自治を担う器として

承前

 前田は、住民が自治を担うということ、政治の主体となるとはどういうことかを東京市助役時代の事例で具体的に説き明かします。

地方自治制といふものは政治の内でも極めて大切な地位を占むべきものと思ふが、まだ世間からさほど重視されて居らぬのである。その癖自治制の取扱ふ仕事は一番吾人の日常生活に縁の近いもの、一日荒廃され々ば身に迫つて困却を痛切に感ずるもの多い。
先般も東京市に電車の罷業(ストライキ)が起りかけたが、一日市内交通機関が止まれば、眼に見えて市民は困るのであり、塵芥や不浄物の掃除、水道の供給、下水の始末、瓦斯問題、道路、伝染病院、それよりも尚ほ大切な学校の施設といひ、それぞれ日常生活に直接関係することを取扱ふのが自治体の仕事であるが、米の飯は毎日食ふために左程美味いとも思はぬ如く、この吾人に最も近い政治に対して割合に世人は無関心である。

市政改善への眼

 前田は、東京市助役としての実務をふまえ、道路、橋梁の施設をはじめ、公園、下水の類から、さらに病院、学校、各種の社会事業、図書館、墓地の類は「行政的事業」として「施設」「経営」されるべきであり、電車・電灯・瓦斯・水道のような住民の生活に必需なものも「公企業」として「自治体」の経営に移したほうがよいと説きます。いわば、「自治体の特色は、支配権をもつて住民を威圧するにあらず、奉仕をもつて共同生活に後見するに在る」のであり、ここに「新しき、また広き意味における隣保相佑」が「完成」すると。
 自治体は住民の日常生活に奉仕するものであり、住民たる「吾々」が主体なのだとの認識です。お互い知らぬ他人は、このような協同して営んでいけるような形をとおして、自治の当事者としての連帯をなす公民となりうるのだと。
 「市政改善の一歩として予算決算等の積極的公開を望む」(1928年)は、市民こそが主人であるとして、市政を改善するために予算決算の積極的公開が望まれると提言しています。ここには、行政の執行権限が強い政治の在り方に対し、予算執行を公開し、東京市民が一人の市民として監視していくことができるシステムが要る。まさに前田には、市民こそが「真の主人」であり、市民の監視、了解、承認、協力後援があってこそ自治が実現できるとの強き信念がありました。

今日の市政に於いて、市会は市政の主人である。然し彼等が主人たる市民の委任あるが為の御蔭であつて、自分自身固有の力に依てでは無い。市民こそは真の主人である事言ふ迄もないのである。市民の監視、市民の了解、市民の承認、市民の協力後援、是が凡百の問題に働いて茲に初めて自治政府の成功がある。

政治に求められること

 ここでめざされた政治は、「人が善い道を歩み善い水を飲み善い教育を受けるために、サービスを尽くすことが、それが政治である。」(「地方議会と婦人」1931年)という世界でした。このような政治の実現には、civicsの担い手として、公民たる市民の責務が問われます。普通選挙における「一票の力」はその実現に向けた第一歩になるものにほかなりません。「一票の力」は「国民の公事に対する熱意関心」そのものが問われることです。そこには「どんな善政の姿を取つても、それが民衆の意思と連絡のない時は、長きに亘つて正しい政治は行はれるものではない」という確信がありました。

もっと大切なのは、国民が公事に対する熱意関心である。(略)「公事に対する関心」には、上下の関係の外に、横への繋りがあるのを忘れてはならない。それは国民として、市民として、お互ひの公共生活を共同処理しやうとする一面である。これが欠けるなら、市町村の自治などは全然成り立たなくなる。

 前田は、「上下の関係」がもたらす「公事」への「熱意関心」のみが強調されていた時代のなかで、「横への繋り」がもたらす社会性を問いかけ、お互いが共同生活を共同処理することの自覚をうながしたのです。昭和初頭から、公民の在り方が地方自治の要にあるとなし、普通選挙を実のあるものにするためにも、衆愚なる民衆が賢い統治の支配者になるためには、社会的価値判断力を身につけた秩序形成能力のある公民たるべく、civicsを身に付けなければならないと説き、そのための実践をしました。まさに政治は、垂直的な上下の関係で成り立つのではなく、横への連帯、社会的広がりで営まれるものにほかなりません。いわばここに提示された公民像は、臣民という概念とは異なるもので、横の目線、横の連帯を広げながら、新たに下から政治を変えていく、下から変えていくためには地方から変わらなければならないし、地方自治は公民が担うことで変えられるものだと説き聞かせたのです。

