小学校 社会:「社会科にチャレンジ」公開

小学校 社会:永田忠道先生(広島大学大学院准教授)と宗實直樹先生(関西学院大学初等部教諭)による学習問題をつくる場面での工夫や面白さについてのお話を収録した動画コンテンツ「社会科にチャレンジ」 を公開しました。

鼎談:「技能」の話

早稲田大学 教授 大泉義一 先生東京都目黒区立五本木小学校
主任教諭 鈴木陽子 先生
筆者

 描き方、技法、技術など技能に関する内容はけっこう誤解されがちで、中には創造性の敵のように語る人もいます。でも、子どもにとっては、技能は喜びだったり、発想のもとになったりしています。今回は、そんなお話です。

技術と技能は分けて考える

筆者:お恥ずかしい話なんですが、最近、老後に備えてギターレッスンに通い始めました。それまで独学だったんですが、プロに教えてもらうといろんなことが学べるんですね。例えば、チョーキングという弦を持ち上げる奏法があるんですが、それまで「指」で持ち上げていて、思うように音が出ていなかったわけです。先生は「手首です。ドアノブを持つみたいにひねってみてください」と。すると、実に楽にできて、音程もしっかりする。「今まで何やってたんだ!」みたいな感じです。何より新しいことを学ぶ喜びがあって、これが格別なんです。
 そこで、「技術を学んでるけど、学んでいるのはそれじゃないな」と思いました。例えば、喜びとか意欲とか?すると、学校にいる子どもたちは毎時間、毎日、何か新しいことを学んでるわけですよね。「うれしいだろうなあ」と思って、じゃあ「技能」って何だろうなと、それで、鈴木先生と大泉先生に教えてもらおうとなった次第です。
鈴木:私も老後対策でヨガに通っているんです(笑)。そして、ひたすら深い呼吸の仕方を教えてもらうのですけど、ヨガって有酸素運動なんですね。呼吸なんて意識したことなかったので、目からうろこでした。たぶん、私は、ヨガを習っているのでしょうけど、体の使い方とか、生き方とか、違うことを獲得していますね。
筆者:習っている技術と、そこで成立していることは異なるものなのでしょうか?
大泉:まず「技術」と「技能」の違いを抑えておいた方がいいですね。「技術」はそれだけで独立して伝えることのできる「テクニック」です。一方、「技能」は使い手に身体化された能力です。図画工作の学習指導要領で言えば、子ども自らが「感覚や行為を通して」獲得して活用していく「技能」ですね。お二人の場合は、奏法や呼吸の仕方は「技術」ですが、そこから「技能」を獲得しています。学習意欲や喜び、「主体的に学ぶ態度」なども高めています。
筆者:なるほど。「技能」という能力を獲得するために、技術とか描き方とか、用具とかいろいろな資源があるわけですね。私の場合だと「表面的に弾けた」ということよりも、技術が技能になっている実感がうれしかったのかもしれませんね。
 でも実際は区別していない人が多いんじゃないですか?「この技法を教えたら、子どもの発想を制限してしまうんじゃないか」とか「この描き方を教えたら、○○式のように同じ絵が並んでしまうんじゃないか」とか。私もよく質問されて、答えに困ることが多いです。また、「絵の描き方を教えてほしかった」みたいな発言に代表される「何か技法を教えたら、身につく」という単純な「因果」として「技能」をとらえている人も多いと思います。

