ポスト・コロナ時代の教育 ‘ESD for 2030’からの示唆 ~その2~

ポスト・コロナ時代を予見していた‘ESD for 2030’

 先月の「その1」でお伝えしたように、昨年の暮れ、SDGsを実現させる教育としてESDの新たな枠組みが国際的に認められました。教育を通して持続可能な社会を実現するための枠組みである「持続可能な開発のための教育:SDGs達成に向けて」(以下、通称の‘ESD for 2030’と表記)が2019年11月の第40回ユネスコ総会での決議を経て、同年12月、第74回国連総会で採択されたのです(*1)。副題に示されているように、ESDは国際舞台に登場してから20余年の歳月を経て、SDGsという一大ムーブメントと出会い、その実現を下支えする立役者(エネイブラー)として見なされるに至りました。
‘ESD for 2030’が採択されたユネスコ総会(筆者撮影) この国際的な意思が形成されるのと時を同じくして起きたのが新型コロナウイルスの感染拡大です。上記の決議がなされるのとほぼ同時期に中国の武漢でCOVID-19が見つかり、瞬く間に世界中の人間活動は持続不可能になりました。教育を通して持続可能な世界を構築しようというコンセンサスが得られた矢先のことで、皮肉としか言いようがありません。当然ながら、‘ESD for 2030’が策定されていた時は、新型コロナウイルスは予期されていませんでした。ところが、その内容を見ると、ポスト・コロナ時代を予見していたかのようなメッセージが散見されるのです。

SDGsの学びに深まりをもたらすESD

 上記の決議前の話ですが、SDGsという大きな潮流のなかでESDという名称は消失するのではないか、という懸念もありました。その名称が単に‘Education for SDGs’に決まるとしたら、「ESDの10年」とグローバル・アクション・プログラム(GAP)という15年間の歳月を経て培ってきた知見はどうなってしまうのか、という懸念です。実際、SDGsを知識として習得する旧態依然たる教育ではなく、国連の運動として醸成してきたESDのビジョンやアプローチを活かそう、という見解がその策定過程で強調されたのも事実です。
 特にGAPの後半から筆者はユネスコ本部の‘ESD for 2030’の担当職員と定期的に仕事をしてきましたが、‘ESD for 2030’には、ESDならではの特性を発揮することによって旧来の教育では実現されなかった持続可能性を実現させるという、ある種の気概が事務局側にあることをあらゆる場面で感じ取っていました。
 こうした気概のせいでしょうか、‘ESD for 2030’にはSDGsをも捉え直すような方向性も示唆されています。特記に値するのは「ESDの10年」当初では見られなかった開発そのものへの問い直しのくだりでしょう。SDGsもESDも‘SD’、つまり「持続可能な開発」が共通の目標として掲げられ、この目標のために教育を方向付けていこう、というのは強調するまでもない基本的なスタンスです。しかし、‘ESD for 2030’には「持続可能な開発に向けた真正な前進」のためにSDGsの諸目標の相互関連性を扱うことがESDへの期待として示され(3.10項)、さらに「ESDの活動の存在証明(レゾンデートル)は開発や持続可能な開発自体に批判的な問いを投げかける点に見出せる」(5.5項)と書かれています(*2)。一見、これは矛盾しているようにも捉えられます。というのも、自身が目指す目標すら相対化しつつ進もうという主張だからです。SDGsの実現に向けた教育として位置づけられつつも、SDGsが標榜する持続可能な開発自体を絶対視しないという、自家撞着(じかどうちゃく)ともいえる性格を帯びているのが‘ESD for 2030’の特徴です。しかし、よくよく考えてみると、野放図にグローバル化を進めた挙句の果てに人類はCOVID-19と出会ったわけですから、たとえ自身が目指している目標であろうとも、開発そのものを問い直すスタンスこそ、本来求められてしかるべき姿勢だったのでしょう。
図1 サスティナビリティ志向の教育の系譜
出典:Blewitt, J. et al (eds) (2004) The Sustainability Curriculum. Earthscan.
 実は、「開発至上主義」のトーンダウンは、ESDの世界的な論客であるS. スターリン氏によってつとに予見されていました。彼は、持続可能性にまつわる諸々の教育が環境教育からESDヘ、そしてESDからEFS(持続可能性のための教育)へ、さらにはSE(持続可能な教育)へと変遷を遂げるという系譜を「ESDの10年」が始まる直前に示しています(図1)。つまり、ESDから徐々に「開発」という目標が希薄になり、持続可能性が標榜される。さらに、教育の営みそのものが持続可能となる、換言するなら、経済発展という開発の物語に教育を合わせるのではなく、人間を含めた生態系に無理のない形で教育の営みを創っていくという方向性です。興味深いのは、ESDは環境教育やEFSやSEのいずれとも性格を重ねているということです(図中の太い楕円)。これは、曖昧性として批判されてきたESDの性格であり、他方で何でも包み込むようなESDの包摂性として評価されてきた特徴でもあります。ユネスコも当初から唱えていたように、ESDは時代の変遷の中でその性格、もしくは強調点を変える「進化する概念(エボルビング・コンセプト)」なのです。時代の趨勢の中で包摂性の強いESDという大きな概念のどの側面を強調するかは、その時代を生きる私たち次第なのだとも言えるでしょう。
 次回では、‘ESD for 2030’では学習のどのような側面がトーンダウンし、何がハイライトされるに至ったのか、について考えてみたいと思います。