トランボ ハリウッドに最も嫌われた男

Photo: Hilary Bronwyn Gayle

 映画の脚本家、ダルトン・トランボの名前は知らなくても、オードリー・ヘプバーンの出た映画「ローマの休日」を知らない人は、まずいないだろう。「ローマの休日」は、トランボが、友人のイアン・マクレラン・ハンターの名義で脚本を書いた。1954年の第26回アカデミー賞では、原案賞を受けている。
 さらに3年後、1957年の第29回アカデミー賞では、トランボがロバート・リッチ名義で書いた脚本「黒い牡牛」が、やはり原案賞を受けている。なぜ、トランボは、友人名義や偽名で、こんなことをしたのか。「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」(東北新社 STAR CHANNEL MOVIES配給)を見ると、その答えが分かる。サブタイトルに「ハリウッドに最も嫌われた男」とあるが、これは、ちと納得がいかない。反共産主義の立場からみたらそうかもしれないが、決して、嫌われていたわけではない。トランボのことを嫌った人が多くいたかもしれないが、むしろ、トランボは、多くの映画人に慕われていたはずだ。
 1947年のアメリカ。ソ連との、いわゆる冷戦の始まったころである。自由の国アメリカなのに、「赤狩り」という、共産主義者への思想差別、弾圧が始まる。作家のアーウィン・ショー、ダシール・ハメット、リリアン・ヘルマン、アーサー・ミラー。歌手では、ピート・シーガー、ハリー・ベラフォンテなどなど。映画を多く作っているハリウッドにも、弾圧の手が伸びる。多くの映画プロデューサー、脚本家、俳優などが、下院の非米活動委員会の公聴会に呼ばれる。

(C)2015 Trumbo Productions, LLC. ALL RIGHTS RESERVED

 証言を拒否した者もいれば、仲間の名前を漏らした者もいる。当初、証言を拒否したが、すぐに仲間の名前をあげた者もいる。トランボは、いっさいの証言を拒否、議会侮辱罪で投獄される。映画は、脚本家として活躍していたトランボが、有罪判決の後、刑務所で服役、出所後、どのように映画作りに関わっていったかを、実録ふうに、丁寧に描いていく。
 出所しても、公には活動できない。才能のあるトランボは、友人の名前や、架空の人物の名前で、多くの映画の脚本を書き続ける。トランボは、かつて共産党員だったが、暴力でアメリカに共産主義を持ち込むといったことは毛頭、考えていない。映画スタジオで働くいろんな職種の人たちの権利や身分を守るために、脚本家として、最大の努力を続けていた人である。家庭では、よき夫であり、よき父親である。まさに常識のある教養人である。
 出所後のトランボは、妻子を養うために、偽名を使って、安い脚本料を承知で、いろんな映画の脚本を書く。タイプライターをバスルームに持ち込み、脚本を書くシーンが出てくるが、トランボ自身、実際にバスルームで原稿を書いていたようだ。
 映画には、あまり似ていない俳優だが、実在の著名な俳優に扮し、ぞくぞくと登場する。ジョン・ウェイン、エドワード・G・ロビンソン、カーク・ダグラス、後に大統領になるロナルド・レーガン。ハリウッドの著名な俳優たちが、それぞれのセリフから、当時、どういった考えを持っていたかが、よく分かる。
 本名を明かせないトランボに、シナリオの仕事を依頼したのが、B級映画ばかり作っていたフランク・キングである。キングにとって、思想などは関係ない。客が喜ぶ、儲かる映画を作ればいい。そう考えているキングは、トランボにかかる圧力をはねのける。

