Webマガジンまなびと:「学び!とESD」Vol.38

Webマガジン:「学び!とESD」Vol.38 “ESDと気候変動教育(その13) 若者によるホリスティックな眼差し”を追加しました。

ESDと気候変動教育(その13) 若者によるホリスティックな眼差し

 前号では、持続可能な未来の創り手である若者の学校の授業に対する声を紹介しました。今回も、引き続き、彼らの意見や見識に傾聴してみたいと思います。主にここで紹介するのは、前々号および前号で扱ったのと同じ報告書『質の高い気候教育を求める若者たち』(*1)に掲載されている世界の若者の声です。

アクションを起こしたい、でもどうしてよいか分からない…

 「ESDと気候変動教育(その10)」でお伝えした報告書『すべての学校を気候変動に備える:各国はいかに気候変動の課題を教育に統合しているか』によれば、気候変動や持続可能なライフスタイルに関する教員養成や教員研修を受けたという回答は半数強(55%)になりますが、教師の約4割は気候変動について知識を中心とした教授には自信があっても、どのように行動を取ったらよいのかについて十分に説明できる教師は5分の1ほどしかいません。このことを反映してか、冒頭の報告書を読むと、行動を起こしたいけれど、どのように起こせばよいのかが学校では教えられないので困っている各国の若者が少なくないことがうかがえます。
 『質の高い気候教育を求める若者たち』でチリの19歳の若者は学校で教えられることの「100パーセントを行動に、概念についてはもっと少なく!」とまで強く主張しています。おそらく若者の多くは気候危機が迫っているのに、なすべき(すべ)が分からないという焦燥感に駆られているのでしょう。
 カナダの15歳の若者も地元での気候アクションの大切さを次のように伝えています。

デモのような民主的なプロセスに参加することは行動を起こすためのいい方法です。生徒は地元でアクションを起こすことによってエンパワーされるんです。地域に貢献できる機会が与えられるべきですし、同時に、大人は生徒とチャンスを分かち合って、彼(女)らを「若い大人」として扱うことが大切で、そうすることによって問題の深刻さを理解する手助けとなります。教室の外での学びの機会を提供することは本当に重要で地元で生徒をエンパワーすることにつながるんです。

 もちろん、デモやストライキに参加することを学校で教えるべきか否かについては賛否両論あるでしょう。たしかに学校ではそうした行動に駆り立てるのではなく、むしろ行動のベースとなる知識を教えるべきであるという見解には一理あります。しかし、デモに参加することを通して若者は深い学びを経ることがあるのも事実です。グレタ・トゥーンベリさんに影響を受けて世界中の若者が気候危機への対応を各国の政府に迫った2019年11月の一斉デモ(日本では「気候マーチ」)に参加した日本の大学生は次のようにデモでの学びを振り返っています。

ものすごく怖かった。(中略)しかし、気候変動で人や動植物が苦しんでいるのに何も行動しないことへの違和感に気づいた時、いつの間にか無我夢中になって、のどが枯れるくらいに声を上げていた。自分の中の正しさに従うほど勇気のいることはないと思う。しかし、一人一人が自信を持って行動に移すことが、世界を変える大きな一歩になるということを学んだ。(*2)

 国内外を問わず、大半のデモ行進は非暴力的に行われており、ESDで期待されている深い次元での変容が多くの若者にもたらされる貴重な機会でもあると言えるでしょう。また「学び!とESD」Vol.25で紹介した日本の生徒と先生たちによる実践のように、多様なアプローチをもってデモでの体験を学びの表現として昇華させていくことも気候変動教育の重要課題となるでしょう。

ホリスティックな眼差し

 この報告書には、気候変動の本質を見抜いたような見解も表明されています。次に紹介するのは、オーストリアの23歳の若者の声です。

大切なのは、気候変動を何か別個のものとしてではなく、相互につながっているものとして見ることなんです。つまり、エコロジカルに見るだけでなく、社会とも経済ともつなげるんです。自分は家庭科の先生になりますが、最初の実習では気候変動と色々なトピックがいかに相互に関連しているのかを示すことで、このことを試してみます。そもそも社会は相互に関連したシステムですし、気候変動もそうなのですから、このことはとても重要なんです。

