唐木田又三の世界

 かつて、私は「宇宙」について真剣に考えた時期があった。それは「宇宙に果てがない」ということを知った時だった。現実に果てがないということは、いったいどのような世界なのか? 私が感知できる領野からは理解し難く、全ては「限り」があると考えていたからです。しかし「宇宙に果てがある」としても、その先・向こうはどうなっているのか? このことは私の未解決の謎です。
 此の度、この謎を払拭するような「本」が[2010年9月]に出版されました。それは「無 ソノ フシギ ナ シクミ」唐木田又三 著の本であります。

「無ソノ フシギ ナ シクミ」唐木田 又三 著

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哲学や禅で言う「無」に当たる独特な発想で「この現実は、実は何もないのだ」という。著者の長年あたためてきた思考によりまとめ上げ、現実世界をあらためて認識させる衝撃的な本。
発行/工房カラキダ(長野市篠ノ井山布施6350)
TEL.026-229-2433
印刷/信毎書籍印刷株式会社 定価:3000円

<目次/概要>

「空」著者の墨筆

「空」著者の墨筆

  • まえがき 「世界(宇宙)の真相は無である」ということは…
  • すべてのものには「それ自身」がある
  • 無について 無にも「それ自身」がある・無には…
  • 禅について インド…
  • 古禅者のことば (1)~(7)
  • おわりに 無を知った時、人間は…[ページ中に著者の墨筆書き装入あり]/ 国立国会図書館所蔵

著者の本書に至る心の経過

 私は哲学についての何の肩書きも経歴もないのですが、心の経過は次の通りです。
 昭和18年旧制中学校4年生(17才)の頃、「この現実は何もないのだ」と感じ、以後その実感は今に至るまで変わりません。こういうことは、哲学や禅で言う「無」に当たるのだと思い、哲学専攻の道に進もうと思ったのですが、丁度戦時下であり紆余曲折あって結局美術工芸の方に進みました。
 「無」についてのことはポケットの奥に仕舞い込み、普通の生活をして来ました。それでも途中、思い出したように、この考えをポケットから取り出して小さな冊子を作りました。

  • 世界が虚構であるということについての三つの小品(1960年)
  • ゆかなかったのにかえった(初版1983年・再編集2010年)
  • 石ころの笑い(2010年)

 そして生業とした陶芸や好んで描く絵で、何とかその世界を表現しようと試み、自分なりのものはしたと思っても、あくまで主観的なものです。無の仕組み等になると、言葉でなければできません。
 そういうこともあって、昨秋「石ころの笑い」(20頁)を書いたのですが説明不足を感じ、今夏再びもっと詳しく書いたのが本書です。緻密な論の構成が弱く、哲学の学にはなっていませんが率直な考えをそのまま書いたものなのでー種の哲学エッセイとしてその言おうとする中味を汲み取って頂ければ幸いです。
2010年[無ソノ フシギ ナ シクミ出版によせて]
唐木田 又三

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著者と縄文時代の石棒/佐久穂町にて(2010年)

プロフィール
 著者の唐木田又三氏は1926年長野生まれ。東京芸術大学工芸科中退後、長野市松代に窯を築き、絶えていた「松代焼の技術復元」に成功。その後、「青磁」の研究を始める。そして「寂(さび)焼」で新境地を開発してきた陶芸家であり、常に独自の哲学的思考の世界をもち制作に取り組んできた希有な芸術家である。 
 その他/著者が長年にわたる松代焼研究をまとめた「信州松代焼」信濃書籍出版社より1994年刊行。/2010年には・ゆかなかったのにかえった(再編集)・石ころの笑い「無ソノ フシギ ナ シクミ」の3冊が出版された。 国立国会図書館所蔵

著者との出会い

 著者である唐木田又三氏と私との出会いは、今から遡ること約40年前(1970年)のことです。当時私は美術教師の駆け出しで長野の研修先で初めてお会いし、いろいろと教示を受け現在に至っています。唐木田氏は「青磁」の研究の真っ只中の時期であったと思われます。
 研修先の工房棟には釉薬や焼き物の原料・粉砕・撹拌する機械(ポットミル)と思われるものが列をなして回転し、その音が棟内に響きわたり、その中で唐木田氏は黙々とデータを取りながら分析していた姿が印象的でした。そのような忙しい最中を私に語ってくれた「創造性の開発」「2名の芸術家について」「不変と現象」など…大変刺激的な内容でありました。そして私は工房棟の外に積まれた陶器・陶片を見つけ、この事を唐木田氏に尋ねると「制作したほとんどが満足したものがなく、このように壊して破片となる」とのことでした。美しい青磁の作品と思えたものが壊されてしまう。私は驚きました。この出会いは、後の私の創作活動の原点となった出来事でありました。

日記抄から

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著者の日記抄

 著者が「青磁」の研究・創作に取り組む、その葛藤の場面を知る貴重な1967~1970年にかけての日記抄がある。抜粋したー部をご紹介したいと思います。

 青磁は中国で発明され東洋の独特の趣を持つ偉大な焼き物といわれている。

「◎厳正な形は力だ。それは非情で非人間的だ。力や生命の根源をそこに感ずる。
蒼古ということは大きな深い美感だ。(蒼古とは粉飾を洗い落として骨格だけになったもの)。
1.徹底主義・完全主義であること。
2.常に極限を目指すこと。
3.純化させ純粋な音を鳴らすこと。
「幽婉なる幻の至顕のごとし」
青磁は幻想的な物質だ。その魅惑は深く強く心を吸い込む。青磁の数ミリの小片だけで十分見るにたえる。そのようなことは絵画や彫塑にはない。材質が表現であるところに青磁の特質のーつがある。青磁は淡青色のモノクロームでフォルムはそのモノクロームを最大に生かすためだけにある単純な幾何学的形態がよし。

1970年10月20日 青磁窯焚き。ー点の雲もない秋晴れ。3時に目が覚め、4時に起き出し窯たきはじめ4時45分。真っ暗。星空美し。5時半頃 暁天。

10月21日 夕刻窯出し。ふるえる心でとり出す。二重貫入青磁成功。本年青磁窯焚き、14回目にして成る。

青磁とは詩的に言えば厳格な精神と夢幻的な物質によって作り出す幽玄蒼古な世界である。散文的に言えば、無機的な非情な世界を純粋に氷結させようとするものだ。

厳しい自戒自律の精神でのみ到達できる端正な世界というものがある。感情の放恣(勝手気ままでしまりのないこと。わがままで、だらしのないこと)や慢心や甘えさときっぱり縁を断ち倫理的な自制の仕事をしたい。それだけでは息苦しいかろうから時に自由な遊びの仕事もしたいが 仕事の本筋はそのようでありたい。仕事にー本筋金を通したいのだ。……常にバッハや禅に学び、精神を鍛えながら職人根性に徹したい。文弱の芸でなく志士の芸を志す。

青磁とはなんと寡黙な表現手段であろうか。単色の単純形に全てを賭ける。その方向は考えの上では容易に認められよう。だがその実現の技術的な困難さは何というひどいものだ。オルガンのー音に全てをゆだねようとするのと同じだが、ー回ー回オルガンを土台から作り上げてそのー音を出そうとするところに演奏家とは違う苦役が課せられ、その殆どが空しい絶望で終わる。表現手段としてこんな徒労の多い自分と作品との間が遠いものが他にあるだろうか。人力の限りを尽して奇蹟の来訪を期待するようなものだ。火神の偶然の手が夢に描いた材質の片鱗を現出して見た時、作者はそれを遠くから来たもののように驚いて見入るだけだ。

◎青磁という極めて古い時代に既にーつの極点に達したものを今さらどうしてそれをやろうとするのか。そもそものはじめは青磁という深い音色への魅惑にはじまった。それが現代にどのような意味を持つかどうか考えるより先にその魅力がおれをとりこにした。……中略……現状はまだ意に満たぬこと甚だしいが、現在の到達点に立ってー窯ごとに策を練り実行ゆくことでいつかは「物質の恍惚」を手に入れる時がくると信じている。

