったいないと感じています。ですから、先生のご著書が18万部を超えて多くの人々に届いた=美術で大切にされていることが広がったように感じて、すごくうれしかったんです。それが読後の第一印象です。
末永:ありがとうございます。執筆しながら、美術が好きな人や教育者だけでなく、一般の人たちにも届けたいとずっと意識していました。
 でも、それは当たり前のことです。なぜなら、そもそも授業の相手である生徒は「美術が好きな人や教育者だけ」ではないですよね。美術が嫌いな子もいるし、縁のない子もいます。授業に取り組もうとせず反発しちゃうような子もいます。そんな子どもたちが、美術の授業を通して自分なりのものの見方で立ち止まって考えたり、アートって面白いと思ったりしてくれる喜びを経験してきたので、本書は美術が好きな人々ではなく、普通の人々を対象に、そこで美術を語り合いたいと思って書きました。

筆者:それが、巷に出回っている本と違う点でしょうね。今、本屋にいくと「~のつくり方」「~の教科書」など、ずらりとノウハウ本が平積みされている。知人はノウハウ本全盛の傾向について『多くは因果律で止まっています。ヘタをすると「成功した自分(著者)の真似をすればいい」で終わっています。』(※2)と指摘しています。
 一方、この本は『13歳からのアート思考』と銘打ってはいますが、アート思考の方法を示すというよりも、読者とアートを通して対話するというか、アートを経験するというか、読者が授業に参加しているような感じがします。しかも扱われているのは、特別な話ではなくて、普通の授業でも取り扱われている内容です。固定的なノウハウや「これが新しい考え方だ!」のような思想を押しつけているわけでもありません。
末永:そこはとても意識していました。まず、ハウツーにならないようにしたい、やっぱりハウツーをいくら教えたところで、それを使える場面ってすごく限られているじゃないですか。でも自分で考えていく力があれば、いろいろな場面で応用することができます。本の中に全ての答えがあるとか、ハウツーみたいなものをつめこんで伝えるとかではなく、本をきっかけにして、読む人の中で答えが構築されたり、考えが生まれていったりするといいなと思っていました。
 だって、私自身、子どもたちが「美術の授業では何を言っても認められるんだ」とか「こんなことをしても先生ダメって言わないんだ」とか言いながら、自分なりの探求をしていく姿を観るのがすごく好きだったんです。
筆者:よく分かります。私たちは授業で「ノウハウだけ」を教えているわけではないですよね。多くの人は「かけ算九九」や「面積の公式」などのノウハウしか覚えていないのでしょうけれど、それを学んでいる場面では、九九のつくり方とか、面積の求め方など、みんなで「ああでもない、こうでもない」と考え合っています。そこに身を投じているというか、一緒に考え合っているのが先生という仕事ですよね。

末永:はい。ですから、普段の授業と同じように難しい言葉は使いませんでした。子どもたちをイメージしながら書いていくと、「これくらい知っているだろう」「これを知らないと読み進められない」みたいな前提は成り立たないですね。なので、フォーヴィスムやキュビスムなど、美術の専門用語を一切出していません。もちろんキュビスムという言葉は、美術の人々には簡単な知識で、美術史を理解するには必要な概念かもしれませんが、そんな簡単な言葉ひとつでも子どもは躓くというか、微妙なモヤモヤを抱えてしまいます。大人も同じで、言葉の意味がはっきり分からないと、それ以降の対話が入ってこなくなってしまいます。それよりも「読みながら考える」ことを大切にしたのです。
筆者:私だけの感覚かもしれませんが、上から目線で書かれた本ではないと感じました。というのは今、いわゆる「おこぼれを授ける」感が大変気になっているからです。
 美術や美術教育が世間一般的にブームになって久しく、そのきっかけをつくっておいてこう言うのも何ですが、ブームに乗ったほとんどの本は「あなたたち、知らないでしょうけど、美術はすばらしくて、美術館はアートの殿堂で……」というような大上段から始まって、その場所から「こんなすばらしい鑑賞法があって」「アートにこんな効果があって」というように教えや教義を授けている、そんな感じがするんです。
 でも、私の知っているビジネスパーソンやNPOなど様々な人は、そのようなアプローチに対して「つまんない」と言うんです。市井の人々は侮れないというか、美術館や美術教育の問題点を見抜いていると思います。
 でも、末永先生の本はピカソやデュシャン、ポロックなど、美術の授業で取り扱う宝物を高邁なものとして押しつけるのではなくて、一緒に楽しませてくれました。言い換えると、美術の授業を18万もの人々に実現してくれた。「美術の授業が本になった!」という喜びを感じたのです。
末永:そうだとしたらうれしいです。

アートは生きる基盤?