 とかく断片的に物事を捉えて社会を形づくってきた大人世代よりも若者たちの方が全体を包括的に捉える感性や視野をもっているのかもしれません。ナイジェリアの25歳の若者も次のように述べています。

ホリスティックなアプローチを用いることはとても重要です。例えば、次のような問いが挙げられます。気候変動はいかに政策に適応させられるか? 気候変動は科学にどのような影響をもたらすのか? 環境倫理を含めた倫理一般には影響を及ぼすのか? 農業のような地理的な場によってそれはどのように経済に影響を与えているか?

 若者にとって分野横断的な捉え方はむしろ自然な思考法であるのかもしれません。これは、「ESDの10年」の当初からESDの代表的な特徴として重視されてきたホリスティック(包括的)な捉え方であり、ESD for 2030ではシステム・ワイドなアプローチとしても強調されています。(*3)
 「学び!とESD」で繰り返し扱ってきた社会変容という課題にも若者の意識は向けられています。ブルネイの17歳の若者は次のように主張しています。

(前略)私が大切だと思うのは、新たな解決策や私たちが支持できる大きな構造的課題を強調することなんです。そうすれば、人々は気候変動とは何かという知識を得るだけでなく、気候変動と共にどのようにして私たちの未来へと前進していくのかを知るようになるでしょう。

 UNESCOはベルリン宣言を公示した時に、「大いなる変容(big transformation)」の重要性を強調しましたが、まさに若者の感性は自己変容を超えて社会全般の構造を変えていくこと、すなわち社会変容の重要性を捉えているようです。
 最後に地中海の小国の若者の卓見を紹介して、今号の結びとします。コロナ禍の現在、私たち1人ひとりに自然との関係性の問い直しが求められていることは確かでしょう。キプロスの17歳の若者は次の表現でこのことを伝えています。

私はあたかも自分たちが自然界のゲストであるかのように感じています。自然を尊重しなければならず、そうして初めて、自然の方もわたしたちを尊重してくれるのですから。

 ここで紹介した声は、もちろん国際調査のデータからユネスコが取捨選択した優れた若者の声なのかもしれません。しかし、今、私たち大人に求められているのは、こうした声が氷山の一角であり、水面下にある多くの声ならざる声に傾聴する姿勢と想像力であると言えましょう。

*1:報告書「質の高い気候教育を求める若者たち」(英文)
https://unesdoc.unesco.org/ark:/48223/pf0000383615
*2:朝日新聞に掲載された「声」より。「勇気学んだ気候危機一斉デモ」(朝日新聞「声」欄 2019年12月2日朝刊)
*3:ESD for 2030についての詳細は次の論文を参照されたい。「‘ESD for 2030’ を読み解く:「持続可能な開発のための教育」の真髄とは」(日本ESD学会『ESD研究』Vol.3,5-17頁.
http://jsesd.xsrv.jp/wp-content/uploads/2020/08/esdkenkyu3.pdf

図工でつなごう! 幼保小の育ちと学び

 「幼保小接続はじめの一歩~図工でつながる育ちと学び~」が新たに発行となりました。本冊子を監修いただいた丁子かおる先生に、近年の幼児教育を取り巻く状況と、小学校との円滑な接続についておうかがいしました。

世界中が幼児教育に注目?

