外国人の人権と教育(その3) ゼノフォビアとしての外国人差別

①ゼノフォビアとは?

 「外国人差別」というときに「日本国籍を持たないことによる差別」と「国籍に関係なく海外ルーツの人だということに関わる差別」があると述べました。そして、前回には「日本国籍をもたないことによる差別」を取り上げました。今回は、国籍に関係なく「海外ルーツの人だということに関わる差別」を取り上げます。このような意味での外国人差別を英語圏ではゼノフォビア(Xenophobia)と呼びます。人種差別の一つであるといえるでしょう。ヨーロッパではゼノフォビアの広がりが大きな問題となってきました。いわゆる右翼政党の台頭などです。
 羽場久美子 さんによると、ヨーロッパでのゼノフォビアの広がりには社会的背景があります。ヨーロッパ各国にはEU内外からの移民が増えてきました。当初は低賃金の肉体労働につくことが多かったのですが、次第にホワイトカラーの仕事や専門職に就く人たちも増えてきました。肉体労働だけが多かった時期にはまだゼノフォビアは限定的でした。ところが、ホワイトカラーや専門職につく外国人が増えるもとで、ゼノフォビアが広がってきたのだといいます。
 ゼノフォビアが広がる原因は、海外からの労働者により自分たちの仕事や生活が脅かされていると感じるところにあります。外国から来た人たちの仕事が肉体労働中心であれば,国内の技能労働者の階層にとっては脅威となりますが、事務職や専門職に就いている中産階級の人たちはむしろ生活を助けてもらっているという思いを持ちやすかったかもしれません。ところが、ホワイトカラーや専門職にも外国から来た人たちが就くようになると、中産階級の人たちにとっても脅威となるというのです。これが、ヨーロッパでゼノフォビアが広がり、右翼政党が得票率を伸ばしている背景だと羽場さんは言います。
 ゼノフォビアの端的な行動は外国人の殺害や傷害です。しかし、その土台には、人種差別についての「憎悪のピラミッド」で言われる「先入観による行為」 があります。わたしたちはみな先入観をもっており、知らず知らずのうちにそれを「意図せぬ差別言動」として表現し、人を傷つけます。「意図せぬ差別言動」に関わって、マイクロアグレッションやアンコンシャスバイアスといった概念が紹介されていますが、これらの概念はこの「先入観による行為」に焦点を合わせています。この土台の段階で的確に対処することにより、ゼノフォビアや人種差別がエスカレートすることを妨げます。ピラミッドの上の方まで行為が激化してから取り組むのは困難です。それよりも「先入観による行為」により「意図せぬ差別言動」が発生している状態で働きかける方がまだ容易だといえます。
 日本ではどうでしょうか。日本の外国人受け入れ政策で繰り返し語られてきたのは、「これは移民ではない」ということでした。移住労働者なら、数年働けば帰国するという前提で対応できます。低賃金でも不満は顕在化しにくく、外国人差別があっても訴えにくく、日本語の保障などもとりあえずでよいことになります。社会的・政治的発言が制約されていても、やむを得ないと感じやすいといえます。その典型的な政策が技能実習生でした。現に技能実習生や日本語留学生が学ぶ日本語学校では、授業の成り立っていないところも少なからずあるといわれます。ところが、移民なら、その人たちは生涯にわたって日本で暮らす事を前提としなければなりません。仕事を持ち、日本で住居を構え、家族を呼び寄せて、日本で子どもを育てます。こうなれば、日本社会への発言権の保障を求める構えが生まれやすいでしょう。日本語を学ぶというのはそういう人たちにとって様々な問題を解決する入り口にはなりますが、彼らにとって本当の課題はそのさらに奥に控えています。就労・住居・福祉・教育・アイデンティティ・選挙権などです。そこまで考えた政策はどれほど練られているのでしょう。

食品加工工場で働くベトナム人技能実習生

 日本では、高齢化が進み、2060年になると高齢者率が40%に達する という政府の見積もりがあります。その間、出生者数は減少するとみられており、結果として生産年齢(15~64歳)の人たちが占める比率は下がることになります。そうなると、海外からの人たちに頼らざるを得なくなります。今後とも外国人労働者の流入を受け入れ続けると2050年には人口の24.3%を占める可能性がある との意見があります。4人に1人が海外ルーツの人になったとき、今のわたしたちの意識や日本社会のあり方で問題なく社会が進んでいくのでしょうか。
 国際交流という観点から地域の日本語教育に取り組んでいる人に話を聞いていると、ときとして「外国からの人たちに早く自立してほしいという思いで、日本語学習支援活動に取り組んでいます」といった発言が出ます。でも、とりもなおさず日本社会こそが、外国からの人たちに依存しているのです。

②ゼノフォビアに関わる教育実践

 以上のようにゼノフォビアに関わる実態や構造を見れば、この問題に取り組むことが重要であると同時に急務であることが明らかだと思います。容易ではなくチャレンジングなことだといcう思いも共有できるのではないでしょうか。では何ができるでしょう。
 この問題だけではないのですが、こういう多様性尊重という問題に関連する教育は、次のような流れで組み立てることが大切だといえます。

自分が生きている価値の実感(自己についての肯定的態度)
お互いの間にある違いの自覚と尊重
人権侵害の歴史的・社会的背景と当事者の生き方の学習
様々な人権課題の解決に共通して必要な概念や枠組みに関する学習
(自尊感情・自己開示・偏見・悪循環・平等観・特権など)
具体的な場面での行動力の育成
人権が尊重される社会づくりにつながるような行動力の育成

 もちろん、いつもこの順番通りに進むわけではありませんが、基本的な流れとしてこの組み立てをイメージして取り組めば、子どもたちは自己を肯定することから出発して、互いの違いを認識し、さまざまな人権課題に共通する概念を習得したうえで、人権実現のためにどう行動すればよいのかを考え、そのための行動力を身につけやすくなります。(これは、文部科学省の「人権教育の指導方法等の在り方について【第3次とりまとめ】」(第Ⅱ章第2節(3))に出てくる内容でもあります。
 上の①から⑥のうち、小学校低学年では①や②が重視され、高学年になるにつれて③や④、中学校になれば⑤や⑥が重視されることが求められます。また、一つの学年で考えても、①や②は年度の初めから土台として積み重ねるべき事柄であり、そこへ後の③以下の学習が重ねられていくべきです。③や④の学習は、一見するとむずかしいと思われるかもしれませんが、それぞれの学年に応じた学び方があります。低い学年であれば、歴史や概念は簡単な枠組みで学ぶに止まるかもしれません。高い学年になればなるほど、歴史や概念は精緻におさえるべきです。
 さらに、この①から⑥の流れにあっては、身の回りで起こった問題にどう対応するかという行動力と、社会づくり全体をめざす行動力とを分けていることも見逃せません。従来から「学んだことが行動につながらない」と繰り返し嘆きの声が聞かれましたが、わたしたち自身が、どれほど具体的に行動力を育む学習内容や学習方法を編み出してきたかを問うべきです。
 こうした事柄は、多様性教育 として整理されており、具体的な学習方法についても発信されています。
 具体的な学習活動(アクティビティ)もたくさん提案されています。重要なのは、問われているのは日本社会の方であり、わたしたち一人ひとりであるという点です。

【参考・引用文献】
・羽場久美子氏(青山学院大学教授)「欧州の移民・難民とテロ問題 ―いま世界が真剣に向き合うとき―」(一般社団法人平和政策研究所ウェブサイト)
・金 友子氏「マイクロアグレッション概念の射程」(立命館大学生存学研究所ウェブサイト)
・内閣府「平成24年版 高齢社会白書」(内閣府ウェブサイト)
・吉岡 茂氏「外国人労働者受け入れの及ぼす日本の人口構造への影響」(立正大学地球環境科学部ウェブサイト)
・大阪多様性教育ネットワーク「多様性教育について」(同ネットワークウェブサイト)

外国人の人権と教育(その2) 国籍による制約と差別

 前回、外国人差別という場合、国籍による処遇の違いに関わる側面と、国籍よりも人種差別に関わる側面とがあると述べました。そのうち、今回取り上げるのは、国籍による処遇の違いという側面についてです。
 「日本の国籍がなければ権利が制約されるのは当たり前」と思っている人もいることでしょう。しかし、前回も触れたように、さまざまな国際人権条約の土台となっている国際人権規約では、「内外人平等」という原則が貫かれています。つまり、居住している国の国籍があろうとなかろうと、人権は同じように保障されなければならないということです。
 日本は同条約を批准していることから、基本的には憲法で定めている基本的人権の諸項目は、外国人にも適用されてしかるべきだということになります。しかし、実際には外国人には認められていない権利や、日本への同化を求める制度などがあります。これらを正当なものと見なすかどうかについては、議論が重ねられています。

国籍の性格と取得

 国籍の取得については、出生地主義と血統主義があります。出生地主義とは、どこで生まれたかを基本に国籍を認めるというもので、アメリカ合衆国はその例とされます。それに対して血統主義とは、父母の国籍に従って子どもの国籍が定められるというもので、日本がこの例だ とされます。
 出生地主義の国であれば、親が海外から来た人であったとしても、本人が国内で生まれたなら生まれた国の国籍をもてることになります。2世や3世にとってややこしいことはあるでしょうが、それは血統主義の場合よりもかなり少ないと考えられます。
 それに対して日本は血統主義です。血統主義の国では、いくら日本国内で生まれても、親が外国籍の人なら日本国籍を得ることになりません。血統主義はさらに、父系血統主義と父母両系血統主義の二つに分かれます。日本は、以前は父系血統主義でした。ですから、父親が日本人なら子どもも日本国籍になりますが、母親だけが日本国籍なら子どもは日本国籍にはなれなかったのです。しかし、女性差別撤廃条約の批准(1985年)とも関わって、日本は父母両系血統主義を導入(1984年)しました 。その結果現在では、父母のいずれかが日本国籍をもっていれば、日本国籍をもてることになります。その子どもは、二つの国の国籍をもっているということになります。ただ、日本の法律は原則として重国籍を認めていません。ですから、たとえば日本では、22歳になるまでに父母のいずれの国籍を取得するかを決めなければならないのです。
 ここで学校として知っておくべきは、原則として重国籍を認めていないということの意味合いです。国籍法第14条1項では、日本と他国の国籍をもっている人は、一定期間のあいだに「いずれかの国籍を選択しなければならない」とされています。しかし、この際、見逃せないのは、選択しなかったもう一つの国の国籍について、同法第16条1項では「当該外国国籍の離脱に努めなければならない」としていることです。「努力さえすれば良いのであって、必ずしも当該外国国籍を離脱しなくてもよい」とも解釈できるのです。近年、海外にルーツのある子どもやその保護者から、国籍について相談を受けたときのためにも覚えておくべき事柄だといえます。

名前と氏名

 国籍と関わって述べておきたいのは、「氏名」という枠組みについてです。現在でも多くの場合、「氏名」と「名前」は同じものと考えられていますが、実際には、かなり大きな違いがあります。
 日本で現在の「氏名」の形がとられるようになったのは明治時代に入ってからです。明治政府は徴兵・徴税などで全国民の管理が必要と考え、戸籍を整備するとともに1875(明治8)年にすべての人に対して「氏名」をもつよう求めました。氏は「家」の名称をさすものとされ、1898年の明治民法により同じ家族は同じ氏を名乗ることが原則とされました。それゆえ、結婚したときには、女性が男性の氏を名乗ること(これは逆もあります)が基本となったのです。
 つまり、近代の「氏名」という枠組みは、明治時代のイエ制度という土台の上に成り立っていた ということです。現代ではイエ制度はなくなっていますが、いろいろな制度によって、実質的に支えられているともいえます。その一つがこの「氏名」という枠組みです。
 世界を見渡せば、日本のような意味合いで「氏名」と同じ枠組みをもっている国は少数派です。たとえばレオナルド・ダ・ビンチやバラク・フセイン・オバマなどは「氏名」では説明がつきません。中国や韓国では、姓は生まれたときに定まるもので、結婚しても変わりません。どちらの方が近代的かという問題ではありません。いずれにも課題があり得ます。ここでのポイントは「異なる」という点です。中国や韓国の名前の構成と日本の名前の構成は異なるのです。(同じ日本でも、江戸時代までと明治以後とで、名前の構成は異なります。)
 戦前、朝鮮半島を支配していた日本は、この問題を「解決」するために朝鮮の人たちに「創氏改名」(1941年)を強いたことになります。「創氏改名」とは、この意味で、朝鮮の名前の制度変更を通して、民族文化の放棄を求めたものだということになります。名簿などで「氏名」という枠組みを使っている限り、厳密に言えば、わたしたちは諸外国の人たちに「ほんとうの名前を日本風の氏名に変えて書きなさい」と言っていることになります。
 そこで、外国人差別をなくし、国際的な取り組みをしようとする団体や個人は、「氏名」を書くよう求める書類を「名前」を書くよう求める書式に変えるなどしています。
 それでは次に、日本における外国人の権利に関わる主な課題について、考えてみたいと思います。