末永:「アートって何だろう」と考えたとき、それは目に見える静止した作品だけではないですよね。アーティストがどんなふうに世界を見つめたのか、そこからどう模索して自分の世界をつくったのか、そうしてできあがった作品がどのような新たな問いを社会にもたらすのか……と考えると、アートを「美術」や「学校の美術や図画工作の時間」だけに押し込めてはもったいないなと思います。
 これまでいろいろな授業やワークショップをしたり、本や論説を書いたりしてきたんですけど、そこで触れ合った人々は、自分の生活の中にアートを展開させたり、そこで何かを感じたり、何かの折にアートな考え方をあてはめたり、置き換えたりしてくれているのかなと思います。そうだとしたら、アートは全ての学びの基盤というか、生きる上の基盤になるものなんじゃないかなと思います。
 最近、総合的な探求の時間や教科横断の授業、あるいは集会のような場で話す機会も多くて、それって、読者が、アート=美術ではなく、生きる上での基盤と考えてくれたからじゃないかなと思います。
筆者:本書を18万超の人々が手に取ったのは、そこなんでしょうね。美術の授業は、世界を自分なりに広げていくこと、友達と一緒に世界を耕していくことで、人間はそれを3万年やってきた。その一番の根っこの部分がアートだとすれば、その地点で子どもとアーティストはつながるのでしょう。
 私はそれを「生存価」と呼んでいますが(※3)、『13歳からのアート思考』は、アート思考の解説本ではなく、アーティストが苦しんだり楽しんだりしたことが追体験できるような、縁を深める「生存価」の本なのかもしれませんね。
末永:固定的なものの見方や学校で教えられていた正解などは、別の角度から観たら全く異なる世界が見えたり、別の答えが引き出したりできると思います。アートでもその点が大事だとすれば、作品を正しく見る方法や上手に絵を描ける方法などを学ぶことだけが美術の授業の役割ではないように思います。
 自分のものの見方で世界を見つめなおすとか、今あるものを疑ってみてもいいんだよとか、自分が違和感を覚えたときに立ち止まって考えようよとか、そんな授業であれば、それは日常生活や仕事に役に立つのではないでしょうか。
 例えば、私はよく「新聞紙で何ができる?」というワークショップをやっています。新聞紙を一束渡して、造形遊びみたいにして遊ぶのですが、まるめたり、ちぎったりはもちろん、野球のバットをつくる人がいるかと思うと、新聞紙の文字の部分を切り抜いて言葉を並べる人もいます。ただひたすらただ高く積むなどの行為を追う人もいます。
 興味深いのは、作業後にみんなで対話するときのこと。「この作品をこういう構図や意図でつくりました」と話す人はまずいません。作品についての言及はほとんどなくて、「はじめに新聞紙に触ったときにこんな感じがして、こんなことをしてみた」とか「他の人を見てこう思い付いた」とか、作業のプロセスや、自分の感じたこと、考えたことなどを自然と話すんですよね。
 このワークショップで大事にしているのは、実は作品の出来栄えじゃなくて、制作過程において何を考えていたのか、どんな模索をしたのか、それによって自分がどう変化したのか、といったポイントです。
筆者:それ、よく分かります。私もワークショップで、ある美術作品を見せて、次にモールと色紙を渡して「何かつくってください」という鑑賞のエクササイズをやるんですが、できた後に話し合いをしてもらうと、作品だけの説明をする人は誰もいないですね。やっぱり「こうしてたら、こうなって」「このとき、こんなことを感じて」など、ちゃんとプロセスや自分の感覚、考え方などを語ります(※4)