 欧米を中心に世界では少し前から、幼児教育に人やお金をかける動きが見られています。なぜかというと、様々な研究や調査から、幼児期に受けた教育の質が将来を大きく左右することが分かったからなんです(※1)
 日本でも幼児教育の重要性が見直されてきましたが、2021年からは新たに文部科学省から「幼保小の架け橋プログラム」(※2)が示されました。5歳児から小学校1年生までの2年間を重要な「架け橋期」と捉え、幼小が互いに連携しカリキュラムを円滑に接続していくことが求められています。

幼児期にこそ「非認知能力」の土台づくりを

 人間の脳は、6歳ごろまでに9割がつくられるといわれているんです。心身ともに著しい発達を遂げる乳幼児期にどんな経験をするかはとても重要で、その後の人間形成に大きな影響を与えるといわれています。
 複数の研究から分かっていることなのですが、幼い頃に一生懸命勉強して特定の知識を詰め込んでも、子どもが勉強嫌いになったり、小学2年生くらいになると差がほとんどなくなったりしてしまうそうです。限りある乳幼児期に、あとからでも増やしていくことが可能な知識を詰め込むのは、子どもにとっても辛いし、ちょっともったいない気がしますよね。それよりも、人間形成の基盤となる「非認知能力」を育てることが重要である、と近年の幼児教育では考えられています。
 非認知能力には様々なものがありますが、幼児教育で特に伸びるので大切にしたいのは「自己調整力」と「社会性」の2つです。「自己調整力」は、「ただ、大人の言うことを聞いて我慢」ということではなく、子ども自身がやりたいと思ったことを実現するために、我慢したり自分で自分に折り合いをつけたりしていくことです。例えば、自分がやりたいこと、友達との遊びの場面などで育っていきます。

5歳児の遊びの様子。複数人でイメージを共有し、アイデアを出し合ったり、折り合いをつけたりしながら協働してつくっています。(冊子p.12-13より)

 非認知能力は、他者との応答的な関わりの中で育まれるので、大人が「○○しなさい」「○○しちゃだめ」と強制するのでは育っていきません。周囲の大人や先生が、一人一人と丁寧にコミュニケーションをとり、「その子なり」を肯定的に受け止め、よいところを認めることで、子どもはしてよいことや自分のよいところを理解し、安心感から自分を表したり自己発揮したりできるようになります。自己肯定感や、人への信頼や愛着といった基盤がなければ、その先へ進むことはできませんよね。だから、乳幼児期に土台となる非認知能力をしっかりと太らせることが大切なんです。それが、子どもたちの学習を支える、頑張る力など、あと伸びしていく力にもなるんです。
 また、幼児教育では場の「環境設定」もとても重視しています。保育室や園庭には、先生たちが意図的に配置した素材や用具などがたくさんあります。赤ちゃんの頃からそうなんですが、人って「モノ」に興味が湧くんですよね。いろんな素材、材質、形やいろんな色があったら、「あれなんだろう?おもしろそう!」と興味をもってハイハイして近づき、手を伸ばします。知的好奇心を働かせながら、実際に見たり触ったりして、たくさんの実体験を積み重ねていきます。幼児期に経験から得た「気付き」は子どもの中に蓄積されて「学びの芽生え」となって、小学校の学習に結びついていきます。

入学当初、子どもは期待と不安でいっぱい

 小学校に入学すると、学校生活や勉強への期待はあるのですが、授業が割り振られた時間割があったり、長く椅子に座ってないといけなかったりして、子どもたちは変化に戸惑います。学校のシステムは園での過ごし方とは大きく異なりますから、急には合わせられなくて当然です。
 園と小学校では、先生の話し方も少し変わってきます。園の先生は園での生活での出来事を基に「○○ちゃん、聞いてるかな?」と一人一人に話しかけるような話し方をするんですが、小学校では、経験していない話を学級全体に向かって話す場面が多いですよね。そうなると、子どもはイメージできなかったり、「自分に話されている」と初めは理解できなかったりします。
 また、立ち歩いてしまうなど、目立つ子や気になる子ばかりに目が行きやすいのですが、実は「ちゃんとしている子」も辛いんです。本当は辛いけど頑張っている。そういう子にもしっかりと「先生は見てるよ!」と目を向ける気配りを忘れないでもらいたいなと思います。
 とはいえ、バラバラな35人を一つのクラスとしてまとめてなければならない担任の先生は、困ったり焦ったりしてしまいますよね。入学後は、小学校の先生がすべて抱え込んでしまう場合が多いように感じているのですが、「○○ちゃんって、幼稚園ではどうでした?」とか、気軽に園の先生に相談してみてほしいなと思います。園の先生方も、ずっと近くて見てきた子どもたちですから、小学校で元気に過ごしているか心配ですし、好きなことや得意なことも聞ける。相談してもらえたらかえって安心すると思います。