入国・出国・再入国の権利

 外国籍の人に対しては、出国の権利は認められていますが、再入国の権利が認められていません。マクリーン事件(最高裁大法廷、1978年)、森川キャサリーン事件(最高裁、1992年)では、外国人の再入国は、憲法上認められないとしています。けれども、外国人のなかには日本で生活基盤ができているという人もおり、とくに永住権のある外国人については認めるべきだという意見があります。永住権はなくとも、在留が認められている時期に一時帰国した場合などは、再入国が権利として認められてしかるべきだという意見もあります。

日本国内における外国人の政治活動

 日本国内で外国人が政治活動をすることは、憲法上保障されるというのが判例でもあり、通説でもあります。ただ、日本の政治的意思決定に関わるような運動は認められないとされています。また、政治活動をした外国人に対しては、在留期間更新にあたって拒否するなど、不利益のある処遇をしても憲法違反ではないとされています。これに対しては批判が強くあります。

参政権

 現在の法解釈や判例では、国政に関わる参政権は外国人に認められていません。地方参政権についても認められていない場合がほとんどです。但し、判例上、永住者については地方参政権を認めるべきだという見解が出されていることに注意するべきです。自治体の判断によってはできなくはないということであり、実際に「住民投票」のさいには外国人の投票権を認めている例もあります
 その点に関わって、次のような判例があります。

 「我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至ったと認められるものについて、その意思を日常生活に密接な関連を有する地方公共団体の公共的事務の処理に反映させるべく、法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではない」(定住外国人地方参政権事件、最高裁判決、1995年)

住民投票条例案を審議する東京都武蔵野市議会 条例案は、市のおこなう住民投票に、外国籍をもつ市民にも投票権を認めるという内容でしたが、同市議会はこの条例案を否決しました。(2021年)

公務員になり管理職になること

 日本国籍を持たない人が国家公務員になることは原則として認められないとされています。国家権力の行使に携わる仕事が多いからというのがその理由とされています。一方、地方自治体の公務員については認められるという意見が強いと言えます。ただし、一概に公務員として定めるのではなく、国家の意思決定や権力行使への関わりが深いかどうかによって、認められる範囲を広げるべきだという意見があります。
 公立学校の教員についてもその一環として議論されてきました。日本政府は、1991(平成3)年3月に「在日韓国人など日本国籍を有しない者の公立学校の教員への任用について」という通達を出しました。現在の国の政策では、管理職になれない「任用の期限を附さない常勤講師」として採用することが認められています。管理職になれないという条件が付いているのは、管理職は国家権力の行使に関わるからだというのです。しかし、この通達の出された1991年当時、教育基本法では第十条 (教育行政)で「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである」と定めていました。ですから、校長が直接責任を負うべきは、国民に対してだということになります。そして、ここでの国民というのは、国際人権規約に従った解釈をすれば、外国人も含むことになります。自治体によっては、1970年頃から在日外国人が教諭として正式に採用されてきましたから、そのような自治体にとって1991年に出されたこの政府の方針は、逆行しているといえます。
 2005年の東京都管理職選考受験訴訟上告審判決では、次のように述べられています。

 「地方公務員のうち、—省略—公権力行使等地方公務員の職務の遂行は、住民の権利義 務や法的地位の内容を定め、あるいはこれらに事実上大きな影響を及ぼすなど、住民の生活に直接 間接に重大なかかわりを有するものである。それゆえ、国民主権の原理に基づき—省略—原則として日本の国籍を有する者が公権力行使等地方公務員に就任することが想定されているとみる—省略—外国人が公権力行使等地方公務員に就任することは、本来我が国の法体系の想定するところでない」

社会権

 以下に述べるように、これまでの議論に従えば外国籍の人に社会権は認められないという見解が強いといえます。生活保護についても、塩見訴訟(最高裁判決、1989年)では、日本国民を在留外国人よりも優先することは違憲ではないとされました。また、大分外国人生活保護訴訟(最高裁判決、2004年)では外国人を生活保護法の対象とはせず、「事実上の保護を行う行政措置」としてのみ認めました。要するに、恩恵的な保護措置として認められたということになります。その結果、生活保護を打ち切られた場合、日本国籍をもつ人には認められている不服申し立ての権利が、外国人には認められていません。打ち切られた場合には、困難な状況に追い込まれやすいということになります。

教育を受ける権利

 日本の公教育を受ける権利については、2003年に総務省行政評価局から「外国人児童生徒等の教育に関する行政評価・監視結果に基づく通知― 公立の義務教育諸学校への受入れ推進を中心として ―」という通達が出されています。その中には次のような行があります。

 「我が国は、昭和54年に経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(昭和54年条約第6号。以下「社会権規約」という。)を批准し、同規約第13条第1項及び第2項に基づき、我が国に在留する学齢相当の外国人子女の保護者が当該子女の公立の義務教育諸学校への入学を希望する場合には、日本人子女と同様に無償の教育が受けられる機会を保障することが義務付けられた。」

 この通達では、それぞれの外国人の母語などによる就学案内が必要だとされています。少なくとも通達が出された当時では、それが十分になされていませんでした。さらに、この通達によれば、「保護者が当該子女の公立の義務教育諸学校への入学を希望する場合」に限って公立義務教育諸学校への入学を認めるということになります。さきの就学案内を届けることが前提となりますが、保護者が日本の公立学校に就学を希望しなければ、保障の責任は発生しないということになります。
 その後、文部科学省は外国人の子どもの就学促進などについてくりかえし文書を出しています。たとえば、2020(令和2)年3月には外国人児童生徒等の教育の充実に関する有識者会議が「外国人児童生徒等の教育の充実について(報告)」を発表しています。そのなかでは、次のように述べられています。

 「さらに、外国人の子供たちが日本における生活の基礎を身に付け、その能力を伸ばし、未来を切り拓くことができるようにすることは、国際人権規約に基づく確固とした権利であり、『誰一人取り残さない』という発想に立ち、社会全体としてその環境を提供できるようにしなければならない。」(同報告4頁)

 同報告とも連動して2020年6月28日に施行された「日本語教育の推進に関する法律」をふまえて、文部科学省は同年7月1日に「外国人の子供の就学促進及び就学状況の把握等に関する指針の策定について(通知)」を出して、都道府県や政令市に対していっそうの取り組みを求めています。
 このように見てくると、外国人児童生徒の教育権は次第に明確に認められるようになりつつあるともいえますが、一方で現在の教育基本法がその第1条で「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」と定めて、「国民の育成」に目標を置いていることを明確にしています。すでに数多くの外国人が日本で暮らすようになっており、その子どもたちが学齢を迎えています。その中には、親と同じ国籍をもち続けようとする子どもたちもたくさんいます。その人たちが安心して日本の公教育を受けられるようになるためには、教育基本法の教育目標観は、今後の日本の教育をめぐる議論のなかで整理されていく可能性がありそうです。

請願権

 日本国憲法第16条に「何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、 平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない」と定められています。「何人も」とされているので、これについては日本国籍の有無にかかわらず認められるとされています。

 以上は、外国籍を持つ人たちの権利を考えるうえで、ポイントとなることがらの一部を取り上げたものです。これらについては議論が繰り返されていますし、様々な意見があります。国籍によってこのように処遇が異なるということについては、それらを不公正な差別と捉えるのかどうか、これからも整理するべきでしょう。現状がどうなっているかについて理解したうえで、どういう方向が日本にとって望ましいのか、個々人としても考えていく必要があります。
 大事なことの一つは、人権というのは現行法に定められていないことも含むのだということです。たとえば、LGBTQの権利は現行法ではあまり認められていませんが、人権に依拠して取り組みが進められています。同様に、日本国籍を持っていない人の権利についても、人権に依拠して進めることが可能です。人権とは、法律を越えるものでもあるのです。
 今回のテーマに関わって、わたしの体験を一つだけあげましょう。それはいまから10年ほど前のニュージーランドでのことです。前後は省きますが、わたしはオークランドで財布を落としました。クレジットカードなども入っていたので、警察に行きました。そのときに対応してくれたのは、日本国籍を持つ日本人でした。ニュージーランドでは、日本国籍を持った人が、そのままで警察官になれるということを、そのときに教えてもらいました。

【参考・引用文献】
・山中俊之氏(著述家/芸術文化観光専門職大学教授)「元外交官が語る、日本は「血統」を大事にする世界でも珍しい国」(ダイヤモンドオンライン 2022.2.19)
・ジャーナリスト・評論家 福沢恵子公式サイト「1984(昭和59)年 国籍法改正。「父系優先」から「父母両系主義」へ」(働く女性の50年史(16))
・尾脇秀和氏「氏名の誕生 江戸時代の名前はなぜ消えたのか」(ちくまWebためし読み 2021.4.13)
・佐藤雄氏「外国人の住民投票権、制定済みの自治体ではどんな議論があったのか? 武蔵野市で条例案審議」(ハフポストウェブサイト 2021.12.16)

外国人の人権と教育(その1) 「外国人」って誰?

①子どもの頃をふりかえって

 わたしが生まれ育った地域には、いろいろな人たちが住んでいました。大阪と神戸の間、阪神間の下町です。工場がたくさんあり、そこで働く人たちのなかには、さまざまな地方から阪神間にやってきた人たちがいました。
 たとえば、奄美大島から来た人たちが、近くの広場で毎週日曜日に運動会を開いていました。その運動会は、お互いを支え合い、相談に乗るコミュニティづくりの場だったのでしょう。わたしは、その運動会で流れる奄美大島の音楽を小さい頃から聴いて育ちました。それから40年以上たって初めて実際に奄美大島を訪れましたが、空港で流れていた曲は、わたしが幼い頃に毎週聴いていた曲で、懐かしく感じました。
 九州の炭鉱地域からやってきていた人たちもいました。1950年代終わりころから炭鉱が閉山に追い込まれ、炭鉱で働いていた人たちが九州を離れていきました。そのなかに、阪神間にやってきた人たちもいました。わたしの近隣では文化住宅に住むようになった人が多かったように思います。
 わたしの両親は、兵庫県の北部にある農村地域から阪神間にやってきました。第二次世界大戦が始まる前に結婚して移住し、阪神間に住むようになりました。わたしは両親のことを「国内移民労働者」だと思っています。さしずめわたしは「国内移民労働者二世」ですね。「移住」と「移民」の使い分けにはいろいろな意見があります 。ここでも「移住労働者」と言ってもよいかもしれませんが、問題を国内外でつなぎたくて「国内移民労働者」と称しています。兵庫県の北の方のことばは、阪神間のいわゆる大阪弁とは大きく異なります。幼かったわたしには、田舎からおじさんが来たときに両親と話しているやりとりはほとんど理解できませんでした。
 そういう近所のいろいろな人たちのなかに、朝鮮半島から来た人たちもいました。でも、上にあげた人たちに比べると、だれが朝鮮半島から来た人なのかはあまりわかりませんでした。ときおり「○○さんは朝鮮人だ」といったうわさがまわりから流れてくることはありました。高校生になった1970年ごろ、「わたしは在日だ」とはっきり主張する生徒たちが出てきました。同じクラブには、何人も在日の生徒がおり、本名(民族名) でなく通名(日本風の通称名)で過ごしている人が多かったものの、在日であることを隠しているわけではありませんでした。けれども全体としては、「誰が在日なのか」ということは、はっきりわからないままだったと言わなければならないと思います。いまを去ること数年前に、高校のころの同窓会が開かれましたが、そのときに初めて、「自分は在日だ」と言った人がいました。40年ぶりの出会い直しで、嬉しい再会でした。
 わたしが生まれたのは1955年です。第二次世界大戦が終わって10年たち、「もはや戦後ではない」と言われたころです。在日韓国・朝鮮人の一世が日本にやってきたのは、その10から20年ほど前、つまり1935年から1945年ぐらいが多い といえます。言い換えれば、わたしが同級生として出会った在日の人たちの親の多くは、同級生たちが生まれる10から20年ほど前に日本に来ていたことになります。同級生の親たちのほとんどは在日一世で、大阪弁は得意でなかったでしょうが、在日二世の同級生たちが話している日本語を聞いていて、違和感を抱くことはまったくありませんでした。その同級生たちは、大阪弁ネイティブだったということです。考えてみれば、わたし自身も、親は大阪弁ネイティブではありませんでしたが、わたし自身は大阪弁ネイティブでした。
 わたしの場合は以上の通りなのですが、こんな風にふりかえってみるだけでも、いまの日本の「外国人」をめぐる状況を考える手がかりが得られそうに思います。朝鮮半島などの旧植民地以外から来ている人たちも増えました。最近増えた外国にルーツをもつ人たちの場合も、すでに日本に来てから10から20年ほどたっているという人は少なくないと思います。わたしが子どもの頃に感じたような事柄をいま経験している子どもたちもいるように思えます。
 以上のように、わたしの体験をていねいめに書いたのは、読者の皆さんにも、「外国人」に関わる出会いや経験を思い起こしていただきたいからです。いろいろな人がいることと思います。思い出しても「外国人」はいなかったという人、「外国人」集住地域で育ったという人、自分自身が「外国人」だという人など、同じ校内の教職員の間で経験を交流するだけでも、いろいろなことが浮かび上がるのではないでしょうか。