「青磁大鉢」作品内側-部分

「青磁大鉢」作品内側-部分

青磁壺

青磁壺

青磁 それはよく見ると、もろくてこわれやすく作るとき焼成ロスも多くとても実用向きとはいえぬものです。実用品のように生活に溶け込ませるために楽しさを与える装飾(絵付け等)は皆無で単純至極な形とただー色の釉で突き放されています。そのつきつめた形に強い意志と力を感じ、非現実とも思える釉色・釉調に現実を超えたものへの果てない憧憬を感じさせられます。」

 この日記抄の青磁を研究・制作を通して綴られた内容からも、著者の精神性や世界観を伺い知ることができるのではないかと思います。
 そして、著者は個展を開催する度に哲学的なメッセージを文記していました。

  • 現代物理学の最先端では「無がビッグバンを起こして150億年たった姿が現在の宇宙だ」ということで、それから言うとこの世の材料も「無」だということになり、この世の姿はまさしく幻影ということになります。末期の一瞥(べつ)のように幻影をなつかしく眺めるその気分・その状況を陶器で、また絵であらわしてみたい。
    <個展に際しての手紙から抜粋1989年8.26>
  • 最近になって、物理学者が「宇宙は無から生まれた」と言い出してきています。どこまで証明されたかは知りませんが、今まで直感だけが根拠だった「無の思想」が物証を得て、いよいよ人間精神を大きく揺り動かしてゆく新しい時代の力として、表舞台に出始めるかも知れません。
    <個展における著者の「夢幻泡影」所収から1990年>

さいごに

 物理・科学世界のめざましい展開からも、人類は常に「知恵」を結集しながら次々と新しい扉を開いてきている現状です。著者が18歳の時(1944年)「この現実は何もないのだ」というインスピレーションがありました。次第に物理・科学世界も著者のかつてのインスピレーションを立証してゆくかのように「無」の研究が進められてきています。
 この「無ソノ フシギ ナ シクミ」の本から私は「今、希有な現実にいる」ということを感じました。そして、この現実世界が「無」・「幻影」であれば「この幻影に楽しみたい」と思いました。


プロジェクトは「夢」からはじまった

 私の海外での3つのプロジェクト(ピラミッド・ピナクルズ・ピサ)はPyramid・Pinnacles・PisaとPが3つ偶然重なったことで3P-PROJECTとして進めてきました。今回は前回掲載のトピックスVol.25「イメージ・あれ-これ」の中で「夢」からヒントを得て実現したピラミッドピナクルズのプロジェクトについて、綴(つづ)ってみたいと思います。
 その前に、私のイベントにおける「線」について。

「線」と「アート」

 地平線や水平線(ホリゾン)は地の彼方(かなた)や海の彼方に厳として天と地を分けています。「線」は又、実体ソノモノでないモノとモノとの間に現れることもあるでしょう。私は、空き地に、建造物に、外壁に、階段に、画廊に、シャッターに、池に、舗道に、私の赴くところに「線」を引いてきました。「線」からは所有・分割・時には立法の世界にも波及し、また「線」のおかれる状況によって、分離・接続・記号・感応・領域・占有・長さなどの概念が浮上してくるのを感じました。私のアートは、「線」を引くことによって、あらたな空間を演出する「補助線・ad-joint line」のようなものかも知れません。

1.ピラミッドへの線
 (1991年・ギザ市、第2カフラー王ピラミッド・エジプト)

ライン(白)はスコッチレーン、住友3M(ロール状の合金/幅60cm/粒状の反射材が塗布されたもの)

ライン(白)はスコッチレーン、住友3M(ロール状の合金/幅60cm/粒状の反射材が塗布されたもの)

 エジプトには、ピラミッドをはじめ、多くの古代遺跡(遺構)があり、数千年の歴史の時空間を超えて今も厳然として在ることに大変な感動を覚えます。ピラミッドは多くの謎解きと、神話世界を我々に与えつづけていますが、その形体が四角錐というミニマルでシンプルなところに私は関心をいだきます。太陽の陽射しの変化にともない現れるシルエットや稜線はピラミッドの形体や存在感をより強く、浮き彫りにし、私のコンセプトに刺激を与えるところです。そこでギザの第2ピラミッド(カフラー王)のー稜線(南西)に向けて砂漠から2kmのラインを引き、その線が天空へ至るという構想のプロジェクトを実施し、その記録をご紹介します。

「ドキュメント・メモ」から抜粋

 ナイル川の豊かな水域のオアシス。その中心都市カイロ。けん騒なハイスピード車の群れが流れ、その道の端には、馬車もロバもリズミックに歩く。これらの音の間にまにアラビックな音楽と、のびやかなるコーランが聴えてくる。この都市は、歴史の土がそのまま舞い上がり、時空間を超え、再び舞い降りてやがて人々だけが入れ替わっているような舞台に思えた。まさに混とん(カオス)の都市、カイロ。

1991年、夏
 カイロ市のナイル川の中洲にあるザマレック地区のー角のビル。早稲田ハウス(早稲田大学古代エジプト調査宿舎)のもとで我々スタッフー同はイベント開始を目前にしてしている。
だが、イベントにおける許可は大旨出ているものの、正式(最終)手続きのためにこの開始が予想に反して大幅に遅れている。このプロジェクトが考古省、情報省、観光省の3つの行政機関が絡んでいる事と、エジプト時間という事らしい。
 この間にスタッフ数人が、ピラミッドライン方向(南西)への地形、地質、障害物の確認チェックのためギザ市の現場に向かった。(7月21日~8月2日:現地準備期間)

測量ポイント割り出し

測量ポイント割り出し

 8月3日、ギザ市当局の砂漠にピンを打ち込むことは「発掘するのではないか」という見解や解釈に立ってきたため、「ラインを固定するのみ」と伝える。そのため、長官の計らいで考古省役人をピラミッドエリアの当局まで遣わし、そしてOKとなる。
 監督官立ち会いのもとで、作業を開始。「1991年8月3日、古代と現代を結ぶ線、ここにピラミッドへの線を開始いたします」と入魂の宣誓をする。測量によってライン設置方向のポイントが設定され、その直線上に基準点が打たれた。これらの基準点が砂漠に向かって、100m、…200m、…と伸びてゆく。炎天下で白熱の太陽が汗をも吸いとる。

ラインベース固定作業

ラインベース固定作業

 8月5日、朝5時起床。今日はライン設置の第1日目、朝6時出発。外はまだ薄暗い。カイロのWASEDA-ハウスからギザのピラミッドエリアまで車で約30分、明かりがともる町並みを疾走した。朝もやに包まれたピラミッドは、山水画のごとく、上部のみが悠然と空に突き出ている。ライン設置スタート地点(ピラミッドから2km)に到着して、驚いたことに前日の基準点のピンが消失していた。ラクダ隊(ベドウィン族の末裔)にとってピンは物珍しかったらしい。スタッフー同、気を取り戻して作業は続けられた…。現場からの帰り際、数10m先で竜巻が発生し、どこに潜んでいたのか知らないゴミを舞い上げ、すぐさまラインのー部も宙に浮いた。さあ、修理だ!補強だ!。自然現象に予想外の展開となる。

 8月6日、ラインは安全であった。現地人のラインの見張り番を二人つけ、番人のためのテントを張った。ラインは基準点をてがかりに次第に伸びて、着実にピラミッドに近づいている。ストレートに伸びたラインの白さもー段と冴えてきた。釘やピンやアルミベースの固定の効かない岩盤地帯にさしかかり、対応策に思案をめぐらす。スタッフー同炎天下のもとでは戦いの顔でもあった。ちょっとでも静止しようものなら、たちまちハエの標的となる。水分を求めて、抜け目なく人の目、鼻、口へとまとわりつく。ライン線上にかかる石や障害物を除去する作業も同時進行となる。思わず、幾分軽い石をつかんだかと思うと、それはラクダの糞(ふん)であった。灼熱の下では糞も石も等価値なのだ。