入学したての1年生には、子どもの視点に立って気持ちを想像しながら、関わることが大切です。(冊子p.26-27より)

子どもは「図工」が大好き、自信を持っています

 入学したての1年生も、図工の時間は大好きですよね。やったー!図工だ!と張り切っている姿が思い浮かぶと思います。なんでそんなに図工が好きなのかというと、「やったことがある」「楽しいって知ってる」からなんです。かいたりつくったりする活動は、幼児期にもたくさん経験しているので、子どもも自信をもっています。小学校の生活や勉強は「初めて」だらけで、学ぶ楽しさはあっても「できるかな、分かるかな」という不安を常に感じています。そんな中、安心して自分の気持ちや考えたこと、思い付いたことを自由に表現できる図工の時間は、自分を取り戻すことができるオアシスみたいなんです。
 先生にとっても、図工の時間は特別なものになるのかなと思います。1年生だと子どもを叱らなければならない場面がどうしてもありますよね。図工の時間なら、気になる子どもも、どの子の発想やアイデアも「すてきだね!」と伝えることができます。ちょっと失敗しても、先生も一緒に考えて乗り越えていくこともできますよね。そうした関わりの中で、子どもとの関係を築いていって、先生も驚いたり喜んだりして、楽しんでもらいたいなと思います。子どもも信頼できると先生が大好きになるし、「頑張りたい、挑戦したい」という気持ちが持続し、学習への意欲にもつながっていきます。

 実際にたくさんの幼児と接して実感しているのですが、子どもはみんな、「いろんなことができるようになりたい」という強い気持ちを持っています。勉強も一緒で、字が書けるようになりたい、算数の計算ができるようになりたい、すてきな1年生になりたい、と心から思っているんです。「勉強が楽しみ」って、大人の感覚からするとちょっと意外ですよね(笑)。子どもたちが本来もっている好奇心や意欲を、小学校でも中学校でも、その先の人生でも持ち続けられるように、わたしたち大人が協力し合って、みんなで子どもを育てていきたいですね。

表紙の写真は、和歌山市の幼稚園の5歳児です。入学が楽しみで、自分だけのランドセルをつくりました。中には、勉強で使うアイテムがたくさん入っています。

■幼保小接続はじめの一歩 ~図工でつながる育ちと学び~
https://www.nichibun-g.co.jp/data/education/e-other/e-other063/

丁子 かおる(ちょうじ・かおる)
和歌山大学教育学部 准教授
神戸市出身。筑波大学大学院博士課程修了、博士(芸術学)。神戸市立小学校(図画工作科専科)などでの勤務経験があり、大阪国際大学短期大学部、福岡教育大学を経て、2012年より現職。保育内容(造形表現)、図画工作科、美術科の指導法などの授業を担当。日本美術教育連盟理事、美術科教育学会 乳・幼児造形研究部会事務局などを務める。造形による幼保小接続などを研究。趣味はヨガと沖縄旅行。著書は『造形表現・図画工作』(建帛社、2014)など。

※1:ジェームズ・ヘックマン教授等によるペリー就学前プロジェクトでの長期追跡研究を根拠に、幼児教育が人生に与える影響について述べている。幼児期に質の高い教育を受けたか否かによって、14歳時点での基礎学力、将来の高校卒業率、年収、持ち家率、逮捕率などに差が出ること、それは幼児教育における非認知的能力の高まりが影響したと考えられた研究結果等が明らかになっている。参考書籍:「幼児教育の経済学」(東洋経済新報社、2015)
※2:文部科学省 幼保小の架け橋プログラム
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/youchien/1258019_00002.htm

小さき麦の花

©2022 Qizi Films Limited, Beijing J.Q. Spring Pictures Company Limited. All Rights Reserved.