②「外国人」と「日本人」

 さて、ここまでのところでは「外国人」とカギカッコをつけて記してきました。では、何をもって「外国人」と呼ぶのでしょうか。たとえば、上に出ているわたしの在日韓国・朝鮮人の同級生たちはどうだったでしょう。済州島を含む朝鮮半島にルーツをもっているということはほぼ間違いがないのかもしれません。けれども、日本国籍をもっていた(いる)人がどれだけいたかはわかりません。一方で、奄美大島から来ている人たちは、おそらく日本国籍をもっていたと思われますが、文化的に言えば阪神間とはかなり異なると思います。関西地方で暮らしていて、差別にあった人もいることと思います。
 ざっと考えてみて、わたしたちが誰かを「日本人」や「外国人」と見なすとき、それはどういう特徴にもとづくのでしょうか。一般的にいわれるところでは、次のようになると思われます。

  • 日本国籍をもっているかどうか
  • いわゆるルーツがどこにあるのか
  • 本人の外見や名前などの特徴が「日本的」か
  • 本人が自分を何人と考えているか

 さまざまな事例を通してこうした問題を考えることができます。いや、考えなければならなくなっています。たとえば、大坂なおみ選手が2018年の全米オープンで優勝したことをめぐる国内の反応 です。ある人がSNSで「大坂選手を日本人の誇りだとして賞賛する声がある一方で、外国にルーツをもつ人々が、ふだん差別を受けることがあるのに、都合のよいときだけ賞賛されるというのはいかがなものか」という声をあげました。それに対して、数多くのバッシングメッセージがその人宛に送られました。それに対するリプライもあり、とても参考になります。ふだんは繰り返し差別される一方、マジョリティにとって都合がよいときだけ賞賛される、というのは、他でもよくあることではないでしょうか。

③「人種差別」と「外国人差別」

 そのような点を考えるためにも、整理しておいた方がよいことがらがあります。それは「人種差別」と「外国人差別」の異同です。
 人類はもともと一つの種ですから、人類をさらに区分けした「人種」(race)は科学的な概念としてはありえません。人種というのは、生物学的な「種」(species)ではなく、社会的につくられた概念なのです。なお、ここでいう生物学的な意味での「種」とは、「自然条件下でAという個体とBという個体が繁殖でき、さらにその子供も繁殖可能であれば同種とみなす 」、つまり交配によって子どもが生まれ、その子どもが交配してさらに子どもができたとすれば同一の種だということです。生物学的な「種」という概念をめぐってはいろいろな議論がその後もありますが、とりあえずこれだけですませてもかまわないかと思います。
 ナチスによるユダヤ人迫害は、「ユダヤ人種に対する攻撃」として進められ、それがナチスの海外侵略へと結びつきました。ドイツなどでは19世紀にはユダヤ教信者とキリスト教信者の間での結婚も広がり、ユダヤ人差別というのはかなり緩んでいました。ところが19世紀末から20世紀初頭にヒューストン・スチュアート・チェンバレン などによって再構築されて「アーリア人種の優越性」主張と表裏の人種差別として広がっていったのです。人種差別と外国侵略は一体でした。そのため、第二次世界大戦後になると、ユネスコによって「人種」概念が再検討され、「人種」とは「社会的につくられた神話である」(1950年) とされました。そのような考え方を土台に人種差別撤廃条約が策定され、1965年に国連総会で採択されました。ナチス時代のヨーロッパにおけるユダヤ人は、皮膚の色でいえばいわゆる「白人」が多いのであり、「人種」と「皮膚の色」は別のものだということがわかります。
 「人種」(race)は存在しないが、人種差別(racial discrimination or racism)は存在する。これが人種差別撤廃条約の基本的立場だといえるでしょう。しかも、同条約が対象とする差別は、「人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先」(第1条)であると定めています。ここでも、「人種」と「皮膚の色」は別なものとして捉えられています。また、「世系」という概念が位置づけられていることも重要です。「世系」とは、血統や血筋に関わる問題という枠組みをさします。これにしたがえば、日本の部落差別も「世系」という枠組みでとらえることができ、人種差別撤廃条約の対象となります。国連は一貫してそのような立場に立っていま す。ところが日本政府は、「部落差別は人種差別ではない」という立場を取っており、人種差別撤廃条約に関わる議論に部落差別を含めないという姿勢を続けています。それに対して、国連は、再三にわたって変更を求めています。
 これに対して「外国人差別」には「人種差別」と異なる面があります。問題を狭く「国籍による差別」と捉えれば、日本国籍をもたないことによる不利益に限定されるでしょう。現在の日本でいえば、参政権がないなどです。この点でいえば、日本も批准している国際人権規約は「内外人平等」の原則、つまり住んでいる国の国籍をもっているかどうかにかかわらず、人権は同じように保障されてしかるべきだという原則に基づいていますから、法的に外国籍の人が差別されているとすれば、それは大きな問題です。
 ただ、「外国人差別」には、もっと広い意味があります。「外国人差別」と訳される英語のことばはxenophobia(ゼノフォビア)ですが、これは「外国籍をもつ人への差別」ではなく、「外国人や異民族と見られる人に対する差別」です。日本における外国人差別にもこのような面が色濃くあります。大坂なおみ選手への反応などにもこういう面が強くあるといえるでしょう。そうだとすれば、これは人種差別とほとんどイコールになります。
 このような捉え方に基づいて、次回は、主として「国籍による差別」を中心に見ていき、次々回で「人種差別」を中心に見ていくことにします。

2021年7月13日にイングランド北西部のマンチェスターで、イングランドのサッカー選手・マーカス・ラッシュフォードの壁画の前で人種差別に抗議する人たち。この前日の7月12日、サッカーのイングランドチームが、 UEFAユーロ2020決勝で敗れ、壁画が破壊された。

【参考・引用文献】
・Shigeru Kojima氏「移民と移住者」(2017.8.8 Discover Nikkei)
・「在日コリアン」(ふらっと相談室 ウェブサイト人権情報ネットワーク)
・「在日韓国人・朝鮮人人数の長期推移」(ウェブサイト社会実情データ図録)
・Motoko Rich氏「大坂なおみ優勝で「日本人」の定義は変わるか 同質性へのこだわりもいずれなくなる?」(The New York Times 東洋経済オンライン)
・「種の概念」(京都大学フィールド科学教育研究センター瀬戸臨海実験所ウェブサイト)
・高橋健司氏「世界史教育における「人種」概念の再考ー構築主義の視点からー」(2005.3.5)
・「暴露された人種差別の誤謬:ユネスコが世界の科学者による宣言を発表」(1950年 ユネスコデジタルライブラリ)
・「人種差別撤廃委員会 日本の第10回・第11回定期報告に関する総括所見」(2018.8.30)

障害者の人権と教育(その3) 「個人モデル」と「社会モデル」を考える

①障害者問題に関わる「個人モデル」と「社会モデル」

 障害者の権利条約で提起されている重要な捉え方の一つが「個人モデル」と「社会モデル」です。大学の授業などでこの二つの違いを説明すると、ときとして「理解しにくい」という声が出てきます。そこで、どう説明すればわかりやすいだろうかと考えてきました。
 「障害の個人モデル」とは、「障害は個人にあるのであって、その個人側のくふうや努力、治療などによって解決するべきものである」という考え方のことです。それに対して「障害の社会モデル」とは、「障害は社会の側にあるのであって、社会の側のくふうや努力、改革などによって解決するべきものである」ということになります。
 多くの場合、わたしたちが暗黙のうちにイメージしているのが「個人モデル」で、結果として、わたしたちは障害者に対して「あの人には障害がある」と「上から目線」で見てしまいやすいのではないでしょうか。問題の根っこはこれです。わたしは、障害の「個人モデル」と「社会モデル」を説明するときに、次のような例を出すことがあります。

②駅のホームまで上がる思考実験

 Aの図を見てください。車椅子を使っている人が駅の改札を入り、階段の下にいたとします。周りにエレベーターなどはありません。このような場面を見ると、わたしたちは「ああ、この人は車いすユーザーだからホームに上がれないんだ」と思う場合が多いのではないでしょうか。この場合、わたしたちは「この人には障害があるから……」と思ってしまいやすいのではないかということです。
 では、次のBの図のような場合はどうでしょう。
 ある駅では、改札口とホームの間に階段がなく、5メートルほどの絶壁だったとします。こういう場面に出くわしたら、わたしたちは多くの場合、「なんという駅だ」と、駅の方に問題があると思うのではないでしょうか。ここでは、「わたし」の側に問題や障害があるとは、ほとんどの場合、思いません。
 けれども、もしもわたしたちのほとんどには翼があって、必要ならばパタパタとホームまで軽々と飛べるとしたら、この絶壁はその人たちにとって問題ではないことでしょう。その場合、問題は、二足歩行しかできず、羽ばたいて飛べない「わたし」の方にあることになります。これがC図です。
 これは思考実験でしかありませんが、このことからわかるのは、階段というのは、二足歩行する人への配慮から生まれたものだということです。階段付きの駅では、二足歩行の人には配慮があるのに、車いすユーザーには配慮がないということになります。
 石川准(静岡県立大学国際関係学部教授)さんのように、こういう状況を「配慮の不平等」 と呼ぶ人がいます。「配慮の不平等」とは、こんなふうに、いわゆる健常者にはたくさんの配慮がある一方で、障害者にはほとんど配慮のない状態をさしています。階段の他にエレベーターがあれば、二足歩行する人には物理的に言って選択肢が二つということになります。それに対して車いすユーザーには選択肢が物理的には一つしかないことになります。

③「個人モデル」と「社会モデル」

 Aのような状態で「車いすユーザーに障害がある」と考えるのが「障害の個人モデル」の発想です。Bのような状態で「駅が絶壁構造になっているのが問題だ」と考えるのが「障害の社会モデル」の発想だということになります。
 要するに、現在の「個人モデル」に立った社会は「健常者」中心にできていて、配慮が不平等になっている。「社会モデル」に変えていってすべての人が利用できるようにすることによって、ようやく社会が公平な場になるという考え方です。
 このモデルが前提としているのは、すべての人には、電車などを利用して自由に移動する権利があるということです。それにもかかわらず対応していないというのは、社会の側に問題(障害)があるということです。「障害の社会モデル」や「配慮の不平等」という概念を参考にすると、「移動の自由」という人権を前提とすれば、二足歩行する人たちに対しては階段という配慮があるのに、車いすユーザーにはその配慮がないということがハッキリしやすく、これが二足歩行する人間にとって特権となっているということが、わかりやすいのではないかと思います。

④女性差別と重ね合わせて

 安心して電車に乗れるということで言えば、女性専用車両が話題になることがあります。女性のなかに痴漢被害に遭うなどして電車に乗るのが不安だという人がいます。電車に乗って安心して移動することがわたしたちみんなの権利としてあるなら、痴漢の根絶は社会的課題と言えるはずです。わたしたちの社会は、痴漢根絶に向けて動いています。その途上に出てきているのが、女性専用車両です。これは、痴漢根絶という問題意識で言えば、根絶にはほど遠く、ほんの入り口にでしかない施策です。痴漢する人がいることによって、冤罪をかけられるのではないかと、男性も安心して電車に乗れなくなっています。痴漢と誤解されないようにあれこれと配慮しながら乗っているのです。今求められているのは、女性専用車両の是非を問うよりも、痴漢根絶には何が必要かを考えることではないでしょうか。わたしたちに共通の敵は、痴漢をする人であり、それを助長している社会です。女性対男性という枠組みで考えると問題がずれ、課題解決から遠ざかるように思えます。
 女性差別との関連をさらに広げて考えてみましょう。妊娠や出産をどう捉えるかという問題です。
 たとえばある企業では、「女性は妊娠・出産すると能率が下がるから退職してもらおう」というルールを明文化していたとします(現在の社会で、このようなルールを明文化している企業はごく限られていると思います。現在では、「明らかに差別」とみなされるからです)。このような会社では、生理もなく、妊娠も出産もしない男性だけを社員と想定してルールを作っていることになります。他にも、「家事や育児は女性の仕事で男性はする必要がない」といった考え方の問題もあります。
 もしも、「毎日20時間を労働時間とする」というルールの企業があったとしましょう。余暇や休息の時間はありません。睡眠時間は1日あたり2時間程度にならざるを得ません(このような企業は限られているでしょう。労働基準法に明らかに反するからです)。そのような会社があったとしたら、仮に労働基準法を知らなかったとしても、男性社員も怒るでしょう。そんな労働条件で働ける人はほぼいないからです。けれども、もしもわたしたちのほとんどが1日2時間睡眠で疲労がとれ、全く問題がなかったなら、この労働条件は問題にならないかもしれません。
 さきの「個人モデル」と「社会モデル」でいえば、女性を排除するような労働条件を当然視しているような企業は、いわば出産について「個人モデル」で制度が作られていることになります。そのような企業にとって、出産は個人の事情であり、出産する女性の側に問題があるのです。それに対して、生理があり、妊娠・出産しても何ら不利になることがないようなルールを持っている企業があるとすれば、それは出産について「社会モデル」に即してつくられている企業だということになります。そのような企業は、「出産というのは、わたしたちの社会が存続する上で不可欠である。だから、妊娠や出産は本人たちが安心して決められるようにする必要がある。しかも男女を問わず働く権利がある」という考え方に立って経営されていることになります。
 女性が出産しなくなったら、社会は存続しなくなりますから、この想定はさほど極端ではありません。日本では女性が生涯にわたって出産する子どもの数(合計特殊出生率)が2019年に1.36人となっています。これは、もしもこの数字が続いたら、500年後には日本には、和人系日本人が100万人しかいなくなるぐらいの数字なのだそうです。その後、合計特殊出生率は2019年よりも下がって、1.30ぐらいになっていますから、この減り方はもっと大きいことになります。「これは女性のストライキだ」とみることもできるかもしれません。