 8月7日、ピラミッドの足元まであと770mと迫った。急斜面にさしかかる強風地帯である。斜(のり)面の地表の向こうには悠然と第二ピラミッドが構えている。

夕日の中での作業

夕日の中での作業

 8月8日、あと540mと迫った。日中の気温は40度を超えている。作業開始から、情報省と考古省のインスペクター(政府役人)の監視のもとで、連日我々の作業が進められている。古代遺跡内のため、損傷のないようにアドバイスを兼ねながら立ち会っている。
 我々のアートイベントとは何なのか?といっていた情報省のインスペクターは、しだいに引かれてゆく線を遠く、近くを見ながら、「とてもすてきな線!」と言い出した。
 しかし、ピラミッドに近づくにつれ、固定用具(クギ、ピン、)や石の移動などの制限指示が多くなってきた。(世界遺産での現場であるゆえ)

ピラミッドへの線

ピラミッドへの線

 8月9日、ラインはピラミッドの南西りょう線の足元まで270mと迫った。考古省のインスペクターは、私にラムセス2世(新王国時代19王朝、強大な力でヒッタイト軍と戦い、世界初の国際的和平条約を結ぶ)の手づくり木製模型をプレゼントしてくれた。激励の意味深長なプレゼントで感激した。遠くにラクダがラインをまたいだ。ー瞬立ち止まってからの精いっぱいのステップであった。(砂漠でのラインは駱駝にとって、突如あらわれた見慣れないもの?)

 8月10日、あと150mに迫った。スタッフー同、再び緊張がみなぎった。ゴール手前30m地点は崖状の地形となるため、板を渡し、そこにロール(線)を張ってゆく作業となる。クギ、ピン、は一切使用できないためである。ふり返った砂漠の風景にー条の線が垂直に立った不動の構造に見えて、地を二分しているかのようでもあった。残すところ10数メートルとなり、最後の接続地点(稜線下)にはカフラ王の上部の化粧石と思われる落下石をフラットに敷きつめた。

 午後1時37分、ゴールのラインがピラミッドの南西稜線の足元にようやく到達した。スタッフー同、力を出し切った後の真空状態がー瞬、支配した。インスペクターたちは、土手から手を振ってくれて、またタイミング良く、この現場に今回のイベントの許可における政府交渉を含めて、全面的に協力をいただいた考古学者の吉村作治先生がわざわざ日本から駆けつけてくれました。私は関係者の皆さんに向かって感謝の意を表し、スタッフそれぞれの役割の結実がー条の線となったことをかみしめた。

 8月11日、空から見たギザのピラミッド。そこに第2ピラミッドの足元に接続された白線を確認できた。この線が天空に誘う道になることを願った。旋回するセスナ機の振動は、次第に私の感激の鼓動に変わっていくのを感じた。眼下に拡がるギザ市も美しき褐色のカオスの世界に見えた。

上空からの線

上空からの線

2.ピナクルズ(枯山水)プロジェクト イン オーストラリア
 (1995年・ナンブング国立公園・西オーストラリア)

 1995年8月、西オーストラリアのインド洋に隣接したナンブング国立公園内の砂漠地帯に、今から約8万年前に創成されたといわれるその砂漠に突出している奇岩群(ピナクルズ)があります。これらの岩を取り囲むように砂紋(サークルライン)を描くというものです。日本の伝統美学のーつである「枯山水」的世界をアートで表現するものであります。
 夜は人工照明によって、砂紋と岩を照らし、南十字星をはじめ天空の星座群と融合させ、更に水の音(水琴窟)を流して特異な幻想空間を砂漠に演出するというものです。
 国土保全庁(CALM)の許可のもとに、いよいよ開始されることになりました。

「ドキュメント・メモ」から抜粋

資材搬送

資材搬送

 8月7日、我々スタッフー行は成田を離陸、オーストラリアの州都(パース)へ向かった。
 翌日8月8日はピナクルズへの移動日である。まず、PICA(現代美術館)、CALM、日本国総領事へ挨拶と資材の調達のため二手に分かれて街中を駆け巡る。レンタカー3台のうち2台は発電機搭載のトレーラ車で雨の中の出発となった。次第に雨、風強く、時折すれ違う大型ロードトレイン車の風圧と強烈なしぶきを受けながら、深遠な大陸の闇(やみ)の世界へ突き進んだ。不安なスタッフの気持ちをよそに、ワイパーだけが左右に踊りつづけた。道中、ー瞬、月が垣間見えた。ピナクルズへの基点となるサーバンティスへ着いたのは夜9時を過ぎていた。

CALM(国土保全庁事務所)のホッキー氏と打ち合わせ

CALM(国土保全庁事務所)のホッキー氏と打ち合わせ

 8月9日、現地CALMのレンジャー事務所へスタッフー同、挨拶と打ち合わせのため立ち寄り、その後イベントエリアを確認をする。レンジャー・トップのホッキー氏が「砂の移動があって…」と告げた。確かに二年前の下見調査時と岩の雰囲気から砂の状態が違っているのが分かった。(自然は刻々と変化し、風雨のまえに砂の移動で砂漠も生きていると感じた。)

砂紋引きテスト/プロジェクトスタッフ一同

砂紋引きテスト/プロジェクトスタッフ一同

 8月10日、イベントエリアにテント設営。「ここは水惑星地球の天与の枯山水ピナクルズエリア。長い間の流動の果て、本体に復したかのようなピナクルズの沈黙の岩に生命の鼓動を呼び起こしたい。そしてわれわれはこの大自然の中でわずかに手を加えることによって宇宙生命の根源との対話を試みたい」との宣言で、CALMスタッフ立ち会いのもとでセレモニーを開始。この儀式の間、なぜか大雨であった。「枯山水」なのによくも「水」に縁があるものだ。岩の選定に、ネーミングを(岩の特徴をスタッフ同士の共通のサインとして)する。

 8月11日、砂紋を引く作業で、雨による水分多く含み過ぎた砂質は砂ダマの斑点が表出し、きれいな砂紋が引けないエリアがあった。そのため、スタッフー同「対応策」のミーティングが夜遅くまで続いた。ABC-TV局とチャンネル10TV局取材入る。夜間照明、光のレイアウト、砂中に埋め込む水琴窟の音響などをテストする。

砂紋引き

砂紋引き

 8月12日、CALMのオフィスを借り、グラインダーで熊手(砂紋用3種)の修正作業をする。終日、砂ダマの水分を抜くため、大掛かりな「砂を耕す作業」となった。(この作業は予想を越えた労力で、中でも直径38m余の砂紋エリアではスタッフ総出となった。)「耕す」作業は文化とほど遠いけれど、英語で「カルチヤー」だから「文化を耕すことになるだろう」と、自分に言い聞かせた。計画したほとんどの砂紋が完成してオープニングを待つばかりであった。しかし、午後から夜にかけて大雨止まず、危険なためライトショー中止。すでに観客が遠路パース方面から来ていたので申し訳なくも、大変に困った。(野外イベントの天候の怖さである)

夢/現実-砂漠に現れる1

夢/現実-砂漠に現れる1

 8月13日、晴天。昨日の風雨で、砂紋をー部修正する。水分を少し含んだ砂紋は、逆に固定し、クリアーなサークルラインとなった。雨が敵になったり、味方になったり。一般見学者・在パース日本総領事・PICA関係者が見学にあらわれた。夜、幻想的な月が出た。

夢/現実-砂漠に現れる2

夢/現実-砂漠に現れる2

 8月14日、イベントエリアの砂紋のまわりをペティキュアをつけたー人の女性が踊っていた。これは驚くことに「かつて夢にあらわれ、ペティキュアをつけたファションモデルの光景」の再現のようであり、このような偶然が不思議でならない。在パース日本人会ー行、日本からのツアー見学者ー行到着。西陽を受けたエリアはー面、黄金色となる。夕日が美しくインド洋に沈む。夜は満点の星。幻想空間の中に、水の音が響いた。遠くに設置したランタンの灯りが地上の星に見えた。イベント最終日の夜であった。