(C)2015 Trumbo Productions, LLC. ALL RIGHTS RESERVED

 後日、トランボは、復権する。「スパルタカス」の主演男優、プロデューサーのカーク・ダグラスがトランボに脚本を依頼する。「栄光への脱出」の監督、オットー・プレミンジャーもまた、トランボに脚本を依頼する。トランボの名は、いまでは、アカデミー賞の受賞者として記録されている。
 俳優たちが揃って、達者。主役トランボに、ブライアン・クランストン。舞台、テレビの多彩な経験がある。失意のトランボを支える妻、クレオ役にダイアン・レイン。すっかり年齢を重ねたが、30年くらい前の映画「ストリート・オブ・ファイヤー」以来、ごひいきの女優だ。キング役のジョン・グッドマンが、まさに怪演。バットを振り回して、トランボを擁護するシーンは圧巻である。さらに、反共産主義を唱える映画ジャーナリスト、ヘッダ・ホッバーに、ヘレン・ミレンが出ている。どのような役でも、あざやかに演じ分ける。
 シリアスな内容だが、堅苦しい映画ではない。あちこちに、ユーモラスな雰囲気が漂う。なぜなら、監督したジェイ・ローチは、コメディの「オースチン・パワーズ」のシリーズや、「ミート・ザ・ペアレンツ」を撮っているからだろう。
 映画がお好きなら、この1947年からのアメリカ映画の歴史は、知っておいて損はない。「赤狩り」は、ハリウッドの汚点として残る歴史であり、多くの映画で描かれている。なかでも、ジョージ・クルーニーが監督した「グッドナイト&グッドラック」は、「赤狩り」のさなか、報道の真実を貫こうとした人たちを描いた傑作と思う。あわせて、ぜひ、ご覧ください。

2016年7月22日(金)より、TOHOシネマズ シャンテico_linkほか全国ロードショー

■『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』

監督:ジェイ・ローチ(『ミート・ザ・ペアレンツ』)
脚本:ジョン・マクナマラ
原作:ブルース・クック(「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」世界文化社刊)
出演:ブライアン・クランストン、ダイアン・レイン、エル・ファニング、ヘレン・ミレン ほか
原題:TRUMBO
2015年/アメリカ映画/上映時間:124分/字幕翻訳:李静華
配給:東北新社 STAR CHANNEL MOVIES

「地方自治」の実態

承前

 前田多門が「Civics」に託した思いは、文部大臣として初めて説いたものではなく、帝国大学を卒業して内務官僚となり、若き郡長の課題として公民の育成に心をつくした営みに表明されていました。それは、新渡戸校長が「機会ある毎に強調せられたのは、縦の関係の外に、横の関係の重視すべきこと、即ち、水平的に、各人が相寄り相携へて、善き社会を作らねばならぬ。日本人の教養にこれまで欠けて居り、こん後涵養の急務なるを感ずるのは、社会性(ソーシアリチイ)であり社会奉仕であると」(「道草の跡」『山荘静思』)、日毎に問い語っていた世界を全身で受けとめ、その実現を己が使命としたことによります。

「自治」とは何か

 前田は、若き牧民官として、普通選挙法が地についたものとなり、日本の政治を新しくすべく働きます。その思いは1930(昭和5)年の『地方自治の話』として刊行されています。この『地方自治の話』は、昨今声高に語られている地方分権論などを問い質す上でも、示唆豊かな視点を提示しています。
 その一端は「自治体の事務所」が「役場」と呼称されているなかに日本の地方自治の実態をみる眼に読みとれます。ヨーロッパでは、「自治体の事務所」をTown HallとかHotel de Villeと呼び、町や村の「公会堂とか建物」と見なされている。しかし日本では、「役場」と呼称していることに注意をうながします。この「役場」は、「国政の委任事務」を執行する所で、住民にとり「自分達の共通の事務所といふよりは、寧ろ国家の行政庁たる町村庁の役場に、国家的権力服従の関係において出頭する」場です。それだけに前田は、このような上下の権力関係に位置づけられている「自治」のありかたを問い質し、住民の意識を変え、住民が自治の主体となることをめざし、あるべき「地方自治」とは何かを問いかけます。この意識の変革は、いまだに都道府県「庁」であり、区市「役所」、町村「役場」と呼称されているように、至難の事業ですが。

自治は読んで字の如く自ら治める謂であるが、それはただ自分のことは自分がする、人に迷惑をかけぬ、或は人に依頼をせぬといふ事だけではない。それでは意味を尽くさぬのである。(略)人は孤立して存在することは出来ない。生活には必ず社会といふ背景を必要とする。故に自分が自分を治めることは無論として、その自分の聯なつて居る社会、自分も一員である共同生活に対して之を治める、即ち共同の事情を処理して行く責任を負ふ、かういふ意味が必ず地方自治のうちに含まれて居ねばならないのである。(略)故に団体生活の公共事務といふことを離れて自治は到底成立しないのであつて、ただ自助とか、自由とかいふのとは意味が違ふのである。