技能は子どもが生み出す

鈴木:「技術」や「技法」と違って「技能」は子ども自身が生み出します。そのプロセスを踏まえないといけないと思います。
 例えば、先週、2年生の「ローラー・あーと」という授業をしました(※1)。絵の具とローラーを使っていろいろ試しながら、そこで生まれてくる形や色などから思いついて絵に表すものです。まず、導入では、絵の具の色が重なって新しい色が生まれることや、ローラーで予想外の形が生まれてくることなどを、教師が簡単にやってみせます。絵の具の性質とかローラーの使い方とかは大泉先生の言う「テクニック」でしょう。でも、そこから発揮されるのは子どもの「技能」ですよね。
 Kさんは、横長の画面下から上へと繰り返し色を重ねていました。いろいろな色味を塗っては、その上に白を重ね、また色を重ねては白を重ねていくのです。でも、コロコロと転がす感じではありません。両手でしっかりとローラーの柄を握って、腰をかがめながら、ぐっと力を込めてゆっくり下から上へローラーを押し上げていくのです。ローラーがぶれないようにゆっくりと慎重に動かしているんですね。
 そして、時々、絵の具缶に入っている筆で画面にすっと線や点を置きながら、また両手でローラーで色を押していきます。ずっと立ったまま(!)で2時間つくり続けていて、まるでKさんの身体とローラーが一体になっているようでした。
 Kさんに尋ねてみると、「力を入れてローラーで絵の具をぬると、段ボールのもようが出てくる。それが面白くてこうしてローラーを使った」と言っています。確かに、Kさんが力をこめた画面は、へこんでいました。
 基底材として、片面に白い紙が貼ってあるW板段ボールを用いたのですが、堅牢なのに、程よく紙に絵の具がのっていくし、水分も適度に吸収してくれるので、子どもが色を重ねると段ボールが応えてくるような感じが持てるのだろうと思います。
 私は、画用紙、ローラー、絵の具などの中で、この活動を繰り返すKさんの姿こそ「技能」を発揮している姿だと思います。同時に、技能を生み出していること自体がKさんにとって「つくりだす喜び」でもあると思います。

Kさんの作品:「オーロラ」(段ボール 30×90cm)

筆者:「つくりだす喜び」ってよく図画工作では言うんですけど、多くの先生たちは、何か「個人が作品をつくり終える」ことの「喜び」みたいに思っているんですよね。「作品ができました。うれしいですね」みたいな。
 でも、それは結果論でしかなくって、実際は鈴木先生が紹介してくれたように、材料や用具などと呼応しながら「技能」を生み出す過程そのものに「つくりだす喜び」があるんだと思います。そこには、一人だけでなく、子どもたちの共同性も働いているし、先生がテクニックを教えることも含まれているので、みんなで「つくりだす喜び」をつくりだし、感じ合っている縁起があるのだろうと思います。
鈴木:そうですね。「技能」が真空状態で、単独で、生み出されるわけではありません。材料や友達や私自身や、いろいろな資源が編み込まれているといった方が適切でしょう。
 例えば、初めての個人用水彩絵の具を使う題材があります。2年生の一番最後から「絵の具となかよし」という活動です(※2)。 絵に表すというより、色や水を混ぜて自分の色をつくり、思いのままにぬったりかいたりすることを楽しむものです。
Uさんの作品:無題(画用紙 15×21cm) Uさんは写真のような作品をつくっていました。そこにIさんがやってきて、Uさんがつくっている色を見て「きれい!どうやってつくったの」と聞きます。すると周りの友だちも集まってきます。まず、ここでUさんの技能は多くの友達から認められていますよね。
 そして、Iさんは、Uさんのつくりかたをもとに色をつくり始めるのですが、なかなか同じ色にはなりません。そこでIさんは自分のパレットを持ってUさんのところに行くのです。
 すると、Uさんは、「えーっ!Iさんのこの色すごくきれいだ」と言います。それがうれしくなったのか、Iさんは色味を変えながら色をつくることにますます夢中になりました。つまり、Iさんの「技能」はUさんから認められたことによって、さらに進化するわけです。
 その頃、Uさんの隣にいたKさんは、筆洗用の水入れの中をずっとのぞき込んでいます。「なんだろう?これ、きれいだなあ」と言っています。それに気づいたUさんは、「どうやったの!」と尋ねますが、Kさんは「わからない」と答えました。
 そこで、Uさんは自分の筆洗用の水入れに色を落としたり、混ぜたりしてます。しばらくすると、「わかった!!暗い色水をつくって、白をつけた筆を、こう、ゆらゆら動かすとできるんだ。オーロラだ!」と声をあげ、その興奮は教室中に広がりました。
 このように、子どもたちが、もの、ひと、ことに働きかけ、働きかけられながらつくっていることを見失ってはならないと思います。そこで「技能」も生まれているのです。