昼/上空から

昼/上空から

 8月15日、岩、砂紋、エリアを平板測量で記録する。描いた砂紋は全て自然に復す。夜、スタッフー同とCALMレンジャーとその家族を招いて完成慰労パーティを開いた。スタッフー同と多くの関係者に感謝しながら深夜まで話の花が咲く。

夜/ライティング

夜/ライティング

 8月16日、ピナクルズと別れの日。CALMオフィスへスタッフー同、お礼の挨拶。機材のー部を寄贈する。思い想いを胸に現場に別れを告げ、帰途パースへ向かった。

砂漠(ピナクルズ)で考えたこと

[初めての砂漠]

 砂漠では 自分が動かないと何もはじまらない そして動いても まわりは何も変わらない

[砂]

 ピナクルズの夜は 砂ー面乾いた雪のようだ 見上げた空は 星の砂群

[存在]

 私は 今ここにいる 100年後はどこにいるのか 1000年後はどこにいるのか

[見えていたはずの]

 ある岩を中心に砂紋を描く この砂紋の中に気づかなかった岩に出会う 見えていたはずなのだが 見ていないことになる

[敵=味方]

 雨の中でオープンセレモニー 終了すると止む 作業が始まると 又雨 やがて雨の水分で砂紋が明確に 雨が敵になったり 味方になったり

[穴]

 砂漠にピンホール大の穴 でも深さが分からない

[無数]

 私はピナクルズエリアにおいて 多くの岩と出会った 数えきれない程 多くなるのを日本語で「数がない」=「無数」という文字になる

[無時間]

 私は このエリアで「無時間」を感じた 「永遠の今」 いつでも「今」という時間である

[砂文字]

 イベントエリア内で スタッフによって発見された文字 WE LIKE YOUR WORK

本の紹介

「無ソノ フシギ ナ シクミ」唐木田 又三 著

topics_vol25-08哲学や禅で言う「無」に当たる独特な発想で「この現実は、実は何もないのだ」という。著者の長年あたためてきた思考によりまとめ上げ、現実世界をあらためて認識させる衝撃的な本。

発行:工房カラキダ(長野市篠ノ井山布施6350)
TEL:026-229-2433
定価:3,000円


イメージ・あれ-これ

1.雲

 青空のパノラマ景に見る雲は、実に様々なフォルムを演出してくれます。湧き出る雲は予想を超えた変移ぶりで、現れたかと思うといつのまにか視野から離れ去って行きます。大空に浮かび上がったこれらの雲が、タイムリーであまりにもリアルな「形」・「象」となって見えて来た時は、思わず声には出さずとも心の内に感動するものです。しかしその雲も渟まることなく刻々と変容してしまいます。

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写真・西オーストラリア(ナンブルグ国立公園)、ピナクルズエリア

 雲といえば、西オーストラリアのインド洋沿いの砂漠でのことでした。海から湧き上がったばかりの巨大雲が煙を吐くかのようにモクモクと地表に影を落としながら我々のほうに向かってきました。その雲の下部に何か…白い糸状の無数の線が見えました。まもなく、それは雨で、移動してくることが分かりました。雲と地表(砂漠)の間を交錯するように、まるで納豆が糸を引いているかのようでした。オーストラリアの地で、雲から雨そして納豆とはイメージ的にも意外な出会いでした。

 自然発生の「雲」は二つと同じ形は現れないだろうから「一期一会」の感があります。タイムリーな「カタチ」に出会う時に限って高速道路を走行中であったり、手持ちのカメラがなかったりと「逃がした魚(雲)は大きい」に匹敵します。
 イタリアのカメラマンのF氏とカラーラ大理石採掘現場の取材からの帰り道の時でした。トスカーナ州の山間を何度もくぐり抜け、日没前の紅色ー面の光景を前にして運転していた彼が、つぶやくように「被写体となる絶好のタイミングというものがあって、生涯ワンチャンスしか出会えないショットがあるんだ。」そして「そのー枚のショットによってカメラ人生が変わるかも知れないんだ。」と、語ったことを思い出します。

 再び「雲」に戻りますが、雲を見る人それぞれの体験や経験によっても、またその時の心境によっても「見え方」はいろいろあると思います。自然発生的に生じる雲、実は雲がそれらのカタチを演出するのではなく、見る人のイメージによるカタチであって「感性」そのものかもしれません。

2.歩いて

 都会や街中で、不思議な空間に戸惑うことがありました。地下鉄から歩いて地上エリアに出た瞬間、いつもと違った光景を眼前にして、いったいどこに来てしまったのか?…何のことはありませんでした。同駅からの出口をーつ間違ってしまっただけだったのです。いくつかある出口で、然程(さほど)距離・空間的に差違のないエリアでした。しかし、方角をふくめてこの僅かのズレが自分にとって迷いを引き起こす要因であったのです。この遭偶感は他の都会に迷い込んだ時の風景に出会ったような、そして同じエリアが逆に新鮮に映った瞬間でもありました。

 これは既に何らか思い込みのイメージからくる戸惑いのようでありました。

 これに似た経験として「行く道、來た道」があります。いつもの風景の中にも魅力はそれぞれありますが、特に初めて訪ねた町並みを散策するのは楽しい。物珍しさと好奇心のワクワク感もあってか、その町の色景や、そこからかもしだされる固有の空気感のようなものが漂い、さらにはその町の独特の匂いを感じる時があります。
 さて、私は歩む前方の景色をみながら自ずとイメージづくりをしていたのでしょうか。帰り道、背にして歩いてきた筈の景色が、まさか来た道とは思えない景色に映ることがあります。行く道は同時に來た道となるわけだから、当然「行く道、來た道」は前景・背景の関係で左右逆転になることは当たり前なのですが…。
 同じ空間内の舞台へ向かって歩き、振り返って客席を見るようなこととやや似ている状況かもしれません。行く手の景色を見ながら同時に来た道の景色のことを意識(イメージ)して歩く人は多分、いないだろうと思います。

3.海浜にて

久米島-儀間港沿岸

久米島-儀間港沿岸

 一人波打ち際を歩いていると、砂浜に打ち上げられたと思われる、やや干からびた浮き黒玉が目に止まりました。前方のエメラルドの海原と、広がる水平線を背景にしたこの黒玉をしばらく見ていると、しだいに黒玉が地球に見えてきました。すると今、私は何処にいるのでしょうか

4.太魯閣(タロコ)峡(台湾)の岩壁にて

「太魯閣峡」

「太魯閣峡」

「人顔」

「人顔」

 台湾東部の太魯閣(タロコ)は、大理石の山々からなる秘境を思わせる峡谷エリアです。峡谷の壁は、長い年月の果てから風雨にさらされたかのように茶褐色の亀裂が縦横に走り浮き出ています。
 前方に何やら大きな「仙人」か、「キリスト」のような「人顔」彫刻が壁面に見えてきます。近づくと、見事な「人顔」は人為的なものでなく風化によるものです。「造形主」は「自然」です。
 今、見えている人顔のカタチが風化の途中とあれば、やがてどのようなカタチに変容してゆくのでしょうか。しかしその行方はわかりません。

5.北回帰線-(台湾・花蓮ファレン)にて

「北回帰線標」

「北回帰線標」

 北半球の夏至に、北緯23度26分で太陽が垂直に照らす線(道)である北回帰線上のエリアに立ちました。その標識塔の矢印←→の東西方向に視線を向けました。そして、双方の矢印先から空中に北回帰線をイメージして延長線を引いてみました。一瞬「その線」が現れたような気もしましたが、に染まりました。線を空に向けて思うがままに引く(描く)のですが、そこは手応えも確認のしようもなく、イメージの定着には至りませんでした。しかし、私が北回帰線上にいることは確かでした。