末永:『13歳からのアート思考』 出版後に、ビジネスの世界の人たちから「変化が大きくて、先行きの見通しが立たない今の時代において、新たな価値を生むアートの授業をしてほしい」という声をたくさんいただきました。もともとビジネスに役立てる目的を第一に書き始めたわけではないので、ちょっと迷いはありましたけど、私がこの本で伝えたかったことは、いろんな人がいろんなふうに解釈してくれることでしたから、もし、私の本でいろいろ学びが深まったり、いい仕事ができるようになったりしたのなら、出版した意味はあったかなと思います。出版を通して私自身も変化しましたし、私は変わらず私が志すアートの授業を展開していければいいので……(笑)。
筆者:ある中央省庁の幹部が「日本という国はもう人口も増えないし、経済もGDPもあがらない。このままだとおそらく『かつて栄えた国、日本』になってしまう。これから日本がやっていかなきゃいけないのはアートだ」と熱く語っていました。おそらく、今後アートがますます重要になっていくことだけは確かなのでしょう。末永先生にはその担い手のお一人としてますますご活躍ください。本日はありがとうございました。
末永:ありがとうございました。


末永 幸歩(すえなが・ゆきほ)

武蔵野美術大学造形学部卒業、東京学芸大学大学院教育学研究科(美術教育)修了。
東京学芸大学個人研究員、九州大学大学院芸術工学府講師、浦和大学こども学部講師。
「絵を上手に描く」「美術史を丸暗記する」といった従来の美術の授業に疑問を感じ、アートを通して、自分なりのものの見方で「自分だけの答え」をつくることに力点を置いた探究型の授業を中学校や高等学校で実践してきた経験を持つ。
現在は、全国の教育機関や企業等で、年間100回を超えるワークショップや講演を行う。
日経STEAMアドバイザー、Eテレ「ノージーのレッツ!ひらめき工房」監修、ニュース共有サービス「NewsPicks」プロピッカーなど兼任。様々な企業や団体とアートや教育に関する事業共創に力を注いでいる。
著書に18万部を超えるベストセラーとなった『13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)、動画コンテンツに『大人こそ受けたい「アート思考」の授業 ─瀬戸内海に浮かぶアートの島・直島で3つの力を磨く─』(Udemy)などがある。

※1:学び!と美術<Vol.114>『美術鑑賞の現在地 後編(2010~) 第2回 ビジネスと美術鑑賞(1)』(2022)
https://www.nichibun-g.co.jp/data/web-magazine/manabito/art/art114/
※2:奥村高明・有元典文・阿部慶賀編著「コミュニティ・オブ・クリエイティビティ ひらめきの生まれるところ」日本文教出版(2022)p.221
※3:生存価とは、「種」の生き残りやすさに寄与する性質のこと。言い換えれば、「飯を喰うのには不要」だけど「生きるのには必要」なもの。例えば脂肪には「生存価」があり、脂肪の形でエネルギーを蓄えられた方が飢餓に強い。言葉を交わし合えれば、生きるために必要な共同作業の精度が上がるので、言語にも「生存価」がある。同様に「歌やお絵かきにも「生存価」があるのではという考え方。学び!と美術<Vol.98>『対談:生存価としての図画工作・美術』(2020)
https://www.nichibun-g.co.jp/data/web-magazine/manabito/art/art098/
※4:科学研究費補助金基盤研究(B)平成24-26年度「科研費美術館の所蔵作品を活用した鑑賞教育プログラムの開発」(研究代表者:一條彰子)の調査におけるナショナル・ギャラリーで受講したワークショップをもとにしています。

高等学校 情報:「<速報>大学入学共通テスト「情報」試作問題 解説」公開

高等学校 情報:本日公表された大学入学共通テスト「情報」の試作問題について、工学院大学附属中学校・高等学校校長の中野由章先生に解説いただいた動画「<速報>大学入学共通テスト「情報」試作問題 解説」を公開しました。

「その思いを受けついで」(第6学年)

1.はじめに

 児童が教材を通して道徳的価値の理解を図ったり、自己を見つめたりすることができるように、教材の内容を自分事としてとらえさせることが重要である。そのために授業をどのように工夫すべきかを考えることが道徳科の授業の醍醐味でもある。児童が物語に入り込めるような教材提示、みんなで考え、多様な考えに触れることで、さらに自分の考えを広げ深める時間の設定の仕方、自分事としてとらえた一時間一時間の学びの連続性に重点を置いて、今回の授業実践を行った。