⑤「医療モデル」「福祉モデル」「人権モデル」

 このように見てくると、「社会モデル」の考え方は障害者以外にも当てはめることが可能であり、その前提には人権という考え方があると改めてわかります。ここで取り上げた例で言えば、移動の自由、就労の権利、出産や育児の権利(性と生殖の権利)などです。そこで、「社会モデル」を「人権モデル」と呼ぶ方が的確ではないのかという意見 が出てきます。
 また、さきに上げた駅の階段などについては、直接的には身の回りの事柄だけを指しており、これは社会全体を変えようというよりも、すぐ身の回りにある環境だけを変えればよいという発想にもつながりかねません。人と人との関係で言えば、周りの人が障害のある人に配慮して行動できるようになればよいという発想に止まりかねないということです。「社会モデル」というのは、もともと社会全体を人権という考え方に立って作り替えようとするものだったはずです。そうだとすれば、身の回りにある施設・設備や、周りにいる人という資源だけに依存する考え方とは一線を画すと言ってよいでしょう。そこで、周りの人との人間関係も含めて、身の回りをおもに問題にする考え方のことを「福祉モデル」と呼ぶことがあります。
 「個人モデル」については、もともと提案されたときから「医療モデル」という言い方と並べられていました。
 実は、この「医療モデル」「福祉モデル」「人権モデル」という言い方に、わたしは障害者問題以外の場面で出合ってきました。それは、「子どもの商業的性的搾取 」という文脈です。1990年代、「フィリピンやタイなどの国に日本などいわゆる先進国の男性が出向き、現地で子どもの性を買っている。これを根絶させよう」という運動が始まりました。その取り組みの一環として、わたしはフィリピンに向かい、現地でフィールドワークをしたのですが、そのなかでフィリピン大学の取り組みに出合いました。ここでは、そのフィリピン大学の取り組みの中から、ここに関連するところだけを取り上げます。
 子どもへの性的虐待や性的搾取の被害から回復をめざす取り組みでは、「医療モデル」から活動が始まりました。心や体の傷をケアするという取り組みです。それに対して、回復にはまわりの資源を活用することが大切だという立場が表れました。これが「福祉モデル」です。この二つは、被害に遭った子どもたちに着目し、その子どもたちを何とか支援しようとする考え方でした。それに対して、フィリピン大学の人たちは、さらに一歩進めて、子どもたちの権利保障を前提として社会全体を変えようとする立場に立とうとしていました。彼らはこれを「人権モデル」と呼んでいました。
 わたしには、子ども虐待という問題に関わるこの進展と、障害者問題に関わる進展とが重なり合って感じられます。そして、この枠組みは、他の様々な問題に広がっていくといえます。

【参考・引用文献】
・星加良司(東京大学大学院教育学研究科付属バリアフリー教育開発研究センター准教授)「障害者における『移動の平等』」(logmi Biz)
・大阪府ウェブサイト
・森実「CSEC(シーセック)を知っていますか」(ヒューライツ大阪ウェブサイト『国際人権ひろば』 No.41 2002年1月発行号)

障害者の人権と教育(その2)

1.みんないっしょに学校に行くんや

 前回、わたしが障害者の介護に入るようになったという話を紹介しました。ちょうどその頃、1970年代から1980年代にかけて、大阪などでは、障害のある子どもも地域の学校に行って、他の子どもたちといっしょに教室で学ぶという取り組みが広がっていました。
 わたしは、1年間にわたって大阪府内にある小学校に入れてもらっていた時期があります。おもに1年生のクラスにお世話になりながら、他の学年や、隣にある中学校にもお邪魔しました。おもにお世話になった1年生のクラスに、自閉症の子どもBさんがいました。いろいろなことが印象に残っています。
 あるときのこと、席替えがありました。Bさんの隣になったのはCさんでした。CさんがBさんの隣になったのは初めてです。席替えのあったそのすぐ後の授業中でした。CさんはBさんの手首と肘の間あたりをぎゅっとつねりました。これだけ書くと、「Cさんが障害のある子に暴力を振るった」という印象になるかもしれません。でも、ちがいます。
 Cさんは、そのとき、Bさんの顔を見ながらはじめはゆっくり、次第に少し強くつねったのです。Bさんは、<いたい!いたい!>とばかりの表情で、つねられた腕を振るいCさんの手を払いのけようとしました。Bさんの反応を見たCさんは、安心したような表情で授業に戻っていきました。つねられると自分と同じようにBさんも痛いんだとわかって、Cさんは安心したように見えました。
 また梅雨になったころのある日のこと。「おわりの会」で先生がPTA新聞『青葉』を配っていました。Bさんの席にも『青葉』が配られました。すると、Bさんは『青葉』の本文を、声を出して読み始めました。それを見た先生は「Bさん、前においで」といってBさんを教壇に立たせ、「いまからBさんが『青葉』を読みます」と紹介しました。Bさんは「あ・お・ば」とタイトルから読み始め、するすると本文を読んでいきました。Bさんは、小学校1年生だというのに、中学年から高学年の漢字が読めるのです。これにはみんなもびっくり。声があちこちから上がりました。その数日後、さきのCさんの親御さんからメッセージが届きました。Cさんは、家に帰って「Bちゃん、えらいねんで。『青葉』ぜんぶ読めるねん」と報告したそうです。
 Cさんと別なDさんがBさんの隣になったこともあります。Dさんは、どうしていいのか、途方に暮れたような表情で隣にいました。休み時間になっても、Bさんにどうしていいのかと困った表情をしていました。Dさんは勉強のよくできる子どもです。でも、いきなりの関わり方がわからず、とまどっていたようです。日が経つにつれて、Dさんも関わり方を心得たようになっていきました。
 またある日のこと、教室からみんなが手をつないで2列になり、体育館に移動することがありました。教室の前の廊下ではきれいに2列になっていたのですが、体育館の前に着くころには、列はぐちゃぐちゃ。子どもたちはそれぞれに声を出しておしゃべりしています。Bさんはというと、列を離れて一人いました。誰かが「Bちゃんがあんなところにおる」といいました。先生は「なんでやと思う?」と尋ねました。「みんながおしゃべりしてるから」と誰かが答えます。先生は「そうか、ほんならみんなしずかに並んでみよか」と言いました。ちょっとざわざわしていた子どもたちは、おしゃべりをやめて2列に戻ります。そうすると、Bさんは列に戻っていきました。
 運動会でのことです。1年生はマスゲームで体操を披露しました。運動会終了後に、Bさんのお母さんが担任の先生に話しに来られました。「うちの子どもがどこにいるのかわからなくて、うれしかったです。」そんな風に涙を浮かべながら言われたそうです。保育所時代には、Bさんはみんなの中に入っていけず、一人離れて行動していたので、いつも目立っていました。それが小学校に入ってからはクラスになじんで目立たなくなったというのです。

2.子どもたちの進路

 小学校1年生はこんな様子でも、高学年になり、中学校になったら競争に巻き込まれてそんな風ではありえないのではないか。そう感じている人もいるかもしれません。その小学校には、ダウン症のEさんや自閉症のFさんなどの先輩がいます。さきのBさんが小学校1年生のときには、すでにEさんが中学校2年生、Fさんは高校1年生になっていました。
 先輩たちが小学校から中学校に上がるとき、子どもたちは署名を集めました。「Eさんは、小学校では私たちと一緒にクラスで勉強していました。だから、中学校になっても、一緒のクラスで学べるようにしてください」という署名です。中学校から高校に上がるときにも、「Fさんは、自分たちと一緒に暮らしてきました。だから高校でも、一緒に暮らして学べるようにしてください」という署名を集め、地元の高校の校長先生にもっていきました。
 結果として、EさんやFさんといった障害のある子どもたちがその高校に入れたわけではありませんでした。けれども、養護学校の高等部に通いながら、地元の高校生たちと交流する活動が活発に展開されていきました。もちろん在籍する養護学校に対しても、地元の高校との連携・協力を呼びかけました。これは、養護学校そのものの在り方を問いかける取り組みだったのです。
 まわりの子どもたちにとっても、この取り組みは意味をもっていました。小学校時代からEさんのそばにいて、一番関わりの深かった一人、Gさんがいます。Gさんは学力面で厳しく、高校進学をほとんどあきらめていました。Eさんが高校に入れるようにと運動が広がるなかで、自分の進路を改めて考えるようになりました。「Eが行くための運動をしてるのに、おまえが行かんでどうするねん。一番の友だちやないか」とまわりからも言われました。まわりの子どもたちの勉強面での支援もあり、Gさんは地元の高校に入り、卒業していきました。

3.障害者の権利条約

 それから30年近くたって障害者の権利条約ができました。「Nothing about us, without us! わたしたち抜きに、わたしたちに関わることを一つたりとも決めるな!」というスローガンのもとに生まれた条約です。そこには、「青い芝の会」の行動綱領にあった精神がそのまま集約されていました。
 障害者の権利条約はまた、その第2条で次のように定めています。

「障害に基づく差別」とは、障害に基づくあらゆる区別、排除又は制限であって、政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他のあらゆる分野において、他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を認識し、享有し、又は行使することを害し、又は妨げる目的又は効果を有するものをいう。障害に基づく差別には、あらゆる形態の差別(合理的配慮の否定を含む。)を含む。

(障害者の権利条約第2条、抜粋)

 さきの学校での実践に基づいて述べれば、小学校での実践はこれを体現しているといえます。子どもたちは障害の有無に関係なく、同じ教室で排除や制限もなく一緒に学んでいました。目的という点でも効果という点でも、人権や基本的自由を阻害することはありませんでした。さまざまな合理的配慮が、配慮とも自覚されないほど自然に実践されていました。中学校でも、基本的には同じ考え方や方法で取り組まれました。
 問題は高校です。日本の高校では、学力などによって子どもたちが区別され、排除され、制限され、基本的人権の享受を妨げます。障害のある子どもは、高校へ進学したいなら基本的に特別支援学校入学を勧められます。高校入学にあたって合理的配慮の入り込む余地がほとんどありません。もちろん、障害の「種類」や「程度」によっては対応されることもあります。しかし、先に挙げた自閉症の子どもなどはほとんど、住んでいるところに近い高校に進学できません。
 少なくとも、わたしが学校に入れてもらっていた1980年代はこの通りでした。今は何がどれほど変わっているでしょうか。

 「障害者の権利条約」を批准した日本では、「障害者差別解消推進法」を制定し、同法が2016年3月に施行されました。その法にも関連して、現在の日本では、どのような状況になっているのでしょう。

アメリカ・ニューヨークの国連本部で、障害者の権利条約に調印する高村正彦外相(中央、2007年当時)

障害者の人権と教育

①障害者の介護に入って

 わたしが大学生だった1970年代、「青い芝の会」との関連で自立生活運動を始める脳性マヒ(CP)者が次々と出てきていました。大学に入学して間もないころ、自立生活を営んでいる脳性マヒ者の講演を初めて聴く機会がありました。実は、話を聴くといっても、わたしは体を硬くして、耳を澄ませ、一生懸命聞こうとするのですが、お話の内容はまったく聞き取れませんでした。そのときに驚いたのは、介護に入っている人が、通訳のようにしてその人が話している内容を逐一よどみなくわたしたちに話したことでした。わたしの驚きは、そのときの脳性マヒ者の話の内容そのものと同じ程度に、「通訳」をしている介護者の姿にあり、「すごいなあ」と思いました。障害者との接点のない人間の、ゆがんだ感想でした。
 その後、わたしは自立障害者Aさんの介護に入るようになりました。Aさんは穏やかな人で、「あるがまま、なすがまま」というのを座右の銘にしている人でした。
 最近の介護には、たいてい謝金があり、アルバイトの一種としても成り立つようになっている場合がありますが、わたしたちの学生だったころは、謝金はまったくなかったと思います。もっとも、その人が住んでいたのは大学の最寄り駅の近所だったので、交通費はまったく不要でした。また、介護中の食事は無料でいただけたので、実質的には謝金があったともいえます。
 大学を卒業して一時期は介護に入らなくなっていました。社会人となって数年後には再び入るようになりました。いったん離れたわたしには、「障害者の介護に入ることが自分にとってどんな意味があるのか、それが整理できていない状態で入るのは偽善になるのではないか」という気持ちがありました。再び入るようになった一番のポイントは、再び入るかどうかためらっているわたしに対して、「自分自身にとってどんな意味があるのかなどと考えるよりも、その人が必要としているのなら入ればいいのではないか」というアドバイスをくれた人がいたことです。
 結局わたしは改めて入るようになり、その後は1か月に1回程度でしたが、50歳代になるまで介護に入っていました。介護をやめたのは、Aさんの体調が悪くなり、亡くなったときです。
 この経験は、いろいろなことを考える手がかりを得る機会となりました。そもそも、Aさんの所属している「青い芝の会」という団体について知ることとなりました。