*1:文部科学省「「持続可能な開発のための教育:SDGs達成に向けて(ESD for 2030)」について ~第74回国連総会における決議採択~」
https://www.mext.go.jp/unesco/001/2019/1421939_00001.htm
*2:ESD for 2030 全文(英文)
https://unesdoc.unesco.org/ark:/48223/pf0000370215

Webマガジンまなびと:「学び!とESD」Vol.08

Webマガジン:「学び!とESD」Vol.08 “ポスト・コロナ時代の教育 ‘ESD for 2030’からの示唆 ~その2~”を追加しました。

令和3年度版 中学校教科書のご案内:各教科「年間指導計画案」追加

「令和3年度版 中学校教科書のご案内」特設サイト:各教科の資料ダウンロード(社会 地理社会 歴史社会 公民数学美術道徳):「年間指導計画案」を追加しました。

ジョーンの秘密

© TRADEMARK (RED JOAN) LIMITED 2018

 2000年、イギリスに住む老女ジョーン・スタンリーが、スパイ容疑で逮捕される。80歳である。第二次世界大戦時に、イギリスの原爆開発の機密資料をソ連に流したというスパイ容疑だ。「ジョーンの秘密」(キノフィルムズ、木下グループ配給)は、まるで信じられない状況、設定だが、なんと史実に基づいている。
 1912年生まれのメリタ・ノーウッドが、80歳になって、ソ連側のスパイだったことが明るみに出る。容疑は、かつてイギリスが開発していた原爆の資料を、ソ連に引き渡したというもの。この史実をもとに、ジェニー・ルーニーの書いた「Red Joan」が映画の原作になる。
 ジョーンを演じるのは、イギリスの名優、ジュディ・デンチである。いろんなスパイ映画に出て、とっても貫禄がある。これだけで、見たくなる。
 映画は、ジョーンの取調べが進行する2000年の現在と、過去の出来事が巧みに交錯する。現在と過去が、めまぐるしく繰り返されるが、軽快なテンポで、飽きさせない。若き日のジョーンを演じたソフィー・クックソンが、知的な雰囲気たっぷりで、気合いのこもった演技を披露する。
 MI5に拘束されたジョーンは、無罪を主張するが、受け入れてもらえない。つい最近亡くなった政府高官の残した資料から、政府高官とジョーンは、ソ連のKGBと繋がっていたという資料が出てきたからである。
 自宅在住が許されたまま、ジョーンの取調べは、1938年にまで遡る。優秀なジョーンは、ケンブリッジ大学で物理を学んでいる。そこでジョーンは、同学年のソニア(テレーザ・スルボーヴァ)という女性と出会う。ソニアは、ロシア系のユダヤ人で、ジョーンを共産主義関係の集まりに誘う。
© TRADEMARK (RED JOAN) LIMITED 2018 その場で、ジョーンは、ソニアの従弟のレオ・ガーリチ(トム・ヒューズ)と出会う。ハンサムなレオに、心ときめくジョーン。
 現在。ジョーンには、弁護士をしている息子ニック(ベン・マイルズ)がいるが、突然の母の拘束に、驚きながらも、尋問に立ち会うことになる。