6.夢から

 次の2つの夢については、実際「夢」からヒントを得てイメージ構想し、やがて実現へと展開していったものです。

その1

 1980年代半ば、不思議な夢を見ました。
 その夢とは、「深い緑の平原の地形から立ちはだかるような山があり、平原にはー条(帯状)の白い線があった。その線が突然、走りだすかのように山へ、そして斜面から山頂に伸びて天空へ抜けて行った。」
 この夢はしばらく私の脳裡から離れることなく、数年経っても甦って消えることはありませんでした。この頃、「ライン」に関したアートを屋内・外で実施していた時期でもありました。

ピラミッドへの線/プランニング模型1885

ピラミッドへの線/プランニング模型1885

 ある時、夢に見た物体の「山」がピラミッドに思えてきたのです。それからは、実際見たことのなかったピラミッドが気になりはじめたのでした。夢のイメージを基にしてピラミッドと線との関係をミニ(オブジェ)作品で制作し、画廊などで発表していたものでした。しかし、本物のピラミッドを見ていないプランづくりはイメージの空回りとなり、ついに1998年の夏、念願のエジプト・カイロへ飛びました。
 数あるピラミッドの中から、イメージに合った第二ピラミッド(カフラー王・ギザ市)を選定し、具体的なプラン・構想へと進んでいきました。再度1990年にはピラミッド周辺の測量を中心に調査をし、1991年夏、アートイベント「THE LINE TO THE PYRAMID」(砂漠から約2Kmの白線をピラミッドの南西稜線に向けて引きその線が天空に至る)を多くの関係者の協力をいただき実施することができました。

 夢に見たイメージから約8年後のことでした。

その2

 1992年のある日、夢の中に砂漠があらわれました。
 「そこにはやや大きい岩々があり、その周りに遠くまでつづく流れるような砂紋を描く私がいた。そこへ、白服姿のファションデザイナーのM氏があらわれた。彼は赤い薄手の衣装をまとった1人の女性モデルを伴っていた。M氏と私は四角い白いミニテーブルを砂中に少しゆすりながら安定させて、対話をはじめた。するとモデルは赤いペテイキュアの素足で砂漠に引いたラインを横切りながら静かに歩きはじめた。ふと、気がつくと突然モデルが見えなくなり、しばらくして岩かげから出て来た時は遥(はる)か先を歩いている姿がみえた。」

 この夢は深く私のイメージを支配し、砂漠に砂紋を描く(枯山水)プロジェクトの契機となりました。そして世界のどこかにこの場所があるかもしれないと思いました。その後、国会図書館へ出向き「世界の砂漠」と「世界の岩」に関した資料を調べました。しかしイメージに近い砂漠を見た時、そこに岩はありませんでした。また岩を見つけた時、そこに砂漠はありませんでした。
 その後、世界の国立公園関係の本の中に何とも不思議な岩々と砂漠の写真がありました。そこに突如ひきつけられたイメージ通りの世界がありました。これが、西オーストラリアのパースから北へ250km地点にあるピナクルズというエリアでした。
 この夢のイメージが契機となって後の1995年、アートイベント「Pinnacles project in Australia」(枯山水プロジェクト)として展開しゆくことになりました。

最後に

 イメージ・あれ-これについて断片的に記してみました。
 私にとって「イメージ」とはウロウロと揺らぐ、そして見え隠れして定着しにくい曖昧なものであります。だが、その揺らぎの中にクリエィブな世界へ誘う「ナニカ」?が潜んでいるような気がします。

本の紹介

「無ソノ フシギ ナ シクミ」唐木田 又三 著

topics_vol25-08哲学や禅で言う「無」に当たる独特な発想で「この現実は、実は何もないのだ」という。著者の長年あたためてきた思考によりまとめ上げ、現実世界をあらためて認識させる衝撃的な本。

発行:工房カラキダ(長野市篠ノ井山布施6350)
TEL:026-229-2433
定価:3,000円


地図とカタチ

 「世界は時空間を共有する」リアルタイムの時代となり、自分の意図にかかわらず情報・メディアが洪水のごとく溢れ出る現在です。日々めざましい文明の利器の恩恵を受け、その渦中いる私たちは、ややもすると傍観者的態度でも「事」が済んでしまいそうです。さらに、プッシュボタン「ON」・「OFF」の操作ーつ(最新は触れる機能もありますが)でLife 生活が事足りてしまうほどの驚くばかりの進歩でもあります。一方、その利便さの裏に、実感をともなった「心のはたらき」や「アイデンティティー」について問われつづけている現状もあります。これらの利器(機能優先)の活用法(メディアアートのジャンルは別として)にもよりますがバーチャル的世界で体験して「知る」「わかった」こと、と実際モノに触れ、考え、そこから「わかった」こと、とは似て異なる体験ではないかと思われます。
 
 私は高校の美術教師としての現場を離れて数年を経ましたが、当時の美術授業を展開するにあたって「教えること」と「学ばせること」の違いを常に意識していたように思います。しかしこれがなかなか難しく、次の展開を急ぐあまり生徒に「ヒントを与えすぎたり」「考えさせる余裕」を充分に与えていたかどうかなど反省すべき点があるような気がします。あらためて思うことは、実技をともなった美術の授業で生徒はイメージに近づくため、技法を生かしつつも「あれや・これや」と試行錯誤しながら、その制作のプロセスで思わぬ発見や感動に出会うことがあります。潜在していた「感性」が目を覚ますこともあるでしょう。また、本人が今までなんとなく不透明(漠然と)に思っていたことが実技(モノづくり)を通して明確となり解決の糸口をつかむこともあるでしょう。そのような時、芸術(美術…)は「表現することの喜び」を体感でき得る直接的な教科であると思っています。

 次に、実施しました美術授業展開の「地図とカタチ」のー例を挙げてみますが、その前にこの授業の題材(テーマ)を設定するにあたってのいきさつ(契機)のようなことを述べてみたいと思います。
 多分、私が小学校の高学年の頃だったと思います。父の部屋から「ガリ・ガリ…」と時折不思議な音が響いてきました。それは、父が何やら鉄筆を片手に板状の金属板(ガリ版)に油紙(原紙)とで不思議なカタチを書いていたのです。後にそれは父が社会科の教師で、地理の試験問題づくりをしていたという事が分かったのです。(当時はコピー機などはなく)その不思議なカタチは多分アメリカ大陸だったと思います。道理でわが家のトイレの中の前面には父が貼ったと思われる「世界地図」が占拠していて否が応でも国々や大陸が目に入ったのを記憶しています。私は、最初はこの地図を漠然と「ながめていた」が、しだいに「みつめていた」自分になっていたようにも思います。
 後々このことと直接関係あるかどうかはわかりませんが、「地図」に興味をもつ私は旅先で現地の地図を買い求める癖がついているようです。そして世界地図の扱かい方がそれぞれの国によって異なっているのに気付き、そのお国がら(考え・センス…)までも見えてきます。また国境の区分が直線であったり、燐国同士の複雑な曲線が山脈で仕切られていたりと政治色や自然に沿った地形(カタチ)である事情も見えてきます。

美術授業展開: 「地図とカタチ」

【題材】

topics_vol28-08

写真世界地図(部分)とトレーシングペーパー

地図と形(動物…):MAP&ANIMALE…etc.
(動物に限らず植物など生物全般・架空の生き物などを対象として)

【題材設定内容】

世界地図(メルカトル図法)から国や大陸や島を用いて、これらを組み合わせて自分のイメージした動物などに合うカタチ(形・象)をつくり出す。

【題材設定理由】

  • 地球に生まれた私達は、あえて自国はもとより他の国々や大陸や島々の自然界がつくりだす固有なフォーム(形状)を知り、意識させる。
  • これらを造形的な見方で捉えさせてみる。これらの形状から連想したり、イメージを誘発したり、潜在していたものを引き出す契機としたい。
  • 生徒自身のオリジナルな見方・感じ方を具体的に作品へ反映させたい。