「技能」には、教師の「観」が大事

大泉:「技能」については、子どもが能動的な学習者であるという教師の「観」が、そもそも必要でしょうね。教師の「子ども観」や「教育観」、あるいは「技能観」などは、あらゆる指導に大きな影響を及ぼします。そこを転換しなければ指導は変わりません。でも、そこを転換することが大人である教師にとっては極めて難しいことでもあります。
 まあ、結局、幼児の粘土遊びを理解するためには、私たちが粘土遊びをするしかないですけどね。一方で、授業研究会を見ていると、授業の「指導技術」は協議しているんだけど、教師の見方とか、考え方などは検討していないですね。肝心の教師の「観」は置き去りと言うか……それが気になって、今、教師が自分の「観」に自覚的になるプロジェクトに取り組んでいるんです。
 例えば、先生の「これ何だろう?」とか「さあ、見よう、見よう」など何気なく発した言葉には「子ども観」や「教科観」などが含まれているんですね。逆に言えば、何気ない言葉からは、その先生の「観」が見えるというか。
 そこで、現場の先生方が、自分の授業中の発話を振り返り、その意味を考え合う中で、お互いの「観」について語り合おうというプログラムをやるんです。そうすると先生たちは内省や交流が深まっていきます。この研究が進んでいけば、先生たちの「技能」に対する「観」についても、何か分かるかもしれません。
鈴木:「子どもが能動的な学習者であるという教師の「観」が必要」というのは、本当に大きく頷けます!!
 私が教師になったばかりの頃、けっこう描き方中心の指導をしていて、でもそこに何か違和感があったんです。そのとき、ある子どもの展覧会を見たときに愕然としたんですね。「この先生が指導した絵は、私と違う。何が違うのだろう」と作品に見入ったのです。どの作品からも子どもの声や息づかいが聴こえてくる。こう手を動かしたであろうとか、こんな身体のリズムがあったのだろうというようなことを感じるのです。まるで子どもがそこにいるかのように思えました。つくりだしている喜びが伝わってくるのです。この体験は、私の「観」が転換する大きなきっかけになりました。
 それからは図画工作・美術の研究会や研修会にどんどん出かけて行って、素晴らしい実践者や研究者とたくさん出会って、自分の「感覚や行為」を大切にすることや、「感覚や行為の経験」を積み重ねていくことが大事だなと思うようになりました。
 今は、図画工作の時間に子どもが何事かを起こしていく瞬間に立ち会えるのが何より嬉しくて、これからも学びの環境を編み直し続けていければなと思っています。
大泉:「技能」は、子ども自らが「感覚や行為を通して」獲得して活用していくこと、そして、そこに教師が立ち会うことが大事なんでしょうね。また「技能」は他の資質・能力と独立していませんから、「思考・判断・表現」や「学びに向かう力、人間性」とも密接に考えていかなくてはいけないと思います。
 問題は、それが切実な要請に応じた切実な問題解決の中で生じてくるということです。果たして図画工作の授業の中で、そうした「切実さ」をどれだけ位置付けているのでしょうか?図画工作に限らず学校教育全体で大事にしていかないといけないことだと思うのですが。
筆者:「技能」が生まれる切実な学習や、そこに立ち会うような指導が大切で、それは図画工作だけでなくだけでなく、学校全体でつくっていかないといけないわけですね。それは今、カリキュラム・マネジメントで求められていることの一つかもしれません。
 また、子どもの技能を支えるために、教師の確かな「観」が必要で、そこには人々との出会いや縁が大切だという指摘も大変心に残りました。技能は、それが生まれる状況、教師の「観」、カリキュラムなど様々な縁起があって、はじめて技能として成立するのでしょうね。
 今日はありがとうございました。

※1:ともにかなでる図工室 第26回「オーロラ」
https://www.zukonomikata-nichibun.net/tomonikanaderu26/
※2:ともにかなでる図工室 第22回「絵の具となかよし」
https://www.zukonomikata-nichibun.net/tomonikanaderu22/
コミュニティ・オブ・クリエイティビティーひらめきの生まれるところ(2022年7月末発刊予定) 日本文教出版 ひらめきスケッチ1「ひらめきが連れていくところ」参照。