②「青い芝の会」行動綱領

 「青い芝の会」というのは、1957年に結成された脳性マヒ(CP)者の団体です。「青い芝の会」が展開した初期の運動 について詳しいことはよく知りません。印象深かったのは、1970年につくられたという、この会の「行動綱領」でした。

一、われらは自らがCP者であることを自覚する
われらは、現代社会にあって「本来あってはならない存在」とされつつある自ら位置を認識し、そこに一切の運動の原点をおかなければならないと信じ、且、行動する。

一、われらは強烈な自己主張を行なう
われらがCP者であることを自覚したとき、そこに起るのは自らを守ろうとする意志である。
われらは、強烈な自己主張こそがそれを成しうる唯一の路であると信じ、且、行動する。

一、われらは愛と正義を否定する
われらは愛と正義の持つエゴイズムを鋭く告発し、それを否定する事によって生じる人間凝視に伴う相互理解こそ真の福祉であると信じ、且、行動する。

一、われらは問題解決の路を選ばない
われらは、安易に問題の解決を図ろうとすることがいかに危険な妥協への出発であるか、身をもって知ってきた。
われらは、次々と問題提起を行なうことのみ我等の行ないうる運動であると信じ、且、行動する。

一、われらは健全者文明を否定する
われらは健全者の作り出してきた現代文明が、われら脳性マヒ者を弾き出すことによってのみ成り立ってきたことを認識し、運動及び生活の中からわれら独自の文化を創り出すことが現代文明への告発に通じることを信じ、且つ行動する。

(荒井裕樹『障害者差別を問いなおす』ちくま新書、2020年、54-56ページより作成)

 Aさんは、「青い芝の会」の役員をしていたことがある人です。当然この行動綱領を大切にされていました。自分の生活は自分で決める。介護者は、Aさんの言葉を受けとめて介護にあたる。しかし一方で、たとえば「意思決定をするのは障害者であり健全者は障害者の手足であるべきだ」という、いわゆる「手足論」からは少し距離を置いていたとも思います。「手足論」をそのまま実践すれば、健全者が考えなくなるからだというのです。介護者たちとAさんは、「ぼけつっこみ」よろしく、ふざけあいながら過ごす時間もありました。
 この行動綱領に関連して思い出すのは、あるときの介護調整会議での場面です。その頃、介護者たちに緩みが出ており、ルーズさが目立つようになっていたようです。その介護調整会議の場で、Aさんは険しい形相で、声を荒げて話しはじめました。Aさんには言語障害があり、長く介護に入っているメンバーにも、話している言葉がすぐにわからないことがありました。この日はそうでした。Aさんは表情を硬くし、絞り出すようにして、くりかえし声に出して主張していました。Aさんの言葉がわかるまで、わたしたちは1時間ほどその場にいてくりかえし聞き返していたかと思います。
 「介護に来るのが嫌なら、もう来るな。ボクは一人でもここにいる。」1時間かけて、わたしたち介護者たちが聞き届けたのは、これでした。「誰も介護に来なくても、一人でここで暮らしていく」ということです。これは、つまるところ実質的には「死んでもこの自立生活を続ける」「死を覚悟して自分は自立生活をしているのだ」という意味になります。いま考えても、この言葉は、「青い芝の会」の行動綱領を突きつけるものだったと思います。
 「青い芝の会」などの自立生活運動に関わってきた人たちは、多かれ少なかれ、このように、「青い芝の会」の行動綱領を考える機会があったのではないかと思います。

川崎バス闘争(1977年) 神奈川県川崎市では、車いす使用者のバス乗車拒否が続き、青い芝の会員たちが、バスを占拠して抗議活動を行った。

③障害者差別をめぐる現代的動向

 いろいろと書きたかったのですが、今回は、上の個人的体験をつづるに止まってしまいました。近年の「障害者の権利条約」や「障害者差別解消推進法」などをめぐる議論に触れるにつけ、わたしにはこの介護経験が思い出されます。「青い芝の会」の行動綱領や運動は、現在の動きの先取りであったと強く感じるのです。
 次回は、障害者差別をめぐる近年の動向に進みたいと思います。

【参考・引用文献】
・鈴木雅子氏(障害者運動史研究者、静岡県近代史研究会)「『青い芝の会』初期の運動と人々」(「ノーマライゼーション 障害者の福祉」2012.8月号)
・荒井裕樹氏『障害者差別を問いなおす』(2020年 ちくま新書)
・写真/朝日新聞社

識字運動

 前回まで部落問題と女性差別について考えてきました。近年、差別の交差性 というテーマがよく取り上げられます。複数の差別の重なり合いにより、新たな問題や新たな取り組みが発生するということです。日本における識字運動は、被差別部落の女性たちが担ってきたといえます。識字運動は、差別の交差性を考える手がかりの一つといえるでしょう。そこで、今回は識字運動についてふり返ってみます。
 日本では、被差別部落の女性たちにより、1960年代から大人が文字の読み書きを学習する運動が広がっていきました。被差別部落に生まれ育ち、経済的に貧しかったなどの理由で学校に行けなかった人たちがいます。その多くは女性です。「女に学問はいらん」と言われ、学校に行くよりも下の子の面倒をみるよう強いられたのです。学校に行けなかった子どもたちは、部落外にもいました。重要なのは、被差別部落にはそういう状況を跳ね返す運動があったということです。この運動は、現在まで続いています。今回は、女性差別と部落差別の接点ということで、被差別部落の識字運動を見ていくことにしましょう。これは、教育全体を捉え直すことにも通じます。

①福岡から始まり、全国へ

 日本には、大人が文字の読み書きを学ぶ活動が第二次世界大戦前からありましたが、大戦後になって広く見られるようになりました。それは、1960年代からです。始まりは、福岡県の筑豊でした。家庭訪問に行った教員が、母親のなかに文字の読み書きができない人のいることに気づきました。そこから識字教室が始まりました。地域の母親たちが学習者となり、学校の教員が講師となりました。
 この時期に生まれた作品やエピソードはたくさんあります。月刊『部落解放』(2022年2月号 817号)は「識字運動の原点から未来をひらく」という特集 を組んでおり、この時期の作品も紹介しています。
 「あいうえお」から学んだ人たちが自分の生いたちを紡いだ作品には、何よりも訴える力がありました。多くの人は、「いえがびんぼで」学校へ行けなかった、下の子「みんなのめんどをみて」と書いています。「えただひにんだと おおぜいのこどもたちから いしをなげつけられ ないてかえりました」と綴っています。そこから見えてくる部落差別と女性差別、部落差別と在日韓国・朝鮮人差別、差別と貧困などの接点には、現在に通じる問題が含まれています。
 福岡県での取り組みは、全国女性集会などを通して全国へと広がっていきました。ときあたかも、同和対策審議会答申が出された1965年頃のことです。その4年後には同和対策事業特別措置法が制定されました。地域からの要望を受け、同和対策事業の一環として識字教室が始まりました。
 広がった地域の一つが大阪です。大阪では、福岡での運動に学んで1970年頃からほとんどの被差別部落に識字教室が始まりました。
 「福岡で始まった蛍の火を大阪に持ってきて電気を起こしましたんや」
 ネット上にもさまざまな識字運動についての紹介 があります。

②世界の識字運動と連動して-「国際識字年」(1990)と「国連識字の10年」(2003-2012)

 大阪の識字運動が盛り上がっていた1980年代後半、ニュースが入ってきました。「国連が1990年を国際識字年 と定めた」というのです。ここから、世界の識字運動と日本の識字運動との連携が広がっていきました。
 1989年には、ブラジルのパウロ・フレイレ(1921~1997) が日本にやってきました。パウロ・フレイレは、ブラジルで民衆の暮らしに入りこみ、生活を捉えなおして立ち上がっていくような識字活動を展開した人です。1970年代から1980年代の世界の識字運動では、最も大きな影響を及ぼした人といって良いでしょう。日本では知る人が少ないのですが、国際的にはよく知られた教育学者です。大阪で、ある被差別部落の識字教室 を訪問し、学習者が自分の生活や生いたちを綴った文章を読む のを聞きながら、彼は「ビューティフルデイ」と繰り返していました。被差別部落の識字教室 は、世界の識字につながる質を持っていたということです。
 国際識字年をきっかけに、国内ではさまざまな識字運動がつながっていきました。大阪などでは、国際識字年推進大阪連絡会 が結成され、被差別部落の識字運動と、在日韓国・朝鮮人の人たちが中心に学んでいた夜間中学などとの連携が進みました。
 もうひとつ、国際識字年をきっかけに始まったのが、日本の識字運動と韓国の識字運動の交流です。これは途切れ途切れでしたが、次の項目にある「日韓識字学習者共同宣言」へとつながっていきました。

大阪市内の識字学級を訪れるパウロ・フレイレ(1989年)

③21世紀を迎えて-日韓識字学習者共同宣言(2019)

 お隣の国韓国と日本との間で識字に関わる交流は1990年の国際識字年のころからいくつかの流れで重ねられてきました。直近でいえば、2019年に「日韓識字学習者共同宣言」 が出されています。そこに至るには、2017年からの交流の積み重ね がありました。日韓それぞれの識字運動の歴史や現状、課題についてまとめた冊子『子どものころに学べなかったからこそ-韓国と日本の識字・基礎教育』 (2021年)も発刊されています。
 韓国でも、識字学習者の多くは女性です。なぜそのような状況になっているのかは、「日韓識字学習者共同宣言」を読めばわかります。一部だけですが、引用して紹介しましょう。

 わたしたちは、いろいろな事情で子どものころに学ぶことができませんでした。小さなころに、親がいなくなりました。それで、幼い妹や弟の面倒をみなければならなくなりました。小さな子どもを連れて学校には行けません。小さい頃から、しごとをして、買い物をして、食事をつくって、家をきりもりすることがわたしたちの毎日でした。「女に学問はいらない」と言われました。学校に通う友だちがうらやましくてなりませんでした。その日その日のお金に頼るしかありませんでした。履歴書に「卒業」と書けません。しごとをする自信は人一倍あっても、読み書きできないために身体を使うしごとばかりでした。それでも昔はまだ、読み書きできなくても暮らせました。いまでは読み書き抜きにしごともありません。職場で文字と出合うときが、その仕事からわたしたちが別れるときでした。つらさを考える時間さえありませんでした。

 読み書きを学ぶようになって、人生は大きく変わりました。わたしにとって止まっていた時間が動き始めました。人生が始まりました。安心して何でも話せる友だちができました。自分のことを大切にしてもらっていると思えます。紙の上の黒いシミが文字でした。同居している息子の妻が冷蔵庫に貼ってくれていたメッセージがありました。友だちに読んでもらって「お母さんありがとう」だとわかりました。4年たって返事が書けました。心の傷がゆっくりと癒えてきました。わからない文字に出合っても教室でたずねることができます。怖かった文字が、怖くなくなってきました。仕事場には、ノートを置いて書くようになりました。いつも下を向いて歩いていて「お金が落ちているのを探しているのかい」と言われていたわたしが、正面を向いてにこにこと笑顔で歩くようになりました。新しいことに挑戦する気持ちがわいてきます。文章を読むことで、世の中のことがわかるようになりました。生い立ちを文章に綴ることで、どうしてわたしの人生がこうだったのか、わかるようになりました。傷が癒えて、前よりもずっと強くなりました。

 わたしたちにとって、識字とは、読み書きを学ぶだけではありません。文字を通して人生を学ぶことです。生活する力は母親がつけてくれましたが、生きる力は識字で身につけました。識字のおかげで世の中がハッキリと見えてきました。だから、識字はわたしにとってめがねのようなものです。識字とは、文字を学び、自分を表現する場です。人生の喜びであり、生きがいであり、幸せです。心の居場所です。識字は、小さな夢をどんどん大きくしてくれます。人生のとびらを開いてくれるものです。学ぶようになって、あきらめないようになりました。わたしたちにとって学ぶことは生きることです。みんなで支えあい学びあうことで、平和で暮らしやすい社会が築けます。