【授業展開】

  1. 配布された世界地図(A3)から各国や大陸などのカタチ(国境ライン)をつぶさに観察する。
  2. イメージして浮かんだ表現したい動物等をメモ描きする(1つに限定しない)。エスキースとして大まかに描き出す。
  3. 部分(国=パーツ)と全体(動物等となる対象)をどのように関係させるか工夫考案する。
  4. 配布された世界地図(A3)上のパーツとなる国々などをトレーシングペーパーで写しとりながら組み合わせてゆく。その都度パーツに国名も書き入れておく。
  5. エスキースと照合しながらすすめるが自分のイメージに近づけるべく根気よくタイムリーなパーツを見つけだす。
  6. 完成した動物等に国名を入れたものと彩色するものと2部作成する。基本的に1部はパーツからなる説明図用とし、もう1部は着色するためのオリジナル動物等の完成用とする。(それぞれコピーや転写により適宜拡大する)

【作業条件】

  1. 地図中の国や大陸や島など同じパーツを繰り返し使用しても可。
    (レピテーション)
  2. 地図中の各パーツは同ー大で選び、拡大・縮小はしない。
  3. 各パーツの反転はOK。(地球の内側から見たカタチ)
  4. 地図中のパーツから動物等を連想してしてゆく。イメージした動物等に合うカタチを地図からピックアップする。どちらの方法でも良いが、イメージを展開するため最初は配布された世界地図と対峙してからスタートする。

【準備材料・備品】

世界地図/トレーシングペーパー/HB・4B~6B鉛筆/ボールペン/絵の具/筆/マジック/定規/画用紙/セロファンテープ/コピー機

生徒作品「チャボ」制作途中

生徒作品「チャボ」制作途中

地図と蜘蛛

地図と蜘蛛

蜘蛛 国名入れ(説明用)

蜘蛛 国名入れ(説明用)

地図と百合子

地図と百合子

地図と百合子

百合子 国名入れ(説明用)

 

【評価の観点】

この題材は普段からの観察力・イメージ構成力・美的表現力などの造形要素を評価の基準としました。

【評価の具体化】

  1. 配布された世界地図をじっくりと観察することが出来たか。
  2. 各国々のパーツのカタチがアイデアとうまく連動し、生かされていたか。
  3. トレース作業や転写技術が正確にできていたか。
  4. 発想がユニークか。部分と全体との関係が有機的に響いていたか。
  5. 下絵となるエスキース・アイデアスケッチ・プロセス中のメモ描き等も評価。
  6. 色彩表現によっての効果が出ていたか。(工夫・考案)
  7. 完成までの作業の進行具合に個人差がでるが、これは評価の対象にしない。(ーつのテーマに向かって根気強く、自分が納得するまで取り組むには時間に追われて中途で安易に妥協してしまうことは避けたいため)

【指導して感じたこと】

作品展示案内状の部分より
作品展示案内状の部分より
  • 生徒にとって地図と対峙する時間が長くなり葛藤しながら考える場面がかなり多くなるため、安易に時間を気にさせてはならないと感じました。(個人のペースを大切にする)
  • 面倒くさがりやの生徒に限って2~3の少数のピースで早く終わらせたい傾向がありました。その場合、当然ダイナミズムに欠けました。 (適宜、参考となる作品等を見せて組合わせる妙味を理解させました)
  • ようやく探しあてた(その時の生徒の表情から)タイムリーなパーツとなる国名は、本人にとっては忘れられない国となるかも知れないと思いました。

【最後に】

 この題材から生徒ー人ひとり全くもって同じ作品はなく、各人それぞれのイメージが展開したオリジナル作品となりました。そして日頃の出会いや場面を意識してモノやシクミを視て感じとっていたかが問われるテーマでもあったと思います。授業を通して生徒が意識/認識をあらたにし、興味や関心そして発想や構想力がいかに大切であるかを感じとる契機となればと思いました。


ドイツの教育を垣間見て

 東京の公立中学校の教師がドイツに渡り、2000年9月から2010年3月までの10年を、大学院生、美術館アトリエ講師、市民大学講座講師、日本語補習授業校講師、日本人学校講師として過ごした。そして帰国、昨年8月に再び東京都教員採用試験を経て、この春より小学校の先生に。
 日本で、ドイツで、そしてまた日本で…。ドイツと日本の教育、子どもたちの様子をさまざまな視点で体験された一女性教師のレポートをお読みいただきます。

1.自己責任

 ドイツの小学校には、「sich melden」といって、子どもが授業中に発表する姿勢を評価するシステムがある。(*ドイツの小学校は4年間通学)つまり、毎回ペーパーテストで満点だとしても、授業中に自分の意見を発表しなければ、成績は良くないことになる。この小学校の成績で5年生からの進学先が決まるので、子どもたちは発表を積極的にするようになる。

クラス修学旅行を引率する、私の親戚の小学校女性教諭Uschi Kalbfkeisch氏と引率者として彼女の姉のHanni Rose
クラス修学旅行を引率する、私の親戚の小学校女性教諭Uschi Kalbfkeisch氏と引率者として彼女の姉のHanni Rose

 もちろん、ただ「言う」だけでは人間的な信頼を得ない。他の意見を認めつつ進展性のある意見を出し、かつ実行していく。こうして、その姿勢は全体で9年生頃までに完成されていく。これは、周囲が「言いっぱなし」を許さないからである。自分がもし失敗しても他人のせいにしない。また、周囲も失敗した人をとやかく言わない。その結果、最終的に「自己責任」が確立するのである。
 しかしこれは「孤独」でもある。同調者を求めても、孤立無援の場合が起きたりする。とかくドイツ人は、自分以外に興味がない人種と言われ、何をしようとも個人の勝手だったりする。反対に、責任はその個人にあるので、自分の責任をもって物事をやり通した者を周囲は「認める」のだ。無責任な者に対しては、周囲から責任を追求する声は辛辣にもなる。こういった関係が、子ども社会からすでに始まっているのである。

2.甘え

 土居健郎著の『甘えの構造』の「甘え」とは、周りの人に好かれて依存できるようにしたいという、日本人特有の感情だと定義している。私が、昭和48年刊行のこの文献を取り上げたのは、日本を離れてドイツ人だけの社会に住んでみて、日本人の「自己責任」感の低さと「甘え」が、実は密接な関係にあると実感したからだ。それには、第二次世界大戦直後、アメリカのマッカーサー総督が「日本人は子どもの精神年齢を持っている」と言った言葉も呼応している。日本を離れてみると、特に自分自身そうなのだが、日本人の「自己責任」感の低さと「甘え」をよくよく知ることができた。

 日本でよく聞く「みんなが持っているからアレ買って!」という子どものおねだりを、ドイツでは聞いたことがない。ドイツにおいては、それは「欲しい理由」には当たらないので却下されるのだ。つまり「みんな」を理由にするのは、「自分はなぜ欲しいのか」という意思表明に値しないからである。

クラス修学旅行を引率する,私の親戚の小学校女性教諭Uschi Kalbfkeisch氏と引率者として彼女の姉のHanni Roseの食事指導
クラス修学旅行を引率する,私の親戚の小学校女性教諭Uschi Kalbfkeisch氏と引率者として彼女の姉のHanni Roseの食事指導

 また、欲しい理由がはっきりしていても、それを買えない家庭ならば、親は子どもに「ウチは買う余裕がない」とはっきりと言う。ドイツの子どもは、この一言で親にきちんと理解を示すのだ。
 日本ではこんなことも耳にする。たとえば、自分の頭の悪さや見かけの悪さを、血筋のせいにする。離婚した理由をどちらか一方のせいにする。自分が不真面目になった理由を、家庭のせいにする。会社は新入社員の能力の低さや躾の悪さを大学のせいにし、大学はそれを高校のせいにし、高校はそれを中学校のせいにし、中学校はそれを小学校のせいにし、小学校はそれを幼稚園や保育園のせいにし,幼稚園等はそれを…。 「他のせい」にする「甘え」や「自己責任」のなさは日本ではキリがないのではないかと。