共同生活の軌範

 ここで説かれた自治の原点は、明治維新によって国民国家が建設されていくなかで、自然村から行政村になったことをふまえて提示されたものです。

昔から伝統の自治は向ふ三軒両隣が自治である。(略)この連帯責任から発達した部落の自治は、既に明治維新の新政に、將た更に明治二十二年の町村制実施の際に、破壊せられたといふて宜ろしいのである。(略)故に自治観念としてのいはゆる「隣保相佑」は今日においては、現実端的に知り合つて居る同志の団結といふ意味ではなくして、たとへそれが「知らぬ他人」であつても、一定地域内に社会生活を営むで居る必然の関係上、互に相寄り相助けねば、暮らして行けぬ連帯生活、昔のやうに領主の刑罰連帯の笞が団結を余儀なくさせた代りに、経済の理法、社会の約束が、団結か然らずんば破滅といふ運命を示すために余儀なくさる々連帯生活になつたのである。

 知り合った同士がお互いに相佑け合うという関係で成り立っていた隣保相佑は、1889(明治22)年の町村制実施によって自然村が行政村に移行していくなかで破壊されたがため、知らぬ他人が連帯するにはどういうことを考えれば良いのかを問い、「経済の理法、社会の約束」が自治をささえるのだという発想です。前田は、刑罰の鞭による団結ではなくて、「社会の約束」で知らぬ他人がお互いに連帯していけるような共同生活の場をつくっていくことの意味性を説きます。いわば「隣保相佑」を「社会の約束」という概念で転換させ、「経済の理法」が必然的に求めるものともみなし、新しい社会の在り方を地方自治に求めました。自治体の営みは、日常生活に直接関係しており、最も身近な政治と認識しておりました。その荒廃は日常生活そのものを破壊します。その解決には、かってのように情緒的な「隣保相佑」に依存して暮らすのではなく、一人ひとりが政治に直接参与していくことで、己の責任で世界をきずいていくことが問われているのです。

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 震災後から描き始めている5作目の漫画が完成しました。

 私の思いは、震災後の福島の状況を風化させないことだけにあり、私は福島県人として、この活動を続けていく義務があると思っています。

 今回の作品は、以前短編としてホームページ用に描いたものを少し膨らませたものです。あの日がなかったら、あの日がなければ…と思っても仕方がないこととわかりながら、この作品を仕上げました。「たられば漫画」ですね。
 ちょうど、描いている途中にあの日から5年が経ちました。実は、この漫画を3月11日に出そうと考えていました。なぜか、あの当時私は、5年後をとても待ち望んでいたような気がします。その当時、『早くこの現状を回避したい!』という強い想いが達成されるのは5年後だと、なんとなく思っていたのです。私はクリスチャンではないのですが、初めて「神様…」と天を仰ぎました。私の考えは甘かった…5年では足りなかったですね。また、5年後を期待して前進していきます。

 私の漫画は「福島の真実!」ということではなく、風化させないための表現方法のひとつであります。そして私は、希望のある作品(フィクション)にしようと常に思っています。

 この漫画は、いろいろな方の協力によって製本されております。この場をお借りして感謝申し上げます。

 今回も手に取っていただきありがとうございます。

 また、最後まで読んでいただきありがとうございます。

 そして、また来年お目にかかれたらうれしく思います。

読み物プラスVol.17「3年8ヶ月」
読み物プラスVol.14「奥羽行進曲」
読み物プラスVol.01「NOT YET OVER-あどけない瞳に映るもの-」
学び!トピックス Vol.32「福島の先生が3.11後を漫画に。」

図画工作の授業(2)~指導案の書き方

 前回の続きで、今回は指導案の書き方について解説します(※1)。都道府県や研修会等によってスタイルはかなり異なるので(※2)、あくまでも筆者の経験をもとにした一例です。

図画工作科学習指導案

平成○年○月○日 ○曜
第○学年 ○級 ○校時
指導者 ○○○○○○○

1.題材名(及び領域 「表現(1)」等)