Webマガジンまなびと:「学び!と人権」Vol.14

Webマガジン:「学び!と人権」Vol.14 “障害者の人権と教育(その2)” を追加しました。

障害者の人権と教育(その2)

1.みんないっしょに学校に行くんや

 前回、わたしが障害者の介護に入るようになったという話を紹介しました。ちょうどその頃、1970年代から1980年代にかけて、大阪などでは、障害のある子どもも地域の学校に行って、他の子どもたちといっしょに教室で学ぶという取り組みが広がっていました。
 わたしは、1年間にわたって大阪府内にある小学校に入れてもらっていた時期があります。おもに1年生のクラスにお世話になりながら、他の学年や、隣にある中学校にもお邪魔しました。おもにお世話になった1年生のクラスに、自閉症の子どもBさんがいました。いろいろなことが印象に残っています。
 あるときのこと、席替えがありました。Bさんの隣になったのはCさんでした。CさんがBさんの隣になったのは初めてです。席替えのあったそのすぐ後の授業中でした。CさんはBさんの手首と肘の間あたりをぎゅっとつねりました。これだけ書くと、「Cさんが障害のある子に暴力を振るった」という印象になるかもしれません。でも、ちがいます。
 Cさんは、そのとき、Bさんの顔を見ながらはじめはゆっくり、次第に少し強くつねったのです。Bさんは、<いたい!いたい!>とばかりの表情で、つねられた腕を振るいCさんの手を払いのけようとしました。Bさんの反応を見たCさんは、安心したような表情で授業に戻っていきました。つねられると自分と同じようにBさんも痛いんだとわかって、Cさんは安心したように見えました。
 また梅雨になったころのある日のこと。「おわりの会」で先生がPTA新聞『青葉』を配っていました。Bさんの席にも『青葉』が配られました。すると、Bさんは『青葉』の本文を、声を出して読み始めました。それを見た先生は「Bさん、前においで」といってBさんを教壇に立たせ、「いまからBさんが『青葉』を読みます」と紹介しました。Bさんは「あ・お・ば」とタイトルから読み始め、するすると本文を読んでいきました。Bさんは、小学校1年生だというのに、中学年から高学年の漢字が読めるのです。これにはみんなもびっくり。声があちこちから上がりました。その数日後、さきのCさんの親御さんからメッセージが届きました。Cさんは、家に帰って「Bちゃん、えらいねんで。『青葉』ぜんぶ読めるねん」と報告したそうです。
 Cさんと別なDさんがBさんの隣になったこともあります。Dさんは、どうしていいのか、途方に暮れたような表情で隣にいました。休み時間になっても、Bさんにどうしていいのかと困った表情をしていました。Dさんは勉強のよくできる子どもです。でも、いきなりの関わり方がわからず、とまどっていたようです。日が経つにつれて、Dさんも関わり方を心得たようになっていきました。
 またある日のこと、教室からみんなが手をつないで2列になり、体育館に移動することがありました。教室の前の廊下ではきれいに2列になっていたのですが、体育館の前に着くころには、列はぐちゃぐちゃ。子どもたちはそれぞれに声を出しておしゃべりしています。Bさんはというと、列を離れて一人いました。誰かが「Bちゃんがあんなところにおる」といいました。先生は「なんでやと思う?」と尋ねました。「みんながおしゃべりしてるから」と誰かが答えます。先生は「そうか、ほんならみんなしずかに並んでみよか」と言いました。ちょっとざわざわしていた子どもたちは、おしゃべりをやめて2列に戻ります。そうすると、Bさんは列に戻っていきました。
 運動会でのことです。1年生はマスゲームで体操を披露しました。運動会終了後に、Bさんのお母さんが担任の先生に話しに来られました。「うちの子どもがどこにいるのかわからなくて、うれしかったです。」そんな風に涙を浮かべながら言われたそうです。保育所時代には、Bさんはみんなの中に入っていけず、一人離れて行動していたので、いつも目立っていました。それが小学校に入ってからはクラスになじんで目立たなくなったというのです。