2.教材について

 祖父の寿命があと3か月と迫っていることを母から聞いた「ぼく」は、残された祖父との時間を大切に過ごし、祖父の最期を看取る。祖父の死後に見つけた手紙から、「ぼく」へ向けられた祖父の温かくも強い思いに触れるという内容である。
 身近な祖父の死と必死に向き合う「ぼく」の思いや、死期が近づいてきてもなお、孫への愛情を持ち続けた祖父の思いを考えることを通して、自分の生命が、祖父母や父母から大切に受け継がれたつながりの中にある素晴らしく尊いものであることを感じさせたい。そのうえで、「その思いを受けついで」、限りある命を精一杯生きること、自他の命を尊重することが大切であることに気付かせたい。

3.実践報告

(1)主題名

つながる命 D[生命の尊さ]

(2)教材名

「その思いを受けついで」 (出典:文部科学省 『私たちの道徳 小学校5・6年』)

(3)本時のねらい

 大好きな祖父の死に向き合う「ぼく」の気持ちを考えることを通して、自他の命が生命のつながりの中にある尊いものであることを理解し、自他の命を尊重しようとする心情を育てる。

(4)展開例

学習活動
○発問・予想される児童の反応

◇指導上の留意点 ☆評価


(1)学習課題を設定する。
○「命」について、どのように思いますか。

◇「命」についての様々な考えを出させる。同内容項目の授業の板書とノートを振り返り、これまで「命」についてどう考えてきたか想起させる。そのうえで、本授業を通して、なぜ大切にしなければならないのか、自分なりの考えを深められるようにする。


(2)教材「その思いを受けついで」を読み、なぜ命が大切なのかについて考える。

◇教師が範読する。教材文の世界観に浸ることができるよう、BGMを流す。

○じいちゃんの命があと三か月だと知って、「ぼく」はどんなことを考えたでしょう。
・嫌だ。 ・悲しい。
・信じられない。 ・信じたくない。
・うそであってほしい。 ・別れたくない。
・時間が足りない。 ・もっと一緒にいたい。
・早く教えて欲しかった。そしたらもっと一緒に過ごせたかもしれないのに。

◇小さい頃からかわいがってくれたじいちゃんが、あと三か月で死ぬかもしれないと知ったときに、ぼくが感じた複雑な感情を考えさせるようにする。

○毎日お見舞いに行った「ぼく」は、どのような気持ちだったのでしょう。
・僕が行ったら、元気になるかもしれない。
・少しでも長く生きてほしい。
・励ましたい。
・一緒に過ごす1分1秒を大切にしよう。
・少しでも長くおじいちゃんと一緒にいたい。
・おじいちゃんとの思い出を増やしたい。

◇じいちゃんの病状の変化と、それに伴う「ぼく」の気持ちの変化も捉えさせる。

◎じいちゃんから受け継いだ思いとは、いったいどのような思いでしょう。

手紙を受け取ったぼくが感じた思いをペアで考え、短冊に書く。

・じいちゃんが見守ってくれている。命を大切に生きよう。
・じいちゃんの思いに恥じない生き方をしよう。
・じいちゃんが教えてくれたことを大切にして前に進もう。
・じいちゃんの分まで、全ての経験を大切にして生きていこう。
・じいちゃんが大切にしてくれたように、ぼくも周りの人を大切にして生きていこう。

◇じいちゃんがのし袋のメッセージに込めた「ぼく」への思いを考えさせるようにする。

☆生命のつながりやかけがえのなさを感じとり自他の命を尊重することの大切さを考えることができたか。(観察)

(3)自己を見つめる。
○なぜ「命は大切」なのでしょう。命を大切にすることについて感じたり考えたりしたことを書きましょう。
・自分の命は自分だけのものではない。受け継がれてきた命を無駄にしてはいけないし、精一杯生きなければいけない。

●いつものように、学習したことから、今までの自分やこれからの自分について振り返るよう促す。

☆自らの命も先祖から受け継がれてきた大切な限りある命であり、今後とも大切にしようとする気持ちをもつことができたか。(発言・ワークシート)


(4)学習のまとめをする。

●合唱「つながる命」を、歌詞を見ながら聴き余韻をもたせて終わる。

4.授業記録

T  これまで命について2回、みんなで考えてきました。第11回「命と平和」、第20回「命のかがやき」の2回です。自分が考えたこと、みんなで考えたことを振り返ってみましょう。
(道徳ノートや板書写真で振り返る。)
T  では、命についてどう思う?
01 失くしたらもうない。1つしかないかけがえのないもの。
02 生きることの源。
03 生き物には必ず1つある 失ってはいけないもの。
04 最も大切なもの。