いまだからこう言えます。
子どものころに読み書きを学べなかったからこそ、いまの幸せがある。

④直面しているチャレンジ

 2010年から11年にかけて、全国の被差別部落の識字教室実態調査が行われました。2010年の調査は質問紙によるものです。2011年は、質問紙調査をふまえて教室を訪問し、インタビューした調査 です。
 現在の識字運動は、さまざまな課題に直面しています。一つは、海外から来た人たちの学習の場としていかに役割を果たすかということです。出入国在留管理庁の統計 によると、1990年頃から諸外国より多くの人たちが日本に訪れるようになりました。戦後70万人弱だった外国人数は、1990年頃に100万人を超えます。その後、2000年頃には総人口の1%を超えるようになりました。2019年には293万人、新型コロナの影響もあって2020年には減少していますが、それでも289万人となっています。この人たちの日本語学習の場として識字教室が役だっている面があります。識字教室は先に述べたような性格をもってきたので、識字教室における日本語学習は、単に日本語を学ぶだけに止まりません。自分たちの生活を捉え直し、背景にある社会的問題を整理し、問題解決のために何をどうすれば良いのか、学習者と支援者が一緒に学ぶような場所です。しかし、そのような役割を十分に果たせているかどうかでいえば、今後に期待されるところが大きいのが実情です。
 二つには、不登校や高校中退の経験者が学ぶ場としていかに役割を果たすかということです。文部科学省の統計 によると、不登校児童生徒数は2013年頃まで12万人台でしたが、それ以後増えていき、2020年には約19万6千人となっています。比率で見ても、2015年までは1.2%台でしたが、それ以後急増し、2020年には2.0%を超えています。特に中学校では、2020年には4.0%を超えており、1クラスに1人以上という数字になっています。不登校児童生徒にはさまざまな人たちが含まれていますから、そのすべてが十分な読み書き能力や学力を持っていないわけではないでしょう。しかし、そのなかには、読み書き能力や学力に問題を抱える人たちが少なからずいると推測されます。ちなみに2020年の中学校での不登校生徒は、約13万3千人とされています。このうち5万人が、毎年十分な読み書き能力や学力を持たないまま卒業しているとすれば、10年で50万人となってしまいます。この人たちが学べる機会は限られています。もしも学校的状況に入っていくのが難しいとすれば、識字教室などはそこに至る一歩としても大きな役割を果たせるかもしれません。しかし、この点も、今後に期待されるところです。
 三つには、そういう人たちも含めて、学びたい人みんなが安心して学べる場所として、識字教室を展開する必要があるということです。地域にある識字・日本語教室では、差別事象やセクシュアルハラスメントも報告されています。報告されていない差別事象もあると考えられます。もしもそうだとすれば、教室に学びに来た人たちが差別事象などを原因として教室を離れていっていると思われるのです。日本語教室などで学ばれている内容は、学習者の生活や権利を守るものとなっているのでしょうか。教室のあり方が問われるところです。しかし、すでにそういう問題への取り組みは始まっています。たとえば大阪では、識字・日本語学習センターが中心になってボランティアの意識調査や人権学習教材づくり が進められています。
 こうして、部落の女性たちから始まった運動は、さまざまな人たちと一緒に大きな渦を形成するようになってきており、今後その渦はさらに大きくなることが期待されます。

【参考・引用文献】
・ヒューライツ大阪ウェブサイト 徐阿貴氏(福岡女子大学)「人権の潮流Intersectionality(交差性)の概念をひもとく」 国際人権ひろば No.137(2018.1月発行号)
・株式会社解放出版社ウェブサイト
・一般社団法人部落解放・人権研究所ウェブサイト
・IMADR(国際人権NGO反差別国際運動)ウェブサイト
・ウィキペディア
・日之出よみかき教室(大阪市 識字教室)ホームページ
・一般財団法人大阪府人権協会ウェブサイト
・識字・日本語センターウェブサイト
・基礎教育保障学会(日本)と全国文解・基礎教育協議会(韓国)サイト
・出入国在留管理庁ウェブサイト
・文部科学省ウェブサイト
・写真/読売新聞社

女性差別と教育(その3)

 前回に取り上げた女性差別に関わる歴史と現状をふまえて、今回は、③ポジティブアクション、④性暴力をおもにとりあげます。差別の交差性や植民地主義との関連など、女性差別に関わって取り上げたい事柄は他にもありますが、この二つにとどめます。

③ポジティブアクション

 前回、現代の女性差別にあっては、不利益が女性に集中していると述べました。たとえば、男女の賃金格差母子家庭の貧困率 の高さなどがあります。意思決定の場に女性が少ないという問題もあります。たとえば、国会議員のなかの女性比率 や、管理職者の間での女性比率 という問題です。このような点については、幅広く「内閣府・男女共同参画推進連携会議 」が示しています。
 女性が被っている不利益状況を解消するべく、単なる機会均等ではなく、実質的な平等を達成するために取られる積極的な方策をポジティブアクション (積極的格差是正措置)と呼ぶことが多くなっています。
 ポジティブアクションの具体例としては、クオータ制 があります。これは、比率を定めてそれを特定の社会集団のために用意することです。たとえば日本の国会議員の男女比率のように、形式的に機会が平等に提供されていても、結果としては女性の比率が10%程度に止まるという場合があります。日本では、第二次世界大戦後になって女性の参政権が認められました。ですから、いま形式的には男女の平等が定められていることになります。ところが、実質的には不平等な事態があって、男女の比率には大きな格差があるのです。この原因はさまざまでしょう。たとえば、男女の性別役割分業意識が世の中に根強く存在するため、子育て期の女性は地方議員も含めて立候補しにくい。国会議員になれば、生活のかなりの部分を東京で過ごす必要があり、さらに出にくい。2世や3世の国会議員が少なからずいますが、世の中のステレオタイプでいえば、男性の方が政治家にはふさわしいと思われている面があり、そのために2世や3世の議員の多くは男性です。男性にはいわゆる地盤看板鞄が引き継がれやすい。他にもさまざまにあるでしょう。これらをすべて洗い出して変えていき女性が立候補しやすくするという方法もあります。しかし、それではどれぐらいの時間が必要なのかもわかりません。日本では、保育所建設など、女性が働きやすくなるような政策がなかなかとられません。そこで、強力にこの差を縮めるべく、国会議員の半数近くが女性になるよう比率を定めるのです。
 比率を定めるといっても、国会議員の比率を直接定めている国はさほど多くありません。たとえば比例代表制の選挙のもとで、各政党が女性と男性を交互の順番で候補者を並べます。比例代表制ですから、このようにすれば、だいたい男女が同数となります。あるいは、文教委員会や予算委員会など、国会内に設けられる委員会の男女比を定めている国もあります。これが決まっていれば、男性が多くを占める政党は、代表をその委員会に出せないことになります。それで、すべての政党について男女の議員数をほぼ同じにする傾向を促進できます。北欧などの国 では、そのようなクオータ制が進められ、最近では男女の国会議員比率がほぼ5割ずつになろうとしています。このやり方は他の国でも取り入れられようとしています。
 クオータ制は、国会議員の比率だけではなく、政府の審議会における委員の男女比や、企業における管理職の男女比にも適用されています。こうした場合には、ゴールアンドタイムテーブル方式がとられます。日本政府が、政府は、社会のあらゆる分野の指導的地位に占める女性割合を2020年までに少なくとも30%程度になるようにするという目標(ゴール)と達成予定時期(タイムテーブル)をかかげてきましたが、これなどはその例です。残念ながらこの、2020年までに30%という目標はほとんど達成されず、同じ目標を2030年までに達成すること が改めて掲げられています。
 クオータ制などについては、反対論も根強くあります。ひとつは、そもそも平等というときには「機会の平等」さえ守っていれば良いのであって、それ以上のことをするのは逆に差別になるという考え方です。この点については、法律的に日本でもクオータ制は可能です。日本が批准している女子差別撤廃条約 第4条では、「締約国が男女の事実上の平等を促進することを目的とする暫定的な特別措置をとることは、この条約に定義する差別と解してはならない」と定めています。つまり、「機会の平等」からさらに進んで「結果の平等」を追求することが定められており、ポジティブアクションを肯定し、クオータ制なども認めているということです。そして、日本の批准した条約は、憲法に次ぐ重要な法律という位置を占めます。「機会の平等」だけが平等なのだと主張する人と、日本の法律体系の基本はすでに違っているのです。日本では、「機会の平等こそ平等」と考えている人が多いので、このような理屈の面から整理する学習が必要です。「機会の平等こそ平等」という考え方は、さまざまな差別問題についてアンコンシャスバイアス となっているのです。
 ポジティブアクションやアファーマティブアクション、同和対策事業や障害者への合理的配慮など、「機会の平等」からさらに進んで「結果の平等」を求める政策についての反対は、上の、「機会の平等こそが平等」という考え方が根っこにあることが多いのですが、そのさらに根っこには、被差別者が不利益を被っているという実感を持てないという問題もあります。こちらについても、学習を深めるときには大きなポイントになります。わたしが大学の授業でこの点に取り組もうとするときには、たとえば「貿易ゲーム 」をしてきました。貿易ゲームは1980年頃につくられたゲームで、これを通して南北の不平等を体験的・実感的に学ぶことができます。また、所持金に格差のあるオークション「オークション体験で考える平等 」も行ってきました。最近では、紙を丸めて教室前に置いてある箱に入れてもらうという学習方法 があります。
 差別を受けていない側は、自分の有利さになかなか気づけないものです。これに気づくには、上のような体験とともに、この連載の第9回でも触れた「特権 」という概念を差別論との関わりで学ぶことが必要です。このような点については、大阪多様性教育ネットワークや出口真紀子さんの所論が参考になります。
 ポジティブアクションや「結果の平等」をめぐる議論は、女性差別にとどまらず、今日的な差別論を考えるときに重要なポイントとなります。この点を抜きにして不平等論の学習はありえないといっても良いほどです。小学校ではともかく、中学校では間違いなくこの点について学ぶことが求められます。

④性暴力をなくすために

 日本政府の男女共同参画局のウェブサイト によれば、「望まない性的な行為は、性的な暴力にあたります」とされています。性暴力をめぐる取り組みは、以前からありましたが、とくに1970年頃から進んできました。1990年代になると、理論や概念の面でも整理されるようになりました。近年になって、法律改正を始め政府の動きが進んでいます。
 性暴力については、政府でも取り組みを進めており、2001年に内閣府男女共同参画室のもとに「女性に対する暴力に関する専門調査会 」が設置され、「若年層を対象とした性的な暴力の啓発 」(内閣府男女共同参画室、2017年3月)などの報告を出しています。
 2018年に刑法が110年ぶりに改正 され、性犯罪に関連する規定がさまざまに変化しました。「強姦罪」が「強制性交等罪」となり、被害者の性別を問わないものとなりました。また、法定刑の下限は3年だったのが5年となり厳罰化されました。さらに、以前は「親告罪」とされていて被害者本人が告訴しなければ起訴できませんでしたが、「非親告罪」となりました。監護者による子どもへの性的虐待は暴行や脅迫がなくても処罰化されるようになりました。それでも、さまざまな課題が残っています。
 電車内での痴漢に関わって、女性専用車両が導入されています。これをめぐって「男性専用車両がないのはおかしい」などという批判が出てきたりします。この問題を考えるときには、痴漢被害の広がりや歴史的経過をふまえる 必要があります。また、痴漢冤罪についての誤解や誤報 があります。女性専用車両の導入は、女性団体が求めたものではなく、「痴漢根絶」という要望に対して電鉄会社がとった対処でした。「痴漢根絶」という目標からは遠いかもしれませんが、一つの前進ではあります。今後、より強力な対策が求められています。
 性暴力に関連して取り上げておきたいのは、二次加害という問題です。ここでいう二次加害とは、性暴力の被害に遭った人が誰かにその話をしたときに相手方がさらに追い打ちをかけるような言動を返したりすることをさします。同じ問題を被害側に力点を置いて論じるとき、二次被害 という言葉が使われます。1990年代のこと、中学生がクラブ顧問の教員から性暴力を受け、それを訴えました。このことがマスコミで報道され、顧問教員はその学校をやめました。これに対して同じクラブの保護者などからも「あなたのせいであの先生がいられなくなった」などと被害者を責める声が出されました。このように、被害を訴えた人が逆に攻撃されるという問題です。この傾向は、ネット社会が広がって一層ひどくなっているといえます。近年注目されているテーマの一つは男性の性被害 であり、それに対する二次加害 という問題ですが、この問題についても、女性の性暴力被害に関わる二次加害の捉え方が土台となります。
 このような問題とも関連して、国連で『国際セクシュアリティ教育ガイダンス 』が2018年に改訂されました。特にそのなかの「4.暴力と安全確保 」は、性暴力問題との関連が深く、性教育の実施に当たって参照されるべき内容を含んでいます。

 この連載の第9回に紹介したジェンダーギャップ指数で、アイスランド は10年以上にわたってトップを続けています。性暴力への取り組みやLGBTQに関わる動きなどでも注目すべき事柄があります。女性差別克服に関連してこの国の歴史を学ぶと、いろいろなことを考える手がかりが得られます。

就任当時、同性愛者であることを公表したアイスランドのシグルザルドッティル首相(右)とパートナー。氏は同国初の女性首相(2009年)