3.親が自主参加の校外学習

まなびとトピックスvol27-03

あるギムナジウムのスキー旅行

「自己責任」を当たり前にしているドイツでは,こんなところにもそれが発揮される。
 ドイツの学校にも「校外学習」や「修学旅行」というものがあるが、日本と違って学年全体ではなく、なんとクラス単位で遠足先や旅行先および時期が計画される。当然、引率教員は不足になる。(ドイツでは校外学習の場合、生徒8人に引率者1人を必要とする。日本では生徒15人に引率教員1人が必要である。)
 そこでクラス担任は引率者を保護者から数名募るのである。保護者の旅費は、それまでに積み立てた「クラスの旅行金」で賄われる。自分が勤める会社を休んでクラスの校外学習に参加する保護者もいれば、「旅行代金は自腹で出す」と言って参加する保護者もいる。事故に対する責任の所在がはっきりとしているのだ。万が一、クラスの子どもに事故があった場合、総責任はクラス担任や学校長にある。……しかし日本の場合、責任の所在が明確でも、修学旅行等に参加する親が果たしてどのくらい存在するだろうか?
 なぜ保護者が参加することに躊躇がないのかというと、最初に述べた「自己責任」だからである。参加した保護者は自分の与えられた役割をこなせばそれで良い、それ以上に「責任」を感じる必要はない(責任を明確にして、自分は必要以上のことはしないのも自己責任)。子どもたちは、参加した保護者の子どもを特別に見ることはしない。保護者とその子どもは、別の人格であると考えているのだ。つまり、保護者とその子どもを同一の人間としては考えていないのだ。引率した子どもの躾上の問題は、その子どもの親の責任であるので、たとえば叱った後は、その子どもの保護者に伝えることができるという、ドイツでは、学習は学校、躾は家庭という極めて明確に分離している感覚があるのだ。

4.空気を読め?

 ドイツでの10年が経ち、再び日本の教育現場に戻ることになった。かれこれ3ヶ月が経過。以前は中学校勤務だったが、予期せぬ小学校という初体験の職場に立った。浦島太郎ではないゾ、ドイツでも現役で教育現場にいたゾ、と自負していたが、やはり10年間の「日本の教育現場不在」という壁は、「空気を読めない私」という人間には厚かった。

 この「空気を読め」という文句は、私はある会で帰国して初めて聞いた言葉だ。つい自己を表現してしまう私にとって、辛い試練だった。要するにこの言葉の真意は「周囲に合わせろ、反対をするな。」「同意することで協調しろ。」なのだ。あるいは「10年間不在のおマエに何がわかるのだ、だまっていろ!」なのだろうか。
 日本は、今も昔も自己表現が許されない国なのだろうか。


デジタル教科書が現実的になってきたのだろうか。

 ここのところ教科書のデジタル化に対する動きが加速化してきた。
 話題のiPadのようなデバイスの登場や、電子小説が始まりだし、紙からデジタルへの動きはとまらないのだろうか。
 教科書もまたどんな展開が待ち受けているのだろう。すでに来年から使用される新しい小学校の教科書では、教科によってはデジタル化された教科書が誕生するという。将来的には、児童生徒ひとりに一つが理想だというが…。そんな中、民間主導でひとつの協議会が誕生したのでご報告しておこう。

デジタル教科書教材協議会
デジタル教科書教材協議会

 全ての小中学生がデジタル教科書を持つという環境の実現を目指す「デジタル教科書教材協議会」が、5月27日慶應義塾大学三田キャンパスで設立準備会を開催した。この準備会には、呼びかけ人でもある元東大総長の小宮山宏氏(株式会社三菱総合研究所理事長)、樋口泰行氏(マイクロソフト株式会社代表執行役社長)、嶋聡氏(ソフトバンク株式会社社長室室長)、中村伊知哉氏(慶應義塾大学メディアデザイン研究科教授)が登壇し、協議会の概要・趣旨説明等を行った。

 協議会は、デジタル教科書教材普及に向けて、課題の整理や、ハード・ソフトの開発、政策提言、実証実験、普及活動等を推進していくとのことだ。協議会の構成は、孫正義氏ら7名の呼びかけ人と、企業からなる幹事会員と一般会員。「現場の先生方、研究者の方々とオープンなコミュニティを作りながら進めていきたい」(中村氏)、とのこと。政府にもオブザーバーとしての参加を求める。産学連携の受け皿、プラットフォームとして機能することを目指している。

 会員の活動としては、勉強会のほか、教科書教材のモデル等を検討する「未来モデル委員会」と普及方策や実証実験を実施する「普及啓発委員会」の活動を予定している。5月25日現在で、幹事として入会を申し込んでいるのが、すでにソフトバンク株式会社、株式会社ベネッセコーポレーション、マイクロソフト株式会社など、12社。一般会員として申し込んでいるのが、ソニー株式会社、株式会社電通、凸版印刷株式会社など18社という状況。

デジタル教科書教材協議会

デジタル教科書教材協議会

 設立準備会において樋口氏は「ビジネスの世界では、コンテンツのデジタル化は当たり前のこと。ITリテラシーはビジネスマンとして基本的な力となってきている。ITの活用は単にデジタルコンテンツをどのように有効活用するかといったことにプラスして、考える力・コラボレーション力などを高める。電子教科書・教材の導入によって、世界の中での日本の競争力・教育力を高めていきたい」と語った。また、嶋氏は、明治維新の義務教育制度導入を例にあげ、「工業社会から情報社会になり、今は100年に1度の国家パラダイムシフトのとき。情報社会にはIT義務教育(情報検索力・思考力)が必要。日本の人材をどうしていくかを考えるときである。パラダイムシフトを具現化するのが電子教科書・教材という思い」と述べ、今が変化のときであると強調した。

 協議会が具体的に何をやっていくかはこれから決定していくということであるが、「会員からの提案をいただいて実行していくことになる」と中村氏。実証実験については、小宮山氏より「どの教科でもいいので、1科目教科書に相当するものを作って1年をかけて実験したいと思っている」との発言があった。

 協議会は7月27日に設立総会を予定している。

※関連URL:デジタル教科書教材協議会 http://ditt.jp/ico_link


全公立小中学校に、電子黒板。校内LAN100%へ

100年に一度の補正予算?

 全てのテレビを地デジ対応。校務用コンピュータを教員1人1台。全ての普通教室に校内LAN

 これらのいわゆるICT環境といわれ、長らく命題であった案件の整備が一気に加速することになった。しかも、今年度中にどれも100%実現へ向けて。麻生内閣の目玉、大型補正予算は教育現場へも大きく影響することになった。

 ICT環境整備での事業費総額は4081億円。これを学校ICT環境整備事業補助金等の国庫補助として半分、地域活性化・経済危機対策臨時交付金として半分を負担する割合である。

 特に、臨時交付金は、今回のための特別な措置であり、従来の地方交付金ではなく、あくまでも今回のICT環境整備として各自治体・教育委員会が自由に使えるものだ。国庫補助とこの交付金を利用して、実物投影機やプロジェクタ、ソフトウエア等の周辺機器の整備のために申請をすすめていくことになる。

 そこで教育委員会は、各自治体の財政当局に早期に働きかけ、財源を確保する手続きに入らなければいけない。文科省は、4月に事務連絡を発出し、この5月中に全教育委員会へ説明を進めている。政府も、与野党も含め地デジ化とともに、ICT環境の整備には前向きな姿勢である。たとえ政権交代があったとしても、方向性は変わらないだろう。