2.子どもたちの進路

 小学校1年生はこんな様子でも、高学年になり、中学校になったら競争に巻き込まれてそんな風ではありえないのではないか。そう感じている人もいるかもしれません。その小学校には、ダウン症のEさんや自閉症のFさんなどの先輩がいます。さきのBさんが小学校1年生のときには、すでにEさんが中学校2年生、Fさんは高校1年生になっていました。
 先輩たちが小学校から中学校に上がるとき、子どもたちは署名を集めました。「Eさんは、小学校では私たちと一緒にクラスで勉強していました。だから、中学校になっても、一緒のクラスで学べるようにしてください」という署名です。中学校から高校に上がるときにも、「Fさんは、自分たちと一緒に暮らしてきました。だから高校でも、一緒に暮らして学べるようにしてください」という署名を集め、地元の高校の校長先生にもっていきました。
 結果として、EさんやFさんといった障害のある子どもたちがその高校に入れたわけではありませんでした。けれども、養護学校の高等部に通いながら、地元の高校生たちと交流する活動が活発に展開されていきました。もちろん在籍する養護学校に対しても、地元の高校との連携・協力を呼びかけました。これは、養護学校そのものの在り方を問いかける取り組みだったのです。
 まわりの子どもたちにとっても、この取り組みは意味をもっていました。小学校時代からEさんのそばにいて、一番関わりの深かった一人、Gさんがいます。Gさんは学力面で厳しく、高校進学をほとんどあきらめていました。Eさんが高校に入れるようにと運動が広がるなかで、自分の進路を改めて考えるようになりました。「Eが行くための運動をしてるのに、おまえが行かんでどうするねん。一番の友だちやないか」とまわりからも言われました。まわりの子どもたちの勉強面での支援もあり、Gさんは地元の高校に入り、卒業していきました。

3.障害者の権利条約

 それから30年近くたって障害者の権利条約ができました。「Nothing about us, without us! わたしたち抜きに、わたしたちに関わることを一つたりとも決めるな!」というスローガンのもとに生まれた条約です。そこには、「青い芝の会」の行動綱領にあった精神がそのまま集約されていました。
 障害者の権利条約はまた、その第2条で次のように定めています。

「障害に基づく差別」とは、障害に基づくあらゆる区別、排除又は制限であって、政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他のあらゆる分野において、他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を認識し、享有し、又は行使することを害し、又は妨げる目的又は効果を有するものをいう。障害に基づく差別には、あらゆる形態の差別(合理的配慮の否定を含む。)を含む。

(障害者の権利条約第2条、抜粋)

 さきの学校での実践に基づいて述べれば、小学校での実践はこれを体現しているといえます。子どもたちは障害の有無に関係なく、同じ教室で排除や制限もなく一緒に学んでいました。目的という点でも効果という点でも、人権や基本的自由を阻害することはありませんでした。さまざまな合理的配慮が、配慮とも自覚されないほど自然に実践されていました。中学校でも、基本的には同じ考え方や方法で取り組まれました。
 問題は高校です。日本の高校では、学力などによって子どもたちが区別され、排除され、制限され、基本的人権の享受を妨げます。障害のある子どもは、高校へ進学したいなら基本的に特別支援学校入学を勧められます。高校入学にあたって合理的配慮の入り込む余地がほとんどありません。もちろん、障害の「種類」や「程度」によっては対応されることもあります。しかし、先に挙げた自閉症の子どもなどはほとんど、住んでいるところに近い高校に進学できません。
 少なくとも、わたしが学校に入れてもらっていた1980年代はこの通りでした。今は何がどれほど変わっているでしょうか。

 「障害者の権利条約」を批准した日本では、「障害者差別解消推進法」を制定し、同法が2016年3月に施行されました。その法にも関連して、現在の日本では、どのような状況になっているのでしょう。

アメリカ・ニューヨークの国連本部で、障害者の権利条約に調印する高村正彦外相(中央、2007年当時)