【参考・引用文献】
・財務省ウェブサイト 財務総合政策研究所資料
・独立行政法人労働政策研究・研修機構資料
・朝日新聞デジタル「女性議員の割合、日本は166位 世界平均は倍増25%」(2021.3.6)
・ウーマンズ・ワークライフウェブサイト「女性管理職とは。現状と課題 ~メリットとデメリット」(2017.8.11)
・内閣府男女共同参画局ウェブサイト
・BAZAARウェブサイト「『クオータ制』についてわかりやすく解説!導入した国の成功例もみてみよう」(2021.10.8)
・事業構想ウェブサイト 三井マリ子氏(女性政策研究課)「女性の政治参加 ダイバーシティあふれるノルウェー議会に学ぶ」(2018.11)
・毎日新聞ウェブサイト「女性管理職3割目標 「20年30%」から「30年まで」に先送りへ 政府」(2020.6.26)
・外務省ウェブサイト
・東京都人権啓発センターウェブサイト 人権情報誌「TOKYO人権」「自由貿易にまつわる人権を学ぶ“開発教育”「貿易ゲーム」で世界経済の問題を疑似体験」(2017.2.28)
・大阪府ウェブサイト
・マガジンハウスウェブサイト「差別や人権の問題を『個人の心の持ち方』に負わせすぎなのかもしれない。 『マジョリティの特権を可視化する』イベントレポート」(2021.6.24)
・東京人権啓発企業連絡会ウェブサイト 出口真紀子氏(上智大学教授)「マジョリティの特権を可視化する~差別を自分ごととしてとらえるために~」(2020.7)
・NHKウェブサイト「性犯罪に関する刑法~110年ぶりの改正と残された課題」(2018.10.22)、「あなたはひとりじゃない~性被害に遭った男性たちへ~」(2021.6.24)、「荻上チキさんと考える #男性の性被害 “セカンドレイプ”をなくすために」(2021.7.9)
・PRESIDENTオンライン 牧野雅子氏(龍谷大学犯罪学研究センター博士研究員)「痴漢問題はなぜ「冤罪被害」ばかり語られるのか女性を「嘘つき」と罵る冤罪論者たち」(2019.12.18)
・警察庁ウェブサイト
・SEXOLOGYウェブサイト
・Guide to Icelandウェブサイト

女性差別と教育(その2)

 女性差別について学ぶうえで、他の人権課題とも関連して特に重要なテーマとなるのは、①女性差別の歴史、②いまの社会の女性差別、③ポジティブアクション、④性暴力などでしょう。今回と次回では、この4種類のテーマについて学習するうえでのポイントを提案してみたいと思います。今回は、①の歴史と、②のいまの社会の女性差別という二つについて論じます。次回には、③④に進む予定です。

①女性差別の歴史

 女性差別の歴史は、古代から考えるべきかもしれませんが、ここでは、現代とのつながりや他の差別問題とのつながりを念頭に置いて、明治維新以後の歴史を論じポイントを整理するよう努めます。日本では明治維新以後「富国強兵」などの政策が進められ、女性差別だけではなく、さまざまな差別が強化されました。この点は、この連載の第9回でも述べたとおりです。
 「富国強兵」とは「国を富ませ、軍事力を増強していく」という意味です。「富国」とは「経済を発展させること」という意味のはずですが、実際には財閥と地主を豊かにしました。
 「富国」と一体だったのが「貧民化」です。これは、侵略を進めるうえで不可欠の要素でした。松方デフレ政策だけではなく、諸施策の影響により農民は生活を圧迫され、土地を売って小作農になったり、都会に出て労働者になったりしました。国民が貧しいのですから、ものをつくっても国内で売れる可能性は低いことになります。<資源も乏しい国だから、資源と市場を求めて海外に出るしかない。国民であるわたしたちは貧しい生活を余儀なくされているが、それはやむを得ないのだ。日本の生きる道は戦争以外にない。>そう思ってこそ、「生活を豊かにするには海外へ」という発想になりやすいといえます。1936年に起こった2・26事件のときの青年将校たちは、昭和恐慌にあえぐ貧しい農村の若者たちが多かったといいます。
 「富国強兵」策の土台として、徴税、学制、兵役の三つがあります。学制は、1872年に発布されました。江戸時代の寺子屋では近代的工業や近代的軍隊に適合する人は育たないということで、学制が導入されたのです。1873年には地租改正が行われました。江戸時代の税制は物納で、生産高に応じて増減しました。それでは国の財政を安定して確保できないと、たとえ凶作の年であっても地価の3%を毎年貨幣で納税することとしたのです。徴兵制に象徴される兵制改革も重要でした。江戸時代には、武士のみが武器を持って闘うことを認められていました。近代的軍隊を創るためとして、国民皆兵を進め、徴兵制度を敷きました。これらすべてが、さきにのべたような国づくりに役立ちました。学校では、工場労働に向くよう、正確な時間単位で動くことが大切にされました。遠足のように、軍隊の行軍の練習として学校に導入された行事もあります。運動会などの行進練習は、軍隊として動くための準備でした。農業をするなら、号令に従って分単位で動く必要はありません。国民は、地租改正反対一揆をはじめ、全国各地でこうした政策に反対を唱えて立ち上がりました。
 財閥と地主を富ませ、国民を貧しくして、海外侵略を進めるという政策は、明治時代になって以後、10年に一度は内戦や海外侵略戦争を起こすという結果につながりました。貧しい農村からすると、「富国強兵」を前提に考え、自分たちが生き残るには、海外侵略をしてそこに移り住み、農業などを広げていくしか道はないという発想に導かれた人たちもいました。あくまで「富国強兵」を前提にすれば、ということです。
 この政策が、日本という国を破綻させ、国土を荒れさせて終わったことは、よく知られています。第二次世界大戦に突入し、アメリカ軍などの攻撃を受けて、日本は焦土と化しました。
 このような一連の過程と女性差別の強化は、結びついて進みました。江戸時代までの日本は、当時海外から日本に来ていた宣教師や外交官によると、ヨーロッパと比べて男女平等だったといわれます。これが明治時代に変わります。それまでは武士の世界における価値観だった「三従の教え」などがすべての国民に求められ、民法などによって家父長制が法制化されていきます。明治の民法のもとでは、女性に親権は認められていませんでした。詩人の金子みすゞ も夫から離婚を言い渡され、娘を夫にとられそうになって、抗議の自死をしました。「男性は外で働き、女性は家で家事・育児」という男女の役割分業論は、戦時には「男性は戦争に出向き、女性は銃後で国を守る」となりました。男らしさが強調され、天皇の「御真影」 は髭を伸ばし、軍服を着た姿となっています。明治天皇は、江戸時代の間は眉や髭を剃り、顔におしろいを塗って暮らしていました。それが明治時代に入って、髭を伸ばし、軍服を着て描かれ、それが全国の学校に配られたのです。これが男らしさの象徴とされました。
 第二次世界大戦後、連合国は、このような国のあり方を問題にし、日本が二度と侵略国家にならないように財閥解体や農地改革などの政策を打ち出しました。また、国民主権(主権在民)、基本的人権の尊重、平和主義という三原則に立った憲法制定(改正)を支援しました。その中には、婦人参政権をはじめ男女の平等が定められています。

②いまの社会の女性差別

 現代の女性差別について学んで議論をし始めると、学習者の年齢や経験にもよりますが、女性差別の有無などが話題になることがあります。大学で取り上げた経験で言えば、「男と女は生物として違いがあるのだから、そもそも平等にすることはできない」とか、「男性差別もある」とか、「男も大変なんだ」とか、「女性差別反対を主張する人は言い方に問題がある」など、さまざまな意見が出てきます。このようなことを考慮するとき、女性差別をめぐる社会的状況に関する事実 から入ることには意味があります。
 そこで参考となるのがジェンダーギャップ指数です。前回紹介したジェンダーギャップ指数は、小学校高学年以上で学ぶなら、早い段階で資料として提供できるものです。世界経済フォーラム という経済団体によって指摘されていることであり、その影響も大きいといえます。日本政府も 、ある程度はジェンダーギャップ指数を意識して政策を立てるようになってきています。もっとも、政府は、目標を立てても、なかなかそれを達成できないでいるのが現状です。なぜそうなるのかが問題です。
 ジェンダーギャップ指数を取り上げることにより、「いったいなぜ日本が女性差別の度合いで世界でも120位の低い国とされているのだろう」という疑問は抱くことができます。この疑問をしっかりと抱くことができれば、そこから自分たちの周りを確かめる方向へとつないでいきやすくなります。日本の政治や経済、労働や教育など、さまざまな領域における事実を子どもたち自身で確かめていくことにつなぎたいものです。
 なお、ジェンダーギャップ指数(GGI)を紹介するときには、他にも、「ジェンダー開発指数 」(GDI)や「ジェンダー・エンパワーメント指数 」(GEM)、「ジェンダー不平等指数 」(GII)や「社会制度・ジェンダー指数 」(SIGI)もあることを知っておいた方がよいですし、必要に応じてそれらでの日本の順位などを学習者に紹介しておくこともあってしかるべきです。ちなみに「ジェンダー開発指数 」(GDI)でみると、日本は167カ国中55位(2020年12月16日発表)となっています。「ジェンダー不平等指数 」(GII)では、162カ国中24位(2020年12月15日発表)です。つまり、日本はジェンダーギャップ指数以外では、そこそこの順位にとどまっているということです。では、この三つの指数にはどのような違いがあって、なぜジェンダーギャップ指数を基本に考えようとするのかが問われます。少なくとも教員は、このあたりを認識しておく必要があります。

G7男女共同参画サミットに参加した各国の代表(2017年、イタリア)

 ジェンダーギャップ指数を出発点に調べて見えてくるのは、日本社会が、女性に不利益が集中している社会だということです。2018年8月、入試得点を操作して女性の合格率を低く抑えてきた医科大学のあることが発覚しました。それを報じた新聞記事などでは、「医師の長時間労働が背景に 」あったと述べています。いまの医師の長時間労働を前提にすれば、子育てなどと両立させることが困難です。男女の性別役割分業を前提にすると、女性は結婚や出産をきっかけにやめる可能性が高い。だから、家事・育児は女性に任せて男性に医師になってもらうことが必要だ。そういう論理から女性差別が正当化されたのだというのです。言い換えれば、長時間労働を維持することと女性差別はセットになっていたということです。
 医学界だけではありません。日本の産業界全体でも同様の問題 が指摘されています。特に1980年代以来、1986年に労働者派遣法 が制定されるなどして非正規労働が急速に増え、特に女性の間に広がりました。社会に競争が広がるもとで追い込まれた人たちが増えていき、女性に期待されてきたのは、家庭や地域でそういう人たちのケア活動をすることです。その一方で正社員が絞られていき、長時間労働を求められてきました。これは悪循環をもたらしています。正社員の長時間労働を前提にし、年功序列や終身雇用などで一つの企業への縛りを強くする。男性が多くを占める正社員は、能力を発揮して業績を上げるよりもお互いの気持ちを大切にする人間関係重視の発想を強めていく。人間関係が「得意」で「空気を読める」人間の方が重宝される。こうして、能力を発揮するより、人がもたれ合う傾向が強まり、企業としての生産性は低下 する。「女子力 」という発想もこういう組織のあり方に合致します。経済活動で必要なスキルも、企業を超えて社会的に標準化されている度合いが少なく、結局同一価値労働同一賃金 が実現しにくい。女性差別とこうした企業の体質が一体化して、ますます女性を排除する。力と意欲のある女性は、こういう企業では管理職になりにくく、力を認められないことから退社しやすくなる。その一方で、女性の人材は、福祉やケアに関わる領域などで低賃金労働者として働くようになり、それでも社会的な問題状況を解決するには至らない。安心して子どもを産み育てにくい環境のため、子どもの数が減っていく。企業はますます生産性を低下させる。結果として日本社会は経済的に沈没していく。このような社会のあり方が、男女をともに追い込んでいるといえます。
 これは、いつか来た道ではないでしょうか。明治時代に入って「富国強兵」をスローガンに、財閥や地主など一部の人を富ませ、国民の多くを貧困化させていった。侵略しなければ自分たちの暮らしも良くならないと思い込む。だから、政府の進める戦争・侵略政策を支持する。それによってますます財閥や地主などが豊かになり、国民の多くは貧しくなる。そして戦争に突入し、最後は焼け野原になって終わった。敗戦によってようやく、社会の体質とも言える仕組みを変えることができた。
 ところが、第二次世界大戦の敗戦により仕組みを改善したはずの日本では、また社会的な価値観や仕組みにより問題状況が生まれ、それに縛られている限り問題状況を抜け出せなくなっているということです。長時間労働と多くの人たちの不安定労働を前提にした産業構造が、日本社会を縛り付けています。現代日本でのアンコンシャス・バイアス として最も大きいものの一つは、これではないでしょうか。さまざまな人の力を生かせる社会を創れるかどうかにより、日本の未来が変わるでしょう。そして、そのような方向に向けての変化も現れています。

 ジェンダーについて考えるには、まず、①女性に不利益が集中しているという事実を明らかにすることです。次いで、②そのことにより男性も追い込まれていることを示すことが必要です。そこから③それらの土台にあって人びとを追い込む重石のようになっている仕組みを変えていこうとすることへとつなぎます。①と②の順番を間違えると混乱が広がります。
 こうして、経済面から見たときに現在の女性差別の土台にある仕組みとは、長時間労働と不安定な非正規労働であり、同一価値労働同一賃金から遠い賃金体系です。そして、それらを正当化する役割を果たしているのは家父長制や性別役割分業です。これらを乗り越えて行けるかどうかが、現代日本の大きな課題だといえます。