T  命は大切じゃないと思っている人はいる? (いないよー。)
では、どうして命は大切にしなければいけないのかな?
みんなで考えてみましょう。

T  (教材の確認後)大好きなじいちゃんの命があと3か月だと知りました。その瞬間、ぼくはどんなことを考えただろう。
05 信じられなくて混乱している。
06 唐突なことで信じられない。
07 どうしよう。焦る。
02 お母さん、何言っているの?(信じられない気持ち)
08 受け入れたくない。
01 どうにかして治せないの?
04 おどろいている。
09 死んでしまう悲しさと、いつ死んでしまうのかという不安。

T  ぼくは毎日お見舞いに行きます。そのときはどんな気持ちだっただろう。
(ペアで話してから)
01 あと3か月。いつからやつれていってしまうのかこわい。
09 今日は元気にしているかなぁ。不安。
08 今日死んでしまうかもしれない。
05 いつ死んでしまうのかな。
02 行くときは不安。でも顔をみると安心する。
03 今日、会えるかな。話ができるかな。
10 最初のころはじいちゃんが元気で、死んでしまうなんて信じられない。
07 きっと元気になるよ。
06 顔を見ると、今日は元気でよかった。

T  「ぼく」は自分が安心したい気持ちだけでお見舞いに行き続けたのかな?(首を振る)
02 より多くじいちゃんと過ごしたい。
01 後で後悔したくない。今のうちにたくさん会いたい。
09 3か月でも1年分、2年分と同じくらいの時間を過ごしたい。
12 大丈夫だよと、じいちゃんを安心させたい。
13 会わない後悔をしたくない。最後まで送りたい。
14 じいちゃんのためにできるだけのことをしたい。

T  じいちゃんは亡くなってしまったけれど、まくらの下からしわくちゃののし袋が出てきたんだよね。とても悲しいけれど、じいちゃんから受け継いだ思いがあったのではないかと思います。ペアで話し合って、短冊に書いて下さい。
  ・じいちゃんが見守ってくれているから、前向きに生きよう。
  ・じいちゃんが最後の力をふりしぼって自分を勇気づけてくれたから、その命を大切にしていこう。
  ・じいちゃんの分まで生きよう。
  ・じいちゃんの優しい気持ちのおかげでぼくが成長できた。これからは自分でしっかりと成長していきたい。

5.板書例

6.授業への工夫及び考察

(1)導入
 本時の前に二回、生命の尊さに関する授業を行っている。ノートや板書の振り返りをしたうえで、本時のねらい示すことで、「命」について自分が学び考えたことを意識して本時にのぞむことができる。
※実施した授業の板書写真は教室に掲示してある。児童は休み時間等に話題にすることもある。

 ワークシートを見ると、生命の有限性・連続性に加えて、今生きていることの奇跡や、受け継がれた命を輝かせる等、これまでの「生命の尊さ」に関する授業で考えてきたことを絡めて考えている児童が多かった。身近な死には直面したことがほとんどない児童だが、自分なりに命の大切さに対して考えを深めている様子がみてとれた。

(2)BGMの使用
 身近な死に直面したことがない児童も多い。BGMを使用して教材提示を行うことで教材の世界観に浸り、「ぼく」の気持ちに寄り添いやすくする。また、終末も説話ではなく本時に関連する歌詞の歌を流した。自分事としてとらえた命のつながりをかみしめて終わることができると考えた。

 教材提示では、教材の世界に入り込み涙ぐんでいる児童もいた。表面にあらわれる子ばかりではないが、世界観に入り込むことができている児童が多かったように感じる。終末でも、歌詞を見ながら真剣なまなざしで音楽に耳を傾けていた。授業後、歌詞について話しているグループもあった。

(3)多様な考えに触れるために
 本学級の児童は、高学年になり、小グループであれば活発に話すことができても、自分の考えを挙手して発表することに恥ずかしさを感じる児童も多い。ペアで話すこと、短冊に書き黒板に貼ることで多くの考えに触れ、自分の考えを広げ、深められるようにした。(中心発問は小グループで話し合う予定だったが、緊急事態宣言中であったため、対面を避けペアで話すこととした。)

 自分の考えを伝え合うことで、「ぼく」に自我関与できていたのではないかと思う。しかし、ペアによっては会話が一方通行になっていたので、やはり小グループが適していたと考える。