 「題材」は、子どもの学習活動、材料や用具、目標や計画などの集合体です。目標や内容が子どもにおいて具現化する一連の「学習活動のまとまり」(※3)であって、教材や作品だけを示すものではありません(※4)。
 よく「なぜ図画工作は単元(※5)でなく題材なんですか」と聞かれます。図画工作科や音楽などでは「比較的小単元中心となるものが多く、単元と言わず題材という場合が多い」と言われています(※6)。筆者は「図画工作では子ども一人一人がかけがえのない『私』=『作品』をつくります。そのためのまとまりが『題材』であって、そこが『単元』との違いです。」と答えています。
 「題材名」は「望ましい創造活動への案内や提案の意味」を持ちます(※7)。以前は「カレンダーに表す」というそっけない表記でしたが、現在は「ならべて、ならべて」のように中心的な活動を示すものや、「もし雲にのったら」のように発想のきっかけを示すようなものがほとんどです。
 先生と子どもがイメージを共有できる題材名がいいと思います(※8)。筆者はよく子どもとつくっていました。わざと題材名を提示せず、授業をした後に「ねえ、週案にのせなきゃいけないんだ、なんて書いたらいいかな?」と言うと、子どもたちが「版の国から」「風をつかまえて」など素敵な題材名を考えてくれたものです。

2.題材の目標

 題材全体の目標です。多くの場合「~を通して~するとともに、~を工夫して表す」のように、主な活動と資質・能力をまとめた形で示しています。「資質能力の育成のために題材がある」という考え方からは「3.指導観」の前に書きますが、「3.指導観」の後に書く場合もあります。
 現場で迷うのは「一文で書くか、観点別にするか」です(※9)。筆者も、以前は観点別に書いていましたが、「4.題材の評価規準」の繰り返しになるので、今は一番大事にしたいことを中心に一文でまとめています。

3.題材観(「題材設定の理由」「題材について」など)

 題材観、児童観、指導観の三つ、あるいは題材観、児童観の二つを示します。三つの場合は、まず「こんな題材で、こんな能力を高めます」と題材の意義や内容を紹介し、次に「発達の特徴やこのクラスの実態はこう」と必要性や配慮事項を述べて、最後に「だからこのように指導します」と指導の要点を示します。それぞれの項目がお互いに関連し、論理的に一貫していることが重要です(※10)。

①題材観:主な内容、学習指導要領上の位置づけ、年間指導計画との関係、学年や題材間の系統、育成される資質能力、地域性や伝統との関連、形や色などの造形的な要素、材料や用具の意味など「題材を実施する意義や価値」を説明します。

②児童観:一般的な学年の発達、クラスの実態、教科に対する傾向や調査結果、当該活動に関する実態、これまでの造形活動の経験、関連題材での様子など、題材観との関係で留意すべき児童の様子を説明します。

③指導観:「だから外で実施する」「ここは時間をかける」「まず粘土に触れることを楽しませる」「グループを導入する」等、①題材観と②児童観を踏まえた上で、どのような手立てを打つか、学習活動の流れや展開上で特に気をつける点は何かなど、指導の重点について説明します。

4.題材の評価規準

 評価は目標と一体です。目標を具体化したのが評価規準と考えてもいいでしょう。評価規準は平成3年に導入された概念(※11)で、子どもがおおむね学習を達成した状況(いわゆるB規準(※12))を観点別に示したものです。以前は指導案に書かれていることは少なかったのですが、最近は必ず示されるようになっています(※13)。
 これをゼロから書くのはけっこう難しいものです。国立教育政策研究所が「造形遊び」「絵や立体、工作」「鑑賞」などの内容のまとまりごと、かつ学年ごとに例示していますので、それをうまく題材に合致させればいいと思います(※14)。
 実際の評価では「そうそう」「こんな感じ」と想定内ならB、「え~すごい」と驚く想定外ならA、「あらあら、ちょっと待って」と指導に入るのだったらCと説明しています。それをもっともらしく難しい言葉でまとめたのが上記の資料でしょう(^o^)。
 なお、評価で大切なのは公平性です。公平性の観点からは、全員の評価資料が必要です。でも、作品以外の評価データを2時間程度の題材で全員集めるのは現実的ではありません。年間を見通して「この題材は特に発想!」のように重点化を図って、時間内にできる妥当な評価方法を考えましょう(※15)。

5.題材計画(「指導計画」「展開」など)

 下の表のように題材の流れを大まかに書きます。以前は第一次、第二次と授業回数にそって箇条書きする程度でしたが、最近は以下のような表で、指導上の留意点や評価まで詳しく示しているものが多いようです。横軸は地域や研究会、学校などによってかなり異なりますが、大事なのは縦軸です。子どもの意識の流れ、活動の姿、発揮される能力、指導方法などが骨格として示されていることが重要です。この骨格に形や色などの造形的な要素、評価、地域性や伝統などが絡んでいくイメージです。