【参考・引用文献】
・金子みすゞ記念館ウェブサイト
・日本文教出版ウェブマガジン 大濱 哲也氏(北海学園大学)「学びと!歴史」(2007.11)
・内閣府男女共同参画局ウェブサイト
・世界経済フォーラムウェブサイト
・厚生労働省ウェブサイト
・国連開発計画駐日代表事務所ウェブサイト
・OECD開発センターウェブサイト
・国連開発計画人間開発報告書(2022)
・朝日学生新聞社ウェブサイト(2018.9.2)
・独立行政法人経済産業研究所ウェブサイト 山口 一男氏(客員研究員)「日本的雇用システムが女性の活躍を阻む理由」(2014.12)
・Manpower Clipウェブマガジン 岡 佳伸氏(特定社会保険労務士)「労働者派遣法とは? 2021年4月改正までの派遣法の歴史」(2021.5.25)
・Start ITウェブマガジン「日本の労働生産性を低下させる原因と生産性が低い会社の共通点とは?」(2019.6.13)
・朝日新聞デジタル フォーラム「女子力って?」(募集期間2016年12月26日~2017年1月24日14時 計1621回答)
・情報産業労働組合連合会ウェブサイト 朝倉 むつ子氏(早稲田大学教授) 特集「格差是正をもっと前へ「同一労働同一賃金」「同一価値労働同一賃金」へ「基本給」に踏み込んだ議論を」(2016.7.19)
・株式会社クオリアウェブサイト「アンコンシャス・バイアスとは? 事例と対処法」

女性差別と教育

 女性差別撤廃条約 第1条には、「この条約の適用上、『女子に対する差別』とは、性に基づく区別、排除又は制限であって、政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他のいかなる分野においても、女子(婚姻をしているかいないかを問わない。)が男女の平等を基礎として人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを害し又は無効にする効果又は目的を有するものをいう」と定められています。この定義それ自体にも、考えるべき重要な点が含まれています。たとえば、「効果又は目的を有するもの」と定めており、たとえ行為者が意図的に女性の権利行使を阻害しようとしていなくても、結果的にそうなるのであれば、それは女性差別であることになります。他にも論点とすべきことはさまざまに含まれます。
 今回からは、2回にわたって女性差別と教育について考えたいと思います。2回で女性差別と教育について考えるというのは、かなり無理があります。そこで、ここでは、世界経済フォーラムという団体が毎年発表しているジェンダーギャップ指数を手がかりにします。ジェンダーギャップ指数で日本は、2021年には156カ国中第120位 という結果となっています。つまり、日本の男女平等順位は156か国中第120番目だということです。この結果について、学生からは「自分の実感とは異なる」という声も少なからず出てくるのですが、民間企業で働いている人たちに聞くと、多くの場合、「そうだろう」と答えます。このようなズレはどこから出てくるのでしょう。また、このズレをどのようにとらえればよいのでしょう。

女性差別への国際的な取り組みの深化

 日本政府の法務省は17にわたる人権課題を挙げていますが、女性の人権はそのトップに上がっています。国際的にも、女性差別は重要な課題としてあげられており、女性差別撤廃条約や女性への暴力防止など、活動が展開されています。
 女性差別に関連する世界的な取り組みは、大きく次のような領域に分けられます。

<女性差別への取り組み領域>

1.政治的権利(選挙権、被選挙権、議員の女性率など)

2.経済的権利(労働権、就職差別禁止、男女賃金格差、非正規雇用や管理職における女性率など)

3.教育への権利(入学試験の差別禁止、教育内容における女性差別、男女就学率・進学率格差、識字活動など)

4.健康に関わる権利(感染症などの罹患率、スポーツへの参加状況、平均寿命男女格差など)

5.性的関係に関わる権利(性暴力、セクハラ、DV、デートDV、ポルノ、買春、痴漢など)

 また、取り組みは、次のように深まってきました。

<女性差別への取り組みの深まり>

第1段階:政治的権利などフォーマル(公的)な面での権利
第2段階:労働や教育など経済・社会面での権利
第3段階:家庭・恋愛・性暴力などインフォーマル(親密)な面での権利

 ですから、上の領域1-5は、第1段階から第3段階へというおおよそ取り組みの深まりにも対応しています。
 アメリカやイギリスなどで女性参政権が認められたのは20世紀に入ってからです。これが第1段階の典型といえるでしょう。さらに、1975年の「国際女性年」(国際婦人年)をきっかけに、国際的に「男女の性別役割分業」の考え方やそれに根ざした社会制度こそが女性差別の土台であることが広く認識されるようになりました。「男女の性別役割分業」とは、「男は外で働き、女は家庭で家事育児」という考え方や、それに対応する社会制度のあり方、また「男らしさ」や「女らしさ」の刷り込みや強制などという問題です。これが第2段階の特徴かもしれません。1990年代になると、女性への暴力、とりわけ性暴力が広く注目されるようになってきました。1993年12月20日には、国連総会で「女性に対する暴力の撤廃に関する宣言」が採択されています。こうした動きは、第3段階を象徴するものだと言えます。
 第3段階ではまた、「男女」だけではなくさまざまな性 のありかたが大きく取り上げられるようになりました。民族的マイノリティや第三世界の女性たちの権利 を重視するようになった点にも特徴があります。いわゆる差別の交差性 (intersectionality)という問題です。加えて、「男性の特権性 」や「男性性(男らしさ) 」という問題提起も重要な位置を占めます。これら第3段階でクローズアップされるようになった事柄は、第2段階から問題提起されていたものです。
 同時に、それぞれの領域や取り組みの深まりのなかでは、「機会の平等」(形式的平等)から「結果の平等」(実質的平等)へと進んでいます。賃金格差や教育格差は以前から問題とされてきた事柄であり、今なお解決していません。取り組みが深まるなかで、女性差別をなくすためのポジティブアクション (積極的施策)が登場しました。たとえば、国会議員の選挙におけるクオータ制 (割当制)、大学への入学における特別措置、移動・交通手段における女性専用車両などなどです。
 なお、映画のなかには、こうした女性解放に向けた取り組みを反映した作品がさまざまに あります。また、お隣の韓国では、若い作家によるフェミニズム文学 が盛り上がっています。

日本における課題

 さきの世界経済フォーラムは、ジェンダーギャップ指数を算出する枠組みとして、4つの領域を提示しています。それぞれの領域について男女平等なら1、まったく平等でなければ0となります。平等であればあるほど1に近くなるということです。領域とそれぞれの具体的指標は、次の通りです。ここには、さきに5番目の領域としてあげた「性的関係」に関わる項目がありません。

(1)経済活動への参画と機会(給与、雇用数、管理職や専門職での雇用における男女格差)

(2)教育(初等教育や高等・専門教育への就学における男女格差)

(3)健康と生存(出生時の性別比、平均寿命の男女差)

(4)政治的権限(議会や閣僚など意思決定機関への参画、過去50年間の国家元首の在任年数における男女差)

(内閣府男女共同参画局資料より)

 日本では、この4領域のなかで、「健康と生存」「教育」の2領域には大きな格差はありません 。しかし、「経済活動への参画と機会」「政治的権限」という領域では、男女に大きな格差 があり、ギャップ解消が進んでいません。
 より具体的にみれば、「経済活動への参画と機会」では男女の賃金格差と管理職の女性率が問題です。賃金格差では、とくに女性に非正規労働が多く、ここに格差の大きな原因があります。加えて、正社員同士で比べても男女に賃金格差があります。2020年から2021年の間に世界的には賃金格差が0.613→0.628と改善しているのに、日本では0.672(67位)→0.651(83位)と開きました。
 もうひとつの「政治的権限」については、日本では女性の元首(首相)がまだ出てきていません。また、国会議員に占める女性の比率も低いままです。国会議員の女性比率が世界平均指数では0.298→0.312とアップしているのに、日本は0.112→0.110、順位は135位→140位と下がっています。「政治的権限」全体では147位で、世界のワースト10になっています。
 このように全体状況を見ると、学生の間で「第120位は意外」という人がやや多い理由の一端もわかります。ひとつは、教育という領域が日本では比較的平等化が進んでいるからでしょう。小中高校に通う人たちにとっては、男女の不平等を感じにくい面があるのです。それに対して、働いている人たちの間では、職場の男女不平等が深刻で、実感をともなって理解しやすいという状況だといえるでしょう。このことは、女性差別に関わる教育のあり方にも示唆するところがあります。
 しかし、それとは異なる問題もあります。それは、高校までの学校で、多くの子どもたちは社会にある女性差別について十分学ぶ機会をもてていないのではないかということです。比較的平等だといわれる学校教育それ自体にも、管理職の男女比教育内容や教員の在り方制服 など、重要な面での差別や不平等があります。それぞれの学校の教職員の間で、自分たちの学校における女性差別がどのように議論されてきたでしょうか。
 念のため述べれば、世界経済フォーラムという団体は、女性差別をなくすために生まれた団体ではありません。構成メンバーは、主として世界の財界人や経営団体などです。つまり、日本という国は、世界の財界人から「女性差別国」と言われ続けていることになります。

DVや性暴力をめぐる課題

 近年の動きで重要なのは、DV性暴力 をめぐる課題です。
 DVはドメスティックバイオレンス (domestic violence)の略称です。ドメスティックとは、ここでは家庭内のという意味合いです。ただ、夫婦間のという意味合いだけではなく、交際しているパートナーの間での問題も含みます。バイオレンス(violence)とは暴力です。DVにおける暴力とは、①身体的暴力だけではなく、②精神的・心理的暴力、③性的暴力、④経済的暴力、⑤社会的暴力、⑥子どもを使った暴力などを含みます。それぞれの具体例は次の通りです。

身体的暴力………………殴る、蹴るなど

精神的・心理的暴力………怒鳴る、威嚇する、無視するなど

セックスを強要する、避妊しない、ポルノを見せるなど

生活費を渡さない、外で働かせないなど

人間関係や外出などを制約するなど

子どもに危害を加えると脅すなど

 一方、性暴力について、日本政府の男女共同参画局のウェブサイト によれば「いつ、どこで、だれと、どのような性的な関係を持つかは、あなたが決めることができます。望まない性的な行為は、性的な暴力にあたります」とされています。「本人が望まなかった性的なできごとは、すべて性暴力である 」という観点から性暴力についてとらえ直し、「なにげない性的な冗談」が「強かん」にもつながるのだという認識に立つことが必要だといえます。
 以上は、現代の女性差別の一端を述べたに止まります。日本でも女性差別をなくすための取り組みが積み重ねられてきました。これまでの取り組みをふまえ、このような問題があるいまの世の中で、わたしたちはどのように女性差別について学び、考えれば良いのでしょうか。わたし自身も、これまでの経験のなかでさまざまな面から女性差別について考えてきました。「問題の解決に取り組まない人は、問題の一部になる」という言葉があります。私たち一人ひとりが、自分に関わる問題として女性差別にも取り組むことが求められます。それにより、すべての人がより自由になれるはずです。

【参考・引用文献】
・外務省ウェブサイト「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」
・HUFFPOST「ジェンダーギャップ指数2021、日本は120位 G7最下は変わらず低迷」(2021.3.31)
・明石市ホームページ「LGBTQ+/SOGIEの基礎知識」(2021.11.19)
・思想館ウェブサイト「ベル・フックス『フェミニズムはみんなのもの』が訴えること」
・ヒューライツ大阪ウェブサイト 徐 阿貴氏(福岡女子大学)「人権の潮流 Intersectionality(交差性)の概念をひもとく」(2018.1)
・東京人企連ウェブサイト 出口 真紀子氏(上智大学)「マジョリティ特権を可視化する~差別を自分ごととしてとらえるために~」(2020.7)
・IDEAS FOR GOOD「『男らしさ』って何? そこから来た? 【みんなに関わる『男性性』のはなし。イベントレポート】」(2020.10.13)
・内閣府男女共同参画局ウェブサイト
・ciatr「映画で“女性”の歴史を辿る。フェミニズムを描いたおすすめ映画9選【国際ガールズデー】」(2020.10.12)
・ELLEホームページ「フェミニズム吹き荒れる! 今読むべき韓国のおすすめ女性作家12」
・日経womanウェブサイト「ジェンダーギャップ徹底解説 江田麻季子氏(世界経済フォーラム日本代表)『意図的に埋めないと日本はいつまでもギャップが』(2021.4.1)
・NHKウェブサイト「公立学校の女性管理職の割合 初の2割超も都道府県別で大きな差」(2021.12.29)
・木村 育恵氏(北海道教育大学)「教員をめぐるジェンダー研究の動向と 『ジェンダーと教育』研究の課題」(2018)
・馬場 まみ氏(京都華頂大学)「ジェンダーの視点からみた学校制服の課題 -女性差別撤廃条約の理念を軸として-」(2018)
・LEGAL MALLウェブサイト 萩原 逹也氏(弁護士)「DVの種類は6つ~知っておくべき身体的暴力以外のDVがある」(2021.8.27)
・SYNODOSホームページ 伊藤良子氏・関めぐみ氏「本人が望まなかった性的なできごとは、すべて性暴力である」(2016.10.27)