 以前本欄で取り上げた「ネットワーク配信型コンテンツ推進事業」から2年が経過している。(Vol.001 4月号2007

地上波デジタル放送に対応する整備

電子黒板と「ようぐる」を活用した授業。文科省「エル・ネット・システム」Webサイトにて動画公開中 公立の幼・小・中・高・中等・特別支援において現在教育活用されているすべてのテレビをデジタル放送対応へ買換える。また壁掛けか専用の台を付けたものとして、50インチ以上が望ましいとしている。このうち、電子黒板については各校1台(原則)を設置する。文科省は、テレビ自体を今後電子黒板として付加できるものを前提としているので、PCや実物投影機と接続できることで、従来のテレビ放送だけでなく、モニターとしてやインターネット利用など多くの活用が出来る電子モニターが、各学校の各教室に生まれ変わることになる。

 またこのテレビを、文科省は電気黒板機能を備えた一体型のものが望ましいとしている。

 これは中々の衝撃ではないだろうか。ハードがこのように整備されれば、ソフトもデジタルコンテンツが求められていく。そもそも、このデジタル対応テレビの整備は「教科書がデジタル化されたときにも役立つ」と発言していた。

校内LAN整備率

電子黒板と「ようぐる」を活用した授業のイメージイラスト 「うちの学校はまだまだ校内LANなど…」は、もうじき聞こえなくなることだろう。隣国韓国を意識してか、今年度で一気に整備率100%を実現させてしまう。この整備では、「学校情報通信技術環境整備事業補助金」や「安全・安心な学校づくり交付金」などからも対象として工事に着手できる。近年、学習用教育用ソフトウエア等は、校内フリーライセンスの扱いが増えてきた。ここへきて一気に利用しやすくなることを期待したい。

 このたびの補正予算で整備事業としている内容の中でも、臨時交付金で措置されるものは、特に各自治体が早期に財源確保に動かなければならない。この一年で、どれほど学校のICT環境が変わっていくのだろうか。いよいよである。

主な内容

<整備目標> <20年3月末現在→21年度補正での実現>
全てのテレビをデジタル化 約1% → 100%
校務用コンピュータを教員1人1台 約58% → 100%
教育用コンピュータを児童生徒3.6人に1台  7.0人 → 3.6人
全ての普通教室に校内LANを整備 63% → 100%


ヨーガを教育に

新年にふさわしいトピックとして、健康にまつわる話題をお送りします。

「健康づくり」の一つに、いまヨーガが人気だ。
読者の近所でもヨーガ教室を見かけることが多くなったのではないだろうか。

インド? ダイエット? 柔軟体操? 神秘的? セレブ?
といったキーワードが浮かぶ人もいるはず。健康増進やストレス解消、体質改善のため…など、さまざまな目的で注目されている健康法の一つだといわれるヨーガ。そもそも、無理せずゆっくりと長い時間をかけることで、有酸素運動の長所をよりよく生かした運動法ではないかと思われる。

 そのヨーガは、今から約5000年前にインドで生まれた心身の健康法。日本には仏教と一緒に伝わり、ラージャヨーガをはじめ七つの主な流派があるという。「体位法」「呼吸法」「瞑想法」の三本の柱を中心に据えた修行法として仏教や禅の源流といえるもので、その三つがリンクしながら、人の緊張や萎縮したものをやわらげ、張り詰めた神経をくつろがせ、心のイライラを落ち着かせ、健康体を築くことにつながるという。

 そんな中、YIE(ヨーガ・イン・エデュケーション)「ヨーガを教育に」を合い言葉に、全国規模で普及に熱心に取り組む人がいる。香川ヨーガ道友会会長の倉本英雄さんは、香川県の県立高校教師を20年勤め、現在自身の運営するYIEヨーガアカデミー大阪学院長や、全国各地への講演とヨーガ指導などに活躍されている。
 なんと、お会いしただけで、場が和み、空気が柔和に、周りの人々をリラックスさせるようなオーラを感じる人である。柔軟なのはなにもカラダなのではなく、雰囲気までもそうさせるかのよう。もちろんヨーガは、硬い体をやわらかくすること以上に、実践することで爽快な気分、あふれる活力、疲れを知らないスタミナ、若々しい容貌、不屈の精神、温和な人柄が手に入るという、上記の三本の柱を基にした総合的な健康法だと言っている。

 倉本さんは長年子どもたちが毎日、はつらつと生気あふれる心身で、子どもらしく日々過ごせるようにと、学校の中にヨーガを取り入れるよう運動中である。
 不登校、薬物乱用、食生活や生活習慣の乱れなど、子どもたちを取り巻く暗いニュースの多い現代、氏の提唱するヨーガの精神は、今の子どもたちにも必要なものかもしれない。
 『いきいき、はつらつとした心身を得るには、脳のバッテリーとも言える脳幹網様体に大量の神経信号を送り届け、大脳の興奮、抑制の両過程の活動水準を高めなければなりません。このことに絶大なる力をもっているのが、「体位法」「呼吸法」「瞑想法」の三本の柱。ヨーガの実践は、大脳の働きを快調にするので、感受し、知覚し、認識し、識別し、理解し、判断するという一連の精神活動が高まり、持続力、思考力、記憶力、創造力等の精神力が強化される』という。

 ただ硬いカラダをやわらかくするのではなく、ただダイエットに効果があるのではなく、「内面の健全化」なのだという。元々、教員在職中にヨーガクラブを発足し長きに亘って教え続けてきた倉本さんだからこその考えであることだろう。ヨーガの普及に取り組み、保育所や幼稚園はもとより、小、中、高校・大学の学生や教職員、PTAにもその輪は、広がっているそうだ。ITに代表される情報社会の、ともすれば慌しい現代とは反対に、どんな年齢の人でも相応な体位法や呼吸法で実践できるという、ヨーガのスローな時間が必要かもしれない。

 学校では、朝や下校前の短い時間や、体育の授業、「健康」や「食生活」などの現代社会をテーマに総合的な学習の時間でも組み込むことができるのではないだろうか。香川県の善通寺東中学校では、倉本さんの指導の下、毎朝全校生徒が3分間のヨーガを実践しているという。

 いずれは「国民の1%にヨーガを」が目標のようである。

 柔和な表情で指導される倉本さんが推奨するヨーガは「決して苦行や鍛錬ではなく“やわらぎ”“やすらぎ”“くつろぎ”の健全な状態に心を変えるもの」「呼吸を制するものは人生を制します。息の仕方が生き方を決めるのです」
 今回も記事作成にあたり電話で連絡したところ、不思議なことに声を聞くだけで倉本さんの、温和で穏やかな雰囲気が伝わってきた。
 氏の熱意により、地元香川では教室約200という国内でも有数のヨーガ人口を誇る県だという。

ヨーガ実習の根幹をなすという“10の心得”

  1. 手洗いをすませてから
    排便、排尿をすませ、口をすすいでおきます。
  2. 空腹時に
    食後1時間以内は避けます。飲酒後は絶対に行ってはなりません。
  3. 入浴の直前直後は避ける
    30分以上あけてから行います。
  4. 自力で行う。
    禅と同じように、瞑想につながるものなので、他人に手伝ってもらったり、器具を使ったりはしません。
  5. マイペースで
    競争心は禁物。無理しないで自分の体と対話しながら徐々に限界を広げてゆきましょう。
  6. リラックスできる服装で
    伸縮性のある楽な服装で行ない、体をしめつけるものや装身具等ははずしておきます。
  7. 閑静で空気の新鮮なところで
    天気のよい日は、緑のあふれる野外で行ないましょう。
  8. 毎日規則正しく
    短い時間であっても毎日欠かさず行なってください。
  9. 楽しみながら行なう
    無理にいやいやするのでは効果は半減します。ゆったりした気持ちで楽しみながら行ないましょう。
  10. ていねいに行なう
    じっくりと、心をこめて、ていねいに行なうようにしたいものです。粗暴なやり方は危険でもあります。

倉本英雄氏の最新刊

「心と脳を元気にする70の法則」

出版社名:致知出版社
発行年月:2008年8月
定価:1,250円(1,190円+税5%)
ISBN:978-4-88474-821-0