 1941年。ケンブリッジを卒業したジョーンは、核兵器開発機関で働いている。機関のリーダーであるマックス・デイヴィス教授(スティーヴン・キャンベル・ムーア)は、ジョーンの才能を見抜き、原爆開発計画に参加させる。
 これを知ったレオは、ジョーンに迫る。「ソ連側に原爆関連の資料を提供するように」と。スターリンの独裁と共産主義を嫌うジョーンは、レオの要求を拒否する。
 現在。母親が隠していた秘密が明らかになるにつれ、ニックは驚くばかり。やがて母親の弁護を引き受けることになる。
 1945年。アメリカ、イギリス、カナダが共同で開発していた原爆が完成。アメリカは広島と長崎に原爆を投下する。報道で知ったジョーンは、その悲惨さに驚き、手元の資料をソ連側に引き渡す。
 ジョーンは、なぜ機密資料をソ連側に引き渡したのか。ジョーンの秘密が、徐々に明らかになっていく。
© TRADEMARK (RED JOAN) LIMITED 2018 映画は、大きな問いを投げかける。ジョーンのとった行動は正しかったのか、と。これは、核兵器の安全保障としての抑止力の是非である。ジョーンは、核兵器を開発した国だけでなく、抑止力が平等になるよう、西側の情報をリークしたため、このことを罪とは思っていない。
 いま、核兵器を保有している国は、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン、北朝鮮とされている。また、核実験は未確認の国が、イスラエル、イランである。持てる国は、持とうとしている国に、持たせようとしない。大国のわがままが、どこまで、世界で通用するのか。
 私見の書生論だが、日本は唯一、核で被爆した国であることを忘れないでほしい。核兵器による抑止力は、外交上の有利さはあるかも知れないが、これから先、いつ、どんな形で兵器として使用されるか、だれも分からない。つい最近、アメリカの古い文書「日本のミサイル防衛と防空」の詳細が公になった。中国が核実験に成功した1960年代、アメリカが日本に示した文書である。アメリカは、1976年の中国の核戦力を予想し、日本の主要都市を攻撃した場合、特に防空体制をとらない場合、1800万人が即死する、とある。
 やめるべきである。唯一の被爆国の日本は、世界に核廃止を訴えるべきである。とにかく、核兵器を全滅させること。それが、人類が生き延びることである。
 優れた映画と思う。監督は、イギリスの舞台畑で、演劇、オペラ、ミュージカルの演出で著名な、トレヴァー・ナン。ジュディ・デンチが全幅の信頼を寄せる演出家である。
 映画は、ジョーンの秘密を明らかにするが、ジョーンのとった行動に、結論を出さない。出すのは、ひとりひとりの観客である。

2020年8月7日(金)より、TOHOシネマズシャンテほか全国ロードショー

『ジョーンの秘密』公式Webサイト

監督:トレヴァー・ナン
原作:ジェニー・ルーニー著「Red Joan」
出演:ジュディ・デンチ、ソフィー・クックソン、トム・ヒューズ、スティーヴン・キャンベル・ムーア、ベン・マイルズ
2018/英語/イギリス/101分/5.1ch/カラー/スコープ/原題:REDJOAN/PG12
字幕翻訳:チオキ真理
配給:キノフィルムズ/木下グループ