6.本時計画(「本時の授業計画」「本時の展開」など)

 本時計画は、題材計画の中から1時間分を詳細に示したものです。以下のような項目が示されます。
 ・本時の目標
 ・本時の評価規準
 ・材料用具の準備(教師と児童に分けるとよい)
 ・本時の指導計画

①導入
 導入は本時の目標を明確に共有する時間です。「望ましい創造活動への案内」や「豊かな発想のてがかりとなる提案」を行うなどして、子どもが「めあて」を意識できて、意欲が高まるようにします(※16)。
 よく先生が一方的に内容を説明した後に、事前に作成しておいた「めあて」を貼るという場面に出会いますが、少々困惑します。「めあて」は授業の進度や内容で変化しますし、子どもが大切だと感じていることを子どもの言葉で表すのが「めあて」です。例えば「どんなめあてにする?」と問いかけ、先生の方針を踏まえながら子どもの意見をまとめるという方法があります。子どもが学習内容を理解していれば1分で終わるでしょう(※17)。
 なお、導入に時間を費やすのはよくありません。図画工作では子ども自身が活動する時間こそが大事です。子どもの思いと視点、安全性などがおさえられれば、速やかに次の段階に進みましょう(※18)。無駄な部分はできるだけ削減し、長くても10分以内に収めたいものです(※19)。

②展開
 展開は、図画工作の中心です。子どもが試行錯誤や行戻り、思考や判断、主体性や協働性などを発揮する大切な時間です。先生は、これを励ましたり、見守ったり、あるいは、指示したり、いろいろな指導を行います。指導案作成では、実際の授業場面を思い浮かべながら、子どもの姿とそれに対応した手立てを書いていくことになります。
 「どこまで指導すればいいのですか?」「教師の言う通りになりそうで、、、」という質問をよく聞きますが、そう心配しなくていいと思います。筆者はよく子どもとおしゃべりする先生でした。児童の作品を手にして「ふ~ん」「なるほどね」などと認めたり(※20)、「それはこういうことだよ」「こんな方法もあるよ」など知識や技能を提示したり、「こうしてみる?」と指示したり、遠慮なく話しかけていました。子どもが自分の思いで主体的に活動していれば、先生はあくまで子どもの活動の「資源」の一つにすぎません。「最終的に判断してとりいれるのは子ども」なのです(※21)。
 よく製作途中に相互鑑賞を行う場面にも出会います。「は~い、やめて、やめて、、、ちょっと友達の作品を見て回りましょう」。子どもは付き合ってくれますが、活動の意欲や思考は途切れます。指導案通りに行うのではなく、「子どもの活動が停滞している」「もう一つジャンプできる」など状況を的確に判断して、「ここでこそ効果があるとき」に実施したいものです。
 なお、実際の授業は指導案の通りにはいきません。指導案というのはたいてい研究授業や県大会等のときに作成されます。子どもたちにとって特別な材料や場が用意されたり、周りを取り囲む参加者が大勢いたりします。どうしても普段と勝手が違い、先生の思うようには進まないのです(※22)。でも、子どもは先生ほど緊張せず、特別な雰囲気なども活用して普段以上の力を発揮してくれます。それを信頼すればよいと思います。
 ただ、授業が一気に活性化する「活動の爆発」は起きにくいと思います。「活動の爆発」というのは筆者独特の言い方で、子どもの発想や技能などがお互いに連鎖し、クラス全体が爆発したような感覚を味わう時間帯のことです。経験的に、題材の3分の2程度の時間に起きます。45分題材だったら30分あたり、90分題材だったら60分あたりです。これがうまく研究授業にあてはまるのはまれでしょう(※23)。

③まとめ
 以前に比べれば、まとめの時間に「半ば一方的にそのよさなどについて評し、ある意味では、他の多くの児童の活動のよさや努力を切り捨てる(※24)」ことは少なくなりました。でも、「児童一人一人が自分の表現製作を温め、その余韻を味わう(※25)」ことはどうでしょうか。自分の作品の題名を考えたり、簡単な作文を加えたり、飾る場所を考えて撮影したりするなど、いろいろな方法で子どもの思いを温めたいものです。それを先生も一緒に味わってほしいと思います。