 およそ、人間にとって、幸せとは何かを、ストレートに訴えてくる。そして、中国の貧しい農民の、素朴な愛の形に、爽やかな涙があふれる。
 「小さき麦の花」(マジックアワー、ムヴィオラ配給)の舞台は、2011年の中国の西北地方の、農村だ。
 ヨウティエ(ウー・レンリン)は、貧しい農家の四男。両親と二人の兄を亡くし、三男のヨウトン(チャオ・トンピン)の家に、いわば、居候の身で、同居している。
 ヨウトンは、息子の結婚を控えて、弟のヨウティエが、なにかと厄介ものになっている。
 歩行障害のあるクイイン(ハイ・チン)は、内気な女性で、やはり、家族から邪魔もの扱いを受けている。
 似た境遇のヨウティエとクイインは、周りの勧める見合い結婚で、村の空き家で、暮らし始める。
 二人とも無口だが、日々、互いに思いやるようになっていく。
 そんなある日、ヨウティエの血液型が、入院中の村の豪農チャンと同じ、Rhマイナスだと分かる。
©2022 Qizi Films Limited, Beijing J.Q. Spring Pictures Company Limited. All Rights Reserved. 人のいいヨウティエは、クイインの心配のなか、何度も献血に応じる。
 甥の結婚が決まる。ヨウティエは、兄の依頼で、町から村まで、結婚道具を運ぶ。遅くまで戻らないヨウティエを気づかい、クイインは戸外で、待ち続ける。
 農村改革で、空き家を解体すると、お金がもらえることになる。持ち主から退去を迫られたヨウティエは、自分たちの家を建てようと、日に干したレンガを、作り始める。
 貧しい農村だが、ヨウティエとクイインは、力を合わせて、麦やとうもろこしを育て、鶏を飼う。
 無口な二人は、多くを語らない。愛の言葉などは、口にしない。ヨウティエは、クイインに、いろんな食べ物を「お食べ」と勧める。
 ヨウティエは、麦の種を花模様にして、クイインの手に並べる。
 ヨウティエは、飼っているロバにも、愛情を注ぐ。
 農作業の合間、ヨウティエはクイインに語りかける。
 「どんな人にも運命がある。麦も同じだ。麦なりの運命がある。夏が来れば 鎌で刈られる」
 また、「土は人を嫌わない。人も土を嫌わなくていい。土は清らかだ。金持ちにも貧乏人にも平等だ。1袋の麦を植えれば10倍や20倍にして返してくれる」
©2022 Qizi Films Limited, Beijing J.Q. Spring Pictures Company Limited. All Rights Reserved. 著しい経済発展を遂げている中国である。農村にも、改革が押し寄せつつある。当然、ヨウティエもクイインも、改革の波に身を晒すことになる。
 控えめに、互いを思いやる。そんなシーンが次々と出てくる。その都度、泣けてくる。
 脚本、監督は、リー・ルイジュン。少数民族のユグル族の幼い兄弟が、離れて暮らす両親を訪ねる旅を描いた「僕たちの家に帰ろう」を撮っている。
 ヨウティエ役のウー・レンリンは、監督の叔母さんの夫で、実際の農民である。その他、監督の兄や父、母など、親戚や知人が多く出演、とても素人とは思えない、達者な芝居を披露している。
 亡くなった人の供養のために、安い紙で出来たお金を燃やす。喜という字が二つ、並んでいる紙があり、新婚夫婦の家の壁に貼る。そういった風習が、丁寧に描かれる。
 決して、派手な映画ではない。10年ほど前の、中国の農村に住み続けようとする、心優しい夫婦の愛の形が、しっかり伝わり、胸をうつ。

2023年2月10日(金)より、YEBISU GARDEN CINEMAヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開

『小さき麦の花』公式Webサイト

監督:リー・ルイジュン
出演:ウー・レンリン、ハイ・チン
原題:隠入塵煙/英語題:RETURN TO DUST/2022年/中国/カラー/133分/G
字幕:磯尚太郎/字幕監修:樋口裕子
配給:マジックアワー、ムヴィオラ