7.その他

 案外、大事なのが板書や環境設定です。板書は子どもの発想の手掛かりになっている場合があります(※26)。また、「場の構成」「材料や用具の場所」「机の配置」などは子どもの表現活動を左右する決定的な要因です。用具の置き場所一つで、想定した活動と全く異なる活動になってしまったことを数多く見てきました。指導案に教室全体の見取り図や板書計画を挿入し子どもの動きを想定することは大切でしょう。

 図画工作では、子どもの思いがけない発想や、驚くような工夫によく出会えます。それは先生にとってもうれしいことで、ついニコニコしてしまいます。子どもと一緒に喜びを味わえるのが図画工作の時間です。読者の方もたくさん指導案を書いてたくさん授業をして、たくさん喜びを味わってください。

 

※1:若い方はずいぶん指導案を書くのが早いと聞きました。国研や文科省のデータ、様々な教育機関の事例集などがネット等を通して容易に参考できますし、何よりコンピュータやWordなどの普及の効果でしょう。
※2:以下のように立体的な指導案や写真を使った指導案もあります。
板良敷敏編「小学校図画工作基礎基本と学習指導の実際」中田稔の学習指導案 東洋館2002icon_pdf_small
第53回造形表現・図画工作・美術教育研究全国大会
 第41回宮崎県造形教育研究大会紀要「造形の発見」2002icon_pdf_small

※3:文部科学省 小学校図画工作指導資料「指導計画の作成と学習指導」1991 日本文教出版82p
※4:「風景画」「筆立て」「版画カレンダー」などは「題材名」とはいえません。
※5:単元の考え方はこちらが参考になります。文部科学省「今、求められる力を高める総合的な学習の時間の展開(小学校編)」第3章p86
※6:文部省「図画工作指導資料」開隆堂 1980
※7:前掲書3 p83
※8:「すっかり、ぴかドン」「ミラー、ミラー」など何を行うのかよく分からないのもあります。それはその先生の歴史と児童の実態の一回性で通じるものだと思います。むやみにまねようとせず、その教室らしい題材名がよいと思います。
※9:来年の改訂からは3観点になるでしょう。
※10:二つの場合は、題材観に指導観を含んで書きます。まれに児童観を書いた後に題材観がくる場合もあります。
※11:「各教科の目標に照らしてその実現の状況を評価する観点別学習状況を各教科の学習の評価の基本にすることとしました」文部省「小学校教育課程一般指導資料」1993
※12:評価規準については「そうそう」「こんな感じ」と想定内ならB、「え~すごい」と驚いた想定外ならA、「あらあら、ちょっと待って」と指導に入るのだったらCと話しています。それを難しい言葉にしたのが註13の資料だと考えてください(笑)。
※13:評価を指導案に明記する歴史は案外古く、たとえば昭和51年の文部省指導資料等(複式学級図画工作指導資料「共同製作の指導」日本文教出版)で指導案の項目として例示されています。
※14:コツは「~を~しながら~工夫している」などの部分をそのままにして「~」を入れ替えることです。国立教育政策研究所教育課程センター編「評価規準の作成、評価方法等の工夫改善のための参考資料(小学校・中学校・高等学校)」教育出版 2012icon_pdf_small
※15:前掲書14に詳細な例が示されています。
※16:前掲書3 p82
※17:数時間かかる題材では、全体を示し、各段階で「めあて」を決めて取り組む方法もあります。
※18:よく「これまでの学習」をおさらいする場面に出会うのですが、ほとんど参観者や先生に見せるために行われています。自分の作品を前にして「今まで何をやってきたか」を一番知っているのは子どもなのに、、、と思います。
※19:見ている方は5分が限界です。
※20:児童の作品を手にするというのは一番のほめ言葉です。
※21:先生の助言を頼りに活動を進めるようでは、そもそも主体的な活動になっていないということでしょう。
※22:研究授業でうまくいった経験は一、二度しかありません。普段でも年に一、二回でしょうか。
※23:指導案自体が「参加者の大人に向けた資料」で、「私はこの授業をこういう風にデザインしました」「研究会で何度も吟味し、研究会のテーマをこう反映させました」という宣言書のようなものです。
※24:前掲書3 p86
※25:前掲書3 p86
※26:行き詰ったときなどにチラッと板書を見る子どもの姿はよく見かけます。言語活動の充実につながりますし、授業のまとめにも有効です。